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2013年1月の31件の記事

2013年1月31日 (木)

京洛逍遥(253)回転寿司割烹「魚倖」

 バタバタと、いろいろな仕事と用事で走り回っているこの時期なので、話が時間的に前後します。

 先週末、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の最終補訂をした書類を京都市役所に提出しに行ったときのことです。

 京都市役所の前には、ゼスト御池という地下ショッピングセンターがあります。ただし、あまり活気はありません。
 そこに、なかなかいい回転寿司屋さんができました。先週開店したばかりです。鮮魚は、京都の中央市場から毎朝仕入れているそうです。
 
 
 
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 ゼスト御池は、賑やかな三条通りや烏丸御池から離れていることもあり、人通りが少ないのです。観光客のみなさんは、ここまでは足を延ばしません。そのため、この地下街を往き来する人は、地下鉄東西線の市役所前駅を利用する人がほとんどだと思われます。市役所の隣にホテルオークラがあるので、そこに宿泊する人はこの地下街を通る可能性はあります。

 特に用事がない限り、私もここにはめったに行きませんでした。今回は、市役所へ来たので、地下の商店街に降りたのです。この前に来た時以上に、本屋さんの存在が大きくなっていました。
 それに加えて、今回この回転寿司屋さんができたことがわかったので、これからは寺町の一保堂でお茶を買った後は、ここで食事をしてもいいと思っています。とくに、ランチがいいのです。
 
 
 
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 握り、刺身、シジミの味噌汁、茶碗蒸し、天麩羅、と盛りだくさんです。茶碗蒸しの百合根の味が印象的でした。
 これで1,050円です。魚も冷凍物ではありません。魚を捌いたり握っている板前さんも、しっかりと教育を受けた方々のようです。

 目の前のレーンを皿が流れていきます。それも、少し高めの料金設定です。しかし、新鮮でおいしそうです。
 従来の回転寿司屋のイメージを変える、京風の新しいお寿司屋さんとして認知されることでしょう。

 日本人は、何かと軽視していた感のある回転寿司屋さんでした。しかし、こうした店が出て来ると、これまでの回転寿司屋の概念を改めざるをえなくなります。日本人が自虐的に見ていた回転寿司が、こうして少しずつ意識の変革を迫っていると思います。

 回転寿司に日本的文化のすばらしさがあると見る私は、ますます今後の回転寿司の多様化が楽しみになりました。
 
 
 

2013年1月30日 (水)

井上靖卒読(157)「凍れる樹」「洪水」「面」

■「凍れる樹」
 辰平は、親一人子一人で育てた娘の婿が、どうも気にくわない、何もかも気に入らないのでした。点をつけると10点満点の4点だと。
 一人になったので、気分転換に東京へ旅をすることにしました。そして、一人の女と三日間、新しい眼で世の中を見ることになりました。終始、前向きな生きざまを描くところは、井上らしさを醸し出しています。自宅に帰ると、これまでとはまた別の物の見方かで生きていくのであろうことが、よくわかります。東京での気ままな日々と、その前後とのつながりが、どうもしっくりとは溶け合っていないような印象が残りました。【2】
 
 
初出誌:婦人画報
初出号数:1959年6月号
 
講談社文庫:北国の春
井上靖小説全集27:西域物語・幼き日のこと
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「洪水」
 時は中国の後漢献帝(紀元189〜220年)の末期のことです。舞台はシルクロードの敦煌から玉門関を出た、タクラマカン沙漠の東部です。月光の中で女が語る設定がいいと思います。月光の下で、濁流と奮闘するシーンもいいと思いました。
 大自然の営みの雄大さが、人間のなすことをすべて飲み込むようにして無にする様子が、丹念に綴られています。
 最後は、洪水に立ち向かう人間の虚しさを描きます。自然と対峙することの無意味さが伝わってきます。【4】
 
 
初出誌:声
初出号数:1959年7月号
 
新潮文庫:楼蘭
旺文社文庫:洪水・異域の人 他八編
井上靖小説全集16:蒼き狼・風濤
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「面」
 冒頭で、修学旅行の実態を描き、みごとにそれを批判的な視点で語り出します。修学旅行生の心理も、巧みに描出されています。話は、昭和13、14年のことです。
 静岡の女学校に通う景子は、関西に修学旅行に行きます。琵琶湖や石山寺へ。そして京都では、京極で般若の面を買いました。それが、奈良、大阪、神戸と回る内に、しだいに負担になってきました。友達が気持ち悪がりだしたからです。それを手放してくなり、大阪の遠縁の家に足を向けました。結局はそこに面を置いて帰ることになります。しかし、その事情が、後々までずっと誰にも語らないことになるのでした。【2】
 
 
初出誌:婦人画報
初出号数:1959年12月号
 
集英社文庫:三ノ宮炎上
講談社文庫:北国の春
潮文庫:傍観者
井上靖小説全集27:西域物語・幼き日のこと
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2013年1月29日 (火)

突然アマゾンから年会費を引き落とされて

 クレジットカードの今月の明細を確認していたら、以下の項目を見つけました。


「アマゾンプライム電話0120899280/3,900円」

まったく身に覚えがありません。

 大至急ネットでこの項目を検索したところ、たくさんの被害情報がみつかりました。それこそ、ゾロゾロと出てきます。とにかく、膨大な数の方々が引っかかっているようです。
そして、私もその中の一人になったことがわかりました。

 早速、記されているフリーダイヤルに連絡をし、対応に出られた方に事情を説明し、プライム会員の解除と返金をしてもらうことに成功しました。

 ネットの被害(?)情報を見ると、「3900円の入会金に対して、返金が3588円ですから、312円ボッたくられました」とあります。そのことを電話口の方に伝えると、今回は3,900円の返金であって、312円を不法に取ることはない、とのことでした。

 ことの発端は、11月に一冊の本を購入したことに始まります。
 イギリス在住の中村久司先生が刊行なさった『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人』を、中村先生にお世話になった娘にプレゼントするために、ネットでこの本を注文して送りました。普段はほとんどアマゾンは使いません。しかし、簡単な注文で早く届くという噂なので、使ってみました。

 今回調べたところ、その時、画面に何か誘導の言葉があったようです。それにまんまと乗せられて、「お急ぎ無料便」という1ヶ月無料体験という「お試し会員」になり、送料無料で配送してもらったのです。

 この落とし穴は、1ヶ月後に確認もないままに、自動的に有料会員とされ、年会費が登録してあるクレジット会社から引き落とされ、翌月に請求されることです。

 電話口の方は、そのことは送ったメール書いてある、とのことでした。しかし、毎日膨大な数のメールのチェックをする日々の中にいます。脇が甘いと言われそうですが、この件はまったく認識がないままに今日まで来ました。そこを、うまく突かれたようです。

 アマゾンが巧妙なのは、お試し期間の1ヶ月が経ち、年間会員に自動的にスライドする時に、本人には確認のメールなどをしないで、年会費をクレジットからサッサと引き落としてしまうことです。自動引き落としを、うまく使っています。

 法的には問題がないことでしょう。
 しかし、この不愉快きわまりない行為に対して、不当な会費の返還を申し出る人は、一体何割いるのでしょうか。ほとんどの場合、自動更新となっていることにも気づかずに、年1回の年会費を払い続けることでしょう。このことに、何年後に気づくか、という問題にもなります。

 買い物の実績がないのであれば返還する、とのことでしたが、申告制のようなので、実質的にはアマゾンには膨大な会費が自動的にクレジット会社経由で振り込まれのです。うまいことを考えたものです。

 とにかく、私の場合は全額返金してもらえることになりました。
 こうして巧妙に会員にされていることがあるのですから、クレジットカードの明細は、毎月よく確認した方がいいようです。迂闊だったネット利用に関して、自戒の念を込めて記しました。
 
 
 

2013年1月28日 (月)

京洛逍遥(252)スーパー銭湯「京都伏見 力の湯」

 伏見にいい温泉を見つけました。
 竹田駅から歩いて3分。駅を降りてすぐです。
 ただし、その建物に到着しても、入口がわかりませんでした。建物を一周してもわかりません。駐車場のスペースで野菜の即売会をしていた方に聞いたのですが、やはり入口に辿り着けません。もう1度引き返し、駐車場から順に建物を調べ直そうとしていると、やっと入口らしきところを見つけました。
 初めて行かれる方は、次の写真を覚えておくといいかと思います。
 建物は間違っていないのに、入口がわからないというのは、なかなか複雑な思いをするものです。
 
 
 
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 中はきれいで開放的です。
 2階からは、吹き抜き屋台の絵画のような俯瞰ができます。
 
 
 
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 ここの天然温泉は、能勢アートレイク温泉から毎日タンクローリーで運んでくるそうです。いいお湯でした。

 食材にこだわった食事が用意されています。しかし、食事時間ではなかったので、今回はパスです。

 かわりに、久しぶりに温泉に入った後に牛乳を飲みました。
 ただし、自動販売機には雪印メグミルクのビンばかりがセットされていました。

 雪印乳業が2000年に起こした「集団食中毒事件」と、雪印食品が2002年に起こした「牛肉偽装事件」という、2度もの不祥事を見聞きしてからというもの、私はこの会社の製品は買わないことにしてきました。今もスーパーなどで見かけても、決して雪印製品には手を出しません。

 私は、糖質制限食のためにチーズをよく食べます。しかし、雪印のチーズだけは口にしません。コンビニなどで、雪印のものしか置いていない店があります。これには、困っています。違う店でQBBか明治のチーズを買います。

 それよりも何よりも、私はこの会社が今でも「メグミルク」という名前を隠れ蓑のようにして使って商品を売っていることに、大いなる疑問を持っています。

 会社としてはいろいろと事情があるのでしょう。しかし、消費者から見えるのは、


雪印→メグミルク→雪印メグミルク→雪印

という推移を思ってしまうのです。

 数年すれば、今の「雪印メグミルク」の「メグミルク」を削除して、元の雪印ブランドに戻すのでしょう。何年で元の名称にもどす計画なのかは知りません。興味をもって、この会社の製品をスーパーなどで眺めています。

 さて、この温泉での自動販売機の「雪印メグミルク」の牛乳は、受付でわざわざ牛乳を買うと言うことで再入場できない2階まで行ったこともあり、しかたがないので渋々買ってロビーに降りました。

 味はともかく、この次は数年後に、「メグミルク」の文字列が消えた「雪印」の牛乳を飲むことになるのではないでしょうか。

 温泉と関係ないことになりました。妄言多謝。

 
 
 

2013年1月27日 (日)

京洛逍遥(251)京都竹の郷温泉

 京都西山の麓、桂から山手に国際日本文化研究センター(日文研)があります。大学共同利用機関法人人間文化研究機構の中にあって、国文学研究資料館と同じ仲間の組織なので、会議や研究会のために毎年行く機会があります。ただし、交通の便があまりよくないので、いつもその道中で疲れが溜まります。

 その桂駅から見て、日文研とはV字の左方向、真南側に洛西ニュータウンが拡がっています。その中のホテル京都エミナースの温泉棟に、天然温泉「京都竹の郷温泉」がありました。これはいい所を見つけました。
 
 
 
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 この温泉で一番いいのは、浴槽はもとより、洗い場の蛇口やシャワーもすべて天然温泉なのです。これはめずらしいと言えます。また、2種類の温泉共に、お湯も「極めて」と付くほどの軟水です。肌もツルツル、スベスベになります。温泉に入った、という実感が味わえます。

 お座敷で、のんびりと食事もできました。糖質制限をしているため、おつまみ主体の私にも、ここのメニューはちょうどいいものでした。揚げ出し豆腐やシシャモの唐揚げなど、味もあっさり目で助かりました。

 まわりの洛西ニュータウンが高齢化していることもあってか、ここに来ている方々の年齢層が高いように見受けられました。
 それは、この奥にある高島屋デパートでも感じられました。かつての活気を取り戻すために、いろいろと方策を練っておられると思います。しかし、若者がもっと集まらないことにはどうしようもないようです。
 なぜ若者が集まらないかは、やはり交通の便と、賑やかな町への行きやすさだと思います。

 全国に、このように高齢化に伴う問題を抱えたニュータウンが多いと思われます。各地では知恵を出して、活性化に取り組んでおられると思います。さらに、いろいろなことに取り組んでほしいものです。この温泉も、もっと宣伝する価値があるように思いました。
 自宅のお風呂に入るだけでなく、こうした公衆浴場スタイルの楽しさは、老若男女に共通する開放感を味わうことができるのです。この温泉は、今後の活性化の役割を果たしそうです。
 
 
 

2013年1月26日 (土)

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の正式認証は2月上旬に

 昨秋、平成24年10月12日に設立認証申請をしたNPO法人〈源氏物語電子資料館〉について、認証に向けて担当部局の方々が最終チェックをしてくださいました。

 平成24年4月1日から、京都市にのみ事務所を置く法人の所轄が京都市に移管されました。それに伴い、私が申請したNPO法人も、すべて京都市の書式で作成し、京都市役所の中にある京都市文化市民局地域自治推進室市民活動支援担当の窓口に申請書類を提出しました。

 私の申請の窓口となってくださったHさんからは、丁寧な対応で細かいアドバイスをたくさんいただきました。感謝しています。

 今日は、先週FAXで連絡を受けた、定款等の不備等を修正したものを、市役所に再提出しました。すべて書類の体裁上のことだったので、改行箇所や空白やズレ等を直すだけですみました。

 私が市役所に足を運んだのは、今日で4回目です。
 Hさんは慎重に修正箇所などを再点検してくださいました。そして、これですべて問題がないことが確認されました。

 正式な認証は2月の上旬だそうです。そろそろ、法人の登記などの準備に入ります。
 これも、関係する方々からいただいたご理解とご協力のたまものです。
 みなさま、本当にありがとうございました。
 2月中旬からは、本格的なスタートとなります。

 折々に、進捗状況やご案内を、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページができるまでの当分は、このブログを借りて報告していくことになります。

 もうすぐ産声をあげるNPO法人〈源氏物語電子資料館〉を、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 

2013年1月25日 (金)

私の〈河岸〉スナップ(その1・インド)

 川というと、私にとってはインドがまず印象的なものとして思い出されます。
 インドのニューデリーに2002年の正月から3ヶ月間、客員教員として行っていた時の写真を、手元のアルバムから4枚選びました。ガンジス川とヤムナー川です。

 まずはガンジス川から。
 
 
 
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 2月の初旬、早朝6時過ぎにガンジス川に漕ぎ出し、船から灯明を川に流しました。
 願い事が叶うというものです。
 この神聖な深緑色の水の川には雑菌はいないそうです。
 多くの人が沐浴をする中、私は船縁から手を伸ばして水を掬ってみました。
 水に手を付けると赤く腫れ上がると言われていたのに、何もありませんでした。
 悠久の刻をたゆたうように流れ続けているガンジス川。
 船を漕ぐ櫓の軋みだけが、いつまでも朝靄の中に溶け込んで消えていきました。
 
 
 次は、あまりにも有名なタージマハルの地を流れるヤムナー川です。
 
 
 
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 3月の中旬に、デリーから150キロ南のタージマハルから川を見下ろしました。
 川幅の割には少ない水量の川です。
 しかし、ここの歴史と文化は、たくさんの人々の心を惹きつけます。
 ムムターズのお墓を作った後、シャー・ジャハーンは川の対岸に自分のお墓を作るはずでした。
 対となるように、自分自身のものは黒大理石にする予定でした。
 しかし、その思いも叶わぬままに、幽閉の身に。
 今はこのような穏やかな風景が展開しています。
 
 
 クリシュナの生誕地であるマトゥラを流れる聖なるヤムナー川にも行きました。
 
 
 
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 私がいた頃は、イスラム教とヒンドゥー教の宗教戦争のまっただ中でした。
 このマトゥラの地を訪問する少し前に、ニューデリーでは日本大使館から外出禁止令がでました。
 マトゥラはニューデリーから100キロの地です。
 ヒンドゥー教の7大聖地の1つとなっているマトゥラは、町の中をヤムナー川が流れています。
 ここでも、ガンジス川のように巡礼者たちは、沐浴場で川に身を浸します。
 のんびりとした犬たちに見送られて、川に船を出しました。
 この川は下流のアラハバードでガンジス川に流れ込みます。
 
 
 最後は、デリー大学の東側を流れるヤムナー川です。
 
 
 

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 この川原には、毎日のように通勤通学途中に立ち寄りました。
 日本の昭和30年代の原風景が、今でも普通に見られます。
 小屋や牛や犬や、そしてサドゥーと呼ばれる苦行僧たちがいます。
 この川に地下鉄が架かり、開通してすぐに試乗しました。
 川を挟んで、一本の鉄道によって生活と文化の交流が盛んになるようです。
 デリー大学に近いこのヤムナー川沿いには、チベットから来た方々が住む地域があります。
 インドは、チベットの亡命政権を受け入れているのです。
 
 
 世界の国々の文化は国際的に展開しています。しかし、民族や宗教の違いにより、その交流にはさまざまな問題が横たわっています。一口に異文化交流と言っても、いろいろいなケースがあるのです。異文化理解の難しさを、こうした外国の川辺に立ちながら、自由に考える時間をもらっています。

 これまでは何げなく見ていた川の風景も、井上靖の『河岸に立ちて』を読んでからというもの、あらためて再訪して川が語る異文化の諸相に耳を傾けたいと思うようになりました。

 近々、また海外に出かけます。
 その時には、川にもぜひ連れて行ってもらうつもりです。
 
 
 

2013年1月24日 (木)

写真や画像のデジタル化への取り組み

 昨日、「井上靖卒読(156)『河岸に立ちて』」をアップしてから、パソコンの中のアルバムをブラウズしてみました。私も、川や海が好きなので、たくさんの写真が見つかりました。これらの内のいくつかは、明日にでも報告します。

 写真はたくさん撮る方です。しかし、なんでもかんでも Macintosh の画像管理ソフトである iPhoto に転送しているだけで、特に整理はしていません。ソフトが勝手に撮影日で並べ替えてくれているままにしています。
 手を入れているとしたら、写っている人の顔で検索ができよるうに、顔と名前の認定をたまに確認していることくらいです。

 十数年以上前は、写真と言えばロールフイルムによる撮影でした。写した後は、写真屋さんに持って行き印画紙にプリントしてもらい、冊子のアルバム帖に貼り付けてメモを添えていました。
 その冊子状態のアルバムが50冊ほどあり、その総量も尋常ではありません。

 京都の自宅は80年以上も前に建てられた木造で、おまけに2階の押し入れにそのアルバムを一時保管していました。しかし、重みが柱によくないということです。
 そこで最近、妻がすべての写真を剥がして、箱に時系列に並べてくれました。これを、いつか時間をとってデジタル化し、スライドショーを作ることを考え始めたところでした。子どもたちの写真が大半なので、早くスライドにしたものを渡そうと思っています。しかし、なかなか取り組めない現実にあることも事実です。今の目標は、定年を迎える4年後には着手するつもりです。

 手元のデジタルライブラリを、パソコンの画面を通してパラパラと見ました。すると、1996年7月に学生と一緒にヨーロッパへ研修旅行に行き、ベネチアで「ワールド・ワイド・リサーチ倶楽部」を立ち上げた記念の集合写真が、デジタル撮影による写真の最初のものとなっています。

 当時使ったと思われるデジタルカメラは、アップルの「QuickTake」というものだと思われます。
 最初の製品である「QuickTake 100」は、双眼鏡のような形でした。同じ頃、コダックとカシオのデジカメも併用していました。

 ソニーのデジタルビデオカメラの映像をパソコンに取り出して、デジタルの写真として活用もしました。
 このあたりのことは、何か手掛かりになる資料なりデータが見つかれば、個人の写真撮影記録の一つとしてまとめておきたいと思います。

 私がインターネットでホームページを立ち上げたのが1995年9月なので、その前から画像データをデジタルで作成し出したようです。プリントされた写真を、エプソンのフラットベッドのスキャナや、キャノンのフイルムスキャナで取り込んでいました。

 私がフイルムスキャナを使い出したのは1992年です。
 さまざまなものを、スキャンしてデジタルデータにしていました。当時はいろいろな制約から、640×400ピクセルという大きさのものとなっています。
 Macintosh を使う前だったので、今でいうウインドウズの前身である MS-DOS というシステムのパソコンに、画像を処理する高価なボードを装着してのものでした。今でもそうですが、マイクロソフトは画像や音声が苦手なので、その意味からウインドウズが出だした頃に、画像と音声が得意な Macintosh の世界に移ったのです。
 ウインドウズに見切りをつけるのが早かったのは大正解でした。

 手元の写真を見ると、1998年9月からはデジタルカメラを中心に撮影しているようです。それまでのものは、フイルムとデジタルが混在しています。

 私が国文学研究資料館に着任したのが1999年4月なので、その前年からデジタル化に移行している、ということになります。
 折しも、1999年12月3日には、〈第5回シンポジウム コンピュータ国文学「二十一世紀の源氏物語研究〉と題したイベントを国文学研究資料館で開催しました。その折には、広島大学にいらっしゃった稲賀敬二先生にネットワークを駆使して、このシンポジウムに参加していただきました。そのために、私は直前に広島まで行っていろいろと打合せをしました。画像と音声をデジタル化して遠く離れた会場をつなぐという、当時の国文学の世界でのイベントとしては画期的なことを実験しました。そして、そこで話題にしたものも、『源氏物語』を データベースとして CD-ROM 化したものでした。
 なおこのイベントの詳しいことは、拙著『源氏物語の異本を読む—「鈴虫」の場合—』(臨川書店、2001年)をご参照ください。

 1999年は、そんな時代だったのです。その流れに、私は素直に乗っかっていた、ということのようです。
 そして、翌年は2000年問題として騒がれたものです。コンピュータの時計が狂い、さまざまなトラブルが起きるとして、社会問題となりました。もっとも、大混乱は起きませんでしたが。
 こうしたことも、いつかまたまとめて書きます。
 
 
 

2013年1月23日 (水)

井上靖卒読(156)『河岸に立ちて』

 本書は、井上靖が世界中の川を経巡り、その川の流れを記録として書き残したものです。淡々と語る中に、単なる水の流れではない川が持つ特殊性が、余すところなく語られています。というよりも、井上靖の川に対する温かい眼差しが、時と歴史と文化を超えたものとして、川の姿に語らせています。
 
 
 
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 歴史を背負った川、沙漠の中に消えていく川などなど、黄河に始まりアムール川までの51の川が取り上げられています。さらには、井上靖自身が撮影した川のカラー写真が45枚も収録されています。読んで、そして見て、楽しい随想集となっています。

 水の流れを見つめながら、井上靖はさまざまな思いを抱き、呟きます。世界中の川に佇み、時間と空間を往き来しながら、思考する姿を見せてくれます。

 『天平の甍』を執筆していた時は、日中国交正常化以前だったため、揚州の町に立つことができなかったそうです。執筆後8年して行っています。

 韓国の漢江は、『風濤』の取材で行ったところでした。ただし、江華島から望む漢江には、その苦難の歴史を思い、心中複雑だったと記しています。シベリアのレナ河は、『おろしや国酔夢譚』を執筆していた時には見ていなかったそうです。

 敦煌から奥の西域南道は、井上が勝手知ったる地域です。何度も訪れ、さまざまな作品の舞台になっているところです。それだけ、語り口に愛惜の思いが滲んでいます。タクラマカン沙漠を伏流する川には、気の遠くなるような空間と時間が流れています。さらには、川の流れが変わることによって、自然界も人間界も大きな変化が生まれることも、ここから知られます。

 悠久を旅する井上の名ガイドを聞く思いです。
 井上は、中国の川を「天涯から来、天涯へ消えている」と、何度も表現しています。

 インダス、ユーフラテス、ナイル川は、みんな井上に時間の流れを実感させています。この文明発生の川は、今も生きているからです。

 エジプトでは、月光の中のカルナック神殿、月光に照らし出されたナイル川を見たいと言っています。これは私も、いつか果たしたいと思っているところです。

 エベレストの麓、ドウトコシを流れる川の話は、私が大好きで何度も読んでいる『星と祭』で詳しく語られているものです。エベレストに満月を見に行く時の話に出てくる川です。小説では、一点景であったも、こうして取り上げられると、その場面が思い浮かびいいものです。あまり何度も読んだ小説なので、ナムチェバザールという所は、あたかも自分も行った所であるかのような錯覚に陥ります。

 「川が置かれている」という表現が何度も出てきます。流れている様を、一筋のものが置かれていると表現するところに、長い川の流れが視覚的に止まって映し出されているのです。

 水が流れる川について、こんなにたくさん語る本は少ないのではないでしょうか。かと言って、情に流れた紹介に終わっていないところが、この一連の文章が織りなすすばらしいところです。
 私も、これまでに行った川を集めて、写真をもとにして語りたくなりました。【3】
 
 
連載誌:『太陽』昭和56年〜60年
単行本:平凡社・昭和61年2月
文庫本:新潮文庫・平成元年2月
 
 
 

2013年1月22日 (火)

井上靖卒読(155)「騎手」「春寒」「春のうねり」

■「騎手」
 人間関係が語られた後、馬と騎手の動と静が巧みに描写されています。後半は、時間が止まったかのような、映像としてのシーンがみごとです。この切り替えが、読後に印象深く残像として、読者の目に浮かびます。
 なお、本作は匿名で発表されたものです。それだけ、井上にとっては自信があったと言えるでしょう。【4】
 
 
初出誌:群像
初出号数:1953年4月号
 
集英社文庫:夏花
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
■「春寒」
 事業に失敗した男とその妻の心の交流が、男の視点で語られます。京都や九州へ、最後となるはずの旅に出かけます。家が人手に渡ることも知らずに、その家に飾るものを買う妻に、事実を語ろうと思いながらも何も言えないままに旅を続けます。妻とは別々に東京へ帰ることになった時、男はかつて同棲していた女と飛行機で一緒になります。この女が、うまく話の中に入り込み、生きた存在として男の一面を照らし出します。男と女の関係を、おもしろく切り取っています。【3】
 
 
初出誌:小説新潮
初出号数:1953年4月号
 
集英社文庫:楼門
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
■「春のうねり」
 2人の男の間に生きるさだ子。京都、九州、信濃、伊豆、東北への旅が語られます。本作は、人物設定が崩れていて、井上靖らしくありません。読んでいて、2人の男と女との距離が中途半端なのです。話の盛り上がりもありません。書くのを急ぎすぎて、内容が煮詰められなかったようです。【1】
 
 
初出誌:サンデー毎日
初出号数:1953年5月新緑特別号
 
井上靖小説全集10:伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集3:短篇3
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2013年1月21日 (月)

江戸漫歩(59)日比谷公園の松本楼と花と鷺

 日比谷公園には、これまで行ったことがないように思います。帝国ホテルの中にある人間ドックに一泊二日で入った時にも、すぐ目と鼻の先の日比谷公園に行きませんでした。いつでも行ける、というか、ありまにも有名すぎて、あらためてわざわざ行くことがなかった、というところでしょうか。

 今日はポカポカと暖かい休日でした。散歩がてら日比谷公園へ、妻と自転車で出かけました。

 宿舎を出て直進して勝鬨橋の手前で1度曲がると、後は真っ直ぐ行くと日比谷公園にぶつかります。20分ほどでしょうか。
 銀座4丁目の和光(旧服部時計店)を通過する時に、ちょうど正午になりました。これを合図に、この一帯は日曜日には歩行者天国となります。人が車道に拡がりだしたところに出くわしました。
 
 
 
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 帝国ホテルの前から日比谷公園に入りました。そして一周。1度来たことがあるようなないような。記憶には刻み込まれていない所であることは確かです。

 有名な森のレストラン「松本楼」があることは知っていました。せっかくなので、グリルでランチをいただくことにしました。2階の仏蘭西料理の「ボア・ド・ブローニュ」は、我々には贅沢すぎるのでパスです。
 私はスペシャルランチをいただきました。最初にニンジンを一口食べて、その上品な味付けに満足しました。ゆったりと食事ができました。

 外に出ると、松本楼の入口に、サントリーが最近力を入れているという、サントリーフラワーズの「セネッティ」がみごとに咲いていました。
 
 
 
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 鮮やかな色のセネッティは、冬と春に2度も咲くのだそうです。冬にこうした花が咲いていると、まわりも明るい雰囲気になります。

 帰りに、心字池に一羽の鷺が休んでいました。岩の間には、まだ先日の雪が残っています。
 
 
 
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 賀茂川の鷺たちよりも、孤高の佇まいを感じさせてくれます。都会的とでも言うのでしょうか。紳士と言った方がいいのかもしれません。
 仲間は、すぐ横の皇居のお堀にいるのでしょうか。
 もちろん、隅田川の鷺とも、醸し出す雰囲気が違います。鷺が突っ立っているだけなのに、場所場所によって異なる印象を持つのは、どうしてでしょうか。おもしろいものです。
 
 
 

2013年1月20日 (日)

谷崎全集読過(17)「病蓐の幻想」「人魚の嘆き」

■「病蓐の幻想」
 歯を患う苦痛がこと細かに、その心理を抉るように描写されています。人間の感覚の世界を、ことばで書き記そうとしているのです。それが、ピアノを例にして言われると、なるほどと得心してしまいます。うまい説明だと思います。
 明治26年7月の地震のことは、平成23年3月の東日本大震災のことがあるので、実感をもって読めました。
 主人公は、病みや怖さという不安の中で生きているのです。地震の説明に船を持ち出すのもうまいと思います。人形町で体験した地震は、彼が7、8歳の時だったと言います。また、それが夢の体験だったかも、とも言っています。とにかく、想念の中でもがき苦しむ姿が描かれているのです。
 安政の大地震の話は、谷崎が小さい時に聞いた話でしょうか。その時は、深川の冬木が一番酷かったようです。現に、今私はその地の近くに住んでおり、橋の袂には碑が建っています。夢の中の地震にしても、その描写には、今見てきたかのような迫力があります。
 彼の頭の中は、地震の対策にも余念がありません。微に入り細にわたって、その検討が加えられています。逃げ方もしかり。
 結局は夢であり、妄想であり、幻想でした。特に、地震については、生々しさを伴った長文であり、その不気味さがよく伝わってきます。
 英語や仏語が随所に出てきます。この時期の谷崎の特徴でもあります。【2】

※初出誌『中央公論』大正5年11月号(大正5年10月作)
 
 
 
■「人魚の嘆き」
 弁舌爽やかに流暢な語り口で、中国南京の貴公子の話が始まります。豪華絢爛たる、贅美を尽くした世界が展開します。しかし、酒と女と阿片の日々の中、貴公子は鬱々として気持ちは晴れません。
 貴公子は、人魚という妖魔を手に入れ、満たされた気持ちになるのでした。
 ただし、人魚の話は、アイデア倒れのように思います。美しい場面を作ろうとし過ぎているように感じるからです。
 インドのことが、「人魚の知恵は、印度の魔法使ひよりも不思議な術を心得て居ます。」(『谷崎潤一郎全集 第5巻』124頁)という喩えとして引かれています。谷崎のインド感については、あらためてまとめます。【2】

※初出誌『中央公論』大正6年1月号(大正5年12月作)
 
 
 

2013年1月19日 (土)

吉行淳之介濫読(10)『砂の上の植物群』

 吉行淳之介は、最初に発表した作品を単行本化する時や全集に収録する際に、非常に多くの手を入れます。
 そのため、この吉行の代表作でもある『砂の上の植物群』などは、大江健三郎と江藤淳が編集した『われらの文学 全22巻』(講談社)の内の一冊として刊行された『われらの文学 14 吉行淳之介』(昭和41年5月)に収録された本文を読んで行くことにします。吉行が42歳の時に編集された全集本をテキストにすることにしたことを、まずは明記しておきます。

 伊木一郎は化粧品のセールスマンです。定時制高校の教員を辞めて、今の仕事をしています。そして、推理小説の構想を楽しんでいるのです。その構想には、18年前に亡くなった父が関係しています。
 父親のことが何かと問題になります。作者の潜在意識に、父があるということです。また、伊木と京子の間には、血の濃さと父親の亡霊がブレンドされて語り進められて行きます。読者を惹き付ける、うまい展開となっています。

 登場人物である伊木が構想中の小説とその作者が、本作の中に顔を出してきて語る展開が、読み進んでいるとおもしろい効果となっています。登場人物の伊木とは違う私(作者)が間歇的に姿を見せることで、作品に奥行きが出ています。また、自作の「出口」のことまで、本作の中で言及しています。作者と登場人物が渾然一体となって、物語が進展しているのです。

 背景などの描写で、色彩表現が豊かです。本作のタイトルは、クレーの絵の題名から付けられているようです。
 この小説を一言で表現するならば、色彩がスライドしていく、と言うことができます。吉行は夕焼けを大事に点描していて、印象的な赤い色が滲んで来ます。

 中年になった男の、女に対するものの見方も克明に語られてもいます。電車の中での痴漢話はおもしろい挿話です。
 吉行の性の表現は都会的なセンスで語られます。男女がお互いの心の中を探る様子を描くタッチも、実にカラッとしています。男と女の交わりの間にも、人間のバランスを問うかのように芸術が割って入ります。吉行の作品がエロと一線を劃しているのは、こうしたところにあると言えるでしょう。

 濃い橙色の月が出てきます。吉行作品の月については、これから詳しくチェックしていくつもりです。

 なお、『星と月は点の穴』をこの『砂の上の植物群』の延長上に置いてみると、吉行の小説作法の仕組みがわかっておもしろいと思っています。それは、またその時にしましょう。
 
 
※初出誌:『文学界』昭和38年1月〜12月まで連載
 単行本:昭和39年3月に文芸春秋社より刊行
 
 
 

2013年1月18日 (金)

『十帖源氏』を読む会の後は質素な新年会

 今日は、新しい参加者がありました。
 読む仲間が一人でも増えることは、とにかく大歓迎です。いろいろな視点や立場の仲間と意見交換をする中で、より外国語に翻訳しやすい日本語訳の完成をめざしたいものです。

 今日はいつもの新宿アルタの横のレンタルスペースが確保できなかったので、新宿三丁目の喫茶室ルノアールのレンタルスペースを借りました。小さな会議室に7人が集まり、いつもの調子で自由に思い思いの意見を言い合う中で、現代語訳の確認と修正をしました。

 今日から、第6巻「末摘花」の2回目の点検が始まりました。

 まず、主な登場人物を、公開データの冒頭に付けることになっていたので、その確認からです。今後とも、各巻毎に5人から10人ほどの登場人物に、簡単な紹介文を付けて明示することになりました。7人程度を一応のメドとします。

 また、これまでは、版本の『十帖源氏』をデータとしておこすにあたり、「翻刻本文」としていました。しかし、厳密には「翻刻」とするのはおかしいので、「翻字本文」とすることも決めました。

 巻初の割り注に「以詞名也。」とあるところは、「桐壺」巻で決めたようにその訳は、「物語の本文から巻の名前をつけました。」となります。

 本文の訳では、末摘花が


心ぐるしげに物し給ふを、うしろめたきさまにや

とあるところが、まず問題になりました。

 担当者の訳は、


ふさぎこんでいる様子だったので、あなたと引き合わせるのに気が引けたものですから

となっていました。しかし、「ふさぎこむ」とか「気が引ける」という表現では、海外の方々には訳しにくいだろうということで、次のような訳になりました。

憂鬱そうだったので、あなたと引き合わせるのをためらいまして、

 また、光源氏の歌「いくそたび 君がじゝまに まけぬらん」では、元の版本に「じゝま」とあり、明らかに「し」に濁点が付いています。しかし、「しゞま」が正しいはずです。何かの間違いでしょう。
 そこで、正確を期して、「じゝま」と翻字しておいて、この行末に「(原本通り)」という注記を付加することになりました。

 こうして、少しずつ海外向けの現代語訳のルールも固まり、訳文もこなれて来だしました。

 この後は、みなんで新宿東口のスパゲッティ屋さんで、簡単な新年会をしました。いつもは、私が食事内容の問題があって、終わるとすぐに帰宅しています。しかし、年に数回は、区切り区切りにでも会食をして、いろいろな話をしたいとの思いから、質素ながらもみんなで食事をしました。気の置けない仲間というのはいいものです。大切に、気長にお付き合いをしていきたいと思っています。

 次回は、2月14日(木)です。場所は、これまで通り、新宿アルタ横の喫茶店のレンタルスペースです。
 このプロジェクトに興味のある方は、本ブログのコメント欄を利用して連絡をいただければ、折り返し返信で詳細をお知らせします。性別・年齢・職業に関係なく、自由にご参加いただければ、と思っています。
 会費はありませんが、飲み物代千円が必要です。
 次は、「末摘花」の訳の確認の残り少しと、次の第7巻「紅葉賀」の確認をします。
 資料は、すでに本ブログに公開している現代語訳を使っています。
 
 
 

2013年1月17日 (木)

読書雑記(60)アガサ・クリスティー『ブラック・コーヒー』

 アガサ・クリスティーの作品はほとんど読んだつもりでした。しかし、1930年に初めて戯曲として書かれた『ブラック・コーヒー』は、書店で手にしてパラパラとページをめくっても、読んだ記憶がまったく蘇りません。
 
 
 
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 早川書房の〈クリスティー文庫65『ブラック・コーヒー』麻田実訳〉には、クリスティーらしくないと言われながらも幻の傑作とも評される『評決』が併載されていました。最近、コーヒーを飲むのが楽しみの一つになっていることもあり、読んでみることにしました。読み進む内に、読んだものだと気づいたらその時点で辞めればいい、という軽い気持ちで。
 『評決』の方は、また読みたくなった時にと、今はとっておきます。

 読み始めて間もなく、夫と一緒にインドへ行ったエドナに私の注意は向きました。科学者クロード卿は、原子爆発の研究を完成させ、その方程式のメモが盗まれます。そして、名探偵ポアロの登場です。
 エドナはクロードの妹で薬剤師です。殺人事件に発展した時点で、私はこのエドナが怪しいと見ました。しかし、このエドナは最初に触れられるだけで、後は出番がまったくない人物でした。みごとにハズレだったのです。

 この作品の展開は、舞台で見るに限るようです。コーヒー茶碗を誰がいつどうしたか、とか、誰が読書室のどの位置にいて、いつ出入りしたかなどなど。文字を追っていく読書スタイルでは、この話のおもしろさが存分には味わえないように思いました。舞台と読書では、楽しみ方が違ってくることを実感したのです。

 推理劇の台本を文字で読むと、イメージを喚起するのに手間取って、おもしろさが半減しているように思えます。推理だけを楽しむには、この方がいいと言う方もいらっしゃるでしょう。しかしこの『ブラック・コーヒー』は作者の戯曲第一作目であり、劇という総合芸術仕立てでの発表形態が、作者の願う本来の目的だったはずです。
 身振り手振りに加えて表情豊かだった桂枝雀の落語を活字化したもので読む時のような、隔靴掻痒の感が最後まで付きまといました。
 つまり、作者がサービスとして少し長めに書いてあるト書きによって、舞台の臨場感を感じ取るしかないのが、もどかしく感じられたのです。

 芝居という視聴覚で楽しむ点は最初から考えないと割り切って、自分のイメージだけで楽しむ読書とした方がよさそうです。あまりこうした読み方に慣れていないので、あらためてそんなことを感じました。

 ただし、その場合には、翻訳という壁が立ちはだかります。異文化をどのような単語で訳すか。原文が織りなすクリスティの世界を、どのような表現で日本語化して伝えるか。翻訳者の腕次第で、作者の意図が大きく左右されます。

 今回は、麻田実氏の翻訳を読みました。これまで、翻訳による違いはあまり気にしていなかったので、機会があれば他の方の翻訳を読んでみるのもいいかもしれません。

 いろいろな意味で、この『ブラック・コーヒー』は楽しく読めました。そして、まだ読んでいなかったこともわかりました。
 日頃は日本の作品ばかり読んでいます。しかも今回は戯曲という異分野だったので、刺激的な読書時間を持つことができました。私は、この『ブラック・コーヒー』を電車の中で読みました。しかし、これはやはり、大好きなコーヒー豆をハンドミルで挽き、そして挽き立ての粉をドリップし、そうした薫りに包まれた部屋で、一人でコーヒーを飲みながら飲むのが最高でしょう。いつか、果たしたいものです。
 
 
 

2013年1月16日 (水)

夜行バスが大幅に遅れて

 昨夜、京都駅八条口からの夜行バスは、少し遅れて出発したものの、快適に中間地点である浜松サービスエリアを通過しました。

 ところが、朝6時に目覚めても神奈川県に入っていません。バスは、ピタリと高速道路上に、貼り付いたように止まったままです。出発時の不安が的中したようです。
 車内放送では、高速道路が雪のために閉鎖されているため、前に進めない車の渋滞に巻き込まれている、とのことです。

 10時になっても厚木にも着かないので、職場には今日の会議に遅れる旨のメールを送りました。

 その2時間後の正午に、やっと本厚木駅前に着きました。予定では、立川駅に朝6時半に到着の便でした。しかも、これから先もまだまだ渋滞のため、立川に何時に着くかは皆目見当がつかないようです。

 乗客の9割の方が痺れを切らして、もうここで降りて、ここからは電車に乗り換えるようです。バスの運転手の方も、発言には注意しながら、それを勧めておられます。私もそうすることにしました。

 本厚木から立川まで、登戸乗り換えで1時間少々。国文研には2時頃に着きました。
 立川駅から乗ったモノレールの車窓から見ると、職場周辺が広く雪を被っていることがわかります。
 左から、自治大学、国語研究所、国文学研究資料館と統計数理研究所と極地研究所の合同庁舎、右端が裁判所です。
 
 
 
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 この様子から見ても、相当の雪が降ったことがわかります。
 3時までに提出する書類は、何とか間に合いました。

 夜行バスは、これまでにも何度か使いました。しかし、こんなに遅れたことは初めてです。
 12時間以上も乗っていたので、イギリスから空路で帰ってくる時間に匹敵します。ただし、リクライニングシートでゆったりとした席だったので、エコノミークラスのような身体の怠さと時差ボケはありません。

 本厚木駅前でバスを降りたのは、ちょうどお昼の時間帯です。
 私は、いつも軽食を持ち歩いているので、今回も朝食と軽いお昼は、止まったままのバスの中ですませました。
 クッキー、クラッカー、チーズケーキにコーヒーと牛乳です。
 幸い、いつもより多めにカバンに入れていたので大いに助かりました。

 しかし、乗客の大多数はお腹を空かせたままです。さらには、この本厚木から目的地までの交通費千円ほどは、各自が負担することになります。学生さんにはきついことでしょう。

 かつて、新幹線が遅れた時に、何度も特急料金を払い戻ししてもらいました。しかし、この夜行バスでは、そのようなことは考えられません。

 たまたまこのような状況に巻き込まれたので思うのですが、お昼になっても高速道路を降りられない場合には、乗客に軽食か非常食を配ってもいいのではないでしょうか。若者が多い路線だけに、口にするものがない状況で、狭い空間での缶詰状態はよくありません。

 事故のない安全運転に細心の注意を払う次に、この非常事態での食料の確保も、高速バス業界にはぜひとも検討してほしいものです。
 
 

2013年1月15日 (火)

初釜で今年の英気を養う

 初釜にお招きいただいたので、大和平群へ行ってきました。
 と言っても、これもお茶のお稽古の一環です。

 あいにくの雨と寒さの中、今朝の奈良は雪だったそうです。
 信貴・生駒連山は、うっすらと雪化粧でした。

 今年1年がよい年になるように、気持ちを引き締めての初釜です。
 お茶の先生のお弟子さんたち6人が集まり、和やかで楽しい会でした。

 待ち合いで白湯をいただいていると、今日は私がお正客を、と言われて飛び上がりました。まだ初心者なのに、とかいう言い訳も若い方々の前では通じません。歳相応に、何事も勉強であり、修練です。

 蹲いで身を清め、席入りして床の前に身を置くと、正面のお軸には「松樹千年翠」とありました。常住不変の真理を言う禅語です。
 次に炉の釜を、そして道具を拝見しました。台子に並ぶ水指・杓立・建水・蓋置が鮮やかな赤絵の皆具で、この場を明るくしています。

 香合は陶器で琵琶の形をしたものです。琵琶は弁天様の持ち物です。練り香が焚かれました。
 インドのヒンドゥー教でサラスヴァティーという女神は、芸術や学問などの知恵や知識を司る神様とされています。
 シタールのような弦楽器を手にして、白鳥、孔雀、蓮華等に座っています。サラスヴァティーは水とも縁が深いので、火に焚くお香との取り合わせがおもしろい、と思いました。今度インドに行ったら、こんな小物を物色して来て、香合に使ってみましょう。

 心尽くしの懐石のお弁当をいただきました。主菜である海老のシンジョウがおいしかったところへ、日本酒とお汁を肴にして呑む楽しみ方も教えていただきました。なかなかおもしろい取り合わせです。

 初釜につきものの花びら餅は、奈良のものだそうです。白味噌の餡が上品な味わいでした。中のゴボウもいい味がでていました。

 席入りし直すと、床には鶴首永楽の花入れに、ウグイスカグラと侘助が飾ってありました。

 濃茶に続いて薄茶をいただきました。
 濃茶の茶碗は、金と銀の楽茶碗です。薄茶茶碗には、大振りの紅梅が描かれていました。おいしいお茶でした。特に、濃茶の香りがほんのりと甘くて印象に残りました。

 みんなが先生のお手前をいただいた後、一人ずつ薄茶を点てることになりました。
 今日はお手前をすることはないと安心しきっていたので、慌てながら次客の方に一服差し上げました。
 写真を撮ってもいいとのことだったので、記念に掲載します。
 
 
 
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 今後とも研鑽を積むようにと、先生から『利休百首』をお年玉としていただきました。
 
 
 
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 一首ずつ解説があるので、帰りの車中で拾い読みをしました。お茶の世界が少しわかり、興味を持ってきたこともあるのでしょう。おもしろく読むことができました。

 帰りに、最寄り駅の元山上口駅でこんな貼り紙をみかけました。
 
 
 
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 数年前まで毎日乗り降りしていたこの駅も、ついに無人駅になってしまったのです。
 自分の人生と関わりの深かった駅だけに、寂しい気持ちになりました。これも、時代の趨勢なので仕方がありません。日本中が元気にならなければいけないな、との思いを強くしました。

 まっすぐに自宅に帰って、上京の用意をしました。京都駅発の夜行バスで、明日の午前中にある会議に出席するためです。

 京都駅から立川駅まで、夜行バスが出ているのです。最終の新幹線で上京しても、東京の宿舎から立川の職場までは2時間もの通勤時間がかかります。それなら、ということで、京都から立川へ直行するバスで上京することにしたのです。ただし、東京は大雪とのこと。一抹の不安を残しつつの旅立ちです。
 
 
 

2013年1月14日 (月)

京洛逍遥(250)都大路を走る女子駅伝

 昼食後に賀茂川を散策していた時でした。
 出雲路橋から紫明道路に折れるところで、警察の方が交通規制をなさっていました。
 何事かと掲示を見ると、「皇后杯 第31回 全国都道府県対抗 女子駅伝」のため、賀茂街道から紫明通りへ車は入れないのです。
 
 
 
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 我が家の北側を西に流れる白川疎水は、賀茂川を東西に潜って紫明通りをそのまま西進し、堀川へと注いでいます。
 野次馬根性そのままに、紫明通りを疎水の流れにしたがって下り、烏丸通りの方へ急ぎ足で向かいました。
 同志社大学方面からまっすぐ北へ走ってきた選手は、烏丸紫明の交差点角で左折するコースとなっていました。
 子どもたちも、小さなメガホンを手に、大声で応援しています。
 どこの県が走ってこようが、とにかくお姉ちゃんガンバレ、としか叫んでいません。お母さんに「なに県」と聞いていたようですが、そんなことはもうどうでもよくなっています。
 
 
 
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 写真の右上に、左折して堀川通りに向かう選手が一人写っています。何県の選手なのかはわかりません。
 先頭は、すでに通り過ぎた後のようです。それでも、たくさんの方々が、選手に声をかけて応援しておられました。

 鞍馬口の方へ少し下ると、マイクの声が聞こえます。奈良県が46位でやってきました。最後から2番目のようです。この鞍馬口が、タスキを渡す中継地点だったのです。
 京都へ来る前に住んでいた奈良なので、つい足を止めて気持ちだけ応援しました。先頭からは相当離されているようです。
 
 
 
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 さらに待つこと数分、ひときわ盛大な拍手と声援が起こりました。しんがりの47番目は沖縄県でした。
 
 
 
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 最後のランナーを応援したくなるのは、ここに集っているみんなに共通する気持ちだと思います。特に中継地点は、前のランナーのゴールであると共に、タスキを引き継ぐランナーにとってはスタートなのです。駅伝が地点地点で楽しめるのは、この切り替えの連続の妙にあると思われます。途中はどうであれ、この引き継ぎ場所では、誰でもみんなを応援できるのです。おもしろい競技です。

 今日は風もなく穏やかな天気だったので、きっと好タイムが出ていることでしょう。
 この沖縄県がタスキを渡し終わると、「解除」というステッカーを貼った車が通過し、関係者のみなさんは後片付けに入られました。

 沿道で応援しておられたみなさんも、ザワザワと賑やかに解散して帰路につかれます。まさに、宴の後の雰囲気が味わえました。
 イベントの後にはゴミがつきものです。しかし、手にしておられたメガホン一つとして落ちていませんでした。何事もなかったかのように、いつもの道に戻った烏丸通りを少し下り、出雲路橋を渡って帰宅しました。
 明日からは、この賀茂川を走る人が少し減ることでしょう。

 そういえば、今日は成人の日です。
 成人式とマラソンについては、どうしても自分が成人式の前日に火事に遭ったことを思い出します。

 私は、成人式の日に開催されるマラソンに、新成人としてエントリーしていました。毎朝毎夕、新聞を配っていたので、足には自信があったのです。しかし、その前日に住み込みの店が火事になり、すべてをなくした私は、マラソンに着て出る服すらないありさまでした。当然、着るものがないために、成人式にも出られませんでした。昭和46年1月のことです。

 私が成人式の日に手にしたのは、東京の大田区から支給された、災害救助用の毛布一枚でした。両親がこの日のために作ってくれたスーツは、一度も袖を通すこともなく灰になりました。
 このことは何度か思い出すたびに書いてきたので、自分の中では記憶が固定しています。
 寒空の中、楽しみにしていたマラソンで走ることもできず、神社の拝殿の床にジッと毛布にくるまっていたのです。この40年前のことは、思い出しては懐旧の情に浸るのではなく、新たに生き続けるために気持ちを引き締める役割を果たしてくれています。

 私にはなかった成人式が、また来たのです。その意味では、気分一新の日でもあります。

 
 
 

2013年1月13日 (日)

英語と日本語で楽しめる「茶の湯かるた」

 昨日行ったワックジャパン(WAK JAPAN)から、「茶の湯かるた」が出ています。
 
 
 
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 これは、国際交流を意識したもので、茶道に関する知識などを英語で説明しているところが売りとなっています。
 絵や説明には、特定の流派に関係ないような配慮もなされているとのこと。
 
 
 
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 実際に手にしてみると、確かに海外の方とお話しするときに活用できます。もっとも、手にしたこちらにも、茶道に関する基本的な知識が、少しは要求されますが……
 それでも、日本文化を伝えるのにはいい小道具になりそうです。
 
 
 
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 裏には、さらに詳しい説明があります。私にもわかる英語表現なので、自分でお茶や英語の勉強をする時に役立ちそうです。
 
 
 
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 日本には、『百人一首』を筆頭に、『いろはかるた』の流れを汲むものまで、さまざまなカルタがあります。この「茶の湯かるた」も、そうした中の一つとして、世界中に広く知られるといいですね。

 『源氏物語』に関するカルタもたくさんあります。江戸時代には立派な「源氏加留多」が作られ、今でも骨董屋さんや古書籍店で見かけます。

 日本には、カルタというもので文化をつなぐ伝統が、今に引き継がれているのです。絵と歌によって伝えられるものを持っているところに、日本の古典の再生が潜んでいるとも言えるでしょう。

 この「茶の湯」をテーマにしたカルタを手にして、お茶を始めたばかりの私も、書かれている内容を真剣に理解しようとしています。よく読んでいくと、なかなかおもしろいものです。
 今はまだ、チラッと英語を見る程度です。いずれは、この英語を読んで、その表現の工夫の跡と、その意味するところの深い点に気づくようになれば、と思っています。

 できることなら、iPhone や iPad で楽しめるアプリを開発していただきたいものです。電車の中でカルタを取り出すわけにはいきません。あそびではなくて、書かれている内容を知りたい場合には、手軽に持ち運べるメディアが重宝します。日本の若い方々にも、アプリならばすんなりと受け入れてもらえることでしょう。
 すくなくとも、各カードの内容を冊子にしたものがあると、チョッと確認する時などに役立つはずです。
 この種の小道具は、今後ともいろいろと発展する要素がありそうです。国際文化交流と異文化理解には、デジタルデバイスは有効なツールとなることでしょう。
 
 
 

2013年1月12日 (土)

京洛逍遥(249)ワックジャパンで京町家と文化体験

 京都には、本当に楽しいところがたくさんあります。
 京町家で日本の伝統的な文化が体験できる場所を見つけました。

 ワックジャパン(WAK JAPAN)では、一味違う、本格的な和様文化が体験できます。
 場所は、京都御所のすぐ南なので、便利なところにあります。
 地下鉄烏丸御池駅からなら7分、丸太町駅からは5分です。
 
 
 

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 玄関を入ると、まさに京町家の風景が目に飛び込んで来ます。
 右の壁側には、京都案内のパンフレットなどが並んでいます。
 
 
 
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 このワックジャパン(WAK JAPAN)のパンフレットは、各国語に対応しています。
 中国語、韓国語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語、フランス語、英語がありました。
 
 
 
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 入ってすぐ左の部屋は、談話室です。
 一息いれているうちに、京の雰囲気と薫りに馴染み、気持ちも落ち着いてきます。
 
 
 
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 奥にはお茶室が。ここでお茶の体験ができるのです。
 今日このワックジャパン(WAK JAPAN)を訪問したのも、娘がお手伝いをしていて当番の日だというので、見学がてら行ってみたのです。聞いていた以上にすばらしいところでした。
 
 
 
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 この部屋の右側には、なんと京料理などを体験できる調理場もあるのです。

 お茶室の外の庭から母屋を見ると、こんな雰囲気です。
 
 
 
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 ここでは、お茶はもちろんのこと、活花、書道、着付け、折り紙、布小物、京料理などが実際に体験できます。日本の伝統文化を海外の方々が日本語と英語等の諸言語で体験できるプランを提供する、国際交流を前提にしたプロの活動施設なのです。

 来月認可を受ける予定のNPO法人〈源氏物語電子資料館〉とここには、接点がいくつもあるようです。
 今日はお目にかかれませんでしたが、ここの社長である小川さんとは、いつか直接お話を伺うつもりです。

 なお、今日は2階は見られませんでした。そこには、勉強会などができる部屋があるそうです。これはまた今度にしましょう。

 いずれにしても、今後とも私にとって利用させていただく機会の多い施設であり、学ぶことの多い組織のようです。
 詳しい報告は後日、ということで、まずは第一報です。これからの楽しみが増えました。

 「ワックジャパン(WAK JAPAN)」のホームページを拝見しました。創業者である小川さんの熱い思いが伝わってくるサイトです。
 使命と活動内容の性格上、諸言語に対応するために、グーグル翻訳を導入しておられます。しかし、「日本語」と「English」のタブの左側にある、グーグル翻訳の「言語を選択」で「日本語」を選ばないようにしましょう。グーグルの翻訳は、どうしても違和感を覚える不自然な言葉になってしまうのです。
 私は知らずに、このグーグルの翻訳による日本語の説明を読んだので、とにかく驚きました。国際協力への熱意が捻れて理解されかねないので、くれぐれも、このグーグルの翻訳機能を使われませんように。
 
 
 

2013年1月11日 (金)

井上靖卒読(154)「あした来る人」「その人の名は言えない」「どうぞお先に」

 今回とりあげた「あした来る人」と「その人の名は言えない」は、共に短編小説です。しかし、長編小説でも同名の作品があります。そして、共に映画化されています。
 各項目の末尾に、これまでに「井上靖卒読」として書いた記事へのリンク先を示してあります。
 また、「どうぞお先に」も同名の作品があります。それについては、後日紹介する予定のものです。
 
 
■「あした来る人」
 長編小説『あした来る人』の後日談風に展開します。本編を知らなくても、充分に人間の関係とそれぞれの生きざまがうかがえます。短い中に、人間が点描されています。『井上靖全集 第5巻』(1995年9月、新潮社)に初めて収録されたものです。【2】
 
 
初出紙:朝日新聞
掲載日:1956年1月3日(朝刊)
連載回数:1回
 
井上靖全集5:短篇5

※昭和28年以後に朝日新聞に連載された小説4編のうちから選ばれたもので、連載された小説の続きを作者がコメント風に書いた「小説その後」の1つ。長編『あした来る人』は1955年2月に朝日新聞社より刊行されている。
(『井上靖全集 第5巻』巻末の解題による)
 なお、長編小説『あした来る人』については、本ブログ【3.1-井上靖卒読】「井上靖卒読(21)『あした来る人』」(2007/12/14)を参照願います。
 
 
■「その人の名は言えない」
 自分が小説の中で描いた女主人公に、現実の世界である銀座で出会った、という設定がおもしろいところです。読者との距離が微妙で、巧みな展開となっているのです。虚構と現実をうまく使い分けて、物語の楽しさを感じさせてくれます。興味深い掌編小説の1つとなっています。本作も『井上靖全集 第5巻』に初めて収録されたものです。【4】
 
 
初出紙:新大阪
初出日:1956年2月4日
 
井上靖全集5:短篇5
 
※なお、長編小説『その人の名は言えない』については、本ブログ【3.1-井上靖卒読】「井上靖卒読・再述(5)『その人の名は言えない』」(2011/2/5)を参照してください。
 
 
■「どうぞお先に」
 人が持つ、人と自分を比べることで行動を規制する様子が、子どもの目と心を通して語られています。
 小学校の運動会のことや中学での鳩のレースのことなど、いずれも主人公には自分が同級生の戸石に勝った実感がないのです。すべて、父の上役の子である主人公に譲ったものだったからです。高校で同級となります。そして、一人の女性をめぐって対立します。そこでも、結婚後にも勝利感がないのです。
 昭和19年に満州から本土に引き揚げる船の中で、主人公夫婦は戸石と出会いますそして、船が転覆する時、彼は「どうぞお先に」と、生きる席を譲ってくれたのです。人間の立ち位置と、その人が持つ運命というものを、実にうまく語った秀作だと思います。【5】
 
初出誌:小説新潮
初出号数:1956年3月号
 
講談社文庫:北国の春
井上靖全集5:短篇5

※これと同名の作品に「どうぞお先に!」があります。
 これは、『きりん』(1948年9月号)に発表されたもので、『井上靖全集 第7巻 短篇7・戯曲・童話』に収録されています。
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 井上靖作品館
 http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 
 

2013年1月10日 (木)

歯を食いしばる日々から脱却する方法は

 相変わらず、歯医者さんのお世話になっています。
 そして、行くたびに、歯が磨り減って行くことを心配してくださっています。

 昨夏、修理をして入れてもらった歯が、もう損傷が激しくなっているとのこと。こんなに早く傷むのはこれまで見たことがない、とのことでした。

 寝ている時の歯軋りだけが原因では、こうはならないとも。適度な歯軋りは必要でも、これには複雑な問題がありそうです。歯医者さんのことばも、歯切れの悪い、困惑したもの言いでした。

 無意識で、とはいうものの、何とかしなくては、歯が磨り減ってなくなってしまいまうそうです。これが進むと、顎の手術になると、具体例を話してくださいました。

 それを防ぐためには、今寝るときに填めているマウスピースを、長時間独りでいる時は、可能な限り填めていた方がいいですよ、とのことでした。

 また、噛み締めていることを意識する意味からも、30分おきにでも深呼吸をしたら、という提案をしてくださいました。
 だいたい、人はリラックスしているときは、上下の歯は少し浮いた状態だそうです。それが私の場合は、常時ギュッと噛み締めているようです。そこで、深呼吸を意識していたら、ということです。

 以前、奈良の歯医者さんからは、朝日を見る生活をしたらいい、とのアドバイスをいただきました。今度は深呼吸。

 歯を食いしばることは、自分が無意識にしていることでもあり、なかなかの難題を抱え込んでしまいました。
 
 
 

2013年1月 9日 (水)

鈴木淳先生の最終講義

 基盤機関を国文学研究資料館とする総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻では、定年退職なさる先生の最終講義が実施されます。

 今日は、鈴木淳先生の最終講義がありました。
 
 
 
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 鈴木先生は私の大学と大学院の先輩です。國學院大學に入学後、私は小林茂美先生の指導を受けました。当時大学院生だった鈴木先生は、同じ研究室におられた内野吾郎先生の指導を受けておられました。

 研究室が同じだったということもあり、折々にお目にかかっていました。
 その後、私が大学院に入るにあたって、小林先生が大学院に講座をお持ちではなかったので、内野先生に預けられました。そのこともあり、鈴木先生にいろいろと教えを受けるようになりました。
 内野先生は近世国学の研究を専門になさっていました。小林先生は平安文学です。
 私は大学院で内野先生の指導を受ける中で、ドイツ文献学について興味を持ちました。そして、平安文学と文献学的研究を目指すようになりました。それが、今の研究手法につながっています。

 私が国文学研究資料館に職を得た時、鈴木先生は早くから国文研の中心的な教員として幅広い仕事をなさっていました。私が大学院で研究を始めてからの恩師である伊井春樹先生が、国文研の館長としてお戻りになってからは、鈴木先生は副館長として法人化や立川移転などの大仕事をこなされたのです。

 鈴木先生には、科研のメンバーに加えていただいただけでなく、海外の調査でもお世話になりました。今思い出すだけでも、アメリカ・ハーバード大学、イギリス・ロンドン大学、オランダ・ライデン大学でご一緒しました。特に、ハーバード大学が所蔵する鎌倉時代中期の『源氏物語』の古写本に関しては、その写真撮影を含めて多大なご理解とご協力をいただきました。本当に、ありがとうございました。

 初めてお目にかかってから40年という時間が流れました。先輩であり同僚として、今日は興味深く講義を伺いました。
 
 本日の題目は、「絵本名義考」です。

 まず、「絵本」という用語の語例と実態について、近世の諸文献に記された例証を挙げながら確認されました。
 そして、江戸時代の宝永頃までは、「絵本」は手本の意味で理解されていた、ということでした。

 お話の内容には、狩野派や土左派のことが頻繁に出てきて、私の関心をいろいろと刺激してくださいました。

 本日の最終講義は、年度末に冊子として発行されますので、これ以上ここに中途半端なことを書くことは控えます。

 先生のこれまでのお仕事はたくさんあります。


【単著】
近世学芸論考(羽倉敬尚論文集):422(1-422)(編)(明治書院,東京)(平4)
江戸和学論考:754(1-754)(ひつじ書房,東京)(平9)
樋口一葉日記を読む:175(1-175)(岩波書店,東京)(平15)
橘千蔭の研究:602(1-602)(ぺりかん社,東京)(平18)
【編著】
近世歌文集下:249(1-82, 107-254, 565-583)(共著)(岩波書店,東京)(平9)
カリフォルニア大学ロサンゼルス校所蔵日本古典籍目録:322(共編)(刀水書房,東京)(平12)
近世随想集:404(3-8,29-404,485-506)(共著)(小学館, 東京)(平12)
樋口一葉日記:1157(1-949,1-208)(岩波書店,東京)(平14)
ハーバード燕京図書館の日本古典籍:マクヴェイ山田久仁子共編著(八木書店,東京)(平20)

 これからは、研究の時間が充分にあると思います。ますますのご活躍をお祈りしています。

 写真をブログに載せてもいい、とのご許可をいただきましたので、最終講義の様子を冒頭に掲載しました。
 
 
 

2013年1月 8日 (火)

読書雑記(59)山本兼一『利休の風景』

 前回の読書雑記(58)に記した山本兼一著『利休にたずねよ』を読んだ後、ちょうどいいタイミングでその作品の背景を語った『利休の風景』(山本兼一、2012.12、淡交社)が刊行されたので、早速読みました。利休とその時代について、さらに理解を深めることができ、生きたいい勉強になりました。

 『利休の風景』は、月刊誌『淡交』の平成22年新年号から23年12月号までの連載24本に補訂を加え、さらに樂吉左衛門氏との対談「利休がいるところ、待庵」を収録したものです。茶道に興味を持ち始めた私にとって、『利休の風景』は非常にありがたい充実した内容の本でした。

 山本氏は、「かじける」ということばをよく使われます。「かじける」ということばを調べると、次のような説明がありました。


かじ・ける【悴ける】(古くはカシクとも)
(1)やつれる。生気を失う。やせ衰える。
(2)手足がこごえて思うように動かなくなる。かじかむ。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

 日頃は使わないことばなので、辞典の意味を知っても、まだよくその真意がわかりません。今は保留としておきます。

 山本氏は、利休が道具に執着したことがわからないと言われます。利休にたずねたいと。こうした、利休にたずねたいことがたくさん語られています。

 ここに収録された随想からは、小説『利休にたずねよ』の資料的な背景が見えてきました。作者が舞台裏を語っていて、おもしろく読み進めることができました。それにしても、よく勉強し、調べておられます。

 利休の孫の宗旦は、お茶室の入口である「躙(にじり)」を「賤しき言葉」だと言ったそうです。一口に茶道といっても、利休以前から以後の時間の流れの中では、いろいろな捉え方があったことがわかります。
 「数寄」と言っても、さまざまな形があることも、今回初めて知りました。

 今ある姿、今に伝えられているものが当初からのものではなく、いろいろと創意工夫が加えられて今がある、ということがよくわかりました。ということは、このままを忠実に伝えるのではなくて、よりよいものにして伝えていくのも、文化や伝統の継承ということになります。

 もちろん、「まねぶ」ことが「まなぶ」ことの基本であることは、どの世界、どの分野でも共通することに変わりはありません。しかし、学んでそれからの姿勢も大事です。その意味では、利休は「佗茶」をうまく変容させた一人であることに、今回この本を読むことで気づかされました。

 また、山本氏は、井上靖の小説『本覚坊遺文』における利休の捉え方に同意できない、と言われます。
 その箇所を引用しておきます。


 僕も『利休にたずねよ』を読ませて頂きましたけど、山本さんをはじめ、様々な方が利休を語っておられる。利休を小説にされた方は少ないんですか?
山本 小説では野上彌生子さんの『秀吉と利休』や井上靖さんの『本覚坊遺文』が有名で、どちらも映画になりました。
 利休を捉えるのは、難しい?
山本 はい。いろんな捉え方があると思います。例えば井上靖さんは、利休が求めたものは武士の死に場所だと。これは利休の極北的な捉え方だと思います。ただ、私はその説にはどうも同意ができません。これまでの「枯れた茶聖」のイメージをさらに深化させてはいますが、井上さんはお茶を習ってらっしゃらなかったようです。
 どうにも思弁的な、つくりものの世界の気がして「人間利休」としてちっとも納得がゆかないのです。私は、利休は「パッション」の人、情熱の人だと思ってるんです。少し説明させて頂くと、そもそも利休は、秀吉の茶頭になったのが六十一歳で、大体、それ以降のことばかりが伝えられるので、どうしても「枯れきった老人」というイメージができ上がり過ぎてると思うんです。(178頁)

 この井上靖の利休像のことは、私自身の問題として、今後とも考えてみたいと思います。

 なお、山本氏は、狩野永徳の小説を構想しておられるようです。
 狩野探幽のあとさきに興味を持っている私は、その作品の完成が楽しみです。
 
 
 

2013年1月 7日 (月)

読書雑記(58)山本兼一『利休にたずねよ』

 山本兼一の『利休にたずねよ』(PHP文芸文庫、2010.10.29)は、第140回直木賞の受賞作です。そして、今回読んだのは、2008年11月にPHP研究所から刊行されたものを文庫化したものです。

 茶道に関する話題で展開します。しかし、その柱は、利休の恋心にあります。よく歴史と人物が調べてあります。利休が抱いていた美学が、読み進む内にこちらに伝わって来ます。

 利休の切腹をめぐり、時間軸を操作する手法で語られていきます。ただし、私はこの手法に、最後まで馴染めませんでした。作者にとっては創意工夫の産物なのでしょう。しかし、これまでにない利休像を浮き彫りにするために、作者は懲りすぎているように思えるのです。個人的には、もっとシンプルに、ストレートに物語を進めていった方がよかったのでは、と思っています。利休の内面を掘り下げたこのテーマだけで、充分に完成した形を成していると判断できるからです。
 利休がなぜ死んだのか。それに加えて、利休の恋。そのことに絞りきれたら、ここまで複雑な構成にしなくてもよかったのでは、と一読者としては思います。

 この小説では、絵巻物が過ぎ去りし日へと巻き戻されていきます。人の心の静寂と騒擾とが、巧みに描かれています。心臓がドクドクとする音と、無音の世界が耳に届いてきます。描写がうまい、と思いました。

 インドのことが少し書かれています(文庫版、157頁)。秀吉の統一のことが、インドまで伝わっていると。インドとなると、すぐに反応してしまいます。一応、念のためにメモとして残しておきましょう。

 ポルトガルの宣教師ウァリニャーノロドリゲスと伊東マンショが秀吉に案内されたお茶室での話は、日本文化の特質がよく描かれています。おもしろく読めました。
 また、お茶を点てる利休と宣教師のやりとりが見物ともなっています。

 本作の中では、「うたたね」の章が秀逸でした。娘の死に臨んで、お茶を点てる利休がみごとに描かれています。

 利休が、何度もお茶を点てるシーンがあります。自分が習い覚えた動きが描写されていると、映像としてイメージが膨らみます。流れるような利休の作法が、目の前に浮かびあがります。

 時間が遡るにつれて、利休と秀吉の間の緊張感が薄れているのに気づきました。読み進むうちに薄らぐ、人と人の確執が、かえって前半のピンと張った雰囲気を懐かしく思うようにさせます。

 最終章の「恋」は、力作となっています。作者も、相当気合いを入れていることが伝わってきます。丹念に、与四郎(後の利休)と高麗の女の道行きとなっているのです。物語のおもしろさを堪能しました。

 そして、振り返って、利休に何をたずねましょうか。やはり、一番好きな女性はだれでしたか、と。それに利休は何と応えるでしょうか。
 文庫本の解説を担当された宮部みゆき氏は、「利休さん、あなたがもっとも深く愛した女性は、やっぱり宗恩ですね」と言われます。しかし、私はそうではなくて、高麗の女の方だったと思います。利休は、最後まで夢と憧れを心に抱いて死んで行ったと思うからです。

 この作品は、木槿の花が印象的でした。【4】
 
 
 

2013年1月 6日 (日)

『源氏物語』の英訳とハングル訳に関する情報

 今日は、来日中のコロンビア大学のハルオ・シラネ先生と、今後のプロジェクト研究に関するご相談等でお話をする機会を得ました。
 その中で、最近アメリカで『源氏物語』の英訳を完成された方のことを確認できました。
 これは、昨夏、ドナルド・キーン先生から教えていただいたことに関連することです。ご本人と連絡を取る前に、もう少し情報を得ておきたいと思っていた所でした。

 『源氏物語』の全訳としては、英語ではアーサー・ウェイリー、エドワード・サイデンステッカー、ロイヤル・タイラー訳に続くもので、〈第4の英訳源氏〉といってもいいでしょう。しかも、古文からの翻訳のようです。
 この第4の英訳者は、シラネ先生がよくご存知の方なので、近日中にメールを差し上げて、さらなる情報を提供していただこうと思っています。詳しいことがわかり次第、ここに報告します。

 もう一つは、『源氏物語』のハングル訳の情報です。
 これまでにも何回か紹介した、鮮文大学の朴光華先生が、『源氏物語韓釈─明石──』(『文華 第十二号』、非売品、204頁、2013.1.1)を発行なさいました。これは、着々と成果を上げておられるハングル訳『源氏物語』の一冊です。底本は、『日本古典文学全集』(小学館、1989年第21版)です。
 
 
 

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 朴先生の『源氏物語』のハングル訳の詳細は、「朴光華先生のハングル訳『源氏物語』」(2010年7月 5日)をご覧ください。

 朴先生は、お一人でこの翻訳をなさっています。根気の要る、大変な作業であることが推察されます。今後とも、ますますの進捗が期待されます。
 
 
 

2013年1月 5日 (土)

王朝文学研究会創立50周年記念祝賀会

 京都ほどではないにしても、東京も寒い一日でした。
 そんな中、午後は標記の祝賀会に出席しました。

 國學院大學での恩師小林茂美先生がお作りになった王朝文学研究会が、今年で50周年という記念の年を迎えました。先生は3年半前にお亡くなりになりました。しかし、その意志を継ぐ研究会のOBや現役会員たちが、記念の祝賀会を催すことになったのです。
 この会は、私の10年後輩にあたる秋澤亙君(國學院大學教授)が受け継ぎ、今は第二期王朝文学研究会として、たくさんの学生に支えられて活発に活動を続けています。

 祝賀会の場所は、國學院大學の若木タワー18階にある有栖川宮記念ホールです。
 大きなガラス窓から外に目をやると、この研究会で勉強していた40年前と同じように、東京タワーを望むことができます。遅くまで小林先生の研究室で資料作りや議論をしていて、ふと窓を見ると東京タワーがライトアップされていて、そのシルエットが印象的だったことを、昨日のことのように思い出されます。違うのは、こんなにたくさんの高層ビルが建ち並んではいなかったことでしょうか。
 
 
 
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 今回の祝賀会にも、若手がたくさん参加していました。参加者は100人近くいました。名簿を見ても、私は前の方の世代となってしまいました。それが証拠に、乾杯の音頭をとらされたのですから。

 日本の古典文学の勉強をしようとする若者が激減している昨今、こんなに人が集まるとは凄いことです。しかも、『源氏物語』を中心とした「王朝文学」に興味を持つ関係者なのです。一人でも多くの人が、日本の文化としての古典文学を、折々に語り伝えていってほしいものです。

 この会では、設立10年目にして『しのぶ草』という会誌を創刊しました。私が幹事をしていた時代で、編集に悪戦苦闘しました。今回の祝賀会の後には、『しのぶ草 創立五十周年記念号』が刊行される予定となっています。

 『しのぶ草 第十号』(國學院大學王朝文学研究会編、昭和60年2月)に、創刊号を発行した当時のことを振り返った拙文を寄せていました。その原稿が再現できましたので、記録として以下に引用しておきます。実は、この創刊号は妻との二人三脚のたまものでもあるのです。


 
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創刊十周年を記念して
  志能風草十年の歩み
 
「創刊号『志能風草』の装釘」   伊藤鉄也
 
 
 王朝文学研究会の会誌『志能風草』を創刊するにあたっては、その内容・構成はもとより、それ以上に頭を悩ませたのは、その装釘であった。
 創刊号の発行日が、昭和四十八年七月四日になっているので、その数週間前であったろうか。渋谷の東急東横店の文具売場で様々な紙を選った挙句に、漸く決めた表紙に使う紙は、紫色の「ミューズコットン」であった。中身のメドがほぼついていた段階であっただけに、それを包む体裁には神経を使った。
 袋綴(和装・和綴)にしようということは、早くから決っていた。しかし、その表紙・題箋・綴じ方の形態はというと、色々な形が想定された。立派なものも考えた。しかし、印刷・紙折・ページ合わせ・仮綴という、初めての慣れない作業に忙殺されていた時である。装釘に凝って多くの時間と要らぬ混乱を招くのは避け、とにかくあまり手数がかからず、それでいてハイセンスなものを求めることにした。
 そこで思いついたのは、室町時代に盛んに作られた「くるみ表紙」の変形のそのまた変形とでも書うぺ巻ものである。つまり、下綴じした冊子の背を一枚の紙で包み、それを二枚の表紙ではさむようにして貼り付けた、室町期の『新古今和歌集』の体裁を借りることにした。但し、和紙ではなくてあくまでも西洋紙を用いての製本であるために、それでは背がすぐに割れてしうように思えた。そこで、創刊号では先に表紙を貼り付け、その上から背を包み込むように覆うという形をとった。今、手許にあるものを取りだして見ても、見栄えはしないが、その背は丈夫なもので、未だに裂け目は入っていない。
 とにかく、手早く丈夫な表紙を付けることができた。次は、書名としての外題である。最初は、表紙に直接書き付ける〈打ちつけ書き〉で済まそうと思っていた。しかし、当時の最上級生であった深井(菅谷)邦子さんが、和紙に一枚一枚、題箋としての〈書き外趣〉を書いて下さった。この〈貼り外題〉が、創刊号の装釘に花を添えることになった。
 題菱を表紙中央に貼り、その右上には打ちつけ書きで「創刊号」、左下には「王朝文学研究会」と筆で記した。二条家の流儀でいえば、題箋を中央に貼った場合には、偶数ページから本文を書き出すのが習わしのようだが、冷泉家などはそういうことには拘っていない。あまり細かい事はともかく、気品の高さを表紙に持たせ得たと思っている。
 この装釘が、「四つ目綴」(明朝綴・四針眼訂法)になったのは、第二号からである。当時、外部から研究室に出入りしていた坂口伸憲君が、その製本法を教えてくれた。現在に至るまで、この第二号のやりかたが踏襲されていることになるのである。尤も、時々表紙に使われている「ミューズコットン」が裏表逆になったものを戴く。紙の裏裏の判別は難しいものである。
 王朝文学研究会が発足してから、丁度十年目に会誌が創刊された。それが今、会誌「志能風草」の第十号を迎えたとのこと。よくぞ十号、やっと十号、とにかく十号。感慨深いものを感じる。どうか、これからもこの会誌の刊行を継続し、この会誌を発行することを通じて、色々な事を学んでいってもらいたいと思う。そして、若い人々の物の見方を、これからも学ばせていただきたいと思う。(昭和六十年二月十五日 記)

 昔の仲間と40年を振り返りながら、楽しいひとときを過ごしました。
 そんな中で、現在の文学部1年生数人と話をする機会がありました。彼らは19歳で、125期生だそうです。私は83期生なので、42年もの時の隔たりがあります。とにかく、コツコツと勉強を続けてくれることを願うばかりです。しかも、1年生が13人もいました。頼もしい限りです。

 4年生も13人いて、その内3人が今春より大学院へ入学するとのことです。ここでは、平安時代の文学研究は当分は安泰(?)と言っていいかもしれません。その3人と話をしました。みんな、『源氏物語』を取り上げて研究をしているのです。すばらしい成果を見せてくれることでしょう。ますます楽しみが増えました。

 前を向き夢を語る若者と話をすると、こちらも新鮮な力をもらったような気持ちになります。
 新年早々、英気を養ういい機会となりました。
 
 
 

2013年1月 4日 (金)

京洛逍遥(248)粉雪がちらつく中の賀茂川散歩

 目覚めると、京洛では粉雪が舞い散っていました。
 早めの食事をして、賀茂川へ散歩に出かけました。
 大文字の如意ヶ岳は、朝日が昇るところでした。
 
 
 
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 賀茂川沿いの道は、うっすらと雪化粧です。早朝マラソンの人、ウォーキングの人、自転車通勤の人が行き交っています。朝から活気のある、冬の賀茂街道沿いの散策路です。

 北大路橋から北山を望みました。橋の上は快晴なので、粉雪は北山からヒラヒラ、ハラハラと飛来しているようです。
 
 
 

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 今日から、新年がスタートします。
 これから3月まで、積み残したまま持ち越してきた仕事を、一件ずつまとめて行きます。
 一年で一番忙しい時期といえます。身体に気をつけて、一日一日を大切にしたいと思っています。
 
 今日の梅は、白梅に声援を送りたくなります。蕾は今にも弾けそうなほどに膨らんで来ています。紅梅は八分咲きでしょうか。
 七草粥までには、共に満開になることでしょう。
 
 
 

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2013年1月 3日 (木)

自宅で休息のお正月

 我が家の梅は、紅梅が七分咲きになりました。
 白梅は、もう少し時間がかかりそうです。
 
 
 

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 師走から、鼻と喉の調子がよくありません。
 年末に、何度か診察をしてもらった近所の医院へ行ったら、すでに正月休みに入っておられました。近くにある2つの医院もお休みだったので、そんなに重症ではないと勝手に判断し、売薬で乗り切ることにしました。

 最初は風邪薬を飲んでいました。しかし、どうも効きがよくないので、年明け早々に鼻炎用の薬に替えました。すると、とたんに鼻の通りがよくなり、大分楽になりました。ただし、飲み忘れると鼻づまりで息苦しいときがあります。

 今年は新年早々からイベントがあります。週明けに、東京のお医者さんに診てもらうことにします。
 
 
 

2013年1月 2日 (水)

京洛逍遥(247)下鴨神社と河合神社

 梅の蕾がしだいに膨らんで来て、少しずつ紅梅が咲き出しました。白梅は、まだ時間がかかりそうです。
 
 
 

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 下鴨神社は氏神さんということもあり、のんびりブラブラと初詣です。
 870年(貞観12年)に朝廷より正一位の神位を与えられて以来、伊勢神宮に次ぐ地位を認められています。山城国の一の宮だけあって、その楼門にドッシリと迎えてもらえます。見上げると、朱の鮮やかさが目に飛び込んで来て気持ちのいいものです。
 
 
 

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 境内の真ん中にある舞殿の前には、今年の干支である巳の絵が立っていました。
 ここは、賀茂祭の時には勅使が御祭文を奏上し、東游が奉納される場所です。
 
 
 

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 舞殿の後方に見える井上社の鳥居の前を、御手洗川が流れています。その川にかかる輪橋のそばには、江戸時代の絵師尾形光琳(1658〜1716)がこの辺りを描いたとされる<光琳の梅>があります。尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」のモデルといわれる梅です。ただし、まだ蕾は固いままです。
 
 
 

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 昨春の娘の結婚式の時が満開でした。
 「楽しくて美味しかった娘たちの結婚式」(2012年3月24日)
 
 本社殿の前には、干支の社があり、いつも人でいっぱいです。私は卯年生まれなので、本社殿左側にある三言社の内、「う・とり」歳の守護神である志固男神を祭る社にお参りします。
 昨日の上賀茂神社がそうであったように、この下鴨神社も工事中です。
 後には、娘たちが結婚式を挙げた葵生殿が控えています。
 
 
 

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 楼門を出て鳥居の近くで焚き火をしていました。そこで火の番をしていた若者の衣装に目が留まりました。
 よく、おじさんが法被を着て火の番をしている光景は見ます。しかし、このような服を見るのは初めてです。
 火を見つめるこの若者の目がよかったので、ついシャッターを押してしまいました。
 
 
 

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 昨年は、『方丈記』を記念する年でした。その本拠地である河合神社にも立ち寄りました。
 ちょうど2年前の初詣の写真には、この河合神社の門の左右の壁が写っています。
「京洛逍遙(118)下鴨茂神社へ初詣」(2010年1月 2日)
 しかし、今はその壁が左右共に取り払われていて、外から境内が丸見えなのです。
 
 
 

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 また、鴨長明が移動しながら住んでいたという方丈の復元家屋も、その四囲に小柴垣が廻らされています。
 
 
 

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 かつての写真を、学校や講演会などで誰かに見てもらう際には、この塀と小柴垣のことに触れた方がいいかと思われます。この変わりようには、正直驚いています。もちろん、この河合神社は下鴨神社を訪れた方も、つい素通りされているようなので、こうして環境を整備していかれることはいいことだと思います。

 御蔭通りから下鴨本通りに出て、バスで三条の回転寿司屋「むさし」に向かいました。
 本年最初のお寿司です。昨秋より、消化を遅らせ薬を使い出してから、念願のお寿司を口にしています。糖質制限食に取り組んでいた頃には自制していたお寿司です。
 今日は、鼻がグスグスしながらも体調がよかったせいか、いつもよりも多くの皿に手が伸びました。やはり、お寿司を口にしないと、新年のスタートとは言えません。これで、満足です。
 
 
 


2013年1月 1日 (火)

京洛逍遥(246)お茶の後に上賀茂神社へ

 今年の紅白の梅は、家と共に新しく手に入れたものです。この小さな梅たちも、新年のスタートです。
 
 
 

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 お節料理は、息子も手伝ってこんな形になりました。2日がかりの作品です。
 
 
 

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 娘夫婦が新年の挨拶に来てくれたので、早速新年のお茶のお稽古が始まりました。
 
 
 

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 細かいところは、目を瞑ってください。

 お茶の後は、私が豆を挽いてコーヒーを淹れ、上賀茂神社へ初詣にでかけました。
 神社では、檜皮屋根の葺き替え工事のため、今はこんな姿になっています。
 
 
 

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 厄年のお祓いをしてもらった後、鳥居前で厄除け大根をいただいてから帰りました。
 今年の年始の参拝客は、例年よりも少ないように思いました。
 今年もいい年になりますように。
 
 
 


NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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