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2014年10月10日 (金)

筑波大学附属視覚特別支援学校訪問記

 国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんと一緒に、筑波大学附属視覚特別支援学校の高村明良先生にお話をうかがいに行きました。
 視覚障害者が古写本『源氏物語』を読めるようになるための方策について、相談とご教示をいただくためです。

 広瀬さんとは、地下鉄有楽町線の護国寺駅で待ち合わせをし、盲学校に向かいました。
 駅から学校までは、複雑な交差点を通り、急な長い階段を登ります。今日も私の腕を広瀬さんに貸して歩いて行きました。

 途中で、前から白杖を持って足早に歩いてくる女学生と行き合いました。こちらが先に気づいたので道を譲りました。狭い点字ブロックを頼りに歩くので、すれ違いざまにぶつかることもあるそうです。

 今日学校には、ハンガリーからのお客様がお出でになっていたそうです。下駄箱には、ハンガリー語の張り紙がしてありました。


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 折しも、先日ハンガリー語訳『源氏物語』の本を整理していたので、なんとなく親近感を持ちました。もっとも、私はまったくこの文字は読めませんが……

 高村先生からは、たくさんのアドバイスをいただきました。
 数学の先生ということもあって、何事もストレートに話してくださいます。理路整然と自分の考えをおっしゃるので、それがかえって私にはわかりやすくて助かりました。

 また、和やかにいろいろな視点から情報交換ができたのは、広瀬さんが中学と高校時代にこの学校に通い、高村先生に教わっていたという事情もあります。先生の歯に衣を着せぬ、何の遠慮もなさらないお人柄に、かえって信頼してお話をうかがうことができました。

 高村先生のお話には、まず結論が先にあります。私が本当におもしろいと思うことから、相手に伝えるべきだと。それが、触ることによってわかれば、それが一番いいのだからと。
 ぜひ伝えたいと思うことから始めて、そこから興味をさらに膨らませるために道具を使えばいいのだというのが、先生の基本的なお考えでした。

 今日うかがったお話の要点を、以下に列記しておきます。

 私が、今考えていることを説明すると、高村先生はまず、それによって視覚障害者に何がわかるようになるのか、と問い返されました。見えている人はわかることであっても、見えない者には字の形を触らされて終わるだけではないかとも。

 昔から、浮き出た文字はありました。それを、触って理解しようとした人もいました。
 しかし、それがなぜ受け入れられなかったか、ということがあります。そこには、目で見る者と手で触る者とのギャップがあったからだそうです。また、目の見えない者にとって、手で形の大小の変化はわかるが、形は見分けられないのだそうです。

 目で形を認識するにあたっては、自分の頭の中で補正ができるのです。しかし、目の見えない人が、手で曲がったものの形を理解するのには、自分の中で補正ができないのだそうです。その点、点字は6点が形作る文字なので、ズレることなく指先で識別できるのです。その意味から、変体仮名の違いを理解できるかどうかは、手で認識できる限界を超えることのようです。ただし、丸も六角形も、大きくなると個体差が出てくるので、文字としての識別は可能となるようです。

 話をまとめると、見えてできることと、見えなくてもできることがあり、その認識の手段が問題となるのです。自分が達成できる手段かどうか。その手段を考える必要があるのです。その意味からも、私のプロジェクトの目的をもっと明確にすべきだ、とのことでした。

 千年前の文字で書かれた写本の魅力を伝えたい、という趣旨は理解していただけました。しかし、実用的な問題として、やはり変体仮名を読むことは難しいのだということです。もっとも、文字の変化を伝えることは、意義があることであるのは理解できるとも。

 そのためにも、私が研究しているプロセスを伝えてみてはどうだろうか、という提案を受けました。おもしろい、と思うことをやってみてほしいそうです。

 私の研究テーマから言えば、異文発生のおもしろさを知るために、文字の違いがわかるのは大事なことです。そして、『源氏物語』のおもしろさを前面に出して、自分で理解して楽しむことに誘導できればいいのです。

 文字は、見た瞬間にわかります。同じように、目が見えない方のためには、図形としてわかるようにすることも大事なようです。

 文章にひらがなでルビを振り、その平仮名をたどって読むことについての意見をうかがいました。
 これについては、指先が理解する解像度は低いことと、立体コピーは太さが出てきて判読しにくいので、問題は山積しているようです。あまり現実的な、有効な手段としては理解してもらえなかったようです。

 また、目が見える者が自分の文化に他人を巻き込もうとしているのでは、と批判的にもおっしゃいます。
 向こうの文化をこちらの文化に寄り添わせることも大事なようです。相手の文化に沿うことの大切さです。その意味からは、点字のよさを再認識させられました。文化の受け渡しの道具としての点字を見ると、なかなか優れものなのです。
 私の説明では、見える世界を見えない世界に押し付けているようにも思われるそうです。それであっても、触っておもしろさが理解できればいいのです。触ることで世界が開けるのですから。

 何とかしてでも、伝えようとするのが大事なようです。理解するためのツールとして、今回の提案を活かしたらどうだろう、ともおっしゃいます。見えなくてもできること。それを我々に伝えてほしいとも。

 たくさんのアドバイスをいただきました。これを再検討の課題として、いましばらく考えたいと思います。

 帰りに玄関の写真を撮りました。来た時には、こんなに長時間お話をするとは思わなかったので、外に出て暗くなっていたので驚きました。


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 帰りの護国寺の駅の改札横に、立体模型で駅中の状況がわかるようになっていました。


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 ただし、これは少し奥まったところにあります。もっと目に付きやすいところにあってもいいと思いました。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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