« 国際シンポジウム「男たちの性愛―春本と春画と―」のご案内 | メイン | 読書雑記(113)松永兄弟の遺稿集『戦争・文学・愛』 »

2014年11月20日 (木)

知的財産セミナーで権利について学ぶ

 「人間文化研究機構 知的財産セミナー」が国立歴史民俗博物館のお世話で開催されました。
 職場で知的財産に関することを担当していることに加えて、今回も非常に興味深いテーマだつたので、さまざまな仕事を調整して参加しました。

 会場は、六本木にある泉ガーデンコンファレンスセンターでした。地下鉄六本木一丁目駅のすぐ上だったので、小雨も気にせずに行けました。
 いつもは、こうした都心を通過して、郊外の多摩地区にある立川への東京横断の旅をしています。そのせいか、首都東京のエレベーターの大きさに驚きました。乗り口のドアが余りにも広いので、隣のビルに行く通路かと思いました。次の写真の右側が、そのエレベーターの乗り口です。

141120_tree



 本日のテーマは、「資料の研究・公開と個人情報の利活用ルール」です。
 事前に配布された通知には、次のように書かれていました。


 研究機関・博物館などにおける過去の資料の研究と公開には、「個人の写真やプライバシーといった個人情報をどう扱えば良いのか」という疑問がつきまといます。果たして、個人の写真・映像・履歴などの「パーソナルデータ」は、どんな目的で、どこまで使うことが出来るのか。出来るべきなのか。首相官邸「パーソナルデータに関する検討会」での制度改正論議も踏まえて、基本から共に学びます。

 講師は、骨董通り法律事務所代表パートナーの福井健策氏でした。
 ご著書に、『著作権とは何か』(集英社新書)、『著作権の世紀』(集英社新書)、『契約の教科書」(文春新書)、『『ネットの自由』vs. 著作権』(光文社新書)、『誰が情報を独占するのか-デジタルアーカイブ戦争』(集英社新書)などがある方でした。お話が具体的でおもしろかったので、ご著書を見かけたら読んでみたいと思います。

 本日のお話は、デジタルアーカイブのことから始まりました。
 そして、権利者不明問題、個人情報は法体系が統一されていない、個人情報保護法は部分的なもの等々、内容は多岐にわたり、2時間という枠にはとても収まるものではありません。

 中でも集中して聞いたのは、肖像権(肖像プライバシー権)に関することでした。「自己の容貌・姿態をみだりに撮影・公表されない権利」です。
 しかし、これもその線引きが難しいことも実感しました。

 私は本ブログなどで、できる限り写真を使うようにしています。しかし、人が写っている時には、丹念に顔から個人が特定できないように手を加えています。集団の場合などは、そのために時間を取ることにもなります。
 フォトショップに感謝しながら、手間ひまを惜しまずに迷惑にならないように配慮しているつもりです。しかし、それでもどうしたらいいのか迷うことがしばしばあります。研究会やシンポジウムの時などは、特にそうです。

 個人的ではありますが、公開性の高いものかどうかを、自分では判断の基準にしています。
 非営利目的のプライバシー写真は、相手が活動中であれば認められることが多い、とのことでした。
 また、個人や歴史上の人物の手紙と日記は、プライバシー以前の未公表著作物なので、引用して公表できないそうです。これなども、私はブログ等で情報収集活動を展開し、それを整理して公開する中で研究成果へと導く手法をとっているので、大いに関係する事案です。
 今後とも、こうした事例と判断基準を、経験値によって培っていくしかなさそうです。

 本日のお話によると、暗黙の了承、了承の範囲、時間の経過、受認限度論等々、専門的にはいろいろと問題があるようです。
 そのような中でも、次の項目については、今後の写真掲載にあたっての判断基準となりそうです。


①被撮影者の社会的地位
②撮影された活動内容
③撮影の場所
④撮影の目的
⑤撮影の態様
⑥撮影の必要性

 私の場合は、そのほとんどが「専ら顧客吸引力の利用を目的とする場合」には当たらないので、侵害の程度は低いと言えそうです。そうはいうものの、相手がどう思い、どう感じるかはまた別問題です。

 また、「モノパブ」といわれる「物のパブリシティ権」については、今回のお話で知見を新たにしました。
 観光地、国立公園、世界遺産、服飾デザイン、特徴的な商品等々については、著作権法46条(建築と公開の美術の著作物)との関連で、法的には許可なしに公開できるようです。著作権がないからです。しかし、微妙なことも多いので、もう少し知っておく必要がありそうです。

 これらが、個人情報保護法に関わることになると、もう私にはひたすら判断材料としての知識をいただくしかありません。自分なりの判断基準は持っているつもりです。しかし、専門家ではないので、それがどこまで通用するのかは自信がありません。これは、誰もがそうなのでしょうが……

 今回のお話を通して、問題が細分化した場合に個別のケースで判断に迷うことが多い、ということがよくわかりました。
 そのためには、とにかく「自己責任のもとに自主的なガイドラインを作ること」が大事だということです。

 個人に関わるさまざまな権利については、白黒の決着が付けられことは少なのです。権利の侵害か否かの境界線は常に曖昧です。
 そのためにも、各自が「おおむね妥当だと思われる判断に基づくリスク」を、常に心がけておく必要があります。そして、あくまでもリスクは定量的に判断すべきものである、ということも、自分に言い聞かせて行きたいと思いました。
 
 
 

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

Powered by Six Apart
Member since 07/2008