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2014年8月 9日 (土)

清張全集復読(2)松本清張の家系の謎『白い系譜』(2)

 白根正寿著『白い系譜』(備北新聞社、昭和51年3月)で語られている話を整理しておきます。

 まず、登場人物です。

 清張の生年月日は1909年(明治42年)12月21日とされています。しかし、それは九州小倉市で出生届を提出した公式書類上の日であり、実際には1909年2月12日に広島市で生まれた、ということが正しいかと思われます。

 本書『白い系譜』の最後では、実際の松本清張を匂わせる形で、名前を「成春」として生年月日は明治42年12月21日としています。公式な記録の日時に合わせたのでしょうか。
 名前についても、ペンネームの「せいちょう」ではなく、本名の「きよはる」と合成した「なりはる」になっています。

 参考までに、本書の巻末部の当該部分を引用しておきます。


 やがて勝太郎夫妻は一男児を挙げた。明治四十二年十二月二十一日であった。
 成春と名づけられた。成春は、かつて古舘源八が予言したとおり、誠一郎、美津からは一代おいてだったが、この系統から現われた偉材で、後年文壇の巨匠となって縦横の活躍をするのだが、それはここには語るまい。(250頁上段)

 さて、本書に登場する人物について整理しておきます。
 まず、流布する情報として、ネットに公開されている系図を引きます。
 
 
              松本米吉(鳥取県米子市)
                 ↑(養子)    
      田中雄三郎 ┏━━峯太郎(→広島県広島市)    
 (鳥取県日南町)┃  ┃   ┃
         ┣━━┫   ┣━━━━━━━清張
         ┃  ┃  タニ
        とよ  ┃
            ┗━━嘉三郎(→東京都杉並区荻窪) 
                ┃
               りう
   (ウィキペディア「松本清張」の「家系」の項目より)
 
 
 これに倣って本書の人物関係を系図にすると、次のようになります。
 ただし、これは初読によるメモであり、さらに正確にする必要があります。今は、不正確なままであることを承知の上で参考のために掲載します。
 
 
てる(大御寮33歳で    松下米十(炭焼、M8に伯耆淀江で魚屋
  ┃ 未亡人) 園枝(2人目の嫁  ↑ その後9歳で備後東城)
  ┣━━お百  ┃  大御寮の姪) ↑
  ┣━誠一郎(M3美津と結婚31歳)  ↑(里子)
矢戸の豪農    ┃         ↑
 畠山助左衛門  ┃  ┏━━勝太郎(M4.8.15生、後に松下姓)    
         ┃  ┃  ┃(流浪:西城→庄原→三次→広島)
福成村の庄屋   ┣━━┫  ┃
 前原太郎右衛門 ┃  ┃  ┣━成春(M4.8.15生)
  ┣━━━━━━美津 ┃  ┃
  ┃  (M3結婚16歳 ┃  妻(広島)
  ┃ 4人目の若御寮) ┃             
 久子         ┗━━慶次郎(次男 M9.2.18生) 
            [※2014年08月09日(土)現在の試作版]
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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