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2014年12月23日 (火)

お茶のお稽古の後に視覚障害者のことを想う

 9月以来のお茶のお稽古です。
 毎年、炉の季節になると学会シーズンと重なり、なかなかお稽古に行けません。
 久しぶりに来ると、平群町に名所旧跡の案内標識が増えていました。


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 コミュニティバスが、相変わらずえっちらおっちら坂道を登っています。


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 今日は、花月のお稽古です。
 数人で折末に入った木札を取って役割を分担する、ゲーム性を取り入れたお茶が楽しめます。
 もっとも、まだ見よう見まねの私は、言われるがままにお茶をいただき、席を替わっていました。
 それでも、しだいに参加者の役割がわかってくると、多くの要素が盛り込まれていて、いい勉強になります。状況に応じた自分の役割というものを学ぶ、修練の要素が強いものだと思われます。

 花月が終わってから、丸卓を使った薄茶のお稽古もしました。
 久しぶりながらも、流れがわかってきたので、次は何をするのかはほぼわかってきました。ただし、それがスムーズにいかないのです。考え考えなので、まだまだです。
 お稽古の回数を重ねて、身体で覚えるしかないようです。と言うよりも、なかなか時間が取れないのが課題です。

 お稽古の後にいろいろな話をする中で、目の見えない方はお茶はできるだろうか、ということになりました。火傷をしたら大変だから、ということに落ち着きます。
 ところで、茶人で目が見えない方は、過去にいらっしゃったのでしょうか。
 また、現在お稽古をしておられる方は、どうでしょうか。

 早速いろいろな情報を集めてみたところ、全国各地で視覚に頼らない茶道を楽しむイベントがあることを知りました。ただし、いずれも体験してもらう、という趣旨での企画のようです。

 かしかに、お茶を点てるのは、視覚に頼る動作が多いので困難を伴うことが多いと思います。しかし、お手前をいただくことにおいては、目が見えなくても何も問題はありません。

 それよりも、本当にお茶を点てることはできないのだろうかと考えると、お点前を工夫するとできそうです。というよりも、すでになされていることでしょう。

 お茶道具が置かれたり置く位置は、畳の何目空けた場所などなど、決まっていることが多いのです。自分が座っている場所や向きも、一応の了解事項の中で進行していきます。
 物と自分の間合いがわかっていれば、見えなくてもお茶の作法は特別なことではなくなります。約束事の中に、物があるのです。空間の中の自分の立ち位置がわかれば、それでお茶を点てたりいただいたりできるはずです。

 こんな疑問を持ち出したのを機に、少し調べてみようと思います。

 帰りの京都駅前では、ちようどアクアファンタジーが始まっていました。


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 冬の夜空に飛び跳ねるレインボーカラーの水芸。
 前景にはLEDの電飾をまとった冬枯れの枝々。
 背景には蝋燭をイメージした京都タワーが一本。
 この街は新旧の文化が混在して息づいています。
 摩訶不可思議な光景が駅前の広場に展開します。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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