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2014年1月 4日 (土)

映画「かぐや姫の物語」を観ました

 我が家の梅の開花は、例年よりも遅いようです。
 昨日は白梅が少し花開きました。

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 今日は、紅梅が一斉に咲き出しました。

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 この紅梅白梅の様子は、毎年お正月の楽しみとなっています。
 
 箱根駅伝で、我が母校である國學院大學が、あと数秒というところでタスキが途切れました。
 タスキを渡すのにあと数十歩という、目と鼻の先に次のランナーがいました。しかし、そのタスキを渡そうとしているのに、号砲と共に自動的にスタートとなり、引き離されるように視界から仲間が消えていくのです。ルールとはいえ、非情な世界を目の当たりにし、身の引き締まる思いで見入ってしまいました。

 2011年にも、シード権争いのデットヒート中に、國學院大学はゴール寸前にコ­ースを間違えたのです。幸いにもすぐに気付き、何とか10位に入って事なきを得ました。
 それにしても、箱根駅伝での応援は、ハラハラドキドキのタスキ渡しのレースです。
 
 夕刻から、京都駅南にある映画館で「かぐや姫の物語」を観ました。
 年末に「利休にたずねよ」を観たT・ジョイ京都です。
 ここは、バスで京都駅北口中央で降りてから、JR駅を渡り都ホテルの先という、相当離れたところにあります。しかし、開演時間の関係で、よく行く三条の映画館はパスして、ここにせざるを得なかったのです。

 「かぐや姫の物語」は出色のできばえでした。
 背景がない映像に引き込まれます。
 改めて、背景とは何だったのか、と考えさせられました。
 物語展開の緩急も絶妙です。帝からの求婚場面の後しばらくは、とにかく目が釘付けです。

 疑問もありました。
 5人の貴公子の話です。
 製作スタッフの皆様には申し訳ないのですが、あまりにも詰まらなくて、つい瞼がくっつき、睡魔から逃れるのに大変でした。少し微睡んだようです。

 ここは、どのような趣向があるのだろう、と期待していました。しかし、それがあまりにもありきたりで、本当に失望しました。
 3人の話でも充分だったと思います。なぜ5人の話にして、わざわざ退屈にしたのか。
 教育関係者に配慮せざるを得ない裏事情でもあったのでは、と邪推したくもなります。
 今はその真意を理解できないままにいます。

 また、捨丸の存在は中途半端でした。なぜ捨丸に結婚をさせ、子供までいる設定にして、かぐや姫と邂逅させたのでしょうか。私には、その俗悪趣味がよく理解できません。
 そのような人物設定にしておいて、最後にかぐや姫と一緒にどこまでも逃げようとします。
 結婚をせず、子供もいない男としなかったのはなぜなのでしょうか。
 これも、教育関係者と妥協した引き替えに強引に残した、という穿った見方をしたくなります。

 このあたりは、ご覧になった多くの方が、気持ちの中にシコリとして残ったはずです。

 制作者側には、それなりの意味をもたせてのことなのでしょう。
 なぜこんな成り行きにしたのかという点については、また後日の楽しみとしておきます。

 そうは言っても、現代の文明社会への厳しい目と、自然への眼差しの優しさが伝わってきたのが、この映画の一番のよさでしょう。特に、若い方々へ、日本的な心情と文化と風物のすばらしさを伝えようとしていると思います。

 また、最後に、かぐや姫を迎えに来る阿弥陀さまの一群が、紫雲と共に降りてくるシーンも圧巻でした。何と言っても、そのバックグラウンドミュージックが軽快でおしゃれなのです。心浮き立つメロディーの中で、阿弥陀さまの無表情さが気に入りました。

 細かな点では、なぜ? が多い映画でした。
 しかし、全体としてはよくできた作品だと思います。
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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