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2015年2月16日 (月)

再録(18)パンチカードから思い出すままに

 〈へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】(3年目/1997.10.1〜1998.9.30)に、今から40年ほど前にパンチカードを使っていたことから、その後のパソコン利用の一端を記事にしています。
 パーソナルなコンピュータ遍歴史の一部として、以下に再録しておきます。

 なお、パンチカードの実態については、この次に記します。
 
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 
  〔年賀状で19年前を思い出す〈1998.1.4〉〕
 
 
 今年いただいた年賀状の中に、すっかり忘れていたことを思い出させてくれるものがありました。次のような文章です。


 机で、カードのはしにパンチで穴をあけて、あみ棒のような物をさしこんでいたのを思い出しました。
 棒をふってバラバラとおちてくるカードを見ながら「手動式コンピュータ」とか言っていたと思います。
 あとをかたずけるのが、とてもたいへんそうでした。

 今から19年前に、私はこんなことをしていたのです。「パンチカードシステム」というものでした。恥ずかしくなるような話ですが、これは1979(昭和54)年のことです。拙著『新・文学資料整理術パソコン奮戦記』(34頁、昭和61年、桜楓社刊)に、この辺の事情を書いています。私が初めてコンピュータなるものに触れる、丁度一年前のことです。

 世界初の情報処理用のチップとしてのCPUは、インテルという会社が1971年に作りました。もっとも、これは日本が発注した電卓用であって、コンピュータとはまだ結びついていません。
 1976年に、NECがTK-80というトレーニングボードを発売します。1980年に、私が初めて触ったコンピュータがこれです。
 その後、Apple II・TRS-80・PET-2001・BASIC MASTER LEVEL1・MZ-80Kというものを、大阪日本橋の電気屋で触りました。お店に並ぶコンピュータに触れたのは、発売から相当時間がたってからでした。
 1979年になって、やっと日本初のパソコンと呼べるPC-8001が発売されたのです。このコンピュータが、私が最初にマスターしたパソコンと言えるものです。もっとも、最初はパーコンと呼ばれていましたが。

 その後、パソコンと呼ばれたマイコンは、とにかく日常生活に投げ込まれ、そして溶け込むように仕組まれてきました。しかし、コンピュータ業界の身勝手な思惑に反して、依然として未熟な情報処理機器であることを、今でも各所で露呈しているのが実体です。さらに進化を遂げて、快適な生活のために、より一層貢献してほしいものです。そのためにも、我々はコンピュータ業界に資金援助をしているのですから。

 それにしても、今のパソコンは、思ったほど進化しなかったように思います。まだまだ日常的にトラブルが多発し、使用を中断して技術屋さんに修理や調整をしてもらうことがよくあります。各メーカーやソフトハウスのユーザーサポートの電話は、今でもなかなか繋がりません。それだけ、使えなくて困っている人が溢れているということです。身近にアドバイスをもらえる知人がいないと、パソコンは十分に活用できないというのが実状でしょう。
 自動車のようにパソコンが進歩しなかったのは、メーカーが先端技術を追いすぎたために、利用環境をかえりみなかった怠慢が原因だったと、私は思っています。

 まだまだ、コンピュータ業界はやるべきことがあるはずです。豊かな生活の環境づくりを手助けするためにも、今しばらくコンピュータ業界を育成するためにも、我々一般ユーザーは、莫大な資金と膨大な時間を投資しつづけることになると思われます。それが、我々ユーザーのささやかな支援だとも言えます。コンピュータ業界の方は、こうした浄財と献身を有効に生かして、より快適な社会を支える情報機器を開発・提供してほしいものです。
 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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