« 「変体仮名混合版」の翻字校正に関する最初の成果報告 | メイン | 祝「日本盲教育史研究会」の公式ウェブサイト公開 »

2015年1月31日 (土)

読書雑記(117)嶺重慎・広瀬浩二郎編『知のバリアフリー』

 『知のバリアフリー 「障害」で学びを拡げる』(嶺重慎・広瀬浩二郎編/京都大学障害学生支援ルーム協力、京都大学学術出版会、2014.12)を読みました。私が現在抱え込んでいる問題意識に、多方面から知的刺激をもらえる本でした。


150131_hirosebook


 その問題意識とは、目の不自由な方々と一緒にハーバード大学本『源氏物語』が読めないか、というものです。
 普通の墨字が読めない方が、それも変体仮名など読めるはずがない、というのが一般的な反応です。しかし、私は可能だとの確信を抱いています。精神論ではなくて、具体的な感触としてそう思っています。そのための試行錯誤も始めています。

 今後は、その具体的な成果を少しずつ提示して確認しながら、牛歩のさまであっても、一歩ずつ前に向かって進んで行くつもりです。その意味からも、本書からは多くのヒントをいただきました。

 本書の目次の詳細は、「京都大学学術出版会のホームページ」で確認できます。

 巻頭には、触ってわかる触地図が2種類付されています。琵琶湖周辺の地図が、点図(凹凸の点線や点のパターン)とサーモフォーム(プラスチックシートの真空熱処理成形)によって、触る口絵となっています。次の写真は、サーモフォームの地図から、比叡山・京都駅・平等院の部分を抽出したものです。京都駅と平等院の位置を示す○の下に、点字で「きょーとえき」「びょーどーいん」と書かれています。中央を左右に走る太い波線は東海道新幹線です。


150131_tizu_2


 平面の高低や凸部のエッジが指に感触として伝わるので、筆で書かれた仮名文字の認識を課題としている私にとって、これを触るとイメージが拡がります。

 本書は、さまざまな方々が「障害」を切り口にして、大学などにおける実情をもとにした「障害学習」について語るものです。その内容は20人の方々の「物の見方や考え方」が、多岐にわたって展開します。聴覚障害に関する部分からは、古写本を触読する際に「音」が果たす役割を考えるヒントをいただきました。

 以下では、私がチェックした箇所を引用することで、これからあれこれ考えるための手控えにしたいと思います。
 多くのヒントが鏤められた本なので、課題にぶつかる度に本書を繙くことになると思います。
 


■「現在の学問体系は、ほとんど障害者の存在を前提にしないところで成り立っています。「障害学習」という新しい視座で学問の再構築を行い、その成果を社会に発信することが、21世紀における大学の役割ではないでしょうか」(嶺重、 ix 頁)

■「視覚障害者にとって日本史はハードルの高い学問分野です。点字使用者が自力で古文書を解読するのは不可能ですし、ボランティアも専門知識がなければ、史料を正確に点訳・音訳できません。古文書については、大学院の先輩に「チューター」という形で音読・パソコン入力していただき、どうにかこうにか論文を読み書きしました。」(広瀬、11頁)

■「皮肉なことに、本来、学生の理解を助ける手段である視聴覚教材を使用することが、障害学生に対する情報伝達をより複雑なものにしています。たとえば、ビデオを使用する場合、聴覚障害学生には、字幕の付与や内容の解説文が必要になります。」(佐野、25頁)

■「私は、「自分の出している音」がわからないことに最も悩みました。生活音の問題です。私の母は健聴者で、聞こえる人の立場から、聞こえない人がどう振る舞う必要があるのかを教えてくれます。そのアドバイスの中に、生活音に気をつけたほうが良い、というものもありました。聞こえない人は自分の出す音に無頓着になりがちだから、知らず知らずのうちに周囲の人に不快な思いをさせている場合もあるかもしれない、と。でも私は自分の出している音がどうしてもわかりません。一人暮らしを始めてしばらくの間は、どんな音が迷惑なのかよくわからず、家事ひとつにもひどく気を遣いました。」(岡森、53頁)

■「iOSやAndroidなどのモバイルOSではVoiceOverやTalkbackといったスクリーンリーダーが標準搭載されるようになりました。とてもすばらしいことです。アプリケーションの開発者がアクセシビリティに配慮して開発を行えば、障害のある人もない人も使えるアプリケーションを開発することができます。また点字携帯端末をスマートフォンに接続することもできます。これにより、点字携帯端末でスマートフォンを操作したり、メールやチャットなどを点字で読んだり書いたりできるようになります。」(石川、91頁)

■「昨日できないことを今日はできるようにしたい。今日わからないことを明日はわかるようになりたい。そういう気持ちをエンパワーするのがアクセシビリティなのです。」(石川、97頁)

■「「みんなと同じにできるように頑張ろう・努力しよう・鍛えよう」と考える前に、「自分なりに楽にできる方法はないか?」と一緒に考えます。「迷惑をかけないように」と考える前に「困ったときは周囲に頼んでみよう」と実際にやってみます。「できるだけ間違わないように」ではなく、合い言葉は「失敗は学ぶチャンス」、周囲も「転ばぬ先の杖を出さないように」だったりします。」(近藤、100頁)

■「ヘレンケラー・ホーンとは、画面をなぞる指の動きを察知して文字情報を得る電話なのでした。上下、左右の指の動きの組み合わせで点字を入力でき、スマホが点字のパターンに合わせて振動することによって、使用者は自分の入力を確認することができます。あっと驚く発想の転換です。」(嶺重、139頁)

■「アナログ的な情報の取り扱い、たとえば、古文書などもその例です。草書などで書かれた手紙などはまず読めません。その内容を知るだけなら、他人に読んで貰ったり、点訳して貰ったりすることで解決できるかも知れませんが、その文字をどう読むかが問われる場合には対応は不可能です。」(尾関、208頁)

■「私は、すべての視覚障害者に、とは言いませんが、希望する者には、漢字・漢文の教育が十分に与えられるよう希望します(高等部の選択科目で十分でしょう)。そのためには、点字で漢字を表現する方法を工夫する必要があります。現在、8点や6点の漢点字と呼ばれるものがありますが、この目的のためには不充分に思われます。」(尾関、211頁)

■「明朝体は、漢字の横線などに細い線が使われており、弱視の方には見えにくいのです。すべての線が同じ太さで、線と線がくっついているところ、離れているところがはっきりわかることが、読みやすいフォントの条件です。」(嶺重、219頁)

■「見常者(見ることに依拠して生活する人)中心の社会で視覚障害者が「健康で文化的」な日々を過ごすためには、苦労と工夫が必要です。苦労を克服(軽減)するのが「障害者史」、工夫を積み重ねるのが「盲人史」という発想になります。
(中略)
「同じ」を追求する進化が障害者史、「違う」にこだわる深化が盲人史につながっています。」(広瀬、234頁)

■「共活のポイントは、複数の基準を持つことです。「盲=目が見えない」は現代日本では否定的にとらえられており、少なからぬ盲学校が「視覚特別支援学校」に名称変更しました。公文書等では「盲人」に代わって「視覚障害者」が使用されています。それでは、「盲=視覚に依拠しないライフスタイル」と定義してみてはどうでしょうか。すると、「盲」のプラスの要素が浮かび上がってきます。」(広瀬、255頁)


 
 
 


コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

Powered by Six Apart
Member since 07/2008