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2014年12月 2日 (火)

読書雑記(115)大胡田誠著『全盲の僕が弁護士になった理由』

 昨夜(平成26年12月1日午後9時より2時間)、TBS系列で放映された[月曜ゴールデン特別企画『全盲の僕が弁護士になった理由 〜実話に基づく 感動サスペンス!〜』]の原作となった本のことを記録として残しておきます。
 大胡田誠著『全盲の僕が弁護士になった理由 あきらめない心の鍛え方』(2012年3月、日経BP社刊)がそれです。帯には、次のように書かれています。


困難と闘う すべての人へ
「だから無理」より
「じゃあどうする」のほうが面白い!

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 昨夜のドラマのように、全盲(触常者)の弁護士のもとに持ち込まれた離婚話や、工場での殺人事件を解決したことが本書に書いてあるわけではありません。
 本書の内容が一覧できるように、目次をあげておきます。


はじめに
序章 ある受刑者からの手紙
    見えないから、見えてくるもの/ある受刑者からの手紙
    痛みに寄り添う/被害者に土下座/声にならない声
第1章 全盲弁護士の仕事術
    弁護士はつらいよ/最後の受け皿/いつもマイナスからのスタート
    アシスタントと二人三脚/IT機器を駆使する/耳で読む
    見えなくても、何とかなる/法廷で勝つために
    毎週ハーフマラソン/安心できる町医者
第2章 光を失って
    生い立ち/先天性緑内障/「肉を食べてはいけない」
    小学校は特等席/一番の理解者/特別扱いしないという「特別」
    7歳で富士山登頂/最後の景色/初めての絶望/故郷を去る決意
    毎日が合宿/人生を変えた一冊/門前払い/住む場所がない
    差し伸べる手/憧れの人との対面
第3章 司法試験
    出だしでつまづく/初挑戦で木端微塵に
    孤独な闘い/ロースクールへ/法務省の門戸を開く
    36時間30分/新司法試験始まる/限界の先にある自分
第4章 家族
    全盲のパートナー/一期一会/会話の多い夫婦
    「助けられ上手」になること/震災、そして出産/全盲夫婦の子育て
    人と人とは鏡映し/あげられないもの、あげられるもの
終章 見えない壁を打ち破る
    17人に1人は障がい者/悪意のない差別/一言で世界が色づく

 著者である大胡田氏ご本人は12歳で失明、3歳下の弟は11歳で失明ということで、非常に困難な家庭環境が推し量られます。しかし、両親の理解と温かい見守りの中で、著者である兄は弁護士に、弟は県立高校で英語の教員にと、能力を遺憾なく発揮しての生活をしておられます。

 全編を通して、自分のことや家族のことを、ありのまま率直に語っておられます。日常に始まり、素直な思いが綴られているので、身構えて読みそうなところが少ないのがいいと思いました。
 必死に、がむしゃらに生きて来られたはずなのに、それをあけすけに朗らかに語っておられるので、読む側の負担も軽減されます。
 この手の本にありがちな、悲壮感や同情を共有させられることはないので、好感のもてる文章となっています。それでいて、各所で感心し、感激もしました。

 静岡県の伊豆に生まれ、沼津に移ったとのことなので、井上靖を思い起こさせる生い立ちです。先般記した「読書雑記(112)『愛盲―小杉あさと静岡県の盲教育』」(2014年11月04日)にも思いが及びました。静岡県に親近感を抱くようにもなりました。

 本書を読みながら印を付した箇所を、以下にメモとして引用しておきます。

 著者は、人の心を的確に読み取ることに長けておられます。それは、目が見えないことから、聞こえる音声で人を判断しておられることに起因するものです。音声に対する指摘は、我が身に当て嵌めるとドキッとすることでした。確かに、私も声では正直に自分をさらけ出しているのでしょう。これは意外な指摘です。


 自分の感情を初対面の相手にストレートに出す人はほとんどいない。相手への気遣いや警戒心、恥じらいや後ろめたさを誰でも持っている。目が見える人は、無意識のうちにまず表情を作る。しかし、声となると正直なものだ。言葉を選ぶことはできても、息遣いや抑揚、間のとり方まで装うのは意外と難しい。(10頁)

 目が不自由な触常者が、最近では電子機器を駆使しておられる実態も、詳細に語られています。この点は、触常者がおかれている環境を理解するのに、大いに役立ちました。
 身近には、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんがおられます。確かに彼も、情報機器を駆使しておられます。これは、これからのお付き合いにおいて、知っておくべきことです。
 その意味でも、障害を持った方が、どのような方法でコミュニケーションをとっておられるのかは、見常者である我々は知る必要があります。そうでないと、余計なことに神経を使い、知らないために遠慮をしたり、誤解をしかねないのです。


 読み書きが難しい視覚障がいは、長年、「情報障がい」とも言われてきた。しかし、IT機器の進歩によって健常者との格差は大幅に縮んできている。(中略)
 最近では、点字の電子手帳が普及しつつある。「点字電子手帳」は筆箱ほどの大きさの機械で、中には大量の点字データを記憶するメモリーが入っている。値段は1台20万円と高性能パソコン並みだが、僕にとってはなくてはならない道具になっている。毎日のスケジュールや、依頼者との面談のメモなど、大事な情報は何でもこれに記録する。本体の上面には15文字ほどの点字を表示できるディスプレーがあって、小さな突起が忙しなく出たり入ったりして次々と点字を表示する。
 本体の上面にはディスプレーのほかにボタンがいくつかついていて、これを両手でタイプして点字データを入力する。USBでパソコンなどにつなげば、外部から点字データを取り込むこともできる。ネット上には、ボランティアが点字に翻訳(点訳)した小説などのデータを提供しているサイトがある。それをパソコンでダウンロードしてから点字電子手帳に取り込んで、通勤時間などに読むのが僕の毎日の楽しみの1つになっている。
 事務所には、紙に点字を打ち出す「点字プリンター」も置いてある。これをパソコンにつなぐと、ワープロソフトで作成したテキストなどを点字として打ち出してくれる。ただ、打ち出す際の音が昔のドット・インパクト・プリンターよりもさらに数段うるさいのが難点だ。
 スピーチなどでこうして打ち出した点字の原稿を手元に置いて指でなぞりながら読むと、正面を向いたまま、まるで原稿なしでしゃべっているように見える。(48~49頁)

 次の、大学の授業での体験は、今はどのような状況になっているのでしょうか。現在が知りたくなります。その意味からも、触常者が活用している電子機器に関する情報は、もっとまわりに語られてもいいと思いました。


 大学でも障がいを理由に、ある英語の授業の履修を断られたことがあった。その授業は、毎回英字新聞のコピーを配布して、それを教材にして講義をする形式だった。僕にはそのコピーが読めないから履修はできないというのだ。
 しかし、授業の前日までにコピーを渡してくれれば、スキャナーでパソコンに取り.込んで、音声で予習をしてから授業に臨むことができる。なぜ、話を聞きもせずに、初めから「できるはずがない」と決めつけてしまうのだろうか。(112~113頁)

 視覚に障害を持つ触常者の実態は、意外なことが多いものです。
 点字は、触常者のほぼ全体に普及していると思っていました。これは、認識を新たにさせられます。


 実は意外と知られていないのだが、全国に約30万人いる視覚障がい者のうち、点字を満足に読み書きできるのはおよそ1割にすぎない。大人になってから視力を失った中途視覚障がい者では、点字をまったく読めない人も多い。
 仮に読めたとしても、何歳から点字を覚え始めたかで、読める速さは全くと言っていいほど異なる。健常者も文字を読む速さは人それぞれだが、点字ではそれとは比べ物にならないほど大きな個人差が生じる。例えば、12歳で視力を失った僕よりも、生まれつき目が見えず点字で言葉を覚えた妻の亜矢子の方が、2倍も速く読める。(143頁)

 読み進んでいるうちに、著者が書かれている、「障害」でも「障碍」でもなく「障がい」と書く理由を、知りたくなりました。どこか他のところで、この用字について語っておられるのでしょうか。ご教示いただけると幸いです。

 本書は、日ごろはなかなか知ることのない、障害を持った方が素直に語られる、その心の中が伝わってくるものです。自分の意識を再認識する上でも、いい本との出会いとなりました。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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