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2015年1月14日 (水)

わが父の記(6)弁当箱で父の歯が折れたこと

 先週から、歯痛に悩まされています。
 頬が垂れ下がるほどに腫れていたので、マスクが手放せませんでした。
 今も、人前では顔を、というよりも頬っぺたをマスクで覆っています。
 風邪のシーズンということもあり、対面していてもあまり違和感はないようです。

 右目がだるくなり、常に頭が重たいので、無理をせずに身体を休めることにしています。

 その歯については、あまりいいことを思い出しません。
 もっとも、歯で楽しいことを思い出すことなど、逆にあるのでしょうか。
 テレビのCMに出てくる、キラキラ輝く歯の方との出会いも、残念ながらありませんでした。

 歯の本来の役割を考えると、生活と密着したものなので、楽しさとは結びつかないのでしょう。

 歯といえば、父の歯のことを思い出します。
 私の不注意が原因で、父は入れ歯になったのです。
 その父が亡くなって、今年の5月で32年になります。

 小学校に入る前のことでした。
 父は大阪の土木現場へ出稼ぎに行き、母が、姉と私を生まれ育った出雲で育ててくれていた頃のことです。
 父は年に2、3度、たくさんのお土産を抱えて、大阪から帰って来ました。

 両親は艱難辛苦の末、命からがら満州から引き揚げてきました。
 『桜子は帰ってきたか』(麗羅)という第1回サントリーミステリー大賞読者賞を受賞した小説は、私にとっては両親が満州を彷徨った話を思い出す本となっています。
 ただし、父は小説のように満州で殺されたのではなく、シベリアで強制労働をさせられて復員したのですが。

 父のシベリア抑留生活に思いを馳せる話は、ちょうど5年前の「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年1月17日)に記した通りです。

 さて、私が小学校に入る前の、出雲での話でした。
 父が、出雲の小さな市営住宅に帰ってきていた時のことです。
 夕食の時、母からお弁当を出しなさい、と言われました。
 すぐに布のカバンから何気なしに母に渡したはずのアルミ製の弁当箱が、どうしたことか小さな丸い食卓を挟んで私の向かいに座っていた父の歯を直撃したのです。

 今思い返しても、なぜそんなことになったのかわかりません。
 久しぶりに父がいて、嬉しさのあまりに興奮し、私が調子に乗ってふざけながら渡したのかもしれません。

 とにかく、父の前歯が確か2本折れたか割れてしまったのです。

 怒られる、とビクビクしていたのに、父も母もいつものようにニコニコしていたことだけを覚えています。


150114_parents


 あの出来事は何だったのでしょうか。
 いまでも、両親が優しく私を咎める目つきで見たことしか、思い出せないのです。
 怖くも何ともない、それでいて「だめだよ」という、たしなめる目でした。

 以来、父の前歯が入れ歯になりました。
 貧しかった我が家で、入れ歯を作るなど法外な出費となったことに違いありません。
 両親は、その費用の工面に走り回ったことでしょう。
 父の口元を目にするたびに、心の中で「ごめんなさい」とつぶやいていました。

 優しい目で叱る、ということはできるようです。
 すでに両親が共にいない今、あの時の気持ちを聞きたいのですが、……
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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