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2014年5月の31件の記事

2014年5月31日 (土)

井上靖卒読(182)「聖者」「風」

■「聖者」
 著者みづからが説話を語り伝えるという趣向の作品です。前6世紀のサカ族をめぐる話で、舞台は天山山脈。平和な村に、エニセイ川上流から戻って来た若者は、ことごとく村の慣例に反発します。これまでの村の価値を揺るがす提案もしました。しかし、村人からは、これまでの神観念の冒涜だとされました。泉を守る聖者も否定しました。それによって、村から捨てられます。奇跡的に生き延びた若者は、この村を襲います。そして、首長になりました。これまでの掟を合理的なものに改めます。ところが、それがうまく機能しないのです。事件も起き、貧富の差も生じました。尊厳がない世界は荒廃するのです。泉を照らす月光が美しく描かれています。現代の文明のありようを問い直す作品です。説話というよりも、寓話と言うのがふさわしい内容です。【5】
 
 
初出誌︰海
初出号数︰1969年7月創刊号
 
文春文庫︰崑崙の玉
講談社文芸文庫︰異域の人・幽鬼
井上靖小説全集18︰朱い門・ローマの宿
井上靖全集7︰短篇7・戯曲・童話
 
 
 
■「風」
 亡くなった父のことを思い出して、文章にしてまとめようとします。しかし、父というのは、書くことがないというのです。母ならいくらでもあると。確かにそのようです。男親とは、かくも難しい存在なのです。父親は不思議な存在なのです。作者は、実際の父のことを思い出しながら語っています。瞼に浮かぶ父です。それでいて、息子が思い描く父は、いまひとつ姿形が不安定です。なぜでしょうか。父と息子にはある種の距離感が常にあるのではないか、と私には思われるようになりました。それがこの「風」というタイトルに直結することに、私はやっと気付きました。さらに、死者としての父との会話は、井上靖が得意とするところです。自分のことで言うと、ある日突然に父が語りかけて来る時があります。「てつ!」という一言でだけです。それは、私に優しくカツを入れてくれる父です。それが私の励みになる時があります。父を思い出し、語ることが少ないながらも、そんな思いにさせてくれる作品でした。【5】
 
 
初出誌︰文藝春秋
初出号数︰1970年1月号
 
井上靖小説全集31︰四角な船
井上靖全集7︰短篇7・戯曲・童話

※なお、同名の短編小説「風」(『井上靖全集 第四巻』所収)があります。
 「井上靖卒読(145)「風」「夜の金魚」「銹びた海」」(2012/10/4)
 しかし、これとは別作品です。
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
 
 
 

2014年5月30日 (金)

読書雑記(99)山本兼一『花鳥の夢』

 山本兼一の『花鳥の夢』(2013年4月25日、文藝春秋)を読みました。


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 巻末にあげてある参考文献のうち、『狩野派絵画史』(武田恒夫、吉川弘文館)・『御用絵師 狩野家の血と力』(松木寛、講談社)・『謎解き 洛中洛外図』(黒田日出男、岩波書店)を読んでいたので、絵画史における狩野家の役割などは理解していました。ただし、絵師である永徳個人について具体的にはよく知らなかったので、非常に興味深く読むことができました。

 話のおもしろさと語り口の巧みさに、思わず引き込まれ、一気に読みました。人間の大きさや小ささが、行間から伝わってきます。時代背景と史実と芸術とを語る中で、永徳という一人の人間を描いていきます。それをとりまく人々も、人間の中身までえぐり出すように丁寧に述べていきます。

 「絵は端正が第一義」という狩野家の画法を永徳はどうするかが、まず語られます。
 十三代足利将軍義輝は、狩野元信の子で現当主松栄直信ではなくて、その子の永徳の力量を見抜きます。そして、「人の世には、花と夢がなくてはかなわぬ。」と言って、洛中洛外図を描かせるのです。

 父は、狩野家に伝わる粉本(模本)を永徳に渡します。しかし、永徳はそれを使う気はありません。都の華やかさと賑わいを描くためには、それではもの足りないのです。父の反対を押し切って、京洛を歩き回り、自分の目に収めます。父を見下す息子の気持ちがよく伝わってきます。
 そして、画帖を作りました。祖父元信が言った「よい絵からは、よい音が聞こえる」という教えを心に大事にして。

 永徳は、京洛から都のざわめきが聞こえる洛中洛外図を目指します。
 永徳の洛中洛外図の構想を通して、読者も京の旅気分に浸れます。
 その後、父から受けた教えは、魅せる絵ではなくて、観る者の心が遊ぶ場所を作る、ということでした。永徳が父を見直すきっかけになる言葉です。

 永徳の成長や信長の話が一頻り語られ、長谷川等伯が弟子入りしてからが、さらにおもしろくなります。そして、永徳が等伯を破門するくだりは圧巻です。

 後半で、黒田官兵衛が出てきます。現在、大河ドラマで話題になっている人物なので、この存在もおもしろく読めました。
 最後に、利休が永徳の父の凡庸と思われる絵を褒める場面があります。なかなかうまい一場となっています。そして、利休は長谷川等伯の絵を大徳寺で採用します。
 人間の美意識の違いが、利休によって浮き彫りにされていきます。利休の考え方も注目です。

 全編を通して、等伯からのプレッシャーと闘う永徳の姿が、みごとに活写された作品に仕上がっています。【5】

 なお、『源氏物語』の絵画化について、以下の3ヶ所で、少しだけですが触れています。


 そもそも、永徳の祖母も、女ながら絵師であった。土佐光信のむすめとして生まれ、祖父の嫁となったのである。土佐派の奥義を身につけているだけあって、源氏の絵巻などを描かせれば、いたって達者だった。
 狩野の画風は、和漢を兼ねている。(32頁)


その奥の対面所は、筆頭弟子の宗十郎が華やかな源氏物語図を描いた。大和絵の手法をもちいて、内裏に遊ぶ公家や女官たち、桜に柳、牛車などを達者に描いた。
 人物に生硬さがあるが、男たちは大仰な衣冠束帯、女たちは色目も鮮やかな十二単をまとって長い黒髪を垂らしているので、あまり気にならないのが幸いである。(404頁)


絵の具が乾くあいだには、源氏物語、花鳥、秋草の図を描いた。どの絵も描いているのが楽しくてならなかった。(448頁)

 
 
*初出誌:『別冊 文藝春秋』2009年11月号~2012年9月号
 本書で加筆・修正。
 
 
 

2014年5月29日 (木)

2重に見えるメガネのレンズを作り替える

 国文学研究資料館では、日本全国の大学等に所属する研究者約200名の調査員と緊密に連携し、日本文学及び関連する原典資料(写本・版本等)の所蔵箇所に直接足を運び、書誌的事項を中心とした原本の調査研究を行っています。調査収集事業といわれているものです。

 開館以来40年で、約40万点の調査を終えています。日本全国に散在する日本文学等の資料はおよそ100万点はある、と言われています。まだ道半ばというところです。

 今日は、北は北海道・東北地区から南は九州・沖縄地区までの広範な地域から、国文学文献資料調査員の先生方90人が立川に集まりました。年に一度の調査員大会が、毎年この時期に開催されるのです。
 今日の戸外は28度でした。会場となった大会議室も、それに負けず劣らず熱気が感じられる大会となりました。

 遠方の先生方には、日ごろはなかなかお目にかかれません。また、若い方々とは研究分野が近くても、これまた話す機会が少ないので、こんな時には積極的に声をかけるようにしています。

 しかし、今日は何かと私が抱えている仕事が多くて、話をしようと思っていた方の半分もご挨拶やお話ができませんでした。Yさん、Aさん、をはじめとして、本当に申し訳ありません。来週の中古文学会の時に、お目にかかりましょう。

 夕刻以降、懇親会は欠席し、立川のメガネ屋さんに急ぎました。
 最近どうも目の焦点が合い難くなりました。特に、遠くの方が2重に見えるのです。そのため、ダブった映像を一生懸命1つに合わさるように努力する日々となり、そのせいもあって一日が終わるとドッと疲れがでるようになりました。

 以前、「斜位を見逃されメガネを作り直す」(2012年12月28日)という記事に、今使っているメガネの経緯を書きました。今回は、そのメガネが合わなくなった後日譚でもあります。

 そこで、今のメガネを作ってもらったお店で相談をし、いろいろとチェックをしてもらい、結局また作り直すことになったのです。
 先週発注されたレンズが、今日届くことになっていたのです。

 今度は、プリズムを前回よりも2段階アップしたものを入れることで対処してもらうことになりました。確かに、2重に見えていたものが、サッと1つに焦点が合って見えます。これなら、楽にものが見えます。

 特に、自転車に乗っている時、横を見て前を見直した時など、前の景色になかなか焦点が合わない、ということはなくなるはずです。

 レンズを入れ直すと、あれだけ難儀をしていた見え具合が、すっきりとします。チョットしたことなのです。さっさとすればいいのに、ずるずると引き伸ばしていました。もう少し様子を見てから、という考え方はよくないようです。

 問題を感じたら、さっさと対処する、ということの大切さを、あらためて思うようになりました。
 
 
 

2014年5月28日 (水)

「『源氏物語』原本データベース」を追補しました

 過日本ブログで報告した「『源氏物語』原本データベースを公開」(2014年5月25日)に関して、そのデータベースの内容に以下の情報を追加することで、さらに幅広いものへと更新しています。

 過日は、ウェブで閲覧できる『源氏物語』の【写本】に関するサイトのリンク情報だけでした。
 これに、【『十帖源氏』版本】と【『源氏物語』影印本】に関する情報を追記し、「『源氏物語』原本データベース」として再構成しました。


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 活字の校訂本文だけで読まれている『源氏物語』の受容を、写本で容易に原文が確認できる研究・受容環境を整えようとの意図からの試みです。

 『十帖源氏』は、科研のテーマである「海外における源氏物語研究及び各国語翻訳と日本文化理解の変容に関する調査研究」で取り組む課題の中のひとつです。多言語翻訳の調査研究の対象とするため、ここに整理しておくことにしたものです。

 これらは、現在進行中の、科研による情報整理の途中経過報告でもあります。遺漏や誤りも多々あろうかと思います。手元の情報をとにかく公開することにより、みなさまからご教示をいただく中で、より使い勝手のよいデータ群に育てていきたいと思っています。

 お気づきの点などを、お知らせいただけると幸いです。

 なお、引き続き、国文学研究資料館で公開している「国文学論文目録データベース」に含まれていない、海外で発表された研究論文で平安文学研究に資するものの整理を進めています。これは、英語に留まらず多言語の情報を対象としています。
 近日中に、これも途中段階であっても、当座の役にたつと思われるものを公開する予定です。
 来月早々には暫定版をご覧いただけるようにするつもりです。
 これについても、情報の補訂にご協力いただけると幸いです。
 
 
 

 

2014年5月27日 (火)

転居(4)「源氏物語余情」1996年4月分

 「転居(3)」を受けての、〈旧・源氏物語電子資料館〉の記事「源氏物語余情」の引っ越しです。

 今回は、1996年4月分です。
 今から18年前の『源氏物語』に関する情報を、ここに記録として留めておきます。
 狩野派の三十六歌仙絵について、当時は架蔵の伝探幽筆三十六歌仙のことを調べていたので、こうした分野の情報も収集していました。
 大阪樟蔭女子大学を拠点として活動していた西日本国語国文学データベース研究会(DB-West)は、今では語りぐさになっているデータベースの研究会です。大阪大学を拠点とした日本文学データベース研究会(NDK)とともに、幅広い活動を繰り広げたスケールの大きな研究会であり、息長く続いたことでも知られています。
 『源氏研究』も、『源氏物語』の研究に新しい流れと息吹を吹き込んだ企画が、今でも新鮮です。
 平成7・8年頃は、『源氏物語』とその周辺の研究環境が新たな動きを見せていた時代だった、と言えるのではないでしょうか。
 
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◎(17)96.4.6 4月6日付の京都新聞に「桃山期の麗姿再び 西本願寺 国宝の飛雲閣 修復工事完成」の記事がありました。
 飛雲閣は、豊臣秀吉の聚楽第を移築したものといわれ、金閣・銀閣と共に京都三名閣の一つです。その飛雲閣二層目の〈歌仙之間〉に、桃山時代の狩野派の〈三十六歌仙図〉(34点現存)が極彩色で復元されているそうです。4月13・14日に、25年ぶりに一般公開されます。
 記事によると、「赤外線写真などで絵の痕跡を浮かび上がらせ、肖像の輪郭を調査。これらの資料やわずかに残る顔料から当時の色彩を復元し、同サイズの杉戸にそれぞれの肖像を描いて取り付けた。(改行)複製作業を進めているのは杉戸の表裏に描かれた三十二点で、今回、うち庭に面した十二点が完成した。総事業費は三億七千万円。」だそうです。
 新聞掲載のカラー写真からの素人判断では、手前より清原元輔・坂上是則・藤原元真ではないかと思えます。今回復元された歌仙名をご存じの方がいらっしゃいましたら、お教えください。
 
◎(18)96.4.7 西日本国語国文学データベース研究会(DB-West)主催の6月の会合が、6月2日(日曜日・13:00〜17:00)に、大阪樟蔭女子大学2F円形ホールで開催されます。
 現在、データベースを利用した研究発表・事例報告をなさる方を募集中です。ご希望の方は、伊藤までご連絡ください。発表時間は30分です。
 
◎(19)96.4.26 五島美術館では、本年4月28日(日)〜5月6日(月)まで特別展示として、『源氏物語絵巻』の鈴虫・夕霧・御法が展覧されます。場所は、東京都世田谷区上野毛3-9-25 です。
 なお、本年秋の10月12日(土)〜20日(日)までの特別展示では、『紫式部日記絵巻』が出品されます。
 
◎(20)96.4.26 『源氏研究』(1996.4.20発行、翰林書房)という雑誌が創刊されました。「王朝文化と性」が特集です。
 私は、「インタビュー 王朝美術とジェンダー 千野香織」を興味深く読ませていただきました。

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2014年5月26日 (月)

伊藤科研の第3回「海外における平安文学」研究会のご案内

 春の学会シーズンとなり、何かと慌ただしくバタバタと走り回る日々です。
 そんな中で、科研費による第3回研究会「海外における平安文学」を、下記の要領で開催します。

 今回は、スペイン語に翻訳された『源氏物語』の中でも、「桐壺」巻を検討対象とします。
 日本語に訳し戻ししていただいた資料を元にして、日本の文化がどのように翻訳して伝えられているのかを確認したいと思います。

 参加を希望される方がいらっしゃいましたら、資料等の用意がありますので、本ブログのコメント欄を使ってお知らせください。
 


2014年度 伊藤科研 第3回研究会「海外における平安文学」

日時:2014年6月6日(金)午後15時〜18時
場所:国文学研究資料館・第1会議室(2階)

・挨拶(伊藤鉄也) 15:00〜15:05

・2014年4月・5月の研究報告(淺川槙子) 15:05〜15:15

・本科研のHP「海外源氏情報」についての報告(加々良惠子)15:15〜15:45

・休憩(35分) 15:45〜16:20

・スペイン語訳『源氏物語』「桐壺」について(淺川槙子)16:20〜16:40

・スペイン語訳『源氏物語』の翻訳に関するディスカッション(参加者)
                        16:40〜17:40

・連絡及び打ち合わせ 17:40〜18:00

科学研究費補助金基盤研究(A)「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」
(国文学研究資料館・25244012)代表者:伊藤鉄也


 
 
 

2014年5月25日 (日)

「『源氏物語』原本データベース」を公開

 科研のホームページ「海外源氏情報」に、「『源氏物語』の写本の影印画像」が閲覧できるサイトのリンク集を公開しています。

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 まだまだ暫定的です。今後、さらに充実させていきます。  お気付きの点は、どうぞ「コメント・ご教示など」をクリックしてお寄せください。  ご教示などを積極的に取り上げて公開する中で情報を更新し、使い勝手のよい便利なリンク集に育てていきたいと思います。  今後とも、本ホームページ「海外源氏情報」のご理解とご協力を、どうぞよろしくお願いいたします。      

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2014年5月24日 (土)

古写本『源氏物語』の行方を古書目録から追跡する仲間を募集中

 九段下にある千代田図書館には、明治から昭和にかけて発行された古書販売目録が、約1万点も大切に保存されています。
 地下鉄「九段下」をおりて徒歩2分のところに、千代田図書館はあります。その手前には、高田郁の〈みおつくし料理帖シリーズ〉の舞台となる「まないたばし」がかすかに見えます。現在は、高架道路が工事中です。


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 千代田図書館が入る千代田区役所の10階にある食堂から皇居を見ると、北の丸公園の向こうに国会議事堂や東京タワーが視界に入ってきます。


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 さて、この千代田図書館の古書目録の調査については、以下のブログで何度か報告しました。

「千代田図書館蔵古書目録の中の英訳『源氏物語』(1)」(2011/7/22)

「千代田図書館の目録調査を2年ぶりに再開」(2013年09月27日)

 その後、昨年10月18日に調査をして以来、ずっとご無沙汰でした。そして、何と7ヶ月ぶりに調査に行きました。
 何かと多忙な日々のため、なかなか足を向ける機会が少なくなっています。このままでは、定年で京都に帰るまでの後3年間に、1割も点検できればいいほうです。
 これは、どなかたにバトンタッチしなければなりません。その準備を、真剣に考えるようになりました。

 図書館から許可を戴きましたので、古書目録が収蔵されている状態を写真でご覧いただけるようにします。

 まず、目録類はこんな状態で中性紙のボックスに整理されています。


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 上記2011年の記事で紹介したボックスは、今では扉付きの収納ケースとなり、整然とケースの中で調査を待っています。このケースが、書棚にズラリと並んでいます。とにかく、1万点というのは気が遠くなる数量です。
 上の写真は、現在私が調査をしている棚の最下段にあたるところです。「書店別」と「即売会」の表示が見えます。これ以外に、「入札会」というボックスもあります。

 「書店別」の中は、こんな状態で収納されています。


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 現在着手中の「即売会」のボックスは、こんな状態で収まっています。


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 こうした目録類は、経年変化と針金で綴じてあることなどから、錆が出たり紙が変質したりし出しています。そこで、一冊ずつの針金を取り去り、目録一部ずつを中性紙に挟んでいく作業も進められています。根気のいる作業です。

 私は、以下のような情報を古書販売目録から抜き出しています。今はまだ、反町茂雄氏が集めていた古書販売目録の最初を見ているに過ぎません。

 試みに、すでに見終えた80冊の古書販売目録の中から、『源氏物語』の古写本に関する記述が確認できる箇所を抜き出してみました。
 この鎌倉時代から室町時代にかけての古写本『源氏物語』が現在どこにあるのかは、今後の調査となります。この目録に掲載された写本の追跡は、今後の重要な課題です。

 手始めに見ただけでも、以下の通りこれだけの『源氏物語』の古写本が売りに出されていたことがわかります。まだまだあるのですから、『源氏物語』の写本を追跡するだけでも根気が必要です。


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(1) 資料番号『即売会冊子名』
(2) 『源氏物語』記事抜き出し
(3) 即売会年代

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(1)5503『古書籍大即売展略目録』
(2)339「源氏物語 野分、伝藤原定家筆/鎌倉初期写、一冊、30,000円」
(3)(昭和24年)5月24日〜29日
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(1)5503『古書籍大即売展略目録』
(2)353「物語二百番歌合、藤原定家自筆草稿、二冊、150,000円、古物語研究の貴重資料たる源氏狭衣百番歌合と拾遺百番歌合の著者自筆草稿本。種々なる点に於て最も重要なる新事実を提供する貴重書」
(3)(昭和24年)5月24日〜29日
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(1)5507『和漢洋綜合古書展出品目録』
(2)571「源氏物語、伝甘露寺親長筆/足利中期古写、上本、一箱五四、9,500円」
(3)昭和25年6月1日〜4日
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(1)5507『和漢洋綜合古書展出品目録』
(2)990「伝為相筆 源氏初音巻、鎌倉末期写箱入、一冊、8,500円」
(3)昭和25年6月1日〜4日
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(1)5507『和漢洋綜合古書展出品目録』
(2)1155「源氏物語、よもきふ、見の里、かゝり火、夢の浮橋、古写本。桐二箱入、四冊、650円」
(3)昭和25年6月1日〜4日
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(1)5507『和漢洋綜合古書展出品目録』
(2)1156「三帖源氏、古写本列丁綴金絵表紙麗装桐箱入。三冊、1,800円」
(3)昭和25年6月1日〜4日
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(1)5571『某家旧蔵稀書古典籍善本即売展』
(2)133「古写源氏物語 慶長五年良恕親王筆、金泥絵表紙箱入五十四帖 50,000」
(3)(昭和34年頃)2月4日〜8日
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(1)5572『和洋善本古書籍大即売会目録抄』
(2)120「源氏物語 室町時代筆 箱入五十冊 20,000」
(3)昭和37年9月15日〜17日
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(1)5572『和洋善本古書籍大即売会目録抄』
(2)124「源氏物語 逍遥院京極門/肖柏 筆/五重箱入 室町朱筆 全五十五冊 桝形本 150,000」
(3)昭和37年9月15日〜17日
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 なお、『源氏物語』を中心に追いかけていても、やはり以下のような記事に出会うと、ついメモを取ってしまいます。


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(1)5503『古書籍大即売展略目録』
(2)702「潤一郎肉筆原稿 肉塊、発禁となりし鉛筆書、4,000円」
(3)(昭和24年)5月24日〜29日
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 今は一人静かに楽しみながら進めています。しかし、遅々として進みません。
 もしよかったら、どなたかお手伝いをしていただけませんか。そして、一緒に調査を進めませんか。
 とりあえずは、古写本『源氏物語』の情報を掬い上げるお手伝いをしてくださる方を探しています。
 目録の書名を目で追う単純作業です。と言っても、これがなかなかおもしろいので、見出すとやめられません。

 興味のある方は、本ブログのコメント欄などを通して連絡をいただけると、さらに詳しいことをお知らせします。大学の学部生でも大丈夫です。もちろん、社会人の方でも構いません。
 興味を持たれた方からの連絡を、心待ちにしています。
 
 
 

2014年5月23日 (金)

井上靖卒読(181)「四角な石」「アム・ダリヤの水溜り」

■「四角な石」
 北陸での学生時代の友情について語り出します。そして、卒業後の昭和19年の春。新聞記者になった私は、友人の郷里へ出張で出かけました。そこで墓石に刻まれた文字の問題に直面します。友人の父親が、母に関しては実家の姓を名告り、しかも名前がないものだったからです。
 終戦後、同窓会で友人に会います。さらに親交が深まり、友人の娘の結婚式に行きます。そこで、またあの墓石の話になります。母親の方がしたたかだったという流れになります。
 墓石をめぐって夫婦のあり方を考えさせます。意外な展開と問題提起です。2人が1つの墓の下に眠ることの意味について、おもしろかった所を引いておきます。


 墓の中で、時々二人は会話を交している。夫は言う。お前と俺とは確かに現世で夫婦であったから、いま一緒のところに眠っている。これはまあいいことだろう。併し、お互の間には垣はある筈だ。それだけは踏み外さないでおこう。お前は実家の姓を持って、そっちに坐っていなさい。俺は俺の姓を名乗ってこっちに坐っている。すると、妻が言う。そうですとも、現世を離れてなにも遠慮する必要がなくなったいま、あけすけな言い方をすれば、もともと二人は他人でしたものね。一生夫婦として、まあ一応仲よく暮したけど、やっぱり他人は他人ね。あなた、もっとそっちへ行って。もうお互に死んでしまったのだから、少し離れて楽に坐っていましょうよ。(『井上靖全集 第七巻』231頁上段)

 やがて、友人の妻が亡くなります。墓をめぐる話がさらに展開し、私が墓碑を書くことになりました。さて、どうなるのか、興味深い話です。【4】
 
 
初出誌︰新潮
初出号数︰1969年1月号
 
集英社文庫︰冬の月
井上靖全集7︰短篇7・戯曲・童話
 
時代︰戦前〜戦後
舞台︰長野県(松本)、信濃
 
 
 
■「アム・ダリヤの水溜り」
 ロシアの川の話です。レナ川、オビ川、エニセイ川、ヴォルガ川、ドニエプル川、アンガラ川、セレンガ川、アムール川、アム・ダリヤ川、シル・ダリヤ川、ザラフシャン川。『論語』に「逝くものは斯くの如きか、昼夜をおかず」につながっています。話は、アム・ダリヤの落日の美しさで閉じられます。【2】
 
 
初出誌︰季刊芸術
初出号数︰1969年4月第9号
 
新潮文庫︰道・ローマの宿
井上靖小説全集18︰朱い門・ローマの宿
井上靖全集7︰短篇7・戯曲・童話
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
 
 
 

2014年5月22日 (木)

読書雑記(98)山本兼一『銀の島』で追悼

 山本兼一は、本年(2014年)2月13日に、57歳という若さで亡くなりました。この訃報は、ベトナム・ハノイ大学での調査を終えてホテルに帰り、インターネットで日本のニュースを見て知りました。

 山本兼一の〈とびきり屋見立て帖シリーズ〉は、絶品といえるほどの傑作でした。
 三条木屋町で道具屋を営む真之介とゆず夫婦の話は3冊まで刊行され、シリーズとしてますますおもしろくなっていました。今後が大いに期待できる構想の豊かさが実感できる作品だったこともあり、次作の発表を楽しみにしていました。それだけに、もう読めなくなったことが本当に残念です。

 これまでに私がこのブログで取り上げた山本兼一の作品は、以下の通りです。

「読書雑記(56)山本兼一『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』」(2012年12月18日)

「読書雑記(57)山本兼一『ええもんひとつ ―とびきり屋見立て帖』」(2012年12月19日)

「読書雑記(63)山本兼一『赤絵そうめん』でお茶のイメージトレーニング」(2013年04月17日)

「読書雑記(58)山本兼一『利休にたずねよ』」(2013年01月07日)

「読書雑記(59)山本兼一『利休の風景』」(2013年01月08日)

 昨年末に海老蔵が主演で映画化された『利休にたずねよ』(2013年12月28日)を京都三条の映画館で観た後、次に山本兼一のどの作品を読もうか、と思案していた時にベトナムで知った訃報でした。
 次は、『花鳥の夢』(2013年)、『命もいらず名もいらず』(2010年)、『戦国秘録 白鷹伝』(2002年)の順番で読む準備をしていた時だったので、とにかく驚きでした。もう新作が出ることはないので、遅ればせながら、これからゆっくりと他の作品を読もうと思います。

 さて本作『銀の島』は、『小説トリッパー』(2007年夏季号〜2008年冬季号)に『ザビエルの墓標』として連載されたものが元となっています。それを大幅に加筆した上で『銀の島』と改題し、2011年6月に朝日新聞出版から単行本として刊行されました。
 今回、追悼の意味で朝日文庫として緊急出版されたのです。


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 すでに、島根県のアンテナショップである「にほんばし島根館」で、世界遺産に指定された石見銀山を紹介するパンフレットなどの資料を揃え、一通り目を通していました。その準備が、今回役に立ちました。


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 通俗小説を書いていた主人公は、明治43年にザビエルのことが知りたくて、横浜から船でゴアへ行きます。そして、ザビエルの伝記に欠かせない資料が、ゴヤで見つかったのです。そこに書かれていたのは、衝撃的な内容でした。そこから、石見銀山がクローズアップされるのです。300年前に安次郎が日本語で書いた手記を託された私は、それを英訳する前の筆写に厚遇を得る中で手を付けます。巧みな物語展開です。波乱万丈の冒険譚の始まりです。

 時計は、天正15(1587)年に戻ります。
 安次郎は、東南アジアからインドのゴアへと、艱難辛苦の人生を送ります。そこにザビエルとの出会いがあり、運命が大きく展開します。ヨーロッパと東南アジアと日本の物流がよく描けています。『唐物の文化史』(河添房江、岩波新書)を読んでから、唐物のことに興味を持ち出したこともあり、多くの舶載品の動きに注意を向けながら読みました。香木の話も出てきます。貿易についてもわかりやすく語られています。

 外国人の目から見た日本人の描写が新鮮でした。こうした逆転した視点から見ると、日本の文化がよく炙り出されます。特に、礼法については、日本人はおもしろい文化を持った民族であることがわかります。

 やがて話は、バラッタの登場によって、大内氏の石見と、尼子氏の出雲の話になります。山口の大内氏の話になると、吉見氏や吉川氏の名前が出てきます。大島本『源氏物語』にまつわる話に出てくる氏族の名前ということもあり、どんどん引き込まれていきました。ただし、話が石見銀山を舞台としてから、しだいに面白みに欠けるようになりました。展開が平板になったのです。話が嘘っぽくなってきたこともあります。作者の無理が見え出したこともあります。鉄砲の話の時もそうでした。調べたことに集中するあまり、ドラマ性がなくなってきたのです。

 最後の場面で、人として生きていく上で一番大切なものは「仲間」だと言います。その考えで、また話は大きく進展していきます。
 月光を浴びる中での海戦の様は、読みごたえがありました。
 作者は何度も、「あなたは、いったいなにをしに日本に来たのか。」とザビエルに問いかけます。あの『利休にたずねよ』という小説を思い出させるラストシーンでした。

 もっとも、「石見銀山占領計画」なるものがこの小説の中心になるはずが、どうもうまく作品の完成度を上げるのに貢献していません。おもしろく読者を引っ張ってくれます。しかし、肝心の話は盛り上がらないままだったように思われます。独創性が失速した読後感となりました。【3】
 
 
 

2014年5月21日 (水)

京都で『十帖源氏』を読む「明石_その3」

 活動報告が遅くなりました。
 先週の「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第10回)+追記」(2014年05月17日)に引き続いて行った、『十帖源氏』を読む会の記録です。

 今回も、娘がわざわざ大阪から差し入れのお茶菓子を持って来てくれました。疲れた脳の活性化に、と言いながら。


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 落雁は奈良・菊屋さんの「南都七大寺」です。古瓦をイメージしたお菓子です。また、清涼感たっぷりの金魚や青紅葉を配したゼリーは、京都・笹屋伊織の和菓子です。これをいただいて、元気に『十帖源氏』を読み進めました。

 まずは、「仁王会」をどうするかということから始まりました。
 仏教用語でもあり、発音だけでも残したいとの思いから、「仁王会という仏教行事」としました。これは、先週の東京での勉強会「東京で読む『十帖源氏』はしばし休会になります」(2014年05月13日)で問題になった、「独古」と同じ考え方です。固有名詞の中でも、宗教に関する言葉は、その発音も含めて翻訳に手こずります。ここも、ローマ字読みで終わりにしないで、少し説明的な言葉を付け足して、わかりやすい現代語訳にしました。

 「かくしつゝ〜」を、担当者は「こうしているうちに〜」としました。これではあまりにも抽象的なので海外の諸言語に訳しにくいだろうということで、「源氏は、このままだと〜」と主語を補ってわかりやすい訳にしました。

 雷が落ちる「らう」については、「楼」ではなくて「廊」としました。しかし、「廊」では「廊下」の意味合いが濃く、何かないかと思案しました。
 『十帖源氏』の挿絵は、渡り廊下が燃え上がっている様を描いています。


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 しかし、ここは「建物」というさらに広い意味で訳すことにしました。

 「上下となく」という部分は、身分の上下なのか、状況としての「上を下への」という混乱を表現する意味なのかで意見がわかれました。
 これは、さらに調べる必要がある、ということで課題として残しました。次回に調査結果を報告します。

 「空はすみをすりたるやうにて」も、空の様子を表現するのに、「墨をする」という行為とがうまく連動して伝わるか、ということで時間をかけました。硯の面などを想起しながら、結局は「空は墨のように黒くなっていき」として、あの微妙な色の変化は無理に盛り込まないことになりました。

 なお、この日に一番驚いたのは、光源氏が奥の建物に避難する状況を表現するのに、中国語では「護送」でも通用するということでした。高貴な人が避難するときに「護送」では、我々現代の日本人の感覚としては違和感を覚えます。

 こうした言葉の違いを掻き分けながら、海外の諸言語に対応できる現代語訳を目指して読み進めているところです。

 来月の『十帖源氏』を読む会は、6月21日(土)午後3時から5時までです。場所は、いつものワックジャパンです。
 
 
 

2014年5月20日 (火)

京洛逍遥(320)在原業平邸址碑と自動販売機のパネル

 昨日のカキツバタに関連して、『伊勢物語』の在原業平について。
 折しも、来週5月28日が業平の命日とのことです。

 烏丸御池の交差点から東に3本入った通りの角に、「在原業平邸址」の石碑があることを、最近通りがかって気付きました。目立たない御池通間之町の角にあるので、つい通り過ぎていたのです。吉忠(株)の西壁沿いで、その東にはホテルギルモンド京都があります。


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 最近通い出した歯医者の目と鼻の先にあるので、治療後に写真を撮りに行きました。ここは、平安時代には左京四坊三町と言われていた場所です。

 カメラのシャッターを押そうとして、横に設置されている自動販売機に目がいきました。なんと、業平の和歌を大書したポスター(パネル)が掲示されているのです。


月やあらぬ
春や昔の
春ならぬ
我が身ひとつは
もとの身にして
   在原業平

 これは、『伊勢物語』第4段に


昔、東の五条に大后の宮おはしましける西の対に住む人ありけり。

と始まる話の中にある歌です。『古今和歌集』(巻15)でもよく知られている業平の歌です。

 なお、ネットで確認していると、このポスター(パネル)が次の歌であった時もあったようです「過去のポスター」
 これは、『伊勢物語』の第83段(『古今和歌集』巻18)にある歌です。


忘れては
夢かとぞ思ふ
思ひきや
雪踏みわけて
君をみむとは

 ということは、この石碑の横に設置された自動販売機のこのスペースには、折々に業平の和歌パネルが入れ替えられていることも想定できます。
 どなたか、この辺りの事情をご存知の方は、ご教示いただければ幸いです。

 この碑は平安博物館が建立したと側面南側に刻まれています。裏側には「昭和四十七年二月」とあります。角田文衛先生のご指示によるものと思われます。

 自動販売機は角田先生の預かり知らない最近のものなので、この設置にあたり担当者の心憎い配慮に感謝したいと思います。

 なお、京都市にある在原業平関係の遺蹟は、この他に次の6カ所があります。


(1)上賀茂神社・岩本社(北区上賀茂本山)
(2)業平塚(左京区吉田山山上竹田稲荷北側)
(3)恵比寿神社・岩本稲荷神社(東山区大和大路通松原上ル)
(4)藤森神社(伏見区深草鳥井崎町)
(5)十輪寺(西京区大原野小塩)
(6)大原野神社(西京区大原野春日町)

 
 
 

2014年5月19日 (月)

京洛逍遥(319)「いずれがあやめかきつばた」

 先週末の京洛は好天に恵まれ、暖かな初夏でした。清々しい気分で散策をしました。

 日曜日の河原では、「YMCAインターナショナルチャリティーラン」という、規模の大きなマラソン大会をやっていました。


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 自動車も信号もない平坦な遊歩道なので、賀茂川の河畔はまさにランニングには格好のコースとなります。しかも、折り返す場所が橋になるので、長距離ならもう一つ先の橋にすればいいので、走る距離は伸縮自在です。さらには、賀茂川を上るも下るも可能なので、南北のコースが自由に組めます。
 京都駅伝の頃には、全国各地から集ったランナーがコンディションの調整を兼ねて、隊列を組んで走っておられます。

 ただし、自転車で移動するためにここを通る時には、ランナーをよけながら走ることになります。ランラーとの対面時にも追い越す時にも、何度か危ない思いをしました。特に、マラソンの後半で息苦しい状態の方とすれ違う時には要注意です。前からの対面はまだしも、後ろから追い越す時に、ユラリフラリと走路を蛇行されると接触しそうになるのです。

 自転車は車輌の一つです。しかし、のんびりとサイクリングも気持ちのいいものなので、極論に走ってこの河原から自転車を排除しようなどと言い出す方が現れないことを祈ります。そのためにも、一日も早く共存の道を探る必要があります。
 歩く人、走る人、そして自転車と、お互いが気持ちよく利用できる賀茂川の散策路となるように、今後とも知恵を出し合っていきたいものです。

 夕方の散歩中に、いつも渡る飛び石の「トントン」で「菖蒲 or 燕子花(杜若)」を見かけました。


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 尾形光琳の「燕子花図屏風」を思い出しました。ただし、あれは紫、これは黄です。
 『伊勢物語』の第9段で、昔男(在原業平)が「東下り」の途次、三河国八橋で「からころも〜」とカキツバタを歌に詠んだ折句のことも浮かびました。
 さらには、京名物ともいえる焼き菓子の「八ツ橋」までも頭をよぎります。
 つい、カキツバタに連想がいきます。
 近寄って見ると、こんな姿をしていました。


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 「いずれがあやめかきつばた」とも言われています。
 植物に詳しくないので、カキツバタ、アヤメ、ショウブの区別がつきません。しかし、根拠のないまま素人判断の直感ながら、これはカキツバタだと思いました。でも、黄色いカキツバタ(?)

 帰ってから調べてみると、どうやら「キショウブ」のようです。よくわからないので、漢字で「菖蒲」と書いて今はごまかしておきます。

 菖蒲の近くに鷺が舞い降りて来ました。トントンには仲睦まじい二人が楽しそうな話に夢中です。鷺は、菖蒲と二人を交互にチラチラと見ていました。


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 お二人が岸に上がられてから対岸に渡ると、まだ鷺はジッと菖蒲を見ています。手前には小さな鳥も来ました。護岸の上では、散策中の方もこの様子を見ながら通り過ぎて行かれます。


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 賀茂川の鷺ばかりを紹介しているようです。しかし、鷺だけではなく、時たま鵜もいます。
 久しぶりに黒鵜を見かけたので、大文字の如意ヶ岳を背景にした賀茂川の黒鵜にも登場してもらいましょう。


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2014年5月18日 (日)

京洛逍遥(318)上御霊神社の御霊祭

 今日は、京都でも一番古い祭りとされる、上御霊神社の御霊祭(渡御之儀)の日でした。
 桓武天皇の時代に、御霊の祟りとされた疫病を鎮めるために行われたものだそうです。いわゆる、御霊信仰に発するお祭りです。また、この神社は「応仁の乱発祥の地」でもあります。


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 今年の葵祭には参加できませんでした。そこで、今回はミニチュア版ながら、上御霊神社の行列巡行のことを書いておきます。

 上御霊神社の境内には、屋台がひしめき合っていました。「御霊さんのさえずり市」というフリーマーケットが、毎月18日に開かれます。ただし、今日はご祭礼です。それにしても、境内がこんなに広かったのかと、あらためて見回してしまいました。もっとも、かつてはこの2倍の広さがあったということなので、いずこも世と共に縮小化の傾向にはあります。


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 ここは、かつての小山郷にあった上出雲寺御霊堂です。昨日、ワックジャパンでの勉強会に行く途中、寺町通りにある西国三十三所の第19番札所である革堂のすぐ北にある下御霊神社の前では、多くの屋台が出ていて賑やかでした。その下御霊神社は、かつては下出雲寺御霊堂と言っていたそうです。
 賀茂川沿いの洛中北東には、上と下にこうした御霊神社が鎮座しているのです。

 今私は旧下鴨郷に住んでいます。しかし、3年前までは、賀茂川を挟んだ対岸にある、この上御霊神社がある旧小山郷にいました。お世話になった氏神さまです。この祭礼に参加されている方々の衿や背中に、鮮やかに小山郷と染め抜かれています。一番の見物とされる神輿を取り巻く若い衆は、この半被を誇らしく着ておられます。


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 小山郷、今出川口、末廣と3つの神輿担ぎの組があるそうです。上の写真は、そのうちの小山郷のみなさんです。

 ここの御祭礼を私は初めて見ます。この際と思い、我流ながら早回りに挑んでみました。自分に1時間という制限を課しました。

 なお、このお祭りの全貌は、「京都観光チャンネル 京の祭 御霊祭」が詳細でわかりやすいので、ぜひご参照ください。私は、こうしたことを何も知らず、予習なしに自分でストーリーを作って動いてみたのです。出会った方に聞きながら移動しました。知らないことの自由さと楽しさを満喫しました。

 神幸列は午後0時半に上御霊神社を出発し、太鼓・狩衣姿の楽人・若武者・稚児・牛車・神輿などが御所に向かって進みます。
 昨年は、約140年ぶりに神幸列全体が京都御苑内を巡行したそうです。今年はどうだったのか、1時間で見終わることにチャレンジしたので、詳細はわかりません。ただし、交通整理のお巡りさんの話では、毎年コースが違うので大変ですわ、と仰っていました。今はこのお祭りの変革の時期なのかもしれません。

 さて私は、御霊神社を行列が出発した直後の、午後1時半過ぎに行きました。ちょうど、末廣の御神輿が出て来た所でした。御神輿の形でもわかります。唐破風で屋根は神明作りだそうです。


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 すぐ後を追うようにして、神馬が列の最後尾を歩んで来ました。。


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 出町の桝形商店街周辺もすごい人出でした。ちょうど今出川の神輿が河原町通り交差点の中央で、盛大に掛け声をかけて振り上げているところです。


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 休息場所では、お手伝いのみなさんが俵型のコロッケを配っておられます。栄養補給にコロッケというのは、何か謂われでもあるのでしょうか。また、それが俵型というのは、これがクリームコロッケなのか、それとも男たちが道端で摘まんで食べやすいような工夫があるためでしょうか。


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 今出川交差点を西に入ってから寺町通りを少し下ると、若武者姿の子どもたちが御霊太鼓を叩いて盛り上げていました。この行列は長い休憩時間をとっているようなのに、この太鼓の子どもたちはずっと叩いていました。暑い中、その元気さに感心しました。


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 さらに寺町通りを下り、廬山寺と梨木神社の前で賑やかな行列と出くわしました。久しぶりに獅子舞を見ました。その後から龍鉾が来ます。
 ちょうど廬山寺の前というのがいいタイミングでした。


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 さらに、蓬莱御鉾が続きます。


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 若いアルバイトの方は横に目をやりながら、「廬山寺って聞いたことあるな……」と言う会話をしておられました。紫式部とか『源氏物語』には結び付かないようです。当然、今歩いている道に、かつては中川という川が流れていて、ここが『源氏物語』で空蝉が光源氏と会った舞台だとは気付かないままです。後日、そんなことを知る機会があればいいですね。

 もう少し下ると、京都御苑の木陰で、稚児行列のみなさんが時間待ちをしておられました。すでにお疲れです。多くの方が携帯電話を触っておられたのが印象的でした。


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 このコースで、1時間かかりませんでした。しかも、廬山寺前の通りは、見物の方は皆無です。じっくりと装束を拝見することができました。
 この廬山寺前に午後2時半頃に来ると、この行列を堪能できることがわかりました。
 
 
 

2014年5月17日 (土)

京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第10回)+追記

 賀茂川の両岸は新緑で爽やかな初夏となりました。今日は、気温も27度。自転車で川沿いを走ると、心地よい風が次第に生温い感じで身体を包み込んで流れていきます。

 今日は、御所南にあるワックジャパンで、ハーバード大学本「蜻蛉」を読む会と、『十帖源氏』を読む会があります。
 いつものように、途中の出雲路橋から賀茂川の南北を望んだ写真を撮りました。
 まずは川上の北山です。

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 振り返って、葵橋の方を眺めました。


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 1ヶ月前の4月12日は、賀茂川の両岸は次のような葉桜の並木でした。

「京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第9回)」(2014年04月12日)

 この川を眺めていると、季節の移り変わりがはっきりとわかります。

 今日の古写本を読む会には、先日の京都新聞の「まちかど」欄に掲載されたお誘いの記事をご覧になった方が、参加をしてくださいました。年配の男性なので、貴重な存在です。電気の仕事をしてきたので、日本の古典文学のことは何も、とおっしゃっていました。かな文字を読むことが中心ですから、ということをご説明して、一緒に変体がなを読み進めました。

 今日は、5丁オモテからです。ちょうどこの丁の紙は、吹き絵に金粉をまぶしたものです。いったい誰が書写を依頼し、この豪華な紙をどのようにして調達し、書写した本を誰に献上したのか等々、想像するだけでも楽しくなります。

 かな文字で「ゐ」や「ゑ」が正確に書けるか、という話になると、みなさん思い当たることがあるのでしょう、反応があって盛り上がりました。中国から来ている大学院生も、「ゑ」はうまく書けないとのことでした。「ゐ」は漢字の「為」に近い文字しか書けないそうです。
 学校では、ワ行の文字はあまり教えないようなので、古典との距離が生じているようです。
 日本語のコミュニケーション・ツールとしてのかな文字のありようが、気になり出しました。

 さらに、「ゐ」と「ゑ」をカタカナでどう書くか、ということになると、日本の大学の学部生も怪しい反応でした。特に、「ゐ」のカタカナについては、社会人の方も悩んでおられました。
 日本語で記述するときに基本となる「ひらがな」と「カタカナ」について、義務教育では強制されていないと思われるワ行の文字について、日本人は正しく理解できているのか現状を知りたくなりました。
 「ゐ」や「ゑ」に留まらず、次の文章は書けるのか、ということも問題になりました。


わたし WA 学校 HE 勉強 WO しに行きます。

 もちろん、「こんにち HA」も、携帯電話やスマートフォンなどが普及し、ショートメールが盛んな現代において、実態はどのようになっているのでしょうか。この件で調査データなどをお持ちか、あるいはご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。

 初めての方がいらっしゃったこともあり、半丁だけで時間が来ました。
 ひらがなの一文字ずつを考えていると、現代の社会でそれが機能的に使われているのか、いろいろと知りたくなりました。このことは、折々に取り上げたいと思います。

【追記】来月の古写本を読む会は、6月21日(土)午後1時から2時半までです。
    場所は、いつものワックジャパンです。

 
 
 

2014年5月16日 (金)

NPO法人の書類を持って烏丸御池を走る

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の法人市民税のことで、ひたすら走って走って、地下鉄烏丸御池駅の真上にある担当窓口に駆けつけました。なんとか間に合いました。そして、本法人関係者には朗報を伝えることができることとなりました。

 万博の年(1970年)に、ソルティー・シュガーの「走れコウタロー」がはやりました。
 あの歌そのままに、この痩せ細った身体に鞭打って、


〜ここでおまえが まけたなら おいらの生活 ままならぬ 走れ走れ コウタロー〜

という、運動会でいつも流れるコミックソングよろしく、空間移動を果たした甲斐があったのです。

 目指す先は、烏丸御池にある〈京都市行財政局税務部法人課法人市民税担当〉の窓口でした。
 過日、この窓口で説明を受けました。それは、京大病院の近くにある左京税務署で本会の法人税が免除されたのを受けて、法人市民税はどうするのか、ということでした。その時には、結局5万円を今月末までに支払うこととなりました。
 しかし、その後いろいろと調べているうちに、これも免除対象となることがわかりました。多分に私の勉強と認識の不足が原因です。

 そこで、再度その確認と相談に行ったのです。これは、法人として収益事業をするかどうかで決まるものだそうです。過日の説明では、事務所にかかるものだとのことだったので、京都市内に事務所を持つNPO法人としては当然支払うべきものだ、と判断していました。ただし、収益事業をしていない現状と実態から、設立時に提出していた内容の変更手続きなどをすることで、本年度は免除ということになりました。一安心です。職員の方の丁寧な説明と柔軟な対応に感謝します。

 2年目を迎えたNPO法人〈源氏物語電子資料館〉は、まだ十数人の正会員による会費だけで運営しています。そのため、こうした免除はありがたいものであることを、身に滲みて感じます。

 今は、写本を読んでいただいた方々に、僅かですが謝金をお支払いしています。
 この地球上に存在する『源氏物語』の写本すべてを翻字する、という目的を果たすためにも、みなさんの理解と協力を得ながら、前を向いてコツコツと歩んでいるところです。

 近年の傾向として、かなで書かれた写本が読める方が少なくなりました。その数の減少は顕著です。そこで、昨年10月に『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(新典社、185頁、1600円+税)を刊行しました。
 さらに、今月末には、その続編となる『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』(新典社、210頁、1800円+税)が書店に並びます。

 1人でも多くの方が写本を読めるように、この2冊の本が、かな文字を学ぶための入門のテキストになれば、と願っています。
 この世に存在するすべての『源氏物語』を翻字してデータベース化するためには、墨で書かれたかな文字が読める方々を確保する必要があります。そのための人材開発と育成に、このハーバード大学所蔵の古写本を有効に活用していくつもりです。

 まだ産声を上げたばかりのヒヨコ組織ではありますが、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉は、こうした目標を実現するための仕組みを構築している段階です。
 その成果が示せるまで、今しばらく時間をいただきたいと思っています。
 そして、かな文字が読める方から「写本を読みますよ」という連絡を待っているところです。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉については、積極的な宣伝・広報活動はしていません。
 「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページ」は小まめに更新していますので、折々にのぞいて見てください。

 
 
 

2014年5月15日 (木)

江戸漫歩(79)娘夫婦と神楽坂で食事

 娘夫婦が、研修のために上京して来ました。飯田橋で妻とも合流し、神楽坂を散策することになりました。予想外に人出が多く、活気があります。若者が多いのに驚きました。

 坂道を歩いていて、少し露地を入ったところに雰囲気のいい店がありました。神楽坂「河庄」と書いてあります。メニューに料金が書いてありません。しかし、落ち着いたたたずまいの店なので、思い切って入りました。


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 女将さんから、神楽坂のことをいろいろと聞くことができました。
 このお店は、かつては本多家の屋敷があったところで、お店の前を本多横丁と言うそうです。すぐそばに芸者新道があるので、花柳界の名残がある一角です。

 女将さんは向島の生まれで、いかにも江戸の女性です。このお店も、建築関係の仕事だった檀那さんが建てたのだそうです。
 古い建物が好きなので、内装に目がいきました。
 次の写真の左上が漆喰天井、中央下に唐傘天井、そして右上が網代天井です。


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 漆喰天井は、竹を組んだものを上から吊し、それを漆喰で塗り固めたものだそうです。
 唐傘天井は、京都祇園の料理屋や茶店の前で見かけます。
 網代天井は私の大好きな天井で、京都の家でも大事にしています。

 壁には、鳶職の仲間から贈られたという、纏いを描いた飾り板がありました。


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 纏いは、江戸時代に町の火消しが各組の印としたもので、元は竿の先に付ける飾りだったものです。江戸の香りがする店で、江戸の話を聞くことができました。

 料理は京風の薄味で、おいしくいただきました。京都の松原通りで修行された息子さんが作っておられます。
 万願寺があったので驚きました。京都ではよく食べる万願寺も、東京ではほとんど見かけません。お魚も新鮮で、天麩羅もカラリと。京の料亭でいただく料理の気分を味わいました。
 私は麦焼酎、妻はビール、婿殿は梅酒、娘はウーロン茶と、みんな思い思いの飲み物です。それでも、話は弾みました。

 女将さんの話では、今日は水曜日で「ノー残業デー」なので、人が多いのだそうです。神楽坂も銀座と同じように、若者が往き来できる街になっています。時代の移り変わりを見せています。

 飛び込みで入ったお店でした。しかし、なかなかいい場所で楽しい女将さんと巡り会えたようです。83歳だとおっしゃる女将さんに見送られ、ますますの健康とご活躍を祈って帰路につきました。
 私の母は83歳で亡くなりました。家でテレビを見ながらスーッと意識を失ったとき、すぐそばにいた娘が介抱しました。おばあちゃんが大好きだった娘は、「おばあちゃんみたいやった!」と感激していました。
 
 
 

2014年5月14日 (水)

「平安文学関連Webサイト集」を公開しました

 現在取り組んでいる科研のホームページ「海外源氏情報」から、新しく編集した[Webサイト情報]を公開しました。


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 「〈平安文学関連Webサイト集〉公開」では、以下の3つのグループ分けをして、関連する情報を流しています。

(1)「平安文学関連Webサイト(1)」
 (研究機関や国、博物館、美術館、図書館のサービスやギャラリー、大学・教育関係者・研究者サイトのリンク集)


(2)「平安文学関連Webサイト(2)」
 (神社・寺院、地方自治体、保存会、翻訳、有識者、史的研究・データベースを対象としたリンク集)


(3)「平安文学関連Webサイト(3)」
 (平安文学の映像化やコミカライズ、題材にした派生作品、受容から生まれた商品などを対象としたリンク集)


 引き続き、〈専門家〉〈有識者〉〈研究会〉〈同好会〉〈私的研究〉〈データベース〉〈受容(商業)〉等に関わるサイトの情報を収集・整理した後、順次公開していきます。
 なお、リンク先を紹介するにあたっては、情報元の明示があり、情報の無断流用・転載がないと思われるサイトを選んだつもりです。しかしそれでも、遺漏や過誤あるいはリンク切れも生じている可能性があることをご承知ください。
 この種のリンク集では当然のことながら、各サイトから提供されている情報が、すべて正確で信用できるものであることを保障するものではありません。
 今後も可能な限り確認した上で、適宜追加削除などの補訂を行います。
 また、サイトの仕分けも変動することをご了承願います。
 積極的に情報の更新に当たりますので、情報提供などのご協力を、よろしくお願いいたします。

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(1)「平安文学関連Webサイト(1)」


■研究機関・国のサービス■
目録や貴重資料の画像データベースなどを公開しています。


■博物館・美術館■
Webギャラリーという形で、古文書や絵画などを公開している博物館・美術館です。


■国公立機関の附属図書館・大学図書館■
国公立・私立の機関に附属する図書館のリストです。


■学会・大学のゼミ・教育関係者や個人研究者のサイト■
平安文学に関係のある学会のほか、大学でおこなわれているゼミのサイト、教育関係者や平安文学研究者の個人サイトのリンクです。

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(2)「平安文学関連Webサイト(2)」


■神社・寺院、地方自治体、保存会ほか■
平安文学ゆかりの神社・寺社、地方自治体による紹介、平安文化関係の保存会や企業による解説や紹介です。


■翻訳■
平安文学を外国語に翻訳したサイトです。


■有識者、私的研究・データベースなど■
有識者、地方史、私的研究・データベース、史跡訪問レポートなどのサイトです。

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(3)「平安文学関連Webサイト(3)」


■受容■
平安文学の映像化、コミカライズほか、翻案した作品、受容商品などのサイトです。

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2014年5月13日 (火)

東京で読む『十帖源氏』はしばし休会になります

本日も、いろいろと悩ましい現代語訳と格闘しました。

・「鹿のたたずみありく」とある箇所。
 鹿が「たたずむ」さまと、「あるく」さまをどう訳すか、ということで、意外と悩みました。結論としては、素直に「鹿がさまよう様子」に落ち着きました。

・「御まもりに独鈷たてまつる。」で、「独鈷」をどうするかも困りました。
 固有名詞の中でも、宗教に関する道具は、その発音も含めて翻訳に手こずります。ここも、ローマ字読みにしないで、「護身用の仏具を贈ります。」として、わかりやすい現代語訳に落ち着きました。

・「かわらけまいる。」は、「お酒を飲みます。」に、「ふきすましたり。」は、「澄み切った音で吹きます。」となりました。

・「山の鳥もおどろかし給へ。」は、今日一番時間をかけました。「おどろかし」をどうするか、ということです。鳥をビックリさせるのではないのです。鳥の注意を琴の音に引き付けよう、というのです。
 ああでもない、こうでもないと思案の末に、「山の鳥にも聞かせましょう。」となりました。

 こうして、訳文を作ることの楽しさと悩ましさを、いつも体験しています。
 凝った現代語訳にすると、かえって海外の諸言語に翻訳しにくいだろう、という判断がいつも働きます。長時間議論をした末に、結局は非常にシンプルな訳に落ち着くことが多いようです。

 さて、この東京での『十帖源氏』を読む会は、今回をもってしばらく休会となります。
 ちょうど、今日は、北山に籠もっていた光源氏が、病気も回復したことから京に戻るところまででした。話の切りのいいところである、ということもあり、この場面でこの勉強会も一休みすることになったのです。
 みなさん、それぞれに多忙であることを見聞きしています。無理をしないで気長に続けて行くためにも、少しお休みをして、来春までにはまた再開することになりました。
 これまで、この会に参加してくださった方々には、この場を借りて心より感謝の気持ちを伝えたいと思います。ありがとうございました。

 この『十帖源氏』を読む会は、その前身は『おさな源氏』を読む会でした。2004年の7月23日にスタートしました。国文学研究資料館が品川の戸越にあった頃のことで、当時は2号書庫と呼ばれていた水産庁の倉庫の1階で始めたものです。
 以来、10年にもわたって読み続けてきた会です。
 『十帖源氏』になってからは、その取り纏め役を担ってもらった畠山大二郎君には、いろいろと苦労をかけました。あらためて、お礼の気持ちをここに記して、感謝にかたえいと思います。

 来春までには再開します。
 その折には、多くの方々に気軽に参加していただき、また気ままに発言していただければ幸いです。
 
 
 

2014年5月12日 (月)

江戸漫歩(78)生まれ変わった日本橋コレド室町

 連休明けの週末は、颱風が去った後のように穏やかです。
 永代橋から北に、東京スカイツリーを望みました。


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 川下の中央大橋と佃島や豊洲エリアも、新緑の季節を迎えようとしています。


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 写真の左端に写る宿舎から、自転車で日本橋を目指して出かけました。
 何かと話題になっている、三越前のコレド宝町周辺を散策するためです。

 これまでに日本橋を散策したことは、以下の記事が一番詳しいように思います。

「江戸漫歩(42)お江戸日本橋へウォーキング」(2011/6/26)

 今日は、午後から鰻上りに気温があがり25度以上に。6月中旬並みだったそうです。熱中症になるのではと思われるほどの暑い日となりました。

 日本橋地域では東地区の再開発があり、今年の3月20日にコレド室町2と3がオープンしました。東京メトロ「三越前」駅直結の商業施設です。外装のデザインが暖簾や行燈をイメージさせるので、日本的な文化を意識したポリシーに拘っているようです。足元も石畳でした。ただし、歩くのも大変なほどの人出だったので、門前町をイメージした道を歩く気分ではありません。


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 コレド室町3には、8畳の茶室「囲庵」があるとか。機会があれば、ここでお茶をいただきたいと思います。


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 この3棟のコレド室町の一画に、福徳神社(芽吹神社)があります。


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 ひっそりとした佇まいの神社です。しかし、これが今年の10月には、この向かいの新居に鎮座なさることになっています。今は、赤い鉄骨だけの社殿が微かに塀越しに見えます。ここに、福徳神社と森が再建されるのです。


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 以下、朝日新聞(2014年5月9日TokyoEvening1面)の情報を参考にして記します。
 神社となる一画は、この地域一帯の再開発を進める三井不動産が、530平米の土地と15億円もの費用を提供するとか。何とも威勢のいい話です。林立するビル群の中に鎮守の森とは、なかなかお洒落な計らいです。

 この福徳神社は、何かと不遇の中を生き抜いてきたそうです。始まりは平安時代だということなので、『伊勢物語』などにみられる在原業平の東下りの話をする時に、関東の平安文学話の1つとして甦らせることにしましょう。

 その後、廃社・焼失・屋上移転等々、その果てにビル群の狭間で肩身の狭い思いをして来られた神様なのです。今、地域の再開発と新たな出会いの場所として生まれ変わるとは、何とも粋な話です。

 さらに、この神社には現代的な知恵も隠されていました。
 ビジネス街の一角ということもあり、地下2階には360平米の防災備蓄倉庫の機能も持たせてあるそうです。2万食分の食料や情報関連機器もあるとか。地下がシェルターになり、発電もし、食料があって情報も集まるのです。さらに、地下1階には自転車やバイクを100台も置けるので、周辺の駐輪対策も担うようです。

 おもしろい再開発だと思います。これで、真向かいの三越にも若者が出入りし、この一帯は今後の展開が楽しみとなりました。

 そう思って歩いていると、コレド室町3の裏に、こんなレトロな建物を見かけました。この新旧が共存し対照的なのが気に入りました。


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 昼食は、私の生まれ故郷である島根料理が食べられる「主水」で、「海鮮がいな丼」と「出雲割子そば」をいただきました。コレド室町3の並びにあります。
 お店の入口で、「ちっちゃい鯛焼」を試食しました。材料はみんな島根からだと、おじさんは元気にミニ鯛焼をせっせと作っておられます。島根とどう結びつくのかわかりません。しかし、かわいいお土産になりました。

 隣の島根県のアンテナショップである「にほんばし島根館」では、野焼き・炙りワカメ・松江銘菓の若草などを買いました。

 今後とも、この日本橋はおもしろい場所となりそうです。
 
 

2014年5月11日 (日)

山梨の石和温泉でひと休み

 山梨県笛吹市にある石和温泉で気分転換をしてきました。
 ここは昭和36年に果樹園から温泉が湧き、東京から行ける近場の温泉地として知られるようになりました。特急「あずさ」で都心から1時間半で行けます。

 笛吹川沿いにある宿にしました。
 露天風呂・内湯・客室と、どこでもアルカリ性天然温泉が掛け流しになっている、贅沢な温泉です。特に、南アルプスに沈む夕陽がきれいでした。


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 上の写真左側の笛吹川では、「桃源郷春まつり 川中島合戦戦国絵巻」というイベントが4月20日に開催されたそうです。橋の袂が会場です。

 甲州に馴染みのない私は、すぐにあの武田信玄と上杉謙信の闘いの場を思いました。犀川と千曲川が交わる中州の「川中島」です。井上靖も、この武田と上杉の話は作品に取り上げています。まさに『風林火山』の舞台です。

 しかし、この石和の笛吹川が両雄の川中島闘いで有名なところではありませんでした。「川中島合戦戦国絵巻」の説明を見ると、5回ほどあったとされる川中島の戦いで、第4回目の合戦を史実に忠実にこの地で再現したものだそうです。
 それでも、今回が35回目のイベントです。地元の熱意が継続の原動力となっています。昨年より、武田軍参加者には「風林火山」、上杉軍参加者には「毘沙門天」の1文字が入ったストラップ(非売品)がプレゼントされていました。私も集めてみたくなります。いろいろと工夫のある行事となっているようです。

 こぢんまりとした宿でした。しかし、非常に感じのいい、落ち着いたところだったので、ゆったりと何度もお湯に入りました。連休明けだったので、お客さんは数人です。

 食事も丁寧なもてなしで、ほろほろ鳥や地元のワインをおいしくいただきました。給仕の男性の方も、連休中は超満員でとにかく忙しくてお話はとてもとても、と言いながら、一品ずつ説明をしてくださいました。ゴールデンウィークで大賑わいした直後だったことが、なにかと幸いしました。

 帰路は高速バスで甲府から新宿まで、2時間もかかりませんでした。

 2年前、娘夫婦から結婚記念に旅行ギフトをもらい、井上靖の故里である伊豆湯ヶ島へ行きました。本ブログの「映画「わが母の記」のロケ地・伊豆湯ヶ島へ」(2012/6/10)に書いた通りです。

 昨年の母の日と父の日のプレゼントも、旅行に行ってくださいと言われながら、私の仕事の区切りがつかなかったこともあり、行けないままでした。いつかいつかと思っているうちに、また母の日と父の日が来ました。
 昨年の旅行ギフトが帳消しになりそうなので、慌てて時間を作ったという事情もあります。しかし、こんなことでもないと、なかなかのんびりと温泉には行けない日々であることは確かです。
 折しも婿殿の誕生日と重なり、その意味からもお裾分けのいい休息日となりました。
 
 
 

2014年5月10日 (土)

転居(3)「源氏物語余情」1996年1月分・3月分

 「転居(2)」を受けての、〈旧・源氏物語電子資料館〉の記事「源氏物語余情」の引っ越しです。

 今回は、1996年1月分と3月分です。
 今から18年前の『源氏物語』に関する情報を、ここに記録として留めておきます。

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◎(13)96.1.11 保坂本源氏物語(伊井春樹編、おうふう、全12巻・別巻索引1巻)の刊行が開始されました。既刊第1・2巻[各18000円]で、毎月1巻刊行です。
 東京国立博物館蔵の重要美術品の影印版です。中半以降の36帖は鎌倉期の古写本で、いわゆる別本とされる本文を持つものとして注目されています。

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◎(14)96.3.13 株式会社CRC総合研究所発行の『CRCコミュニケーション 1996.3 No.342』の巻頭記事〈伝達人〉に、本〈源氏物語電子資料館〉の紹介記事が掲載されました。
 「日本文学研究者から世界へ向けて情報発信 〜源氏物語とインターネット〜」というタイトルです。
 
◎(15)96.3.16 3月15日21:02〜22:52の関西テレビ(8チャンネル)の〈金曜エンタテイメント〉で『源氏物語』を絡めた推理ドラマが放映されました。
 タイトルは「山村美紗サスペンス 京都紫式部殺人事件・平安絵巻をめぐる愛と謎!祇園の水が解き明かす芸妓志乃、その出生の秘密とは……」。思わせぶりなタイトルに惹かれて拝見しましたが、私としては原作の読み物同様に失望しました。
 
◎(16)96.3.25 1996年1月29日付の朝日新聞に「紫式部の万葉酒」の記事がありました。
 神戸市を中心にした市民グループ「紫式部米を育み、万葉酒を醸す会」が、薄い紫色の酒を造るとのこと。
 2月中旬にできあがるとありますが、その後のニュースをご存じの方はいらっしゃいませんか。


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2014年5月 9日 (金)

井上靖卒読(180)「花のある岩場」「幽鬼」

■「花のある岩場」
 62歳の野本徳次は、登山荷物運搬人です。山でのさまざまなエピソードが語られます。ここでは、月光をあまりよくは語っていません。


「高い山の月夜って、山が半分蔭で暗くなるんで、あんまりいいものじゃないね」
 いきなり重宗は言った。月光に照らされている山はどれも昼間見る偉大さを失って、土塊といった感じのものになっていた。徳次もまた、山に長年住みながら月明の夜は余り好きではなかった。重宗の言うように、山の襞々に陰影ができるので、そのために月の夜は殊に陰気な感じになるのかも知れなかった。(『井上靖全集』第五巻、501頁下段)

 このことは、後の『星と祭』で月をクローズアップすることとは対照的な感じ方です。
 徳次は、若い男女を秘密の花がある場所に案内します。しかし、それが悲劇へと展開します。人の心の中も、うまく描かれています。【3】
 
 
初出誌︰新潮
初出号数︰1958年5月号
 
角川文庫︰花のある岩場
井上靖小説全集13︰氷壁
井上靖全集5︰短篇5
 
時代︰昭和(戦後?)
舞台︰長野県(飛騨山脈、上高地、穂高岳)
 
 
 
■「幽鬼」
 亀岡を出発した明智光秀は、信長が命じたままに中国地方へ向かいます。しかし、心の中では京へ向かう気持ちとの葛藤があります。決心がぐらつく様子から、この物語は語り出されます。やがて、丹波の豪族波多野一族を滅ぼした話が簡潔に描かれます。この語り口は、実にうまいと思いました。井上の戦国物に見られる、巧みな集団と個の描き分けがなされているのです。信長を襲ったことで秀吉に追われる様子も、スピーディに語られます。そして、光秀が近江へ落ちる途次、波多野一族の幻影が明滅します。幻影がやがて亡霊となり怨霊となり幽鬼となる展開が、実にみごとに描かれています。【5】
 
 
初出誌︰世界
初出号数︰1958年5月号
 
新潮文庫︰楼蘭
旺文社文庫︰洪水・異域の人 他八編
講談社文芸文庫︰異域の人・幽鬼
ロマンブックス︰楼蘭
井上靖小説全集16︰蒼き狼・風濤
井上靖全集5︰短篇5
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
 
 
 

2014年5月 8日 (木)

井上靖卒読(179)「ボタン」「奇妙な夜」

■「ボタン」
 昭和8年の大阪での話から始まります。
 新聞社に入りたての作者は、ボーナスで洋服を作ることにしました。しかし、ボタンの位置がいまいちだったので、直してもらいました。それから23年後、またその仕立屋で服を作ります。ボタンが印象的な話です。そして、登場人物はみんな善人です。【2】
 
 
初出誌︰週刊新潮
初出号数︰1958年1月6日号
 
集英社文庫︰冬の月
潮文庫︰桜門
井上靖小説全集27︰西域物語・幼き日のこと
井上靖全集5︰短篇5
 
時代︰昭和8年〜昭和31年
舞台︰大阪府(天王寺)、東京都
 
 
 
■「奇妙な夜」
 娘を眩しく感じる父は、井上靖卒読(178)の「冬の外套」でも描かれていました。
 ここで語られる内容は、まとまりに欠けるものです。家族の結婚にまつわる一挿話であり、気持ちを紛らわせるために、その父は銀座で酒を飲むだけです。
 井上靖は、時々こうした精彩を欠いた作品を発表しています。多作家であるために、これは仕方のないことなのかもしれません。井上靖の作品歴を通覧し、その小説作法を知るためには資料となるものです。しかし、小説として読むには、物足りなさを感じます。【1】
 
 
初出誌︰小説新潮
初出号数︰1958年2月号
 
集英社文庫︰火の燃える海
井上靖全集5︰短篇5
 
時代︰昭和、戦後?
舞台︰東京都(明治神宮・外苑、西銀座、数寄屋橋)
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
 
 
 

2014年5月 7日 (水)

井上靖卒読(178)「別れの旅」「冬の外套」

 昨日5月6日は、井上靖107回目の誕生日でした。
 連日、このブログに書くことが多いので、なかなか井上靖のことを書く機会がありません。
 昨日が記念日だったということもあり、予定を変更して井上靖卒読の記事をアップします。

■「別れの旅」
 映画女優であるヒロインは、男と別れた気持ちを整理するために、手記を認めます。自分のために、自分を納得させるために。彼女は、女優として生きるため、女になり色気を持つために、男に近づくのです。20歳年上の男との関係に溺れていきます。そして、別れようとしながらも、別れられない関係になっていきます。本当に別れるために、2人は北海道旅行に出かけることにしました。しかし、それでも別れられません。次は、上高地へ旅をします。北陸の旅や九州の旅も。いずれも別れることのできない旅でした。男の妻が亡くなった後、志賀高原へ旅立ちます。誰憚ることもない初めての旅です。そこで女は、やっと別れる決心をするのです。人間の複雑な心の中を、ズルズルと引き摺る思いを、丹念に語っていきます。後味のよい作品です。
 本作は、「井上靖卒読(148)「ある日曜日」「石の面」「燃ゆる緋色」」(2012/11/6)の「石の面」や、「井上靖卒読(168)「見合の日」「別れ」「僧伽羅国縁起」」(13年8月5日月)の「別れ」と類似する、別れようとして別れられない男女をテーマとする物語です。【5】
 
 
初出誌︰太陽
初出号数︰1957年10月号
 
集英社文庫︰青葉の旅
井上靖小説全集27︰西域物語・幼き日のこと
井上靖全集5︰短篇5
 
時代︰昭和25年の夏〜昭和32年の夏
舞台︰東京都(西銀座、新橋、日比谷、新宿)、北海道(札幌、小樽)、長野県(志賀高原、上高地、松本)、長崎県(島原)、熊本県(三角)、北陸の小さい町
 
 
 
■「冬の外套」
 遠縁から娘を預かって3年。その娘が結婚して出ていくことになりました。その娘が叔父の出張先の奈良に来たので、2人でお寺巡りをします。血はつながっていないものの、愛情は人間の誰もが持つ温かな気持ちです。その情の世界を、優しい眼差しで語られています。この娘のさりげない思いやりが、鮮やかにみごとに描かれているのです。ただし、題名の付け方が、内容にそぐわないのが気になりました。【4】
 
 
初出誌︰オール読物
初出号数︰1958年1月号
 
集英社文庫︰青葉の旅
井上靖小説全集27︰西域物語・幼き日のこと
井上靖全集5︰短篇5
 
時代︰昭和、ある年の早春
舞台︰東京都、大阪府、奈良県(法隆寺、法華寺、興福寺、薬師寺)
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
 
 
 

2014年5月 6日 (火)

京洛逍遥(317)みやこめっせの古書市と電子ブック

 先週末のことです。
 平安神宮のそばにある京都市勧業館「みやこめっせ」で開催されていた「第32回 春の古書大即売会」に行ってきました。


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 50万冊の古書が広い会場にぎっしりと並んでいました。


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 43店舗が出店しているとのことです。本が売れて棚のスペースが空くと、すぐにテーブルの下から補充しておられました。

 私がここに足を運ぶのは、京都関係の本が多く出品されるからです。今回も約1万冊が並んでいました。これらは、ネットでも入手可能だと思われます。しかし、聞いたことのない書名や、中を見て初めて興味を持つ本が多いので、やはり現物を見るに限ります。また、こんな本が、というものに出くわすと、しばらくページを繰ってさまざまな思いで書かれている内容や写真を楽しめます。気ままに想像の世界を遊べる、得がたい空間であり時間が持てます。

 主催者である京都古書研究会は、京都府内の若手古本屋19店が運営する集まりです。
 今年の予定は以下の通りです。
 おそらく時間があれば、また足を運ぶと思います。


●8月11日〜16日 下鴨納涼古本まつり
●10月30日〜11月3日 秋の古本まつり

 
 インターネットが普及したことにより、古書が比較的早く、しかも安く手に入るようになりました。とは言いながら、私はほとんどネットで本を購入することはありません。新本にしてもそうです。
 ネットで本を買うのが便利なことは知っています。しかし、それでも買うのは年に1冊あるかないかです。その最大の理由は、アマゾンという会社とその仕組みが嫌いだからです。

 また、電子ブックも、私は購入したことはありません。無料のものをハードディスクに保存しているものはあります。しかし、電子ブックとはどういうものか知っておく必要がある、という必要性に駆られて無料版を持っているだけで、その次のステップがないのです。
 これは、電子ブックの恩恵に浴したときに、また違う思いを抱くはずです。しかし、残念ながら今のところは、その機会に恵まれていません。

 将来的には、場所を取ることと、保管に重量が伴うため、印刷された本を個人的に所有し保存する人は激減することでしょう。実際に、築80年以上の京都の家は、引っ越しをしてからすぐに本の重さに堪えられなくなり、ミシミシと柱や壁や天井が悲鳴を上げ出しました。そのため、2階に上げた本のほとんどを1階に降ろしました。今後は、その降ろした本を処分する算段が求められています。当面は、レンタルスペースの活用で、その場凌ぎをするしかないようです。

 その意味では、図書館の機能がますます社会的な要請を受ける時代となるはずです。
 幸いにも、定年後に住む地域は、近隣のいくつかの大学と総合資料館の図書館機能を統合した、学術エリアとなります。京都コンサートホールの南側の建設は、急ピッチで進んでいます。
 ここに収蔵される図書や資料を確認してから、手持ちの書籍類をどんどん処分するつもりです。

 その意味からも、文字や画像の電子化という流れは理解できます。しかし、どうもモニタに表示される、光が明滅する文字列を読むことに馴染めません。個人的な好き嫌いや得手不得手の問題に加えて、加齢の所為もあることでしょう。長年身に滲みたページを捲ることへの親しみが、便利さを遠ざけているとも思われます。
 便利さは理解しながらも、なかなかそれに馴染もうとしない自分がいるのです。
 今は、無理に流れを意識しすぎて合わせることもないか、と思っています。

 ネットでPDFをダウンロードして論文や記事などを入手します。昨日の本ブログでも、私が使った資料をPDFでダウンロードしていただけるようにしました。これは、手渡しの代わりとしての用途での対処だと思っています。

 実際に、PDFなどをダウンロードすることはよくあります。しかし、さっと画面で確認して終わることが多いのです。じっくりと読む必要があれば、それを印刷して読んでいます。情報や資料の入手に関しては、インターネット等を活用したデジタルデータのやりとりは重宝し、有意義だと思います。ただし、読むときには印刷というアナログによる手段をとるので、ここはうまく自分に合ったように使い分けていると思っています。

 その意味では、iPad は予想外に使い道が限定されてしまいました。期待した以上には活用できていないのです。大きさは文書を読むのにちょうどいいと思いながらも、ウェブの閲覧やメールの添付ファイルを確認するときや地図を見るのが主な用途となっています。流し見用、というのが現在のiPadの使い方となっています。

 これも、情報文具の使い分けと割り切って、その時々に身近にあるデバイスを利用しているのが実情です。

 今後とも、〈文字を書く〉ときは、パソコンや iPhone を活用していくと思います。しかし、〈文字を読む〉ことにおいて、こうしたデジタルデバイスを使うシーンがどうなるのか、自分でも今もって予想できません。現在の書かれている情報の確認という用途からどこまで拡がるのか、これは身辺にある情報文具の進化と関連することでしょう。

 今のパソコンという姿は消えていき、iPhone やiPad のようなプレート状のものを掌で操作することになるのは確実でしょう。ぐにゃりと曲がるペーパーモニタや入力デバイスは、確実に手元に届けられることでしょう。ウェアラブルコンピューティングと言われる肌身に着けるものは、その部類となります。そして、ソフトウェアやデータは、ネットワーク上のクラウドにあるはずです。

 そうした時代の到来は確実に見えて来たので、私はさらにその次の時代に興味があります。次の次の時代にシフトしていく今を、しばらくは楽しめそうです。
 30数年前に、民生品となったパーソナルコンピュータに夢を託し、壮大な計画を立てて今に至りました。しかしながら、思い返すと期待したほどには実現していません。パソコンは、もっと人間が考えることをサポートする情報文具になると期待していました。しかし、いまだに情報の整理に留まる機能しかありません。そのパソコンの失速には幻滅しています。

 あれ以来、また楽しい夢を描けそうです。今度こそ、考えるという行為を共に実現する情報文具の出現に、期待したいと思います。
 この30年のパソコンの発展は、利用者の要求が貧困であったことも手伝ってか、貧弱な機能の道具に留まってしまいました。この大失敗があるので、今度はさらに進化した道具として迎えられるように、利用者からの要望を開発者側に確実に伝えたいものです。また、開発者側も利用者からのことばに耳を傾けてほしいと思います。失敗の二の舞とならないためにも、常に利用者を意識した開発であり、提供であってほしいものです。開発者の自己満足に留まらない技術力の成果として、幅広い意見を取り入れる中での新機軸を期待したいと思います。

 文字や図像の集合体である書籍とかブックと言われるものの今後を予測することも、その変革の兆しが見られるだけに、大いに楽しみにしたいと思っています。
 
 
 

2014年5月 5日 (月)

早朝の地震の後、渋谷の温故学会へ

 今朝は、夜明け方に部屋が大きく揺れたので目覚めました。天井を見て、ここが東京の宿舎であることを確認してから、大急ぎで起きました。

 今日は午後から、渋谷の温故学会にある塙保己一史料館講堂で「塙保己一検校 生誕第268年記念大会」があり、そこでお話をすることになっています。

 一昨日、飛騨の地震で京都も揺れました。そのことがあったので、昨日の夕方には上京しました。いつ新幹線が止まってもいいように、今日に備えたことは幸いでした。

 皇居のある千代田区は、震度5弱とのことです。私がいる江東区は、千代田区に隣接する海側です。東京駅から東南3.5㎞という至近の距離にある宿舎は、震度4でした。幸い、揺れる時間が長かった割には、壁などからは何も落ちず、被害はなくて大丈夫でした。40インチの大型モニタがユッサユッサと揺れていたのが不気味でした。

 今日、京都から上京する予定の妻には、余震の様子を見てから新幹線に乗るように連絡しました

 地震騒動が一段落してから、本日の会場である温故学会のある渋谷へ出かけました。

 渋谷駅東口は、再開発のためにかつての面影はありません。


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 写真左下手前にあったバス停は、写真右端に仮設バス停として移動しています。
 駅前が狭くて迷路のようになっているので、歩いて行くことにしました。
 昨年まで國學院大學に非常勤講師として来ていたこともあり、渋谷は勝手知ったる街です。
 氷川神社の石段を上り、前方の渋谷の丘に聳える國學院大學の並びにある温故学会を目指します。


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 この氷川神社は、学生時代に同じクラスの女性が作って持って来てくれたお弁当を、よくこの石段に座って一緒に食べた場所です。それが今の妻なのですが、お昼休みになると、この神社の境内に来ていました。
 温故学会へ行く前に本殿にお参りをし、40年以上前のことに感謝してから、塙保己一検校の像の前に佇みました。

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 入口の門には、本日の案内があります。


塙保己一検校生誕
 第268年記念大会
 平成26年5月5日(こどもの日)
記念講演
 「英国ケンブリッジ大学と米国バージニア大学の『群書類従』」
       国文学研究資料館研究部
          教授 伊藤鉄也氏
記念講演
 「古賀政男 我が心の歌」
   ―メロディーで綴るその音楽人生―
       古賀政男音楽博物館
          学芸員 漆山賢明氏

 黒板にチョークで書かれているのが、この学会らしいいい雰囲気を醸し出しています。

 塙保己一が何をした人か? 『群書類従』とは何か? ということが、今の若い方々に伝わっていないようです。その意味からも、こうした機会が毎年継続的に開催されていることは慶事です。そうしたことを前提にして、次のような内容のお話をしました。


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一、『群書類従』が英国ケンブリッジ大学に収蔵された経緯
二、米国バージニア大学から『群書類従』のDBを公開
三、電子化された『群書類従』の利用環境
四、国文学研究資料館の平成の大事業は『(新)群書類従』

 本日のお話に使ったレジメは7頁ほどのものです。
 興味のある方もいらっしゃるかと思いますので、その【講演資料を自由にダウンロード】してご覧いただけるようにしました。通覧していただければ、このレジメだけでも本日お話ししたことの大凡は伝わるかと思います。

 ケンブリッジ大学図書館に収蔵されている『群書類従』に関する情報は、日本部部長の小山騰さんからご教示いただいた内容です。いつも、詳細な調査結果を教えてくださるので、本当に有り難く思っています。

 バージニア大学の『群書類従』のデータベースは、2003年から取り組んで公開しているものです。この『群書類従』のデータベース化は、いまだ完成していません。
 作成したデータの中の「人名」「地名」「書名」「和歌」「年号」「その他固有名詞」に、一定のマークアップを施す、ということは、一部の作品については終えています。しかし、それを公開するまでには至っていません。
 手元には、次の作品の入力済みデータがあります。

物語部
 三〇七 伊勢物語/三〇八 大和物語/三〇九 竹とりの翁物語/三一〇 住吉物語/三一一 秋の夜の長物語/鳥部山物語/松帆浦物語/児教訓/三一二 無名草子/三一三 拾遺百番歌合/百番歌合/源氏物語願文/三一四 伊勢源氏十二番女合/源氏人々の心くらへ/三一五 源氏物語奥入/三一六 原中最秘抄/三一七 弘安源氏論議/三一八 仙源抄/三一九 源語秘訣/源氏物語竟宴記
日記部
 三二〇 和泉式部日記/三二一 紫式部日記/三二二 讃岐典侍日記

 これを今後はどのように活かして、多くの方々に利用していただける環境を提供すればいいのか。まだ思案中の課題です。

 国文学研究資料館が本年度からスタートさせた平成の大事業である〈日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画〉は、いわば『(新)群書類従』とでも言うべき国家プロジェクトです。こうした流れの中で、日本の文化遺産である『群書類従』の位置づけを、明らかにしておく必要があります。

 以上のようなお話を1時間ほどしました。
 この内容は、来年度刊行の『温故叢誌』に掲載予定なので、その折にはまたお知らせします。
 
 
 

2014年5月 4日 (日)

電車の中で見た電磁波過敏症のステッカー

 昨日、芦屋から帰る途中の阪急電車でのことでした。

 私は、阪急芦屋川駅から梅田駅に出、そこであらためて始発の梅田駅から乗車したので、ゆったりとシートに座って昨日のブログの文章を入力することに集中していました。

 やがて、社内は混み合って来ました。しばらくすると、年配の女性が首からぶら下げたステッカーを、私の肩越しに差し出して、電磁波過敏症なのでスマートフォンを使わないでほしい、と私の耳元でおっしゃいます。

 突然のことだったので、すぐにはその意味が飲み込めませんでした。目の前に示されたステッカーに、「電磁波過敏症」と赤い文字で書いてあるのがはっきりと読めました。

 はっとして辺りを見回すと、私が乗っていたのはモバイル機器の電源を切る車両だったのです。
 

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 すぐにiPhone に文章を入力していた指を止め、そこまでを保存してから電源を切りました。

 車内が混んでいたので、よくはわからないながらも、確かに隣近所の方々はモバイルを触っておられません。隣の妻は、姉の家での庭仕事のお手伝いと喋り疲れてか、うつらうつらとしています。午後9時半頃でした。

 注意をしてくださった方は、私が電源を切ると、すーっと後ろに去って行かれました。
 ご迷惑をお掛けしたようで、本当に申し訳ないことをしました。乗り慣れない阪急電車という訳ではなく、公共交通機関でのモバイル機器の使用に、感覚が麻痺していました。

 この電磁波対策に関することは、私自身が早い段階からウェブを通して警告を発していたものです。

 過去のブログを見ても、割としつこく警鐘を鳴らしていました。
 
「【復元】女性専用車両大賛成の弁(2004年08月15日公開分)」(2010/4/28)

「【復元】磁気や電磁波の恐ろしさ(2005年10月13日公開分)」(2011/4/19)

「【復元】携帯電話の電磁波を調査すべし(2006年3月4日公開分)(長文注意)」(2011/4/20)

「何を今更「電磁波」と「発がん性」の認定」(2011/6/1)
 
 それなのに、年配の方から私の不用意さに注意を受けるとは、何とも面目ないことです。
 電磁波は目に見えないし、匂いもしません。タバコとは違うのです。それだけ、身体に影響が及ぼすと思われる方への配慮が必要です。

 自分の不徳をお詫びすることはもちろんのこと、すぐに今後のことに思いを巡らしました。
 現在、街中で、携帯電話やスマートフォンが使われています。電車やバスの中では、電源を切るようになっています。しかし、私も含めて、その便利さにひきづられて、場所を弁えずに使いたい放題、という現実があるのも事実です。

 インターネットにつなげたままで、経路を調べながら電車やバスで移動するときは、これほど便利さがしみじみと感じられるときはありません。外出時には、あまりの便利さ故に、肌身離さず持ち歩きます。
 それだけに、公衆の中での使い方を、もつと確認してもいいと思います。

 私は、エレベーターなどの金属で囲われた場所でのモバイル操作には、非常に危険を感じています。それは、電車などの箱の中でも同じです。そのはずなのです。しかし、ついスマートフォンに手が伸びて、車中で座ったり吊革を持ちながらでも、文章やメモを入力している自分がいます。

 モバイル機器は、まだ人類が手にして時間が浅いものです。
 その発する電磁波も、人体にどれだけ影響するのか、実のところはデータ不足のようです。
 私は電磁波測定器を持っています。携帯電話の時も、 iPhone を買い換える度にも、気休めであっても、この測定器で計測して納得していました。つまり、携帯電話の電磁波の数値がいくらだと人体や精神生活に問題になるのか、それを知る手掛かりとなる物差しが見当たらないのです。

 疑わしいから今は遠ざけておく、と言っても、その便利さを知ってしまった者としては、残りわずかなこの人生で、あえて禁欲的な生き方を自分に強いるのも抵抗があります。

 また、昨日の方が車内でステッカーを見せて注意を喚起してくださったことは、いろいろと考えさせられます。そのステッカーがどのような経緯で作成され、その方がどのような意図でお持ちだったのかも含めて、このモバイルという情報処理文具としての機器は、もっとその影響力を調査し研究すべきだと思います。
 特に、頭のすぐ横の耳に当てて使う事に関しては、自分の脳や身体を痛めつけることですから自分で納得すればいいことです。しかし、モバイルの操作や使用中の着信などで、利用者の回りにいる方に影響を与えるのであれば、これは重大な問題を抱えた機器ということになります。

 かつて、アメリカのクリントン大統領が選挙直前になって突然携帯電話の電磁波は人体に影響がないというコメントを流しました。支持母体に対する配慮からの発言でした。しかし、それは選挙後には取り消された、という情報をこの後に見ました。

 つまり、相当前から、そして今に至るまで、この電磁波と人体の影響については、まだわからないことが多いようです。

 リニア新幹線は電磁波の中に人体を置いて高速走行する乗り物なので、この問題には目を瞑らないで真剣に取り組む必要があります。
 また、上掲の車内に掲示されていたシールにある「PHS」はどうなのでしょうか。病院などでは治療機器に影響がないということでお医者さんや看護師の方々は「PHS」を使っておられます。
 さらには、普及の目覚ましい電磁調理器は、本当に安全なのでしょうか。

 突然に差し出されたステッカーから、忘れかけていた電磁波の問題を意識し出しました。
 この問題は、なかなか奥の深さを抱え込んでいそうです。
 この次にあのステッカーを首からぶら下げた方を見かけたら、いろいろとお話を伺い、勉強をしたいと思っています。
 
 
 

2014年5月 3日 (土)

退院した義兄のお見舞いに芦屋へ行く

 先月手術をした義兄が、幸いにも10日間の入院だけで無事に退院です。
 手術の日は、オペ室に入るときも、出てきたときも、いたって元気だったので心配はしていませんでした。

「義兄の入院手術で大阪中之島に急行」(14年4月4日金)

 その後の経過が良好で、今は自宅療養です。

 姉たちは、芦屋駅から急な山を登った、有馬温泉の手前の一角に住んでいます。駅まで迎えに来てもらえたので、芦有ドライブウェイの中にある家に行きました。
 ちょうど、去年の今頃、粽を持って行きました。

「30年ぶりに芦屋の姉の家へ」(13年5月5日)

 さすがに、山の上だけあって、肌寒さを感じます。

 兄はすっかり元気で、傷口が癒えるのを根気強く待つ生活のようです。
 最近はとみに庭の植物の世話に精を出しているとのことで、花や木や野菜がいっぱいでした。


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 姉よりも庭仕事に熱心で、これまた負けず劣らず庭作りが大好きな妻に、草花の名前や手入れの方法を伝授してもらう一時が、淡路島を見下ろす山中でゆったりと過ぎていきました。

 ゆっくりと話をして、たくさんの料理を一緒にいただいて帰りました。
 
 

2014年5月 2日 (金)

転居(2)「源氏物語余情」1995年11月分・12月分

 「転居(1)」を受けて、〈旧・源氏物語電子資料館〉に公開していた情報から、「源氏物語余情」を引き続き「転居(2)」としてここに引っ越しさせます。

 今回は、1995年11月分と12月分です。
 今から19年前の『源氏物語』に関する情報として、ここに記録として留めておきます。

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◎(8)95.11.1 「源氏物語の言葉を分析する」(村上征勝氏)と題する講演が、文部省統計数理研究所の公開講演会であります。地下鉄日比谷線広尾駅徒歩7分。

◎(9)95.11.1〜 宇治市中央図書館では「源氏物語の魅力」を開催。11月1日〜11月29日

◎(10)95.11.11〜 宇治市歴史資料館の企画展は「源氏物語の絵画と工芸」です。11月11日〜12月17日

◎(11)95.11.11〜 名古屋の徳川美術館で「源氏物語絵巻」の全巻が展示されます。11月11日〜12月3日

◎(12)95.12.29〜96.1.21 京都の松栄堂本店(地下鉄丸太町)で大野藤三郎氏「源氏香之図帖画」が展示されています。


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2014年5月 1日 (木)

転居(1)〈旧・源氏物語電子資料館〉の「源氏物語余情」

 私がインターネットを通して最初に情報を発信したのは、今から19年前の1995年9月30日でした。
 当時住んでいた奈良から、東京のプロバイダーの〈リムネット東京ドメイン〉に〈源氏物語電子資料館〉というサイトを開設したのです。
 最初の情報は、「壁新聞」というコーナーに以下の情報を流しました。


◎(1)第5回紫式部文学賞は、吉本ばなな氏の「アムリタ」に決まる(朝日新聞95.8.12)

 以来今に至るまで、さまざまな情報を流し続けています。

 しかし、情報が散在し、自分でもどこに何を書いているのかわらなくなりました。
 そこで、「◆〈旧・源氏物語電子資料館〉◆」「■〈へぐり通信〉■」の記事を、この「鷺水亭より」に統合することにしました。

 すでに、〈へぐり通信〉に掲載していた「新・奮戦記」の中の「ハイテク問はず語り」は、本ブログに「再録」として転載しています。
 その第1回は「再録(1)電脳で源氏を解析?!〈1998.9.18〉」(2009年10月23日)でした。
 現在まで、「再録(13)」まで公開しています。

「再録(2)初期のインターネット事情〈1996.10.7〉」(2009/10/24)
「再録(3)インターネット以前の奮闘劇〈1997.2.13〉」(2009/10/25)
「再録(4)インターネット導入の頃〈1996.7.19〉」(2009/10/26)
「再録(5)固定電話の不思議〈1996.7.24〉」(2009/10/27)
「再録(6)文明の利器と雷の悪戯〈1997.8.8〉」(2009/10/28)
「再録(7)続・雷の悪戯〈1997.8.17〉」(2009/11/18)
「再録(8)海外のゲーム事情〈1997.9.8〉」(2009/12/2)
「再録(9)経験から得た知識は重い」(2012/1/20)
「再録(10)発車後の新幹線の指定席を発券されたこと」(2012/1/30)
「再録(11)突然意識を失ったこと」(2012/11/11)
「再録(12)コンビニと宅配便の話」(2012/11/12)
「再録(13)佐川急便の受け取りを拒否」(2012/11/13)

 そこで、もう1つの〈旧・源氏物語電子資料館〉に公開していた情報から、「源氏物語余情」を「転居」としてここに収斂させておきます。

 まずは、1995年9月分と10月分です。

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◎(1)95.8.11 第5回紫式部文学賞は、吉本ばなな氏の「アムリタ」に決まる(朝日新聞95.8.12)

◎(2)95.8.23 源氏物語の一人芝居上演に意欲の朝永桐世さん死亡(朝日新聞95.9.12)

◎(3)95.9.27 現存最古の紫式部の肖像画が石山寺で見つかる。
 来年10月に一般公開予定(朝日新聞95.9.27)

◎(4)95.9.30 〈源氏物語電子資料館〉インターネットでスタート

◎(5)95.9.30 『源氏物語』の外国語訳本を探しています。
 英・仏・伊・独・中国以外の訳本の入手先をご存じの方は、いらっしゃいませんか。


 
 すでに19年前から、『源氏物語』の翻訳本を探索・収集していたことがわかります。

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◎(6)95.10.6 国文学研究資料館主催の「第1回シンポジウム コンピュータ国文学」のテーマは「国文学研究とインターネット」です。
 フリートーキングでは、司会を担当する伊藤が、本ホームページ〈源氏物語電子資料館〉をデモンストレーションします。
 都営地下鉄浅草線戸越駅徒歩7分、東急大井町線戸越公園駅徒歩7分。

◎(6.1)95.10.9 「第1回シンポジウム コンピュータ国文学」(95.10.6)のフリートーキングで、本ホームページ〈源氏物語電子資料館〉のデモに関連して、フィリップ・ハリー氏(オックスフォード大学)やマイケル・ワトソン氏(明治学院大学)などから、次のような意見をいただきました。
 ・ホームページの言語は日本語のままでよい。
 ・日本語による情報が、海外の人々にはかえって好評。
 ・英文の説明が1ページ位あれば、より親切である。
 ・日本の漫画を読みたくて日本語を勉強する外国人が増加中。
 ・日本語で大いに海外に情報を発信すべき。
 ・ホームページに英語併用をどうするかとの議論の方が不可思議。

◎(7)95.10.11 〈宇治十帖スタンプラリー〉が、宇治川周辺で行われます(宇治市文化観光課、参加無料)。『源氏物語』を思い起こしながら、宇治の歴史と文化を散策できます。10月28・29日/11月3・4・5日 午前9:30~午後4:00

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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