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2014年11月28日 (金)

バリアフリーやユニバーサルデザインから学ぶこと

 本日の毎日新聞に、「<記者の目>視覚障害者の一人歩き=佐木理人(点字毎日部)」(2014年11月28日)という記事が掲載されていました。

 目の不自由な方と一緒に古写本『源氏物語』を読む方策を探るようになってからというもの、こうした記事に反応するようになりました。目が見えない方の「物の見方や考え方」を知りたい、と思うようになったからでしょう。

 私の視野に入ってこなかったものが、こうして日々気付き、目に留まるようになりました。これは、自分にとって大きな進歩だと思っています。

 これまであまり気付かなかった白杖を持った方が視界に入ったり、点字ブロックが一列では擦れ違う時にぶつかるのではないかとひやひやし、盲導犬を見かけるとその動きを目で追ったりします。

 過日、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんが、地下鉄駅のセーフティガードに取り付けられた点字板が、手首を直角にしないと触読できないので大変だ、と語ってくれたことを思い出しました。

 実際に、近くの地下鉄でその実態に気付いたので、写真に撮ってみました。


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 確かに、「2号車3番ドア」と書いてある部分に、点字でもそのことが刻印されています。
 これが貼られている位置は、両開きのゲートの左側です。


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 しかし、これでは、立ったままで触読しようとすると、手首を直角に当てることになり、腕の筋肉がひきつります。また、右手で触読しようとすると、足が点字ブロックからはみ出す位置になります。

 もしこの案内シートがゲートの右側で、しかもその上の傾斜している天板の位置であれば、ちょうど肩の高さなので手首の負担も軽く、自然な形で点字が触読できます。

 おそらく、このシートを貼る時には、そこまで考えてのことではなかったのでしょう。
 もし触常者の視点で貼られていたら、この位置にはならなかっただろうと思われるからです。

 一昨日、「読書雑記(114)三宮麻由子『目を閉じて心開いて』と『源氏物語』」(2014年11月25日)という記事を書きました。
 そこでは触れなかったことに、三宮さんの『目を閉じて心開いて—ほんとうの幸せって何だろう』(岩波ジュニア新書、2002年6月)には、バリアフリーと車椅子優先の話がありました。著者である三宮さんの体験に裏打ちされた言葉だと思われます。
 その文章を抜き出していたので、以下に引用します。


 バリアフリーというのは、本来「みんなが」バリアから解放されることを意味するはずである。ユニバーサルデザインとは、本来「みんなが」ハッピーになれる設備や商品のはずである。ところが視覚障害者の目から見ると、どうもバリアフリーというよりは「車椅子対応」と言いたくなるようなケースが多い気がしてならない。道路の段差をなくしたり、車椅子で利用できるエレベーターが設置されたりすると、「バリアフリー施設」などと看板が立てられたりする。またユニバーサルデザインというと、かなりのケースで「高齢者対応」と言えそうなものが見受けられる気がする。つまり、あるところで一部の弱者に配慮が加えられているものを「バリアフリー」と謳ってしまうと、その一部の人々よりもさらに困っている人々にとっては大変中途半端な配慮ということになって、かえって歯がゆい思いが強くなったりするように思えるのである。
 たとえばエレベーターを考えてみると、たしかに車椅子対応のエレベーターにはたいてい点字のボタン表示がついていて、一見私たち視障者にも配慮が加えられているかのように見える。事実、配慮が加えられてはいるのだから、そこで満足したいところではあるのだ。点字があることで、ずいぶん助かってもいる。だがしかし、本当はその上に音声案内がついていなければ、現実に利用するにはかなり不安なのだ。車椅子・点字対応のエレベーターの中には、この音声案内のないものがときどき見受けられる。これでは、たとえ点字表示があっても、目の前にドアを開いたエレベーターが上に行くのか下に行くのか分からない。上のボタンを押したからといって、目の前に現われたエレベーターが必ずしも上に行くとは限らないからだ。
 さらに、いま乗っているエレベーターが何階に止まったのかを知るにも、点字だけでは降りていちいち確かめなければ分からない。音声で知らせてもらえれば、乗ったまま、ここで降りるべきかそうでないかの判断がすぐにつく。おまけに、現在目の見えない入々のうち、点字が読めるのは一、二割、つまり一〇人に一人か二人しかいないそうである。だから理想的には、車椅子対応のエレベーターに点字表示と音声案内の両方が完備されていれば、私たちは心から安心して利用できるのである。(91~93頁)

 この文章を読んでから街に出ると、確かに障害者への配慮は車椅子の高さになっていることが多いように思われます。もちろん、足の不自由な方も外出される機会が多い昨今、社会としてはそれでいいとしても、目の不自由な方に対する配慮と確認も平等に必要だと思うようになりました。

 今すぐに自分がどうできるものではないとしても、こうした問題があることに気付くことができたので、ここに記して問題意識を共有したいと思いました。

 そして、懸案の触常者と一緒に古写本『源氏物語』を読む環境作りにおいては、音声による案内の意義を再認識しているところです。
 変体仮名を指でなぞって触読しながら、音声がその理解を助けるシステムを構築すれば、実現への展望が開けるような気がしだしました。
 思案と試行錯誤の日々は、まだまだ続きます。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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