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2014年7月22日 (火)

京都で『十帖源氏』を読む「明石_その5」

 このところ、書き残しておくことがなにかと多くて、ブログの時間が前後しています。
 先週の古写本『源氏物語』を読む会に続いて行われた、『十帖源氏』の「明石」巻を読む勉強会のことです。

 夏到来です。会場としてお借りしている京町家のワックジャパンへは、天気のいい日には自転車で来るようにしています。先日は、午前中は小雨でした。しかし、お昼前から快晴になったので、賀茂川沿いの散策路をサイクリングがてら出かけました。

 その途中、高野川と賀茂川の合流地点である出町柳の三角地帯では、子どもたちが亀の飛び石で大はしゃぎをしていました。保育園のみんなのようです。本当に楽しそうでした。


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 さて、『十帖源氏』の「明石」巻を読み進んでいます。


たゞ、いさゝかなる物のむくい也

について、時間をかけて現代語訳を考えました。
 最終的には、「小さな出来事の結果に過ぎない。」に落ち着きました。しかし、ここに至るまでには、さまざまな意見を交換しました。特に、「物のむくい」をどうするか、ということがポイントです。

 世界各国で現地の言語に翻訳していただくものなので、「むくい」に宗教的な意味合いを持たせないように配慮しました。
 専門的には異論もあることでしょう。しかし、ここは大幅に物語の本文が刈り込まれており、簡略化されています。生まれながらの罪とか因果応報などということばを使うと、前後の流れを混乱させ、かえって物語展開をわからなくしてしまうことを危惧しました。

 それに続く「あかずかなしくて」も、時間をかけました。
 「あかず」と「かなし」をどうバランスよく調合するか、ということに腐心したのです。結果的には、「たまらなく恋しくて」となりました。

 さらには、次の文章の現代語訳をどうするかも、問題となりました。


人もなく、月のみきら/\として、夢のこゝちもせず。

 「人もなく」の「人」は、普通には「誰もいなくて」です。しかし、それでは各国の翻訳者は困ることが予想されます。「夢のこゝち」も訳し難いところです。そこで、誰のことを言っているのかを補い、わかりやすくすることに注意を集中して取り組みました。

 完成した現代語訳は、次の通りです。


桐壺院の姿もなく、月だけが輝いています。光源氏は、夢を見ていたとも思われません。

 毎回痛感することは、わかりやすいと思って考えた現代語訳が、果たして海外の方々にとって本当にわかりやすいのか、ということです。
 この勉強会には、中国の留学生から貴重な意見をたくさん聴いて参考にしています。しかし、多言語翻訳を目指すこのプロジェクトでは、一つでも多くの言語の専門家からの意見を聴くことができたら、さらにこなれた『十帖源氏』の現代語訳に仕上げることができることでしょう。

 この勉強会は門戸を広く開いています。
 ほんの少しだけの参加者も歓迎します。
 世界中からの留学生の参加は大歓迎です。
 興味をお持ちの方や、紹介してくださる方は、本ブログのコメント欄を使って連絡をいただけると幸いです。

 次回の集まりは、8月はお休みをいただき、9月6日(土)の午後3時からです。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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