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2014年4月20日 (日)

漱石の新聞連載小説『心』を本文異同の視点から読む

 夏目漱石の『心』が朝日新聞に連載されたのは、今からちょうど100年前の大正3年(1914)4月20日でした。それを記念して、朝日新聞では、今日から当時の新聞小説の再現をスタートさせました。


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 当時の連載記事の冒頭は、こんな感じでした。


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 物語や小説の本文の変容に興味を持つ私は、この100年前に朝日新聞に掲載された連載小説『心』の本文と、今日の新聞に再現された本文の違いを確認してみました。

 結果は、ほとんど同じでした。しかし、多少の相違もありました。そのことを、門外漢の立場ではありますが、確認できた事実としてまとめてみました。

 専門家の間では、すでに解決済みのことかもしれません。しかし、そうしたことはまったく知らず、手元に資料もないこともあり、確認したことだけを以下に記します。

 今日の新聞の「連載開始にあたって」で明示された今回の再現掲載に当たっての断り書きは、以下の通りです。


現代の読者に読みやすいように、本文の旧仮名遣いは現代仮名遣いの岩波文庫版に準拠します。

 実際に、この2つを見比べてみたところ、以下の5カ所の相違が目につきました。

 大正3年の新聞に掲載された連載小説の文章(●印の箇所)と、今日の再現掲載文(○印の箇所)を抜き出してみます。丸括弧「( )」で示したのは振り仮名です。


〈その1〉
●私(わたし)は金(かね)の工面(くめん)に二三日を費(つひや)やした。

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○私は金の工面に二(に)、三日(さんち)を費やした。

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〈その2〉
●電報(でんはう)には母(はゝ)が病氣(びやうき)だからと斷(ことわ)つてあつた。けれども友達(ともだち)はそれを信(しん)じなかつた。

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○電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった

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〈その3〉
● 學校(がくかう)の授業(じゆけふ)が始(はじ)まるにはまだ大分(たいぶ)日数(につすう)があるので、鎌倉(かまくら)に居(を)つても可(よ)し、歸(かへ)つても可(よ)いという境遇(きやうぐう)にゐた私(わたし)は、當分(たうふん)元(もと)の宿(やど)に留(と)まる覺悟(かくご)をした。

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○ 学校の授業が始まるにはまだ大分(だいぶ)日数(ひかず)があるので、鎌倉におっても可(よ)し、帰っても可いという境遇にいた私は、当分元の宿に留(と)まる覚悟をした

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〈その4〉
●其時(そのとき)海岸(かいがん)には掛茶屋(かけちやや)が二軒(にのき)あった。

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○その時海岸には掛茶屋(かけぢゃや)が二軒あった。

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〈その5〉
●私(わたし)は不圖(ふと)した機會(はづみ)から其(その)一軒(けん)の方(はう)に行(ゆ)き慣(な)れてゐた。

(上掲画像参照)

○私はふとした機会(はずみ)からその一軒の方に行き慣(な)れていた。

(上掲画像参照)

 まず〈その1〉から。
 ここでは、最初は「二三日」だったものが、今回の掲載文では「二(に)、三日(さんち)」となっています。
 これは、「23(二十三)日」と読み誤らないようにという配慮から、再現版では「二、三日」としたのでしょう。現代の日本語表記としては、「二、三日」でいいのです。しかし、最初に掲載された時の表記とは違います。ただし、「二、三日」を「にさんち」と読む根拠は何でしょうか。
 なお、漱石の自筆原稿では、次のようになっています(本日の新聞に掲載された生原稿の写真より)。

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 ここでは、「二三日」とあり、振り仮名はありません。

 〈その2〉から。
 ここでは、当初は「〜あつた。けれども〜」とありました。しかし、今回の再現では「あったけれども」と、句点がありません。上掲の自筆原稿では、この句点が打たれているのか、削除されているのかが曖昧です。この1枚目の自筆原稿を見る限りでは、この句点は削除されているとしてよさそうです。しかし、大正3年の新聞には明らかに「〜あつた。けれども〜」となっています。
 句点の有無については、ここで切るのか、続けるのか、微妙な問題を孕んでいます。おそらく、これについてはすでに考察があることでしょう。今は、本文異同の指摘に留めておきます。

 〈その3〉から。
 最初は「日数」に「につすう」という振り仮名がふられていました。しかし、今日の再現版では、「ひかず」という振り仮名が振られています。この違いが意味することが、今の私にはよくわかりません。

 〈その4〉から。
 最初は、「二軒」には「にのき」と振り仮名が振られていました。しかし、今日の再現掲載では、振り仮名がありません。

 〈その5〉から。
 最初は、「一軒」の「軒」に「けん」と振り仮名があります。しかし、今日の再現では振り仮名がありません。
 これは、〈その4〉の「にのき」が今では使わない読みなので、あえて振り仮名をつけないことで、「にけん」とか「いっけん」と読ませたいのではないでしょうか。

 以上、まったくの素人が、掲載文章の本文異同を確認したものです。
 今後の検討の手掛かりとして、まず気付いたことを記しておきます。
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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