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2014年10月 5日 (日)

京洛逍遥(338)性差別・放送禁止用語を使う青蓮院の時代錯誤

 今朝の賀茂川散歩では、たくさんの鴨たちを見かけました。
 いつもは川中を泳ぐ鴨も、護岸まであがって来て仲間たちを眺めています。
 この鴨の視線には、何となく余裕を感じます。何に対するものかはよくわかりません。


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 飛び立つ鴨を、間近で初めて撮影しました。


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 半木の道の紅葉も始まり、植物園越しに比叡山(写真右下端)も望めます。
 京洛は秋を迎える準備を進めているのです。


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 北山はまだ色付く気配はありません。
 相変わらず、朝はランニングやウォーキングの人で、賀茂川は賑わっています。

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 鷺の親子でしょうか。朝食を探しながら、仲良く一緒に時を過ごしています。


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 ヌシのような顔をした鷺も元気です。


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 冬支度に入る如意ヶ岳の大文字も、台風接近を察知してかどんよりと曇っています。


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 最近の天候は予測がつかず、日本本土を目がけて突っ込んでくる台風のことが心配なので、新幹線が止まらない内にと、大急ぎで上京です。
 ホームに滑り込んできた新幹線の自由席は満席です。一本見送り、次の列車に乗りました。これはガラガラに空いていました。

 エキスプレス予約は毎回とっています。しかし、予約した列車に乗ることは、年に1度あるかないかです。まさかの場合の席の確保をしているだけです。この制度は、ポイントも特典も無意味だし、予約変更も面倒なので、早く見直しをしてはどうでしょうか。毎週末と週明けには、私が予約した席には誰も座らないままの列車が走っているのですから。

 今日も、車内で子供が大声で泣いたり騒いだりしていました。毎週体験することからの実感なので、おそらく私の予見は外れていないはずです。子供の躾が、確実に緩んでいます。親が子供のご機嫌取りをしているせいか、子供は好き勝手に振る舞っています。

 こんな子供たちが明日の日本を造るのです。甘やかされて育った人間たちが中心となって造る国のありようを、早い段階からシュミレーションをして検討を始めてもいいかと思います。お隣の国などは、その検討には良き参考となることでしょう。

 こんなことを言うのは、歳を重ねたせいであり、若者からは無視される意見でしょう。しかし、車内での子供の様子は、同じ車輌に居合わせた若者も見聞きしているのですから、少し問題提起をすれば、今の若者はよりよい社会作りのために取り組むはずです。若者の奮起を期待したいものです。

 京都新聞の4頁目に、東山にある青蓮院門跡飛地境内に完成した、将軍塚青龍殿の落慶に関する全面広告がありました。明後日からなので、この次に帰洛した折にはぜひ行こうと思っています。


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 この記事の下段に拝観料金のことが記されています。そこに、「小学生以下は父兄同伴で無料」とあります。

 まさか、この青蓮院は女人禁制というわけではないと思われます。
 女性を差別する言葉である、ということで、私が高校の教員をしていた頃から、この「父兄」という語は使わないようになっていました。それでも、時代遅れの校長や来賓の方などが時たま「ご父兄におかれましては……」と言っておられました。もちろん、家父長制社会の再興を願って、などということではなくて、ご自身が育った環境からつい口を突いて出た言葉だったと思われます。

 今では、この「父兄」は放送禁止用語とされ、性差別用語となっているかと思います。
 男女同権、離婚急増、父親不在の現代社会で、この語は今は不適切な言葉となっているのです。

 社会から遠ざけられていた「父兄」という言葉が、今また青蓮院で復活したようです。このお寺関係者の無知と無自覚さに失望しています。人の心を問題にする宗教寺院が、こんなていたらくです。門跡寺院の傲りが露呈したのでしょうか。
 さて、この失態を、青蓮院さんはどうなさるのでしょう。
 お詫びの広告では済まない、この組織が内在させる意識が問われる問題だと、この記事を見ながら私は思いました。

 京都仏教会は、さまざまな活動を通して抵抗勢力となって頑張っています。ホームページを見て確認したところ、青蓮院は役員には入っていないようです。ただし、リンク先にあがっているので、京都仏教会には入っておられるのでしょうか。それとも、門跡寺院は別格の扱いを受けるのでしょうか。

 京都に、言葉の感覚が麻痺して無頓着な寺院があることを、新米の京都人ながらも残念に思います。
 
 
 


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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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