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2014年11月 4日 (火)

読書雑記(112)『愛盲―小杉あさと静岡県の盲教育』

 足立洋一郎著『愛盲―小杉あさと静岡県の盲教育』(静新新書 046、静岡新聞社、2014年7月)を読みました。


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 本書は、過日参加した日本盲教育史研究会の会場で入手したものです。
 著者の足立氏は静岡県立浜松視覚特別支援学校の先生で、当日の研究会では「日本のヘレンケラー 小杉あさ」と題して本書を補足する研究報告をなさいました。

「日本盲教育史研究会に参加して(その3/3)」(2014年10月13日)

 私の勉強が追いついていないので、その時の小杉あさのお話は、興味を掻き立てるだけに留まっていました。今回『愛盲』を読み終えて、あらためて人の一生の重みを知りました。
 以下、思いつくままに本書について、読書記録を残しておきます。

 表紙下部の赤色の部分には、次のように本書の紹介文が記されています。


静岡県の盲教育と、視覚障害者福祉に人生を捧げた
「日本のヘレン・ケラー」小杉あさ。中途失明に苦しみ、時代に翻弄され
ながらも視覚障害者の教育に尽力し続けたあさの一生を辿りながら、
静岡県の盲教育とその黎明期に生きた熱い想いの人々を描く。

 小杉あさは、明治33(1900)年6月に東海訓盲院に入学します。19歳の誕生日だった4月29日に完全に失明したあさは、その2ヶ月後に入学したのです。

 私のメモによると、ちょうどその明治33年に、平安時代から続く平仮名のうち、小学校令施行規則の第一号表に48種の字体だけが示されています。以後この平仮名が公教育において教えられるようになり、一般に普及して現在に至っています。

 小杉あさは、この現行の平仮名が普及する時に合わせたかのように、正式な教育を受け始めたことになります。中途失明であっても、あさがどんな方法で文字の読み書きをしたのか、興味深いところです。

 学校での授業の様子が、『静岡盲学校八十年誌』に掲載されたあさの語りとして、本書に引用されています(34頁)。
 それによると、教師が『国定教科書』を読みあげるのを聞いて、それを生徒は点字で書写して自分用の教科書を作っていたようです。

 また、石川きくの回想談を引いて、著者は次のように言います。「古今集や新古今集の点訳」などのことばが目を引きます。太字は私に施したものです。


あさの先輩石川きくは「校舎も無く寄宿舎で畳の上に坐して、読み書きを致すと云ふ貧弱な窮屈なことには成りましたが内容は全く此れとは違つた華やかな時代で生徒は漸次其数を増加し、豊かな情操教育を授けられまして、古今集や新古今集の点訳を始め名家の美文を写しては出来ぬながらに、それを手本として第一、第三の日曜日は文学会を開き、作文や試作(ママ)をして先生方の批判を頂きました」と当時を振り返っている(『盲唖の黎明』、以下『黎明』)。
 古典の点訳や素読は尋常科の国語の授業で指導されたのだろうか。それをもとに第一、第一日曜日には文学会が開かれ、詩作などが盛んに行われた。教室もなく狭い寄宿舎といえど、生徒たちは深奥な古典の世界に浸り、果てしもなく大きな思索の世界に踊った。貧しい環境とは裏腹に、そこには豊かな教育があった。(38、39頁)

 盲学校と聾唖学校を分離させるため、苦悩の歴史を歩む小杉あさの姿も、印象的に語られています。この違いは、大事なことであることを教えられました。また、中途失明者の悲哀と苦悩に想いを寄せる姿も感動的です(86頁)。

 あさは、多くの人々に支えられて生きたのです。そして、支えられたということは、それだけ人を支えたと言うことでもあります。信念というものの大切さが、行間から伝わってきました。

 点字は、1825年にフランスのルイ・ブライユが考案しました。当時パリでは、浮き出し文字で授業をしていたようです。しかし、その困難さから、軍隊用の夜間文字だった12点の暗号をもとにしながら、ブライユは6点の点字に進化させたのだそうです。ただし、それがフランスで公認されたのは、1854年でした。

 このブライユの6点点字が、日本では小西信八を経て石川倉次へ研究が依頼されました。最初は8点による点字を考えました。しかし、また6点にもどり、今の日本点字の翻案となります。明治23(1890)年のことでした。

 なお、点字のことを英語で「ブライユ(Braille)」と言うのは、人名ブライユに由来するものです。また、6点すべてを使った点字を「め」としたのは、石川の熱い思いからだそうです。
 こうした裏話にも、人々の生きざまが反映していて興味を抱きました。

 当時の仮名文字研究会が点字の考案に役立っていたことは、私自身でさらに詳しく勉強したいと思います。

 本書には書かれていない、さらに多くの困難があさにはあったはずです。それを前面には出さずに構成し再現されたあさの自画像が、この一書に結実しています。
 私は静岡県の人脈が持つ人の温かさも感じました。東海訓盲院の存在は、本書が描き上げた施設の意義を越えて、それ以上の価値を教えてくれました。

 なお、補論の「ヘレン・ケラーの来静」に「来日したヘレン・ケラーは準国貧級の大歓迎を受けた。」(156頁)とあります。再版の際には「国賓」にしてください。駄弁とは知りつつ、最後になって誤植に出会い、本書の意義と著者の篤い思いを理解できただけに、この1文字で印象が変わることがもったいないと思いましたので。妄言多謝。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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