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2014年9月18日 (木)

読書雑記(109)広瀬浩二郎のことば切り抜き帳(1)

 目の不自由な方と一緒に『源氏物語』の古写本を読む方策を模索する上で、やはり全盲の研究者である広瀬浩二郎さんのことばには、多くのヒントがあると思っています。

 ここでは、『さわっておどろく! 点字・点図がひらく世界』(広瀬浩二郎・嶺重慎、岩波ジュニア新書、2012年5月)から、意識しておくべきことばを抜き出しておきます。
 嶺重さんが執筆なさっている第5章からは、今は引きません。


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 私にはまったく理解の及ばない世界のことでもあり、とにかく抜き出すことで、後で考えるための資料集にしたいと思います。

【障害者と共生社会のありかた】


 共生、つまり障害の有無に関係なく万人がともに生きることをめざすならば、どうしてもマイノリティである障害者はある種の頑張りを強いられることになる。時に共生とは多数派の論理となり、障害は克服すべきマイナスと一方的に決め付けられてしまう。そてして、それを克服できない者は、共生社会から排除されるのである。障害の克服を金科玉条とする共生社会では、いつになっても障害者は「お母さん、生きててよかった」と美談の主役に祭り上げられることになるだろう。(21頁)

※(私注)共生をいいながらも、今の社会には明らかに多数派の論理により区別なり排除がありますね。
 
 
【過渡期の視覚障害教育】

 近年、「インクルーシブ教育」「特別支援教育」という理念の下、障害児教育をめぐる情勢が激変しています。しかし、まだ流動的な部分もあり、「本質は何も変わっていない」というのが僕の個人的な感想です。本書では過渡期を迎えている視覚障害教育の現状や問題点には立ち入らないことにします。(32頁)

※(私注)いつかこの過渡期と言う教育の現状について聞きたいと思っています。
 
 
【古文書が読めないこと】

 僕は少年時代から歴史小説が好きだったので、他の選択肢は考えずに日本史学科を選びました。でも専門の授業が始まって、あらためて全盲には歴史研究が難しいことを痛感しました。最大のハードルは古文書を解読することで、自分では読めないし、周りのボランティアに頼もうとしても無理です。文字どおり八方ふさがりで、遅ればせながらこれはチョイスを誤ったかなと思いました。
 しかし自分が好きで選んだ学科ですから、どうにかしないといけません。いろいろ試行錯誤する中で、聞き取り調査をする方法に方向転換しました。いまだに文献が自由に読めないのはハンディキャップなのですが、全国各地に行って我流で聞き取り調査、フィールドワークをする過程で「さわって楽しむ」ことに目覚めていくわけです。(38頁)

※(私注)古文書を一旦手放した広瀬さんに、今私はひらがな主体の古写本を一緒に読もうと持ちかけています。
 
 
【「人に優しい」ことへの違和感】

 僕は先駆者の尽力に感謝しつつも、当初からなんとなく「人に優しい」というフレーズに違和感を抱いていました。目が見えない僕は、「人に優しい」バリアフリー製品の恩恵に日々浴しています。でも、誰が誰に優しいのかと考えると、どうしても健常者(博物館スタッフ)の障害者(来館者)に対する善意・親切、「してあげる/してもらう」という図式を感じてしまうのです(優しさに反発する僕は、たぶん「誰にも優しくない」人間なのでしょうね)。(40頁)

※(私注)これは辛辣な現代日本社会への批判だと思われます。
 
 
【触覚という情報入手法】

 触覚は量とスピードで劣っていますが、視覚のように受動的な情報入手ではありません。自分の手を動かし、情報を増やしていく。点だった情報を面、そして立体へと広げていく。あたかもパズルを組み立てるようなおもしろさがあるし、逆に難しさもあります。(48頁)

※(私注)古写本を一緒に読みませんかと呼びかけることで、おもしろさと難しさを共有しようと思っています。
 
 
【広瀬流三要素】

 ◎広瀬流「視覚(見る)と触覚(さわる)の三要素」
 look=視線を向けて意図的に見る→手線を意識し、大きくさわる
 watch=注意してものの動きをじっと見る→一点に指先を集中し、細部を小さくさわる
 see=自然に見える、目に入る→皮膚感覚を研ぎ澄まし、全身を手にしてさわる(54頁)

※(私注)これはまさしく、古写本を読む時の心構えとなるように思われます。
 
 
【障害者の呼称】

ここ数年、『障害」の表記に関する種々の議論が繰り返されています。「害」の字が否定的なニュアンスを持つので平仮名にすべきだという「人権」思想に基づき、役所等の文書では「障がい」「しょうがい」を使用するケースが増加しました。しかし、「がい」や「しょうがい」そのものには何もポジティブな意味がありません。そもそも障害とは、社会の多数派が少数派に貼り付けたレッテルです。漢字を仮名に置き換えるだけの事勿れ主義でなく、障害という一方向的な強者の論理を克服することが、二一世紀を生きる僕たちの真の目標であるはずです。
 僕は晴眼者/視覚障害者の陳腐な二分法に対し、「見常者(けんじょうしゃ)=視覚に依拠した生活をする人」「触常者(しょくじょうしゃ)=触覚に依拠した生活をする人」という新しい呼称を提案しています。「さわる文化」は障害の有無を超越する人類共通の財産であり、その復権が今こそ求められているのではないでしょうか。さわって学び、楽しみ、愕く。触文化の探検、すなわち見常者と触常者の自由な交流の場が増えれば、障害という概念は雲散霧消するに違いありません(なお、本書では弱視者や中途失明者を含む「目が見えない人、見えにくい人」の客観的な総称として、「触常者」でなく「視覚障害者」を用いています)。(55~56頁)

※(私注)「見常者」と「触常者」という呼称は、最近私も意識して使っています。
 
 
【点字の今後】

 医学の進歩により、今後ますます視覚障害者の数は減少するでしょう。また、パソコン等の普及で若い視覚障害者の「点字離れ」が進行し、一方では中途失明者の点字習得の困難さも指摘されています。このような状況下、視覚障害者用の文字である点字の未来はどうなるのか。僕自身は二二世紀にも点字が生き残ることを確信していますが、そのためのキーワードが"点字力"なのです。(70頁)

※(私注)点字と共に、ひらがなを触って読めるようになることと、縦書きの習得を広瀬さんに提案しています。
 
 
【凸文字の触読の難しさ】

 社会の多数派である見常者と円滑に交流・通信するためには、視覚障害者が墨字を使うことが必要なのも確かでしょう。しかし、凸文字は触読に適していませんでした。さらに、凸文字を用いて生徒がメモや手紙を書くことはきわめて困難です。日本では漢字を凸文字にした明治一〇年代の鍼灸・箏曲の教科書が残っていますが、それらを一文字ずつ解読していた生徒の苦労は想像を絶するものがあります。アルファベットにしても仮名・漢字にしても、一般に線による文字は視覚で認識しやすいものです。イメージ(像)として瞬時に文字をとらえることができる視覚に対し、触覚(指先による触読)には点を線、面へと広げていく難しさがあります。直線と曲線が不規則に混在する墨字を習い覚えるためには、専門的なトレーニングが不可欠です。そのような時間と労力を費やす教育実践が、一九世紀の盲学校で行なわれていたことは評価できますが、凸文字による学習効果は点字に比して、はるかに劣っていました。(72頁)

※(私注)広瀬さんを説得するためにも、今、15センチ四方の板に『源氏物語』の変体仮名を彫って触読の実験をしようと思っています。
 
 
【日本は点字投票の最初の国】

 点字大阪毎日の運動などもあって、大正一四(一九二五)年の衆議院議員選挙法(普通選挙法)で点字投票が認められます。日本は点字投票を制度化した世界で最初の国です。(77頁)

※(私注)日本人特有の優しさであり、思いやりの文化が背景にあると思われます。
 
 
【パソコンの意義】

 一九八〇年代後半には、点字で文章を書いていた視覚障害者が、パソコン(点字ワープロ)を用いて墨字文書を作成することが可能となりました。従来の点字・墨字の相互変換には、点字のルールを熟知する見常者のサポートが必須でしたが、現在では点字ユーザーと点字を知らない見常者がEメールで文字情報をやり取りすることが日常化しています。ITが視覚障害者にもたらした恩恵は大きく、パソコンは情報弱者のハンディを補う有力な武器となっているのです。視覚障害者が墨字に直接アクセスする機会が増えたことによって、点字と墨字の表記の「違い」に戸惑いを感じる人が多くなりました。若い視覚障害者の中で読点使用に反対する者はいませんし、墨字との整合性を重んじ、表記法の一部改正を求める意見も出されています。(81頁)

※(私注)まだ未発達の情報文具の活用は、見常者ですら使いこなせていない現状において、まだまだ可能性があります。
 
 
【多文化理解教育】

 近年、多文化理解教育の一環として手話を第二外国語科目とする大学が徐々に増えています。手話と同様に、点字も福祉の枠組みとは一線を画する新しい角度からのアプローチが進むことが望まれます。手話は言語としての明確な位置づけができますが、日本点字は日本語を書き表すための文字体系ですから、厳密な意味での言語ではありません。でも、もともと点字は墨字との「違い」の上に成立したものであることを再認識し、その「違い」を継承する形で多文化理解教育における点字のプレゼシスを高めていかなければならないでしょう(詳しくは本章末の「付録皿」を参照)。(84頁)

※(私注)古写本による墨字の再認識を、私は広瀬さんに提案しているところです。
 
 
【点字の有用性】

 日本だけでなく、「点字離れ」は世界各国の視覚障害者に共通する現象となっています。
 とはいえ、視覚障害者がじっくり読書しようとすれば、自分のペースで能動的に情報を獲得する手段として、今のところ点字に勝るものはありません。また、日常生活における私的なメモなどでも、簡単に書いて、すぐに確認できるという面で、点字は便利です。能動性と簡便性が点字の最大の特徴であり、これは音声情報ではカバーできない触覚文字の長所といえます。紙媒体から電子媒体へのさらなる移行は進むにしても、点字が完全に消滅することはないでしょう。(85頁)

※(私注)ここに、ひらがなの触読ということを加えると、見常者と触常者が文化を共有できるようになる、というのが広瀬さんへの私からの提案趣旨です。
 
 
【マルチモーダル図書とは何か】

 マルチモーダル図書とは、同じ内容の情報に複数の手段でアクセスできる図書のことです。例えば、今回われわれは、同じ内容の本を、①活字版(墨字版、通常の紙印刷の本)、②点字版(点字および点図からなる本)、③音声版(音声を録音し耳で聞く本)、④電子ブック(パソコン上で読む本)の四つの異なる形式で同時製作しました。(125頁)

※(私注)点字版に、ひらがなの浮き出し文字を加えたいと思っています。
 
 
【点字版は著作権の対象外】

 点字版は著作権の対象外なので、たとえ著者の承諾が得られなくても出版できますが、音声版や電子ブックにおいてはその限りではありません。簡単にコピーできるために、本が売れなくなるという理由から、マルチモーダル出版をきらう著者もあると聞いています。しかし、多くの視覚障害者にとって音声版や電子ブックはきわめて有用です。著者が、点字・点図版や音声版の作製にも関われば、著作権の問題は発生しません。(127頁)

※(私注)点字版の有用性をもっと評価することで、ひらがなの浮き出しシートの開発は意義があると思います。
 
 
【鈍角は指先で知覚できない】

 鈍角を指先で知覚するのは難しいのです。次の図は楕円ですね、これも、真円と思いました。このように、手で読むということは、視覚で見るのとは、大きく異なることがよくわかります。(130頁)

※(私注)ひらがなの浮き出し文字を提案している私にとって、この鈍角に認識の困難さが一番のネックとなるように思われます。
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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