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2014年7月12日 (土)

読書雑記(103)平和学博士のロンドン案内は辛口の英国論

 中村久司著『観光コースでないロンドン イギリス2000年の歴史を歩く』(高文研、2014年7月、272頁)を、一晩で一気に読みました。おもしろかったのです。


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 前回の『「読書雑記(53)中村久司『イギリスで「平和学博士号」を取った日本人』」(2012年11月15日)以上に、著者の筆鋒は英国と日本を鋭く突いて来ます。
 観光ガイドかと思いきや、しだいに中村久司ワールドへと引き摺り込まれて行きます。イギリス2000年の通史と人権や自由を求める人々の姿が活写されているので、圧巻の読後感を残します。予想通りと言うべきか、非常に重たい問題をソフトに語る内容でした。

 ロンドンへ行ったことのある人は、ぜひ読んでください。もう一度行きたくなること請け合いです。
 これから行く方は、他のガイドブックと一緒に本書も持って行かれたらいいと思います。ロンドン通の方々と、楽しいロンドン話ができるに違いありません。
 とにかく、極上で質の高い、そして奥の深いロンドンへ誘ってもらえます。

 ロンドンを中心とした語り口の端々に、英国の歴史、文化、政治、経済、宗教、思想、戦争などのエッセンスが鏤められています。著者の視線は、弱者に向いています。筋の通らないことには、いささかもゆるがせにしない精神が横溢しています。格調高い辛口の英国紹介であり、さらには英国論になっています。

 読み出してまず、英国では国歌を教えていないので歌えない、という、英国国民の考え方にぶつかります。日本から見た異文化に直面するのです。

 ロンドンは歩き回ったつもりでした。しかし、ビッグベンの直下にあるブーディカ女王像のことは知りませんでした。
 また、ハイドパークの中のダイアナ・メモリアル・ファウンティンのことも知りませんでした。娘が小学6年生の時、ロンドンに連れて行きました。ハイドパークで一日中、リスと遊びました。街中の公園も、いろいろと変化しているようです。ロンドン初のコーヒーハウスも知りませんでした。
 そんな意外な観光ポイントが、さまざまな切り口で続々と紹介されます。その歴史や文化の奥深い事情や背景を知り、さらに興味を持つことになります。

 『源氏物語』を例にして説明される箇所では、英国史が相対化されてよくわかりました。日本の古典文学に精通しておられる著者ならではの、読者への心遣いです。


・クヌート王の即位により、イングランドは、スカンジナビア諸国を統治するバイキング王国の一つとしてその勢力下に置かれる。その状況は、一〇三五年にクヌート王が亡くなった後も、王位を継承した彼の二人の息子によって、一〇四二年まで維持された。
 この時代の日本は、平安中期の摂関政治が絶頂期を迎えた時期にあたる。
 「源氏物語」はすでに宮廷で広く読まれ、一〇一八年には、藤原道長が、「この世をばわが世とそ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と、その栄華を詠んでいる。だが、クヌート王は、藤原道長以上の広域圏を同時代に掌握していたのである。(52頁)
 
・ザ・シティは、今日まで継続して存在している世界最古の地方自治体である。この自治継続期間を日本の歴史に当てはめると、鎌倉幕府が樹立されたころから今日までに該当する。(64頁)
 
・「真夏の夜の夢」を女王が観たのは彼女の晩年であったが、女王は一六〇三年に亡くなった。その年に日本では、徳川家康が征夷大将軍になっている。(94頁)

 本書を一気に通読して著者らしさを痛感したのは、黒人奴隷と大学の自治の話の件です。差別に対する平和主義者としての鋭い視線は健在です。ハイドパークのスピーカーズコーナーにおける言論の自由や出版の自由も、わかりやすく述べてあります。
 労働者、貧困者、女性への差別と偏見にも、毅然とした態度で切り込んであります。人間が平等である空間として、日本の茶室を思い出すという箇所に、著者が日本人の心も大切にしておられることが伝わってきます。

 本書の後半は旅人の視線ではなく、英国在住27年の日本人平和学者の素顔が前面に出てきます。ロンドンを歩きながら、本書で語られていることを想起するとおもしろいと思います。観光ガイドブックでことさらきれいに楽しそうに書いてあることが、あまりにも浅薄な視点で語られていることを実感するはずです。本書から、2000年の歴史を背負った英国が新たに見えてきます。

 例えば、ピカデリーサーカスの中心にある像は、キューピッドでもエロスの像でもないのです。アンテロス像という、裸の若い男性像だそうです。そして、その社会的歴史的な背景を知り、英国を見る目が変わりました。
 女性マッチ労働者組合の話もそうでした。
 イーストエンドにある庶民のマーケットに、私はよく行きます。本書でその背景を知り、ロンドンへの理解を深めました。
 セツルメント運動とトインビーホールの話も新鮮でした。
 私はラッセルスクエアが好きです。ホテル・ラッセルには何度も泊まりました。ブルームス・ベリーのことはいろいろと調べました。しかし、タビストック・スクエア・ガーデンズにある良心的兵役拒否者の碑と広島の桜や、そこにガンジー座像があることは知りませんでした。

 本書は、知らないことを教えてもらえることに留まりません。その歴史的・文化的・思想的・政治的な背景を教えてもらえるのです。並の旅行ガイドブックではないのです。

 第Ⅴ章以降の語りは、平和学博士としての著者の独壇場です。これは、他の誰にでも語れることではありません。

 日本の外から英国の平和を語り、そしてその言葉が日本にも向かってきます。さまざまな味のする読み物です。そして、平和学からの一本の筋が確りと通った話となっています。

 本書には、「もっと深い旅をしよう」という角書きがあります。考える機会を与えていただいた一冊となりました。
 
 版元の高文研がネットにあげている目次には、少し異同があります。
 参考までに、本書の目次をあげておきます。

 また、本書の編集担当者である真鍋かおる氏の「●担当編集者より」は、本書の性格を理解するのに資するところがありますので、参照されることを奨めます。


はじめに
Ⅰ 英国とロンドンの素描
 イギリスという国家は存在しない
 連合王国の誕生と「イギリス」の語源
 議会・王室・教会
 英国国旗と三人の聖人
 教育現場で用いられない国旗
 学校で教えない国歌「神よ女王を救い給え」
 ロンドンは北国の首都
 グレーター・ロンドンと東京二三区
 ロンドンの中心はチャーリング・クロス駅前
 テムズ川が語るロンドン二〇〇〇年の歴史
 七五〇〇台の赤いバスと平等思想
 ロンドンのタクシー規制は一六三六年から
 世界一取得が難しいタクシーの運転免許
Ⅱ 異民族支配の一五〇〇年
 古代ローマ軍の侵略
 ブーディカ女王の反乱
 ロンドンに残るロンディニウム
 ローマ軍占領の「遺産」
 アングロ・サクソンの侵入
 イングランド国王に即位したバイキング王
 フランス系「ノルマン」の征服
 ウィリアム征服王のイングランド統治
 薔薇戦争
 ドラゴンと赤い十字架の紋章
 独自警察を持つザ・シティ
 六八六代目のザ・シティの市長
 マグナ・カルタ(大憲章)は英国人の誇り
 今日に生きるマグナ・カルタ
 マグナ・カルタを否定したローマ教皇
 国会議事堂周辺とウェストミンスター特別区
 イングランド議会の誕生
 古くて新しいウェストミンスター大聖堂
 キリスト教のイングランドへの渡来
Ⅲ 国家アイデンティティーの確立
 イングランド国教会の創設──妻二人を斬首刑にした国王
 レディー・ジェーン・グレイの処刑
 「ブラディー・メアリー」と呼ばれた女王
 「バージン・クィーン」=エリザベス一世
 イングランド初の世界一周航海
 スペイン「無敵艦隊」を排撃したエリザベス一世
 王立取引所と東インド会社
 女王が観た「真夏の夜の夢」
Ⅳ 清教徒革命と王政復古
 バグパイプとキルト
 「ガイ・フォークスの夜」と国会爆破未遂
 「メイフラワー号」と清教徒
 清教徒革命の二人のブロンズ像
 革命への道
 清教徒革命
 禁止された女性の化粧やクリスマス
 王政復古──処刑されたクロムウェルの埋葬遺体
 王立協会の創立──「誰の言葉も信じ込むな」
 科学革命──占星術から天文学へ
Ⅴ 奴隷貿易から産業革命へ
 ロンドン・砂糖と奴隷制度
 三角貿易と国王の奴隷貿易会社
 ロンドン大火と冤罪
 ザ・シティの再建と個人主義
 ロンドン初の「コーヒー・ハウス」
 「コーヒー・ハウス禁止令」を出した国王
 「コーヒー・ハウス」と男性ビジネス文化
 結婚持参品だった紅茶とボンベイ
 ロンドン初の紅茶専門店
 名誉革命と「オレンジ・オーダー」
 名誉革命の結果──「王は君臨すれども統治せず」
 英語を知らなかった国王と最初の内閣首相
 産業革命と陶磁器のウェッジウッド
 なぜ英国で産業革命が起きたのか
Ⅵ ナショナリズムと自由・平等
 トラファルガー広場のライオン像
 「鉄の公爵」とナショナリズム
 ロンドンにもいた黒人奴隷
 論文出版が契機となった奴隷解放運動
 結社・労働組合活動の自由
 自由・平等の大学創立
 カトリック教徒差別の撤廃
 大英博物館とカール・マルクス
 マルクスを守った「表現の自由」
 ハイド・パークと自由権
 労働者・貧困階級と紅茶
 焼失した「クリスタル・パレス」
Ⅶ 政治・社会改革の時代
 ビクトリア女王と「ミセス・ブラウン」
 バッキンガム宮殿
 起きなかったロンドン革命
 ピカデリー・サーカスの「アンテロス」像
 グラッドストン首相の立像と女工の鮮血
 歴史に火を点けた「マッチ女工たち」
 セツルメント運動
 スラム街へ入った若者と知識人
 婦人参政権と「ホロウェイ監獄」
Ⅷ 二つの世界大戦
 第一次世界大戦
 秘密情報機関創設 
 婦人参政権運動を分断した第一次世界大戦
 良心的兵役拒否
 第一次世界大戦とシルビア・パンクハースト
 ロンドンの労働者の国際連帯
 「セノタフ」=空の墓
 赤いポピーのファシズム
 ジェームズ・ボンドの虚像と実像
 ロンドンとファシズム
 第二次世界大戦
Ⅸ 福祉国家・世界都市へ
 「揺りかごから墓場まで」
 反核運動とレディー・ガガの刺青
 国際都市を象徴する国際バス駅
 「鉄のレディー」サッチャー首相の登場
 サッチャー政権の有形遺産
 新労働党=「サッチャーの息子たち」
おわりに

 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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