« 2013年5月 | メイン | 2013年7月 »

2013年6月の30件の記事

2013年6月30日 (日)

古都散策(35)奈良西の京を中国からの留学生と歩く

 今日は、中国から日本に留学している学生さん2人を、行く機会の少ない奈良に案内しました。
 衛さんは、裏千家学園茶道専門学校で今年4月から半年間、留学生として厳しい勉強をしています。日本の文化を幅広く理解し、茶道の研鑽を日々深めているところです。
 侯さんは、立命館大学大学院で、中世王朝物語を中心とした研究をしています。留学期間があと一か月となり、精力的に日本の歴史や文化を勉強しているところです。

 2人とも、旺盛な好奇心と理解力を持っていて、日本を知ろうという気魄にはこちらが気後れするほどです。
 案内するはずの私も、質問に応えきれない場面がしばしばです。

 東京で開催されたレセプションで2人と初めて会ったときのことは、「北京日本学研究センターの懇談会に出席して」(2013年6月 8日)に書いたとおりです。侯さんは、その後、京都の『十帖源氏』にも参加しています。

 今朝は、8時に近鉄京都駅で待ち合わせをしました。
 車中でいろいろな話をしているうちに、あっと言う間に西ノ京駅でした。電車を降りると、すぐ目の前が薬師寺です。ホームに、薬師寺の石柱がありました。
 
 
 
130701_yakusiji
 
 
 

 薬師寺の東塔は修理中で、平成25年に完了予定だそうです。
 
 
 
130701_yakusiji2
 
 
 

 大講堂の弥勒三尊像の台座に彫られていた四神に、早速2人が反応しました。よく日本のことを勉強しているので、見るもの聞くもの、何にでも関心を示しています。頼もしく、逞しい学生さんです。

 般若心経を書いた扇子がありました。茶道学園で勉強している衛さんは、毎朝朝礼で般若心経を読むそうです。そのためスラスラと暗唱しているので、この扇子に興味を示したのです。

 大講堂の北側には、蓮の花がきれいに咲いていました。
 
 
 
130701_hasu
 
 
 

 玄奘三蔵院伽藍の玄奘塔の扁額に、「不東」と書いてありました。
 
 
 
130701_fitou
 
 
 

 「不」が頭に付いていることに違和感を感じる、と私が言うと、2人はこの「不」に深い意味があるのだと言うのです。
 出発した三蔵法師が、東を振り返らず、ただひたすら西へ向かう決意が「不」には込められているそうです。私が言う「唯西」では決意が弱く感じられるのだそうです。
 しばし、「不」「非」という打ち消しの言葉の働きについて意見交換をしました。

 薬師寺の白鳳伽藍を後にすると、唐招提寺に向かってまっすぐ北へと歩きました。
 
 
 
 
130701_tousyouhe
 
 
 
130701_kondou
 
 
 

 唐招提寺の講堂の中には、論議台が2つあり、そこには次の説明がありました。


 仏壇の前の左右に置かれ、読師と講師が相対して法要するところから、論議台と呼ばれる。(下略)

 傍にいたお寺の方が、さらに説明をしてくださいました。それによると、向かって左が講師の座で、右がそれより低い地位の読師の座だとのことです。

 この説明によると、本尊である阿弥陀如来から見ると、左が低い地位になりります。これは、京都でよく言う天子南面の考え方と違うことになります。何故違うのか、ということを衛さんが言いました。鋭い質問が飛び出し、日本文化に対する理解が問われます。

 堂内の方は、とにかくそうした順番で実際に儀式をしているのは確かで、その深い意味はわからない、とのことでした。

 確かに京都では、右京と左京が逆だし、左大臣が右大臣よりも上位です。
 この堂内の説明では、そのことと矛盾します。
 この疑問は、後でもっと調べよう、ということで終わりました。
 疑問を持つ、ということは理解の原点です。こうした疑問を素直にぶつけることで、日本の若者たちに多くの刺激を与えてほしいものです。

 開山堂では、鑑真和上御身代わり像が公開されていました。
 写真では何度も見ていた像です。今回、初めて実物を拝見しました。
 いいお顔をなさっていました。
 
 
 
130701_kaizando
 
 
 

 そのまま東へ歩き、鑑真の御廟に行きました。
 この一画には、井上靖の『天平の甍』の石碑があります。
 つい見過ごされがちなとこにあるので、2人を案内して井上靖好きな者としての説明をしました。

 お昼を、薬師寺に戻る途中のお店でいただきました。そうこうするうちに、もう大和平群のお茶の先生宅へ行く時間です。

 信貴山へ連れて行き、『信貴山縁起絵巻』の案内もしようと思っていました。しかし、もう時間がないので、それはこの次にして、西大寺から乗り換えて近鉄生駒線の元山上口へ行きました。

 以下、明日に続きます。
 
 
 

2013年6月29日 (土)

神奈川県の武蔵小杉駅前でサリーの思い出話をする

 インドから来日中のアニタ・カンナ先生の研修が終わった時間を見計らって、妻と一緒に会場に近い武蔵小杉駅前まで出かけて行きました。
 武蔵小杉駅は、東京から多摩川を渡ってすぐの、神奈川県にあります。この駅から立川まで、南部線1本で行けます。それでいて、私もこの駅に降りたのは初めてです。

 駅前のカフェで、久しぶりに妻ともども楽しい話に花を咲かせました。
 今回の旅で、抹茶ラテが気に入ったとのことなので、3人でそれを注文しました。

 アニタ先生は、我が家にお出でになったことが2度あります。
 2003年秋と2004年春です。当時は、大和奈良の平群に住んでいた頃です。
 最初はお嬢さんも一緒でした。
 2回目は、妻にサリーを着せてくださいました。
 初めて着るサリーなので、緊張の中にも和やかな時間が、ゆったりと平群の山を満たしました。
 
 
 

130629_sary1_2
 
 
 

130629_sary2
 
 
 

 そんなこんなのやりとりが、10年振りの再会を果たしたカンナ先生と妻の間で交わされていました。

 お嬢さんは結婚して、今はカリフォルニアです。お孫さんがいらっしゃるとか。
 インドの方々の結婚の仕方など、興味深い話を伺いました。
 そう言えば、10年前に私が書いた記事に、「花婿募集の新聞記事」(2002年1月27日)というものがあります。
 デリーの新聞の日曜版に、10頁にもわたって花嫁募集が掲載されていたのです。

 そのことを話題にすると、今はネットでの募集が盛んなのだそうです。
 今でも、インドでは恋愛結婚は都会の一部のことであり、ほとんどが日本で言うところのお見合い結婚なのです。
 もちろん、カンナ家でも、2人のお子さん共にそのようです。

 デリーの街中から牛がいなくなったことに始まり、地下鉄が人の流れを変え、日本語学校が増えたことなど、話は途切れることがありません。
 話の続きは、妻がインドへ行くことでつなげるしかありません。
 インドは、近くて遠い、しかし意外に近い国です。
 時差は3時間半なのですから。
 その旅が果たせる日を、今から楽しみにしています。
 
 
 

2013年6月28日 (金)

授業(2013-11)海外における日本文学の翻訳事情

 まず、本日の朝刊に掲載されていた、平安京にあった堀河院跡の土器に、墨書で「いろは歌」が書かれていた、というニュースを取り上げました。
 これは、平安時代末期(12世紀末)から鎌倉時代初期(13世紀初め)の土器に、「いろは歌」としては最古となる全文が書かれているのが確認された、というものです。

 ひらがなに関する情報なので、平安時代を中心として研究する仲間として、情報の共有を計るために話題としました。

 次に、伊井春樹先生が刊行された『世界が読み解く日本 海外における日本文学の先駆者たち』(2008.4.25、學燈社)について、確認をしました。
 この本の目次は、次のようになっています。


徐一平「中国における日本語・日本文化」
ロイヤル・タイラー「能の翻訳から源氏物語の翻訳へ」
ボナヴェントゥーラ・ルペルテイ「イタリアにおける日本文学研究」
ウイリアム・ボート「オランダからみた日本思想史研究」
ドナルド・キーン「日本文学との出会いから」
タチアーナ・サカローヴァ・デリューシナ「ロシアからみた日本文学」
セップ・リンハルト「オーストリアの日本研究」
ジャクリーヌ・ピジョー、アンヌバヤール.坂井「フランスにおける日本文学研究」
アンドリュー・ガーストル「イギリスからみた日本近世演劇、役者絵研究」

 世界で活躍なさっている日本文学研究者9人との、文学や文化に関する対談集です。
 刊行されたのが、ちょうど『源氏物語』の千年紀というタイミングで、日本文学の研究が世界的に拡がっていることを実感できる本です。

 また、昨年の6月には、文部科学省が文化庁の「現代日本文学翻訳・普及事業」を仕分けによって廃止としたニュースが流れました。
 日本の現代文学を翻訳して外国で出版するという、日本文学翻訳事業を廃止するいうことの意味を、あらためて確認しました。
 政治的なパフォーマンスによって、文化事業が追い遣られた印象を持ちました。もちろん、その背景にはさまざまな問題があったのでしょう。しかし、この件については、国際的な文化理解を共有するためにも、あらためて翻訳の意義を確認し、その方策を再確認する機運を作り出す必要がありそうです。

 続いて、ヒンディー文学の日本語訳に関する情報も確認しました。

 最後に、スペイン語訳された『源氏物語』について、私のブログをもとにして説明しました。

「今夏ペルーでスペイン語訳『源氏物語』刊行予定」(2013年6月24日)

 特に、この本の表紙には、國學院大學蔵「久我家嫁入本『源氏物語』」を使用する予定だということです。その点については、さらに情報を集めることにします。

 これとともに、スペイン語訳がなされている『蜻蛉日記』『土左日記』『枕草子』についても「ガレリアリブロのブログ」を見ながら、これらの本の内容を確認しました。

 外国語というと、とかく英語に目が行きます。しかし、スペイン語の話者はそれ以上に多い実態を知ると、こうしたスペイン語訳された日本の古典文学作品のありようを、無視するわけにはいきません。

 海外の方々と、日本文学を通して異文化間コミュニケーションを展開する上でも、こうした情報は語り伝えていきたいものです。
 
 
 

2013年6月27日 (木)

90歳のMさんから池田亀鑑との話を聞く

 先週末、日南町で開催された池田亀鑑賞の授賞式から帰った夜のことです。
 私がブログに、池田亀鑑のことを書いたことについて、以下のコメントが投稿されていました。


はじめまして。
母が昨日たまたま池田亀鑑先生についてブログ記事を書いたので、偶然この記事を見つけました。
母は若い頃、一時期、池田亀鑑先生のお宅に研究のお手伝いに通っていたそうです。
池田研二さんのこともよく覚えていますし、長年、年賀状のやりとりもしていました。
母はもう今年90歳になります。
よろしければ母のブログをご覧ください。

 早速、コメントをくださった方のお母さんが書かれたブログを拝見しました。
 冒頭の

昭和21,22年のころ、2年間ほど池田亀鑑先生のお手伝いをしていたことがあります。

ということばに惹かれ、その記事を何度も読み返しました。

「池田亀鑑先生」(2013年06月22日)

 貴重な情報なので、以下の返信を出し、可能であればお目にかかって直接お話を伺いたい旨のお願いをしました。


池田亀鑑に関するコメントをありがとうございます。
本日、数時間前に池田研二先生と東京駅でお別れしたばかりです。
鳥取県の日南町に、池田亀鑑賞の授賞式に行っていました。
昨日来の池田亀鑑賞の授賞式に関する話は、昨日と今日の以下のブログに書きました。
「鷺水亭より」http://genjiito.blog.eonet.jp/
ご笑覧いただければ幸いです。

 すぐに快諾の返信をいただき、お話が伺えることになりました。


母はもう90歳になるため、記憶もあやふやなところも多く、池田先生のことについても、ブログに書いたこと以上のことを覚えているかどうか甚だ怪しいです。
が、もしそれでも…とおっしゃるのであれば、自宅までお越し頂けるのでしたら、どうぞ話を聞いてやってください。

 雨の中、神奈川県のご自宅に伺いました。
 そして、大正12年(1923)生まれの90歳になられるMさんから、2時間にわたって、多くのお話を伺うことができました。

 学生時代に、池田亀鑑の国文学史と『紫式部日記』の授業を聞いたのがきっかけで、それがよかったので池田亀鑑の仕事を手伝うようになったそうです。
 Mさんは、池田宅の2階の小さい方の部屋で仕事のお手伝いをなさっていました。
 森本元子先生と国島さん(?)もご一緒だったとか。

 Mさんは、朝日古典全書の『源氏物語』第1巻の頭注の口述筆記と校正、そして雑務などを、2年ほどなさっていました。
 手当をくださったが、もらわなかったそうです。

 池田研二先生が病気だったときには、枕元で介抱したこともあるそうです。

 なお、Mさんのブログに本日、私が訪問してお話を伺ったことについての注記が追記されました。
 今回のことが刺激となり、きっかけとなって、いろいろと思い出されたら、またブログに書いてください、とお願いしてきました。
 池田亀鑑に関するMさんの話が掲載される日が、ますます楽しみとなりました。

 私は、2年前に手術をしてからというもの、仕事のペースを意図的に落としてきました。おそくら、意識的に10分の1以下のスピードにしていると思います。
 しかし、今回はその自分に課したスローペースを守ることなく、すっかり忘れたかのように迅速に動きました。
 連絡をいただいて3日後には、遠方のご自宅を訪問してお話を伺うという、目にも留まらぬ早業だったのですから。
 かつてのように、こうした速攻で身軽に動ける自分に、我ながら驚いています。
 でも、ご心配なく。決して無理はしていませんから。

 情報を公開していると、いろいろな出会いがあります。
 今回も、得がたい話を伺うことができたのです。
 ありがたいことです。
 また新しいことがわかりましたら、折々にここで報告します。
 
 
 

2013年6月26日 (水)

インドのみなさんと『十帖源氏』を読む「紅葉賀」(その4)

 インドからお越しのネルー大学のアニタ・カンナ先生とその院生のみなさんには、国文学研究資料館の今西館長との懇談を終えた後、すぐに新宿へ移動していただきました。『十帖源氏』を読む会に参加するためです。

 慌ただしいことです。しかし、限られた時間を有効に使うためにも、理解を得てこんなハードなスケジュールとなりました。

 新宿に着くと、少し時間があったので、歌舞伎町に案内しました。もちろん、みなさん初めての地です。
 テレビやニュースなどで見知った場所ということで、興味深く辺りを見ておられました。記念写真を撮ることも忙しかったようです。
 
 
 
130625_kabukicho
 
 
 

 いつもの、新宿アルタ横のレンタルスペース「ボア」で、『十帖源氏』を一緒に読みました。
 中国からの留学生もいたので、インドと中国で理解できる現代日本語訳を作るということで、非常に楽しい時間となりました。
 話題となったことを、何点が記録として残しておきます。

(1)原文に「うへの御けづりぐし」とあるところ。
 担当者は「桐壺帝の整髪」と訳しました。「整髪」という訳は、日本人にとっては何かすっきりとはしない言葉です。しかし、海外の方々にとっては、この方が理解してもらいやすいということで、このままにしました。
 その際、整髪役の人について、インドでは男性が、中国では女性がするようです。高貴な方の髪の毛を触る職掌にも、国によって違いがあるようです。このことには異論もあるようなので、さらにさまざまな方に確認し、文化の違いとして整理すべきことのようです。

(2)原文の「このましげ」について。
 担当者は、「どことなくなまめかしく」と訳しました。
 この「なまめかしく」という言葉について、インドのみなさんは理解できるということでした。しかし、中国の方では、意味がわかりづらい、とのことです。これは、中国から来た青年ということもあるかもしれません。しかし、日本の平安文学を学ぶ若者なので、その意見を尊重して考え直すことにしました。
 いろいろな意見が出た中でも、「好色」が一番幅広く理解されそうでした。源典侍のことなので、ここはこれでよさそうに思えます。しかし、どうもしっくりときません。結局は、「好ましく」というところに落ち着きました。

(3)「しどけない姿」という現代語についても、意見がわかれました。
 「だらしない」、「あられもない」、「みだらな」などの訳語を経て、「みっともない」に落ち着き、さらに「ふさわしくない服装」という現代語訳にきまりました。
 ここは、原文では省略されすぎていて文意が読み取れない状況の場面でした。言葉を補うことで、物語としての理解を進めるところです。その意味もあり、こうしたさまざまな意見がでたのです。

 海外の方々と、こうして自由に日本語訳を作りながら語り合うことは、非常に楽しく、時間もあっと言う間に経ってしまいます。
 古典文学を現代に蘇らせる中で、得がたい体験をしていることを実感するひとときでした。

 次回は、7月30日(火)午後6時半から、これまで通り新宿アルタ横の「ボア」で輪読会を行います。
 興味のある方は、どうぞご参加ください。特に、海外からの留学生の方を歓迎します。日本文学とは違う分野の方でも、突っ込んでいただく場面は満載の集まりです。
 遠慮なく、お越しください。
 その際は、あらかじめこのブログのコメント欄を利用して、お声がけいただけると資料の準備などができて助かります。
 
 
 

2013年6月25日 (火)

インド・ネルー大学の方々を国文研に案内して

 インドでいつもお世話になっているネルー大学のアニタ・カンナ先生と、その大学院の学生さんたちが来日中です。10日間の研修日程となっています。

 私が先週からバタバタしていたこともあり、やっとお目にかかれました。
 国文学研究資料館での研修も望んでおられたので、立川まで足を延ばしていただきました。

 まず、国文学研究資料館でご一緒に食事をすることになりました。しかし、ベジタリアンであるみなさんと行ける店が一軒もありません。
 肉類の使われていない弁当が、国文研の1階ホールで販売されていたので、窮余の策としてこれを手に入れて、ミーティングルームでみんなでいただきました。

 食後は、私の研究室に荷物をおいてから、館内ツアーの始まりです。

 最初に、閲覧室と書庫に案内しました。膨大な量の古典籍、研究書、雑誌、マイクロフイルムなどを、興味深く手に取って見ておられました。ネルー大学にはない本ばかりです。

 国文学論文目録データベースを作成している部屋にも案内しました。
 アルバイトの大学院生のみなさんたちが、論文を一本一本読んでデータを取っているのを見てもらいました。
 論文の題目や副題を入力するだけではなくて、しっかりと論文を読んでキーワードを付けているところが、このデータベースの真骨頂なのです。大いに活用していただきたいものです。

 1階の展示室で、「和書のさまざま」という展覧会も見てもらいました。日本の古典籍の姿形が、たくさんの本を通して確認できるのです。圧倒される和書の迫力で、みなさん疲れがドッと出たかも知れません。

 今西館長は、インドに2度お出でになっています。アニタ先生ともお知り合いなので、館長室で懇談をしました。学生たちも、しっかりと対応していました。日本語ということばには何も問題がない上に、しっかりと躾も身についています。能力の高さと共に、いい教育がなされていることがわかります。
 
 
 

130625_fromindia
 
 
 

 慌ただしい館内ツアーの後、今度は新宿での『十帖源氏』の輪読会に参加していただくことになっていました。とにかく、盛りだくさんです。

このことは、また明日、記します。
 
 
 

2013年6月24日 (月)

今夏ペルーでスペイン語訳『源氏物語』刊行予定

 在ペルー日本国大使館に勤務なさっていた下野博史氏(現在は国土交通省)より、うれしい情報が入って来ました。
 今年の8月に、南米ペルーでスペイン語訳『源氏物語』が出版されるということです。
 スペイン語訳『源氏物語』の件で質問を受けたことが契機となり、下野氏より貴重な情報を提供していただくことができました。
 ご許可をいただきましたので、現在わかっている範囲での情報をここに参考までに報告します。

 まず、私が受けた質問は、

スペイン語に翻訳された源氏物語で、日本語から直接翻訳されたものはございますでしょうか。

というものでした。

 これは、私が『総研大ジャーナル No.15 2009春』に書いた、「『源氏物語』の翻訳状況」のネット版の記事をご覧になってのお問い合わせだったのです。

 これに対して私は、スペイン・アウトノマ大学の高木香世子先生からご教示いただいた情報を参考にして、以下の返信を出しました。


 これまでに、日本語からスペイン語に翻訳された『源氏物語』はありません。
 最近では、2005年の10月から11月にかけて、スペインで二つの『源氏物語』の翻訳が出ました。

(1)ナダル現代文学賞 で名高いデスティーノ社(Editorial Destino) が出版した La novela de
Genji(以降「小説源氏」)で、文筆家のハビエル・ロカ・フェレール (Javier Roca-Ferrer)の手による翻訳です。

(2)アタランタ社 (Ediciones ATALANTA)が、英文学の翻訳家として活躍している Jordi Fibla(ジョルディ・フィブラ)に依頼した、ロイヤル・タイラーの英訳を忠実にスペイン語訳した La historia de Genji(源氏物語)。

 今回ペルーで出版される『源氏物語』が、どの日本語からか知りたいところです。古文なのか、現代日本語訳(瀬戸内寂聴など)からなのか。

 以下、こうしたやりとりからわかった情報を、私なりの観点から整理しておきます。

(1)スペイン語訳『源氏物語』“El Relato de Genji -primer parte-”の前編は、第1巻「桐壺」から第27巻「篝火」までが収録される予定。

(2)出版元はFONDO EDITORIAL APJ(APJ:Asociación Peruano Japonesa、ペルー日系人協会)。

(3)豪華本と普通本の2タイプで出版。

(4)まず、与謝野晶子訳『全訳源氏物語』(角川文庫)を、Iván Augusto Pinto Román氏(イヴァン・アウグスト・ピント・ロマン:ペルー・カトリカ大学講師・元ペルー外務省公使)がスペイン語に翻訳。

(5)それを、 Hiroko Izumi Shimono(下野泉:学習院大学大学院日本語日本文学科博士課程修了・日本文学西語翻訳)が、日本古典文学全集版『源氏物語』(小学館)を底本にして確認。

(6)本スペイン語訳は、日本語の原文に忠実で、多くの注釈を付す。

(7)序文は Hiroko Izumi Shimono 氏 が、終章は Pinto 氏がそれぞれ担当。

(8)本書前編の冒頭には、諏訪春雄・学習院大学名誉教授の「『源氏物語』の絵と文」と、藤原克己・東京大学教授の「『源氏物語』に描かれた愛」を掲載。

(9)表紙には、國學院大學蔵「久我家嫁入本『源氏物語』」を使用予定。

(10)挿絵は、早稲田大学九曜文庫蔵「源氏物語画帖」・「源氏物語絵巻」などから8点を使用。

(11)前編が販売される本年8月22日に、ペルー(リマ市)で出版記念会が開催される予定。これは、ペルー日本外交関係設立140周年を記念する行事の一環。

 なお、Pinto 氏と Hiroko Izumi Shimono 氏による、スペイン語翻訳本についての情報もいただいています。

①“El libro de la almohada”(『枕草子』) 2002 Pontificia Universidad Católica del Perú Collección Orientalia Fondo Editorialen Lima-Perú (『枕草子』Oswaldo Gavidia Cannon氏(カトリカ大学講師)も共訳者で三者の訳本)

②“Diario de Tosa” 2005 (『土佐日記』) Pontificia Universidad Católica del Perú Collección Orientalia Fondo Editorialen Lima-Perú

③“Apuntes de una Ef?mera” (『蜻蛉日記』)2008 APJ en Lima-Perú

 「ガレリアリブロのブログ」で、これらの本の内容が確認できます。

 興味深い情報を提供していただきました下野博史氏に、あらためてお礼申し上げます。
 今後とも、さまざまな情報提供を、どうかよろしくお願いいたします。
 
 
 

2013年6月23日 (日)

日南町から米子へ─稲賀先生の墓参─

 昨年の3月に日南町に来たときと違っていた光景を2つほど、記録として残しておきます。

 まず、池田亀鑑が通っていた小学校が廃校となり、その校庭が昨年度は工事中だったことは、「池田亀鑑の生誕地日南町にまた来ました」(2012年3月 9日)で、すでに記したとおりです。

 その校庭に、今年はソーラーパネルが整備されていました。壮観です。5,500人の町は高齢化が加速しており、数年後には半減するのでは、とのことです。さまざまな対策が考えられているようです。
 
 
 
130622_solapanel_2
 
 
 

 次に、池田亀鑑は生誕の地である神戸上には2歳までいて、3歳から12歳までは小学校に近い砂田に移っていたことが、昨年の聞き取り調査でわかりました。その昨年の池田亀鑑賞の授賞式は、雪の降った3月でした。

「池田亀鑑の生い立ちに関する新事実」(2012年3月11日)

 
 
 あの時は、辺り一面真っ白の雪景色でした。
 そこで、もう一度立ち寄り、雪のない砂田の旧宅の地の写真を撮りました。
 
 
 

130622_sunada_2
 
 
 

 さて、昨日、無事に池田亀鑑賞の授賞式を終え、関係者のみなさんと打ち上げ会をしていた時、外から大きな太鼓の音が聞こえてきました。何事かとお尋ねすると、神楽の練習をしているとのことでした。

 興味を示すと、練習場となっている「みどりの館」へ案内して下さいました。
 空には満月が照っていました。
 
 
 
130622_kagura1
 
 
 

 建物の中は体育館のようになっており、4人の方が練習中でした。
 
 
 
130622_kagura2
 
 
 

 指導にあたっておられた方が、丁寧な説明をしてくださいました。
 これは日南町の無形民俗文化財に指定されている日南神楽で、神光社のみなさんが練習なさっているところでした。夏に、ハワイへ公演にいくための練習だそうです。

 倉庫にある衣装を見せていただきました。
 みごとなものです。お面もすばらしいものでした。
 
 
 
130622_kagura3
 
 
 
130622_kagura4
 
 
 

 10キロもある大黒様の羽織を着せてくださいました。ズッシリと肩に重みがかかります。これで10分以上も演じるのですから、大変な重労働です。
 
 
 
130622_kagura5_2
 
 
 

 今朝は、妹尾先生の車に乗せていただき、昨年同様に米子にある稲賀敬二先生のお墓にお参りしました。
 今回は、昨年に引き続き池田研二先生と、そして昨年はお仕事の関係ですぐに大阪へお帰りになった伊井春樹先生もご一緒です。
 伊井先生は、稲賀先生が広島大学の大学院で最初に指導を受けられた、いわば1期生です。しかし、稲賀先生のお墓にいつかお参りしたいと思っておられましたが、これでやっと叶ったと感慨深げでした。
 妹尾先生は稲賀先生の最晩年の教え子にあたられます。稲賀先生にとって、最初と最後の教え子が揃っての墓参となったのです。
 お墓の周りに少し草が生えていたので、みんなで草取りをしました。
 
 
 
130622_inaga_4
 
 
 

 きれいになった墓前で、伊井先生は墓石に手を当て、しばし感無量の思いを噛みしめておられました。

 来年の池田亀鑑賞の授賞式は、6月28日(土)となりました。
 またその時に墓参に参ります、と稲賀先生に報告をして、米子から帰路につきました。
 妹尾先生はお一人で、広島まで200キロのドライブです。
 伊井春樹先生は新大阪まで、池田研二先生と私は東京までの新幹線の旅となりました。
 
 
 

2013年6月22日 (土)

第2回池田亀鑑賞授賞式と記念講演会

 昨日までの颱風の心配もなく、少しヒンヤリするくらいの爽やかな空気を肌に感じる朝でした。
 中国山地は雲に覆われています。
 
 
 
130622_nichinanmura
 
 
 

 宿舎だった「ふるさと日南邑ファーム・イン」の玄関横には、池田亀鑑の『花を折る』から「私のふるさと」という文章が掲げられていました。
 
 
 
130622_entrance
 
 
 

 第二回池田亀鑑賞授賞式の会場である日南町総合文化センター・多目的ホールは、準備万端整っています。
 
 
 
130622_genkan
 
 
 

 会場の後には、池田亀鑑関連の著書と、ガラスの展示ケース2台には、池田家のアルバム、池田亀鑑自筆原稿、広島大学蔵池田亀鑑付箋書き入れ『古今著聞集』を展示しました。これは、本日の講演と関連する資料でもあります。
 
 
 
130622_kaijyo
 
 
 

130622_books_2
 
 
 

130622_jihitu
 
 
 

 今回の受賞作である『林逸抄』も飾ってあります。
 
 
 
130622_rinitsusyo_2
 
 
 
 第一部の「第二回池田亀鑑賞授賞式」の始まりです。
 司会は、浅田幸栄(日南町図書館司書)さんがなさいました。

 まず、開会挨拶は加藤和輝(池田亀鑑文学碑を守る会)会長です。
 
 
 

130622_kato1
 
 
 

 この池田亀鑑賞の授賞式を開催できることは、この日南町の誇りであることを述べられました。
 続いて、今回の受賞者である岡嶌偉久子さんへ、賞状と賞金の贈呈です。
 
 
 
130622_syoujyo
 
 
 

130622_syoujyou2
 
 
 

 続いて、副賞が朝日新聞の米子支局長である佐々木宏氏より贈呈されました。
 
 
 
130622_fukusyou_3
 
 
 

130622_tate
 
 
 
 池田亀鑑賞会長挨拶として、伊井春樹先生が「池田亀鑑賞の意義」について話されました。
 
 
 
130622_ii
 
 
 

 それを受けて、池田亀鑑賞選考委員長である私が「選考理由」について報告しました。
 
 
 
130622_ito1
 
 
 

 来賓挨拶は、増原聡日南町長です。
 過日の「なんでも鑑定団」で『源氏物語』の写本の鑑定で、池田亀鑑のことが出てきたので嬉しかったことなどを話されました。
 
 
 
130622_tyoutyou
 
 
 

 来賓紹介は、日南町議会の村上正広議長と、日南町の内田格教育長でした。

 いよいよ、第二回池田亀鑑賞受賞記念講演として、岡嶌偉久子さんの「林逸抄─室町末期、俗語で書かれた源氏物語注釈書─」が始まりました。
 
 
 
130622_ofu
 
 
 
130622_okajimatitle
 
 
 

 丁寧にスライドを使って、わかりやすく『林逸抄』とその著者である林宗二について話されました。

 第二部は、「もっと知りたい池田亀鑑と源氏物語」として、池田亀鑑賞の選考委員がお話をしました。

(1)池田研二「『源氏物語大成』完結まで」は、年譜と写真をもとにして、池田亀鑑の生涯と生活を語られました。
 
 
 
130622_kenji
 
 
 

(2)伊藤鉄也「昭和7年に東大で開催された源氏物語展」は、展覧会の写真が見つかったことと、その時の展示図録が検閲に引っ掛かっていた話です。
 
 
 
130622_ito2
 
 
 

(3)妹尾好信「池田亀鑑の付箋書き入れ『古今著聞集』」は、その本に貼られている付箋は昭和5年前後のものではないか、ということでした。
 
 
 
130622_seno
 
 
 

(4)原 豊二「伯耆地方の源氏物語」は、鳥取各地の文献調査をもとにして、この伯耆地方にはまだ『源氏物語』の資料があるのではないか、ということでした。
 
 
 
130622_hara
 
 
 

(5)小川陽子「池田亀鑑の卒業論文と『宮廷女流日記文学』」は、池田亀鑑が示した女性へのまなざしを具体的に語るものでした。
 
 
 
130622_ogawa
 
 
 

 質疑応答は、岡嶌偉久子さんに対してありました。なかなかいい質問で、岡嶌さんも懇切丁寧に答えておられました。
 
 
 
130622_situgi_2
 
 
 

 閉会の挨拶は、石見町づくり協議会会長の田辺正幸さんで、今後とも池田亀鑑文学碑を守る会をバックアップするとの心強い話で締めくくられました。
 
 
 
130622_heikai
 
 
 

 長時間にわたり、総勢80人もの方々が熱心に参加され、盛会のうちに終えることとなりました。

 その後は、関係者のみなさんと懇親会となり、遅くまで盛り上がりました。
 また来年、第3回の池田亀鑑賞授賞式でお目にかかることを約束して散会となりました。
 仕掛け人の立場としては、みなさんに喜んでもらえる式典と講演会だったことに安堵しています。
 
 
 

2013年6月21日 (金)

授業(2013-10)ユネスコの世界記憶遺産 -2013-

 今週、2013年度の世界記憶遺産がユネスコから発表されました。
 今年は、54件が認定され、日本からは陽明文庫所蔵で藤原道長自筆の日記『御堂関白記』と、「慶長遣欧使節関係資料」の2件が認定されました。千年前の手書き文書である『御堂関白記』は国宝にもなっていて、平安時代に興味がある者にとっては、非常に有益な歴史資料です。
 慶事です。陽明文庫長の名和修先生、おめでとうございます。

 世界記憶遺産としては、平成23年に「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」が初登録されて以来のものです。

 今日の授業では、この今回の出来事を報じる日本の各種新聞記事の確認をしました。
 名和先生に國學院大學の豊島秀範先生の科研で講演していただいた時のエピソードなどを交えて、陽明文庫の話もしました。

 さらに、ユネスコのサイトを見て、『御堂関白記』に関する「Midokanpakuki: the original handwritten diary of Fujiwara no Michinaga | United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization」の記事も確認しました。

 また、今回認定された54点がどのようなものなのか、各国の記憶遺産を「Inscriptions of the documentary heritage in 2013」で通覧しました。

 受講生が持参しているパソコンもネットに繋がっているので、リアルタイムで確認が容易にできることは非常に便利です。
 こうした情報は、文化交流と異文化間コミュニケーションの上で大いに役立つはずです。

 授業が終わると、すぐに渋谷駅から東京駅へ向かいました。明日開催される、池田亀鑑賞の授賞式に出席するために、鳥取県の日南町に行くのです。

 駅のチケットセンターで、新幹線「のぞみ」の特急券と指定席券、そして岡山からの特急「やくも」との乗り継ぎ割引のことで行き違いがありました。
 窓口の方は、あらかじめ電話で教えてもらっていた買い方はお薦めできない、ということなのです。先日の電話サービスでは、折り返し電話をいただくなど、懇切丁寧に3パターンを教えて下さいました。そして、私が相談した条件を満たす中で一番安い方法にしたところ、それは私の希望を叶えられない買い方だったのです。おまけに、さらに6千300円も追加料金の発生するものです。

 時間もないので、不承不承、3つの希望の内の2つをあきらめて、とにかく出発することにしました。

 ところが、さらに追い打ちをかけるように、新幹線のホームで、信じられない不可思議なことに出くわしました。

 岡山駅で、今回の受賞者である岡嶌偉久子さんと待ち合わせをしていました。そこで、私が予定通りに東京を出発することを伝えるために電話をしていた時のことです。

 ホームにあった4連ベンチの一番端に座っていて、電話をかけるために手にしていた駅弁をシートに置き、その横で電話をしていました。すると、60歳過ぎの女性が来て、私が弁当を置いているシートの隅に腰を下ろされたのです。

 疲れておられるのかと思い、電話が終わるまでなら、と思って岡嶌さんと話をしていました。すると、あろうことか、その女性はシートに置いていた私の駅弁を、ご自分のお尻で少しずつ押しやっておられるのです。最初は何をなさっているのか分かりませんでした。しかし、次第に私が置いていた弁当がベンチシートの端に押し退けられていき、弁当がシートから落ちそうになっています。

 電話を終えるやいなや、落ちる寸前の弁当を取り上げ、その女性には「どうぞお座り下さい」と言って、その席を諦めて譲りました。もちろん、「ありがとう」という返礼などあるはずがありません。当然のように座って澄ましておられます。

 ホームは金曜日ということもあって混雑していたので、他にベンチが空いているはずもありません。
 少し早めに来たこともあり、予約した指定車輌の前のベンチの少し斜め横で、30分ほど立ちっぱなしで電車の入線を待っていました。

 考えてみると、お尻の力でベンチから追いやられ、押し出された格好です。
 幸いなことと言うべきか、私の駅弁がお尻で押し潰されなかったことだけが、せめてもの救いだとしましょう。
 なかなか貴重な体験をしたと思っています。
 こういう行為ができるのも、また私がそれを許してしまうのも、日本が平和である証拠なのでしょう。
 
 
 

2013年6月20日 (木)

第二回 池田亀鑑賞 授賞式 プログラム

 明後日22日(土)の午後、鳥取県日野郡日南町で《第二回 池田亀鑑賞 授賞式》があります。
 そのプログラムが届きましたので、速報として流します。
 颱風の進路が気がかりです。
 多くのみなさまのご参加をお待ちしています。


《第二回 池田亀鑑賞 授賞式》 プログラム

     開会 午後1:30

第一部 第二回池田亀鑑賞授賞式
            司会 浅田幸栄(日南町図書館司書)

■ 開会挨拶 加藤和輝(池田亀鑑文学碑を守る会・会長)
■ 賞状と賞金の贈呈
■ 副賞(朝日新聞鳥取総局)の贈呈を鳥取総局長より
■ 池田亀鑑賞会長挨拶 伊井春樹先生(池田亀鑑賞の意義について)
■ 池田亀鑑賞選考委員長挨拶 伊藤鉄也先生(選考理由について)
■ 来賓挨拶 日南町長 増原聡 様
■ 来賓紹介 日南町議会議長 村上正広 様、日南町教育長 内田格 様

     午後2:00~2:40

第二回池田亀鑑賞受賞記念講演 岡嶌偉久子氏 
  「林逸抄─室町末期、俗語で書かれた源氏物語注釈書─」

     午後2:45~4:30

第二部 もっと知りたい池田亀鑑と源氏物語

(1)池田研二氏「『源氏物語大成』完結まで」

(2)伊藤鉄也氏「昭和7年に東大で開催された源氏物語展」

(3)妹尾好信氏「池田亀鑑の付箋書き入れ『古今著聞集』」

(4)原 豊二氏「伯耆地方の源氏物語」

(5)小川陽子氏「池田亀鑑の卒業論文と『宮廷女流日記文学』」

閉会 挨拶


2013年6月19日 (水)

読書雑記(67)岡崎琢磨『珈琲店タレーランの事件簿2』

 岡崎琢磨著『珈琲店タレーランの事件簿2 彼女はカフェオレの夢を見る』(宝島社文庫、2013.5)を読みました。
 
 
 
130610_taleran
 
 
 

 前作については「読書雑記(52)岡崎琢磨『珈琲店タレーランの事件簿』」(2012年11月14日)をご笑覧ください。あまりいい評価はしていません。

 この第2作目は、さらに出来が悪いようです。前作にあった文章のキレがまったく感じられません。私は、いいところを探すようにして読むことが多いと思っています。しかし、これに関してはまったくそうした褒めるところを見つけられませんでした。
 『〜3』が刊行されても、それを読むかどうか……。余程大々的な変化が見られない限り、もう読まない作家となりそうです。相性の問題だと思われます。作者さん、ごめんなさい。何事も縁ということで。

 第一話「拝啓 未来様」におけるプロポーズという推理と、郵便の消印をめぐる小細工は、いかにも作った話で興ざめでした。【1】

 第二話「狐の化かんす」はおもしろい展開で楽しみました。
 京都見物に来たはずの妹の秘密の行動を推理する過程は、ごく自然で納得できました。ただし、最後に付けられた状況説明は、それまでの話を水で薄めるようでいただけません。せっかくいい話として収まりそうだったのに。【1】

 第三話「乳白色のハートを壊す」は、コンパクトによくまとまった作品になっていると思います。
 話がわかりやすいことと、推理に無理がありません。ただし、あまり事件におもしろさはありません。明るさのない話なので、ただこじんまりとまとまった、というのが正直な好意的な感想です。【2】

 第四話「珈琲探偵レイラの事件簿」は、読み終わってみるとおもしろい話でした。
 しかし、終盤まではつまらなかったのです。読みさして次の話に移ろうと思い、どこで止めようかと切り上げどころを探しているうちに、ズルズルと最後の段落まで来ました。そして、突然話がおもしろくなりました。
 作者は損をしていると思います。まず、話が暗いこと。そして、表現と構成が練られていないことで。【1】

 第五話「(She Wanted To Be)WANTED」は、私にはよくわからない話でした。
 1話で完結していないこともありますが。【1】

 第六話「the Sky Occluded in the Sun」では、話が急展開します。
 下手な推理がないので、安心して物語についていけます。ただし、根拠が薄弱な理由で断定的に、決めつけて行動する登場人物たちに、読者を引きずり回す手法を感じました。1話完結ではないので、引き伸ばされている感じも、終始つきまといます。【2】

 第七話「星空の下で命を繋ぐ」は、最後になってこれまでの話をうまくつなげることになりました。ここでやっと、話がまとまった印象を受けます。終盤で、やたらと星空を持ち出して、話をきれいにしようとしています。これまでとの違いに戸惑いました。【2】

 最後のエピローグは、きれいにまとまっています。
 全体としての構成がまずかったことが、返す返すも残念です。【2】
 
 
 

2013年6月18日 (火)

読書雑記(66)稲盛和夫『新版・敬天愛人 ゼロからの挑戦』

 最近、息子の書棚に並ぶ本の背表紙を見ていて、読んでみようと思うものが何冊か目につきました。
 ビジネス書であり、啓蒙書であり、ものの見方や考え方の本です。
 こうした本に目が行ったのは、おそらく、私がNPO法人〈源氏物語電子資料館〉を設立したことに起因するのでしょう。

 たまたま親子が別々に起業を志し、共にそれを果たし、今はひたすら前を向いて取り組んでいるところです。
 期せずして同じ本に心引かれるのは、偶然ではないようです。その意味では、息子の方が先行しているのです。

 これまで、自分で買って読もうとは決して思わなかった本です。しかし、そうした本が同じ屋根の下に並んでいるのを見て、読んでみたくなったのです。おもしろくなければ即刻止めればいいので、気楽に手にしました。ところが、意外とこれがおもしろいのです。

 一言で言えば、揺らぐことのない起業精神の高揚であり、共に歩むための人心掌握術の伝授であり、何ものにも替えがたい純粋な気持ちの崇高さが、己が人生の総決算として語られているのです。これほど心に滲み入る本だとは思いませんでした。

 稲盛和夫、本田宗一郎、松下幸之助と、ビジネス・ストーリーとでも言うべき成功者たちが語る話に手が伸びました。しかも、PHP研究書から出ている本ばかりを手にしていました。

 南禅寺の近くにある、松下幸之助の「真々庵」へ行ってから、その生きざまに感銘を覚えたことが、潜在的に影響しているのかも知れません。そのことは、「京洛逍遥(208)「真々庵」でPHPを考える」(2011年12月22日)に書いた通りです。

 折々に書棚から取り出し、読み終えた本が積まれだしたので、整理を兼ねて読書雑記としてここに残しておきます。

 まずは、稲盛和夫の『新版・敬天愛人 ゼロからの挑戦』(PHPビジネス新書246、2012年11月)から、目に留まった文章を抜き書きしておきます。
 
 
 
130618_inamori
 
 
 

 稲盛和夫は、京セラの創業者で、KDDIの設立、そしてJALの再生を成し遂げた人です。その考え方の独創的なところに、大いなる魅力を感じました。
 
 


 現在の能力をもって、可否を判断していては、新しいことなどできるはずがない。今できないものを何としても成し遂げようとすることからしか、真に創造的なことは達成できないのである。(63頁)

 
 

 私は、「世の役に立ち、自分も幸せだった」と振り返って感じられるような生き方が、究極的には人々の求めている人生の姿であろうと思う。(82頁)

 
 

 人生・仕事の結果=「考え方」×「熱意」×「能力」
 私は長年、この方程式に基づいて仕事をしてきた。またこの方程式でしか、自分の人生や京セラの発展を説明することはできない。(98頁)

 
 

 成功への王道
 松下幸之助氏や本田宗一郎氏は、高等教育を受けておられない。学校を出てすぐ丁稚奉公に行かれたので、最高学府での学問の経験もなければ、専門知識もお持ちでない。
 しかし、何にも増してお二人は燃えるような「熱意」を胸に、誰にも負けない努力を払われた。また、事業を通じて、従業員をはじめ世の多くの人々に貢献したいという崇高な考え方を持っておられた。
 人問はともすれば、有名大学を出、学問をすればするほど「能力」に依存し、「熱意」や、さらには「考え方」の重要性に対する認識が希薄となってしまう。そのせいか有名大学出身の創業者で成功した人は思いのほか少ない。
 才能があればあるだけ、謙虚に考え、素直に努力することができないのではないかと私は思う。(105頁)

 
 

 仕事でも事業でも、その動機が純粋であれば必ずうまくいく。私心を捨て、世のため人のために善かれと思って行なう行為は、誰も妨げることができない。逆に、天が助けてくれる、そう思えるのである。(152頁)

 
 

 人間というのは、一人では成長できない。志ある者たちが集まり、揉まれ合うことによって、より素晴らしい人間に育まれ、その集団もさらなる成長発展を遂げていく。(187頁)

 
 
 

2013年6月17日 (月)

京洛逍遥(280)大徳寺高桐院の苔

 昨日、ぶらぶらと大徳寺に行きました。
 好天の中、暑かったこともあり、利休が秀吉から切腹を賜った原因にもなった三門前にある無料休憩所で、ありがたくお茶をいただきました。
 こうした場所があるのは、ふらりと来た者にとって、特に暑い盛りには助かります。
 
 
 
130616_koutouin8
 
 
 
130616_koutouin7
 
 
 

 大徳寺の塔頭の中でも、私は西端の今宮神社と紫野高校に近いところにある高桐院が好きです。ここは、細川幽斎の子忠興(三斎公)とその妻ガラシャ(明智玉、光秀の娘)の埋葬地でもあります。忠興は利休七哲の1人としても有名です。

 高桐院の表門に続く、左に直角に曲がる入口の敷石道は、石畳と苔の美しいところです。しかし、陽当たりのいいこともあり、連日の晴天で苔が変色していたのです。
 
 
 

130616_koutouin1
 
 
 
 表門を潜って、今度は右に直角に曲がる敷石畳の道の左右は、陽当たりが悪いことが幸いしてか、苔は青さを保っていました。

 冬の高桐院のことは、「京洛逍遥(206)冬支度の大徳寺境内」(2011年12月17日)に書きました。そこで紹介した時と同じアングルで、初夏の高桐院の写真を撮りました。
 
 
 
130616_koutouin2
 
 
 
130616_koutouin4
 
 
 

 正面の唐門は、横から撮影してみました。みごとな青紅葉です。
 
 
 
130616_koutouin3
 
 
 

 唐門前の敷石道の脇には、筍が至るところで顔を覗かせています。
  かわいいものです。
 
 
 
130616_koutouin6
 
 
 

 境内の苔も、水不足で赤茶色に変わっていました。庭園も地割れや苔が捲れ上がっていました。
 
 
 
130616_jiware
 
 
 

 忠興とガラシャの墓石の横で掃除をしておられた庭師の方に、この苔の状態を聞いてみました。我が家の小さな庭でも、苔を育てているところです。その色が変わっているので、気になって手入れ方法を尋ねたのです。無残な色になっているが、一日水を吸うとまた元の色に蘇るのだそうです。安心しました。ただし、猫の糞や尿にやられているので、これには手を焼いているとのことでした。
 苔の手入れも大変なようです。

 日本の文化は、湿気と無縁ではありません。苔は、まさにそうです。苔のふわふわとした感触や、色の妙味には格別のものがあります。

 今年の夏は、また厳しい日々なのでしょうか。我が家の苔は、まだ植えたばかりで育てだしたところです。気長に、丁寧に見守っていきたいと思います。
 
 
 

2013年6月16日 (日)

京都で『十帖源氏』を読む(第3回)

 先ほど上京しました。

 梅雨を抜けた夏かと思うほどの京都から、新幹線で3時間もかからない東京に降り立ち、そのヒンヤリとした空気に驚きました。先週末と同様に、東西で10度という気温差はわかっていたので、妻は長袖のカーディガンを早速羽織っていました。私も、たくし上げていたカッターの袖を伸ばし、ブレザーを着込みました。

 一体、この気候はどうなっているのでしょうか。尋常ではない、天変地異を実感します。
 賀茂川は水嵩が目に見えて減っていました。今日、ぶらぶらと訪れた大徳寺の高桐院では、苔が水不足で茶に色変わりし、庭園も地割れや苔が捲れ上がっていました。このことは、明日にでも書くつもりです。

 何年後かに、この異常さに明確な説明がつくのでしょう。そんな、歴史的な時期にこうして生きていることを、奇遇だと思わざるをえません。これも生きた証の記録として、ここに記しておきましょう。

 さて、昨日は北野神社でのお茶会の後、久々というほどに大降りの俄雨になった中を、バスで丸太町に向かいました。
 午後3時から、「ワックジャパン」で、本年4月からスタートした『十帖源氏』の3回目の輪読会があったからです。これは、毎月1回、原則として第2土曜日に集まって『十帖源氏』の海外翻訳版を作成する勉強会です。

 参加者は、インドから国費留学生として国際日本文化研究センターに来ているアルチャナさんと、中国から立命館大学に来ている庄さんと候さん、そして先週の中古文学会で研究発表をした荻田さんなどです。

 今回は、インドと中国、そしてドイツ語で訳したらどうなるか、という具体的な問題を確認し点検しながら進みました。

 「家司」という語句をどうするかで、いろいろな意見が出ました。最初は「信頼できる部下」としていました。しかし、「執事」や「マネージャー」などを出し合っている内に、中国語で「管家」ということばがあるということから、「家の管理人」で落ち着きました。

 右近の尉が詠んだ歌、

ひきつれて あふひかさしく そのかみを
  おもへは つらし 神のみつかき

の下の句にある「神」は、『源氏物語』の原文を見ると、諸本いずれもが「賀茂」となっているとのことです。
 確かに、私が作成している本文データベースを見ても、19種類の本文のすべてが「かも」もしくは「賀茂」です。この時点では、この『十帖源氏』だけが「神」なのです。あるいは、近世の版本にそうした本文があるのかもしれません。これはさらに調べることになりました。

 こうして、いろいろなことをみんなで思いつくままに言い合い、一緒に考えています。
 この勉強会では、海外の方々が『十帖源氏』を自国の言語に翻訳する上で参考となる現代日本語訳を作ろう、という目的の下にわかりやすい訳文に取り組んでいます。その目的が明確なので、専門的な知識よりも、幅広いものの見方が大事になっています。特に、留学生の方の参加は、翻訳文の検討に複眼的な視点が入って来て有益です。各国の留学生の方の参加を、楽しみにしています。

 次回第4回は、7月13日(土)の午後3時から、同じくワックジャパンの京町家の一室をお借りして行います。
 参加費は、資料代を含めて千円です。興味のある方は、本ブログのコメント欄かNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の事務局へメールでお問い合わせ下さい。
 その際、東京会場か京都会場かを明記していただけますよう、よろしくお願いします。

 なお、京都会場では、7月から新たに、『源氏物語』の写本を読む会もスタートすることになりました。
 次回の7月13日(土)の午後1時から2時半まで、ハーバード大学が所蔵する鎌倉時代の美麗な写本である『源氏物語』の「蜻蛉」巻を読み進む予定です。
 このことについての詳細は、追って本ブログとNPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページでお知らせします。しばらくお待ち下さい。
 
 
 

2013年6月15日 (土)

京洛逍遥(279)北野天満宮のお茶会に出席して

 このところの晴天で、賀茂川の水が少なくなっています。
 散策をしていても、河床が姿を見せていて、少し寂しそうです。
 
 
 
130615_kamogawa
 
 
 

 鷺たちも勝手が違うのか、日がなボーッともできず、水辺の遊びもおちおちできなくて困っています。
 
 
 
130615_sagi
 
 
 

 今日は、お茶を教えていただいている森田先生の師である北野宗道先生が主催なさるお茶会に出席してきました。

 なかなか進まない私のお稽古です。しかし、こうした実践の機会がある時は、可能な限り参加するように心掛けています。

 今回は、北野天満宮の東北隅にある明月舎でありました。
 
 
 
130615_meigetusya
 
 
 
130615_tearoom
 
 
 

 待合には、孝明天皇所持の「蜻蛉と蛍袋 絵扇面」が掛かっていました。
 最近、『源氏物語』の扇面画を見る機会が何度かあったので、興味深く拝見しました。これは、季節に合わせて景物が描かれたものを飾られたのです。蜻蛉が今のトンボと同じ姿で描かれたものだったので、この絵が描かれた時代を想像しながら拝見しました。

 しばらく待って入ったお茶席の床には、天室和尚筆の「雲収山岳青」と書かれた軸が掛かっていました。

 最初は入口近くに居ました。すると、前に行くように勧められます。男性はお正客の方だけで、私は2人目なので貴重なのだそうです。言われるままに次客の席に座ることになりました。本当に恐縮します。先生は、心配顔で真向かいに座っておられます。40人ほどの方がおられる中で、男性が2人というのが、今のお茶会の趨勢なのでしょうか。

 私がいただいたお茶碗には、14代淡々斎直筆の「白雲自去来」という字句が書いてありました。
 すべてが謂われのあるお茶道具で、ただただ緊張して伺うだけです。

 続いて、北野天満宮の南正面にある松向軒で開かれていた、濱宗貴先生のお茶席にも参加しました。
 
 
 
130615_syoukouken
 
 
 
130615_tesroom2
 
 
 

 この待合には、淡川豊斎筆の「布袋渡河図」が掛かっていました。その画中に書いてあった文字を、私は最初は「東山なとり」と読みました。しかし、後で「東山水上行」であることがわかりました。どうも、漢字が崩されていると、ひらがなで読んでしまう癖が抜けません。やはり漢字は苦手であることを、改めて再認識しました。

 お茶席の床には「青山白雲中」と書いた軸が掛かっていました。真ん中の「白」が読めませんでした。漢字が読めないのは、本当に困ったことです。

 ここでも、1人の男性がお正客の席に座っておられ、またまた私は次客の席に座るように勧められました。森田先生は、まだ初級の方ですからと言いながら、左横に座って下さいました。一安心です。

 17人の方が集っておられる内、2人が男性ということです。どこでもこのような状況のようです。とにかく、お茶会に参加される男性が少ないのです。

 過日紹介した、筒井弘一先生のご著書「『新島八重の茶事記』」(2013年5月18日)と、「『茶道具は語る』」(2013年5月19日)にあったように、現在の茶道が〈教え学ぶ茶〉であることが、女性が多い一因となっているとのことでした。これを、〈する茶〉にすることで男性が多くなるようにと願っておられます。なかなかわかりやすい意見だと思います。

 帰りには雨が強くなっていました。
 東京に較べて関西は暑いと聞いて帰洛したので、これで少しは涼しくなるのでしょうか。

 このお茶会の後は、京都御所の南にあるワックジャパンで、『十帖源氏』を読む会がありました。
 このことは、明日まとめます。
 
 
 

2013年6月14日 (金)

授業(2013-9)海外で国際日本文学研究集会をすること

 インドで取り組んだ国際研究集会の報告書を元にして、これまでに実施した全7回の研究発表の内容を確認しました。
 
 
 
130614_indiaseminerlist
 
 
 

 日本文学の研究がまだ成熟していない地域では、日本人のアドバイスが欠かせません。そのためにも、研究会や学会で使用する言語は「日本語」とすべきです。

 国際集会というと、すぐに「英語」で発表し、質疑応答も「英語」で、となりがちです。しかし、まだアドバイスをするのが日本人である段階では、一人でも多くの日本人研究者や、こうした取り組みへの日本人の理解者が必要です。そのためにも、国際学会での共通言語は「日本語」にすべきです。そうでなければ、その集会に参加して発言できる人が限られるのです。

 このことは、すでに研究が成熟しているアメリカなどで、そうした配慮は不要です。すでに出来上がった方々を相手にする限りは、英語でもいいと思います。

 この点での理解が、あまり浸透していません。英語でさえあればいい、というのは違います。すでに完成した研究者を相手にする場合は、日本人が果たす役割は単純です。英語さえ理解でき、喋ることができれば大丈夫です。

 しかし、これから発展が期待できる国では、やはりまだ研究環境の整備と基礎的な日本文化に関する知識の共有というテコ入れが必要です。そのためにも、当面は日本語を学会や研究集会の共通言語とし、より多くの日本語話者からのアドバイスを期待すべきです。ひいては、それが相手国の今後の活力をもたらすことにつながると思います。

 日本において、日本文学研究が急激に衰退する中で、海外の理解者や研究を志す方々への支援は、今後ともどうしても必要です。日本文学研究の伝統を守るためにも、相撲が、柔道がそうであるように、今は海外の方々の参加が不可欠です。この危機的状況にあるという認識の共有が大切だと思います。

 なお、海外における研究集会でのテーマの設定では、今は宗教・戦争・政治は時期尚早だと思います。それに耐えられるだけの研究の蓄積が、日本側にないと思うからです。

 海外から日本に来て、日本文学研究に携わっている方々の成果も、海外の方と共有すべきです。これは、海外の方にとって、貴重な研究事例となるからです。

 1冊の『インド国際日本文学研究集会の記録』(国文学研究資料館、2012年3月31日)をもとにして、そうしたことを語りました。
 なお、この冊子のことは「『インド国際日本文学研究集会の記録』が出来ました」(2012/4/5)で詳しく書きました。参照いただければ幸いです。
 
 
 

2013年6月13日 (木)

私の〈河岸〉スナップ(その3・トルコ)

 最近、トルコのことがしばしばマスコミで取り上げられるようになりました。
 自分の記憶を新たにする意味から、トルコで見た河岸の風景を、未整理のままに日々増えるばかりのアルバムから、前日に続いて適宜抜き出してみました。

 2004年にトルコへ行ったときの話は、「【復元】ドバイに不時着した娘、イスタンブールで放置された私」(2010/5/30)や、「【復元】ワーストワンのトルコ航空」(2010/5/14)で書きました。

 その旅で見たのは、河岸というよりも海です。日本とは異なる、明るい海でした。

 地中海に面したアンタリアのホテルから見た朝靄に煙る景色は、絵にするとおもしろそうな不思議な色でした。
 
 
 
130613_tolko_antaria1
 
 

 それが、お昼になるとグッと明度を高めます。
 
 
 
130613_tolko_antaria2
 
 

 海岸では、汗ばむほど日の光が身体を射してきます。
 この海岸で、大学院生のO・Bさんが作った俳句の添削をしました。
 地中海を望みながらの文学談義は、なかなか爽快でした。
 
 
 
130613_tolko_antaria3
 
 
 

 その後、O・Bさんは日本の大学院へ留学し、元気に研究を続けました。そして、無事に卒業した今は、トルコでキャビンアテンダントとして活躍しているようです。きれいな日本語で、多くの方々のお世話をしていることでしょう。

 その地中海の水面が、夕方になると一変して光輝きました。
 
 
 
130613_tolko_antaria4
 
 
 

 このアンタリアからの帰りに、イスタンブールの空港で得がたい体験をしたことは、上記「ドバイに不時着した娘、イスタンブールで放置された私」に書いた通りです。この話をO・Bさんにもしたので、それで彼女は航空会社に勤めたのでしょうか。

 予定していたカイセリに行けなくなった私は、死力を尽くして独力でチャナッカレに行き着きました。見も知らぬ国で、突然の予定変更による長距離の移動は、なかなか勇気と決断力のいることでした。
 チャナッカレは、トロイの木馬で有名な地です。
 狭い海峡沿いの公園に、映画で使われた木馬が飾ってありました。
 これは、間もなく移動したと聞きました。
 今はどこにあるのでしょう。
 
 
 
130613_tolko_canakale
 
 
 

 世界のいずこでも、水辺の町ではさまざまな横顔が揺曳します。
 今は詳しく記す暇がありません。
 こうして、写真と記憶を思いつくままに抜き出しながら、少しずつ記録を積み重ねいくことにします。
 
 
 

2013年6月12日 (水)

私の〈河岸〉スナップ(その2・イギリス)

 井上靖に関する読書日記で「井上靖卒読(156)『河岸に立ちて』」(2013年1月23日)を書いたところ、自分の旅の足跡を確認してみたくなりました。

 そこで、まずはインドからスタートしたのが「私の〈河岸〉スナップ(その1・インド)」(2013年1月25日)でした。

 第2回目の今回は、一番よく行っているイギリスです。

 2001年2月にイギリスへ行きました。
 ロンドン大学、オックスフォード大学、デ・モンフォート大学、ケンブリッジ大学で仕事をした時です。
 ロンドンから移動するのに時間的な余裕があったので、ツアーに参加して北上しました。
 バース、コッツウォールズ、ストラッドフォードアポンエイボンなどを見ました。ただし、すべて英語のガイドだったので、その説明が私にどれだけ理解できたかは、はなはだ心もとないところです。

 さて、その中でもコッツウォールズは、特に川の水が豊かだったことが印象的でした。
 その2年後の7月から8月にかけて、妻と銀婚旅行でこれとほぼ同じコースをレンタカーで走りました。
 その時は、娘が留学していたヨークへ行くのが一つの目標でもありました。道中はレンタカーを使い、このコッツウォールズで気ままに寝泊まりしながら旅をしたのです。
 2001年の2月の旅は、その銀婚旅行の下見になったともいえます。

 次の写真のように、深い霧に包まれた川は幻想的でした。一人で思索に耽りながら、と言いたいところです。しかし、気ままにブラブラと川原を散策して来ました。場所はブロードウェイの近くだったように思います。
 
 
 
010218_cotu1
 
 
 

 次は、ボートン・オン・ザ・ウォーターです。靄が辺りの建物を覆い隠すように立ちこめていたのが印象的でした。
 
 
 
010218_cotu2
 
 
 

 ストラッドフォードアポンエイボンは晴天でした。シェィクスピアにゆかりの深い地なので、アカデミックな香が漂っていました。
 
 
 
010220_stratford
 
 
 

 イギリスは水がきれいな国だと思います。ピーターラビットゆかりの湖水地方ウィンダミア湖周辺や、南部のハートフィールドのプーさんの故郷などでも、思い出深い川に出会いました。
 それらの地については、また機会を改めましょう。
 
 
 

2013年6月11日 (火)

第2回池田亀鑑賞授賞式と記念講演会のご案内

 『第2回 池田亀鑑賞授賞式および記念講演会』が、来週6月22日(土)に開催されます。
 主催は「池田亀鑑文学碑を守る会」で、会場は日南町総合文化センター・多目的ホールです。

 日南町は、鳥取県の南端にあります。島根県、広島県、岡山県に接する、中国山地のど真ん中です。
 会場がある日南町役場までは、JR伯備線の生山駅を降りて車で3分です。
 興味のあるお方は、こうした機会を利用して一度日南町に足を運んでみてはいかがですか。
 文学関係者ゆかりの地としては、池田亀鑑だけではなく、井上靖と松本清張の文学散歩もできます。

 第1回の池田亀鑑賞の授賞式のことは、次のブログをご参照ください。

「盛会だった池田亀鑑賞の授賞式」(2012/3/10)

 その他、これまでに本ブログで日南町のことは何度か報告しています。
 ご笑覧いただければ幸いです。
 
 今年のポスターが出来上がっていますので、掲示します。
 
 
 
130606_kikantirasi1
 
 
 
130606_kikantirasi2
 
 
 

2013年6月10日 (月)

中古文学会2日目 -2013 春-

 学習院女子大学で開催された中古文学会の2日目のことです。
 ここでは、自分と関係のある発表についてだけ、思いつくままに記します。

 荻田みどりさん(立命館大学(院))には、前々日の金曜日夜に開催された北京日本学研究センターの懇談会で、初めてお目にかかっていました。中国からの留学生で『浜松中納言物語』を研究する学生さんのチューターをしているとのことでした。あらかじめ研究発表のことを知っていたので、興味深く発表を聞きました。
 タイトルは「『源氏物語』東屋巻巻末の薫の姿 ―「くだもの急ぎにぞ見えける」―」です。これまでにも『源氏物語』における食べ物に関して、多くの論文を書いておられるので、安心して聞けました。ただし、問題提起された「なぜ、上流貴族である薫が、くだものを急いで食べているかのように見える、という描写が必要だったのか。」という点について、私にはよくわかりませんでした。
 それはともかく、質疑応答での対応がしっかりしていて、これからの活躍が頼もしく思われました。

 太田美知子さん(國學院大學(院))は、日頃から何かとお話をする機会があります。よく勉強なさる方で、私の方が教えていただく気持ちで接しています。タイトルは「『狭衣物語』における『在五中将の日記』引用の背景」です。今回もドッシリと構えた発表でした。
 質疑応答の中で、【資料4】として引用された藤原行成の『権記』(寛弘八年五月廿七日条)にある「一条天皇への奏上」の記事の肝心な箇所が、実際には後に補入された文言であるようだ、との教示がありました。次の赤い文字の部分です。


仰云、可譲位之由一定已成、一親王事可如何哉、即奏云(中略)前代得失略如比、如此大事只任宗廟社稷之神、非敢人力之所及者也、但、故皇后宮外戚高氏之先、依斎宮事為其後胤者、皆以不和也、今為皇子非無所怖、能可被祈太神宮也

 そうであれば、また論は組み直されることになり、さらに興味深い論文へと仕上がっていくことになります。今回の研究発表がどのような形で論文としてまとまるのか、ますます楽しみになりました。

 午後の後半の発表からは、私が司会者の一人ということもあり、壇上で聞くことになりました。

 今回の学会の最後は、工藤重矩先生(福岡女子大学(客))の「国冬本源氏物語藤裏葉巻本文の疵と物語世界」でした。論旨が明快で、非常にわかりやすい発表でした。ただし、会場からの質問が私の期待したものではなかったこともあり、司会者として僭越ではありましたが、私から最後に一点だけ伺うことにしました。
 それは、発表の中にあった「誤写」と「誤読」ということです。特に「誤読」については、誰がという点で、2つの場合が考えられます。まず、親本を見ながら国冬本と言われる本を書写した筆写者の「誤読」による「誤写」です。もう一つは、我々が今の時点で翻字をする上での「誤読」であり、それは紛らわしい文字をどのような文字として一文字に確定して印字するか、ということになります。

 もっとも、「誤写」という判断も、誰がどのような根拠のもとに下すのか、危険な行為ですが。

 この点について、今回の発表では明確ではなかったので、確認の意味で伺いました。ただし、時間もないことなので、曖昧なままに終わりとせざるをえませんでした。このことは、また改めて確認できたら、と思っています。

 私としては、「誤写」とか「疵」と認定されたことの危うさを、確認しようと思いました。書写された文字と書写した人の筆の動きや意識には、当然のことながらズレがあります。命がけの臨書だとは思えないので、その一文字一文字を書き写す上での正確さが問題です。これは、避けがたいケアレスミスという問題でもあります。さらには、それを現代という時点で我々がその写本を読む時に、書かれた文字を一意に確定することの難しさです。変体がなは非常に柔軟性に富んだ文字です。どのようにでも読める文字であることがままあります。そこを、今の知識で読んで、今の知識でわかりやすい文字列にしていることに、問題が潜んでいると考えられます。ということは、「誤写」とか「疵」という認定は何なのか、ということになります。

 これはややこしくなるので、また別の機会にします。

 こうした研究発表を通して、若い方々が写本レベルでの本文研究のおもしろさに興味を持ってほしいと、いつも願っています。
 さて、今回がどうであったのか、折々に反応を探ってみたいと思います。

 以上、勝手なコメントを記しました。失礼な物言いがありましたら、お許しください。
 取り急ぎ学会報告を兼ねまして、駄弁を弄しました。妄言多謝。
 
 
 

2013年6月 9日 (日)

学習院女子大学での中古文学会 -2013 春-

 今年の中古文学会は、学習院女子大学が会場です。
 
 
 
130608_seimon
 
 
 

 永井和子先生が学長をなさっていた学校なので、非常に親しみを感じます。始まる前に、先生と少しお話をすることができました。今回の貴重書の展示で、その解説資料に池田亀鑑と三条西本に関する資料を掲載していますよ、と早速教えて下さいました。ご高配に感謝しつつ、まずは展示本を拝見しに行きました。
 なお、近日中に刊行となる『もっと知りたい 池田亀鑑と「源氏物語」第2集』(新典社)では、永井先生との対談が巻頭にありますのでお楽しみに。その時の余話は、「永井和子先生との対談余話」(2012年7月19日)に報告した通りです。

 今回の学会では、2日目の日曜日の最後に国冬本に関する発表があります。永井先生とご縁の深い大学で、永井先生の縁者である前田善子先生がお持ちだった国冬本の発表があるのです。国冬本にとっても、これにまさる紹介の場はありません。これを機会に、若い方々が本文研究にも興味をもってもらえたら、と楽しみにしています。なお、国冬本の研究発表の司会は私が務めさせていただきます。私にとっても、緊張する学会となりました。

 さて、土曜日の初日は、神野藤昭夫先生(放送大学客員教授、跡見学園女子大学名誉教授)の講演からです。タイトルは「始発期の近代国文学と与謝野晶子の『源氏物語』訳業」です。
 興味深い話なので、楽しみにして行きました。
 
 
 
130608_kannoto
 
 
 

 まず、明治十年代に近代国文学がスタートした頃の実態を語られました。初期には実用重視のために、官立大学の文学部で『源氏物語』が講じられることはなかったようです。知らなかったことが資料をもとにしてたくさん話題となり、現在の文学部などの衰退に思いを馳せながら、話に引きずり込まれてしまいます。

 次に在野における出来事として、与謝野晶子と『源氏物語』の出会いへと移りました。これからが、本日のメインテーマとなります。
 幻の『源氏物語講義』と小林天眠の件では、晶子は「逐次的講義」をしようとしていた、と言われます。個性的な講義であった、とも。残されている僅かな書簡や自筆原稿をもとにして、先生のお考えが展開されていきます。晶子の『新訳源氏物語』は2系統あるとか、『新新訳源氏物語』の成立事情にも及びました。
 晶子の草稿から刊本に至るまでの行程が、資料をもとにして炙り出されていきました。
 先生の調査に何度かご一緒させていただき、鞍馬寺や与謝野晶子文芸館で晶子の自筆原稿を見たり、後日その写真撮影に立ち会い、それを国文学研究資料館が原本画像データベースとして公開することに成功したこと等々、お話の背景にも思いを致しながら拝聴しました。
 スライド写真を駆使し、原稿の分量をグラフにして示されるなど、お見事なプレゼンテーションを堪能しました。

 その晶子も、昭和15年5月5日に、池田亀鑑と大弐三位のことでやりあったその翌日、脳溢血で倒れるのです。神野藤先生のお話の最後は、「晶子の訳は自身の文学としてある。」ということで結ばれました。
 講演の最後にサプライズとして、晶子が『源氏物語』の「桐壺」巻を朗読している肉声を会場に流されました。与謝野晶子という歌人が、『源氏物語』を訳した文学者として聴衆の瞼に蘇る、という演出でお話を閉じられました。

 時間があれば、もっと聞きたかった、との思いを強く抱きました。
 意義深い話を、ありがとうございました。

 神野藤昭夫先生先生には、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の監事お引き受けいただいています。また、先生の教え子の多くが、NPOの運営に関わっています。今後ともご一緒にお仕事をさせていただく中で、折々に日々の調査研究の一端を、学生さんたちと共に学ばせていただくことを楽しみにしています。

 神野藤先生の講演の後は、お2人の研究発表は申し訳ないのですが失礼して、貴重書を拝見しました。私が学部生だった頃に調査させていただいた『伊勢物語』とは、ガラス越しにではありましたが30数年振りに対面しました。
 さらに、徳田和夫先生ご所蔵の『源氏物語』の絵と古筆切れには、目が吸い付けられました。徳田先生には、後日の調査をお願いしました。いつでもどうぞ、と温かく聞き入れてくださいました。
 徳田先生は学習院女子大学の国際文化交流学部長をなさっており、国際的に大活躍をなさっています。國學院大學の後輩でもある私が、海外の日本文学研究について情報を整理していることを、好意的に評価してくださっています。すばらしい先輩が見てくださっていることは、後に続こうとする者には励みにもなり、ありがたいことだと思っています。

 また、出版社との打合せも念入りにしました。いろいろと抱え込んでいる仕事があり、こうした折に日頃の怠慢を詫びながら、今後のスケジュールの確認をすることになります。何かと忙しい1日となりました。
 
 
 

2013年6月 8日 (土)

北京日本学研究センターの懇談会に出席して

 平成25年度に北京日本学研究センターから日本に勉強に来ている方々との懇談会が、昨日、飯田橋のホテルでありました。
 受け入れ教員として私にも声がかかりましたので、博士後期課程の趙俊槐君と一緒に参加しました。
 これは、国際交流基金の日本研究・知的交流部・アジア大洋州チームのお世話によって開催されるものです。今年は、北京日本学研究センターの修士課程28名、博士課程13名と、外務省・中国大使館などから、総勢110名の出席者を得、活発な交流の場がもたれました。

 会場に入るやいなや、国際交流基金の清水順一さんから声をかけられました。本当に久しぶりです。本ブログでは、「【復元】人との出会いの背景にあるもの」(2011年2月 3日)という記事で清水さんのことを記しています。これによると、私がカイロに行ったのは、2005年10月だったことがわかります。

 清水さんとは、それ以来なので8年ぶりということになります。
 今回は、国際交流基金の日本研究・知的交流部の部長として、今回の懇談会などを担当しておられたのです。カイロでのことを思い出しながら、愉しい話をしました。清水さんのご自宅でいただいたワインのおいしかったこと。
 伊井春樹先生が北京へ客員教授としていらっしゃった時に、送り出されたのが清水さんでした。そして、天安門事件で急遽帰国となり、送り出し側としては大変な思いをされたのです。私は日本にいて、その動向をやきもきしながら、伊井先生の無事のお帰りをお待ちしていたものです。

 また、同じ部署の上級主任の二子さんは、先月ロンドンから帰ってこられた方でした。二子さんとは、イギリスの話で盛り上がりました。私が、イギリスのノーリッジで開催されたEAJRSで研究発表をした時、二子さんも同じ会場にいらっしゃったそうです。今、当時のことを記したブログ「ヨーロッパにある日本の古典籍など」(2009年9月18日)を読み返してみても、二子さんがいらっしゃることにはまったく気づいていないようです。そんなこんなの話の中で、日本が国際交流の分野ですべきことで意気投合しました。今後とも、ご一緒に仕事ができれば、という展開になりました。

 坂本さんと香西さんにも、いろいろとご配慮いただき、多くの方とお話をすることができました。国際交流基金のみなさまには、いつもお世話になりっぱなしです。ありがとうございます。

 北京日本学研究センターの主任である徐一平先生にも挨拶ができました。徐先生とは、伊井春樹先生とご一緒に一度だけですがお目にかかりました。そのことを覚えていてくださったので、少しお話ができました。

 さらには、立命館大学の学生さんや留学生の方とも、親しく話をすることができました。京都で展開するNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の活動にも、協力してもらえるようです。これからが楽しみです。

 さらにさらに今回驚いたのは、茶道裏千家淡交会の支援で来ておられる衛さんという方がいらっしゃったことです。衛さんの研究テーマは、「明治期における茶道の女子への普及について ─跡見花溪の女子教育と茶道を中心に─」だそうです。NPOの主力メンバーが跡見学園女子大で神野藤昭夫先生の教えを受けた学生さんたちなので、その縁の深さに感心しました。ちょうど、跡見花溪に関する本を古書店で入手したばかりだったので、なおさら奇遇の思いを強くしています。
 
 
 
130608_atomi
 
 
 

 今後とも、京都の地でいろいろと交流をしようと思います。

 とにかく、一歩出かけると、さまざまな得がたい出会いがあります。
 冒頭に紹介した8年前の記事のように、まさに「人との出会いの背景にあるもの ─初対面のはずなのに縁がある─」ということそのままの懇談会となりました。
 みなさまに感謝、感謝の思いでいます。
 
 
 

2013年6月 7日 (金)

授業(2013-8)海外に目を向ける意義

 今朝の朝日新聞の第1面下段に、出版社おうふうの広告として、池田亀鑑賞受賞作品である岡嶌偉久子著『林逸抄』が掲載されていることを確認しました。
 
 
 
130607_ofu
 
 
 


 岡嶌さんは、博士(文学)の学位を、國學院大學から取得しています。今日の國學院大學での授業では、まずこの話から始めました。

 この広告では、『林逸抄』の隣には、國學院大學の先輩である三苫浩輔先生のご著書があります。さらには、受講生たちのすぐ上の先輩である、大津直子さんが学位請求論文として昨秋刊行した本が、それに並んで掲載されています。
 こうして、身近なところで先輩たちが活躍していることを話し、後に続いてくれるように期待する思いを伝えました。

 今日は、科研の報告書である『日本文学研究ジャーナル 第2号』(伊井春樹編、国文学研究資料館、2008.3)をもとにして、海外における日本文学研究の現状を確認しました。
 
 
 
130607_jarnal2
 
 
 
 ドナルド・キーン先生の日記に対する考え方に始まり、ロイヤル・タイラー先生、ネルソン先生、パンディー先生などなど、海外の先生方のものの見方や切り口の妙を話しました。

 大学院生は、日頃はなにかと指導教授のエリアに安住しがちです。前期2年、後期3年という限られた時間の中では、なかなか新しい分野に手を付けることは困難であり、また成果も上がらないと思います。ましてや、視線を海外にまで向けることはないようです。そうであるからこそ、目を転じて、海外の研究者の研究手法や成果を見ると、意外な切り口を得られることがあるのです。

 そんな認識を共有することの必要性を、一緒に考えました。
 
 
 

2013年6月 6日 (木)

古典籍の調査に関する2人の講演

 今日は国文学研究資料館で、国文学文献資料調査員会議がありました。

 日本の古典藉に関して、全国に散在するそのすべてを調査し、さらにフイルムやデジタルの画像として収集するのが、国文学研究資料館の大きな仕事です。これは一般に公開されているので、全国各地の所蔵先に足を運ばなくても、立川に来れば多くの典籍や資料が画像として確認できるのです。これは、計り知れない恩恵を、研究者をはじめとする多くの方々に提供しているのです。

 この悉皆調査のために、全国にたくさんの調査員の先生方がおいでになります。そのみなさまが年に一度集まり、調査の確認と情報交換をするのです。北海道から九州までの各大学や機関の先生方80人がお集まりでした。

 担当する地域の先生方との打ち合わせを終えると、後半は講演会です。
 今回は、専門的で硬い題目が並んでいました。しかし、私はこれを楽しみにしていました。

 落合博志先生(国文学研究資料館)は「仏書から見る日本の古典籍」という題で、古典藉の本の形態や装訂に関するお話でした。特に、あくまでも仮称だとしながらも「双葉装」というものに関する話は、おもしろく聞きました。糊を使っている粘葉装によく似てはいても、糊ではなくて糸や紙縒りで綴じた本のことです。「折紙双葉装」については、実際に紙を折ってその仕組みを体験できました。

 堀川貴司先生(慶應義塾大学付属斯道文庫)は「漢籍から見る日本の古典籍─版本を中心にして─」と題する講演で、紙に印字されている文字を中心とした話でした。図版を多用しての話だったので、よくわかりました。
 今回の話で、古典籍に見られるルビの問題は、私がいままで注意していなかっただけに、そのありようがおもしろいものだと再認識しました。『源氏物語』でも、異文注記なのか読み仮名なのか、私はこれまであいまいなままで処置してきました。写本などにおける本文書写の伝承なのか、写本を読む上での補助的性格のルビなのか、今後はよく実態を見ていきたいと思います。

 私自身が不勉強なために持ち合わせていない知識を、こうした機会に補うことになります。さらには、視点を変えて考えさせてもらえるのです。今日もいいヒントをたくさんいただけました。ありがたいことです。
 
 
 

2013年6月 5日 (水)

新出の源氏絵を堪能する

 今日は、『源氏物語』の各巻を描いた扇面画を、じっくりと拝見する機会を得ました。
 淡く彩色されたもので、丹念に絵筆が使われています。土佐派の手になるもののようです。
 小振りなので、メガネを掛けたり外したりと、忙しいことです。
 どの巻のどの場面を描いたものなのか、ああでもない、こうでもないと、推理を逞しくします。

 繰り返し描かれてきたパターンがあるので、メガネのピントが合わなくても、おおよそはわかります。わからない図様の絵は、手近な図録のページを繰りながら、よく似た構図の絵を探します。朧気な記憶を頼りに、『源氏物語』の場面当てゲームを楽しみました。

 総体的に、庭の植物が淡泊な描かれ方をしているように見えました。これまで、あまり見掛けない図様もありました。どうしても同じ巻を描いたとしか思えない絵が、いくつかありました。54枚のセットが2組あったと考えていいでしょう。
 土佐光則前後の源氏絵と較べると、おもしろいことがわかることでしょう。

 新しい資料に接すると、いろいろと想像がふくらんでいきます。そして、残りのツレの出現が待ち遠しく思われます。日本には、『源氏物語』に関するいろいろな受容資料が、まだあるところには眠っているようです。長生きをして、1点でも多く見たいとの思いを強くしました。

 夕刻になってから上京しました。晩ご飯は、京都駅構内の伊勢丹で買った、「京都きたやま南山」の「糖質オフ焼肉弁当」です。
 
 
 

130605_yakiniku1_8
 
 
 

 以前、「京洛逍遥(273)SUVACO・ジェイアール京都伊勢丹」(2013年4月30日)で紹介した弁当です。あの時は食べるのが先で、中の写真を撮らずじまいでしたので、今日は忘れずに。
 
 
 

130605_yakiniku2
 
 
 

130605_yakiniku3
 
 
 

 牛肉の右に、もやしと豆腐干糸とが盛られています。

 そうこうする内に、過日決定した池田亀鑑賞について、岡嶌偉久子さんの『林逸抄』が受賞したことに関する情報が入りました。朝日新聞の朝刊1面下の広告枠が取れた、とのことです。6月7日に東京から以北に、11日に中部から以西に掲載される予定だそうです。
 こうした広告も含めて、池田亀鑑賞が一人でも多くの関係者に知られるように、折々に情報を流していきたいと思います。
 
 
 

2013年6月 4日 (火)

図書館に展示されていた本を風景として撮影する

 岡崎公園の中にある京都府立図書館に、数年来ずっと続けている調査のために行きました。
 その帰りに、ふと出入り口のそばの特設コーナーで、後輩の新刊書が、表紙をこちらに向けて陳列されているのが目に飛び込んで来ました。
 
 書棚の1段分を空け、そこに2冊の本が表紙を表にして立て掛けてあります。太田敦子さんの『源氏物語 姫君の世界』(新典社研究叢書238、2013年4月)がそれです。隣には、中井和子さんの『源氏物語と仏教』(東方出版、1998年9月)が並べて置いてありました。

 この図書館では、入ってすぐ左側の壁際に『源氏物語』に関する本を集めたコーナーが特別に設置されています。図書館の書棚は、1冊でも多く収納するために背中を見せて並んでいます。しかし、ここでは注目してほしい本が表紙を見せて並べられているのです。書店で見掛ける、話題の本の並べ方です。

 太田さんの本が、その一角を占拠して並んでいたので、これは本人に知らせようと思い、閲覧カウンターの方に事情を言って写真を撮影してもいいのかを尋ねました。すると、別の方と話し合われ館内電話をし、4階の事務室で相談してください、ということです。館内での写真は禁じられているためだそうです。

 4階へ上がると、お2人の責任者だと仰る方がお出でになりました。ソファーに案内され、事情を聞かれました。こちらの動機は単純で、知り合いが出版した本があのようにして並べられることは、非常に名誉でもあり幸運なので、そのことを本人に知らせたい、と説明しました。京都のこの図書館でこうした扱いを受けることは、一生に一度あるかないかなので、記念写真を撮って本人に送りたいと思う、という事情を話したのです。

 責任者の方はお2人とも、個人的には問題もなくていいことだと思うが、図書館のルールとして館内での撮影は人権などの配慮からトラブルがあるといけないので、原則としてはできないことになっている、とのことです。ただし、今回の場合は……と一緒に思案してくださいました。そして、閉館後なら、とかいろいろと提案を示されました。

 私がすなんりと諦めなかったこともあるのでしょうか。それでは「撮影許可願」を書いてもらい、責任者が立ち会いのもとに撮影してもらいましょう、ということになりました。
 意外とおおごとになり、こうした展開に戸惑いながら、好意的な配慮に感謝しつつ「願い書」を書きました。
 書式はない、とのことだったので、「特設コーナーの風景を撮影する」という理由にしました。

 担当者の方は、一緒にエレベータで1階へ降りる途中で、こんなことは初めてで、お役所なので面倒なことですみません、と仰っていました。
 私は東京の住所と電話番号を書類に書いただけだったので、担当者の方と名刺交換はしていません。どうしようかと迷ったのですが、私の個人的なことは住所と名前以外は何も問われることもなく、流れのままに対応してくださいました。
 相手の素性ではなくて、目的と意図することだけを確認するという、美事な対応だったと、今思い返しても感心しきりです。
 とにかく、こちらの我がまま勝手な事情にもかかわらず、理解を示してくださいました。そして、気持ちのいい対応をしてくださったことに、感謝しています。

 1冊の本とは言え、書いた者にとっては思い入れがあるのです。どのように社会に受け入れられているのか、書いた本人はいつも気になるものです。今回の場合は、遠く離れた京都の地で、こうして多くの方の目に触れるような厚遇を受けているのです。これも短期間の処置であり、すぐにまた別の本が並べられることでしょう。

 本人が知らないままではもったいない出来事なので、こんな我がままを言い、図書館の方のご高配をお願いしたしだいです。それを聞き入れて許可してくださったお2人の方には、こんなブログという形では伝わらないかと思いながらも、いつかこの記事をご覧になることもあるのでは、との思いから、こうして記し残しておくことにしました。

 なお、太田さんについては、かつて本ブログの「太田敦子著『源氏物語 姫君のふるまい』は電子本が相応しい」(2010年5月24日)で取り上げました。ただし今回の本は、博士(文学)の学位申請論文が基になったものであり、紙媒体で残すべき価値の高い本だと思います。

 今後とも、多くの本が出版されることでしょう。しかし、私は、紙媒体と電子媒体を使い分けて刊行すべき時代になっていると、かねてより主張しています。そうした視点で、身の回りに流通する書籍を眺めています。それは、自分が書き、編集して刊行する本を客観的に見る上でも変わりません。

 個人的には、わざわざ紙に印刷して刊行する必要のない本が氾濫している、と見ています。
 電子媒体で世に問い、その後に紙媒体での印刷を考えればいいと思います。
 その際、オンデマンドという出版流通手法もあるのです。
 ただし、この考え方は、出版社のあり方を問い直すものでもあります。
 音楽がネット配信になったこととは、同列には論じられません。
 しかし、各社の出版点数と内容を見ていると、今後の出版社の本作りが変革を余儀なくされることは明らかでしょう。

 今の時代の趨勢を見ていると、《私家版のすすめ》をもっと主張したくなります。
 そういえば、私は多くの私家版を発行してきました。このことは、また後日くわしく記します。
 
 
 

2013年6月 3日 (月)

血糖値が上がった原因はお菓子?

 今朝の体重は、最近の目標である50キロをクリアして、50.4キロでした。昨日は51キロありました。当面の体重50キロという目標は、何とか達成しています。これは、我が身の軽量が気がかりだった日々を、明るくしてくれる材料となっています。ダイエットをしている方には申し訳ありません。

 やはり、体重が50キロあると気分的に楽です。40キロ台を行きつ戻りつしていると、どことなく自分が病人であることを常に自覚する日々なのです。気の持ちようなのでしょう。しかし、東京の深く潜る地下鉄などで、地底から吹き上げるかのような風に飛ばされそうになると、おのれのひ弱さを実感します。情けないことですが。

 2ヶ月毎に、京大病院へ血液検査と診察に行っています。
 途中の賀茂大橋からは、如意ヶ岳の大文字がきれいに望められました。
 
 
 
130603_daimonji
 
 
 

 ひたすら賀茂川を南へ南へと自転車を漕いで行きました。自宅から15分で、正面玄関に到着します。

 今日の京大病院での検査では、ヘモグロビン A1cは「7.4」(国際基準値)でした。2ヶ月毎に測定している値は、2月「6.9」、4月「6.9」だったので、4月以降この2ヶ月間で大きく跳ね上がりました。
 もっとも、私は個人的に、中野駅前のケアプロで1ヶ月後の値も計測しています。それによると、3月5日「6.6」、5月7日「 7.2」だったので、今回に至るのは徐々に上がってきた、というのが正確です。


 6.9 → 6.6 → 6.9 → 7.2 → 7.4

 最近改正された指針によると、「7」以下が目標値となっています。

 このところ、血糖値を気にしながらも、体重を増やすことを優先した食事をしていました。また、最近はとみに一回の食事量が減っていたので、食事の回数も5回以上と多くなっていました。
 知らず知らずのうちに、少量ずつながらも糖質が蓄積されていたのでしょう。血糖値が高くなりそうな食事のときだけ、病院からもらっていた薬のベイスンを飲んでいました。小刻みに食べていたことと、この薬の使い方がよくなかったようです。

 昨夏、1ヶ月の検査入院で、私の身体内で起こる、血糖値が上がるパターンはわかっていたはずです。しかし、どうやら何かが違っているようです。薬に頼った生活をしたくないので、いろいろと工夫をしてきたつもりです。

 主治医の長嶋先生からは、ベイスンという消化を遅らせる薬は、とにかく毎日毎食前に飲むように、とのことです。そうすれば、確実に下がるから、と。糖質制限食の時でも、飲んだ方がいいそうです。糖質制限はすすめない先生です。豊かな食生活、というものを大切にしたいとの思いを持っておられるのです。
 しかし、私は内心、まだ素直になれないのです。何かが違うのです。

 ここ2ヶ月間、そんなに大量の炭水化物を摂る食事だったかな? と自問しました。それにしても上がり過ぎです。ヘモグロビン A1cが「6」台になるように、心して食事に気をつけます。ただし、体重は50台をキープすることは、今後とも守りたいことです。

 この検査結果を、東京にいる妻に伝えました。すると、妻からは


お菓子です。
パリパリのお菓子は、すべて糖質の塊なので、少しならと思っていましたが食べ過ぎ。

というメールが返ってきました。

 確かに、思い当たります。

 私は、1日に10杯ほどのコーヒーを飲みます。その時に、何となくパリパリと歯ごたえのあるものを一緒に食べたくなるのです。そして妻のメールは、


おかき、煎餅、和菓子、クッキーなどはダメです。
チーズ、木の実の生活に戻って下さい。

と続いています。

 妻は、お弁当や日々の食事のことをよく考えてくれています。しかし、私の方が、コーヒーを頻繁に飲むのので、そんな時にお菓子を食べ過ぎていたようです。今回の高い数値は、どうやら私にあるようです。思い当たることがたくさんあります。

 次の検査は8月の中旬です。
 血糖値以外では、鉄分が不足気味であることは、いつも言われていることです。そのためもあって、メチコバールという薬を飲んでいます。これは、末梢性神経障害を改善する薬です。
 また、私は消化管がないために、便秘になりがちです。それを改善するために、マグミットという錠剤も処方されています。この2つの薬は、私にしてはめずらしく、素直に毎食後に飲んでいます。この2種類の薬が、いろいろと体調を整えてくれていると思っています。

 これまで通りの生活を続ける中で、この、コーヒーを飲む時に口にしていたお菓子を、とにかく制限しようと思います。まさに、「お菓子制限生活」です。私の場合は、スイーツではありません。パリパリと歯ごたえのあるお菓子なのです。こうなると、どうしてもその代わりになるものを探すことになります。それによって、次回にはヘモグロビン A1cの値が大きく改善されているように、新たな楽しみの指標にしたいと思います。

 とにかく、自分の身体のことなので、自分に一番あった方法で、血糖値を管理していくつもりです。

 帰り道の葵橋のたもとで、鷺と鴨が一緒に遊んでいました。
 
 
 
130603_sagi1
 
 
 

 これまでにあまり見かけなかった鷺君(さん?)を見つけました。
 
 
 
130603_sagi2
 
 
 

 賀茂川上流の鷺たちは、もう家族と言ってもいいくらいに親しんでいます。
 これからも折々に、その姿をここで紹介していきます。
 
 
 

2013年6月 2日 (日)

京洛逍遥(278)おだやかな初夏の賀茂川風景

 賀茂の川面を渡る川風が心地よい1日でした。
 ゆったりとした川の流れを臨み、2羽の鷺が世間話でもしているようです。
 もうかりまっか? ぼちぼちですわ という会話が聞こえてきそうです。
 
 
 
130602_2sagi
 
 
 
 そのすぐ傍で、川原の草を刈っておられる方が見えました。
 
 
 
130602_kusakari
 
 
 

 市の清掃局の方ではないようです。
 1ヶ月前も、お休みの日を利用してだったのでしょうか。一人で黙々と川のお掃除をしておられる方がいらっしゃいました。「京洛逍遥(275)おだやかな連休の最終日」(2013年5月 6日)
 今日も、草刈りをなさっているのは、あの方かもしれません。
 いずれにしても、ご苦労さま、と頭が下がります。

 この前の中洲は、あれから10日ほど経った頃に、通りがかったので写真を撮っていました。
 
 
 
130514_nakasusouji
 
 
 

 そして、今日のこの中洲は、こんなにスッキリとしていました。
 
 
 
130602_nakasusima
 
 
 

 お目にかかってお礼を、ということもできません。
 おじさん、ありがとうございます。
 
 
 

2013年6月 1日 (土)

館長科研の研究会で研究報告

 今西祐一郎・国文学研究資料館館長の科研研究で、本年度第1回目の研究会が昨日ありました。
 プログラムは以下の通りでした。


(1)〈ご挨拶〉今西祐一郎
(2)相田満「知識の基層をなす漢字オントロジをめぐる考察と分析─『古事記』の場合─」
(3)阿部江美子「国文研蔵『夫木和歌抄』の写本・版本・濱口本の漢字・かな使用比率について(和歌)」
(4)伊藤鉄也「国文研蔵『夫木和歌抄』の写本・版本・濱口本の漢字・かな使用比率について(詞書・左注)」
(5)阿部江美子「榊原本の漢字・かなの使用比率」
(6)阿部江美子「榊原本の影印本とウエブ版における欠脱画像について」
(7)阿部江美子・淺川槙子・伊藤鉄也「なんでも鑑定団に出品された『源氏物語』の本文」

 相田先生の発表は、『古事記』と『千字文』をめぐる漢字の使用に関する発表でした。膨大な資料を駆使しての、詳細な研究の成果です。

 阿部さんと私は、『夫木和歌抄』における写本・版本・濱口本相互の漢字・かなの使用比率を調査したことを踏まえ、その結果を報告しました。これは、この研究会ではこれまでに『源氏物語』を中心とした物語の文字を扱ってきたので、今度は和歌の傾向をみようとしたものです。
 文字の使用比率の調査に関しては、神田久義君が作成したエクセルのマクロを活用しています。
 『夫木和歌抄』の本文は、「国文学研究資料館の本文共有化のプロジェクト」が刊行した、『平成17年度研究成果報告書 夫木和歌抄データベース[DVD]』(平成18年3月、国文学研究資料館)所収のデータを活用しました。

 これまでの本科研での調査結果では、鎌倉時代から室町時代にかけては漢字よりもかなが多く用いられていることが、すでに何度も確認されています。古い写本では、漢字が2割前後という傾向が顕著でした。室町から江戸時代の版本になると、それが逆転して、漢字が8割にものぼります。そして、江戸時代の後期の版本では、また漢字の使用比率が低くなるのです。

 今回の調査では、『夫木和歌抄』もほぼ同じ結果でした。ただし、和歌の部分はそうであっても、左注に関しては、室町時代に写されたと思われる写本の濱口本だけは、漢字とかながほぼ同じ比率を示したのです。この特殊な現象に関する原因や理由は、まだわかりません。今後とも、調査を進めていきたいと思います。

 最後に、先日のテレビ「なんでも鑑定団」(平成25年5月21日放送)に出品された『源氏物語』の本文に関して、それが日本大学蔵の三条西家証本にほぼ一致するものであることを報告しました。
 これは、テレビに映し出された写本の本文部分を、手持ちの本文データベースに当てはめて確認したものです。テレビ画面に映し出された写本の墨付き部分の映像をもとに、「桐壺」「帚木」「朝顔」「柏木」「鈴虫」を、研究仲間の淺川槙子さんが丹念に読み取った資料が、その基になっています。

 この日大本とテレビで紹介された『源氏物語』の本文を校合した結果を、淺川さんが次のようにまとめてくれました。昨日の研究会では時間の関係で、この資料は提示しませんでした。記録として、ここに掲載します。

 この番組を録画なさっていた方で、以下の翻字の不備に気づかれた方は、ぜひお知らせいただければ幸いです。


■「なんでも鑑定団に出品された『源氏物語』の本文について」淺川槙子■

 ☆三条西家本との比較

 上段の【な】が鑑定団に出た本、下段の【三】が日本大学蔵三条西家本。
 三条西家本は『影印資料 日本大学蔵源氏物語』(八木書店、1994年)を使用した。
 漢字とかなの違いは[ ]で、異文や表記の違いは《 》で表示した。

---------------------------------------------------------------------
 「桐壺」

◎冒頭一丁オ
①【な】いつれの御時にか女御更衣あまたさふ
 【三】いつれの御時にか女御更衣あまたさふ

②【な】らひ給けるなかにいとやむことなきゝ
 【三】らひ給けるなかにいとやむことなきゝ

③【な】はにはあらぬかすくれてときめき給ふ
 【三】はにはあらぬかすくれてときめき給ふ

④【な】ありけりはしめよりわれはとおもひあか
 【三】ありけり・はしめよりわれはとおもひあか

⑤【な】り給へる御かた/\めさましきものに
 【三】り給へる御かた/\めさましきものに

⑥【な】をとしめそねみ給おなしほとそれより
 【三】をとしめそねみ給おなしほとそれより

⑦【な】下らうの更衣たちはましてやすから
 【三】下らうの更衣たちはましてやすから

⑧【な】すあさゆふのみやつかへにつけても人
 【三】すあさゆふのみやつかへにつけても人

⑨【な】の心をうこかしうらみをおふつもりに
 【三】の心をうこかしうらみをおふつもりに

⑩【な】やありけ《ん》いとあつしくなりゆき物
 【三】やありけ《む》いとあつしくなりゆき物

---------------------------------------------------------------------
 「帚木」

 五月雨の夜の宿直に、女の品定めが始まる場面「右のおとゝのいたはりつゝかしつき給ふすみかはこの君もいとものうくしてすきか」の後から。

◎見開き一枚目
①【な】ましきあた人なりさとにてもわかかたの
 【三】ましきあた人なりさとにてもわかかたの

②【な】しつらひまはゆくして君のいて
 【三】しつらひまはゆくして君のいて

③【な】入し給にうちつれきこえ[たまひ]つゝ
 【三】入し給にうちつれきこえ[給]つゝ

④【な】よるひるかくもむをもあそひをもも
 【三】よるひるかくもむをもあそひをもも

⑤【な】ろともにしてをさ/\たちをくれ
 【三】ろともにしてをさ/\たちをくれ

⑥【な】すいつくにてもまつはれきこえ[給]ふ
 【三】すいつくにてもまつはれきこえ[たま]ふ

⑦【な】ほとにをのつからかしこまりもえをか
 【な】ほとにをのつからかしこまりも《え》をか
        (「え」ヲ見せ消ちノ後「本無」)

⑧【な】す心のうちにおもふことをもかくしあ
 【三】す心のうちにおもふことをもかくしあ

⑨【な】へすなんむつれきこえ給けるつれ/\と
 【三】へすなんむつれきこえ給けるつれ/\と
 
⑩【な】ふりくらしてしめやかなるよひの雨に
 【三】ふりくらしてしめやかなるよひの雨に

◎【次の丁】
①【な】殿上にも《お》さ/\人すくなに御とのゐ所
 【三】殿上にも《を》さ/\人すくなに御とのゐ所

②【な】もれいよりはのとやかなる心ちするに
 【三】もれいよりはのとやかなる心ちするに

③【な】おほとなふらちかくてふみともなと[み]
 【三】おほとなふらちかくてふみともなと[見]

④【な】給ちかきみつしなる色々のかみなる
 【三】給ちかきみつしなる色々のかみなる

⑤【な】ふみともをひきいてゝ中将わりなくゆ
 【三】ふみともをひきいてゝ中将わりなくゆ

⑥【な】かしかれはさりぬへきすこしは[み]せん
 【三】かしかれはさりぬへきすこしは[見]せん

⑦【な】かたはなるへきもこそとゆるし給はね
 【三】かたはなるへきもこそとゆるし給はね

⑧【な】はそのうちとけてかたはらいたしと
 【三】はそのうちとけてかたはらいたしと

⑨【な】おほされんこそゆかしけれをしなへたる
 【三】お《ほ》されんこそゆかしけれをしなへたる
    (「ほ」ノ後ニ「しめ」ト補入)

⑩【な】おほかたのはかすならねとほと/\に
 【三】おほかたのはかすならねとほと/\に

◎見開き二枚目
 頭中将の言葉である、「女の『これはしも』と、難つくまじきは難くもあるかな」と、やう/\なん、見給へ」の後から。

①【な】しるたゝうはへはかりのなさけにてはし
 【三】しるたゝうはへはかりのなさけにてはし

②【な】りかきおりふしのいらへ《は》心えてうちし 
 【三】りかきおりふしのいらへ心えてうちし

③【な】なとはかりすいふんによろしきもおほ 
 【三】なとはかりすいふんによろしきもおほ

④【な】かりと見給ふれとそもまことにそのかた
 【三】かりと見給ふれとそもまことにそのかた

⑤【な】をとりいてんえらひにかならすもるまし
 【三】をとりいてんえらひにかならすもるまし

⑥【な】きはいとかたしやわか心えたることはか
 【三】きはいとかたしやわか心えたることはか

⑦【な】りを[を]のかしゝ心をやりて人をはおと
 【三】りを[お]のかしゝ心をやりて人をはおと

⑧【な】しめなとかたはらいたき事おほかりおや
 【三】しめなとかたはらいたき事おほかりおや

⑨【な】なとたちそひもてあかめておひさき
 【三】なとたちそひもてあかめておひさき

⑩【な】こもれる[まと]の中なる[程]はかたかと
       (「まと」ニ合点アリ)
 【三】こもれる[窓]の中なる[ほと]は《たゝ》かたかと

◎【次の丁】
①【な】きゝつたへて心をうこかすこともあめ
 【三】きゝつたへて心をうこかすこともあめ

②【な】りかたちをかしくうちおほときわかや
 【三】りかたちをかしくうちおほときわかや

③【な】かにてま《か》るゝ事なき程はかなきすさ
 【三】かにてま《き》るゝ事なき程はかなきすさ

④【な】ひをも人まねに心をいるゝこともあるに
 【三】ひをも人まねに心をいるゝこともあるに

⑤【な】をのつからひとつゆへつけてしいつる事も
 【三】をのつからひとつゆへつけてしいつる事も

⑥【な】ありみる人をくれたるかたをはいひかく
 【三】ありみる人をくれたるかたをはいひかく

⑦【な】しさてありぬへきかたをはつくろひて
 【三】しさてありぬへきかたをはつくろひて

⑧【な】まねひいたすにそれしかあらしとそら
 【三】まねひいたすにそれしかあらしとそら

⑨【な】にいかゝはをしはかり思くたさんまことかと
 【三】にいかゝはをしはかり思くたさんまことかと

⑩【な】[み]もてゆくにみをとりせぬやうはなく
 【三】[見]もてゆくにみをりせぬやうはなく

---------------------------------------------------------------------
 「朝顔」

◎冒頭 一丁オ
①【な】齋院は御ふくにておりゐ[給]にき
 【三】齋院は御ふくにておりゐ[たまひ]にき

②【な】かしおとゝれいのおほしそめつる[事]
 【三】かしおとゝれいのおほしそめつる[こと]

③【な】たえぬ御くせにて御とふらひなと
 【三】たえぬ御くせにて御とふらひなと

④【な】いとしけう[聞]え[給]宮わつらはし
 【三】いとしけう[きこ]え[たまふ]宮わつらはし

⑤【な】かりし事をおはせは御[かへり]も[打]と
 【三】かりし事をおはせは御[返]も[うち]と

⑥【な】けてきこえ給はすいとくち
 【三】けてきこえ給はすいとくち

⑦【な】おしとおほしわたる[九月]になりて
 【三】おしとおほしわたる[なか月]になりて

⑧【な】[桃]その《の宮》にわたり《に》給《ひ》ぬるを
 【三】[もゝ]その《ゝ宮》にわたり給ぬるを

⑨【な】聞て女五の宮そこにおはすれは
 【三】きゝて女五の宮《の》そこにおはすれは

⑩【な】そなたの御とふらひにことつけて
 【三】そなたの御とふらひにことつけて

---------------------------------------------------------------------
 「柏木」

◎冒頭 一丁オ
①【な】えもんのかんの君かくのみなやみ
 【三】えもんのかんの君かくのみなやみ

②【な】わたり給[事]猶をこたらてとしも 
 【三】わたり給[こと]猶をこたらてとしも

③【な】かへりぬおとゝきたのかたおほし
 【三】かへりぬおとゝきたのかたおほし

④【な】なけくさまを[見]たてまつるに
 【三】なけくさまを[み]たてまつるに

⑤【な】しゐてかけはなれな《む》いのちのかひ
 【三】しゐてかけはなれな《ん》いのちのかひ

⑥【な】なくつみおもかるへき事を[おも]ふ
 【三】なくつみおもかるへき事を[思]ふ

⑦【な】心は[心]としてまたあなかちにこの
 【三】心は[こゝろ]としてまたあなかちにこの

⑧【な】世にはなれかたくおしみとゝめま
 【三】世にはなれかたくおしみとゝめま

⑨【な】ほしき身かはいはけなかりしほと
 【三】ほしき身かはいはけなかりしほと

⑩【な】より[思]ふ心ことにてなに事をも人
 【三】より[おも]ふ心ことにてなに事をも人

---------------------------------------------------------------------
 「鈴虫」

◎冒頭 一丁オ
①【な】なつころはちすの花のさかりに入道の
 【三】なつころはちすの花のさかりに入道の

②【な】姫[宮]は御ち仏ともあらはし給へるくや
 【三】姫[みや]は御ち仏ともあらはし給へるくや

③【な】うせさせ《給》このたひは《お》とゝの[君]の
 【三】うせさせ《給ふ》このたひは《を》とゝの[きみ]の

④【な】御[こゝろ]さしにて御ねんすたうのく
 【三】御[心]さしにて御ねんすたうのく

⑤【な】ともこまかにとゝのへさせ[給]へるをや
 【三】ともこまかにとゝのへさせ[たま]へるをや

⑥【な】かてしつらはせ《給》はたのさまなと
 【三】かてしつらはせ《たまふ》はたのさまなと

⑦【な】なつかしう[心]ことなるからの錦を
 【三】なつかしう[こゝろ]ことなるからの錦を

⑧【な】えらひぬはせ[給]へりむらさきの[上]そいそ
 【三】えらひぬはせ[たま]へりむらさきの[うへ]そいそ

⑨【な】きさせ給ける[花]つくえのおほひなとの
 【三】きせさせける[はな]つくえのおほひなとの
  (前カラ二文字目「せ」ノ後ニ「給」ト補入)

⑩【な】をかしきめそめもなつかしうきよら
 【三】をかしきめそめもなつかしうきよら

 
 その後、立川駅前で懇親会がありました。いつものように10名以上もの参加者で、日頃はあまり突っ込んだ話ができないこともあり、こうした場では貴重な情報交換ができます。

 懇親会を散会した後、私は立川駅前から夜行バスで京都へ向かい、今朝、京都駅前に着きました。
 自宅に帰る前に、下鴨神社へお参りをしました。

 下鴨神社は私の大好きなところです。ご町内下鴨の氏神さまということもあり、散策の途次によく立ち寄ります。本殿と干支の社をお参りしています。
 今朝も、NPOのことや、現在編集を進めている数冊の本のことなど、いろいろと神さまに報告しました。賀茂の御祖の神さまに、どこまで伝わっているのかはともかく、何でも理解して見守ってくださる神さまだと思っているので、こうしてフラリと来ては手を合わせています。

 早朝の境内には、数人しか人がいません。
 朝日を浴びる楼門は、気持ちを覚醒させてくれます。
 
 
 

130601_roumon_2
 
 
 

 楼門の脇に建つ橋殿の下には、みたらし池から奈良の小川に注ぐ水面に、かすかに回廊の塀が映っていました。
 
 
 

130601_hasidono
 
 
 

 みたらし池の前に架かる輪橋は、尾形光琳の絵のモデルになった梅で有名です。
 これも、私の好きな風景です。
 
 
 

130601_sorihasi
 
 
 

 境内をぐるりと左回りに見て、帰り路の西方向左側に舞殿・神服殿・鳥居が、右手に授与所・葵生殿(結婚式場)が見えます。
 ここに来ると、昨年の3月、娘たちの結婚式の折、この葵生殿に入る直前に雨が奇跡的に上がったことを思い出します。
 
 
 

130601_maidono
 
 
 

 相変わらず慌ただしい日々です。
 しかし、こうして充実した毎日が送れることに、ありがたいことだと感謝しています。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

Powered by Six Apart
Member since 07/2008