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2013年8月30日 (金)

千家のおじさんの訃報を聞いて

 先ほど、出雲におられた千家のおじさんが亡くなられたと、おばさんからの電話で知りました。
 先週の24日に他界され、27日に葬儀を終えたとのことでした。
 小さい頃から可愛がっていただいていたので、私にも連絡があったのです。

 千家のおじさん、と呼んでいるのは、島根県の斐伊川に懸かる神立橋の近くにある千家村(出雲大社領)に住んでおられたからです。
 小さい頃から、姉とよく千家へ泊まりに行きました。私が住んでいた出雲市古志町から簸川郡斐川町(現在の出雲市斐川町)へは、バスで神立橋を渡って行きました。築地松に囲まれた、大きな家でした。
 その後も、折々に声をかけていただき、何度か奈良にいた我が家にも来てくださいました。

 私が体調を崩していると風の便りで聞くと、肉太の筆文字で長文の手紙をくださいました。気が滅入っていた時などは、勇気づけられたものです。そんな手紙をいただいたことが何度かありました。その細やかな気遣いに、遠くから見守っていただいているという思いで、出雲を見やっては感謝していました。

 おじさんの家の近くには、万九千神社という、延喜式・出雲国風土記等にも出て来る古いお社があります。私は子供の頃、この境内でよく遊んでいました。

 出雲地方では、全国の八百万の神が毎年旧暦10月11日から1週間、出雲大社へ集合して神在祭が執り行われます。
 引きつづいて佐太神社で神在祭があり、最後に万九千神社で宴を開いて、ここから諸国の神社へ神様たちは帰って行かれるのです。
 この万九千神社は、八百万の神々が自分の国へ帰られる時が来たことを告げる「神等去出祭(からさでさい)」が行われた場所です。ここの地名を「神立(かんだち)」というのも、これに由来するそうです。

 古典の授業で「10月」のことは、全国的に「神無月」と教えています。しかし、私は小さい頃から「神在月」と教わってきました。今、出雲以外の地方では、学校の試験などで「神在月」と答えると、それは間違いとされるのでしょうか。

 今から25年前、おじさんが奈良の我が家に来られました。当時から私は、西国三十三所の観音巡礼をしていたのです。すると、おじさんは自分も一緒に連れて行ってくれとのことだったので、数日間ではありましたが10ヵ寺ほどを案内して回りました。

 押し入れから、その時の記念写真を探し出し、この記事を書きながら冥福をお祈りしているところです。
 亡母と娘と息子を連れての、西国三十三所の札所めぐりでした。特に、大阪から兵庫県を巡拝しました。

 千家のおじさんのことを思い出す縁とするために、札所巡りの写真を1枚だけ掲載しておきます。
 これは、兵庫県加西市にある一乗寺での記念写真です。ここは交通の便がよくないので、大変な思いをして行ったお寺です。
 
 
 
130830_senge
 
 
 
 この一乗寺には、最近では今から3年前に、自分の病気平癒を祈って行っています。参考までに、その時の巡礼記を引いて、おじさんと一緒に行った日の記憶を手繰り寄せたいと思います。
「西国三十三所(8)一乗寺」(2010/10/8)
 この前は時間の都合で3分の1しか回れませんでした。また次に、と約束したままで満願が果たせなかったことが残念です。

 おじさんは私を見ると、「てっちゃん、てっちゃん」と優しく呼びかけてくださいました。
 電話で話をしていても、いつも私の身体のことを心配してくださっていたことを思い出しています。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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