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2014年11月の30件の記事

2014年11月30日 (日)

第38回 国際日本文学研究集会の第2日目

 職場に隣接する国立国語研究所の周りは、紅葉がみごとです。自治大学側が特にきれいです。

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 国際日本文学研究集会の2日目のプログラムは、以下の通りです。


  総合司会 神作研一
【第3セッション】
  司会 深沢眞二
[7]『秋夜長物語』の絵巻と奈良絵本について
    ―東京大学文学部国文学研究室蔵の絵巻を中心に―
        金有珍(東京大学大学院博士課程)
[8]黄表紙の批判性の再考
    ―青砥藤綱像を使用する寛政年間の黄表紙の特徴をめぐって―
        CSENDOM Andrea(一橋大学大学院修士課程)
[9]鶴屋南北の合巻
        片龍雨(東京大学大学院博士課程単位取得退学)
[10]多和田葉子とヨーロッパ
        RIGAULT Tom(パリ第4大学博士課程、パリ第7大学博士課程、
               立命館大学客員協力研究員)
[11]「在満作家」牛島春子の女性文学
        鄧麗霞(立命館大学大学院博士課程)

 最初の金有珍さんは、写本を読むアルバイトとして、科研の仕事を手伝ってもらっています。日頃はあまり専門的な研究の話はしません。今回、手堅い手法で絵巻を調査していることを知り、頼もしく思いながら聞きました。しかも、わかりやすい発表でした。引用された絵図がカラーだったので、資料も見やすくて、言いたいことがストレートに伝わってきました。ただし、絵画の「引用」については、もっと丁寧な説明を聞きたいと思いました。

 この分野を専門にしておられる先生の話では、研究の基礎的な所を押さえようとしているので、その研究姿勢に好感が持て、今後の展開が楽しみだとおっしゃっていました。東京大学で指導をしておられる田村先生と廊下で会ったので、そんなコメントを聞いたことを伝えました。
 若いときには、古典籍の諸本をもとにして、しっかりと基礎研究をすべきです。後のノビシロが違ってきますから。

 その後のみなさんの発表は、私の興味と関心が異なる分野なので、コメントは控えておきます。

 午後は、「【シンポジウム】図像のなかの日本文学」がありました。
 登壇のみなさんは、以下の4人です。


 司会 板坂則子(専修大学教授)
 パネラー GERSTLE Andrew(SOASロンドン大学教授)
      楊暁捷(カルガリー大学教授)
      土佐尚子(京都大学教授)

 板坂先生とは、ロンドンとケンブリッジでご一緒しました。
 ガーストル先生とは、ロンドンの郊外にあるご自宅にまでお邪魔して、お話を伺ったことがあります。
 楊先生とは、ハーバード大学でご一緒しました。
 土佐先生には、今回初めてお目にかかりました。

 3人の先生方の基調講演の後、参会者とのディスカッションとなりました。

 ガーストル先生は、36年前に早稲田大学の学生として、この国際日本文学研究集会で研究発表をなさったそうです。この研究集会で発表をした方の多くが、今も海外で大活躍をなさっています。研究者の登竜門と言える国際集会となっています。

 先生のお話は、江戸時代中期のパロディーとしての春画を、会場の巨大スクリーンに写しての熱弁でした。国文学研究資料館では始まって以来ではないでしょうか。
 来週は、「男たちの性愛」という国際シンポジウムがあります。これまた、大胆で刺激的な図像や話題が展開しそうです。その予習をしているようで、興味深くうかがいました。


 春画・春本は、猥褻な本ではなくて反体制的な性格を持ち合わせていた。
 文章表現よりも、イメージのインパクト・効果がある場合もある。

等々、専門的で難しい話と、一転してきわどい画面が目と耳に飛び込んで来て、そのギャップがおもしろく展開しました。日ごろ見慣れない図像と単語に、会場はいつもと違う雰囲気でした。

 思い出すと際限がないので、この辺にしましょう。
 さまざまな情報や知見が得られた、充実した2日間でした。
 みなさま、お疲れさまでした。
 
 
 

2014年11月29日 (土)

第38回 国際日本文学研究集会の第1日目

 宿舎の近くにある深川図書館の前のイチョウの黄葉がきれいです。
 建物の風格を高めるのに一役かっています。


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 ここから2時間弱の立川への移動も、今日は土曜日なのでスムースに行けました。
 今年の国際日本文学研究集会は38回目です。
 国文学研究資料館は創設42年を迎えるので、開館してまもなく国際集会が始まったのです。
 当時は、伊井春樹先生がいらっしゃった時代です。
 日本では老舗の日本文学関係の国際集会なのです。
 お昼頃に少し雨が降りました。
 しかし、それも一時だったこともあり、会場となった大会議室はほぼ満員の盛会です。

 今年も、国内外から若手を中心とした多彩な研究成果が発表されました。
 プログラムを簡単に紹介します。


  総合司会 入口敦志
【第1セッション】
  司会 伊藤鉃也
[1]B.H.チェンバレンによる『古事記』英訳―「枕詞」の場合
          高橋憲子(早稲田大学大学院博士課程)
[2]三代集における紀貫之の位置づけについて
          大野ロベルト(日本社会事業大学助教)
[3]『源氏物語』が語るもの―宗祇『雨夜談抄』が開拓する「読み」とその意義
          KNOTT Jeffrey(スタンフォード大学大学院博士課程、
                  早稲田大学外国人研究員)
【第2セッション】
  司会 海野圭介
[4]『徒然草』における漢籍受容の方法―『白氏文集』の場合―
          黄昱(総合研究大学院大学博士課程)
[5]『十訓抄』における孔子
          尤芳舟(北京日本学研究センター博士課程、
              早稲田大学外国人研究員)
[6]「大やうなる能」と「小さき能」―能の位とその典拠の正統性をめぐって―
          TARANU Ramona(早稲田大学大学院博士課程)
【ショートセッション】
  司会 青田寿美
①『うつほ物語』と近世国学者
  ―文化三年補刻本『うつほ物語』絵入版本の書き込みから
          武藤那賀子(学習院大学人文科学研究所客員所員)
          富澤萌未(学習院大学大学院博士課程)
②否定的な母親像と暗澹たるふるさと
  ―坂口安吾から観た「出自」論―
          DEWI Anggraeni(インドネシア大学専任講師)
③永井荷風「監獄署の裏」試論
          刀根直樹(東京大学大学院博士課程)
④藤本事件と「熊笹にかくれて」―療養所内での救援活動の実態
          西村峰龍(名古屋大学大学院博士課程)
 
【レセプション】


 第1セッションの3人の司会は、私が担当しました。
 若手ということもあり、25分の発表時間は短いようです。しかし、これはどこの学会でも同じなので、いかに時間を有効に使って簡潔に述べるか、ということに尽きます。資料の作り方にも工夫がいります。
 質疑応答は5分です。これは、司会者泣かせです。簡潔に手際よく進めても、2人の質問を受けるのが精いっぱいです。幸い、今日は質問も回答も要領良くなされたため、ちょうどの時間で役目を終えることができました。
 意欲的な発表が多いので、もっと質疑の時間があればいいと思います。これは、全体的な運営の問題なので、毎年の課題でもありますが。

 なお、発表の中に出てきたことばの読み方で、『白氏文集』を「はくしぶんしゅう」と言うのは、今の読み方ではそうなっていることは理解できています。
 しかし、「校合」を「こうごう」と発音されると、これには抵抗を覚えます。どの辞書を見ても、「こうごう」の項目は「きょうごう」を見よとなっています。これは、やはり今しばらくは「きょうごう」と発音してほしいところです。
 ただし、しだいに「こうごう」になっていくのは時間の問題であることは承知しています。「発足」が「はっそく」と言われるようになったように、こうした流れは止められませんから。

 ロビーでのポスター発表も、充実していました。

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【ポスターセッション】
●『忠臣蔵』の翻訳―日本人の今として、過去として―
          川内有子(立命館大学大学院博士課程)
●<資料紹介>鞍馬寺蔵・与謝野晶子自筆歌稿
          関明子(東洋大学ティーチングアシスタント)
●太宰治「誰も知らぬ」論―オトメ共同体の外縁にある少女表象について―
          王盈文(中華大学助理教授)
●昭和十年代の「みやび」
          大石紗都子(東京大学大学院博士課程)
●中国における星新一小説の受容
          丁茹(鹿児島大学大学院博士課程)
●国文学論文目録データベースの利用状況に関する考察
          江草宣友(国文学研究資料館事務補佐員)

 いずれも、やや文字が多いかと思われました。
 文学は図式化しにくいので、こうしたブレゼンはさらなる工夫が必要です。

 ケンブリッジ大学のレベッカ・クレメンツさんが参加していました。昨夜、参加するとのメールがあり、久し振りに会いました。いろいろと話をしようと思ったのですが、忙しいようなのでまたの機会にすることにしました。

 充実した一日目を終えた後のレセプションでは、かつてこの国際研究集会の委員長をなさった神野藤昭夫先生が乾杯の音頭をとられました。先生とは、過日の雅楽をご一緒して以来です。話は、自然と健康の話題が中心となります。


 帰りに、隣の自治大学の校舎越しに、煌々と照る月を見上げることができました。


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 宿舎の近くの黒船橋からは、さらにきれいに撮影できました。


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 明日は終日、缶詰め状態で発表とシンポジウムに参加となります。
 
 
 

2014年11月28日 (金)

バリアフリーやユニバーサルデザインから学ぶこと

 本日の毎日新聞に、「<記者の目>視覚障害者の一人歩き=佐木理人(点字毎日部)」(2014年11月28日)という記事が掲載されていました。

 目の不自由な方と一緒に古写本『源氏物語』を読む方策を探るようになってからというもの、こうした記事に反応するようになりました。目が見えない方の「物の見方や考え方」を知りたい、と思うようになったからでしょう。

 私の視野に入ってこなかったものが、こうして日々気付き、目に留まるようになりました。これは、自分にとって大きな進歩だと思っています。

 これまであまり気付かなかった白杖を持った方が視界に入ったり、点字ブロックが一列では擦れ違う時にぶつかるのではないかとひやひやし、盲導犬を見かけるとその動きを目で追ったりします。

 過日、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんが、地下鉄駅のセーフティガードに取り付けられた点字板が、手首を直角にしないと触読できないので大変だ、と語ってくれたことを思い出しました。

 実際に、近くの地下鉄でその実態に気付いたので、写真に撮ってみました。


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 確かに、「2号車3番ドア」と書いてある部分に、点字でもそのことが刻印されています。
 これが貼られている位置は、両開きのゲートの左側です。


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 しかし、これでは、立ったままで触読しようとすると、手首を直角に当てることになり、腕の筋肉がひきつります。また、右手で触読しようとすると、足が点字ブロックからはみ出す位置になります。

 もしこの案内シートがゲートの右側で、しかもその上の傾斜している天板の位置であれば、ちょうど肩の高さなので手首の負担も軽く、自然な形で点字が触読できます。

 おそらく、このシートを貼る時には、そこまで考えてのことではなかったのでしょう。
 もし触常者の視点で貼られていたら、この位置にはならなかっただろうと思われるからです。

 一昨日、「読書雑記(114)三宮麻由子『目を閉じて心開いて』と『源氏物語』」(2014年11月25日)という記事を書きました。
 そこでは触れなかったことに、三宮さんの『目を閉じて心開いて—ほんとうの幸せって何だろう』(岩波ジュニア新書、2002年6月)には、バリアフリーと車椅子優先の話がありました。著者である三宮さんの体験に裏打ちされた言葉だと思われます。
 その文章を抜き出していたので、以下に引用します。


 バリアフリーというのは、本来「みんなが」バリアから解放されることを意味するはずである。ユニバーサルデザインとは、本来「みんなが」ハッピーになれる設備や商品のはずである。ところが視覚障害者の目から見ると、どうもバリアフリーというよりは「車椅子対応」と言いたくなるようなケースが多い気がしてならない。道路の段差をなくしたり、車椅子で利用できるエレベーターが設置されたりすると、「バリアフリー施設」などと看板が立てられたりする。またユニバーサルデザインというと、かなりのケースで「高齢者対応」と言えそうなものが見受けられる気がする。つまり、あるところで一部の弱者に配慮が加えられているものを「バリアフリー」と謳ってしまうと、その一部の人々よりもさらに困っている人々にとっては大変中途半端な配慮ということになって、かえって歯がゆい思いが強くなったりするように思えるのである。
 たとえばエレベーターを考えてみると、たしかに車椅子対応のエレベーターにはたいてい点字のボタン表示がついていて、一見私たち視障者にも配慮が加えられているかのように見える。事実、配慮が加えられてはいるのだから、そこで満足したいところではあるのだ。点字があることで、ずいぶん助かってもいる。だがしかし、本当はその上に音声案内がついていなければ、現実に利用するにはかなり不安なのだ。車椅子・点字対応のエレベーターの中には、この音声案内のないものがときどき見受けられる。これでは、たとえ点字表示があっても、目の前にドアを開いたエレベーターが上に行くのか下に行くのか分からない。上のボタンを押したからといって、目の前に現われたエレベーターが必ずしも上に行くとは限らないからだ。
 さらに、いま乗っているエレベーターが何階に止まったのかを知るにも、点字だけでは降りていちいち確かめなければ分からない。音声で知らせてもらえれば、乗ったまま、ここで降りるべきかそうでないかの判断がすぐにつく。おまけに、現在目の見えない入々のうち、点字が読めるのは一、二割、つまり一〇人に一人か二人しかいないそうである。だから理想的には、車椅子対応のエレベーターに点字表示と音声案内の両方が完備されていれば、私たちは心から安心して利用できるのである。(91~93頁)

 この文章を読んでから街に出ると、確かに障害者への配慮は車椅子の高さになっていることが多いように思われます。もちろん、足の不自由な方も外出される機会が多い昨今、社会としてはそれでいいとしても、目の不自由な方に対する配慮と確認も平等に必要だと思うようになりました。

 今すぐに自分がどうできるものではないとしても、こうした問題があることに気付くことができたので、ここに記して問題意識を共有したいと思いました。

 そして、懸案の触常者と一緒に古写本『源氏物語』を読む環境作りにおいては、音声による案内の意義を再認識しているところです。
 変体仮名を指でなぞって触読しながら、音声がその理解を助けるシステムを構築すれば、実現への展望が開けるような気がしだしました。
 思案と試行錯誤の日々は、まだまだ続きます。
 
 
 

2014年11月27日 (木)

日比谷図書文化館でハーバード本を読む(4)

 今日も、立川から大手町駅へ出てから、乗り換えて霞ヶ関駅に行く道に迷いました。
 それでも、日比谷図書文化館へは予定通り着いたので安心しました。

 今日は、この冬に国文学研究資料館で開催する国際日本文学研究集会など、イベントのチラシ4枚を配布しました。さらに、「国文研ニューズ」も広報活動の一環としてお渡ししました。日本文学に関する資料と情報を提供している機関であることは、もっと幅広く宣伝する必要があると思います。

 さて、まずは前回の勉強の復習を、ブログに書いたことをもとにして確認しました。

 その流れで、翻字をするにあたっての約束事を、あらかじめ配布してある「翻字凡例」のプリントをもとにして、補入とミセケチの記号とその使い方を確認しました。

 例えば、「おかた/お+ほ」という翻字については、写本では、本行本文が「おかた」となっており、「お」と「か」の間に補入記号の「○」があり、その右横に「ほ」と傍書してある、ということを表現している、ということです。

 つまり、翻字と共に写本の書写状態などの情報をスラッシュ(/)の次に記号を使って記すのです。こうして、『源氏物語』の本文をデータベース化していくことになります。
 こうしたスキルを身に付けていただき、実際に翻字をする力を養っていただこう、というのがこの講座の眼目なのです。

 次に、実際にその作業をプリントで確認しました。今回は、大島本の翻字を印刷したものに対して、ハーバード大学本の校正を書き込んでいくことで、ハーバード大学本「蜻蛉」の本文のデータベース化をする過程を、みなさんと一緒に確認しました。
 この時には、大島本の影印画像を見ながら、ハーバード大学本で使われている字母の違いも一つずつ確認しました。

 また、大島本は漢字で表記されている箇所が多いことも実感してもらいました。例えば、最初の3行を見ただけでも、ハーバード大学本が「ひと/\」「もの」「きみ」「やう」とあるところを、大島本では「人々」「物」「君」「様」となっているのです。
 次の写真の右側がハーバード大学本、左側の縦長の写本が大島本です。


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 今日も、現今の日本で広く用いているひらがなでは、いくら翻字をしても変体仮名に対応していないかなもじなので、元の姿にもどせない翻字となっていることを強調しました。

 例えば、「蜻蛉」巻の冒頭は字母で表記すると「加之己尓者」となります。これを現代日本語で翻字をすると、「かしこには」となります。
 しかし、この翻字を字母に基づいて元の文字に戻すと、何と元の字母の表記には戻らず「加之己仁波」となります。
 「には」の部分が、復元できない翻字となっているのです。
 つまり、今のひらがなで翻字したものでは、元の写本に書かれた字母には戻せない、ということは十分に認識しておくべきです。
 このことは、意外と気付かれていないところです。

 次回は、翻字のために使用する記号の確認と、書写状態を示す表記方法の勉強をすることになります。

 今回も、実際に写本を翻字してみようと、チャレンジを申し出られた方がいらっしゃいました。
 やはり、実践も大事です。
 この講座は翻字者養成を目的とするものなので、こうした傾向は歓迎すべき状況だといえます。
 今後とも、座学だけではなくて実際にやってみようと思われる方がさらに増えることを期待して、続けていきたいと思います。

 講座終了後は、先週までケンブリッジ大学で建築史の研究をなさっていた陳 雲蓮さんと、大手町で食事をしながらお話をしました。
 陳 雲蓮さんは、ケンブリッジ大学のジョン・コーツ先生から私のことを聞き、連絡をくださったのです。陳さんとお話をしていると、たくさんの方の名前が出るたびに、知っている、仲間です、という展開になりました。本当に不思議なほどに人と人とのつながりが共通しているのです。

 ケンブリッジ大学関係者では、ジョン・コーツ先生をはじめとして、ピーター・コーニツキ先生や図書館の小山騰さん、そして院生のレベッカ・クレメンツさん、さらには先月までケンブリッジに行っていた立命館大学の川内有子さんまでも。みんな私の知人であり研究仲間です。

 ワシントンの議会図書館の司書である中原まりさんも。もちろん、日本では建築と『源氏物語』に関して一緒に仕事をした赤澤真理さんの名前も出てきます。このお二人とも建築関係の研究をしておられるので、陳さんとの話の中に出てくるのは当然といえば当然です。しかし、それが自然に名前のリレーでつながっていくから不思議なのです。

 さらには、陳さんは今後はお茶室と禅について研究を深めたいとも。現在お茶のお稽古もしておられます。コーツ先生が我が家にお出でになった時に、一緒にお茶を点てて楽しんだことにまで及びました。次のブログをご覧いただければ、そのお茶会の楽しさが伝わると思います。

「コーツ先生のお点前をいただく」(2012年10月15日)

 陳さんからは、一緒にお茶をという話になりかけました。しかし、私はお稽古に行く時間の確保に四苦八苦しているありさまで、とても足元にも及びません。それでも、共通する話題があると、話は楽しいものです。

 思いがけない出会いから、楽しい仲間が増えました。
 専門とする分野はまったく異なるとはいえ、いろいろと刺激しあいながら、お互いの研究や趣味を稔りあるものにしていきたいと思います。
 
 
 

2014年11月26日 (水)

科研の成果として《電子ジャーナル》を創刊しました

 平成25年10月に採択された科研「海外における源氏物語を中心とした平安文学及び各国語翻訳に関する総合的調査研究」(基盤研究A..25244012)では、ホームページ「海外源氏情報」を公開して、調査研究と情報発信等の運営を推進しています。

 平成26年3月には、冊子版と共にウェブからも「ダウンロード版『日本古典文学翻訳事典1』」を公開しました。

 これを受けて、研究誌の発行を検討していく中で、ホームページからオンライン版の〈電子ジャーナル〉を発行発信することにしました。
 本日、『海外平安文学研究ジャーナルvol.1.0』を公開しましたので、まずはその宣伝用のチラシを掲載します。


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 早々に〈ISSN番号〉を取得し、公開のための編集と準備をすすめていました。
 ISSN番号とは、「International Standard Serial Number」(国際標準逐次刊行物番号)の略号で、日本では国立国会図書館が番号の登録や管理を行っているものです。

 昨今、日本文学は「日本国内の文学」にとどまらず、「世界の中の文学」として位置づけられる時代となりました。世界中の人々と共に日本文学について考えていくために、本科研では各種情報を収集整理し、その成果は科研のホームページを通して発信し、ハイペースで更新しているところです。

 今回のオンライン版『海外平安文学研究ジャーナル』では、平安文学を中心にした以下の内容を掲載しています。


〔1〕研究論文
〔2〕小研究(note)
〔3〕研究余滴(column)
〔4〕翻訳実践

 海外で平安文学を研究する方々は、どのような背景や環境のもとに日本文学の研究や翻訳をして来られたのでしょうか。また、研究しておられるのでしょうか。これは、日本において研究しておられる方々についても言えることです。

 そうした問題意識を持ちながら、翻訳を含めた多言語に対応した平安文学研究の意義や成果等を、世界各国の方々と情報を共有して考えていきたいと思います。

 本ジャーナルには、【原稿執筆要項】も掲載しています。こうした企画の趣旨をご理解いただき、自由活発な投稿でお力添えくださいますよう、この場を借りてお願いする次第です。

 なお、本ジャーナルの特色の一つとして、原稿執筆者は公開から1年以内に1度だけ、原稿を《改訂版》に差し替えることを認めています。従来の論稿等は、印刷して配布されたままでした。しかし、公表すれば当然のことながら、さまざまな反応がありご教示をいただくことになります。そうしたやりとりの結果を、1年以内に補訂の手を入れることで《改訂版》としてよりよいものに仕上げることも、執筆者にとっては大事な責務だと思います。
 1年をかけて育てるという機能も、電子ジャーナルであるからこそ可能となるものです。
 研究誌名の末尾にある「vol.1.0」が、そのバージョンです。1年後の《改訂版》の末尾は、「vol.1.1」となります。

 本ジャーナル創刊号の[目次]は以下の通りです。


□創刊の辞(伊藤鉄也)

■研究論文
 スペイン語版『源氏物語』の評価と享受
   (高木 香世子︰マドリード・アウトノマ大学・准教授)

 『源氏物語』の「京都」はどう英訳されたか
   ―創造された京都と、変貌する『源氏物語』―
   (須藤 圭︰立命館大学・助教)

■小論文
 ベーネル訳『源氏物語』における和歌の翻訳()
   ―英訳・仏訳との比較から―
   (常田 槙子︰日本学術振興会特別研究員(DC2)
         /早稲田大学大学院博士後期課程)

■翻訳レポート
 Traduttoretraditore
  ―イタリアが恋に落ちた『源氏物語』―
   (イザベラ ディオニシオ︰お茶の水女子大学大学院博士前期課程)

 ◆執筆者一覧
 ◆科研活動報告
 ◆編集後記
 ◆研究組織

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 閲覧を希望される方は、まずは下記のサイトからパスワードを請求してください。
 すると、登録したメールアドレスにパスワードが返送されて来ます。
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 なお、閲覧には以下の利用条件があります。


・営利目的では利用しない
・無断転載・引用・複製・二次加工・再配布を行わない

 科研の成果物であることから、メールによる申請制としていることをご理解の上、以下から自由にダウンロードをしてお読みください。
 繰り返しになりますが、まずはパスワードを申請して取得してから、ダウンロードをしてください。

『海外平安文学研究ジャーナルvol.1.0』の閲覧申請
 
 
 

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2014年11月25日 (火)

読書雑記(114)三宮麻由子『目を閉じて心開いて』と『源氏物語』

 三宮麻由子著『目を閉じて心開いて—ほんとうの幸せって何だろう』(岩波ジュニア新書、2002年6月)を読みました。


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 4歳で失明した著者が、成長する中で周りの人々との交流で直面する心の揺らぎを綴っています。その語り口が明るくて前向きなので、ジュニア向けとしてお薦めできる本です。

 著者の周囲に対する遠慮が、文章のそこここに感じられました。視覚に障害を持つ方の意識のありようについて、学ぶことの多い内容です。

 気になったこともあります。理屈が勝った行文で語られているために、著者が身に纏う鎧が見え隠れしています。情をコントロールしようとしているせいでしょう。これは、フランス文学を学問という視点で考察された経緯があることから滲み出てくるものかもしれません。
 また、幸せを大上段に語られると少し照れ臭く思うのは、私が歳を取ったせいでしょうか。
 しかし、これがジュニアには、説得力を持つものとなるとも言えます。

 全体を通して、会話をすることの大切さと、長編小説を読んで「しじま」を感じることの意義が印象に残りました。
 私が注目した文章を、以下に引きます。特に、『源氏物語』に関しては、貴重な記録となります。


■「点字一四冊の『随想録』読破で熱くなった指も冷めやらぬころ、私はまたしても、別の興味から『アラビアン・ナイト』を読みはじめてしまった。こちらは、点字にして九九冊あった。三重県の図書館に、地域の点訳サークルの人たちが、一点一点手で打ち込んで作った本があると聞いて、さっそく貸出しをお願いしたのである。私は、そこから二冊ずつ借りては読み、読んでは返す日々を過ごした。(中略)
 不思議な魅力に取り懸かれるままに、私はゆっくりと読書できる時間を少しずつ作っては、急ぐことなく物語を味わっていった。そんなふうに読みふけるうちに、私は大学院の勉強も終えて就職し、全巻を読み終えたときには、かれこれ一〇年の歳月が過ぎていたのだった。」(60~61頁)
 
■「いま私は、人生で三つめの超大作、『源氏物語』とともに夜のしじまを過ごしている。「月のくまなく照り」などの有名な描写はもちろん、この物語から、私は植物の擦れる幽かな音と、浦に寄せる静かな波の音を聞いているような気がする。平安のころの日本は、家の中にまで竹が生えていたり、茅葺き屋根からたくさんの草が生えて、今でいつ屋上緑化みたいなことになっていたりと、現代からは想像もつかないくらい植物が近くにあったようだ。源氏と女性たちのつややかな関係もさることながら、彼らの歌の中に、いつも植物や海が歌い込まれていることがそれを物語っている気がするのだ。
 たとえば、有名な「若紫」には、こんな歌のやりとりがある。源氏の君が若紫を訪ねたときに、道すがらの家の「女」と交わす歌だったと思う。

  朝ぼらけ霧り立つ空のまよひにも行き過ぎがたきいもが門かな
  立ちとまり霧のまがきの過ぎうくは草の戸ざしにさはりしもせじ

 霧の空、垣根、草、そんなものに閉ざされた静かな家と外で、源氏の熱い恋心と女性たちの微妙な気持ちが交錯する。そんななかで、植物の小さな葉擦れの音のなかで交わされる和紙の音。これが源氏世界の音なのではなかったろうか。私は、この物語の筋はもとより、そこから聞こえてくる古の音に、絶えず耳を傾けているらしい。
 この本がお手元に届くころ、おそらく私は源氏を読み終えていることだろう。そのときに、いったいどんな思いに包まれているか、私自身楽しみである。
 なぜ私が、並み居る名著の中からこうして長編だけを選んでお話ししたのか。それは、これらの長編は私に、一つの大切なものの存在と、その大いなる価値を教えてくれたからである。長編がくれた大切なもの、それはこの『源氏物語』に象徴されるような「しじま」であった。」(62~64頁)

 著者は、すでに『源氏物語』を読み終えられたことでしょう。どのような本を手にされ、どのようにして読み進められたのか、その感性を基にした読書体験を伺いたいと思っています。
 
 【追記】
 いろいろと資料を探していたら、次の情報があることがわかりました。
 確認したら、また報告します。


(1)「「源氏物語」の香りをたずねて」三宮麻由子
 (『オール讀物』2008年10月号)
 
(2)「私はというと、本を読んでいると香りや音を感じることがよくあります。
 源氏物語では、日本がいかにも海洋国家だったことを伝えるように、さまざまな浦の波音や船の櫓、笹や竹が軒先に揺れるささやかな音がきこえてきました。」
 (三宮麻由子著「きっとあなたを励ます「勇気の練習帳」」PHP 86~87頁)

 
 
 

2014年11月24日 (月)

文学フリマに行き若者たちを頼もしく思う

 「第19回 文学フリマ」に行ってきました。
 入口で、こんな冊子をもらいました。

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 今回のイベントの概要は、「文学フリマWebカタログ+エントリー」をご覧ください。

 「参加サークルの詳細な情報」も確認できます。

 とにくか、純文学と言われる小説での参加サークルの多さに圧倒されます。

 日本の大学から文学部がどんどん消えていき、文科系に国の予算も付かなくなり、しかも文学書が売れない、と言われて久しい昨今。
 ところが、想像を絶するほどの盛況を見せる文学のイベントが開催されていたのです。

 会場は、東京モノレールで「流通センター駅」徒歩1分の、東京流通センター第二展示場。


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 参加サークルは700以上。


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 1階も2階も、作品を並べる出店が所狭しとひしめき合っています。
 本や冊子の表紙はアニメ調が大半です。しかし、中は文字で綴られた文章で構成されています。ライトノベルとも違うようです。
 つまり、大半が純文学を指向する傾向が顕著です。

 若者たちには、文字で表現するパワーが漲っています。これだけの力を、結集しない手はありません。これからの文学のありようを考える上で、無視のできない流れを感じました。一口にポップカルチャーの流れという一語で済ませられないのです。

 出店されている作品は、だいたい一部300円ほどです。
 見本誌もずらりと並んでいます。


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 ただし、私が買って読もうと思った作品はありませんでした。

 男色や熟女の出店が3つほどありました。周りが、純文学を目指す若者の熱気と爽やかさに満ちていたので、その影は薄かったという印象です。

 純文学と言っても、その表紙のほとんどがアニメ風です。しかし、その中に書かれている文章は、表紙とは異なる真摯な若者の思索の痕が見られる言葉が印刷されています。

 文字を読むだけではなくて、耳で聞く文学はないかと見回したところ、2店ほど目に入りました。

 また、評論の部には、福永武彦研究会や日本ジュール・ヴェルヌ研究会などなど、硬派もありました。

 今後の予定は次のようになっています。
 来年も楽しみにして、さらに多くの雑誌や冊子を手にしたいと思います。

【4/19 第一回文学フリマ金沢】
【5/4 第二十回文学フリマ東京】
【9/20 第三回文学フリマ大阪】
 
 
 

2014年11月23日 (日)

金沢文庫から八景島を散策

 久し振りに京急電車に乗りました。窓が大きいので、戸外の景色がよく見えます。連休2日目の今日も快晴です。

 1999年4月に奈良から上京して、金沢文庫の宿舎に入りました。2007年8月までの8年間、単身赴任生活を送った地です。
 毎晩、駅前のスポーツクラブで、泳いだりマシンを使ったり踊ったりと、汗を流していました。
 職場の同僚が6人もいたので、楽しい生活をしたところです。私の部屋が、よく宴会場になりました。「クラブI」と言う人もいました。

 近くには、称名寺で知られる金沢文庫があります。
 海にも近く、潮風が感じられました。

 今日は、駅前の商店街で、「祝60周年 ふれあいシティ金沢文庫」というイベントをしていました。
 いつも通勤で通っていたすずらん通り商店街の入口そばの高架下では、ちょうど和太鼓を響かせているところでした。


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 かつての宿舎は、そのままありました。
 ただし、仲間の一人が入っていた、写真左側の棟は閉鎖されていました。

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 懐かしさのあまり、すぐ前にあるユニオンというマーケットでお弁当を買い、海辺へ出て松林の中で食べました。漁港に恵まれた地なので、魚がおいしいのです。


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 目の前の八景島シーパラダイスは、上京した子供たちが大好きなところで、来ると必ず連れて行ったものです。左の青いポールは、てっぺんから垂直に落下するものです。右のジェットコースターは、海の中を走るのでスリル満点です。いずれも、私は苦手なので一度も乗っていません。

 当時の写真を一枚だけ見つけました。


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 手前の入り江では、多くの人がウインドサーフィンを楽しんでいます。

 今住んでいる深川の宿舎は、職場が品川から立川に移転したことに伴って移って来たところです。そのため、今ある家財の多くは、この金沢文庫の京急ハウツと京急ストアで購入したものです。
 単身赴任ということで、生活用品の多くを買い揃えたショッピングモールなので、ここも懐かしくて足を向けました。相変わらず活きの良い鮮魚が並んでいます。
 今夜は、この神奈川沖の魚がおかずです。
 
 
 

2014年11月22日 (土)

江戸漫歩(92)大森の山王を散策し酉の市へ

 連休初日の東京は快晴でした。今日は「良い夫婦の日」だとか。
 二人で大森を散策しました。ここは45年前に、私が大阪から上京して暮らし始めた街です。
 妻と大学で出会う前に、ここに2年ほど住んでいました。
 毎朝毎夕、新聞を自転車の前と後ろの荷台に積んで、次の写真にある大森駅前の池上通り沿いのアーケード下を、えっちらおっちら登っていました。


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 私の配達区域は、写真左の山手側にある山王2丁目でした。坂道を登り詰めて左折した八景坂から、お屋敷の多い山王の住宅地に入り、450部を配って走り回り、集金などをして歩いていました。いわば勝手知ったる一帯です。
 当時から山王パレスや大森テニスクラブはありました。しかし、その他の家々はまったく姿がわからなくなっています。45年前のことなので、当然でしょうか。当時を思い出せる家が四五軒しかなかったのには落胆しました。

 18歳で上京し、すぐに病気をして胃の三分の一を切除してもらった牧田病院も健在でした。
 火事で一時非難をさせていただいた鷲神社は、酉の市で大賑わいでした。


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 駅前も様変わりしています。しかし、今も庶民的でいい街のようです。また来ると思います。

 帰る途中で、宿舎の前にある東京海洋大学の横を走る欅並木の紅葉を、清澄通りの陸橋から撮影しました。
 この道の下を、東京ディズニーランドへ行く京葉線が走っています。


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 写真の奥が、東京オリンピックで話題の豊洲・有明地域につながっています。
 今後の変貌が楽しみです。
 
 
 

2014年11月21日 (金)

読書雑記(113)松永兄弟の遺稿集『戦争・文学・愛』

 『戦争・文学・愛 ─学徒兵兄弟の遺稿』(松永茂雄・松永竜樹著、和泉あき編、三省堂新書、1968年)を読みました。松永茂雄と松永龍樹の兄弟の遺稿集です。

 戦地で古典文学作品を読む記事がある、というT君からのご教示をいただき、本書を深川図書館から借り出して興味深く読みました。


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 T君からのメールには、以下のような文言がありました。


 兄の茂雄は一高中退、弟の龍樹は國學院大學卒業です。
 兄弟ともに新古今集を愛し、遺稿集にも頻繁に言及されます。
 茂雄は「重機関銃の握把を握り締めながら新古今の歌を語っている学徒兵の姿を想像してほしい」とも書き記しています。
 新古今が中心ですが、ところどころに源氏物語への言及もあります。

 確かに、この時期に教えていただかなかったら、読む機会のない本でした。
 若者の生き様を通して、古典の意義を再認識させられました。

 まず、本書の裏表紙に書かれている文言を引きます。本書の内容を的確に示しているからです。


二人の死
「ぼくは追憶や感傷のために遺稿集を出すのを、一つのぜいたくとして軽蔑する」と書き残した松永兄弟の手記には、日中戦争から太平洋戦争にかけて、死を目前にして誠実に生きた青年の姿があますところなく描き出されている。
二人の兄弟には、詩・短歌・劇その他の小品などたくさんの遺稿があるが、本書では、学生時代の日記と、軍隊時代のノートを中心に編集した。
多くの学生が戦場におもむかざるをえなかった「学徒出陣」より、25年が経過したが、遠い大陸に死んだこの二つの青春は、現代に生きる人々に大きな指針を与えるであろう。

 「もくじ」は以下の通りです。


 略年譜
 松永茂雄・松永龍樹について
1 兄を憶う 歌日記 松永龍樹
2 学徒兵の手記 松永茂雄
   学窓の友へ
   学窓からの学界展望 方法自覚の問題
   空色の手帖・その他
     文学ニツイテノ メモ
     学徒兵メモ
     第三ノオト
   立原道造
   詩─美しい虚構 その他
3 学生時代の日記と従軍手帖
      ─「学徒兵の手記」に答えて 松永龍樹
   卒業論文のための「サロン」(一九四〇年一月〜八月)
   ゆかりのための「サロン」 (一九四一年四月〜十一月)
   最後の「サロン」 (一九四一年十二月〜一九四二年一月)
   従軍手帖 (一九四三年二月一日 於 保定)
 松永君のこと 佐藤謙三
 主要遺稿リスト
 編集に当たって 和泉あき

 
 まず、二人の「略年譜」を引用し、その人生を通覧しておきます。


略年譜

(松永茂雄)
一九一三年(大正二年)四月三〇日東京に生れる
一九三一年(昭和六年)四月、東京府立第一中学校を経て、第一高等学校理科入学、立原道造も同級で深交をもつ
一九三二年(昭和七年)、同校中退
一九三四年(昭和九年)一月二〇日、前年の徴兵検査で、陸軍第一歩兵連隊に現役入隊、翌三五年除隊
一九三五年(昭和十年)、練馬にあった私立花岡学院小学部で児童教育の実践にあたる。並行して文芸同人誌『ゆめみこ』を翌年四月まで八冊刊行。この年、劇作、詩、エッセイ、歌論等の創作さかん
一九三六年(昭和十一年)四月、国学院大学文学部予科入学。弟、龍樹も同級
一九三七年(昭和十二年)十月十五日、在学のまま応召入隊、約一か月後、上海派遣軍飯塚部隊高見部隊上野隊に配属される。翌年休学を決意
一九三八年(昭和十三年)秋、山地戦中、マラリヤ、気管支炎大腸炎を併発、十一月二二目細菌性赤痢と診断され、二七日より穿孔性腹膜炎併発、二八日午後四時二〇分、呉淞陸軍病院伝染病棟にて戦病死。二十五歳。陸軍伍長
 
(松永龍樹)
一九一六年(大正五年)八月二日、東京に生れる
一九三六年(昭和十一年)四月、東京府立第一中学校を経て、国学院大学文学部予科入学
一九三八年(昭和十三年)四月、同大予科より文学部国文学科に進む
一九四一年(昭和十六年)三月、同大学卒業、卒業論文は「新古今序説」、四月より同大学国文研究室助手。九月十四日、綾子夫人と結婚
一九四二年(昭和十七年)一月、海軍予備学生試験に体格のため不合格、陸軍入隊決定。同月二八日助手辞任、二月一日応召入隊。約一週間後、朝鮮を経て中国へ向う。幹部候補生試験に合格
一九四三年(昭和十八年)済南で実習。少尉任官
一九四四年(昭和十九年)五月八目、中国河南省魯山付近の戦闘で戦死。二八歳(ママ)。陸軍中尉(1頁)

 茂雄二十五歳、龍樹二十八歳の命でした。大正2年から昭和19年の間に、二人が短い人生を駆け抜けたことが、本書に描かれている姿からはすぐには結び付きません。自分でしっかりと考えて生きているからでしょう。

 読み進めながら、メモとして抜き書きした文章を以下に列記しておきます。
 この記述の背景にある、想像を絶する戦時下という状況を忖度しながら、今は自分の中で未整理ながらも今後のために記録として残しておくものです。
 二人は『新古今和歌集』や藤原定家に篤い想いを抱いています。しかし、私は自分の興味から、『源氏物語』に言及する箇所を中心にして抽出しておきます。


☆私は陣中で源氏物語や古今集を講義させたという戦国の武将の故事を思いうかべながら、時に社会科学を論じ、時に定家の芸術を語った。(58頁)
 
☆源氏物語をはなれて伊勢物語を愛した高原の夏、…戸隠の冬…ボクが作った歌は新古今風のそれであった。死んでいった愛する人々を思う哀傷は、どんなものよりも定家の"なき人恋ふる宿の秋風"でなければならなかった。(そのころドストエフスキーとシエストフを愛した)現世にあらゆる望みを失い、しかも古典の教養を身につけかけてしまった者に、興味にはなりえない苦痛の興味は、ただ、新古今の恋と哀傷にひそめられていった。
 十三代集はもうみむきもされない。十三代集は心の深さがない。それはただ、技巧と形式のなごりにすぎない。そこには悩む者の姿がない。ボクがどうにでもして、新しい人生を始めようと努力する時、ポクは本当に、身において、新古今人の苦悩を感じた。しずかで意欲のない人々の時代には十三代集こそ真の詩であろう。意欲を持ちながらそれを現実に社会の中に満たしてゆかれない時、私たちの心は、本当の意味での新古今の本質をつかむ事ができる。(85頁)
 
☆例の原稿二十三枚、折口先生におわたしする。(十八日)
 論究に源氏論わたす(同日)。(91頁)
 
☆君は君らしく、やさしく物を思わない方がいい。君が物を思うのは"若菜"以後の巻でよい。"若紫"ボクのゆかりちゃん! おやすみ、ボクも美しい眠りにはいろう。(101頁)
 
☆ボクにはもう文学がいらない。ボクには"江戸紫"の必要がない。だってボクには"ゆかり"がある。綾ピン! いつ君と時間を惜しまず語れるのか。今夜もあいたいが、がまんしている。明日電話かけようか。なぜ昨夕約束しなかったのだ、今度からいつも次の約束をしてしまおう。電話で呼んでくれやしないかと夜待っていたがだめ。(104頁)
 
☆ ことばの心理学は、現代文学の粗悪をきらい日本語の美しさを古典の中に追いはじめる。そしてあの幼かったセンチメンタリズムは王朝の女性に文学を見いだす。"蜻蛉日記"や"源氏物語"が理想とされ"新古今"の形式主義は無上のものと信仰される。それらの言語の心理的な巧妙さは、谷崎や藤村のレトリツクの比ではなく、そのニヒリズムやロマンチシズムもまたはるかに深い美しさをたたえていた。古典の発見はボクの"文学"の転換であった。さがしてもさがしても立原君の詩以外に叙情できる文学のない明治以来の小説は、もう"文学ではない"と安心して言い切れる。文学と学問とが一つになる時が来た。"吉野拾遺"や"増鏡"に出発した古典へのやさしい愛は、やがて源氏・蜻蛉・新古今・枕草子をとらえ、次いで"文学史"への意欲と燃えた。こんな昔の形式の中に、こんなにボクのための文学が待っていようとは! そしてそれらの文学を、国学者は何と無味乾燥に扱っていることか。文学者はそれらの存在をすら知らないではないか。ボクの心理学は、ここでその対象を古典に限りはじめた。(145頁)
 
☆もう一つは、古典と空想の世界、定家や雅経がどんなにリアルな肉体を持った精神となって、僕に迫りだしたことか。戦友たちが都の女のうわさをする時、僕は、平安の歌人たちと膝を交える錯覚にひとり興奮を覚えるのだ。(173頁)

 
 
 

2014年11月20日 (木)

知的財産セミナーで権利について学ぶ

 「人間文化研究機構 知的財産セミナー」が国立歴史民俗博物館のお世話で開催されました。
 職場で知的財産に関することを担当していることに加えて、今回も非常に興味深いテーマだつたので、さまざまな仕事を調整して参加しました。

 会場は、六本木にある泉ガーデンコンファレンスセンターでした。地下鉄六本木一丁目駅のすぐ上だったので、小雨も気にせずに行けました。
 いつもは、こうした都心を通過して、郊外の多摩地区にある立川への東京横断の旅をしています。そのせいか、首都東京のエレベーターの大きさに驚きました。乗り口のドアが余りにも広いので、隣のビルに行く通路かと思いました。次の写真の右側が、そのエレベーターの乗り口です。

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 本日のテーマは、「資料の研究・公開と個人情報の利活用ルール」です。
 事前に配布された通知には、次のように書かれていました。


 研究機関・博物館などにおける過去の資料の研究と公開には、「個人の写真やプライバシーといった個人情報をどう扱えば良いのか」という疑問がつきまといます。果たして、個人の写真・映像・履歴などの「パーソナルデータ」は、どんな目的で、どこまで使うことが出来るのか。出来るべきなのか。首相官邸「パーソナルデータに関する検討会」での制度改正論議も踏まえて、基本から共に学びます。

 講師は、骨董通り法律事務所代表パートナーの福井健策氏でした。
 ご著書に、『著作権とは何か』(集英社新書)、『著作権の世紀』(集英社新書)、『契約の教科書」(文春新書)、『『ネットの自由』vs. 著作権』(光文社新書)、『誰が情報を独占するのか-デジタルアーカイブ戦争』(集英社新書)などがある方でした。お話が具体的でおもしろかったので、ご著書を見かけたら読んでみたいと思います。

 本日のお話は、デジタルアーカイブのことから始まりました。
 そして、権利者不明問題、個人情報は法体系が統一されていない、個人情報保護法は部分的なもの等々、内容は多岐にわたり、2時間という枠にはとても収まるものではありません。

 中でも集中して聞いたのは、肖像権(肖像プライバシー権)に関することでした。「自己の容貌・姿態をみだりに撮影・公表されない権利」です。
 しかし、これもその線引きが難しいことも実感しました。

 私は本ブログなどで、できる限り写真を使うようにしています。しかし、人が写っている時には、丹念に顔から個人が特定できないように手を加えています。集団の場合などは、そのために時間を取ることにもなります。
 フォトショップに感謝しながら、手間ひまを惜しまずに迷惑にならないように配慮しているつもりです。しかし、それでもどうしたらいいのか迷うことがしばしばあります。研究会やシンポジウムの時などは、特にそうです。

 個人的ではありますが、公開性の高いものかどうかを、自分では判断の基準にしています。
 非営利目的のプライバシー写真は、相手が活動中であれば認められることが多い、とのことでした。
 また、個人や歴史上の人物の手紙と日記は、プライバシー以前の未公表著作物なので、引用して公表できないそうです。これなども、私はブログ等で情報収集活動を展開し、それを整理して公開する中で研究成果へと導く手法をとっているので、大いに関係する事案です。
 今後とも、こうした事例と判断基準を、経験値によって培っていくしかなさそうです。

 本日のお話によると、暗黙の了承、了承の範囲、時間の経過、受認限度論等々、専門的にはいろいろと問題があるようです。
 そのような中でも、次の項目については、今後の写真掲載にあたっての判断基準となりそうです。


①被撮影者の社会的地位
②撮影された活動内容
③撮影の場所
④撮影の目的
⑤撮影の態様
⑥撮影の必要性

 私の場合は、そのほとんどが「専ら顧客吸引力の利用を目的とする場合」には当たらないので、侵害の程度は低いと言えそうです。そうはいうものの、相手がどう思い、どう感じるかはまた別問題です。

 また、「モノパブ」といわれる「物のパブリシティ権」については、今回のお話で知見を新たにしました。
 観光地、国立公園、世界遺産、服飾デザイン、特徴的な商品等々については、著作権法46条(建築と公開の美術の著作物)との関連で、法的には許可なしに公開できるようです。著作権がないからです。しかし、微妙なことも多いので、もう少し知っておく必要がありそうです。

 これらが、個人情報保護法に関わることになると、もう私にはひたすら判断材料としての知識をいただくしかありません。自分なりの判断基準は持っているつもりです。しかし、専門家ではないので、それがどこまで通用するのかは自信がありません。これは、誰もがそうなのでしょうが……

 今回のお話を通して、問題が細分化した場合に個別のケースで判断に迷うことが多い、ということがよくわかりました。
 そのためには、とにかく「自己責任のもとに自主的なガイドラインを作ること」が大事だということです。

 個人に関わるさまざまな権利については、白黒の決着が付けられことは少なのです。権利の侵害か否かの境界線は常に曖昧です。
 そのためにも、各自が「おおむね妥当だと思われる判断に基づくリスク」を、常に心がけておく必要があります。そして、あくまでもリスクは定量的に判断すべきものである、ということも、自分に言い聞かせて行きたいと思いました。
 
 
 

2014年11月19日 (水)

国際シンポジウム「男たちの性愛―春本と春画と―」のご案内

 国文学研究資料館では、昨年度より実施している国際連携研究「日本文学のフォルム」の第2回国際シンポジウムとして、「男たちの性愛―春本と春画と―」を下記の要領で開催します。

 これは、これまでにテーマとして取り組んでこなかったものです。
 日本文学に関して、新しい発見や知見が得られる場となることでしょう。
 本日、国文学研究資料館のホームページより告知されましたので、このイベントの担当者として、この場を借りて広報を兼ねてご案内いたします。


日時:平成26年12月6日(土)
   13:30〜17:00
 場所:国文学研究資料館 大会議室
 
《パネリスト》
■ダニエル・ストリューブ(パリ・ディドロ大学)
  西鶴晩年の好色物における「男」の姿と機能
■ジョシュア・モストウ(ブリティッシュ・コロンビア大学)
  若衆―もう一つのジェンダー―
■中嶋隆(早稲田大学)
  その後の「世之介」―好色本・春本のセクシュアリティと趣向―
■石上亜希(立命館大学)
  春本・春画の読まれ方―男の読者、女の読者―
 
《コメンテーター》
 染谷智幸(茨城キリスト教大学)
 小林ふみ子(法政大学)
《コーディネーター》
 神作研一(国文学研究資料館)
 
 使用言語:日本語
 事前申込み不要・入場無料

 さらに詳しい内容については、以下の国文学研究資料館のホームページとポスターをご覧ください。

「シンポジウム・研究集会」

「第2回 シンポジウム ポスター」
 
 
 

2014年11月18日 (火)

読書雑記(112)想い出の中にあった壺井栄『あしたの風』

 この本をずっと探していました。

 「ウィキペディア」に「あしたの風」として壺井栄の小説が紹介されています。


「NHKにおいて1961年5月21日に単発ドラマとして放送。」
「NHK連続テレビ小説の第2作で、1962年4月2日から翌1963年3月30日までに放送された。原作は“家族制度”を追及した作品として知られている。」

 しかし、私が読んだのはこの長靴の話ではなかったように思います。
 読んだ時期は、昭和45年(1970)で、大阪で万国博覧会が開催された年の秋でした。

 新本ではもちろんのこと、古本屋やネットでも見つけられませんでした。
 今回、読み終わってからあらためてネットで探すと、この本について、いろいろと古書や記事が見つかりました。
 探したはずなのに情報を的確に掌握できなかったのは、真剣に探していなかったからでしょうか。それとも、「ウィキペディア」にある内容の記事に惑わされたせいでしょうか。

 それでも、いつか見つかったら読もうと、無意識の内に探していたのでしょう。
 それが、深川図書館で偶然見つけたので、すぐに借りて来ました。
 壺井栄の『あしたの風』(新潮社、昭和33年2月)は、私にとってはなぜか忘れられない本なのです。ただし、私が読んだのは文庫本でした。青色の表紙だったことを鮮明に覚えていたので、ネットで探し当てることができました。


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 この本のカバーには、次の文章が印刷されていたようです。
 今回、あらためてインターネットの情報の便利さを知りました。


「今日をせい一ぱい生きれば、それによって明日生きる道は開ける」
―あしたの風とはそういう意味である。母の恋を遂げさせようと、希望にもえて入学した神戸の高校をやめ、家業を手伝うために小豆島へ船に乗る百合子。素直にのびやかに生きてゆく娘を中心に女のさまざまな愛情の姿をえがき、しみじみと心温まる物語。

 45年ぶりに、いつかもう一度読もうと思っていた本を手にできたのです。こんな思いで本を手にすることは、そうそうありません。得難い経験です。

 この本は、高校卒業後に上京するやいなや十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎で手術をし、大阪の八尾の自宅に帰って静養し、その秋に体調も回復したので再度上京して新聞配達店の2階の住み込みの三畳一間の部屋で読み、涙が止まらなかったものです。
 何がそうさせたのか、そのことが知りたくて読もう読もうと思いながら、いつしか45年が過ぎていたのです。

 次の表題がつけられていて、19の章で構成されています。


花の由来
唐草模様
藤陰
緑の風
昼の朝顔
海辺の道
空のどこかで
一度でよい
昔を今に
蝕める花
細霧
心紅葉
雲のかげ
こだま
渦まき
おぼろ月夜
飛ぶ鳥
白い花赤い花
あしたの風

 汐崎百合子という主人公には、今となってはまったく思い当たるものがありません。
 父が戦死し、優しい母に育てられます。そして、18歳で小豆島から神戸の女学校「藤蔭学院」(現在の神戸松蔭女子学院大学らしい)へ行き、住み込みの小遣いさんとなって家の負担を軽くします。弟は新聞配達のバイトをし出します。
 次第に思い出しました。
 18歳で上京して新聞配達をしながら大学に行かせてもらった自分の境遇と、少しずつオーバーラップし出しました。

 初めて親元を離れた時だったこともあってか、この本に出てくる家族思いの母親に感情移入したのかもしれません。
 それにしても、どうしてこの本をタコ部屋と言われていた新聞販売所の自室で読んだのか、今となってはわかりません。
 昔から、小説を貪るように読んでいた中で、何かの解説書か本の案内書で知ったのでしょうか。

 高校時代には、テニス部の練習が終わった帰りに、近鉄布施駅前にあった(今もある)「ヒバリヤ書店」にいつも立ち寄っていました。当時自分で決めた目標として、文庫本と名のつくものを日本も海外も、そのすべてを読むということがありました。家庭の事情で本を買うことができなかったので、立ち読みでそのすべてを読破しようとしたのです。読む順番は、文庫本の目録で決めていたように思います。その中に、この壺井栄の『あしたの風』があり、上京する時に買って持って行ったのかもしれません。古本だったので、高校の行き帰りに、上本町6丁目にあった天地書房で買ったと思われます。

 作中のこととして、夏休みになっても自分の家に帰れない百合子に、自分でも毎日配達の仕事があるので大阪の家に帰れないことがダブったことでしょう。
 何度も、帰りたいなーと、思ったことでした。八尾の高安にいる母から届く温かい手紙が、日々の辛さを慰めてくれました。いつも、手紙にはソッとお小遣いが入っていたものです。もう時効だからいいでしょう。

 いろいろな物が、父に内緒で母から送られて来ました。その点、父はまったく連絡をくれませんでした。父なりに、私の自活を黙って見つめていたようです。新聞販売店が火事で全焼し、着の身着のままで焼け出された時には、父と姉が真っ先に駆け付けてくれました。父が常に私のことを気にしてくれていたことは、折々に感じていました。

 焼け出された後、阿佐ケ谷にあった、父が勤める会社の社員向けの育英寮と東中野の社員寮に入った時は、何かと心配してくれました。非常に事務的に対処していたのは、父なりの思いやりだったようです。

 2年前に、父が遺してくれていた帛紗を見つけ、私に対する細やかな気持ちを感じることができました。

「父が遺していた焼けた帛紗の由緒書」(2012年12月24日)

 そういえば、私が中学生のころでした。父は会社にさまざまな提案をして、その御褒美としていつも私が読みたいという文庫本をもらってきてくれました。
 文庫本の内扉に印が捺してある、新潮文庫でした。
 このことをかつて本ブログに書いたように記憶していました。しかし、見つかりません。このブログも何度かクラッシュしているので、その消えてしまったブログの記事の中にあるのでしょう。いつか再現したいと思います。

 親の気持ちは、子供にはよくわからないものです。しかし、常に気にかけていてもらっていたことをこうした折に知ることは、自分の親を見つめ直すことにも通じていて嬉しいものです。

 さて、今回この本を読んでみて、素直に生きるということを再認識した本だったように思いました。
 そして、家族みんなの思いやりを。さらには、母の包み込むような存在が、行間から滲むように感じられました。上京したての若者には、心揺さぶられる話だったことを確信できました。

 ただし、本作では父親の陰は薄いものでした。作中、父は娘の名付けの理由に、中條(宮本)百合子という「えらい小説家」にちなんでのものだと言っています。日本プロレタリア作家同盟には中條百合子がおり、壺井栄も『戦旗』のかげで貢献していたので、このあたりは背景を調べるとおもしろそうです。

 私が高校2年生の時に東大紛争の安田講堂占拠事件があり、大学入試が中止になる中で、大阪市内であったデモなどに私も参加していました。そのことを題材にした「隆司の場合」という短編小説を学内誌に発表したことは、またいつか書きましょう。
 この壺井栄の作品を読んだのは、その時の学生運動仲間から聞いた話の流れで、これを手にしたものかもしれません。それにしても内容が当時(昭和44年)の社会情勢にそぐわないので、これもよくわかりません。

 貧乏という言葉が何度も出ることにも、無意識に反応したのかもしれません。
 私が大学に行くことは、我が家では考えられないことだったのです。国鉄マンだった伯父は、国鉄に入って給料をもらいながら大学へ行ったらいいと提案し、一時はその方向で私の身の振り方が決まりかけていました。しかし、卒業後に国鉄で働くことに馴染めなかった私は、同じような条件で大学に行かせてもらえる朝日新聞の奨学生を選びました。新聞記者になりたい、という希望があったからです。

 この小説にもあるように、私の母も私の病後の身体のことをいつも心配し、辛かったらいつでも辞めてもいいよ、学校に行くお金は何とかするから、と言ってくれていました。こうしたことが、この作品に感情移入させられた原因の一つだと思われます。

 ただし、この作品の底流をなす母の秘密と心の裡に、当時の私がどれだけ読み及んでいたのかは、大いに疑問です。話の設定と、親子の情愛に感じていただけのように思えます。

 読み直してみて、これは大人が読んでも人情の機微を堪能できることを知りました。もっとも、45年前の想い出探しという目的がなければ、あえて今この本を読まなかったようにも思います。
 最終章をなす「あしたの風」も、なんとなくあいまいな切れ味の鈍い文章のように感じました。昭和30年頃の作品だから、ということなのでしょう。文中に2度ほど出てくる「あしたはあしたの風がふく」ということばとテーマも、今となっては伝わり難い話の流れです。

 いずれにしても、気掛かりだった作品を読み終えて安堵しました。
 
 
 

2014年11月17日 (月)

エバーノートに特化した簡易ブラウザが欲しい

 昨日の本ブログの記事について、自分のところでもエバーノートがまったく起動しない、という報告をいただきました。

 私だけのトラブルではなかったのです。多くの方が、iPhone6の〈スマホ版〉が動かないので、おかしいおかしいと思いながらもエバーノートに疑念を持っておられることでしょう。
 みんなもそうなんだ、という情報をもっと共有したいものです。

 今回の件で気付きました。

 人はいつか死にます。
 物はいつか壊れて無くなります。
 アプリケーションもいつか不具合が出ます。
 そして、やがてはデータも読めなくなります。

 すべて、否定的な思考によるものです。
 しかし、ここから逃げることは永遠に不可能です。

 エバーノートに頼って仕事や日々の生活をしている者としては、そこに流し込んでいる情報をいつでも活用できるように、以下の提案をしたいと思います。

 エバーノートには、パソコンで使える〈ウエブ版〉+〈アプリ版〉と、iPhone などで使う〈スマホ版アプリ〉があります。そして、現状ではiPhoneで使う〈スマホ版アプリ〉が使えません。他の機種のことはわかりません。
 また、iPhoneで〈ウエブ版〉を使おうとすると、次のメッセージが出るので、現在のところiPhone 6ではエバーノートがまったく使えない状況にあります。iPhone5では〈スマホ版〉は使えます。


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 このメッセージにある「iPhone版アプリ」がiPhone6で動かないので、困っているのです。

 こうした状況の中で、緊急避難的な対処として、〈iPhone版アプリ〉としてエバーノートに特化した簡易ブラウザがあれば、エバーノートに保存しているデータを書き出し、それを読み込めば、データの閲覧などはできるはずです。

 今回の場合であれば、パソコンでは〈ウエブ版〉も〈アプリ版〉も、共にエバーノートは問題なく動くのです。そこからデータを書き出し、それを〈iPhone版〉の〈簡易ブラウザ〉で閲覧できるようにする、ということです。

 これならば、今すぐにでも可能でしょう。エバーノート社は、早急にこの対策をすべきです。先日送ったサポートに対して、2日たっても回答がないので、現在の様子がわかりません。プレミアム会員には、翌日には必ず回答していただいていたので、いろいろと社内でも検討しておられることでしょうが。

 ここで気をつけることは、さまざまなデータが含まれるので、この簡易版で扱うデータのセキュリティの問題があります。
 簡易版とはいえ、セキュリティ対策はしっかりとしていないと、安心してエバーノートに保存していたデータを持ち出すことに躊躇いが生じます。

 すでに何か手順を踏めば、このことは実現できるかもしれません。
 何らかの対処策を、エバーノート社が早急に提示してくれることを望みます。
 
 
 

2014年11月16日 (日)

依然として続く iPhone 6 Plus128G のトラブル

 先々週までの2週間は、職場のパソコンがネットにつながりませんでした。システム管理係の担当者の方の努力の結果、原因不明ながらもネット環境を整備していただきました。
 インターネットが職場で使えるようになってよかった、と思っていたら、今度は宿舎のパソコンと手持ちの iPhone が不調です。さまに、イタチごっこです。

 初期欠陥品ということで交換した iPhone 6 Plus の日本語入力が、またまた遅いのです。
 今日はアップルの電話によるiPhone のサポートを受けました。
 手元にある iPhone 6は、先月初旬に iPhone5 から機種を買い替え、さらに10日後に新品と本体の交換をしたものです。

 同じことの繰り返しなので、こうした事情をご存知ない方のために、これまでの記事3本を紹介しておきます。

(1)「iPhone 6 Plus のトラブルの対処方法」(2014年10月07日)

(2)「iPhone 6 Plus が欠陥商品のため本体交換となる」(2014年10月17日)

(3)「また身の回りの情報文具が不調です」(2014年11月10日)

 この携帯端末である iPhone は、日常的に生活の一部として使うものです。移動の多い私にとっては、折々に情報を入力したり検索をするために、日本語入力が欠かせません。その日本語入力がなかなか表示されないので、使い物になりません。

 アップルの電話サポートでは、相談窓口を通してエキスパートだと言われる方へとバトンタッチされ、詳しいアドバイスをいただきました。その結果、iPhone の動きが重くなっているのは、データの不具合に起因するものだと考えられる、とのことでした。あくまでもハードウエアに起因するものではなく、不具合の元凶となっていると思われるアプリかデータを特定して対処するしか解決する道はないそうです。

 こうした企業の実験役は、これまでのコンピュータとのお付き合いの30数年間で、それこそいやというほどやらされてきました。開発会社の者ではないのに、結果的にはテスター役を数多く引き受けてきました。
 一つずつ、アプリとデータをインストールしたり削除したりと、根気強く繰り返すしかないという対処は、もうあきあきです。しかし、それしか改善策はないと言われると、素人の私には反論しようもなく、手も足もでません。

 つまり、iPhone を初期化し、アップルのアプリだけを再インストールして動きを見てから、問題がなければサードパーティのアプリを一つずつ戻す作業をすることになるのです。

 これが一番早くて確実な原因究明になるということなので、それを実際にやってみました。今日の日曜日は、1日がまるまるこのことで潰れました。

 手持ちのiPhone 6 Plus 128Gをメーカー出荷状態にして、アップル純正以外のアプリは何もない状態にしました。
 しかし、それでも日本語の入力が改善したのかどうかは判然としません。

 また、エバーノートをダウンロードした後、いつも使うプレミアム会員としてデータの同期をしました。
 結果は、同期が終わり、しばらくしするとエバーノートがクラッシュします。これまた10秒以内です。
 それ以降は、何度エバーノートを起動しても、10秒以内で終了します。これまでと同じです。

 つまり、アップルの初期インストールされるアプリ以外に何も追加しない状態でダウンロードしたエバーノートでも、起動できないということです。
 これは、エバーノートのアプリかそのデータに起因する症状ではないかと、素人ながら思っています。しかし、ハードである iPhone 自身の不具合も、依然として疑わしいのです。どこかで、原因と問題の切り分けをして、特定しないと埒が明きません。

 明日以降はエバーノートからのサポート結果が得られるので、その連絡を待つことにします。

 とにかく、目の前で起こっている、日本語の入力がおかしいことと、エバーノートがすぐに終了することが、私には理解できませんし、困っています。
 それでも明日以降、この状態のままで数日間は使ってみようと思います。

 かれこれ1ヶ月も、まともにパソコンも iPhone も使えない状況にあります。
 仕事柄、いろいろな方面に迷惑をおかけしています。
 申し訳ないと思いつつも、現況ではどうしようもないのです。
 来月までには、何とかして仕事の環境を整えないと、さらに多くの方に迷惑をかけることになります。
 お待ちいただいている方々には、もうしばらくの猶予を、とお願いするしかありません。
 その余波とでも言うべきか、メールによる連絡や打ち合わせも滞っています。
 来週には、順次対応したいと思っています。
 失礼の段は、ご寛恕のほどをお願いします。
 
 
 

2014年11月15日 (土)

江戸漫歩(91)晩秋の浜離宮恩賜庭園

 浜離宮庭園は、都営地下鉄大江戸線の汐留駅から歩いてすぐでした。


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 駅から一番近い、中の御門から入りました。

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 ここは、徳川将軍家の鷹狩場で、その後は屋敷が別邸となったところです。
 明治時代以降に皇室の離宮となり、今は庭園として公開されています。

 庭園の築地川沿いに、水上バスの発着所がありました。今住んでいる宿舎の横に水上バスの越中島発着場があるので、船でも乗り入れできることがわかりました。


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 上の写真左端に、現在月島地域に建築中のマンションが見えています。宿舎から意外と近いようです。

 東京湾越しには、レインボーブリッジも見えます。


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 潮入の池には、鷺や鴨がたくさんいました。
 いつも見る賀茂川の鳥たちと違い、置き物のように見える、おもしろい光景です。


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 紅葉はこれからなのでしょうか。


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 東京タワーも覗いています。


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 帰りは、大手門から出ました。


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 すぐ横にある築地に立ち寄ると、海外からの観光客で押し合いへし合いの大混雑です。人気スポットになっているのです。


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 休憩所の自動販売機は、江戸らしいデザインです。


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 宿舎近くの黒船橋から中央大橋を臨むと、冬を迎える深川の景色になっていました。


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2014年11月14日 (金)

放送大学でハーバード大学本「須磨」の異文を読む

 前回の4回の講義を踏まえて、さらに「須磨」巻を字母に注意を払いながら読み進めました。
 ただし、いきなり異本や異文を読むのは大変なので、まずは頭をほぐしていただきます。
 古写本はどのようにして書写され、製本され、伝えられて来たのか、ということです。

 受講者のみなさんには、今読んでいるハーバード大学本と雰囲気がよく似ている本として、国立歴史民族博物館所蔵の中山本「行幸」と「柏木」の2冊を回覧しました。この中山本は、16cm四方という本の大きさや、列帖装という装幀等々、ハーバード大学本のイメージが摑みやすいのです。
 この本を手にしていただいたことが意外と好評で、休み時間などにいろいろと質問を受けました。製本をなさっている方からは、具体的な質問を受けました。綴じ糸の使い方など、多いに参考になったようです。


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 また、ハーバード大学本の装飾料紙が美麗なところは、必ずと言っていいほど内側が手前になります。つまり、その装飾部分は必ず見開きで堪能できるのです。糸綴じの様子が見え、しかも左右見開きの頁で、そのみごとさが目に飛び込んでくるように仕立てられています。


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 このことも、みなさんの注意を惹くこととなりました。
 写本を作る製作者の情熱も、共に驚きをもって体感していただけたようでした。

 この古写本は、書写された物語の本文を読むだけでなく、本の装幀や紙の装飾性なども含めて、多様な日本文化が凝縮した文化遺産といえるものなのです。

 そうした書物というメディアに記された物語の本文を、今日は字母よりも異文に気を配りながら読みました。

 前回は、6丁裏までの字母を印字して配布してありました。そこで今日は6丁裏までを読み切ることを目標にしました。しかも、19種類もの異本を同時に確認しながらなので、みなさんは生まれて初めての複眼的古文体験となったはずです。19種類もの本文に目を配りながら読むことなど、生涯でそうそうできることではありません。しかも、古文の『源氏物語』です。そんな貴重な体験をしていただくために、無理を承知でどんどん写本に書かれた本文の確認をして行きました。

 読み進む内に、いろいろと中断しながら余談を交えました。退屈にならないように配慮したつもりでした。『源氏物語』の本文は、19種類を見渡しても2つのグループにしか分別できないことも、こうした手法で読むと、納得してもらいやすいのです。

 終わってからのみなさんのアンケートによると、特訓の甲斐があってか、多少は変体仮名が読めるようになったこともあり、おもしろかったという言葉が多く伺えました。こちらも初対面の方々との試みをしたわけですから、おおむねみなさんに満足していただけたので安堵しています。

 もちろん、もっとゆっくりと丁寧に、という意見もありました。しかし、とにかく現在一般に読まれている大島本という本文とは異なるハーバード大学本の『源氏物語』は、至る所で違いを見せるので意外だったことでしょう。どんどん進めたので、あまり考える間もなく次から次へと、細かいながらも異文が出てくるのです。
 いったい、今、日本で読まれている「大島本」という写本をもとにした『源氏物語』が何なのか、大いなる疑問へとつながったとしたら、それは私としては成功です。そして、この違和感は、十分にみなさんに感じていただけたようでした。

 さらには、傍記が本行に混入するという、私が独自に主張している法則が見られる箇所を指摘していくと、謎解きの要素もあるため、さらに興味をもっていただけたようです。

 この放送大学の面接授業には、さまざまな方が集まっておられます。高齢者が多いとしても、若い方もおいでです。確かな反応を感じながら進められたので、私も楽しく一緒に異文を確認して読むことができました。

 受講者のみなさんには、今日一日で膨大な量の写本の文字を読み、多くの写本に記された異文を読む体験をしていただきました。日常でこのような読書をすることはないので、さぞかしお疲れのことだと思います。これが、心地よい疲れになってほしいと願っています。
 さらには、今回手にされたハーバード大学本「須磨」というテキストを横に置いて、あらためて現在市販されている大島本を元にした『源氏物語』読んでください、とお勧めしました。
 古典の新しい読み方の提案となれば幸いです。

 強行スケジュールによる、ハーバード大学本『源氏物語』を読む8コマの講座でした。
 受講者のみなさんに、この鎌倉時代中期に書写された古写本が、どのような存在として意識されるようになったのかを、いつかお目にかかれることがあれば、ぜひ伺いたいと思います。
 少なくとも、『源氏物語』の文章は一つではないことと、変体仮名を少しは読めるようになったという自信を持っていただけたら、私の今回の役割は果たせたことになります。

 ご出席のみなさま、お疲れさまでした。
 そして、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 くれぐれも、お疲れが出ませんように。
 
 
 

2014年11月13日 (木)

日比谷図書文化館でハーバード本を読む(3)

 今日は、立川で午前中の会議に出た後、業務や科研の打ち合わせをしてから、日比谷図書文化館へ向かいました。ハーバード大学本『源氏物語』を読む講座が、夜間にある日だからです。

 国文学研究資料館から立川駅まで、健康維持のために歩いて3,500歩、20分。
 JR中央線で中野駅経由で東京メトロ東西線の大手町駅まで出ました。
 そして、そこで長い乗り換えの通路を歩いている途中で、考え事をしていたこともあってか迷ってしまいました。長々と歩いて地下鉄丸の内線の乗り換え改札に辿り着き、やっと霞ヶ関駅に着いたのは、予定よりも大幅に遅くなっていました。

 住み慣れたはずの東京も、地下鉄の乗り換えではよく失敗をします。大手町や飯田橋などは、地下通路を延々と歩かされるからです。
 日比谷図書文化館に着いたのは、約束の時間の数分前でした。

 今日は本ブログの過去のプリントをもとにして、これまで勉強して来たことの確認から始めました。
 日々の記録として続けているこのブログも、さまざまな局面で活用しています。

 前回、ハーバード大学本の1丁表までの確認を終えているので、今日は1丁裏から2丁表までの2頁分の本文を、変体仮名の特徴と字母を確認しながら、翻字をする上で注意点をお話しました。
 もっとも、丁寧に読み進んでいったこともあり、2丁目には入れませんでしたが。

 ナゾリの部分や墨継ぎ箇所と共に、行末の筆の動きにも注意を払いながら読んでいきました。

 1丁裏の最終行(10行目)の行頭にある「たてまつりけん」とあるところでは、「け」の右横に小さく「て」という傍記があることと、諸本の本文に異同があることにも及びました。

 15本の写本の本文が見比べられるように整理したプリントでは、次のようになっているのです。


たてまつりけん/け〈判読〉=て[ハ]・・・・520087
 たてまつりてむ[大尾]
 たてまつりてん[池平御L陽保千]
 奉りてん[麦阿正]
 たてまつりてと思ふを[高]
 たてまつりてとおもふを[国]

 ハーバード大学本は「けん」です。しかしそれ以外の諸本は、「てむ(ん)」とか「てと思ふを」となっているのです。現在一般に読まれている大島本は「たてまつりてむ」です。

 そうした諸本の異文の状況を考慮して、ハーバード大学本の「け」は慎重に〈判読〉としてあります。写本を見て翻字をするといっても、こうして諸本の本文の異同状況も視野に入れて読み取っていることをお話しました。
 この講座が、「翻字者の養成」をうたっているので、こうした翻字上の技の一部をお伝えするように心がけています。

 また、「思ふを」という文字列がある本などは、書写者が書き写しながら本文を書き加えていったものではないことも確認しました。この行の字の詰まり方や、この写本の書写者の態度などから、書写しながら本文に手を入れ、しかも書き加えることなど、書写する自分の首を絞めることに等しいことであることも、いつものように強調しました。

 書写の原則は、親本通りに書き写すことなのです。本文に手を入れるとしたら、今日確認した1丁裏の最終行末にある「有」などが、親本では「あり」とあった所を、スペースの関係で漢字の「有」にしてその行に収めたと思われるくらいである、ということは考えてもいいかと思います。

 今日は、本文異同についてはこの一例だけだったので、次回はそれ以外の確認をする予定です。

 また、今日は、翻字の校正とデータ作成の実習をするために、「蜻蛉」の巻頭一葉の実習用プリントを配布しました。赤ペンを使っての、へたな字で書き込みをしているものなので、恥ずかしい資料です。あくまでも実情をお伝えするために、あえて掲載するものです。


141113_kouseirei


 ただし今日は、ハーバード大学本の1丁裏の10行分の本文確認で時間をとったので、ナゾリと傍記のことを少し説明しただけに留まりました。

 次回は、翻字作業で使用している「翻字凡例」(本日配布済み)の資料をもとにして、実際にみなさんに翻字作業を体験していただくことにします。

 少し内容が込み入ってきて、参加なさっているみなさんに戸惑いがないか気掛かりです。
 次回、そうした点は、極力補足しながら進めていきたいと思っています。
 
 
 

2014年11月12日 (水)

井上靖卒読(190)「生きる」

■「生きる」

 井上靖の最後の短編集とされる『石濤』(平成3年6月、新潮社)の新潮文庫版で「生きる」を読みました。


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 食道が支えることから、井上靖は築地のガンセンターに入院します。そして、食道の切除手術。
 ベッドから見る病院のスタッフや施設のとらえ方がユニークな視点で語られていきます。実況中継の趣もあります。
 入院中の空想は、ヒマラヤにも飛びます。私が好きな『星と祭』の断片も記されています。井上靖にとって、この体験は余程心に刻まれたものとなっていたようです。記録として引いておきます。


 朝であれ、昼であれ、或いは夜であれ、寝台に横たわったまま、眼を瞑ると、いつも決まって、この世ならぬ薄暮の静けさの中に横たわっている自分を感ずる。どこか集落の端れあたりの、堤のような所にでも横たわっているのであろうか。(中略)
 この薄暮の集落と覚しき所への訪問は、私にとっては、他に替るもののない休息。朝であれ、夕であれ、眼を瞑りさえすれば、前にお話したように、そこへ行くことができた。
 入院中には、そこがどこであるか、ついに確めることができなかった、このふしぎな訪問先きが、ヒマラヤ山中の標高三七〇〇メートルの村、ボーテコシ渓谷に落込む大斜面の集落、曾て私たちが世話になった少年シェルパたちの生れ故郷・ナムチェバザールであることに、私が気付いたのは、ほぼ一ヵ月先き、退院してからである。
 私があとにも、先きにも、一度だけ、ヒマラヤ山地に入ったのは、昭和四十六年の秋である。小型機でヒマラヤ山地に入り、集落ルクラで、二十六名の小キャラバンを組んで出発。シェルパの村として有名なナムチェバザール、クムジュンなどの集落を経て、タンボチェ修道院を目指し、そこで同行の山友達たちと、十月の観月の宴を張った。アマダブラム、カンテガの二つの雪山が、月光に輝いた美しさは、今も眼にある。
 このヒマラヤ・トレッキングに於て世話になった少年シェルパたちは、みなナムチェの生れ。私たちは少年たちの顔を立て、彼等の両親に会ってやるために、その標高三七〇〇メートルの、大斜面の石積みの集落に入って行き、その村はずれに幕営した。
 がんセンター病院入院中の私が、何と言っても、疲れていたに違いない手術後の体を運んで行き、言い知れぬ安らぎを貰っていたのは、実に、この標高三七〇〇メートルの、ヒマラヤ山地の集落・ナムチェバザールであったのである。
 余談になるが、十七年前のこのヒマラヤ山地の旅に於て、終始、私に付き添ってくれた少年シェルパのピンジョ君は、今や世界的なヒマラヤ案内人として、一級登山隊の中に入って活躍、有名な存在であるという。このニュースに接したのは最近である。退院後の私を見舞った嬉しいことの一つである。(新潮文庫『石濤』平成6年7月、144~146頁)

 退院後に『孔子』執筆の仕事を始めます。
 素直に自分と向き合い、自分に語る井上が、この話の中にしっかりといます。
 話は、不義理を重ねる隠遁生活へと移ります。
 最後は、自分の想念の中に遊ぶ姿が語られています。
 自分を抜け出た視点が新鮮です。柵から自由になった井上靖が見られました。【4】
 
 
初出紙:群像
初出号数:1990年1月号
 
新潮文庫:石濤
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
 
 
 

2014年11月11日 (火)

井上靖卒読(189)「石濤」「炎」「ゴー・オン・ボーイ」

 井上靖は、短編作品を270編以上発表しました。
 ここで紹介する3編は最晩年のものです。
 
■「石濤」
 中国・清初期の画家である石濤が描いた軸を預けられたまま、日数が経ちます。ウィスキーのグラスを口にしながら毎夜見ているうちに、しだいに魅かれていきます。死んだと思っている軸の持ち主と、想像の世界で話を交わします。井上靖が好きな、死者との対話です。これが剽軽でおもしろいのです。石濤の「湖畔秋景」の画面を見ながら老人と語ることを、井上は「私が勝手に頭の中に作り上げている対話劇」だと言います。
 問わず語りのような話の間に、アレルギーの話があります。これも、おもしろいネタになっています。
 エッセイ風のエピソードが印象的な小品です。【3】
 
 
初出紙:新潮
初出号数:1980年3月号
 
新潮文庫:石濤
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話
 
 
 
■「炎」
 3年前の「川の畔り」を受けて、好きな川について自由気儘に語ります。まず、新疆ウイグル自治区のタリム川から。天山山脈と崑崙山脈に挟まれた、いわゆる西域地帯です。ここを流れるタリム川は、地上を流れるというよりも伏流する川です。その不思議さや、川の合流点の話が興味深く描かれています。西域は歴史も人の生涯も、伏流しているのです。話はやがてパキスタンを旅した時のインダス川とカブール川にの合流地点の話に移ります。そしていつしか、ジェラル・ウディンという無名戦士の話となります。ウディンはチンギスカンに追われ、デリー方面に退きます。私の好きな話です。さて、第3話は、アフガニスタンのクンドゥズ川とアム・ダリアの話になります。前作の「川の畔り」を角度を変えて語ります。Q・R 氏と火災については、他の作品でも取り上げられたもので、作者にとって忘れられない人として出てきます。本作のタイトルは、この話から付いたものです。【3】
 
 
初出紙:小説新潮
初出号数:1979年3月号
 
新潮文庫:石濤
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話
 
 
 
■「ゴー・オン・ボーイ」
 パキスタンの北部カラコルムへの旅の話です。まず、ギルギッドの街の様子が詳しく語られます。点を一つずつ押さえるようにして。続いて、フンザとナガールへ。一人の少年のことが、印象的に語られていきます。【2】
 
 
初出紙:文學会
初出号数:1979年11月号
 
新潮文庫:石濤
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
 
 
 

2014年11月10日 (月)

また身の回りの情報文具が不調です

 今、パソコンとスマートフォンをフルに活用した、いわゆる電脳生活をしています。
 どこにいても、メールをはじめとして24時間体制で仕事に対応できているのは、こうした情報文具のおかげです。
 しかし、これらの文具の調子が悪くなると、途端に仕事の能率や効率が落ちます。

 パソコンなどが家電製品としてはまだ未完成であり、よく言えば進化を続けている段階だと言っているのは、こうしたトラブルに見舞われることがよくあるからです。

 一番重宝している iPhone は、先月、最初に渡された本体が欠陥商品だったために、新しいものと交換になりました。
 しかし、この新品だという交換品もまた、文字入力がもたつきます。もたつく、というのはアップルに対する好意的な表現です。

 この iPhone がまた新しくなると、さまざまなチューニングで時間が取られることになるので、もう少しもう少しと、修理に持ち込むのを先延ばしにしているだけです。
 これも、近々本体ごと交換になることでしょう。

 もし、スティーブ・ジョブズが生きていたら、この iPhone 6 Plus 128GBは即刻出荷停止にすることでしょう。たとえ1人のユーザーであっても、2度も欠陥商品が手渡されたのですから。

 また、私はエバーノートというアプリを、パソコン、iPhone でフルに活用しています。
 エバーノートのプレミアム会員になり、家族やプロジェクトの仲間との情報共有や資料の受け渡しに使っています。
 そのエバーノートが、iPhone 版に限って、起動後数秒で終了します。エバーノートのサポート係から丁寧な対処方法を教えてもらっても、少しも改善されません。

 エバーノートが iPhone で使えないのは、私の生活では一番の痛手です。
 移動の多い日々なので、据え置きのパソコンで動くだけでは、その価値は半減です。

 これは、アプリだけではなく、ハードウェアとしての iPhone の不具合も考える必要がありそうです。

 また、仕事で使っているマックmini も、システムを新しいヨセミテに更新しようとしたところ、ハードディスクの S.M.A.R.T. 【 Self-Monitoring Analysis and Reporting Technology 】が警告を出しました。これは、ハードディスクに内蔵された自己診断機能が通知してくれる情報で、ハードディスクが壊れているので取り替えろ、という意味のメッセージのようです。
 突然そんなことを言われても困ります。

 移動用の MacBookPro があるので、これでしばらくは凌げます。複数のパソコンを使い分けているので、当座の仕事は効率が落ちたり不便であっても、なんとか前向きに対処はできます。
 様子を見ながら、最適な研究環境を再構築することに、しばらくはエネルギーを費やすことにします。

 こんな状況にあるため、いつものこととはいえ、仕事が停滞する場面もあるかと思います。
 年末を控えたこの時期に、仕事をくださった方々には、本当に申し訳ないことです。

 機械運に恵まれない私のことは、すでに周知の事実となっています。
 今回も、いましばらくのご迷惑をおかけするかと思われます。
 ご寛恕のほどを、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2014年11月 9日 (日)

井上靖卒読(188)「セキセイインコ」「川の畔り」

 しばらく〈井上靖卒読〉を更新していませんでした。
 遡ってみると、今年の8月1日以来です。

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■「セキセイインコ」
 自宅の庭に集う小鳥たちの話です。雀に混じって行動を共にするセキセイインコに注目した、おもしろい観察記となっています。このインコの存在が、人間社会に当て嵌められ、その生きている意味へと導かれます。つい、自分とこのインコを重ね合わせてしまいます。考えさせられる小品です。【4】
 
 
初出誌:週刊朝日
初出号数:1973年1月5日号
 
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話

*『現代作家掌編小説集 上』(昭和49年8月8日、朝日ソノラマ刊)に再掲された後、数多くの作品集には未掲載のまま、『井上靖全集』で初めて収録されたものです。
 
 
 
■「川の畔り」
 『河岸に立ちて』で読んだように思いました。しかし、確認してみると、収録されていない作品でした。とにかく、井上靖は川の畔りが好きなのです。川に対する作者の思いも記されています(『井上靖全集 第七巻』369頁)。そこでは、『星と祭』に関連する山についてのコメントもあります。問われるままに語る、という体裁で話は進みます。
 「旅の話をせよと仰言いますが、?」と始まり、「そうですね?」などと、問はず語りは続きます。ロシア、ネパール、アフガニスタン、パキスタン、トルコ等々。川をめぐる絵が展開します。肩肘を張らない語り口で、ゆったりとした平原と川の流れの中に包み込まれていきます。
 後半で語られる、アフガニスタンから北のアムダリヤに流れるクンドゥズ川の話は、特に印象的です。大利根一二郎氏との出会いと別れは、日本人というものを再認識させられます。【3】
 
 
初出紙:野生時代
初出号数:1974年5月号
 
新潮文庫:石濤
井上靖全集7:短篇7・戯曲・童話
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
 
 
 

2014年11月 8日 (土)

源氏を読む会の中止と区切り目の年へ突入したこと

 今日はいつものように、京都御所の南にあるワックジャパンで、『ハーバード大学本『源氏物語』「蜻蛉」』と『十帖源氏』を読む会がある日でした。
 しかし、みなさん多忙なのと体調不良の方が多かったので、残念ながら急遽中止としました。少人数での談話会形式なので、こうしたこともあるのです。

 午後の勉強会に先立ち、お昼は食事会がセッティングされていました。
 ちょうど私の誕生日と結婚記念日が同じ日なので、そのお祝いの会です。

 昨年は、梅田でお祝いをしてもらいました。「懐石料理を堪能」に記した通り、身体に優しいおいしい食事でした。

 その昨年の記事だけでなく、これまでに何度も、18歳の時に十二指腸潰瘍穿孔性腹膜炎(胃穿孔)のために胃の3分の2を切除したことを書いてきました。
 毎度の繰り返しとなりますが、今から45年前に手術後にお医者さんから、「無責任」「臓器の耐用年数」「45年」という言葉をいただき、以来、その言葉が私の生活を無意識に縛っていました。
 上掲「懐石料理を堪能」でも書いたように、今日からは、設定されたタイマーが365のカウントダウンを始めます。

 お祝いの食事会は、娘が用意してくれました。すぐにワックジャパンへ行けるようにと、御所のすぐ南にある京都地方裁判所東向かいの「京料理 夢懐石 谷ぐち」でした。


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 写真の左側に丸太町通りがあり、その奥が京都御苑の木々です。

 イタリア風の一角で、斬新な京料理「御所車」をいただきました。
 勉強会は中止となったこともあり、午後のことを気にせずにゆったりといただけたので、私にもすべて食べられました。


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 最後に娘がとり出したのは、いつものように『源氏物語』に関する和菓子ではなくて、数字が載ったものでした。


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 今年も妻は仕事の都合で来られませんでした。来年は、何とか実現させましょう。
 後でわかったことですが、このお店の御主人は下鴨茶寮にいらっしゃった方で、奥様はワックジャパンでもお仕事をなさっているとか。それを知っていたら、またお話のしようがあったものを。また行くことにします。

 食後は、東京からのお客人をワックジャパンへ案内し、今後のイベントなどで活用するための下見をしてもらいました。

 自宅へは、京都御苑を通り抜けて帰りました。


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 上の写真は、北山を望んでいます。車はパトロール中の皇宮警察です。

 南東角にある仙洞・大宮御所の北壁沿いに如意ヶ岳の冬の大文字は、今日はこんな感じに見えました。


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 賀茂川に架かる葵橋からみた如意ヶ岳も写しました。

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 ここから北山は、こんな感じに見えます。


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 この橋の袂で、手にしていた食べ物を大きなトンビに、あっという間に攫われてしまいました。目にも止まらぬ早業で、初めての経験です。頬を羽が掠めた程度で、危害は受けませんでした。しばし、何が起こったのか呆然です。油断も隙もありません。
 記念すべき日にふさわしい、注意を怠るなというメッセージだと思うことにします。

 ワックジャパンでの『源氏物語』を読む会は中止となりました。しかし、私にとってはいい記念すべき日であり、区切り目となる日となりました。

 姉と娘夫婦、そして東京からのお客人に、それにも増して同席できなかった妻に感謝します。
 これからも折々に助けてください。
 
 
 

2014年11月 7日 (金)

放送大学で4コマ連続の講義をする

 今日は、茗荷谷にある放送大学の東京文京学習センターで、85分の面接授業を4コマ連続でやりました。


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 日頃から授業をする習慣がないので、果たして身体が持つのか不安でした。しかし、大過なく、楽しくお話ができました。また、生徒のみなさんが積極的に意見や質問を投げかけてこられたので、楽しい交流もできました。活発にご自分の意見をおっしゃる方が多かったので、活気が部屋中に感じられていい授業だったと思います。これは、私よりも学生さんたちのやる気から生まれたものです。

 今日は、次の4つの内容を用意しました。


第1回 アメリカにある『源氏物語』—ハーバード大学本と米国議会図書館本—
第2回 『源氏物語』の本文のこと—異本異文といわれる物語本文の確認—
第3回 ハーバード本「須磨」を読む(1)—使われている字母のおもしろさ
第4回 ハーバード本「須磨」を読む(2)—どちらにでも読めるかな文字—

 プロジェクターを使って、ハーバード大学や議会図書館本の様子を見ていただきました。受講者のみんさんも、一緒に調査に行ったかのような気分になっていただくためです。

 次は、日本最古の平仮名が書かれた、藤原良相邸で出土した土器に記された平仮名です。9世紀後半に、今に通じる平仮名が書かれていた土器が、2年前に京都の地下から出てきたのです。

 また、平仮名について一般的には、楷書を崩したものが行書や草書になった、と説明されています。しかし、最近は次のような考え方が示されています。


中国においては、木簡に書くための書体=隷書体がまずあり、それが紙に書くための書体=楷書体に移行した。ここには時間の経過がある。そして隷書体が成立した時点で、さほど丁寧に書かない場合に用いる「草書体」が発生していた。日本には「正隷書体」と「草隷書体=草書体」とがまず伝わり、あまり時間を置かずに、「楷書体」が伝わった。それが藤原宮木簡と平城宮木簡との書体の違いとなって現われている。この「草書体」の延長線上にうまれたのが平仮名であると考えればよいのではないだろうか。」(『かなづかいの歴史』今野真二、中公新書、13頁、2014年2月)

 つまり、楷書体が成立する以前から、草書体があった、という指摘です。この考え方に関して、私は何も賛否に組する資料を持ち合わせてはいません。しかし、単純に、楷書体⇨行書体⇨草書体と、字体の推移を確認して終わり、ではないようです。

 このことを断ってから、今の字体に固定された明治33年を軸にして、明治6年には今の「え」は「江」であったり、明治19年には「路」や「者」が平仮名として使われていた事実を、当時の文部省が発行していた資料で確認しました。
 同時に、今私が一番感心のある点字についても、平仮名の統一化とともに説明しました。

 さらには、筆順や縦書きと横書きについても、詳しくお話ししました。

 午前中の後半は、天理大学にある国冬本「鈴虫」巻に書かれている539文字にも及ぶ長大な異文の存在とその意味を、私説を交えながら話しました。特に、二千円札に印刷された、国宝『源氏物語絵巻』「鈴虫」巻の絵巻詞書に関することに力点を置きました。このことは、拙著『源氏物語の異本を読む』(臨川書店、平成13年)の当該部分の印刷を配布して流し読みし、そのあとは本書をご覧ください、としました。

 また、『古典籍研究ガイダンス』(国文学研究資料館編、笠間書院、平成24年6月)に執筆した拙文「書写により変異する本文」を印刷したものも配布して、活字の校訂本ではなくて写本を読みませんか、という問いかけをしました。

 午前中は、ハーバード本「須磨」巻の巻頭部分は2行だけ読みました。字母を確認しながら、丁寧に見ていきました。

 お昼を挟んで、午後は「須磨」巻の本文を読むことに専念しました。もちろん、寄り道をしながらですが。

 午前中に丁寧に字母のことをお話したので、皆さんの目は平仮名の背後に字母が浮かんでいたことでしょう。そうであったことを望みます。
 平仮名を通して字母の漢字が見え出したら、もう病みつきです、と何度も言ったので、視線が真剣でした。

 写本に書かれている文字の問題点をいくつか提示したこともあり、さまざまな意見が聴講者から出たのが、おもしろい講義となった原因のように思います。特に、1行目行末に「波新堂奈幾」とあり、3行目行末にも「八志多那支」とあることには、6人もの方から自由な意見が出ました。これは、今後とも真剣に考えてみる価値のある課題となりました。

 帰りに事務所で今日の報告をした後、茗荷谷駅から地下鉄丸の内線で東京駅に出て、ホームに停まっていた新幹線に飛び乗りました。

 帰洛の新幹線の中では、心地よい疲労感に身を委ねながら、この文をiPhone に入力しました。
 iPhone6Plusにしてからは、画面が大きくなったこともあり、楽に文字が入力できるようになりました。ただし、日本語に変換する精度とスピードは、これまでの iPhone 5の方がよかったように思います。

 明日の朝食を、いつものように京都駅前のヨドバシカメラの地下にあるスーパーマーケットで買いました。ここのクジラの「オバイケ」は、毎週末の楽しみです。小さい頃から、母がよく買ってきてくれたものです。
 子どもたちに大和平群にいた頃によく飲ませた「よつ葉の牛乳」も、帰洛時に買う定番です。

 バスを待つ間に、京都タワーの横に出ていた満月と、七色の水芸ショーをカメラに収めました。


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 そして、最近バス停の表示が見やすくなったので、それもついでに。
 ちょうど、帰りのバスが来たところでした。


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 観光客を迎える京都の対策も、次第によくなってきています。呼び込まなくても来てもらえる街から、心地よく移動できる街へと、確実に変化しています。新しいことを貪欲に取り込む、進取の気性に富むが傾向が鮮明な街なので、これからもどんどん変わって行くことでしょう。京都の街の時間は、常に動いています。街の作りは同じでも、お店がよく変わります。不思議な街です。

 明日は午後から、所を変えて京都御所の南にあるワックジャパンで、ハーバード大学本『源氏物語』「蜻蛉」巻を読む勉強会があります。これは、『源氏物語』にゆかりの和菓子をいただきながら勉強する会で、楽しい時間となっています。

 一日中立ちっぱなしだったせいか、首筋と後頭部が強張って来出しました。
 早めに休みます。
 
 
 

2014年11月 6日 (木)

千代田図書館で古書目録の調査を続ける

 早朝より立川で仕事をし、午後は九段下の千代田図書館へ目録の調査に行きました。

 今日は、弘文荘の反町茂雄さんが関わっている古書目録を中心に見ました。『源氏物語』をはじめとして、多くのすばらしい古典籍が掲載されています。重要文化財や重要美術品になっている古典籍が、昭和20年代後半にたくさん市場に流れていたことがわかりました。

 特に目を引いたのは、天理図書館に現蔵の鎌倉時代中期書写『耕雲本源氏物語』(薄雲・朝顔)が、写真2葉とともに掲載されていたことです。


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 その説明文には、次のようにあります。

薄雲・朝顔の二巻データ、紙数七十枚の厚冊。為氏と伝ふる鎌倉中期の古写本に、南北朝時代の源氏研究家として有名な花山院長親(号耕雲)が自ら校合を加へ、異同を詳細に書入る。巻末に耕雲自筆の和歌一首と自署花押がある。本文は所謂古本の系統で、流布本とは異同が多い。原装上本、二重箱入。(即売会『新興古書大即売展出品略目』、会場・東京古書会館、1954.12)

 なお、別の『新興古書大即売展出品略目』(即売会、会場・東京古書会館、1959.12)には、次の記載がありました。

源語拾玉 きりつぼより松風迄 室町期写 一冊 3,500

 『源語拾玉』という本のことは、今わたしにはわかりません。慈円の家集である『拾玉集』しか思い浮かびません。『源氏物語』関係の本の別名なのでしょうか。

 同じように、「源氏かなつかひ、伊呂波分、能筆写 二」(即売会『新興古書大即売展出品略目』、会場・東京古書会館、1954.12)と「源氏物語はらはぬ塵 本多忠憲著/上写本、未刊本 四」(同)とある本も不明です。

 こうした本について、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。

 そして、この目録調査に参加してくださいる方を求めています。
 まだ、書庫にある目録の100分の1も終わっていません。私には山をも移す作業なので、若者に引き継ぎたいと思っています。
 興味のある方は、1度ご一緒しませんか。
 今日は、若い仲間が一人参加しました。いろいろと貴重な収穫があったようです。このことは、また別の機会に報告します。
 
 
 

2014年11月 5日 (水)

『月刊 視覚障害 11月号』に紹介された広瀬さんと私

 視覚障害者支援総合センターの星野敏康氏が、『月刊 視覚障害 —その研究と情報—』(2014年11月、No.318)に執筆された記事を紹介します。

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 星野氏とは、10月11日に開催された日本盲教育史研究会の懇親会で初めてお目にかかりました。
 今回「特集…盲教育史の拡充と深化へ 内容豊富の研究会」と題して執筆された記事は、当日の研究会の様子を非常によく再現したものとなっています。

 当日のことは、私なりの視点で以下の報告をしました。しかし、所詮はこのテーマに取り掛かったばかりの新参者がまとめたものです。
 その意味でも、ご専門の星野氏がまとめられたものには遠く及びません。

「日本盲教育史研究会に参加して(その1/3)」(2014年10月11日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その2/3)」(2014年10月12日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その3/3)」(2014年10月13日)

 あらためて、星野氏の記事のご一読をお薦めします。
 こうした記事は、当日参加できなかった方に留まらず、参加した私にもその日の内容を再確認する意味で、有益な情報であり記録となります。

 その記事の中で、中盤に広瀬浩二郎さんの講演の詳細な紹介が、「触常者と見常者」という小見出しでまとめてあります。
 さらにはその末尾で、広瀬さんの講演の最後に飛び入りで私が喋ったことも、的確に紹介してくださっています。

 これから私が取り組もうとしていることを、専門家の目で客観的にまとめていただいているので、以下に引用させていただきます。
 


 自身の講演の後には、国文学研究資料館教授の伊藤鉄也氏を紹介。伊藤氏は国文学、特に『源氏物語』が専門で、視覚障害者にも変体仮名を読んでほしいとのアイディアを披露した。変体仮名は、ほとんどの日本人が読めなくなってしまっているが、それなら視覚障害者も晴眼者も条件は同じではないかというのが伊藤氏の発想だ。国文研は現在30万点にも及ぶ古典籍のマイクロフィルムや画像データベースを収集・保存しているが、視覚障害者には全く活用されていない。膨大な資料を点字化するのは現実的ではないし、また変体仮名の特徴である異体字などは、現在の点字の体系では表現できないからだ。まだスタートしたばかりのプロジェクトで、変体仮名の触読までには乗り越えるべき障壁も少なくないが、来場者の注目も高く、広瀬氏も「次の記念講演のテーマが決まりましたね」と後押しをした。

 
 このプロジェクトについては、これから機会を得て実際に活動を始める予定です。
 本ブログでも、視覚障害者に関する話を記事にすることが多くなると思います。
 それは、新たにこうしたテーマに取り組み出したからです。
 さまざまな分野の方からのご教示をいただきながら、自分なりのテーマの設定を実現すべく、手探り状態ながらも前に進んで行きたいと思っています。
 
 
 

2014年11月 4日 (火)

読書雑記(112)『愛盲―小杉あさと静岡県の盲教育』

 足立洋一郎著『愛盲―小杉あさと静岡県の盲教育』(静新新書 046、静岡新聞社、2014年7月)を読みました。


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 本書は、過日参加した日本盲教育史研究会の会場で入手したものです。
 著者の足立氏は静岡県立浜松視覚特別支援学校の先生で、当日の研究会では「日本のヘレンケラー 小杉あさ」と題して本書を補足する研究報告をなさいました。

「日本盲教育史研究会に参加して(その3/3)」(2014年10月13日)

 私の勉強が追いついていないので、その時の小杉あさのお話は、興味を掻き立てるだけに留まっていました。今回『愛盲』を読み終えて、あらためて人の一生の重みを知りました。
 以下、思いつくままに本書について、読書記録を残しておきます。

 表紙下部の赤色の部分には、次のように本書の紹介文が記されています。


静岡県の盲教育と、視覚障害者福祉に人生を捧げた
「日本のヘレン・ケラー」小杉あさ。中途失明に苦しみ、時代に翻弄され
ながらも視覚障害者の教育に尽力し続けたあさの一生を辿りながら、
静岡県の盲教育とその黎明期に生きた熱い想いの人々を描く。

 小杉あさは、明治33(1900)年6月に東海訓盲院に入学します。19歳の誕生日だった4月29日に完全に失明したあさは、その2ヶ月後に入学したのです。

 私のメモによると、ちょうどその明治33年に、平安時代から続く平仮名のうち、小学校令施行規則の第一号表に48種の字体だけが示されています。以後この平仮名が公教育において教えられるようになり、一般に普及して現在に至っています。

 小杉あさは、この現行の平仮名が普及する時に合わせたかのように、正式な教育を受け始めたことになります。中途失明であっても、あさがどんな方法で文字の読み書きをしたのか、興味深いところです。

 学校での授業の様子が、『静岡盲学校八十年誌』に掲載されたあさの語りとして、本書に引用されています(34頁)。
 それによると、教師が『国定教科書』を読みあげるのを聞いて、それを生徒は点字で書写して自分用の教科書を作っていたようです。

 また、石川きくの回想談を引いて、著者は次のように言います。「古今集や新古今集の点訳」などのことばが目を引きます。太字は私に施したものです。


あさの先輩石川きくは「校舎も無く寄宿舎で畳の上に坐して、読み書きを致すと云ふ貧弱な窮屈なことには成りましたが内容は全く此れとは違つた華やかな時代で生徒は漸次其数を増加し、豊かな情操教育を授けられまして、古今集や新古今集の点訳を始め名家の美文を写しては出来ぬながらに、それを手本として第一、第三の日曜日は文学会を開き、作文や試作(ママ)をして先生方の批判を頂きました」と当時を振り返っている(『盲唖の黎明』、以下『黎明』)。
 古典の点訳や素読は尋常科の国語の授業で指導されたのだろうか。それをもとに第一、第一日曜日には文学会が開かれ、詩作などが盛んに行われた。教室もなく狭い寄宿舎といえど、生徒たちは深奥な古典の世界に浸り、果てしもなく大きな思索の世界に踊った。貧しい環境とは裏腹に、そこには豊かな教育があった。(38、39頁)

 盲学校と聾唖学校を分離させるため、苦悩の歴史を歩む小杉あさの姿も、印象的に語られています。この違いは、大事なことであることを教えられました。また、中途失明者の悲哀と苦悩に想いを寄せる姿も感動的です(86頁)。

 あさは、多くの人々に支えられて生きたのです。そして、支えられたということは、それだけ人を支えたと言うことでもあります。信念というものの大切さが、行間から伝わってきました。

 点字は、1825年にフランスのルイ・ブライユが考案しました。当時パリでは、浮き出し文字で授業をしていたようです。しかし、その困難さから、軍隊用の夜間文字だった12点の暗号をもとにしながら、ブライユは6点の点字に進化させたのだそうです。ただし、それがフランスで公認されたのは、1854年でした。

 このブライユの6点点字が、日本では小西信八を経て石川倉次へ研究が依頼されました。最初は8点による点字を考えました。しかし、また6点にもどり、今の日本点字の翻案となります。明治23(1890)年のことでした。

 なお、点字のことを英語で「ブライユ(Braille)」と言うのは、人名ブライユに由来するものです。また、6点すべてを使った点字を「め」としたのは、石川の熱い思いからだそうです。
 こうした裏話にも、人々の生きざまが反映していて興味を抱きました。

 当時の仮名文字研究会が点字の考案に役立っていたことは、私自身でさらに詳しく勉強したいと思います。

 本書には書かれていない、さらに多くの困難があさにはあったはずです。それを前面には出さずに構成し再現されたあさの自画像が、この一書に結実しています。
 私は静岡県の人脈が持つ人の温かさも感じました。東海訓盲院の存在は、本書が描き上げた施設の意義を越えて、それ以上の価値を教えてくれました。

 なお、補論の「ヘレン・ケラーの来静」に「来日したヘレン・ケラーは準国貧級の大歓迎を受けた。」(156頁)とあります。再版の際には「国賓」にしてください。駄弁とは知りつつ、最後になって誤植に出会い、本書の意義と著者の篤い思いを理解できただけに、この1文字で印象が変わることがもったいないと思いましたので。妄言多謝。
 
 
 

2014年11月 3日 (月)

第12回オンキヨー世界点字作文コンクールの表彰者

 昨日の「毎日新聞」に、第12回オンキヨー世界点字作文コンクールの入賞者の発表がありました。最優秀オーツキ賞は山本裕子さんの「点字でしゃべる」でした。今月13日に大阪で表彰式があります。

 毎日新聞は、1922(大正11)年から週刊点字新聞「点字毎日」を発行しています。もう87年にもなるのですから、今も発刊し続けている意義は大きいと言えます。

 この「点字毎日」は、毎日新聞大阪本社が拠点となって作成されています。新聞紙面を点字にしたものではない情報誌だそうです。A4判60ページの「点字毎日」は、1年2万円、半年1万円(非課税、送料無料)となっています。
 私は点字が読めないので、受け売りの情報を羅列するだけで申し訳ありません。過日、日本に点字が創案された時代のことを調べていて、この情報メディアのことを知りました。

 毎日新聞のウエブサイト「点字毎日」に、その歴史が詳細に記されています。

 また、「点字と点字毎日に関する主要年表」も便利です。

 「オンキヨー点字作文コンクール」は2003年から取り組まれているものです。「異文化コミュニケーション」の輪が年々拡がってるようです。

 さて、毎日新聞社「点字毎日」が共催する世界規模の点字作文コンクールの名称は、「オンキヨー世界点字作文コンクール」(厚生労働省、日本盲人福祉委員会、毎日新聞東京・大阪・西部社会事業団、オンキヨーエンターテイメントテクノロジー(株)後援)です。今回、この第12回で最優秀賞オーツキ賞を受賞されたのは、山本裕子さんの作文「点字でしゃべる」でした。非常にウイットに富む印象深いものです。国内170編から選ばれたのです。

 視覚障害者を支える側の作品として、今回新設された「サポートの部」の優秀賞は、関場理華さんの「点字百人一首への挑戦」でした。これは、日本の古典文学と遊技がかみあった、競技としての『百人一首』の今後の展開が楽しみになる内容でした。

 ウェブに山本さんの「点字でしゃべる」が掲載されているので、その全文を引用します。
 視覚障害に関する文章などの頒布は著作権が緩やかなので、問題がなければこのまま本ブログで流し続けます。もし問題があるのであれば、ご指摘いただければ早急に対処をいたします。


 手のひらと指先のぬくもり

 私が目の前の人とコミュニケーションをとる時に使う手段は複数あります。まずは「音声」。これは普通ですね。ただ私の場合には補聴器を使ったうえで静かな場所を選び、1対1ではっきりゆっくり発音してもらわなければ聞き取ることができません。実用的なのは手のひらに指で墨字を書く「手のひら書き」、ふせた両手の指の上を点字タイプのキーに見立てて点字を打つ「指点字」です。

 私は視覚に障害があり、そのうえ進行性の聴覚障害(感音性難聴)を持つ、いわゆる盲ろう者です。ここのところ主人がにわかに「指点字」に興味を示してくれました。マイブームとでもいうのでしょうか。握った車のハンドルに「アイウエオアイウエオ・・・」と、信号待ちのたび繰り返し打って覚えたそうです。太い無骨な指は「アイウエオ」、この5文字をおぼえるのに2日かかりました。その後は順調に進み、この1週間で50音のうちア行からマ行、それとラ行が終わりました。

 「わあ、お父さん、もうちょっとで50音、全部覚えられちゃうね」。私は主人をたいそう大げさに励ましました。濁音、撥音(はつおん)、拗音(ようおん)、特殊音、数字にアルファベットと先はまだまだ長いことには……もうしばらく触れないでおくつもりでした。なぜって、気持ちがなえてしまわないように。覚えてもらうためにはこちらも気を使うものです。

 先日、ショッピングセンターのフードコートでお昼を食べることにしました。「ねえねえ、何にしたの?」。私は両手の手の甲を主人の前に出しました。

 「……」なぜだかひと文字も打てない様子です。くんくんと私はにおいの手がかりを探しつつ、手をひっくり返して手のひらの側で尋ねました。よりにもよって「ビビンバ丼」を注文してしまったとのこと。濁音も撥音もまだ教えていませんでしたから、どうりでひと文字も打つことができなかったというわけです。

 難聴の進行のため、ここ数年は補聴器をしてどんなにゆっくり話してもらっても電車やバスの中、スーパーやレストランではほとんど聞き取ることができなくなりました。私が何度も何度も聞き返すと主人は何度も何度も同じことを繰り返し言わなければなりません。そのうえ自分の発した声が聞こえないと音量の調節が難しく、私は大きすぎる声で答えてしまうことがあります。主人はそれが恥ずかしくて人前で話しかけなくなってしまいました。妻の手を取らなければならない「手のひら書き」も、どうも周囲の目が気になるようで外ではしてくれませんでした。

 その点、子供たちには心理的な抵抗感はないようです。もっとも「手のひら書き」については、漢字の書き取りを目で見てやることができませんので、小学校入学以来ずっと私の手のひらに書かせてチェックしていたということもあると思います。

 また彼らは指点字に興味を持つと、あっという間に覚えてしまいました。新たなコミュニケーション手段を「音声で話すよりも容易に通じる便利なもの」とごく自然に受け止めてくれました。今では義父母や近所の人と話す時には通訳を買って出てくれます。子供のことですから、あくまでも気まぐれにですが。

 ここにきて主人が外でも「手のひら書き」をしてくれるようになりました。不思議に思っていた矢先、今度は「指点字」を覚えようというのです。これまでも私は目のつきそうなところにさりげなく、かつあからさまに点字の一覧表を置いておいたりしてきましたがそれを一切無視してきた主人がです。なぜ今突然に「指点字」なのでしょう。

 進行に順応できず戸惑い悩むのは、実は本人以上に周囲の家族だったりします。本人は寄せくる大きな波にのまれまいともう必死ですから、いざ前に進むことを決意したら躊躇(ちゅうちょ)したり考えたりしている余裕はありません。

 思えばずっと主人を苦しめてしまっていました。今ようやくその苦しみから抜け出し、さらにもう一歩踏み出そうとしてくれているのです。

 お父さん、今までいつも隣にいてくれてありがとう。子供たちは成長し、ふたりとも中学生になりました。母親に対して口を開くのが億劫(おっくう)になってきたようで少し寂しく感じていたところです。これからはお父さんの手に触れて言葉を聞き、お父さんの目に映る情景を感じながら日々をともに過ごしていけることを楽しみにしています。たくさんおしゃべりをしましょう。そしてたくさん笑いましょう、いつまでも。

 同じ趣旨で、「サポートの部」で優秀賞となった関場さんの「点字百人一首への挑戦」も引用します。これは抜粋が公開されています。これも、引用に問題があれば対処する用意があります。


 広がる笑顔の輪

 「春すぎて 夏来にけらし 白妙の〜」。上の句が読み上げられるのと同時に選手の手が一斉に点字が付いた百人一首の札の上を走る。「はい」。70代女性の声に一同どよめく。「また取られちゃった」と主婦が悔しそうに言えば「次こそ取るぞ!」と若者の声。

 ここは東京・高田馬場にある新宿区社会福祉協議会・視覚障害者交流センターだ。新年会で催されたのが「点字百人一首のデモンストレーション」。発案者は全盲の友人と私。友人も子育て真っ最中、私の子供も全盲だった。その友人が話し始めた。「子供たちが学校に行くと、お正月に百人一首のカルタ大会があるでしょう。一度親子で見学に行ってビックリしちゃった。読み手の声に耳をすます静寂感。一瞬で勝負がつく緊張感。あれを点字の札でできないかしら?」。私の子供も授業で百人一首に取り組む前だったので、よし! 取り組んでみようと決めた。

 調べるうちに「五色百人一首」という、小学校で活用されている用具を知った。枚数は1回戦につき20枚。レベルごとに分けられ、最初のレベルには有名な歌など、百人一首をよく知らなくても対戦でき札を取る喜びが味わえる。

 「これだ!」。近所の100円ショップで材料を買ってきて枠を作った。次は我が家の子供たちで実験だ。全盲対晴眼になるので「点字使用者は試合開始5分前に自分の作戦で札を並べて良い」というハンディを付ける。結果は互角。ビックリした! でも百人一首の特性はそこにあった。記憶力も問われており、上の句を読む間に早く下の句を思い出せれば札を取ることができるのだ。

 「これは面白い!」。体験した人は口々に褒めてくれた。ところが問題が。「点字百人一首」は売っていない。私が手作りできる数にも限界がある。冒頭の視覚障害者交流センターの職員の方に声を掛けられたのはそんな時だった。「絶対に喜ばれますよ。見えない人も見える人も楽しめる。社協に登録している方々の力を借りましょう」と呼び掛けてくださった。ボランティアの方と全盲の使用者の打ち合わせが始まり、2カ月後には試合用のセットが5組もできた。私1人の力ではここまで来られなかった。地域の力、専門家や当事者の助言、何より参加した方々の笑顔が大きく実った。仲間を広げ、この輪を大きくつなげてゆきたい。(抜粋)

 なお、作家の玉岡かおるさんの「選評」も、毎日新聞に掲載されています。
 これは応募作全般に関するものなので、冒頭部分のみを引用します。
 視覚障害者(触常者)と文字に関して、その意義を再認識する視点で語り始めておられる部分です。


 選評 指先から伝わる文字の力

 人類が生み出したツールで、もっとも功績が大きかったのは文字であろう。文字に書き記すことで、相手が知らない、気づかない世界を伝え合える。その意義の大きさを、今回ほど痛切に再認識させられたことはない。見える文字はなくとも、指先で触れる小さな点字により、これほども多様な体験や思いが表され、伝わってこようとは。
(下略)

 参考までに、「その他の入選者(敬称略)」についても記録として残しておきます。
 ここでは、年齢を外しています。

 【国内】
「優秀賞」千葉県、中村和子
「佳作」沖縄県、上地翔子
学生の部「優秀賞」栃木県立盲学校・大久保春佳
 同 「佳作」兵庫県立視覚特別支援学校・石井千月呼
 同 「特別賞」(小・中学生対象)大阪府立視覚支援学校・辻本麗美
サポートの部「佳作」東京都、中山敬
 同 「特別賞」静岡県、斯波千秋▽大阪府、加治川千賀子

 【海外】
「優秀賞」WBUAP=ドロシー・ハミルトン(オーストラリア)▽アダム・プラタマ・プトラ(インドネシア)。
 ABU=ニマル・ジャヤラトゥナ(スリランカ)▽サミーナ・ゼフワク(アフガニスタン)
 EBU=ジュセフ・ズブラネック(スロバキア)▽ブランドン・C・ハルクープ(イギリス)
 WBU−NAC=デボラ・ケンドリック(アメリカ)▽クリスティン・スティール(同)
 
 
 

2014年11月 2日 (日)

読書雑記(111)澤田ふじ子『宗旦狐』

 澤田ふじ子の『宗旦狐—茶湯にかかわる十二の短編』(光文社時代小説文庫、2013年10月)を読みました。


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 本書に収録された作品は、裏千家の月刊茶道誌『淡交』の平成14年1月から12月まで連載されたものです。1作品につき400詰原稿用紙20枚という制約があったようです。

 本文庫本に収録された「初版本のあとがき(平成15年春)」で、作者は次のように言っています。


 わたしはこうして短く制限された枚数の中で、一つのテーマにもとづいた作品を書くのが、スリリングで好きだ。
 茶湯は権力や財力に支えられて大きく広まり、茶道具によって贅の色に染められた。当然、血腥い話は数々伝えられている。しかし特殊な茶道誌という関係から、血腫い話はタブーとされ、苦労を強いられたが、徳間書店から刊行されるに当たり、収録作品中「御嶽の茶碗」の最後の部分を二行ほど改稿した。
 表題作「宗旦狐」の千宗旦は、茶道史の中で神格化された人物。多くの逸話をいまに残すが、わたしが作り上げた宗旦狐の話が、やがて歳月が経ったとき、かれの逸話の1つに数え入れられたら幸いだと思っている。
 なおこの一冊の中に平成二年三月、千利休四百年忌にあわせ、講談社が書下ろし短編小説集として刊行した『利休七哲』のうち瀬田掃部「仲冬の月」を収録させていただいた。(300頁)

 この20枚という制約は、作者のことばはともかく、私には中途半端なままで閉じられることになった最大の原因であると思っています。

■「蓬莱の雪」
 京都五条大橋のうどん屋の弥助のもとに留め置かれた雪村の画幅。無銭の客がうどんの形に置いて行ったものでした。話は、思わぬ展開をします。ただし、作り事めいていて、先が見えてしまいました。それでも、年の瀬らしい、いい話に仕上がっています。【3】
 
■「幾世の椿」
 東九条村の百姓甚助親子の話です。裏庭の椿を、一人のあやしい男が、初釜にかけるために見つめています。椿をめぐる話は、爽やかです。【3】
 
■「御嶽の茶碗」
 大垣藩領の天野九左衛門の茶室をめぐる話です。一つの青磁茶碗が2人の運命を狂わせます。最後の急展開がうまいと思いました。【3】
 
■「地獄堂の茶水」
 四条高倉錦小路上ル、小間物問屋菊屋の女主お貞は、毎年3月6日に、鴨川の源流である大原の地蔵堂の水を正午きっかりに汲んで、お茶を一服点てることを続けていました。その水をめぐる話が、感動的に語られます。【4】
 
■「戦国残照」
 山城国大山崎にある、国宝の茶室「待庵」が出てきます。摂津国広瀬村の小夜の話です。小夜の夫は、関ヶ原の合戦で亡くなりました。ところがその夫が、四条小橋のたもとで茶売りをしているのを見つけます。記憶をなくしながらも、小夜が作ったお守りを大事に持っていたのです。感動的な話です。【5】
 
■「壷中の天居」
 応仁・文明の乱の頃の東洞院通りが舞台です。戦の後に新しい町屋が作られていきます。そうした中で、坪庭にまつわる話が語られます。1話としては、まとまりのない作品です。【2】
 
■「大盗の籠」
 上京・五辻通りで竹籠作りを生業としている六蔵の話です。茶の湯と籠花入れの話題が、後の河竹黙阿弥の歌舞伎「白波五人男」へとつながります。利休の孫である宗旦が言った「分相応」を語るいい話です。【4】
 
■「宗旦狐」
 寺町今出川の茶屋が舞台です。利休の孫宗旦が食べた団子の串が話題となります。さらには、筆の話へと、おもしろく展開します。ただし、落ちが見えるので、少しがっかりです。【2】
 
■「中秋十五日」
 丹波篠山藩での、中秋十五夜の茶会の話です。始めは、モタモタしていました。しかし、切れ味のよい、みごとなできの作品です。【4】
 
■「短日の霜」
 上京実相院町の裏店での話です。仇討ちや松江と不昧公が出るなど、仕掛けが気に入りました。ただし、最後がもの足りません。【3】
 
■「愛宕の剣」
 宇治の茶畑が出てくる、今に残る上林家にまつわる話です。ただし、話がまとまりません。ネタがもったいないと思いました。【1】
 
■「師走の書状」
 上京の御所八幡町が舞台です。利休自筆の書状など、やや無理な設定です。いい話なのに、小さくまとまりすぎたようです。【2】
 
■「仲冬の月」
 素性や履歴が不明ながらも、豊臣秀吉の家来で利休七哲にも数えられる瀬田掃部のことから始まります。室町期の絵師のこともよくわかります。瀬田は秀吉のもとで、とんとん拍子に出世します。しかし、やがて離れていくのです。人物の描写がぼんやりとしているのが気になりました。【2】
 
 
※2003年3月 単行本(徳間書店)
 2005年5月 文庫本(徳間書店)
 
 
 

2014年11月 1日 (土)

自動車運転免許証を自主返納せずに更新する

 職場のすぐ近くにある立川警察署で、運転免許の更新をしました。
 以前、車を手放した時から、免許証の返納について意識していました。

「車のない生活へ」(2008/2/13)

 それが、しだいに決心に変わりつつありました。

「心身(12)運転免許を返納するタイミング」(2008/3/18)

 それから1年半後の切り替えの時には、迷いながらも返納はせずに更新しました。
 そして5年が過ぎて、また思案の免許証更新の時期となりました。

 今回は、あまり迷うことなく更新しました。2年半後に東京の荷物を京都へ運ぶことになることと、我が家では私以外に誰も運転免許証を持っていないからです。
 京都に転居を終えた後の次の更新時には、心置きなく返納しているはずです。あるいは、京都に帰ってすぐの3年後には返納しているかもしれません。

 さて、警察署で更新手続きをしている時のことです。

 私の前で視力検査をしておられた女性は、メガネをかけながらも、ほとんど見えないようです。
 丸の一箇所が切れている図を、両目で見る検査です。上下左右の4つしか答えはないのに、いつまでたっても正解を言えないようです。検査官の方も頭を抱え、何度も「これはどこが切れていますか?」という質問を、根気強く延々と、しだいに自棄気味に繰り返しておられました。

 確率は4分の1なので、でたらめでもいつかは当たるはずなのに、それがうまく外れているようです。気の毒なほどの光景でした。それにしても、聞こえてきた内容では運転をしているとのことなので、何とも恐ろしいドライバーです。

 私の順番が回ってきても、隣でずっと検査官の方とやりとりをしておられました。
 私は、下、上、下と、3つ答えて終わりました。

 2冊の交通教本をいただき、別室で安全運転の講習を受けました。


141031_menkyo1


 その講習の中で、いくつかの新しいことを知りました。


141031_menkyo2


 免許証の自主返納に伴い、運転経歴証明書の交付申請期間が、これまでの1ヶ月以内から5年以内に延長されたそうです。大幅な規定の緩和です。

 また、聴覚障害者が運転できる車輌の種類が増え、さらに「聴覚障害者マーク」ができていました。身体の不自由な方に対して、一律に規制するのではなくて、その不自由さの状況に応じた対応をすることは歓迎すべき変更だと思います。

 加齢と身体の状況を睨みながら、その制度の運用には、慎重さと柔軟さをうまくブレンドしていくべきでしょう。運転する人には厳しく、しない人には優遇処置をと、さらに検討を進めてほしいと思いました。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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