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2014年8月10日 (日)

清張全集復読(3)松本清張の家系の謎『白い系譜』(3)

 白根正寿著『白い系譜』(備北新聞社、昭和51年3月)に関して、作品を読んでの個人的なメモを残しておきます。

 こんな会話で「序の章」が始まります。
 私が育った出雲地方でも使っていた方言であるズウズウ弁です。


「やっぱぇなあ……」
「あげだぜぇ。……なんぼ、畠山さんでもねゃ……なんの屈託もないのに、……嫁と姑ということなって見るとねゃ」
「そげだわねゃ、このことばかりは……」
「ほんに優しい、いい若御寮さんだったに」

 鳥取県の日野川源流に近い矢戸の村での話です。
 明治3年の早春。地主階級で豪農の畠山家当主である誠一郎(31歳)のもとへ、福成村の庄屋である前原家の美津(16歳)が嫁入りします。婚礼の日、畠山家の門で一悶着あったことが、その後の展開を暗示します。

 姑のてるは、〈尼将軍〉とか〈鬼よりこわい〉と言われる女傑なのです。
 優しい誠一郎と鬼の姑に挟まれ、誠心誠意尽くす中で苦悩する美津が、鋭い筆鋒でみごとに描き出されていきます。作者の筆力には、並々ならぬ切れ味を感じさせます。
 美津の夫である誠一郎の性状については、儒学の影響が色濃く認められます。親への優しすぎることなどで、作者はそれを強調しています。

 お茶の話が出てきました。美津は母から裏千家の手ほどきを受けたのに対して、姑のてるは松江を中心とした松平公の不昧流(53頁下)。当時の福成には、茶道の先生はいなかったようです。
 また、ホオズキで堕胎することは、どこから仕入れた知識なのでしょうか。村に言い伝えでもあるのでしょうか。二条流とは違うようです。(68頁上)

 美津の婚家出奔のくだりには、息をも吐かせぬ緊迫感と臨場感があります。
 美津を追い出すことに成功した姑のてると小姑のお百は、自分たちが仕組んだその後の結婚話に誠一郎が乗ってこないので、おもしろからず振る舞います。
 誠一郎は、明治5年の学制発布のために上京し、教部省(文部省)に入ることになったのです。この思惑が外れて行き違うところが、軽妙に語られます。
 それに比して、誠一郎と美津との相思相愛ぶりは、ドラマ仕立てで展開します。

 立身出世と純愛話に加えて、その背後に陰謀が空回りしながら物語は進展するのです。美津の懐妊についても、姑は我知らずと滑稽に描かれています。

 やがて生まれた勝太郎は、炭焚きの米十に里子に出されます。しかも、産みの親が知らないうちに。このあたりから、清張の父の匂いが行間に滲み出します。

 畠山家を出奔した美津は、姑と小姑が亡くなった後、再度畠山家に入ります。ただし、里子に出された第一子とは会えぬままに……。
 これは、一種の純愛物語です。嫁とは、母とは、という問いかけを、きわめて具体的に読者に突きつけてきます。

 後半では、奥出雲の風物であるタタラの文化についても、しっかりと書かれています。
 さらに、明治5年の学制発布という、教育制度が地方に展開する舞台裏などが詳しく描かれているのも、本作の特徴です。作者が積極的に教育に携わっていたからこそ、こうしたことをしっかりと調査して取り込んでいるのです。

 勝太郎は、矢戸一番の人物として故郷に錦を飾ることを夢見ていました。そのことを息子に語りながらも、果たせないままで亡くなります。知られている清張の父そのままです。
 美津は、昭和7年に81歳で亡くなりました。

 本作は、清張の祖母として登場する美津を中心として、日南町矢戸を舞台にして語られる物語です。
 フィクションとは思えない、極めて具体的な設定がなされています。事実とどう折り合いがつけられているのか、語られる1つ1つの根拠が知りたくなります。
 松本清張の父が里子に出された前後については、この話がどこまで事実を踏まえているのか。それが克明な描写に支えられているからこそ、作者はどのようにしてこうしたネタを自在に操れたのか、知りたくなりました。

 本作に描かれている虚実の揺れを、これから調べて読み解きたいと思っています。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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