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2013年12月28日 (土)

映画『利休にたずねよ』をみました

 年末の慌ただしい中を、久しぶりに映画館へ行きました。
 師走に入ってからは、これまでに増して忙しい日々となり、なかなか観に行けなかった山本兼一原作の映画『利休にたずねよ』を、やっと観ることができたのです。

 原作については、【3.0-読書雑記】「読書雑記(58)山本兼一『利休にたずねよ』」(2013/1/7)に記した通りです。

 そこで述べたように、小説としては懲りすぎていたように思いました。
 それが、映画化によって時間軸が明確になり、高麗の女と木槿の花がクローズアップされ、スッキリとまとまったように思います。
 文字と映像による違いがあります。当然のことながら、比較できないことです。しかし、敢えて較べるならば、私は映画の方が作者の意図は観る者に伝わってきたと思います。

 もっとも、これは小説と映像化されたものを較べた場合のことです。
 それを映画単独のものとして見た場合には、その完成度は高くなかったように思います。
 海老蔵の演技に凭りかかりすぎていた、と思えるからです。さらには、中谷美紀は私が抱いていた利休の妻宗恩のイメージとは異なっていました。

 後半になると、高麗の女との話に焦点があてられています。しかし、私は妻の宗恩を中心とした展開にしてほしかった、と勝手に思っています。原作と作者からもっと離れてもよかったのでは、と。

 どなたか、また別の視点からこの『利休にたずねよ』を映像化してもらえないでしょうか。

 山本氏は、井上靖の小説『本覚坊遺文』における利休の捉え方に同意できない、と言われます。
 「井上靖卒読(161)白神喜美子『花過ぎ—井上靖覚え書』」(2013/3/24)参照。

 井上靖は、「利休の死」など、お茶に関する作品をいくつか書いています。大阪の茨木の自宅には、書道全集を揃えていました。

 茶道の静と動、その歴史と人間等々、そこには日本を知るテーマとして、興味深い要素がふんだんにあります。
 それぞれに対象や視点が異なるにしても、茶道を扱った作品には、今後とも目を配っていきたいとの思いを強くしました。
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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