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2014年9月 6日 (土)

京都で『源氏物語「蜻蛉」』の写本を読む(第13回)

 今日の京都で『源氏物語』の古写本を読む会は、「京町家 さいりん館 室町二条」で開催しました。初めて借りる施設は、何かと刺激的です。


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 庭はこんな感じでした。


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 2階の部屋はイスとテーブルなので、10人ほどの勉強会にはちょうどいい場所でした。


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 今年の重陽の節句は10月2日だそうです。そんなこともあり、娘が今日届けてくれた和菓子は、甘春堂本舗の「着せ綿」というお菓子でした。


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 甘春堂本舗のホームページより、このお菓子の説明を引用します。


執筆者: 木ノ下 千栄

◆紫式部と菊の着せ綿
 『源氏物語』で有名な紫式部は、自らの歌集『紫式部集』にこんな歌を詠んでいます。
 「菊の花 若ゆばかりに袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ」
 旧暦の9月9日は、重陽の節句と呼ばれ、平安時代には前日の9月8日に菊の花を真綿でおおって菊の香を移し、その翌日の朝に露に湿ったこの真綿で顔にあてて、若さと健康を保とうとする行事がありました。これを「菊の着せ綿」といいます。
 この日、紫式部は藤原道長の北の方(奥さん)・源倫子から菊の着せ綿を贈られて大変感激したようです。当時綿は大変高価なもの。いくら道長の娘・彰子にお仕えしているといっても、自分には身分不相応と遠慮したのでしょうか。
「(着せ綿の菊の露で身を拭えば、千年も寿命が延びるということですが、)私は若返る程度にちょっと袖を触れさせていただき、千年の寿命は、花の持ち主であられるあなた様にお譲り申しましょう。」とその着せ綿を丁寧にお返ししようとしたとのことです。道長家の栄華、そして紫式部の思慮深さがしのばれる歌ですね。
 着せ綿については『枕草子』『弁内侍日記』などをはじめ、古典文学に多く記されています。今年はあなたも殿上人になったつもりで、着せ綿をしてみてはいかがでしょうか?

◆由来について
 旧暦9月9日は陰陽道の考え方から縁起のよい陽数(奇数)の最大値である9が重なることから、「重陽」と呼ばれます。五節句(人日、上巳、端午、七夕、重陽)の中でももっとも重んじられてきました。
 重陽の節句は別名「菊の宴」ともいい、古くから宮中に年中行事の一つとして伝わってきました。菊は翁草、齢草、千代見草とも別名を持っており、古代中国では、菊は仙境に咲いている花とされ、邪気を払い長生きする効能があると信じられていました。その後、日本に渡り、菊の香と露とを綿に含ませ身をぬぐうことで、不老長寿を願う行事として定着したようです。
 宮中の重陽の行事としては、平安前期の宇多天皇のころに始まりましたが、当時は特に細かい決まりはなかったようです。しかし近世に入ると「白菊には黄色の綿を、黄色の菊には赤い綿を、赤い菊には白い綿を覆う」との記述が見られるようになります。また重陽の日に菊の咲かない年は、綿で聞くの花を作ったという記述もあります。この日は観菊の宴が催され、菊の花を酒に浸した菊酒を酌み交わして、人々は延命長寿を祈りました。

◆重陽の神事 烏(からす)相撲
 重陽の日におこなわれる神社の神事として有名なのは、上賀茂神社の烏相撲です。烏相撲は平安時代に始まる、氏子児童による相撲です。上賀茂神社の祭神の祖父である「賀茂建角身命」が神武天皇東征の時、巨大な八咫烏(やたがらす)となって先導を務めたこと、また悪霊退治の信仰行事として相撲が結びついて行われるようになりました。
 当日、本殿で祭典があった後、境内細殿前庭で烏帽子、白針姿の刀祢(とね)が弓矢をもってぴょんぴょんと横跳びをしながら「カーカーカー」「コーコーコー」と烏の鳴き真似をし、小学生10数名が相撲をとります。その鳴き真似のユニークな姿にマスコミもたくさんくる、重陽のちょっとしたイベントであり、児童たちの活躍ぶりをみる、実にほほえましい行事です。
 ところで、平安時代には歴代の斎王が烏相撲をご覧になったと伝えられています。斎王の制度が鎌倉時代に途絶えてしまった後も、毎年斎王の席を用意し、神事は続けられてきました。そして平成3年に葵祭の斎王代がこれをご覧になることになり、800年ぶりに陪覧が実現したということです。 それにしても、9月といっても暑いこの時期、斎王代も正装でじっと動かず、そして扇で顔も仰ぐことも許されずに座っていなければならないなんて、大変ですね。

 今日はまず、この「着せ綿」というお菓子をいただきながら、この説明文を確認することから始まりました。
 お菓子一つを取っても、こうしていろいろなお話ができるのですから、日本の伝統的な文化は本当に楽しいものだと気付かされます。

 『紫式部日記』と『枕草子』にも、この菊の着せ綿の記事があるので、それも確認しました。
 参考までに、以下に引いておきます。


(1)『紫式部日記』(『完訳 日本の古典24』小学館)

 九日、菊の綿を、兵部のおもとの持て来て、「これ、殿の上の、とりわきて。いとよう老いのごひ捨てたまへと、のたまはせつる」とあれば、
  菊の露わかゆばかりに袖ふれて花のあるじに千代はゆづらむ
とて、かへしたてまつらむとするほどに、「あなたに帰り渡らせたまひぬ」とあれば、ようなきにとどめつ。
 
 
(2)『枕草子』(『完訳 日本の古典12』小学館)(三巻本 第7段)

 九月九日は、暁がたより雨すこし降りて、菊の露もこちたうそぼち、おほひたる綿など、もてはやされたる。つとめてはやみにたれど、曇りて、ややもすれば、降り落ちぬべく見えたる、をかし。

 さて、肝心の勉強会は前回予告した通り、ハーバード大学本「蜻蛉」の写本を読むのではなく、『源氏物語』の「蜻蛉」巻のお話の確認をしました。
 変体仮名を読むことに没頭していて、お話の確認が中途半端だったからです。

 『国文学「解釈と鑑賞」別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識 No. 28 蜻 蛉』(伊藤鉄也編、至文堂、2003・4)を元にして、原文・現代語訳・鑑賞・脚注・コラムなどを参照しながら、物語を追うことで内容を見て行きました。浮舟はもちろん、薫と匂宮、右近と侍従、そして時方などの登場人物の位置づけや性格にまで及びました。

 さらには、現在読んでいる『源氏物語』は紫式部1人が書いた作品ではない、という持論のもとに、この「蜻蛉」巻でも女の筆と男の筆が混在していると思われる場面なども指摘しました。

 簡単に言えば、浮舟という女性の語られ方や、取り巻きの女性の描かれ方が中途半端になっているのは、男の筆が入っているからではないか、ということです。
 反面、男性の心理描写には、女性には描けないような鋭さで語られているのではないか、ということもふれました。
 こうしたことは、その論証が難しいことなので、そのような視点で「蜻蛉」巻を読んでみませんか、という提案でもあります。

 お菓子をいただいた後は、私が喋りすぎたように思われます。
 次回は、女性と男性の心理を、討論形式で展開したいと思っています。
 この会は女性が多いので、楽しい時間になりそうです。
 
 次回は、10月4日(土)の午後1時から、ワックジャパンで行います。
 興味をお持ちの方の参加を歓迎します。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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