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2014年9月 7日 (日)

平安絵巻の岡崎から信貴山縁起絵巻の平群へ

 岡崎公園の中にある京都府立図書館で借りていた本は、過日東京からネットで延長手続きをしていました。しかし、今月から来月にかけての週末は、すべて予定が詰まっています。直接返却に行けません。自宅近くにある京都府立総合資料館に返却することも出来ないようなので、自転車を飛ばして岡崎へ行きました。

 図書館がある平安神宮周辺は、秋の観光客で大混雑しています。のんびりと旅をしたいなーっと思いながら、しばらくは館内で調べものに没頭しました。

 午後は奈良でお茶のお稽古があるので、京阪三条駅の駐輪場に自転車を置きました。12時間で200円です。

 京阪三条駅から丹波橋駅まで出て、そこから近鉄に乗り換えます。さらに、大和西大寺駅と生駒駅で乗り換ると、目的地である元山上口駅へ行けるのです。

 今日は、茶箱を使った卯の花と、前回同様に運びの薄茶のお稽古をしました。
 卯の花は、かつて一度だけやりました。袱紗を腰に着けないことや、柄杓を使わないことなど、細かなところが違います。その微妙な違いが、中途半端に知っていることと混乱するので、かえって悩ましいことになるのです。
 薄茶は4人分点てました。回数を重ねると、自然と身体に染み込むものがあります。

 お稽古が終わってから、『利休百首』(井口海仙著・綾村坦園書、淡交社、平成23年1月30版)を読みます。今日は、


棗には蓋半月に手をかけて
  茶杓を円く置くとこそしれ (44頁)

でした。

 みんなで唱和します。テキストの変体仮名を目で追いながら読み上げていたところ、最後の「れ」の仮名に目が留まりました。この「れ」の字母は何だったのだろうかと。
 その時はわかりませんでした。しかし、帰ってから調べる前に、一緒にお稽古をしている仲間からすぐに「麗」であることを教えていただけました。感謝です。

 帰ってから、早速『五體字類』(高田竹山、東西書房、昭和51年6月47版)を見ると、次のようにありました。
 写真の右が『利休百首』の「置くとこそしれ(置久止己所志麗)」の部分です。
 左は『五體字類』の「れ」の項目で、「連 俊  麗 行  麗 俊」とあります。「俊」は藤原俊頼、「行」は藤原行成の手であることを示しています。


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 鎌倉から室町にかけての変体仮名は読む機会が多いのに、平安時代の仮名にはあまり親しんでいなかったことに気付かされました。いい刺激です。またまた感謝。

 お稽古帰りには、娘夫婦と生駒駅そばの居酒屋で軽く呑みながら話に華を咲かせました。

 生駒駅の南側からケーブルカーが生駒山・宝山寺まで延びています。その線路脇に、息子2人が生まれた産婦人科があります。20年以上も前の記憶と懐かしさを頼りにして、生駒駅南のぴっくり通りを歩いてみました。しかし、日曜日ということもあってか、ほとんどがシャッターが降りていました。閉店したお店も多いようです。

 この一帯に活気がないので、駅に隣接する「グリーンヒルいこま」へ行きました。
 3階の一番奥にあった「味楽座」でも、通路を隔てた南側の別館に入りました。ここは、なかなかおいしい魚料理を出してくれました。「ウナギの白焼き」と「とんぺい」が気に入りました。

 実は帰ってから、何気なく「味楽座」を調べていてビックリ仰天しました。今日入った「味楽座」の別館は、かつて「寿がきやラーメン」があったところだったのです。あの「寿がきやラーメン」には、子供たち3人を連れてよく来ました。今は「グリーンヒルいこま」を撤退して、西大寺の「奈良ファミリ―」に入っているそうです。これは、いつか家族みんなで行く価値がありそうです。

 私は1人で食事をすると、よくお腹が痛くなるため、誰かに付き合ってもらうことが多くなりました。娘夫婦は、その犠牲者だといえます。しかし、イギリスのことや外国語の話に始まり、目の不自由な方々と写本を読む方策についてまで、いつもながら多彩な話で止まりません。
 自転車を取りに三条駅に戻り、駅前のブックオフに立ち寄ったのは23時少し前でした。11時間も自転車を預けていたことになります。フルに駐輪したことになりました。
 
 
 


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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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