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2013年8月13日 (火)

お盆の法要の後に河内高安へ墓参

 今年も息子が朝早くから来て、仏さんのお膳を作ってくれました。普段はイタリアンの料理人ですが、日本料理の勉強もしているので、手を抜かない本格的なものです。おじいちゃんやおばあちゃんの口に合うように、しっかりと味付けをしたそうです。
 
 
 
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 野菜は、妻の実家の秋田から、今朝届いたばかりの取れたてです。

 姉が孫3人を連れて、お参りに来てくれました。賑やかなお盆となりました。

 養林庵の庵主さんが、今年も元気に来てくださいました。85歳をとっくに超しておられます。
 
 
 
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 読経が終わると、いつものように楽しい話をしてくださいます。我々を子供のように思って、京都の風習などを教えてくださいます。

 私が、30年も使っている廻り灯籠の提灯の部分が破れだしたので、今朝も一生懸命和紙で補修したことを話しました。すると、京都では賑やかな灯籠は出さないそうです。その代わり、野菜で飾るのだとか。
 我が家も、妻の実家も曹洞宗なので、本山は永平寺です。京の禅宗のようすを、こうして少しずつ教えていただいているのです。
 そして、お宅はこれまで通り出しときはったらよろしい。壊れたら処分して、それでおしまいにしはったらええんどすえ。と、何とも融通無碍で、いつも気持ちを楽にしてくださいます。

 床の間に掛かっている西国三十三所の朱印軸を、興味深くご覧になっていました。これをこの家で掛けるのは初めてなので、庵主さんには初見の軸です。ご詠歌が書いてあるので、珍しいと仰っていました。これは、3年前に私が手術後、3ヵ月をかけて一人で回ったものです。スタンプラリーの気分で、西国三十三所はもう5周以上していると思います。

 今年も我が家の木魚は、元気にいい音を響かせていました。これは、両親がずっと守り伝えてきたもので、戦時中は満州を往復したほどの貴重なものです。

 庵主さんを見送ってから、姉とその孫たちは下鴨神社の古本市に行ってから銀閣寺へ、我々はかつて住んでいた河内高安へ墓参に出かけました。

 お墓は、いつ来ても気持ちが改まります。私が結婚したのを機に、両親はお墓を島根県の出雲からこの高安の地に移しました。お陰で、こうして折々に足を運べます。ありがたいことです。
 晴れていたら見える小豆島や四国が、今日は霞んでいてまったく望めません。
 
 
 
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 帰り道は、かつて住んでいた高安の地を散策がてら、高安駅まで歩きました。両親と住んでいた家、新婚生活を過ごした家、通勤の途次に立ち寄ったお店などなど、旧懐の思いを語りながら高安駅に向かいました。
 
 
 
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 途中、平安時代から鎌倉時代にかけて歴代天皇や公家たちが往来した、京都と高野山を結ぶ京街道高野道(東高野街道)を通ります。私が小学校や中学校に通った道でもあります。前方の山が高安山で、その向こうに信貴山があり、さらに奥に大和平群があります。まさに、『伊勢物語』の世界です。
 
 
 
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 晩ご飯は、近鉄高安駅から鶴橋駅まで出て、高架下にある回転寿司屋「海幸」に決まりです。
 いつものように、海鮮サラダをたのみました。左上は、私が大好きな鱧です。東京ではほとんど口に出来ないのが残念です。
 
 
 
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 私は、サラダを出さない回転寿司屋は、近い将来、客足が遠ざかると確信しています。
 回転寿司に限らず、ほとんどの寿司屋でサラダはないかと聞くと、その反応は冷たいものです。しかし、これは自分で首を絞めていることに、早く気付いてほしいものです。これは持論です。
 
 
 


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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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