« 科研HP「海外源氏情報」への情報提供のお願い | メイン | 各国で翻訳された『源氏物語』の表紙絵の展示 »

2014年10月 2日 (木)

日比谷図書文化館で『源氏物語』を読み始める

 今夜は、日比谷図書文化館で、ハーバード大学本「蜻蛉」巻を読む体験講座がありました。
 自己紹介に始まり、ハーバード大学本「蜻蛉」の来歴など、自由気ままにお話をしました

 今回は導入でもあり、平仮名が書かれた出土物のことから語り出しました。9世紀後半には平仮名があったのです。藤原良相の邸宅から見つかった平仮名が書かれた土器のことです。

 みなさん、熱心に聞いてくださいました。若い女性が多かったので、お話は少し若者に向けた内容を意識しました。それでもやはり、年配の方の反応がいいので、両にらみで語り続けることになります。

 最後に、『源氏物語』は紫式部という女性が独りで書いた作品だとは思わないことと、宇治十帖では男の手が入っていることを指摘しました。すると、みなさん目を輝かせて聞いてくださいました。
 このことは証明しづら問題です。しかし、そうとしか考えられない状況で、『源氏物語』は執筆を進めています。このことも、追い追いお話します。

 今日お配りした資料の中に、「ひらがなと点字の歴史」があります。この資料を作っていて、平仮名の成立と展開が、点字の成立と普及に連動しているのです。
 次の年表をご覧ください。明治33年と34年に、何かが動いていたように思います。それが、今具体的には見えません。どなたか教えてください。
 偶然なのか必然なのか、明治から大正期はおもしろいことがたくさん語られています。


・1670年(寛文10) イタリアのフランチェスコ・ラナ・デ・テルツィが点と線の組み合わせでアルファベットを表す記法を考案。
・1854年(安政元) ブライユ式点字がフランスで正式に採用される。
・1884年(明治17)文部省が編集した教科書『読方入門』では、字体が1つとされた字は8字にすぎない。
・1886年(明治19)刊『現今児童重宝記-開化実益』の「変体いろは四十七字」
・1890年(明治23) 石川倉次の考案した日本語の6点式点字が、東京盲唖学校で採用される。
・1900年(明治33) 平安時代から続く平仮名のうち、小学校令施行規則の第一号表に48種の字体だけが示され、以後これらが公教育において教えられ一般に普及するようになり、現在に至っている。規則制定の理由は一音一字の原則に従ったためである。なお「え」「お」の第一号表の字体は現在のものと多少異なっていた。また「ゐ」「ゑ」は、現在は歴史的仮名遣などにおいてのみ用いられている。そして採用されなかった字体は以後、変体仮名と呼ばれることとなった。
・1901年(明治34) 日本式点字が官報に公表される。
・1908年(明治41)に26の異体字が復活したものの、最終的にはすべて1922年(大正11年)に廃止された。
・1922年(大正11) 大阪毎日新聞社(現 : 毎日新聞社)が「点字大阪毎日」(現 : 点字毎日)を発刊する。商業新聞としては日本唯一の点字新聞として現在も発行中である。
・1926年(昭和元) 点字による衆議院選挙の投票が認められる。
   【「ウィキペディア」〈点字〉〈ひらがな〉〈変体仮名〉より抜粋】

 明治34年から41年は、平仮名の単独使用が整定されたことと、日本点字の広報が密接に動いているのです。
 この点は、今後ともさらに調査をしていきます。しばらく、私への宿題とさせてください。
 
 
 

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

Powered by Six Apart
Member since 07/2008