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2013年10月の31件の記事

2013年10月31日 (木)

待ちに待ったマドリッドの回転寿司

 高木先生から、何か食べたいものは? という問いかけに、待ってましたとばかりに、「回転寿司」と答えました。そして、それが4日目に、ついに実現しました。

 「ぎんざ」は、一見敷居が高そうですが、非常におもてなしの心がある回転寿司屋です。

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 何を考えているのか、『地球の歩き方』には、この店を大きく好意的に紹介しながらも、回転寿司屋さんだとは書いていません。回転寿司ということを、明らかに隠しています。これはいただけない、欺瞞的な編集態度です。
 インド編が使い物にならないように、このスペイン・マドリッド編も駄作のようです。私は、この『地球の歩き方』が大嫌いです。しかし、立ち寄った書店にはこれしかなかったので、心ならずも、仕方なしに買いました。

 この本の「グルメガイド」に「スペインの食事時間」という項目があります。
 ここに「11:00になるとオンセスと呼ばれるおやつを食べる。」(2013〜2014年版、132頁)とあります。しかし、現地のマドリッド育ちの学生さんたちに聞くと、この「オンセス」が何なのか知らない、とのことでした。

 さて、「ぎんざ」です。きれいなお店でした。
 店員の方の対応も丁寧です。

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 ご主人に、いろいろとお話を伺いました。
 ご出身は京都の宝ヶ池だとのことです。私の家の近くです。
 また、味は京風だとのことです。新鮮でした。
 私は、お寿司に必ずつけるポン酢をいただきました。これは、中で作ってくださいました。

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 値段は、日本の3倍ほどでしょうか。しかし、この素材なら、決して高くはありません。
 豆腐も自家製で、美味しくいただきました。

 お店を出ると、外はまだ警察がバリケードを築いて警戒中でした。

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 ここが国会議事堂の近くであることも、大いに関係しています。
 
 

2013年10月30日 (水)

美術展でスペインと日本のつながりを知る

 昨日、スペインから無事に帰国しました。
 ただし、メモの半分もまとめていないので、しばらくはスペインでの記録を整理していきます。

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 私の出番があった24日のことです。

 国際集会の後の夕刻から、エキシビションとして今回の趣旨とも合う、スペインと日本に関する美術展を観に、みんなで市内に出かけました。
 プラド美術館の近くにある CaixaForum です。


“Japonismo: la fascinacion por el arte japones”

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 日本の江戸時代に関する資料や情報が、スペインの美術館で展示されているのです。

 時を同じくして、日本の仙台市博物館でも、「特別展 伊達政宗の夢—慶長遣欧使節と南蛮文化」(10月4日〜11月17日)が開催されています。

 折しも、この日はスペインの教育に関する抗議行動が行われる日でした。学内でも、学生が授業料の値上げや奨学金に対する不満を表明して、シュプレヒコールを上げていました。
 日本の学生が平和ぼけで忘れてしまった、政治的な抗議活動です。あまり迫力は感じられません。しかし、学生らしい、爽やかさを感じました。

 旗を押し立てたデモ隊が、プラド美術館に近い公園に入るところと遭遇しました。

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 花火のような音と煙があがり、一瞬私は逃げる態勢をとりました。しかし、それだけで、特に危険な様子は見られません。

 さて、美術館では、展示室に入るとすぐに、伊達政宗の書状がありました。
 過日読んだばかりの「読書雑記(83)大泉光一『キリシタン将軍 伊達政宗』」(2013年10月18日)(126頁)にも出ていたものなので、その背景がよくわかりました。
 それは、支倉常長がセビィリャ市庁を訪問した時に、サルバティエラ市長に支倉が渡した、伊達政宗からの親書です(セビリャ市立文書館所蔵)。


大成天有主之御はからいを以 伴てれ 布羅い そてろ(後略)
          伊達陸奥守(花押)
             政宗(印)
  慶長十八年九月四日
  せひい屋 志たあて

 「伊達陸奥守政宗」とか「せひい屋」などという文字が、ハッキリと読めます。日本には皆無の資料なので、これは興味深い展示だといえます。

 日本とスペインの交流が、江戸時代以降連綿と続いていたことが、この展覧会の他の出品などからもよくわかりました。

 出口のミュージアムショップに、『源氏物語』のスペイン語訳がありました。

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 これは、Jordi FIBLA訳『源氏物語』(LA HISTORIA DE GENJI/Girona:Ediciones ATALANTA)の2冊本で、ロイヤル・タイラーの英訳『源氏物語』をスペイン語に翻訳したものです。

 この版がよく流通しているのでしょうか。
 時間があれば、書店などを回り、日本文学関係の書棚を見たいと思っています。
 
 

2013年10月29日 (火)

英文を表示しながら日本語で語り終えて

 マドリッドにおける4日目です。
 この日のプログラムの「Panel 2」のテーマは、「The Fine Art of Japanese Translation」です。
 これが、私の出番となるところです。

 朝から、用意した原稿を読みながら、細かい手を入れました。
 そして、娘から届いたさらなる改良版の英訳文を、スクリーンに映す上での微調整をしました。
 来場の皆さんは、スクリーンと手元の英文をご覧になるので、ここに一番気を遣います。

 今日の私の話は、自己評価をすれば大成功です。とにかく、国際会議での英語ばかりの中で、話の内容を英語で示しながらも、私は持論の日本語で語って奮闘したのですから。

 話を始めるにあたり、最初に挨拶文をスクリーンに映した時点でドッと沸いたので、これで成功を確信したしだいです。
 その文章は次のものです。
 


皆様お気づきのように、私は英語が得意ではありません。
As you are aware, I am not good at English.
 
そのため、私の発表は日本語で行います。
Therefore, I will give my presentation in Japanese.
 
その代わりに、発表内容の英訳を準備いたしました。
Instead, I prepared English translations of my presentation manuscripts.
 
皆様のお手元に配布されており、またスクリーンにも表示されます。
They are distributed to you, and also shown on the screen.
 
どうぞこちらをご覧ください。
Please have a look at them.
 
ありがとうございます。
Thank you.
 
それでは、私の発表に移らせていただきます。
Now, let me move onto my presentation.
 

 これをスクリーンに映し出し、ゆっくりと英語を読み上げました。

 その後は、英語と日本語の対訳でお話しする文章を表示し、私は日本語で語りかけました。
 スクリーンの左側が英文、右側が日本文です。

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 スクリーンの英文には、私が話している日本語に当たる部分をカーソルで範囲指定して、色をつけました。これで、今、私が英文のどこの部分を話しているのかがわかる仕掛けです。

 ただし、時々内容に関連するコメントを挟むことは忘れませんでした。
 実際に会場には、日本語がわかる方々ばかりなので、スクリーンの英文にはない私のアドリブに、時々ニヤリとしながら反応しておられました。

 日本語による国際集会という視点を大切に守らないで、世界の共通言語だという誤った認識のもとに、英語による話だけで発言を構成しては、英語が苦手な方の多い日本文学研究者、というよりも日本古典文学の研究者が参加できません。そのような日本文学に関する専門家の意見やアドバイスを受けない国際研究集会は、討議のレベルが上がりませんし、その後の研究も発展しません。

 海外における研究が実りあるものとするためにも、自分たちが話しやすい英語等のことばで自己満足しない方がいいと思っています。
 日本文学の国際集会では日本語で話すことで、日本で研究している専門家の意見を有効に消化吸収する場面となります。英語がわかる者だけの集会では、そこに参加できない大多数のすばらしい研究者の意見をどのように反映させるべきか、あらためて考えたいものです。

 日本文学関連の国際集会は日本語で、という私の持論は、こうした理由からです。今も大切にしている信念です。

 なお、翻訳に関する研究については、個人ではなくて、みんなで共同研究として取り組みませんか、という提案には、賛同が得られたようです。

 今回のお話の内容は、後日整理したものを掲載します。いましばらく、お待ちください。

 持ち時間以内に収まり、予定通りの進行でした。
 終わってから、みなさんからは、よくわかったと言っていただきました。

 ウィーン大学のラインハルト先生の奥様からは、多言語翻訳のテキストに、どうして『十帖源氏』を選んだのか、という質問を受けました。

 これに対して、私は次の4点を示してお答えしました。


(1)ウェブに画像が何種類も公開されていること
(2)絵が入っていること
(3)ダイジェストなのに、和歌が省略されずにすべて入っていること
(4)作者の野々口立甫は、さらに簡略化した『おさな源氏』も著していること

 今回、こうして無事に終わったのも、娘が短時間で私の文章を英訳してくれたことに尽きます。
 その英文を読む練習をして臨むことは、ペルーからの翻訳本が出発間際に届いたこともあり、最終原稿の完成が遅れたために叶いませんでした。
 しかし、私の出番の数時間前まで、映写する英訳原稿のレイアウトの調整を日本でしてくれた娘には、感謝感謝です。
 そして、地球の反対側に数秒で文書が届く、インターネットという仕掛けには、あらためてその威力を実感しました。

2013年10月28日 (月)

突然の吉報に浮かれることなくマドリッド自治大学へ

 スペインでは、あまりにも忙しいために、記事が前後します。
 以下は、23日(水)のことです。
 昨日の記事の前に置くことになるものです。

 朝、寝起きにメールを見たところ、心臓が天井まで飛び上がらんばかりの、うれしい知らせが日本から届いていました。
 国文学研究資料館の事務から、私が昨年11月に科学研究費補助金・基盤研究(A)として申請した研究課題「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」が、追加交付として採択されたと、いうことなのです。

 この研究課題については、本年4月の審査結果では不採択でした。ところが、一昨日、突然追加交付になった、ということなのです。
 今年度も、ほぼ同じ内容で基盤研究(B)としてワンランク落として再度申請しよう思い、すでに書類を完成させていた時だったのです。もうこの(B)は申請する必要がなくなったのです。

 この新たに採択された科研のことは、日本に帰ってから整理します。

 3日目のマドリッドは、この一通のメールで身も心も明るくなり、帰国する日が楽しみになりました。

 そうは言っても、翌日に迫った私の出番は確実に来るのですから、そのための準備を怠るわけにはいきません。

 慌ただしく、職場や日本の研究仲間にビッグニュースの連絡をし、マドリッド自治大学へ行くことにしました。

 昨日は、高木先生の教え子の学生さん2人に、ホテルまで迎えに来てもらえました。
 今日は、自力で行きます。
 地下鉄の自動券売機の使い方も、どうにかマスターしました。

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 いただいたプリントを見ても、すべてが英語で書かれているために、会場への行き方がよくわかりません。それでも、駅員さんなどに聞きながら、何とかして行くことができました。
 
 

2013年10月27日 (日)

国際集会のオープニングと原稿整理

 今回、マドリード自治大学東アジア研究センターで開催される、国際集会「Via japan:japan-imprinted discourses」(ヴィア・ジャパン:日本を通して形成されたもの)の3日目は、オープニングセレモニーです。

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 在スペイン日本国大使館公使の森下敬一郎氏の挨拶などで始まりました。

 基調講演として、オーストラリア・モナシュ大学の岩渕功一先生のお話がありました。
 日本のポピュラー文化について、興味深い内容でした。AKB48などの件は、会場の学生たちも興味津々です。

 英語がわからない私は、スクリーンに映し出される写真と、耳に届く単語の断片から、その内容を自分勝手に組み立てて楽しんでいました。
 司会進行は、アナ・ゴイ・ヤマモト先生です。

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 午後のパネルは欠席してホテルに帰り、明日お話しする原稿の整理をしました。
 英語と日本語の対訳原稿をスクリーンに表示し、私は日本語で語る、というものです。

 私の日本語の原稿を英語に翻訳してくれた娘からは、会場でスクリーンに映写した時に見やすいレイアウトにした、非常に完成度の高い改訂版を送ってくれました。

 また、お話をする前の挨拶代わりの文も、娘が作ってくれました。
 なかなか気の利いた文章です。
 ホテルの部屋で、何度も英語を発音して練習をしました。

 夜は、明日のために栄養を摂る意味から、ホテルの前にあるレストランへ行きました。
 安くて、おいしくて、しかも山盛りで出てきます。小食の私には、とても食べきれません。持ち帰り用に包んでいただきました。

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 また、カウンターの中では、生ハムを切っておられます。

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 マドリッドの生ハムは、食べ歩くと楽しそうです。
 ホテルの朝食は、たくさんの料理から選ぶビュッフェ形式です。しかし、どうしたことか、野菜が皆無です。
 野菜は、外食の時にレストランでサラダとしていただく日々です。
 
 

2013年10月26日 (土)

映画『ハーフ』を観て国際結婚について考える

 今回の国際集会は、すでに私が到着した日から始まっていました。

 21日の午後には、春風亭一之輔の落語があったのです。
 ちょうどマドリッドには夕方に到着したため、これには参加できませんでした。

 2日目は、大学4年生の2人にホテルまで迎えに来てもらえました。
 地下鉄を乗り継いで、大学へ向かいます。
 駅のホームに、本の貸し出しと返却ができるマシンがありました。

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 日本には、本を売る自動販売機タイプのマシンがあります。このマシンは、本の貸し借りをするためのものなので、その機能をもう少し調べてみたいと思います。

 大学のある駅に着きました。ホームをスケートボードで行く若者を見ると、ここが大学の入口となる駅であることがわかります。

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 今回、お世話をしていただく学生さんと、駅名表示板の前で記念写真を撮りました。
 気配りができ、会議では積極的に質問をするなど、将来の活躍が楽しみな学生さんです。

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 駅の改札を出ると、すぐそこはアウトノマ大学のキャンパスです。
 スペインの国立大学として、日本文学の勉強はここでしかできません。自ずと、優秀な学生が全国から集まるようです。

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 午前と午後の授業のことは、一昨日と昨日の記事に書いた通りです。

 2つの授業の後は、別のホールで『ハーフ』という映画を観ました。
 これは、高木先生のお嬢さんであるララさんが、監督として作られた作品です。

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 まさに、ララさんがハーフです。父がスペイン人、母が日本人というところから、この問題意識が生まれたのです。

 この映画には、バックにアンジェラ・アキの歌が流れています。彼女もハーフ。今回の上映のために提供してもらえたのだそうです。これが終わるともう使えないので、貴重な音楽を聴いたことになります。

 上映後、今回の国際集会のコーディネーターを務めておられる、アナ・ゴイ・ヤマモト先生とのトークがありました。ゴイさんもハーフです。

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 日本とスペインの交流を考えるとき、大切な問題です。今回の400周年という節目に、いい企画だと思います。
 この映画には、日本人にとっても、重たい問題を投げかけるテーマが扱われていました。
 今後は、ぜひともこの映画を日本の方々が、一人でも多く観られる機会を作ってほしいと思いました。
 国際化を語ることが多くなった現代日本において、この問題にはあまり感心が寄せられていません。現実の問題として、こうした映画を通して問題意識が高まれば、と思いました。

 帰りは、ソル駅から夜のマドリッドを散策しました。
 道を間違え、地下鉄を使って後戻りをしたりと、まだ街には慣れていません。

 スーパーマーケットで、赤ワイン、生ハム、チーズを買いました。食べたり飲んだりする物の値段は、日本よりも安いと感じました。

 充実したマドリッドの2日目は、ベットに倒れ込むようにして寝ることになります。
 
 

2013年10月25日 (金)

アウトノマ大学の授業で源氏の話を(2)

 引き続き、11時から13時まで、2年生を対象とした日本文学入門の授業です。

 スペインの学生さんたちに、『源氏物語』の翻訳について、私としては熱っぽく語りました。
 というのも、学生たちの目がよかったのです。いい目をしていたので、ついその気になって語りかけてしまったのです。
 もちろん、私の話を通訳してくださった高木先生が、うまく学生に伝えてくださったことが最大の要因なのでしょう。その背景に、高木先生への学生の信頼があるからこそのことです。

 この日まで、平安女流文学についての授業が、高木先生によって行われていました。ちょうど、この日は『源氏物語』が講じられる予定の授業だったのです。そこで、私が用意して来たのは、この時間をお借りして、『源氏物語』の翻訳というものを体験してもらうつもりでした。

 特に、刊行されたばかりのスペイン語訳『源氏物語』の、巻頭部分を一緒に読み、訳された内容の確認を考える用意をしていました。

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 しかし、用意されたプロジエクターが、私のMacBook Airの中に仕組んだ画像を、スクリーンに映し出してくれません。もともと私は、電気紙芝居による講演や発表はしないことにしています。
 必要最低限の写真をスライドショー風にスクリーンに映し、説明と話を進める程度にしています。

 機器の調子がよくないことは、私の身の回りではしょっちゅうです。こうしたトラブルには慣れていることもあり、画像をスクリーンに映すことは早々に諦めました。
 そして、話す内容をまったく別のことに切り変えました。

 雑談をしながら、私なりに日頃から考えている、『源氏物語』の翻訳に関する話をすることにしました。喋りながら、話を組み立てていかざるをえません。そこで……

(1)現在、『源氏物語』に関してはどんな翻訳本が刊行されているか。
   それは何を元にして訳しているか、などなど。
(2)翻訳は、異文化を言葉を通して他文化圏の人々に伝えるものだ、ということ。
(3)他言語の翻訳を日本語に戻すことで、多くの日本人と一緒に『源氏物語』について考えることができること。
(4)翻訳は1つではないので、人それぞれの訳があること。

 この授業を受けている学生たちはまだ2年生なので、日本語を要領よく聞き取ったり、自分の考えを日本語でうまく表現することはできないそうです。そのために、私が話す横で、高木先生が話の切れ目に逐次通訳をしてくださったので、学生たちの注意力も集中でき、2時間があっという間にすぎました。

 話す私を見つめる学生たちの目が、キラキラと輝いていました。これは、インドで話すときと同じ反応です。学ぶ者の目です。
 また、下を見たり横の仲間と話す者もいません。40人近くの若者が、ジッと耳を澄まして聞き入ってくれていることを実感しながら、たくさんの想いを夢中で話しました。

 強調したのは、『源氏物語』の翻訳を通して一緒に勉強し考えよう、ということです。
 そのためには、インターネットは格好の情報交換ツールだ、ということも。
 遠く離れていることは、今や何も問題にはならないのです。言葉の障壁をどう解消するか、ということが問題なのです。そこで、翻訳というものを介することで、コラボレーション(共同研究)が可能となるのです。

 最後に、日本の古典文学を勉強して、「そうだ 京都 行こう」と思ったら、もう私たちと文学仲間になったのです、と締めくくりました。
 
 

2013年10月24日 (木)

アウトノマ大学の授業で源氏の話を(1)

 高木香世子先生の授業に参加させていただきました。

 午前中は、10時から11時まで、4年生の現代文学の授業でした。
 啄木の短歌を読んでおられる所だったので、私は啄木が師と慕った与謝野鉄幹と晶子のことを、ちょうど1時間ほど話しました。

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 また、晶子が『源氏物語講義』として執筆した膨大な原稿が、大正12年の関東大震災でそのすべてが灰燼に帰したことや、鉄幹を追ってヨーロッパに来たことなども話しました。

 さらには、昭和に入ってから、晶子が『新新訳源氏物語』をてがけたことも。
 国文学研究資料館で公開している、与謝野晶子の『新新訳源氏物語』の自筆原稿の画像をプリントしたものと、その翻字、活字として刊行された本の当該頁の資料も配りました。

 この資料を使って、晶子の『源氏物語』の翻訳のおもしろさを説明しました。

 私の話を聴いてくれる学生さんたちの眼の輝きが、あまりにも熱心だったことが忘れられません。
 学生は、退屈で寝ることもなく、隣とお喋りをすることもなく、とにかく熱心にきいてもらえたことが、私にとっても収穫でした。

 近代文学の領域になっている与謝野晶子について、古典の翻訳を絡めて勉強することも大切であることも力説しました。現在の研究は、学際的になっていますから。

 とにかく、一緒に勉強をしましょうと語りかけました。。
 その時には、『十帖源氏』のようなダイジェスト版で共同研究をしましょう、とも。

 私にとっては、手応えが十分にある授業ができたと思っています。

 後は、この若い学生達と、今後ともどのような接点が生まれるのか、今から楽しみです。

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2013年10月23日 (水)

BAの機内食とマドリッドのイベリコ豚の生ハム

 機内食には、糖尿病食をお願いしていました。
 ブリティッシュ・エアウェイズのローカーボ食は初めてです。
 まずは朝食から。

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 微妙な味付けでした。最近はよくあることですが、食べ始めてすぐに軽い腹痛が起きました。
 しばらく休んでから食べ出しました。しかし、それでも半分くらいしか食べませんでした。
 後は、持参の携帯食料で補いました。

 お昼の軽食として出たサンドイッチを挟んで、午後の食事が出ました。ただし、これも半分だけいただきました。

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 この糖尿病食はスペシャルミールということで、特別なメニューです。しかし、写真をご覧になればわかるように、これは血糖値をかえって引き上げかねない食事内容です。日本糖尿病学会の指針によって作られているのでしょう。そのために、グルコーススパイクを引き起こす、要注意のメニューのようです。糖尿病学会のいいなりになる危険性が、こんなところにも現れていると思わざるをえません。

 機内食のローカーボの食事は、あまり信頼できないように思えました。
 我が儘を言っていることは承知で、糖質をもっと制限したものにしたらどかと思います。
 つまり、危険なグルコーススパイクを避けるメニューです。
 糖尿病学会の指針に逆らえないのでしょう。しかし、それでも人間の身体のことを考え、今後とも急激に血糖値をあげないメニューの開発に期待したいものです。

 今回のフライトには、私が観たい映画が1本もなかったので、連日の疲れもあり、ひたすら眠りました。

 イギリス・ロンドンで、飛行機を乗り継ぎました。そのヒースロー空港の搭乗口には、大きく寿司の看板が目に入りました。お寿司は、もう確たる市民権を得ています。

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 マドリッドの空港は、とてつもなく広いところです。ひたすら歩きます。さらには、標識が少なくて不親切なので、このまま行っていいものやら不安な気持ちで荷物受け取り場へ急ぎました。
 空港には、今回のイベントの主催者側である、アウトノマ大学の高木香代子先生が出迎えに来てくださっていました。
 先生には、久しぶりにお目にかかりました。相変わらず、颯爽とかっこいい先生です。

 ご自分の車を運転して、市内のホテルまで連れて行ってくださいました。
 高速道路は快適です。オリンピック招致のため、各所に工事の後が認められます。しかし、やはり東京の方が、格段に完成度が高いと実感しました。

 ホテルの部屋では、インターネットが Wi-Fi で使えることがわかり、一安心です。
 すぐに、近くの王宮や市街の中心地をブラブラと散歩をしにでかけました。

 先生とは、これまでの積もり積もった話や、スペイン語訳『源氏物語』の話で、途切れることがありません。同じ平安文学を勉強している仲間として、有意義な情報交換ができます。

 先生お薦めのグラン・ビアにあるレストランで、イベリコ豚の生ハムとワインをいただきました。岩塩をままぶした豚肉を天井から吊し、乾いた風に当てて乾燥させるのだそうです。燻製ではありません。塩気も控えめで、旨み成分が口の中に拡がる絶品でした。赤ワインとも、絶妙のコンビネーションです。

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 夜の8時過ぎのテラスから見る街路は、多くの人が集まり出しました。夜の食事は、午後9時ころからだそうです。

 グラン・ビア通りをブラブラとして、ホテルに帰りました。

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 ホテルの近くでも、2軒のお寿司屋さんを見かけました。

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 まだ、回転寿司は見つけていません。
 私は、世界中の回転寿司屋さんのマップを作成中です。
 今回も、このマドリッドであるのかどうか、明日から調査を始めます。
 
 

2013年10月22日 (火)

羽田の免税店で見つけた伊達のお菓子と寿司のおかき

 チェックインの際、今回の荷物が11.1キロであることがわかりました。いかに軽い荷物で旅をするかは、永遠の課題です。今回は、合格です。

 日本を出国してから、免税店で仙台の銘菓「萩の月」を見つけました。

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 今回のスペインへの旅は、支倉常長らが慶長遣欧使節としてヨーロッパに行って400周年を記念するイベントに参加するためです。そのお土産に、この伊達のお菓子を伊達絵巻の袋に入れて渡すのも、これまた一興と言えるでしょう。

 また、私が大好きなお寿司のおかきもありました。
 いろいろなお寿司のお土産を見てきました。しかし、こうしたおかきは初めてです。

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 旅先で、学生さんたちと一緒にお茶を飲むときなどには、好適品と言えます。
 お寿司の話を切り出すのにも使えます。

2013年10月21日 (月)

羽田空港が24時間機能することへの勘違い

 今回のスペイン行きでは、朝6時半に羽田を離陸する飛行機に乗ることになっています。
 ブリティッシュ・エアウエイズの飛行機で、12時間かけてロンドンへ行きます。
 そして、ロンドンから乗り換えて、2時間半でマドリッド入りとなります。
 現在、深夜の3時半です。
 空港内でフリーの Wi-Fi 電波が使えたので、通信は快適です。

 羽田は24時間の空港ということで、こんな時間に出発できるのです。
 ただし、この時間に搭乗するためには、朝4時半までには空港のカウンターでチェックインをします。ということは、すでに交通機関が動いていない時間帯なので、前日に羽田周辺のホテルに泊まるか、空港のロビーで深夜から朝まで時間を潰すか、という判断を迫られます。

 私は、前日の夜に羽田へ行き、5時間ほど空港のロビーで時間を潰すことにしました。
 浜松町から最終便の東京モノレールに乗り、羽田空港国際線ビル駅で降りました。

 出発が「ターミナル1」だからといって、羽田空港第1ビル駅は2つも先の駅です。
 成田でも、第1と第2の駅がややこしいように、ここでも間違えやすい駅名になっています。
 宿舎から羽田空港まで、1回の乗り換えでちょうど1時間。
 この羽田空港は、数年前に韓国へ行くときに使って以来です。

 少しターミナル内を散策しました。
 戸外は、これからやって来る颱風27号の影響からか、霧雨に煙っています。

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 お土産の買い忘れがあったので、ショッピングセンターに足を運びました。
 江戸小路と江戸前横丁があり、30数軒のお店があります。しかし、午後11時を過ぎていたこともあり、開いているのは3軒だけでした。それも、夜食のためのお店です。お土産物屋は閉まっています。

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 24時間空港ということだったのでがっかりです。
 インフォメーションセンターで聞くと、パスポートコントロールで出国し、免税店街に日本のお土産物屋さんがあるし、1階には24時間のローソンがあるとのこと。
 早速降りて行ってみました。

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 少しお腹が空いていたし、今日は朝までまだまだ起きていることになるので、軽食を買って出発ロビーのベンチでいただきました。

 ロビーでは、至るところのベンチで、たくさんの人が寝転がっています。朝までロビーで過ごす人のことは、一顧だにされていない空港施設であることが露呈しています。
 24時間利用できると言いながら、空港管理者側は、この不様な実態をどの程度掌握しておられるのでしょうか。この空港の運営方法は、はなはだ疑問です。ロビー一帯が、旅行者の勝手気ままな野宿を放置する状態なのですから。

 かといって、仮眠施設を作るわけにもいかないので、見て見ぬ振りを決め込んでいるのです。それにしても、出発待ちの寝ぼけ眼の典型的な姿が、辺り一面に展開しています。世界に冠たる豊かな国らしくない、ごろ寝天国と化しています。

 まだ、段ボールに包まったり、敷き詰められていないことが救いです。新聞紙を敷き詰めて数人で宴会をしている近隣の国の人がいました。
 カードマンが適度に配置されているのは、トラブル回避のためでしょうか。しかし、みっともない国際空港という醜態を見せつけていることは確かです。

 これは、高速道路のサービスエリアにある仮眠施設を、1日も早く参考にして対策を打つべきでしょう。同じ日本人として、この空港内で展開する情けない姿は、あまり見たくないのものです。
 あるいは、温泉施設によくある、畳の大広間はどうでしょう。足を伸ばしてごろりとするのは、身体も休まります。ついでに、24時間を謳うのであれば、空港内に温泉も。カプセルホテルもあったらいいですね。

 両替をしようと思ったら、なんと先ほどまで空いていた銀行の窓口が閉まっていました。

 携帯電話を海外でも使えるようにしようと思い、電話会社のカウンターを聞くと、すべて23時で閉店したとのことです。そして、明日は6時半からの営業だそうです。それは、私が乗る飛行機が離陸する時間です。

 レンタルの携帯電話を借りようとして受付にいくと、もう今日の分はすべて出払っているとのことです。

 宿舎には、イギリスで使う携帯電話があることを思い出しました。しかし、それをどうしてこの羽田空港まで持ってきてもらうか、電話で相談をしました。しかし、タクシー代などを考えると、ロンドンかマドリッドで借りた方がいいだろう、ということになりました。

 24時間空港という言葉に、完全に思い違いをしていました。
 何でも24時間やっていると思い込んでいたのです。大失態です。
 しかし、もうどうにもなりません。なるようにしか。

 チェックインまで、まだ1時間以上あります。
 ベンチで少し身体を休めることにします。

 
 

2013年10月20日 (日)

ペルー版スペイン語訳『源氏物語』のパンフレット2種

 7月末の本ブログで、8月にペルーで刊行されるスペイン語訳『源氏物語』のパンフレットを紹介しまた。ただし、それは日本語版を簡略にしたものでした。

 「スペイン語訳『源氏物語』の表紙と説明」(2013年7月31日)

 今回、日本語版とスペイン語版の両版のパンフレットを、下野さんからいただきましたので、あらためてここに掲載します。

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 日本語版は、1枚の画像です。
 

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 スペイン語版は、表面と裏面の2枚の画像があります。
 

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 このパンフレットにより、今回刊行されたスペイン語訳『源氏物語』の概要がわかると思います。
 スペイン語を勉強なさっている若い方々は多いようです。
 この2013年版のスペイン語訳『源氏物語』を読まれた方からのご意見を、楽しみにしています。
 
 

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2013年10月19日 (土)

『源氏物語』を海外の方々へ《新版・十帖源氏「空蝉」Ver.2/「夕顔」Ver.2-2》

 『十帖源氏』の現代語訳について、本年2月に、第3巻「空蝉」と第4巻「夕顔」の現代語訳の補訂版を公開しました。
 
 その後の見直しを経て、今回、その改定版ができました。
 これを、現時点での最新版とします。
 今回の「空蝉」巻と「夕顔」巻を担当したのは、前回同様に淺川槙子さんです。
 
 明後日に行くスペイン・マドリッドで、この『十帖源氏』の多国語翻訳のお話しをする予定です。
 そのこともあり、淺川さんから預かっていたファイル2つを、ここで一緒に公開することにしました。
 
 
■(3)《新版・十帖源氏「空蝉」Ver.2》PDF版をダウンロード
 

■(4)《新版・十帖源氏「夕顔」Ver.2-2》PDF版をダウンロード


 どうぞ、ご自由にダウンロードしてご覧ください。
 そして、訳文などに関するご教示をいただければ幸いです。
 
 この「多言語翻訳のための『十帖源氏』」は、現在『源氏物語』が世界各国の31種類の言語で翻訳されていることを踏まえて、『十帖源氏』も多言語で翻訳することを目指して進めている、一大プロジェクトです。

 ここに公開した現代語訳をもとにして、各国語に翻訳してくださる方を募っています。
 このブログのコメント欄を通して連絡をいただければ、折り返しご説明いたします。
 世界各国の多数の方々の参加・連絡をお待ちしています。
 

2013年10月18日 (金)

読書雑記(83)大泉光一『キリシタン将軍 伊達政宗』

 スペイン行きを控えて、大泉光一氏の『キリシタン将軍 伊達政宗』(2013年9月、柏書房)を読みました。

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本書の帯には、次のように記されています。


支倉常長がヨーロッパへ渡った真の目的は?

メキシコ、スペイン、イタリア…
17世紀の海外文書が暴く驚愕の真実!!

慶長遣欧使節団派遣400年記念

政宗が使節団に託した最高機密事項とは?

日本のキリスト教徒たちの悲願は、政宗が将軍になることだった!

 また、柏書房のホームページには、次のように内容が紹介されています。


新事実を発見!東北の雄・伊達の秘めた野望を、支倉常長研究の第一人者が解き明かす!!

 参考までに、本書の目次をあげます。


プロローグ 江戸時代初期における日本の対外貿易およびキリシタン政策
第1章 伊達政宗の遣欧使節派遣の計略
第2章 江戸におけるキリシタン迫害と「訪欧使節団」派遣の狙い
第3章 支倉とソテロ、スペインとの外交交渉に辛苦
第4章 支倉、政宗の名代としてローマ教皇に服従と忠誠を誓う
第5章 幻のキリシタン将軍伊達政宗
第6章 使節一行、ローマを出発し、スペインへ戻る
第7章 政宗が夢見た「キリシタン帝国」とは
第8章 政宗謀叛説を傍証する「東奥老士夜話」
第9章 政宗、領内のキリシタン弾圧に踏み切る
エピローグ ルイス・ソテロ神父のローマ教皇宛て書簡に関する
      異端審問委員会長官ドン・イバン・セビスコ博士の覚書

 本書は、著者が半世紀にわたって取り組んだ、ライフワークの集大成です。
 『侍』を執筆した遠藤周作をメキシコに案内したことなど、さまざまなエピソードを交えながら語っています。
 「あとがき」には、NHKの番組批判も記されています。これは、興味深い問題提起ともなっています。東日本大震災後の東北の復興支援に名を借りた、こじつけの論破となっているからです。
 また、間違った歴史観の指摘も貴重です。
 このテーマに関する資料が日本側にないこともあり、諸言語の翻訳とその解釈の問題も表面化しています。これは、著者の読みに関しても波及することにもなります。思い込みによる資料の解読はないのか、ということです。

 資料を基にして行なう立論や論証をする際の研究手法についても、学ぶところの多い本でした。基本となる共有資料の読み方の確定は、この問題の喫緊の課題のようです。

 さて、著者の持論は、支倉常長がメキシコからヨーロッパへ旅をしたのは、通説のような伊達政宗が通商交易のために宣教師を派遣要請したこととは異なる、ということです。
 在外の多くの原典資料を読解することによって、実証的に通説の否定を繰り返します。その信念が伝わってくる論調に、圧倒されます。
 ただし、素人ながら、その論証の過程には、付いて行けないことも多々ありました。

 それはともかく、とにかく面白く読めた、の一言です。

 政宗の「訪欧使節団」の派遣真相は、ますますわからなくなった、というのが率直な感想です。

 慶長の使節団には、次の2つの役割があったとします。


慶長遣欧使節団は、幕府と仙台藩合同派遣の「訪墨使節団」と、後述するように仙台藩単独派遣で政宗の密命を佩びた「訪欧使節団」の二組で編成されていたのである。(32頁)

 そして、政宗将軍待望論があったことも、証明しようとしています。

 支倉たちの訪問について、スペイン側が疑念を抱いたことが多くの記録から炙り出されます。日本の皇帝(将軍)がキリスト教の禁制をしているのに、奥州の王(政宗)が外国からの宣教師派遣を求める矛盾を見抜かれていたとする件は、大変おもしろく読みました。
 すると、この支倉たちの旅が何だったのか、ますます謎が深まります。

 支倉のスペインでの洗礼について、著者は遠藤周作の『侍』を引いて、遠藤よりもさらに同情的に支倉の入信を確信しています。ただし、支倉の名前を記した洗礼台帳は、いまだに見当たらないそうです(144頁)。

 『仙台市史』を取り上げて、政宗がローマへ使節を派遣した主目的の所を翻訳していないことを、問題にしています(166頁)。
 確かに、資料の信頼性と研究を紛らわせる一例といえます。この指摘は、歴史研究において大事なことです。政宗がローマ教皇に服従を誓うために、支倉たちを派遣したことを確認する文書なのですから。

 支倉たちがメキシコに続いて訪問した都市名が列記されています。参考のために、ここに引いておきます。


キューバ、スペイン(セビィリャ、コルドバ、トレド、マドリード、サラゴサ、バルセロナ)、フランス(サン・トロペ)、イタリア(ジェノヴァ、ローマ、フィレンツェ)

 1614年に政宗は、大坂冬の陣で行き場を失ったキリシタンを大勢匿います。その理由は、政宗が将来、キリシタンと手を組んでキリシタン帝国を建設し、倒幕決起を目論んでいたためではないか、と著者は言います。ここは、もっと傍証となる資料がほしいところです。

 私には、平将門の説話に近い論理や展開を感じられました。

 著者は、政宗の策謀が功を奏さなかったのは、彼がソテロ神父を他力本願的に対処した、その姿勢にあったとしています。

 不確実性の高い計画だったために、キリシタン将軍となってキリシタン帝国を築く野望が潰えた、と著者は言います。
 鋭いというよりも、おもしろい指摘です。ただし、やはり資料に裏打ちされた論理展開でないところに、読者の一人として素直に読み切れない印象が、最後まで付きまといました。

 膨大な資料が提示され、その解釈で推論が展開していきます。
 しかし、その資料の翻訳や翻字の信頼性とその解釈の妥当性がどこまで客観的なものなのか、というところで、筆者の存在が遠ざかります。このことが、読み手である私が素人であるが故に、常に不安がつきまといながらも残りました。
 
 

2013年10月17日 (木)

江戸漫歩(70)宿舎の花と隅田川の鳥と舟

 大変な被害を全国各地にもたらして去って行った颱風の後は、東京の宿舎も落ち着きました。
 今年は、宿舎の自治会の緑化委員という役員をしています。
 園芸の大好きな妻は、宿舎の入口の花壇を毎日手入れしています。

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 好きだからこそできることなのだ、と毎日、花の咲き具合を見ながら通勤しています。
 それにしても、これは好きだけではできない、ということもわかってきました。
 何かと手のかかる用件や作業が、とにかくたくさんあるようです。

 近くを流れる隅田川を散歩することで、早朝の気分一新をしています。
 これは、越中島と月島を結ぶ、相生橋から豊洲を望んだところです。

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 京都の賀茂川は、歴史を遡るイメージを現前させて、遙かな想いを膨らませてくれます。
 それに対してこの隅田川は、これからの歴史というか未来の日本の発展を感じさせます。

 ユリカモメも、のんびりと朝を迎えています
 背景の橋は、佃島から銀座方面へと向かう中央大橋です。

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 運搬船も曳航されながら、今日の仕事に向かって行くようです。

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 2つの都市を往き来しながら、想いを馳せる方向の違いと、時間の流れの速度の違いを、日々実感しているところです。
 
 

2013年10月16日 (水)

ペルーからスペイン語訳『源氏物語』が届きました

 待ちに待った、8月22日に刊行されたペルー版のスペイン語訳『源氏物語』が、颱風一過、東京の宿舎に届きました。
 14日には日本に届いたことを追跡できていたので、通関手続きの迅速な処理を首を長くして待っていた本です。

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 ズッシリと重い1.4Kg、718頁の本です。

 扉と奥付と目次の最初を、記録としてアップしておきます。

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 表紙絵は、國學院大學所蔵「久我家嫁入本『源氏物語』」から、第23巻「初音」の周囲をトリミングしたカラー画像を、額装風にアレンジしたものです。

 本文部分には、早稲田大学所蔵「九曜文庫『源氏物語』」のカラー画像が、引き出して見開きで見られるようになっています。この写真の頁には、2頁分のノンブルが割り振られています。

口絵・「桐壺」本文の一部
27頁・「桐壺」表紙
51頁・「桐壺」絵
107頁・「空蝉」絵
233頁・「紅葉賀」絵
281頁・「葵」絵
371頁・「須磨」絵
491頁・「絵合」絵
557頁・「朝顔」絵
709頁・紫式部の図

 翻訳された本文については、私がスペイン語をまったく理解できないので、今は何もわかりません。また後日ということで、とりあえずは基本的な情報の紹介まで。

 参考までに、「桐壺」と「若紫」と「須磨」の3つの巻の巻頭部分だけでも引用しておきます。

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 来週、私がスペインで話すことは、この本の内容以外で原稿を作成し、すでに日本語で書いた文章の英訳文の作成が急ピッチで進んでいます。そのため、今は原稿の変更も追加もできません。

 ただし、現地では大学の授業に呼ばれており、学生さんたちにお話しをすることになっています。
 その際、可能ならば、このスペイン語訳『源氏物語』の翻訳文を提示して、スペインの学生さんたちのコメントをもらおうと思っています。
 そのためにも、スペイン語を理解できる方からの、この翻訳文に対するご教示を、渡航前にあらかじめたまわれれば幸いです。

 興味深い翻訳資料が提供されました。
 日本語からスペイン語に翻訳された『源氏物語』の出現は、とにかくスペイン語訳としては初めての快挙です。
 『源氏物語』の受容史の一環として、翻訳史の1つとして、自分なりの手法でこの翻訳事業の検証と研究を進めていきたいと思います。
 
 

2013年10月15日 (火)

京洛逍遥(296)京都府立医大病院のレストラン

 連休最終日のお昼は、これまで行ったことのない場所で食事をしました。

 御所と鴨川の間を南北に走る道は、御所側に寺町通りが、鴨川の方には河原町通りがあります。
 その河原町通り沿いに、京都府立医科大学付属病院があります。
 ちょうど、寺町通りにある廬山寺や梨木神社を見下ろせる場所にあることから、ここで診察を受けたこともあります。

【6-心身雑記】「心身(25)廬山寺の前の京都医大病院へ行く」(2008/10/9)

 京大病院が大好きな私です。しかし、ここはその次に好きです。
 不謹慎かもしれませんが、上記のブログに書いたように、


 入院でもしようものならば、紫式部が見舞いに来てくれるのでは、という錯覚に陥りそうです。
 もちろん、看護婦さんは、十二単を着ているはずもありません。
 駐車場に、牛車は一台も止まっていませんでした。

という思いを持って、いつもこの前を通っています。

 さて、その病院の中にあるレストランは、バスに乗っていてここを通過するときにアナウンスをしているので知っていました。しかし、行くタイミングのないままでした。
 気になっていたので、こんな時にと思い、自転車で川沿いをサイクリングがてら出かけました。

 バス停「府立医大病院前」の真ん前にあります。
 河原町通りからあらためて見上げると、外来診療棟の4階にガラスが横に並んでいるところが、そのレストランであることがわかります。

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 ガラス越しに「京都ホテルオークラ レストラン オリゾンテ」とあります。  評判のレストランにしては、よくビルなどにある陳腐なヒラヒラする張り紙のようで、少しガッカリです。  しかし、院内は病院らしくなくて、そしてきれいです。

 レストランの入口は、すぐにわかりました。

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 私は、オープン2周年記念として提供されている、京都ホテルオークラ「京料理 入舟」の特製弁当をいただきました。我が家のお昼ご飯の予算を少しオーバーしますが、謝恩価格¥1,680ということなので思い切りました。

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 枝豆豆腐・いくら・鮪造り・縮緬山椒・出汁巻・からす鰈幽庵焼き・青唐・茗荷・鯖寿司 飛龍頭・小蕪・小芋・法蓮草・蒟蒻・しめじ御飯・香の物・味噌汁

 見た目も味付けも上品で、ご飯と味噌汁を半分ずつ残しただけで、すべていただきました。
 油ものがないせいもあって、いつも外食で心配する腹痛も、もちろんありませんでした。

 この次は、


京都府立医大の若手の先生方による糖尿病医療チーム「Team FUTABA」と
オリゾンテシェフがコラボレーションし誕生したメニューです。
京都ホテルオークラの美味しさはそのままに、カロリーは550Kcalまでに抑えてあります。
ヘルシープレート ¥1,470
1人前・・・エネルギー 541 kcal
 タンパク質 26.1 g・脂質 14.9 g・炭水化物 74.9 g・塩分 2.2 g

という食事をいただいてみようと思っています。

 食事をしながら、眼下には河原町通りが見えます。

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 道を隔てた右奥には角田文衞先生が『源氏物語』執筆の地とされた廬山寺が、左奥には藤原道長が建てた法成寺跡が、向こう正面には京都御所があります。  平安時代の邸宅群に思いを馳せることのできる、なかなか興味の尽きない場所です。

 病院や学校の食堂というと、美味しくないと決めつけがちです。
 しかし、京大病院がそうであったように、最近の学校のメニューもすごいように、みんなのために考えられたメニューには、見逃せないいいものがたくさんあるのです。

 そんな1つを見つけたことで、京洛逍遥の楽しみがまた増えました。
 
 

2013年10月14日 (月)

京洛逍遥(295)上賀茂神社のオブジェ

 久しぶりに朝の散歩で上賀茂神社まで足を伸ばしました。
 ここへは、往復1時間のコースとなります。
 そして、少し気力と体調が良くないと、疲れが残ります。

 このところの寒暖の差で、体調が勝れない連休でした。
 しかし、今朝は気分もよかったので行って来ました。

 一ノ鳥居前で名物の「やきもち」を買い食いしながら参道に立つと、左右に金色に光るオブジェが置いてあります。

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 意味がよくわからないままに、説明板を読みました。この手の作品の説明にしては、長い文章でした。そして、制作の意図を納得しました。賀茂神の雷を表現しているのでした。その他もろもろは、よくわかりませんでした。作者の持論なのでしょうか。

 左に△が3つ、右に○が2つあります。
 解説はともかく、迎えられた気分になります。
 ただし、今、何故、という思いは残ります。
 期間限定の作品展示なら、継続していろいろなものを置いてほしいと思います。
 その場凌ぎの思いつきではない方がいいですね。

 二ノ鳥居から境内に入ると、一対の立砂がある細殿を、数人の巫女さんたちがお掃除をしておられるところでした。
 右手奥の橋殿の横では、報道関係者が神職の方に、何か質問して説明を受けているところを撮影中でした。

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 通りかかったときに耳を掠めたコトバでは、この少し上を起点にするならの小川を流れる水の神聖さを語っておられたように思います。  テレビで、上賀茂神社のみごとな朱の楼門を背景に、この境内を流れる水の説明が映されると思われます。

 帰りに、二ノ鳥居から一ノ鳥居に向かって参道を歩いて行くと、入口にあったオブジェが見えてきました。
 しかし、後から見ると、まさにベニヤと材木で作られた文化祭の小道具に見えました。
 入ったときには、この背面は無粋だったので見ないようにして通り過ぎました。
 しかし、帰りの参道からは、ずっとこの板切れと突っ支い棒が目に入って来ます。
 作者には申し訳ないのですが、これではこの作品のイメージが台無しです。
 いかにも間に合わせ、という置物にしか見えなかったのです。
 背面を何かで覆う、ということも必要ではなかったでしょうか。
 それとも、何か説明ができるような、理論があってのものなのでしょうか。
 素人目には幻滅の一言でした。

 また、三角形が立砂をイメージしていることはわかっていました。
 しかし、今それを見てきた残像からは、3つではなくて、○が2つ置いてあるように、この△も2つでよかったのでは、と、勝手なことを思いながら通り過ぎました。
 
 

2013年10月13日 (日)

日本スペイン交流400周年のプログラム

 スペイン行きが近くなり、慌ただしくなりました。
 今回のイベントのプログラムをここに掲載します。

 10月21日から25日までの5日間にわたって開催されます。
 なかなか長期のイベントです。

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 私の出番は、24日の午前中にある、「Panel 2 The Fine Art of Japanese Translation」というセッションです。
 タイトルは「“Spanish translation of the tale of Genji”(スペイン語に翻訳された『源氏物語』)」となっています。

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 興味をお持ちの方は、とお誘いしたいところです。しかし、如何せん遠い国でのことなので、勝手に記しています。

 参考までに、プログラムのすべては、PDFがダウンロードできるようにしておきます。
 どんな内容のイベントなのか知りたい方は、どうぞご自由にダウンロードしてみてください。

〔Via Japan: Japan-imprinted discourses〕 PDF(10Mb)をダウンロード


 実は、今回お話する内容の中心は、今夏8月にペルーで刊行されたスペイン語訳『源氏物語』でした。しかし、先月現地に注文したにもかかわらず、出発前の今になっても手元に届いていません。

 現物を見ないままにお話しをするほど、私は心臓に毛が生えている人間ではないので、大急ぎで話す内容を変更して調整しています。これが、実は大変なのです。
 英語で、と言われていたのですが、もうその準備をする時間もありません。
 仕方がないので、お話しの内容を英訳した文書を会場で配り、私は日本語で喋るしか方策はありません。

 そんなこんなの、落ち着かない連休です。
 

2013年10月12日 (土)

京洛逍遥(294)賀茂川から忽然と消えた中洲

 初夏に、出雲路橋から少し北の賀茂川に点在する中洲で、一人黙々と草刈りをなさっていた方のことを書きました

「京洛逍遥(278)おだやかな初夏の賀茂川風景」(2013年6月 2日)

 その中洲が、今日通りかかったところ、忽然と消えているのに気付きました。
 

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 過日の「京洛逍遥(278)」での写真を再度掲載します。
 同じアングルで撮影したものなので、見比べると、先日の大雨がどれだけ凄かったかがわかります。中洲が、すっかり削り取られているのですから。
 

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 この賀茂川は、千年以上もの長きにわたり、この京洛の東側を流れています。
 今は護岸で守られています。しかし、これまでにも、さまざまな変化があったことでしょう。
 昔からこうした川の変貌はあったはずなので、王朝人たちはこうした自然の悪戯をどう見ていたのでしょうか。
 
 北大路橋のあたりも、まだ大水の影響が残っていました。川の中州は荒れています。

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   鴨が散策路に上がって来ていました。  川中には鷺が。  向こう岸の左上には、お掃除をする方が今日もゴミなどを拾っておられます。  いつも、こうした方やボランティアの方々によって、この川はきれいに保たれているのです。


2013年10月11日 (金)

京洛逍遥(293)バスで乗り降りするタイミングの難しさ

 京都では、何かとお世話になる市バスです。
 いつもは、自転車での移動が大半です。
 しかし、自宅と京都駅との行き帰りには、必ず市バスを使います。
 天気がよくない日に、京大病院へ行くときも市バスです。

 ほとんどのバス停で、バスの接近状況がパネルで表示されるので、イライラしながら待つことはありません。このシステムの導入はいいことです。多くのバス停で、Wi-Fi も使えます。
 この市バスの乗りこなしが、京都ライフの快適さを左右します。

 そんな中でも、問題はあります。
 急ブレーキ、急発進、急ハンドル等々。運転手さんのマナーの悪さは、あまりにも有名です。
 それでも、最近は若い運転手さんがそんな悪評を返上しようとして、奮闘しておられる姿をよく見かけます。

 投げやりな口調で、運転手さんがマイクを通して不機嫌に言われることばも、よく耳に滞留します。そんな中でも、若い方々が優しさと丁寧さを心がけて運転しておられる姿は、根気強く粘り強く変えていってください、と応援してしまいます。

 今日は、バスの乗り降りについて。
 実は、先ほど体験したばかりのことなので、まだ生々しい報告です。

 新幹線を降りてから、市バスに乗って自宅に帰るために京都駅北の烏丸口へ移動します。
 京都タワーの真下で、しかも駅舎に一番近いところに、私が家に帰るときに使うバス停があります。
 そのバス停は、小島状に横たわるようにして置かれています。
 このバス停に行くためには、人一人がやっと通れる狭い通路を行くことになります。ただし、その狭い通路には、もう一つ手前のバス停で待つ人の列がいつもあり、そこをすり抜けながら通ることになります。荷物をもっている時には大変です。とにかく、人にぶつかりながら、人に身体を擦りつけながら進むしかありません。
 今日も、人の列をすり抜けながら、どこが目指すバス停の最後尾かを探しました。この、最後尾を探すのも一苦労です。

 列に並んでいると、しばらくしてバスが来ました。
 私の前に、7、8人の方が並んでおられます。バスのドアが開き、列が動くのを待っていました。しかし、どなたも動かれません。どうやら、このバス停に来る3系統のバスの内、私の前に並んでいる方達はこのバスには乗られないようです。
 すると、私の後ろにいらっしゃった方が慌てて走り出され、バスの乗り口に急いで行かれます。しかも、大声を上げながら。私も走ってバスのドアに向かったところ、ちょうどドアが閉まるところでした。

 運転手さんは、誰も乗らないのでドアを閉めて発車しようとされたのです。私はバックミラーに向かって手を振り、もう一人の方は大きな声を出してドアを叩いておられます。
 間もなく、ドアがもう一度開きました。そして、その方と私が乗り込むと、ずっと後におられた方が何人も小走りに乗り込んでこられました。
 ガラガラで発車しようとしていたこのバスは、まもなく満員となりました。

 バスというと、降りるときにも大変な思いをします。
 バスが停留所に着いたとき、すぐに降りないと発車してしまうのです。
 よく、「降ります」と叫んでいる方を見かけます。
 車内放送では、「降りる方は、バスが停車してからお立ちになって下さい」と言っています。しかし、立ち上がった時にはバスがすでに発車していた、という経験は、私も何度もしています。

 バスは便利な乗り物です。
 しかし、こうした乗り降りのタイミングが非常に難しい乗り物でもあります。
 何かいい対策はないものでしょうか。
 
 

2013年10月10日 (木)

米国議会図書館本「桐壺」が新ビューワに対応

 国立国語研究所から、米国議会図書館所蔵の『源氏物語』の原本画像が、まだ一部ではありますが公開されています。このことは、「国語研から源氏写本画像の試験公開が始まりました」(2013/4/3)でお知らせした通りです。

 そのプロジェクトを手がけておられる高田智和先生(理論・構造研究系)が、画像公開ビューワを改良版にして、公開画像を新たな「桐壺」に切り替えられました。

「米国議会図書館本『源氏物語』「桐壺」画像と翻字」

 この仕掛けで特徴的なのは、「レイヤー」というものです。
 画面右下にある「重ね/並べ」のボタンをクリックして、「重ね」のモードにします。そして、その左側にある黄色のスライダーを左右にスライドさせると、原本画像と翻字とが入れ替わります。
 右にスライドさせると翻字が、左にスライドさせると原本画像が表示されます。
 スライダーでその中間を往き来させると、原本と翻字とがフェードイン、フェードアウトします。

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おもしろいので、ぜひお試し下さい。

 画像は、非常に高精細です。

 ビューワ開発は、この仕様で最終となるそうです。
 残る「須磨」と「柏木」の画像に関しては、年度内に追加して公表されるとのことなので、楽しみに待つことにしましょう。

 なお、この議会図書館本『源氏物語』に関する説明や、他の巻の語句を検索することについては、「米国議会図書館蔵『源氏物語』翻字本文」から確認と利用ができます。
 この検索機能も、『源氏物語』の本文を調べる際には重宝するツールとなるはずです。
 

2013年10月 9日 (水)

連続講座「くずし字で読む『源氏物語』」第2回

 今西祐一郎館長が講師として開催されている連続講演「くずし字で読む『源氏物語』」は、今日が第2回目です。行って聞きたいけど、という方々からの要望もあり、可能な限り館長のお話しを再現します。ただし、あくまでも私の個人的日記のブログを通してのことなので、実況にならないように所々に私感を交えています。

 変体がなの字母を確認してから、江戸時代の版本『絵入源氏』を読みました。

 筆で書いた写本ではなくて、印刷された文字の方が読みやすいとのことで、この版本を読むことになさっています。ただし、写本も同時に読みます。

 まずは、「桐壺」の冒頭から。


いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひ給ひける中に……

 『源氏物語』の文章を暗唱していると、くずし字を読むのも上達しやすい近道だ、とおっしゃいます。少し読み出して、みなさん納得。

 本文の中に個人印を捺すのは、盗難防止だそうです。紙面の文字が書かれている所に大きな印が捺してあり、どうみても何故こんな所に、と思います。その説明を聞いて、これにはみなさん得心なさっていました。

 『絵入源氏』を少し読んでから、次は鎌倉時代の写本に移り、巻頭部分の同じ所を読みました。さらに別の鎌倉時代の写本も。
 都合5種類の冒頭部分を、それも字母に拘りながら、それでいて聴講者を沸かせながら、読んでいかれました。

 2行ほど読んで一息入れることになり、先生が何かご質問は、と会場のみなさまに問いかけられると、今日も質問が次々と出ました。


*「気」はなぜ「け」と読むのか

*読んでいる写本の書写年代について

*絵入の傍注の読み方等々


 「こと」の二点目が省筆されることの説明をしながら、柔軟に、臨機応変に対応することが大事ですね、とのことです。

 一通り切のいい所まで読むと、内容の解釈をわかりやすく優しくなさいました。敬語で身分関係まで読み取れたらいいと。これは、参会者がご年配中心なので、抵抗はなかったようです。

 しばらくして、会場からまた質問が。


*「こと」は合字か

*「給」という漢字のくずし方の確認

*濁点のこと

 再度の休憩が入ります。

 版本を読み進めながら、物語の意味を説明し解釈していかれます。

 先生が「男たるもの云々」とおっしゃると、参加者の年齢が高いこともあり、どっと沸きます。
 版本の絵の説明でも会場は沸きます。

 また質問がありました。


*奈良時代の采女と平安時代の女御更衣の違いは?

 いろいろな字があるということで、別の鎌倉時代の写本を読むことになります。
 文字に対して先入観があると読めないと。

 同じ文を違う写本で読むと、確かに効果的なくずし字の反復練習になることが、会場のみなさんの反応を見ているとよくわかりました。

終了後、また質問がありました。


*「え」という副詞の有無の違い

*再度、「給」のくずし方について


 今日も、中国からの留学生と一緒に参加しました。
 横で、変体がなは難しい、元は漢字なのに、どうしても、かなとしては読めない、と言っていました。慣れるしかないよね、と励ましました。

 今日も会場は満員です。男性も前回と同じく、3割の30人はいらっしゃいました。
 質問も、この前よりも男性の方が積極的でした。

 今西館長の惹きつけ方が巧みなことと、男性が文学や文化を理解しようという熱気が、こうしたやりとりになっているように思えます。
 女性が文字に拘っておられたのに対して、男性は歴史を背景にした質問が目立ったように思いました。

 この連続講座では、聴衆の質問の内容に、今後とも注視していきたいと思います。

 次回は、来週の16日水曜日です。
 終わっても、何人もの方々が会場に残り、読み方を教え合っておられました。
 とにかく、みなさん熱心です。
 

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2013年10月 8日 (火)

井上靖卒読(172)「羅刹女国」「土の絵」

■「羅刹女国」
 以前、2度ほど読みながらも、よくわからないままに放置していた作品です。
 語られるのは、アマゾネスの世界です。羅刹女に歓待される難破船の男たちの様子が活写されます。女たちは、人間の女になるために、千日の間、人間の女の姿で男に尽くしたのです。人間界の女になれることを信じて。そのような中で、生まれ来る子は、みんな女の子でした。月光の中で、不義を犯した男が女に食べられる場面はみごとな筆の冴えをみせています。羅刹女があと少しで人間界の女になる夜明けに、事態は一変します。男と女の本性とは何か、ということを考えさせる話です。【4】
 
 
初出誌:新潮
初出号数:1963年8月号
 
新潮文庫:楼蘭
井上靖小説全集18:朱い門・ローマの宿
井上靖全集6:短篇6
 
 
 
■「土の絵」
 左官の鏝絵の話です。自宅にある鏝絵の土の絵を、神社に寄贈しようとします。そして、その絵が祖父を思い出させるきっかけとなるのです。一枚の絵を介在させて、自分と家族の歴史と逸話を語っています。【2】
 
 
初出誌:小説新潮
初出号数:1963年9月号
 
集英社文庫:冬の月
井上靖小説全集31:四角な船
井上靖全集6:短篇6
 
時代:昭和30年代?
舞台:東京都(赤坂)、S神社(須賀神社?)
 
 
 
〔参照書誌データ〕
 「井上靖作品館」
 
 
 

2013年10月 7日 (月)

京洛逍遥(292)週末の賀茂川散歩と空飛ぶ鷺

 慌ただしく仕事に追われる日々の合間にも、賀茂川の散歩だけは続けています。
 最近は、背中が前屈みだと家族から言われるので、背筋を伸ばして少し大股で歩くことを意識しています。

 北大路橋から、植物園の西側を南北に通る半木の道へと入ります。その桜並木をまっすぐ北へ行き、北山大橋の手前の飛び石をトントン。数年前までいた右岸に上がり、そこからそのまま西へ向かって少し歩くと、地下鉄烏丸線の北大路駅に出ます。ショッピングセンター・ビブレの4階にある電気屋さん「エディオン」や、本屋さん「大垣書店」をブラブラするのが、私の「楽々コース」です。

 賑やかな方へは行かず、飛び石をトントンと渡ってから、川沿いに南下して出雲路橋でUターンするのが、いわば「基本コース」です。

 元気な時には、出雲路橋からさらに南下し、葵橋か出町橋か加茂大橋の傍にある、鯖街道終着の地として有名な出町桝形商店街を散策します。あるいは、京阪鴨東線と叡山電鉄の出町柳駅で折り返します。この帰路では、下鴨神社にお参りするのが通例なので、「出町コース」と言えるでしょう。

 元気だけれどそんなに、という日には、出雲路橋から東に折れて下鴨神社にお参りして帰ります。まさに「下鴨コース」です。

 昨日の日曜日は、出雲路橋の右岸北にある京都府立鴨川公園出雲路橋運動場で、幼稚園の運動会が行われていました。あの懐かしい、つい小走りになる音楽が忙しなく流れています。スピーカーでは、次の競技の出場者を呼びかけています。いつの時代も、運動会というと、この放送と歓声と声援に、運動場が包まれます。この賑わいと喧噪は、もう日本の風景となっています。

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 突然目にした、非日常の楽しげな光景。この賀茂川の河川敷で、こんなイベントが行われていようとは、思ってもみませんでした。大勢の人で、そんなに広くはない運動場は埋め尽くされていました。
 
 夕方の散歩では、2羽の鷺が上空で遭遇し、そのまま夕方の雲の中に連れだって消えていくのに出会いました。
 賀茂川の鷺は、いつもジッと沈思黙考する姿しか見かけません。とにかく、静止した姿勢で、いつも立ち尽くしています。何を思っているのか、と鷺の顔を覗き込みたくなります。まさに、インドで言えば、街中の牛です。何時間も、身動ぎもせず、川面を見つめる鷺が印象的です。飛ぶと言っても、川面を渡るくらいです。

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 その鷺が、当たり前と言えば当たり前に、何と上空を飛んでいるのを見かけたのです。これは、私にとっては驚異でした。いつも水辺に立ち尽くす鷺が、上空を悠々と飛んでいるのですから。
 

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 この2羽の鷺は、あらかじめ示し合わせていたかのように、仲良く一緒に西賀茂の方へ飛んでいきました。塒はどこにあるのでしょうか。
 また朝になると、一緒に賀茂川にやってくるのでしょう。

 その生態はよくは知りません。しかし、賀茂川にいつも点在する鷺たちは、もう私にとっては家族の一員です。
 顔貌も、少しずつ区別できるようになりました。
 そろそろ、名前をつけようかと思っています。
 
 
 

2013年10月 6日 (日)

京都で『十帖源氏』を読む「須磨_その7」

 遅々として進捗しない『十帖源氏』の現代語訳の確認を、それでも根気強く続けています。

 今回は、「須磨」巻において、光源氏のお供である義清(一般的には良清と書く)が、明石の入道の娘のことを思い出して恋文を出した場面です。

 ここは、第5巻「若紫」の最初で、光源氏が病気療養に赴いた北山で、義清から明石の浦のことを聞いたことを受けています。
 その「若紫」では、次のように簡単ですが語られています。
 ちょうど、雀の子を逃がして泣く少女を覗き見する直前にあたります。


はりまのあかしのさきのかみ、しぼちのむすめかしづくなど、義清申出す。〔46・ウ〕
 
【現代語訳】(風情のあることで有名な)播磨の国の明石の浦の前長官(明石の入道)で、近ごろ出家した者が娘を大切に育てているなどという話も、好色な「良清」が話し出します。

 なお、現在公開している、首巻「桐壺」から第9巻「葵」までの『十帖源氏』の現代語訳の最新版は、以下のNPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページを参照してください。

「『十帖源氏』の翻字と海外向け現代語訳の公開」

 さて、その「若紫」での話と関係づけられて、今この「須磨」で義清が思い出したようにして語られている場面に戻ります。

 この義清の求婚を、父の入道は無視します。
 そして、『十帖源氏』は、次のようにダイジェスト化しています。


父入道より、聞ゆへき事なん。あからさまにたいめんもかな、といひたれと、うけひかざらん、うしろ手、くつしいたうていかず〔84・オ〕

 ここを、担当者は次のように現代語訳しました。


父の〈入道〉から、話したい事があります、少しの間でも直接会いたいと言ってくるけれども、(娘の事は)承知してくれないだろう、(空しく帰る)後ろ姿も情けない、と思って行きません。

 まず、訳文が長いので、短い文を連ねよう、ということになりました。
 また、誰が何をどうしたのかを明確にしないと、海外の方々の現地語訳が混乱するので、それを避けるような現代語訳を考えよう、ということになりました。

 こうした配慮を施しての現代語訳を、参加者みんなで考えたので、この日はこの箇所だけで終わりました。
 そして、次のような現代語訳が完成しました。
 ここでは、特に「うけひかざらん」「うしろ手」「くつしいたうて」の訳に手こずりました。
 以下は、その苦労の結晶でもあります。


父の〈入道〉から、「(〈光源氏〉に)話したい事があります。少しの間でも直接会いたい」と言って来ました。しかし、義清は「(入道は自分の求婚を)承知してくれないだろう」と、自分の帰る姿を思うとみじめで、入道の所へは行きません。

 明石の入道、その娘、義清、光源氏の4人の関係を、もっと明確にすると、さらにわかりやすい現代語訳になります。しかし、ダイジェスト化という簡略版の『源氏物語』の趣旨から言っても、これ以上はことばを費やして説明的な訳文にするわけにはいきません。
 あとは、現地の言語が持つ表現力と翻訳者の創意に頼るしかありません。

 『十帖源氏』の3行分を、2時間もかけて検討を重ねました。
 こうしたことの積み重ねから、我々もことばに対する感覚が磨かれていきます。

 次回は、11月9日(土)午後3時から5時までです。
 場所は、同じくワックジャパンです。
 
 

2013年10月 5日 (土)

京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第4回)

 今朝は小雨でした。
 ワックジャパンでの勉強会は、これまでほとんどが雨の日です。前回雨が降らなかったのは、本当に特別でした。

 それでも、午後になると雨は上がり、曇り空です。降る気配はなさそうなので、自転車で御所の南にある会場へ向かいました。途中で、下御霊神社の北にある丸太町かわみち屋で「そばぼうろ」を買って行きました。

 今日は、いつもの「わくわく館」の町家の部屋ではなくて、道を隔てた事務所の中の一室でした。ここも、落ち着いて話のできる空間です。

 9月28日(土)の京都新聞に、この勉強会の案内が掲載されました。それを見て、今日はお二人の方が参加してくださいました。これまでは、学生さんたちと一緒に勉強していました。そこへ社会人の方が加わると、みんな緊張して黙り込むのでは、と心配しました。しかし、そんな気遣いは不要で、和気藹々とお話ができました。

 今日は初めての方が参加なさっているので、今回読もうとしているハーバード大学本『源氏物語』について、元ハーバード大学フォッグ美術館の文子・クランストン先生に書いていただいた解説文をもとにして、この本の大凡をお話ししました。

 そして、前回までに読んで字母を確認してきたところから、今日のはじまりです。
 第1丁裏の1行目から、8行分の文字を、字母が何であるかを中心にして確認しました。

 最初の「と」は、今の「止」ではなくて「登」を字母とする字です。この「登」を字母とする「と」が多いことに、すぐに気付きます。


知那无・以三之宇・毛乃・思給部里之/之&部里・左末遠・
思以川留尓・身越・奈个・給部累可登・
於毛飛与利遣累・奈久/\・乃・文遠・安遣
堂礼波・以登・遠本川可奈左尓奈无・思川ゝ・
末止呂末礼・八部良奴尓也・己与比八・由免尓堂
仁/多尓$尓堂・宇知登計天毛・身衣寸・越曽八礼川ゝ・
心知毛・礼以奈良須・宇多天・侍遠・奈越・以登・遠曽
呂之・毛乃部・和多良世・給八无・事波・知可ゝ
武奈礼登・曽乃・程・古ゝ尓・武可部・堂天末川利
个无/个〈判読〉=天・遣不・安免・不利奴部个礼葉奈登・有(1ウ)」

 3行目の真ん中から少し下にある、「この」の「こ」は、「古」のくずし字です。一見、カタカナの「ホ」に見えます。

 また、5行目下の「ゆめにたに」では、文字のナゾリがあります。
 5行目の行末の「尓堂」の下には「多尓」と書かれているのです。写真ではよくわかりません。しかし、ハーバード大学にある原本を見ると、明らかに「多尓」と書き、すぐに「尓堂」とナゾリ書きして、次の行頭に「仁」を書いて、「ゆめにたに」と読ませようとしているのです。

 今日は、この第1丁裏の字母の確認をしてからは、フリーディスカッションで盛り上がりました。
 漢字の筆順については、日本語の文字は下へ流れようとする筆順を学校で教えています。これには、縦書き文化が背景にあります。しかし、今や横書き文化の社会になりました。横書きでは、文字は、右上へと引き上げながら書いていきます。しかし、我々が覚えている文字は、下へ下へと向かう筆順で書きます。下へと向かう筆勢を、右上に引き上げながら書くのは大変です。

 ここから、文字の筆順が今のままでいいのか、ということになってきます。
 かつて、丸文字とか変体少女文字といわれる、丸々とした文字がはやりました。明菜文字といわれたのも、これに分類されています。これは、左下に流れようとする文字を、右上に引き上げるところから、文字が自ずと丸みを帯びてくることに起因する現象です。

 今、我々が教えられた文字の筆順は、あくまでも縦書きに適した、縦書きがより早くきれいにかけるようにと考えられた筆順です。その筆順で横書きを中心とする文字を書くのですから、書きにくいことこの上もありません。そして、手書き文字はますます敬遠されます。

 手書き文字を手放すのは、日本文化の継承において危機ではないか、という私の問いかけに対して、参加者が思い思いに意見を言い合いました。

 いろいろな世代が集まると、こうした異文化に対する意識の多様な面が見えて、おもしろい会話となります。今後とも、こうしたことも話の中に織り交ぜながら、古写本の文字を読み解いていきたいと思います。

 次回は、11月9日(土)の午後1時から、場所は同じくワックジャパンで行われます。

 なお、これまでの、京都での古写本を読む会の記録は、次の記事を参照してください。

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第3回)」(2013/9/21)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第2回)」(2013/8/10)

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(初回)」(2013/7/13)
 
 
 

2013年10月 4日 (金)

京大病院でチューニング中です

 相変わらず、仕事の合間を縫うようにして、身体の微調整やら応急修理をしています。
 病院は待ち時間が長いので大変です。しかし、そこは勝手知ったる京大病院。時間潰しをする場所には事欠きません。

 今日は、歯科口腔外科にピットインです。
 歯の調子が悪くて、上手く喋ることができません。東京の歯医者さんの治療も、今の私の状況が解決できないので、望みを京大病院に託しました。
 今月下旬には、日頃使わない英語で話をしなければなりません。そんな時に、呂律が回らないのですから一大事です。

 ここにくれば、何とかしてもらえます。今回もそうです。ただし、今後の治療のことは開業医を紹介する、とのことです。遠回しに、これは私たちの仕事ではないと。

 そういえば、かつてもこれに近い経験をしました。
 今からちょうど3年前に、眼科へ行ったときのことです。「心身雑記(92)招かれざる患者となる」(2010/10/22)の中で、以下のように書いています。


 診察をしてくださったお医者さんは、これくらいのことでいちいち大学病院へ来てもらっても……と言われました。
 意外なことばだったので、面と向かってストレートにこう言われると、どう反応していいのか困ります。
 お医者さん曰く、こういう症状は、町の眼科へ行って診てもらって十分だとも。
 要するに、もっとややこしい症状のときに来るのが大学病院だ、と言うのが、この診察をしてくださったお医者さんの言い分であることが、いやというほど伝わってくる対応でした。また、そのような表現をなさっていました。
 露骨に、こんなことで大学病院に来てほしくない、という言われ方でした。

 この眼科とは、その後は「京大病院の未承認医療機器の実験に参加する」(2013/7/30)で報告したように、お互いに良好な関係にあります。

 今回も、あの時ほどストレートではないにしても、結果的には今後は町医者に、ということでした。
 今回、丁寧に診てもらえたのは、東京から持参した診断書があり、緊急を要することもあったからです。そのための手当をし、後は開業医を紹介しますのでそちらで、ということなのです。

 説明はよく理解できました。
 そして、診療の結果として喋ることが楽になり、私は助かりました。
 もっとも、保険が適用できない治療だとのことで、10割負担でしたが。
 今後とも、こうした大病院へ行く時には、少し考えてからにすべきでしょう。
 今回は、東京の歯医者さんの紹介状があったので受け付けてもらえた、ということです。

 それにしても、病院にはたくさんの患者さんがおられます。日本の医療について、こうした状況に置かれた時に、その有り様について考えます。
 自分を助けて欲しい、という気持ちは万人にあります。何とかしてもらえるならば、縋るような気持ちで、少しでも大きい病院で診てもらおうと思います。何とか問題を解決してほしいからです。しかも、可能な限り完全な完治をめざして。

 そのあたりのことを考えると、現在進行中の高齢化社会も見据えて、一人でも多くのお医者さんが必要です。はたして、この辺りは現在はどうなっているのでしょうか。
 具体的には、私は情報を持っていないし、実態に疎いのでこれ以上は考えられません。ただ言えることは、一人でも多くのお医者さんを育て、確保する方策がどうなっているのか、という問題には注視しています。

 自分がその立場にならないと、現実の問題として考えられないので、こんな時に思いを廻らせたしだいです。現場で、あるいは現実を知る方々にとっては、幼い考え方だと思われるでしょう。今はこの程度です、ということでご寛恕のほどを。
 
 そんなことを思いながら賀茂川を散歩していました。
 西賀茂あたりの夕焼けが、いつもと違う色合いできれいでした。
 

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 そういえば、昨日の新幹線から撮った夕陽がありました。
 これは、愛知県を通過中の光景だったと思います。
 夕焼け空も、所によって違いがあり、さまざまな色で楽しませくれるようです。
 

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2013年10月 3日 (木)

読書雑記(82)遠藤周作『侍』から見える支倉常長像

 支倉常長は、学校で教わった名前として記憶しています。
 しかし、自分でも意外なほどに、その実際を知らなかったことがわかりました。
 今回、スペインへ行くにあたり、これが奇縁で支倉常長に関する本を何冊か手にしました。
 まずは、私が安心して読める小説、遠藤周作の『侍』(新潮文庫、平成15年11月24版)からです。
 

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 東北陸前の小さな村での、一人の男の様子から、丹念に語り起こされます。
 そして、話はしだいにローマへとつながり、日本の対外政策へと展開していきます。
 長谷倉(支倉)六右衛門が日本を発つまでの慌ただしさの背景に、キリスト教内部の揉め事がうまく点描されています。

 物語は、支倉倉と宣教師ベラスコの視線で、交互に語られていきます。語りの主体が変わる毎に、人間のものの見方や考え方だけでなく、文化の質の違いも浮き彫りになる形です。
 また、神とは何か、という自問も、作中の登場人物たちが抱くこととなります。
 神聖なる宗教を布教して広める行為と、その裏に蠢く私利私欲も、巧みに織り交ぜているところが、遠藤らしい構成だと思いました。

 登場人物たちの腹の探り合いが、この作品をおもしろく読ませます。メキシコからスペインへ。克明に船旅の記録と人間の心の記録が刻まれていきます。

 スペインに到着してから、長谷倉たちにキリスト教への帰依という問題が降りかかります。それが本心からではないにしても、目的を達成するために、生きていくために……。心の葛藤の中で苦しみます。
 また、長谷倉たちは、日本からの正式な使節として派遣された者ではないことも、わかりやすい形で炙り出されます。国と国、人間と人間の関係性が、うまく綴られていくのです。
 キリスト教をめぐる論争が行われる所では、日本人論が展開されていきます。

 スペインで知った、日本でのキリスト教禁制は、長谷倉たちの人生を大きく変えます。自分たちのしようとしていることが、すべて無になったのです。故郷が何度も夢に出てきます。
 わずかな活路を求めて、スペインからローマに行くことにします。旅を続け、前に向いて歩むしかなかったのです。

 しかし、それも思い通りの結果は残せませんでした。惨めさと、虚しさを、これでもかと味わうだけでした。
 ヨーロッパからの帰路、田中太郎左衛門が自害します。これが、この長谷倉たちの旅を象徴する出来事だといえます。日本人にしかわからない、日本独特のものの考え方として、異文化圏の人には理解されないこととして語られます。

 厳しいキリシタン禁制が敷かれた日本に、7年の旅を終えて帰ってきた長谷倉たちは、自分たちの旅とその役目が無意味なものだったことを思い知らされ、愕然とします。そして、ひっそりと目立たずに生きていくことを強いられます。

 最後は物語を支えていたみんなが、お仕置きという現実に散っていきます。
 しかし、読み終えて、心に残るものが多くありました。

 私は、次のことばが、この作品の中で一番印象的だったものとして思い出されます。


人間の心のどこかには、生涯、共にいてくれるもの、裏切らぬもの、離れぬものを—たとえ、それが病みほうけた犬でもいい—求める願いがあるのだな。(377頁、新潮文庫)

 この小説の主人公をはじめとして、実際には支倉常長とその使節団のことは、あまり研究が深まっていないようです。
 今回の、支倉常長たち慶長遣欧使節団派遣400周年の記念事業として、スペインで開催される国際集会「スペインにおける日本年」を機に、より一層歴史が掘り起こされ、幅広くこの事実が理解されることを期待したいと思います。
 
 
 

2013年10月 2日 (水)

今西館長の連続講座「くずし字で読む『源氏物語』」

 今西祐一郎館長が講師として開催される連続講演「くずし字で読む『源氏物語』」が始まりました。本日が第1回目で、「仮名の発生と展開」というテーマでした。

 今回の日程は以下の通りです。


第1回 平成25年10月 2日(水)
第2回 平成25年10月 9日(水)
第3回 平成25年10月16日(水)
第4回 平成25年10月23日(水)
第5回 平成25年11月 6日(水)

 なお、すでに締め切られていますので、これから新たに受講することはできません。


 今回私が驚いたのは、参加者100人中、男性が30人ほどいらっしゃったことです。
 事前に150人くらいの応募があったそうです。その中から、先着順で100人が参加なさっているのです。

 それにしても、男性の参加者が多いのは、非常に興味深いことです。
 普通はこうした講演会には、9割方が女性です。それが、こんなに男性の参加があるのですから、これは今後のイベントのためにも分析しておく意義があります。

 今、男性の参加者が多い理由が思いつきません。年配の方が多いことと、夫婦共々いらっしゃっていること等が、第一印象として目に付くところです。

 『源氏物語』というテーマで講演会を開催すると、圧倒的に女性が多いことはよく知られています。今回は、くずし字を読むのです。つまり、写本を読み進みながら、『源氏物語』の勉強もしようということです。
 男性が、文字を読み解くことに興味を示した、ということでしょうか。料理教室でも、日曜大工でもないのです。墨で書かれたかな文字を読むことに、男性が意識を向け始めた、ということなのでしょうか。

 私には、この現象がまだわかりません。
 今、言えることは、写本に興味を示し始めた男性が多くなった、ということです。
 もちろん、館長の講演と言うこともあります。しかし、それと男性が多くなったことの接点が、私には見えないのです。

 さて、今西祐一郎館長のお話は、いつものように軽妙なテンポで進みます。

・このアジア地域では、中国にしか文字はなかった。
・漢字からくずし字ができた。
・漢字、ひらがな、カタカナと、3種類もの文字を使い分ける国は日本以外にはない。

 わかりやすく語りかけながら進めて行かれました。
 みなさん、スクリーンとお話に集中しておられました。

・ひらがなの字母の確認
・大和言葉を漢字で表記した

 このあたりから、『万葉集』の万葉仮名や、和歌のひらがななどがスクリーンに映し出され、みなさんが知りたいと思っておられる核心に向かって行きます。

・万葉仮名や草仮名は、漢字を知らないと書けない文字。
・女手、ひらがなは、漢字を知らなくても書ける文字。

 お話が佳境に入ったところで休憩となりました。
 そして、先生が何か質問はないかと、水を向けられると、すかさず会場から何人もの方から質問が出ました。

・庶民は仮名文字を読んだか
・庶民は手紙を書いたのか
・展覧会に出品される書はなぜ男のものばかりか
・なぜ女手というか
・男女の差別があるのではないか

 会場の反応が非常によくて、次から次へと手が上がりました。
 その熱心さは、これまであまり見かけなかったものだと言えます。

 休憩後の後半は、ひらがなの字母を一覧表で確認しながら、どんな文字を覚えておいたらいいのかを、丁寧に解説なさいました。

 次回から、具体的に『絵入源氏』を読んでいくことになります。

 終わってからも、質問が絶えません。
 今日は、女性3人、男性3人からの質問がありました。
 私は、中国から来ている留学生と一緒に、会場の最後列の隅で聞いていました。
 みなさんの熱心さが、後ろの片隅にいる私たちの所まで伝わってきました。
 大盛会でした。
 
 
 

2013年10月 1日 (火)

東京で『十帖源氏』を読む「花宴」(その3)

 相変わらず日本中を飛び回っていらっしゃる伊井春樹先生と、久しぶりにお話しをすることができました。会議のために上京なさったところを、無理をお願いして時間を作っていただいたのです。電子メールだけでは、やはり用事は果たせないからです。

 地下鉄虎ノ門駅で待ち合わせをし、文部科学省のフリールームにある、小さなテーブル席でお話しをしました。先生が会議にいらっしゃるまでの、本当に時間の隙間を縫っての貴重な時間に、自動販売機の缶コーヒーを飲みながら、という状況でのことです。

 先生は、今日もトンボ返りだそうです。私も関西と関東を行ったり来たりしています。しかし、先生は私以上に頻繁に移動なさっています。明後日もトンボ返りだとのことでした。

 とにかく、そのバイタリティーには脱帽です。私も元気だと言われます。それと較べると、もう孫悟空の域に達する空間移動でスケジュールをこなしておられるのです。
 もう休ませて欲しい、とおっしゃっていました。しかし、先生も私も回遊魚の仲間だそうなので、泳ぐのを止めることはできないのです。私からは、これは宿命です、と、そう申し上げるしかありません。

 夜は、荻窪での『十帖源氏』を読む会に行きました。
 今日の担当は小川千寿香さんで、「花宴」の最終回です。

 「扇は桜の三重がさねにて」とある所をどうするか、ということで多くの時間を掛けました。
 この会を取り仕切っている畠山君が、このことで論文を書いたこともあり、詳しい説明と問題点が提示されました。ホワイトボードに図を書き、桧扇とその色と絵について、その知見をレクチャーしてもらいました。

 この文章の後には、すぐに「(扇の)濃きかたに霞める月を描きて水にうつしたる也」とあるので、ここでの桧扇は表面と裏面に彩色がなされているもの、ということがほぼ明らかになりました。そこで、現代語訳をどうするか、ということになります。

 担当者の現代語訳は、「桧扇は、桜色に見えるように色紙を重ねて貼っている三枚の重ねの扇で、色の濃いところに霞んだ月を描いて、その月が水に映っているという構図です。」となっていました。
 さまざまな意見を取り入れた結果、ここは「桧扇は、桜重ねで、色の濃い面に霞んだ月が水に映っている絵が描いてあります。」となりました。

 「三重」は、桧の薄板8枚を三重に重ねるので、実際には24枚を重ねた扇だそうです。しかし、それでは煩雑になるばかりなので「三重」のことは言わないことにより、格段にすっきりとした訳になりました。これなら、海外のいろいろな国の言語に翻訳してもらえることでしょう。

 結果的には、『十帖源氏』が使っている語句を、ほぼそのまま使うことになったのです。
 行き詰まったら、そのままにしておく、という原則に立ち返ったことになります。

 その他、細部に亘り現代語訳の言い回しを調整しました。
 それらは、後日公開するファイルで確認できるようにしますので、少し時間をいただくことになります。

 次回は、11月12日(火)18:30〜20:30で、場所は今日と同じ、JR中央線「荻窪駅」西口下車徒歩3分の「あんさんぶる荻窪 5F 第二会議室」です。

 読むのは「若紫」巻です。
 興味をお持ちの方の参加を、お待ちしています。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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