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2015年3月の31件の記事

2015年3月31日 (火)

京洛逍遥(349)京大病院の帰りに賀茂川でお花見

 今日も半日を京大病院で過ごしました。
 何かと問題を抱える身としては、心配事をすべて忘れて我が身を病院に預けて時を過ごせるので、ここはいわば自分にとっての安全圏内です。診察も検査も、すべてが自分のためのものなので、明日を元気に生きるための、いわば車検場でもあります。重病の患者さんの隙間に入れていただき、主治医の先生の指示に従って通院しています。こうして身体を点検する場所があることに、おおいに感謝しています。

 最先端を行くiPS細胞の研究などで注目されているエリアがあるかと思えば、その敷地の一隅には全快地蔵さんが祀られています。ここで手を合わせるたびに、人間の不可思議さを感じます。


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 横の柵には、こんな掲示があります。
 病人や家族の想いに理解を示しつつも、病院としての措置はしっかりと明記されているところに、関係者の気遣いを感じます。


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 すぐ南の熊野神社の桜がみごとです。いつものように、お隣で八つ橋を買いました。


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 京大病院がある聖護院から少し下った冷泉通りの桜も、今を盛りと咲き誇っています。


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 賀茂川の鷺は、水も温んできたので心地よさそうです。


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 荒神橋と稲盛財団記念館の手前は、竹や木々の緑がきれいです。この川端通りは、私がよく写真を撮る場所です。


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 賀茂大橋から望む賀茂川と高野川とが合流する出町柳は、数日後にはピンクに染まります。週末には、この三角州に大勢の方がお花見弁当を広げて、初夏の到来を満喫されることでしょう。


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 北大路橋周辺の桜はこれからです。今は、雪柳がみごとです。


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2015年3月30日 (月)

京洛逍遥(348)京大病院の帰路に御所でお花見

 京大病院の糖尿病栄養内科で、2ヶ月毎の定期的な診察を受けました。
 この1年間の私のヘモグロビン A1cの値は、次のように推移しています。


2014年01月 7.1%
2014年04月 7.3%(ちょうど1年前)
2014年07月 7.2%
2014年09月 6.9%
2014年10月 7.0%
2015年01月 7.1%
2015年03月 7.3%(今日)

 年間を通して、7.0%前後となっています。そして、3月・4月が高くなり、9月・10月が低いようです。寒い時期には、糖質を摂ることが多くなるのでしょうか。

 とはいえ、数値が高いことに変わりはありません。日本糖尿病学会の推奨目標値は6.2%なので、危険ではないとしてもよくないことは確かです。
 もっとも、私は消化管をすべて切除しているので、血糖値が高く出るのはしかたのないところです。それを考慮して、主治医の長嶋先生は適切なアドバイスをしてくださいます。

 今日も、数値が大きく変動していないことと、体重が50キロ前後で変わらないので、このまま様子を見ましょう、ということになりました。
 また、私は食事を1日に6回食べています。それについても、1度に食べられないのであれば、小分けして栄養を摂ることを優先した方がいい、とおっしゃいました。ヘモグロビン A1cに一喜一憂するよりも、しっかりと身体を作りなさい、と。1日に食事を摂る回数が多いせいもあって、血糖値が高止まりするようです。

 今後の注意点は、貧血ぎみの状態がずっと続いているので、仕事で無理をしすぎないことと、鉄分を十分に摂取するように、と言われました。
 これは、自分でも気をつけていることです。しかし、それでも大幅に足りないようなので、これまで以上に鉄分を特に意識した食事にしたいと思います。
 それにしても、名前に「鉄」が付いているというのに、何とも両親に申し訳ないことです。

 京大病院の改修工事が進んでいます。駐車場がどのように変わるのか楽しみです。


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 2010年の8月から9月にかけて、私はこの写真のブルーシートの背後に少し顔を覗かせている、ガン病棟「積貞棟」の6階にいました。ブログを見るまでもなく、記憶に新しい日々です。
 その6階から見えた京都市街の景色が、この工事でどのように変わるのでしょうか。病室から見下ろす京都の街は、いろいろなことを想像させてくれました。王朝人が歩いた街を眺めるのも楽しいものでした。

 烏丸御池の交差点そばに、在原業平邸址の石柱があります。その横に設置された自動販売機のパネルが、春らしい歌に変わっていました。

  世の中に 絶えて桜の なかりせば
   春の心は のどけからまし


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 市内は自転車で移動する私にとって、その途次の折々にここに立ち寄っています。
 昨年の夏以降は、次の歌でした。

  大原や 小塩の山も けふこそは
    神世のことも 思出づらめ

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 この間に、もし別の歌が掲示されている期間があったとしたら、写真とともにご教示いただけると幸いです。
 この自販機メーカーに問い合わせるといいのでしょう。しかし、自分の楽しみとして、この移り変わりをこの目で確認したくて、こうして立ち寄っているのです。

 烏丸四条の大垣書店内にあるクイックガレージで、私の iPhone が使い物にならなくなっていることの相談に行きました。その際、すぐに本体交換という対処ではない対応をお願いしました。
 iPhone 6の発売以来、半年でこれが3台目なので、本体交換で逃げる対処では4台目になるだけです。またしばらくしたら使い物にならなくなって、5台目となるのがわかっているからです。

 アップルがこの不具合についての説明をしてくれないので、アップルの言いなりになるアップルストアのジーニアスバーの店員さんではなくて、それ以外の対面相談ができる場所で、対応に当たった方の力量に頼るしかありません。アップルは、この原因を知っているはずです。しかし、それには蓋をして、本体交換でごまかしているのが実情です。

 今日の対応に当たられた方は、なかなか優秀でした。その方から提案されたことはすべてやったことでした。それでも、アップルがしてくれなかった、教えてくれなかった、これまでにない提案が2つあったのは収穫でした。その1つである「DFUモード」に関する情報は、初めて知りました。

 今それを自宅でやっているところです。バックアップしてあったデータの復元に、すでに3時間が経過しています。まだまだステップが残っています。明日の朝には終わるでしょうか。どうせ日本語入力がモタモタして使えなかった iPhone なので、家にいる限りは使えなくても実害はありません。外出した時に、iPhone は重宝していたのです。過去形で語らなければならないのが、アップルユーザーを自認する私にとって哀しいところです。
 この復元の結果、不出来な iPhone 6がどう変身してくれるのか、明日を楽しみにしたいと思います。

 さて、四条からの帰り道、京都御苑の中にある御所周辺をブラリとサイクリングしました。

 建春門前の桜は、まだ蕾です。


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 ここから北に進んで東北隅の鬼門に当たる猿ヶ辻に至ると、開花した桜で様子が明るくなります。
 御所の一番北側の塀沿いにある、今出川御門近くの飛香舎(藤壺)を望む桜が、今日は一番華やかに咲いていました。


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 さらに帰り道、葵橋の上から北山を望みました。


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 川沿いの桜はまだ咲き初めというところでした。
 満開のこの散策路は、薄紅を刷いたようなみごとな風景に変わります。その日が待ち遠しく思われます。

 一昨日の記事の最後に、自宅横を流れる白川疏水通りの夜桜を掲載しました。その桜は、今日の明るい陽の下では、多くの蕾を従えて花の宴とでも言うべき花の競演の真っ最中でした。
 心浮き立つ春の幕開けです。

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2015年3月29日 (日)

神戸凮月堂で源氏物語の京ことばでの朗読を聴く

 神戸元町にある神戸凮月堂本店で開催された、「朗読サロン「京ことば 源氏物語」に行ってきました。


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 副題に「もののあはれ源流への旅」ともあり、女房語りという設定で山下智子さんが独りで語り手を努めておられます。今回は、第八帖花宴の巻です。
 この朗読サロンは、いろいな方が語り継いでおられ、山下さんはここでは8回目となるそうです。「花宴」の巻は、ワルシャワ大学でも朗読した想い出深い巻だとのことでした。
 今、私の所でアルバイトをしている学生さんで、ポーランドのワルシャワ大学を出た方がおられます。私もポーランドへ行った時に、メラノビッチ先生のお世話になりました。ポーランドと『源氏物語』ということで、参考までに関連するブログの記事を引いておきます。

「ポーランド語訳『源氏物語』の新情報」(2010/11/20)


 今日はまず、「花宴」巻の概要を、山下さんが優しい京都弁で語られます。分かり易い説明です。
 凮月堂の地下ホールに集まった40人ほどの参会者は、はんなりとした語り口に包まれ、次第に物語の世界に誘われます。


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 30分ほど話を聴いた後は、しばし休憩時間です。
 ここで、凮月堂特製の『源氏物語』をテーマにした和菓子とほうじ茶をいただきました。


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 『源氏の由可里』(吉川冬季子、昭和52年11月、凮月堂)という本が手元にあります。これは、神戸凮月堂が創業80周年を記念して、村山リウさんの源氏講義に因んで作製した和菓子を収録したものです。書名は、この和菓子の原点となった村山リウさんによるものです。


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 そこでは、「花宴」として次のお菓子が掲載されています。弘徽殿にいる女性たちの出衣を想起させる意匠です。


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 ただし今日の和菓子は、これとは異なり、扇と桜の花びらを配したものでした。
 花宴の後、光源氏と朧月夜が扇を取り交わした場面をイメージしたものです。
 甘さを抑えた、上品な味と舌触りでした。

 店頭には、「若紫 若紫の姫君」「横笛 笛」「夕顔 枕上の女」「花の宴 扇」(写真左から)の4つが並んでいたので、お茶菓子として一箱いただきました。


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 この内、「若紫」以外は『源氏の由可里』に掲載されているものと違います。
 凮月堂では、今も『源氏物語』をテーマにした和菓子を作りつづけておられるのでしょうか。
 後ろに立てかけてある本のことを聞き忘れて帰りました。また、確認しておきます。

 後半は、中井和子さんの『現代京ことば訳 源氏物語』(大修館書店)の朗読です。
 情感たっぷりというよりも、思ったよりもやや抑制気味に、そして短い巻ということもあり、一気に読み進めて行かれました。
 関西人としてまったく違和感のない、流れるような京ことばでした。近世の言葉遣いであり発音だとしても、平安時代らしい雰囲気を彷彿とさせる朗読です。

 続いて、短い巻ということで、原文を「京都音調語り」とおっしゃる語り口で読まれました。
 古文なので、会場のみなさんは、戸惑いながらも真剣に耳を傾けておられました。少し眠くなった方もいらっしゃったようです。しかし、京ことば訳と同じ部分の原文すべてが読まれたことは、「花宴」ならではのことです。

 この巻は、さくらの季節にふさわしい内容です。時宜を得た得難い朗読を聴く機会となりました。

 
 
 

2015年3月28日 (土)

東と西の心浮き立つ桜が開花

 都内は、もうお花見ができます。
 相変わらず、連日長距離の移動をしているので、いろいろな桜が観られるのです。

 深川の宿舎の入り口の桜は、もう見頃に近い開花です。


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 黒船橋から中央大橋を臨む大横川では、桜祭りの川船が用意されていました。


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 多摩地区の立川では、まだもうしばらく待たされそうです。
 自治大学の前の通りは、まだ蕾でした。


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 国文学研究資料館の横の通りも、固い蕾です。


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 渋谷を通りかかったら、ハチ公の上から桜が覆うように咲いていました。


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 日比谷図書文化館を背景にして、日比谷公園の夜桜を撮りました。


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 その帰りに、深川の宿舎の夜桜もきれいでした。


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 開けて今日は、歌舞伎座の横にある銀座区民館で、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の会合がありました。2年間の活動を通して、定款の見直しをすることになり、主だった者が集まって意見を交わしたのです。
 4月末の総会で、新しい定款が認められると思います。その詳細は、また報告します。

 午前中の会合を終えてから、帰洛の途につきました。

 京の桜はまだ咲き初めたところのようです。
 自宅近くの白河疏水通りの夜桜は、これからみごとな花を咲かせます。


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 心浮き立つ、大好きな桜の季節到来です。
 
 
 

2015年3月27日 (金)

畠山大二郎著『平安文学の服飾表現研究』に博士(文学)の学位が授与されました

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の副代表理事を務めている畠山大二郎君が、博士(文学)の学位を取得しましたのでお知らせします。
 國學院大學へ提出した学位請求論文の題目は『平安文学の服飾表現研究』です。

 昨春、「NPO設立1周年記念公開講演会で直衣着装の実演」(2014年03月23日)をした際に、装束の変遷を踏まえての実演と解説をしてもらいました。その時の記事を覚えておられる方も多いことでしょう。
 一枚だけ、その着装実演の写真を再掲載しておきます。

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 また、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページからは、「国文研蔵『源氏物語団扇画帖』服飾関係分類索引・服飾関係分類索引(畠山版)」(2012年6月26日)を公開しています。
 これは、平安時代の人物の実像や、物語と絵画の理解を深める一助となれば、との思いから公開している成果です。『源氏絵』等の物語絵に描かれた人物がどのような服を身に纏っているのかがわかるようにした、畠山君の研究の一端を具体化した貴重なデータベースの一部を成すものです。
 ぜひ一度ご覧ください。平安文学作品を読む時のイメージが豊かになることでしょう。

 今回、学位が授与された博士論文『平安文学の服飾表現研究』の目次は、次のようになっています。
 第一編は作品論、第二編は文学論として実証検証的な考察、第三編は復元を視野に入れて考察した論稿で構成されています。
 これまでの地道で手堅い研究と実践が、今回の学位論文に結実しているといえます。

 本論文が公刊される日を楽しみにして待ちましょう。

 さらなる活躍が期待できる仲間の新しい旅立ちを、この場を借りて祝い報告します。


第一編 平安文学の作品論としての服飾表現
 第一章 『落窪物語』の「裁つ」
      —落窪の君の裁断行為を中心として—
 第二章 『源氏物語』の「中の衣」と「綻び」
      —「紅葉賀」巻を中心として—
 第三章 『源氏物語』の「ひきつくろふ」直衣姿
      —「松風」巻における光源氏の服飾表現を中心として—
 第四章 『源氏物語』の被け物
      —「若菜上」巻「女の装束に細長添へて」を中心として—
第二編 平安文学の中の実態としての服飾表現
 第一章 『源氏物語』の「端袖」
      —「綻び」「ゆだち」を中心として—
 第二章 『源氏物語』の「扇」
      —朧月夜の扇を中心として—
 第三章 『源氏物語』の「細長」
      —玉鬘の服飾表現を中心として—
 第四章 『源氏物語』の「柳の織物」
      —「若菜下」巻における明石の君の服飾表現を中心として—
 第五章 平安文学の「織物」
      —『狭衣物語』を中心として—
 第六章 平安文学の裳の種類
      —「薄色の裳」を中心として—
第三編 平安文化史論としての服飾表現
 第一章 平安時代中後期の服飾の復元
      —形状の問題を中心として—
 第二章 『紫式部日記』の「小袿」
      —二の宮の御五十日を中心として—
 第三章 國學院大學図書館蔵『住吉物語』絵の服飾表現
      —嵯峨野の野遊びの場面を中心として—

 
 
 

2015年3月26日 (木)

井上靖卒読(195)『満ちてくる潮』

 静岡の酒場を出た紺野は、月を見ながら久能山下から清水にかけてタクシーでドライブします。そして、月光の下で和服の美人、瓜生苑子と出会うのです。
 本作は、大井町や銀座など、井上靖の生活圏が舞台の一部となって出てきます。
 銀座では、婚約破棄の話し合いがなされるなど、結婚したくない女性の気持ちが語られます。

 そんな中で、「~である。」という文体が集中的に出てきて戸惑いました(『井上靖全集』第十巻569頁)。井上らしくないので、新聞連載の時期に関係しているのかもしれません。今はメモとして残しておくに留めます。

 酪農の話やダム建設のことなど、日本の自然や社会と結びついた話題が展開します。その背景に、恋愛と結婚について語られていくのです。
 やがて、紀州路への旅となります。大阪、湊町、王寺、五条、十津川と、私にとって懐かしい地名が出てくるので、自分が旅をしている気分を味わいました。井上作品の舞台として、逃避行の地としてよく出てくる紀州です。地理的な隔絶性と山地と海岸のイメージが、作者にとって好都合の地だからでしょう。
 大自然の中での会話が、ごく自然に交わされます。何気ない描写が井上の特徴です。その隙間に、恋愛感情を巧みに織り込んでいくのです。
 男と女が魅かれ合う心情が複雑に交錯する様を、淡々と語ります。男女6人の純愛と不倫が輻湊する設定で、後半は特に目が離せない展開となります。静かに、ゆっくりと進展していきます。井上靖の間の取り方も絶妙です。
 恋愛を知らないという2人の学者の役割も、うまく配されています。男は、とにかく恋愛が下手で、気持ちの表現も不器用です。それに引き換え、女の積極的な行動と決断が表に出てきて、男女の心理劇に絡み合います。
 2組の夫婦の関係が微妙な中に、独身の男と女がそれぞれに縦糸と横糸となって割り込み、付かず離れずの行動を見せます。その先にどのような展開があるのか、結果が知りたくて読み進みました。
 スローテンポの前半から、後半は一転して突然の自殺という行動を挟んで一気に語られます。何となく余韻を漂わせて終わるところは、その先を語ってほしかった、と思う方が多いことでしょう。この、その後を読者に預けたまま閉じるのは、この作者の手法です。
 この作品を新聞に連載し終わってから、作者は次のように言います。どのような見通しを持ってこのテーマに着手したのか、そしてこの結末に至ったことに対してどう思っているのか、作者の小説作法と共に知りたいところです。


 これまでは毎朝、床の中で目を覚ますと、必ず紺野か安彦か苑子か笙子の誰かが私の頭の中へはいってきた。私ははらはらしたり、あるいは、はがゆく思ったりしながら、彼らの訴えや言訳を聞いたり、彼らの主張に耳を傾けたりした。私はいつも聞き役で、彼らはいつも語り手であった。そして私は毎日、彼らから聞いた彼らの考え方や感じ方や、あるいは彼らのなしたことをそのまま三枚の原稿用紙に認めて、それを新聞社に送った。
 こういう言い方をすると、作者はどこにも居ず、自分の小説に対する責任を回避しているように思われそうだが、私は「満ちて来る潮」を書く場合、誇張でなしにそのようにして書いた。(中略)

 四人の主要主人公たちは勝手に行動したと言っていい。作者としては多少この小説の結末というものに予想を持っていたが、それらはみんな違ったものになってしまったようである。(中略)これから先、登場人物たちがどのように生きてゆくかは、別の小説の世界になる。(「『満ちてくる潮』を終わって」毎日新聞「学芸欄」昭和31年5月17日)

 なお、本作品の章題について、次のような指摘があります。井上靖の作品の小見出しについては、かねてより興味をもっていたので、こうした点は気に留めておきたいと思っています。おそらく、作者としては、章題が読者のイメージ形成を邪魔しないように、話の句切れとして言葉を数字に置き換えたものかと思われます。また、これが新聞の連載小説であったことも、作者にとってはその句切れが意味をもっていると考えていたのでしょう。【3】


初刊本では全十八章の各章に章数抜きで「月明」「しゅうまい」「白い雲」等々の章題が付けられていたが、新潮社版『井上靖文庫』第13巻(昭和37年3月31日刊)に収録の際、現行のように「一章」「二章」「三章」等々に改められた。(『井上靖全集 第十巻』780頁、曾根博義氏の解説)

 
 
初出誌︰毎日新聞
連載期間︰1955年9月11日〜1956年5月31日
連載回数︰243回
 
角川文庫︰満ちて来る潮
井上靖小説全集12︰満ちて来る潮・河口
井上靖全集10︰長篇3
 
映画の題名︰満ちて来る潮
制作︰新東宝
監督︰田中重雄
封切年月︰1956年7月
主演俳優︰山村聡、南原伸二
 
 
〔参照書誌データ〕 井上靖作品館  http://www2.plala.or.jp/baribarikaniza/inoue/
 
 

2015年3月25日 (水)

井上靖卒読(194)「ひと朝だけの朝顔」「三ちゃんと鳩」

■「ひと朝だけの朝顔」
 むらさき色のきれいな花を咲かせた朝顔を、三つ上の光子ちゃんの家に見せに行きました。しかし、見せるだけだったはずが、もらったものと勘違いして大喜びして奥に入った光子ちゃんに、返してとは言えなくなった小学4年生の僕。おまけに、おばさんからご褒美としてお菓子をもらうことになったのです。
 なりゆきからとはいえ、返してと言えないままになったことに、僕はつまらなさを感じだします。
 数日後、その鉢植えの朝顔が、別の知り合いのおばあさんから「あまり見事なので、朝ごはんの時眺めてください」と言って届けられたのです。僕は、光子ちゃんもそのおばあさんに見せるだけだったはずが、これも思いがけずあげたことになったのではないのか、と思うようになりました。
 子供の純真な心が素直に描かれています。そして、何よりも大人に対して敬語を丁寧に使うところが、今の日本語の使われ方から見ると書き言葉過ぎるように思われます。当時の子供たちに向けた、言葉遣いの模範が示されている作品だと言えるでしょう。
 「お父さんがおききになりました。」という表現は、現在では息子が父の言葉遣いを指して言うこととしては、不自然さを感ずるものでしょう。しかし、こうした表現をした時代があったのは、自分が幼かった頃に書いた作文を考えると、思い当たるところです。この作品は、私が生まれた昭和26年に東京日日新聞に発表されたものです。井上靖にとっては、家族との日々の生活の延長線上の話として、童話に仕上げたものだと思われます。1年半前に品川区大井に転居し、家族を湯ケ島から呼び寄せた頃のものです。【3】
 
 
初出紙︰東京日日新聞
初出日︰1951年7月28日
 
井上靖小説全集4︰ある偽作家の生涯・暗い平原
井上靖全集7︰短篇7・戯曲・童話
 
 
 
■「三ちゃんと鳩」
 大阪にある新聞社の屋上での話から始まります。戦争が烈しくなりだした当時、記者が外で書いた原稿は、小さい円筒に詰めて鳩に背負わせて飛ばしていたのです。その鳩係りが三ちゃんでした。鳩の行方を追って、いつまでも空を仰ぐ三ちゃんの姿が印象的です。そして、大阪大空襲の時、三ちゃんは鳩の屍体を屋上で探し回っていました。人と鳥の心温まる話となっています。発表媒体が「新聞協会報」なので、童話というよりも子供たちに戦争の裏側にあった報道の背景を語る中で、人間について伝えようとしたものではないでしょうか。【3】
 
 
初出紙︰新聞協会報
初出日︰1954年7月12日、15日
 
井上靖小説全集10︰伊那の白梅・大洗の月
井上靖全集7︰短篇7・戯曲・童話
 
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
 
 
 

2015年3月24日 (火)

再録(20)NTT電話の怪(1998.7.28)

 不思議なことがあるものです。
 よくわからないままに、特に実害がない限りは問題にもならないことがよくあります。
 この話も、そんな部類に属することです。
 また、ここに出てくる「ISDN」とか「テレホーダイ」という言葉も、今では懐かしいものとなりました。
 通信環境は、この20年で一変しました。
 そんな変転の中での珍事といえる話です。
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 
〔NTT電話の怪〕
 
 私が利用しているプロバイダー・奈良インターネット〈まほろば〉の接続電話番号の一つが変更になりました。そして、意外な出来事が今日ありました。

 我が家では、ISDNのアナログとデジタルの二回線をテレホーダイで利用しています。その内の、いつも利用する方のデジタル回線の番号が変更となるのです。今日、28日からとのこと。テレホーダイで登録している電話番号の一つを、NTTに変更してもらうことにしました。以下は、その顛末の報告です。

 まずは早速、我が家の担当支店であるNTT大和高田へ、フリーダイヤルで電話をしました。すると、116番に電話をして手続きをしてほしいとのこと。そこで116番に電話をすると、NTT奈良支店につながりました。
 テレホーダイの変更手続きをしたいという事情を説明すると、お宅の管轄のNTT大和高田支店が窓口になるので、この電話をそちらに転送します、とのこと。大和高田の方に変更の依頼をすると、私の身元確認をしてから、今は会社からですか、と聞かれたのです。いえ、自宅からですよ、と答えると、先方は怪訝そうに、奈良支店から転送されたので、と不審そうな声でした。

 我が家から116番に電話をしたら、奈良につながりました、と答えると、お宅の住所から116番をダイヤルすると、この大和高田支店につながるはずです、と仰るのです。
 そこで、最初から説明しました。

 まず、フリーダイヤルで我が家の集金や電話工事の担当である大和高田支店に電話をしたら、116番で手続きを、と言われたこと。
 そして、116番をダイヤルしたら、奈良支店につながったこと。
 そこから、大和高田支店に転送されたことを。

 すると、また電話口の方は、そんなはずはないと仰るのです。お宅から116番をダイヤルすると、管轄局であるウチの大和高田支店にかかるようになっている、とのことです。いや、事実を言っているのですというと、しばらく調べておれたが、理由がわからないので専門の人に相談するということになりました。それでも、そんなことは考えられないことなのだそうで、もう一度テストをしてみますと私から申し出て、一旦電話を切りました。

 そして、我が家の電話から116番をダイヤルすると、確かに奈良支店につながるのです。対応に出られた方に、先ほど電話をしたものだが、回線がおかしいようなのでテストをさせてもらった旨を伝え、再度大和高田に転送してもらい、このあるはずのない電話の迂回事象を、大和高田支店の方に納得してもらいました。

 聞くところによると、奈良県のNTTは、奈良支店と大和高田支店の二つでエリアを分けているそうです。そして、本年十二月にこの二つを奈良に統合する予定になっているようです。でも、まだ七月なので、と対応された方も不思議がっておられました。
 半時間後に調査の報告があり、最近、信貴山縁起絵巻で知られる我が町の電話交換機を、法隆寺のある隣の斑鳩町に入るようにしたことがあり、その時にデータが間違ったのかもしれない、とか、その時に何か不手際があったかもしれない、と、一応の返答をいただきました。

 そして、夕方また連絡があり、斑鳩町に回線を入れたときに、我が家のデータを入れ間違えたことが判明したのだそうです。そして、それは116番にかけるときだけのデータミスであり、他へ電話をしたときも遠回りをしてつながっていたのではない、との釈明がありました。

 今回の私からの指摘で、他のお客様にも迷惑がかかるところでした、私どもも助かりました、と仰っていました。感謝されても、そうでしたか、と答えるしかありません。

 それより、本当にこれまでの我が家からの電話が、116番だけが奈良局を通してかかり、いつも使う外線電話は奈良ではなくて大和高田につながっていたのでしょうか。我が家の山の下にある駅前には、無人の電話交換局があります。そこの電話交換機の仕組みのことは知りませんが、何となく不審な気持ちになりましたが、そう仰るのでそうなのでしょう。

 過去の電話代を調べるのは、面倒なのでしません。大体毎月一万五千円ほどでしょうか。これは、NTTのINSテレホーダイと遠距離電話用のDDIの利用料金を含めてのものです。
 私は携帯電話はタバコと同じで、人体に悪影響があると思っています。したがって、家族には自分たちの心身の健康と周りの人への迷惑をかけないために、利用を禁止しています。そのためもあって、月々の電話料金は、私や子どもたちがインターネットを使う家庭とすれば、こんなものでしょうか。というより、電話代の大半は、高校生の娘の分と思われるので、将来請求しようと思っているくらいなのですが。

 ということで、何やら不可解な出来事に遭遇しました。こんなことって、あるんですね。
 普段は、何も知らずにいるのでしょうが、たまたま116番に電話をしたことからわかった珍事です。
 機械というものは、本当に信用できませんね。
 というより、機械を操作する人間のミスも、常に考慮すべきなのでしょうね。

 それはともかく、対応してくださったFさんとKさん、お疲れさまでした。
 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 

2015年3月23日 (月)

再録(19-2)またMV社のこと(1998.10.01)

 この記事は、昨日の「再録(19-1)不可解なMVという会社(1997.3.28)」(2015年03月22日)のつづきです。

 17年前にこんなことがありました、という過去の記事を記録として保存していく連載ものなので、今は適当に読み流しておいてください。

 この一連の「再録」は、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報群の一部です。

 ここでは、再録(19-1~4)として、MV社に関連する記事を集めてみました。

 なお、この記事を公開した時のインターネット活用のためのハード&ソフトは、過日の記事「再録(17)17年前の「私のコンピュータ経験と通信環境」」(2015年02月15日)から2ヶ月後ということもあり、次のようにさらなる進化を遂げています。
 当時は、とにかく秒針分歩の勢いでコンピュータが進化し、目まぐるしくハード&ソフトと通信環境が変転する時代でした。

●CPU:APPLE-PPC-7600 → APPLE-PowerPC G3(300Mz)
●OS:MacOS-8.0 → MacOS-8.5.1
●メモリ:160M → 320M
●HD:6G(内蔵)+4G(外付)→ 6G(内蔵)+12.7G(内蔵)

 それから17年経過した現在、私は次のようなスペックのノートパソコンを日常的に使っています。
 単位が「メガ」から「ギガ」へ、さらには「テラ」へと進化しています。このことには、目を疑うほどの環境の変化の中に身を置いている、といえます。

●CPU:MacBook Pro-Intel Core i7 (2.6 GHz)
●OS:MacOS X 10.10.2 (Yosemite)
●メモリ:16GB
●HD:SSD-1TB

 そろそろ、発想を転換した情報文具が現れてもいい頃です。
 来月発売されるウェラブルコンピュティングの一翼を担うはずの「アップルウォッチ」は、その先蹤となりそうです。

 クラウドがさらに進化し、テレビがこれまでの役割を終えて変身し、家電や自動車が自動化から手動化し、日常生活では喫茶店を始めとする飲食店や、文化施設としての映画館や図書館が、さらには学校がその役割を多様化させて行くことでしょう。

 高齢化社会では、スピードを競うシステムは適合しないと思います。
 自動化は、人にもの足らなさを感じさせます。
 我が家では、洗濯機を二層式に変えました。
 手動による感触は、生きていく上で大事な感覚を目覚めさせます。
 目で見る、耳で聞く、鼻で嗅ぐ、舌で味わう等々。
 その意味では、今のままでは、ネットショッピングや電子書籍には、未来がないと私は見ています。手触りが、目を瞑った時の感触が大事だと思うからです。

 物事の速度をゆっくりと落として、さまざまなことを手動化していかないと、人々は息苦しく感じると共に、満足した日々を送れないと思います。

 妄言多謝
 
 
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 
〔またMV社のこと〈1998.10.01〉〕
 
 昨春、本【ハイテク問はず語り】の「2年目」の記事として、「不可解なMV社という会社(1997.3.28)」を掲載しました。そのMV社に関して、また不愉快な思いをしています。
 今度は、ソフトウェアではなくて、ハードウェアでの話です。

 現在わたしは、Macintoshの7600/200というパソコンを主に活用しています。ただし、8100/80AVという初代のパワーマッキントッシュも、現役で併用しています。その初代パワーマック8100を最新のG3マシンにするボードが開発されました。この夏にも店頭に並ぶはずが、どの店も入荷未定のためということで、予約の受付もしてくれませんでした。そのボードを、たまたま足を向けた大阪日本橋の「OAシステムプラザ」という店で見かけました。

 店頭にあったのは、CPUクロックが215MHzのものでした。8100をG3化するボードは、もう一種類、他社から発表されていますが、私はこのアメリカのニューワーテクノロジー社のボードをねらっていました。ただし、このボードの日本での発売元が、あのMV社であったために、過去の無責任で不愉快な対応にいやな思いをさせられていたので、積極的に購入するための手は打っていませんでした。
 実は、他の会社が扱ってくれたらと、密かに期待しながら待っていたのです。しかし、目の前にボードがあると、それも、他のどの店にも入荷していないボードを手にして、すぐに購入を決意しました。新たにG3マシンを買う気はなく、初代パワーマック8100を生き返らせたかったからです。
 私の8100は、その「OAシステムプラザ」で購入したものだったことも、一つの縁だと思われました。私のMacintoshの師である中村氏と一緒に購入したものだけに、愛着も思い入れも満杯のパソコンなのです。ただし、1994年4月に購入したものは「Quadra840AV」というものであり、その後、1995年1月にロジックボードをアップグレードして「8100/80AV」に格上げしました。最初からアップグレードを前提にして購入したものでした。

 とにかく、ここで買わない手はないと意を決しました。ただし、本当に欲しかったのは、もう一つグレードの高いCPUクロックが250MHzのものだったので、店員さんにそのことを尋ねると、念のために倉庫を探してくれて、ちょうど一つあったとのこと。
 出来過ぎた話のようですが、ラッキーなときはこんなものなので、「MAXpower G3 PDS 7100/8100 240/1M/160」というボードをすぐに貰いました。税込みで125,790円でした。ついでに、娘が使っている初代6100/66用のG3ボードを調べて貰ったのですが、これは入荷が未定とのことでした。

 さて、このボードを8100に取り付けるにあたって、とんでもないことがありました。
 説明書通りに作業を進めると、どうしてもボードに取り付けられている金具を半田で溶かして外すか、無理矢理力ずくで折り取って外すことになります。迷ったのですが、説明書通りに進めるために、それも熱を加えないためにも、ペンチで金具を切り取りました。そして、取り付けが終わってパソコンに電源を入れると、起動途中でストップします。

 後でわかったのですが、これはマニュアルの不備と説明不足のためであり、金具を外す必要はなかったとのことです。これは、MV社にいろいろな不具合を問い合わせている中でわかったことです。それがわかっているなら、なんとかその旨を商品に添付するか、ケースに注意書きを貼っておいてほしいものです。あの会社に誠意を感じないのは、こんなことがあるからです。

 電話での話では、金具を取り外したところを、絶縁テープを使って接触を防ぐとよいとのこと。その処置を施すとパソコンが起動するようになりました。すぐに対処方法を教えて貰えたということは、そのような事例が多くあるということなのでしょう。
 それはうまくいきました。ところが次に、起動したパソコンが不安定なのです。少し操作をすると、すぐに画面がフリーズするのです。後はウンともスンとも言わないので、背面のボタンを押して電源を切るしかなくなります。

 起きた症状は、以下のようなものです。


1-エクセル98は、起動途中でキャンセルされる。
 再度実行すると、日本語機能が働かなくなり、表示がすべて文字化けする

2-イーサーネットで他の機種とデータ転送をしている途中で、突然接続が切断される。

3-ウィンドウを開いてスクロールバーを操作中、数回スクロールさせると画面がフリーズする。
 リセットもできなくなり、やむをえず本体背面のボタンで電源を落とすことになる。

4-ソフトのインストール中にフリーズし、インストールできた分としてのファイルの断片がハードディスクに残る。

5-ダイアログウインドウ内で、ファイルやフォルダを選択中に、突然フリーズする。

6-アップルメニューを開いている内にフリーズする。

7-ファインダー上でファイルをコピーなどしているときに、ファイルをドラッグしてウインドウから引き出した瞬間にフリーズする。

8-コンフリクトを障害の原因と思い詰めていたために、コンフリクトキャッチャーで調べたりもしました。
 しかし、これもフリーズを繰り返すために、うまく検査できませんでした。

 MV社に電話をして、またまた、上記の症状を説明しようとすると、すぐに「8100/80AV」で使っているなら、すぐにそのボードを送り返してくれたら、不具合が起こらないようにして送り返してくれるとのこと。
 これまた素早い回答だったので、このような苦情がたくさんあったのでしょう。明日、早速送ることにします。着払いで送っていいかと確認すると、不明朗ながら「OK」とのことでした。
 また、21インチと17インチのモニタを二台接続して使用しているため、Radiusの「Precision Color」も使えるようにして貰いたいという希望も添えました。

 さて、後日戻ってくるボードは、うまく動くものになっているのでしょうか。結果が楽しみです。

 パソコン関連機器に関して、これまでに私がメーカーに商品を返送などしてまともなものに取り替えてもらったものを、思いつくままに列記しておきましょう。


 ○NECのPC-386マシン用内蔵3.5インチドライブ。親切でした。

 ○八戸ファームウェアのエプソンPC-386マシン用のFM音源ボックス。誠意を感じました。

 ○エレコムのハードディスク。この対応は失礼千万でした。

 ○シャープのビデオ機器。不誠実な対応はもう論外です。

 ○コンテックのパソコン用ビデオコンバータ。誠実に交換してもらいました。

 ○8100用アップル内蔵CD-ROM。交換してもらいました。好意的でした。

 ○8100用アクセラレータカード。ソフマップに引き取りの後、返金してもらいました。

 ○カシオのフリップトップ腕時計。無責任で不誠実でした。

 ○マグの17インチモニタ。宅急便で送るのが大変でしたが、誠意を感じました。

 ○ソニーの21インチモニタ。この対応には、大満足です。

 ○NECのターミナルアダプタ。二度とも好感の持てる対応でした。

 ○キャノンのレーザープリンタのトナー。取次のソフマップは、誠意のかけらもないものでした。

 たくさんの欠陥商品が店頭に並んでいます。私は当たりが悪いせいか、よく不良品・欠陥品を手にします。おかしいと思ったら、メーカーに返送することに限ります。とにかく、コンピュータ関連の商品は未成熟なのですから。

 昨春の「不可解なMV社という会社(1997.3.28)」という拙文の末尾で、次のように記しました。

 「日本のソフト産業を育てていくために一利用者がこのようにして協力をしていくのも、大変な忍耐と努力と資金と時間が必要であることが、お分かりいただけたでしょうか。日本のパソコンに関しては、ハードもソフトも製品の仕上がり以前の人間の問題が未成熟だと思われます。
 こんな業界を、われわれは、今しばらく、みんなで健全なものになるように根気強く育成していきましょう。」

 最近は、こうしたボランティア精神でパソコンに接することに、少し疲れました。
 以上のような不具合を解消するために、膨大な時間を費やすことは日常といえます。
 コンピュータがまだまだ未完成な道具であることを痛感しています。
 このような無駄としか言えない時間を、貴重な人生の中に設けなくてもいいように、パソコン業界はもう少し誠意のある商品の渡し方をしてほしいものです。
 というより、アメリカで開発されたものを横流しして日本の市場に投入するやり方は、どうも感心しません。
 日本で販売するにあたって、いろいろと工夫をしておられるのでしょうが、結果としては無責任で不誠実極まりない販売となっているのが多いのは事実です。

(つづく)
 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 

2015年3月22日 (日)

再録(19-1)不可解なMVという会社(1997.3.28)

 コンピュータとの付き合いが、すでに35年もの長きにわたっています。
 本ブログで何度か記したように、私の初めてのコンピュータ体験は、1980年のマイコンキット【〈TK-80〉(Training Kit μCOM80)】(日本電気 (NEC) 半導体事業部−現在のルネサス エレクトロニクス))でした。

 初期の頃、今から30年前は、まだ市場が未成熟だったこともあり、ハードやソフトの供給会社のユーザーサポートやサービスは、まさに手探り状態でした。

 そうした時期のあれやこれやを、4回に分けて再録しておきます。
 この一連の「再録」は、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報を本ブログに取り込み、アーカイブズの一環とするものです。
 
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 
〔不可解なMVという会社(1997.3.28)〕
 
 1994年6月に、「Photoshop2.5J」(フォトショップ)を購入しました。前後して、「Premiere2.0」(プレミア)も買いました。
 1994年10月に、「Photoshop3.0J」へのアップグレードが公表されました。しかし、いつまで待ってもその連絡が来ないのです。

 1995年2月22日、MV社の「MCユーザー管理センター」という所へ電話で確認すると、私のユーザー登録手続きが未了とのことでした。登録カードはちゃんと郵送していたのにですよ。すぐに登録作業をするので、それが完了したらバージョンアップの案内を送ってくれるそうです。のんびりしたのどかな話です。

 1995年5月上旬、バージョンアップ手続き書類がまだ届かないので、それを催促する電話をしました。

 1995年5月18日 「Photoshop3.0J」へのアップグレードの案内書が届きました。ただし、届けられた書類は前年秋に発送したと思われるものをコピーしただけの一枚の紙でした。それによると、アップグレード製品の送付は、94年11月発売以降とあります。半年以上も経っているのに「以降」という文面を送りつけるのは、間違いではないにしても、正常な神経ではないと思います。ましてや、お詫びの手紙があってしかるべきではなかったでしょうか。送られて来た封筒の差出人は、「MV社」となっていました。

 なお、封筒の中には、「Photoshop」の用紙だけで、同時に登録したはずの「Premiere」のバージョンアップ書類は入っていないのです。先の電話で、この二点の手続きをしたい旨の電話をしたのに、まったく話が通じていないようです。担当者はMと名乗られる方でした。社内で登録手続きをどのように管理しておられるのかは、一ユーザーには関係のないことです。早急にというより、すでに市場に新製品が出て半年以上経っているので、一日も早く送ってほしいのです。「Premiere」のバージョンアップ手続きの書類は、後日送ってもらえることになりました。

 「Photoshop」の振込などの手配を5月24日にし、製品の到着を待っていました。ところが一ヶ月半後の7月に送られてきた「Photoshop3.0J」の宅配便の中には、「Premiere」の書類がみあたらないのです。また、奈良の自宅から東京のMV社まで電話をすることにしました。昼間なので、電話代もばかになりません。すぐに送りますと言われましたが、それでもなかなか来ません。

 8月9日に、また電話をして催促をしました。その時に、サポートの窓口をMV社からシステムソフトに変更したい意向を伝えました。「Photoshop」は、いくつかの会社がユーザーサポートを請け負っていました。自分が購入した製品によって、サポートをどこが担当するか異なるのです。私の窓口変更の申し出に、何か言い訳をおっしゃっていましたが、手続き方法は結局私には理解できませんでした。その手続き書類も、ついに来ませんでした。

 さて、「Premiere」のバージョンアップ書類をやっとのことで手にしたのは、何とそれから1ヶ月後のことでした。それも、1年以上も前の「1994年6月吉日」と明記された「アップグレードのご案内」という紙キレです。もうバージョンアップをする気もなくなりました。当のソフトもしだいに使わなくなっていたので、この「Premiere」は更新せずにそのままゴミと化していきました。戸外の物置に転がっていた「Premiere2.0」を今回取り出し、挟んであったこれまでのやりとりのメモなどを見ながら、この文章を認めています。

 1997年3月28日、つまり、今日です。そんなこんなのアドビの製品について、また困ったことに巻き込まれました。昨秋、「Photoshop」は4.0にバージョンアップしていました。3.0を活用している私は、バージョンアップの案内が届くのを心待ちにしていました。しかし、年が改まっても通知は何も来ないのです。痺れを切らせて、ついに電話をしました。すると、ユーザー管理がアドビに一元化されたとのことでした。そして数週間がたってから、中々繋がらない電話を、辛抱強くかけることになりました。繋がるまでに丸三日かかりました。これは、パソコンユーザーにとっては常識です。著名なメーカーほど、売れ筋ソフトほど、質問はファックスに限るのです。しかし、私は直接相手と話さないと、信用できなくなってしまいました。ファックスだって、事務所の机にポイの可能性も大なのですから。直接言葉を交わして話をしても、メーカーは無視やど忘れをするのですから、そこは自分を納得させるためにも、電話の問い合わせとならざるをえないのです。

 ようやく繋がった電話口で、正規ユーザーであるしるしの登録番号を言うと、相手が確認のために言う住所の番地がちがっているのです。まったく違う数字で登録されていました。書類が私の手元に届かないはずです。かつては、MV社からは正確な番地で封書が届き、「Photoshop」も宅配便で届いたのにです。MV社からアドビに名簿が移管されたことに伴い、私の住所の番地が文字バケしてしまったのだろう、ということにしておきましょうか。

 電話口での確認でさらに驚きました。私の名前で登録されているユーザー番号の登録データによると、今私が持っている「Photoshop」のバージョンは、なんと旧版の「2.5」だそうです。MV社から送られてきたあの「Photoshop3.0J」は、今使用しているものは、一体なんなのでしょうか。

 それはさておき、とにかく至急バージョンアップの書類を送ってくれるそうです。期待せずに待つことにします。同じことが繰り返されるのは世の常。次は、本年5月に催促の電話をすることになるのかもしれません。このインターネットのホームページで表示している画像は、すべて私が正規の登録をしている(したはずの)「Photoshop」で作成したものであることを、重ねて申し添えておきます

 日本のソフト産業を育てていくために一利用者がこのようにして協力をしていくのも、大変な忍耐と努力と資金と時間が必要であることが、お分かりいただけたでしょうか。日本のパソコンに関しては、ハードもソフトも製品の仕上がり以前の人間の問題が未成熟だと思われます。

 こんな業界を、われわれは、今しばらく、みんなで健全なものになるように根気強く育成していきましょう。

(つづく)
 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 

2015年3月21日 (土)

不調の iPhone を4台目に交換すべきか

 また、iPhone 6 Plus の日本語入力が遅くなり、ほとんど使い物にならなくなりました。
 その遅さは、auショップの店員さんからもお墨付きです。
 こんなiPhone は初めて見ました、と。

 昨年10月以来、この半年で2回も本体を無償で交換してもらっているので、現在は3台目の iPhone 6 Plus を使っています。

 これまでのトラブルの経緯は、「4ヶ月で3台目の本体交換となったiPhone6 Plus」(2015年02月25日)に記した通りです。

 この不調は、ソフトウェア起因のものではなく、かといってハードウェア起因とも言い切れないものだ、とアップルの担当者は言っています。原因不明として説明は放棄され、結果としては本体の無償交換で片づけられています。

 これでまたアップルストアへ持参しても、またまたまた4台目を渡されるだけなので、そのために行く気力は喪失しています。バックアップしてあるデータから復元し、いろいろと微調整するのに、意外と時間がかかるのです。

 一連の不具合が日本語入力システムに起因するものとしか思えないので、登録したユーザー単語の分量やデータ形式等に関係するのかもしれません。アップルは否定しますが。

 この登録した単語は、一語ずつしか削除できません。しかも、一単語を削除するのに10秒ほどかかり、次の削除対象の単語を指定するまでに、また10秒ほど待たされます。つまり、一単語を削除するのに、最低20秒から30秒かかります。
 時間の合間に削除を続けています。しかし、まだその効果はありません。
 他にも、いろいろと試していることがあります。しかし、今はそれを省きます。

 ネットで調べてみると、iPhone の登録単語の一括削除や一括登録の記事があります。iCloud と連携しての登録・削除の方法のようです。しかし、いずれも個人の裏技公開とでもいうべきものであり、アップルの正式な対処方法は見当たりません。

 今は、非常に快適に動作しているATOK pad というアプリに日本語の文章を書き、それをコピー&ペーストしてメールなどに移し替えて送信しています。メールの送信画面で直接日本語を入力など、とてもできないほど動きが緩慢です。そのため、メールの表題部分を書く時が、一番ストレスを感じるのです。また、申し訳ないことに、「Re:~」のままで返信ぜさるを得ません。

 そんな状況なので、今の私の iPhone は閲覧専用の状態にあります。
 そのせいもあり、メールなどの返信が滞っています。
 これまでは、片道2時間弱の電車の中で、メールの返信などの対処をしてきました。それが、日本語を入力するのが大変なので、自宅に帰ってパソコンからメールを送ることになっているのです。それにともない、メールによる迅速な対応ができなくなりました。申し訳ないことです。

 日常的に電話をまったく使わなくなり、連絡はメールに頼っていました。
 こうした生活は、見直す時期なのかもしれません。
 マッキントッシュにはフェイスタイムがあるので、電話を活用した生活を復活させてもいいかもしれません。
 マックのコミュニケーションツールとしては、メッセージがあり、エバーノートの通知機能があります。
 メールだけに頼らず、クラウドの活用を考えたいと思います。
 さらには、古来の手紙という通信手段も、まだ日本では機能しています。
 私は、手書きの字が下手なので、30年前に、これ幸いと、真っ先にワープロに飛びつきました。
 その原点に立ち返り、コミュニケーションツールについて考えてみろ、ということなのかもしれません。

 いましばらくは、メールをいただいても、反応の悪い日々が続きそうです。
 ご理解のほどを、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2015年3月20日 (金)

読書雑記(120)新井たか子著『愛情の庭 若き盲女の日記(復刻版)』

 新井たか子著『愛情の庭 若き盲女の日記 復刻版』(社会福祉法人 桜雲会 点字出版部、2014.7.25)を読みました。


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 戦前、東京盲学校師範部で学んでいた女学生の日記を編集したものです。昭和17年に「愛情の庭」(興亞書房)として発行された後、約70年もの間「幻の名著」と言われていた本です。
 戦中戦後の混乱期を潜り抜けた1冊が、偶然に著者の手元で見つかり、こうして復刻されたのです。

 著者である新井たか子さんは、1920年に栃木県足利に生まれました。高等女学校の時に字が見えなくなります。足利盲学校から東京盲学校師範部鍼按科を卒業した後は、弱視ながらも多方面で活躍します。「和歌の会」を結成し、歌人窪田空穂の指導を受けたりもしました。

 本書の巻頭には、西條八十の「二元の生活者」(昭和17年5月)、川端康成の「序」(昭和17年5月)を置く、贅沢な編集となっています。

 著者は、しっかりとよく物を見て考えます。感受性の豊かさが伝わって来ます。
 弱視のため、全盲の人との間に入って悩む姿が、読む者の心を惹き付けます。
 学校での明るい生活と、その反面も対照的に語られており、見えないことと生きることの苦渋が、行間から直に伝わってきます。

 日記として記される文章も、表現がしっかりしています。二十歳そこそこの少女とは思えない、さまざまな思いが言葉としてつづられています。この日記には、硬軟取り混ぜての、理知的なものと抒情的な表現が散見します。

 なお、引用文を作成するにあたっては、校正の手間を省いたために、所によっては旧漢字で引いていない箇所があることをおことわりしておきます。


一すぢにもえ上る友情を、冷静な、しかも底に涙を藏した學校當局の處置、經験と境遇の相異からくる生、死といふものへの見解の差、死といふものを大したことに思はぬ私等と、最大の不幸となす先生との間に横たはる大きな距りはまたなんといふ接近し、感電しやすい兩極であらう。先生の氣持をうなづきつゝクラスの熱意を支持してやまない私ではある。(17頁)

 (中略)
 あゝ、なんといふうらゝかな日和だらう。木々は緑に萌え、空は限りなく優しく、花壇には赤や白や黄のチユーリツプが絢燗と咲きき匂つてゐる。はら/\とちりゆく櫻の花びらを掌に受けとめて、櫻貝のやうな一ひらをそつと唇に當てれば、甘い、やはらかな感觸は溢れるやうな抒情そゝる。(40頁)

 (中略)
 護國寺のものしづかな丘をあゆみながら、春井さんは私の取つてあげたうす紫の野菊をそつと唇にあてゝ、うつとりしてゐたが、その可憐な小菊を親指と人さし指とで輕くつまんで、斷髪にかけたそら色のリボンにそつとさす。そしてちよつと小首を傾けて、
「ね、似合つて?」
 とにつこり笑ふ。
 私の返辭は、このひとへの鏡になるのだ。
 あたりの景色はみんな冬枯れた褐色と灰色に蔽はれてゐたゞけに、嚥脂のワンピースを着た春井さんの姿は浮繪のやうに美しくあでやかだつた。(218頁)

 著者は、弱視で本を読むことは何とかできます。読書と批評の様子も記されています。


 朝からぶつつづけに小読「若い人」をよむ。終ひには、目がぼんやりかすんで活宇が、ごちや/\になつておどり出してくるやうな氣がする。酷使だと思ひつゝも、よみだしたら終る迄やめられないのが私の性分だ。聲を出すのでのどがカラ/\になつて聲がへばりついて出ない。二三頁よんでは休み、一頁よんでは目をつむる。
 春井さんは机によりかゝりながら熱心にきいてゐる。私の何時も驚歎する事は彼女がとても鋭い感受性で、私などの氣付かないやうな批評をし、感動を物語ることだ。何時だつたか、「女の學校」と「ロベエル」の批評を互ひに言ひ合つた時、「ジイドの意圖したもの」に對する鋭い解剖と批剣の正確さに、私は全く壓倒されてしまつた。今日も江波の性格、その母のタイプを解剖して、彼女の本質を驚くべき記憶力で捉へて、時々の會話、動作等の適切な例を引いて究極までつつ込んでゆく。彼女の頭の中には聞いたストーリイの一語一語が整然と收つてゐるやうな氣がする。(44頁)

 著者は、何よりも本を読むことが好きだったのです。『更級日記』の作者を彷彿とさせる、とにかく本が読みたい盛りの少女だったのです。それを支える母の存在の大きさには圧倒されます。


 今日のやうなことがあると私は泌々と十五六歳頃の自分の日々の生活を思ひ出す。
 私の視力は殆んどなく、僅かに明暗が分る程度でしかなかつた。女學校へ通へなくなつた私は全く絶望して終つた。友だちとも一時全然會ふ事をさけた。暗黒と孤濁の世界にとぢこもつて、われと我身を憎み、世間を、果ては親をさへうとましく思はれた。
 けれど家人にきづかれぬやうに、こつそりと一町許りはなれた鎭守の杜にひざまづいて、ひそかに祈つた願ひ─。
 ”何も見えなくてもいゝ、どんな不幸になつてもいゝから、どうぞ本をよまして下さい。本に向つた時だけでも私に視力をお與へ下さい”
 あゝ、なんといふ可憐なひたむきな祈りだつたらう。あの時の自分の最も苦しかつた事は御飯よりも好きな本がよめなくなつたことだ。鎭守の杜から歸つて來ては本を開いて見る。けれど相變らず、私の網膜は私の期待する一字をさへ反映してはくれないのを知つてどんなにくやしく、情けなく思つたらう。
 母や?母は、私の一生を考へて、ずい分心配したらしいが、私が苦しんだのは只”本がよめないこと"そのことだけだつた。
 母は毎晩十時十一時迄、私の爲に本をよんで呉れた。母は疲れと眠さの爲に聲が出なくなり、本を掩つてウト/\とする。私は母の寝息をきゝながら、焦燥とやるせない悲しみとを以て母が再びめざめてよんで呉れる迄ぢつと待つてゐる。しばらくすると母は又首をあげてよみはじめる、が直ぐに再びねむつてしまふ。ぢつと私は待つてゐる。
 ついに堪らなくなつて床に入るやうに母に言ふ。その言葉にやゝめざめた母はまた、一しきりよみつゞけるのだ。うす暗い電燈の光は、この戰ひゆく母子の姿を毎夜ぼんやりとてらしてゐるのだつた。
 幾夜、布團をかぶつて涙をかみしめたことか─。
 あゝ、お母さん!! かう書いて來ると私はたまらない。涙が、こんなにポタ/\とおちてくる。
 なんと淋しい、哀れな姿。そして又なんと尊い美しい姿だつたらう。二人の間には一分のへだたりもなかつた。お母さんは私の心を一番理解してくれてゐた。口にはなんにも言はなかつたが……。進んで盲學校へ入れたのもお母さんだつた。
 未亡人として二兒を育てあげて來た母の生活は、本當に人生とがつちりと組合つたやうな強く逞ましいものであつた。けれどもまた弱い脆い一面を持つ母だつた。
 私が目が見えなくなつたあんな時でさへ母は私に不安な色ひとつさへ見せず、勇敢に次に進むべき道を示してくれた。しかしその反面で母はどんなに尊い涙を流してゐたことだらう。
 私は全く母の愛によつて更生したのだ。母は私の命の根だ。この母のためなら自分はどんな困難と戰つても立派に生きぬいてゆける。(46〜48頁)

 著者は、『更級日記』などの古典に親しんでいたから、このような描写になったのか、あるいは少女に相通ずる資質なのか、興味のあるところです。
 後に、「紫式部」という言葉が出て来るので、そこも参考までに引いておきます。
 これなども、『紫式部日記』のことを知ってのことなのでしょうか。


 學校時代に、歴史の試験答案を七五調の韻文で書いて先生を驚かしたといふエピソードを持つてゐる友は、クラス雑誌に盛んに小説をかき、短歌をつくり、詩をよんだ東盲の才媛だつたのだ。
 「紫式部」、それが彼女の仇名だつた。ある先生などは、若し彼女が目が見えて、適當な教育を受けて行つたら、實にすばらしいものになつたらうと語つてゐるほどだ。(204頁)

 文学少女は、夏目漱石の『心』を読み、雑司ヶ谷の墓地へも行きます。


 雑司ケ谷の墓地は夏目漱石の墓があり、彼の「心」といふ作品をよんでから私は、こゝがなんとなく壊かしく、時々氣の合つた友と、或ひはたつた獨りで時を忘れて逍遙する。初夏のたそがれの此處は、殊に私たちの若い心を優しくやわらかく愛撫して呉れる。─貴女の好きな文學を專心おやりなさい。若し私で出來ることだつたら、どんなにでもお手傳ひしませう、と私は心から桑野さんを勵ます。(50頁)

 作者の眼は、温かく周囲を見ています。そして、甘えない厳しい眼も見せます。
 みんなが一所に集まり、生活を共にし、いろいろと悩み考え助け合った日々。
 その一日一日を書き記した日記にも、東京盲学校を卒業すると共にみんなが別れる辛さ寂しさを感動的に語ります。ありのままの思いを書き付けているので、素直に読み手に伝わってくるのです。


「目が見えないのに、寫眞を下さいなんて恥しいけど、でもかたみには何よりも寫眞がうれしいわ」
 などゝ言ひながら、私のを貰つてくれた。この寫眞にはかの人のうつし姿が生きてゐるのだとその滑らかな面をそつとふれて見てなつかしむ時もあることであらう。(272頁)

 また、この日記の背後には、第2次世界大戦が横たわっています。そのことに言及する記事も、貴重な記録となっています。


 みんな各部屋でつゞつた慰問文に點字のはカナを振つて封筒に入れ、一個に四五通づゝ入れる。かはいゝ初等部の子のや中等部、師範部の生徒の烈々やくが如き熱誠あふるゝ文など、兵隊さんはどんなお氣持ちでおよみ下さるだらう。
 點字にふつたかなの文字を月の光にすかしてよむ尊い勇士のお姿があり/\としのばれる。
「おゝ目の見えぬ子からのおくりものだ」
 この慰問袋を開いた時、鬼をも恐れぬ勇士の胸は一種の強い感動に動揺するのではあるまいか。
 一室に二十人許りの女子が集つて、見えない人は鋭敏な觸覺で手ぬぐひをきちんと折り、脇と底を裁縫にして口をくゝる。四五十の袋が忽ち出來上ると、めい/\一品づゝ受持つてそれを袋に入れると次の人にまはす。袋が一周すると手ぬぐひがはち切れさうに一杯になる。(101頁)

 (中略)
 私たち女同志が手をとり合つて出かける時、街のちまたに立つてどうぞ一針と出される千人針。ハツと思ふが、目が見えませんからとそのまゝ通りすぎる事が出來ようか。さし出した人もハツと一瞬當惑と後悔が胸をかすめる、がすぐに「恐れ入りますが」と圓いしるしの所へ針をさして貰ひ、それをぬいて二度三度、糸をかけて結ぶそのまごころ……。どうもありがたうございました、と心からお禮を言はれて、かへつて恐縮して歸つて來る氣持ちは複雑だ。
 今日の慰問袋がどこの勇士の手に抱かれるか誰も知らない。けれど私たちの眞心は、荒野の果てに假寝の夢をむすぶ勇士の一人一人の心にあたゝかく通つてゐるのだ。
 さう思ふ時、私たちの心も安らかに、今日の終りを感謝してねむることが出來るのだ。(103頁)

 (中略)
 美しい便りが來る。軍事郵便と赤い判のおさつた角封筒を受け取つて、見知らぬ名前に急いで披いて見る。と、きちんとたゝんだ便箋の間から、ハラ/\とおちた幾葉かの押花。拾ひあげて見ると、丹精した後の見える美しい鈴蘭の押花ではないか。
 "僕は先日、陣中クラブのグラフで御校、東京盲學校の女子寄宿舎生一同が、見えぬ目に慰問袋をつくられ、陸軍省へ献納された寫眞を見まして非常に感激しました。銃後の皆様の熱誠は、前線の僕等の心を激勵してくれます。僕等はきつと皆様の御期待にそふことを心から誓ひます。
 皆さまには、御不自由にて何かと大變でせうが、どうぞ一生懸命勉強して立派な大和撫子になつて下さい。
 これは北滿の國境にさく鈴蘭です。警備の合ひ間に採集したものです。どうぞお受け取り下さい。生々とした鈴蘭の香りをお送り出來ないのが残念です。"
 短い文章だつたが、この鈴蘭の香にもまして、なんとかほり高いなつかしい武人の心だらう。戰野に鈴蘭をつみ、美しい抒情をこめて押す心、目の不自由な者に特に同情して優しい便りをよせる心。
 緩急あれば身を挺して敵陣におどり込み、鬼をもひしぐ勇士の、あゝなんといふ尊とい美しいお心であらう。
 私達はこのおほらかな、豊かな愛情に抱かれてゐる。なんといふ幸幅な惠まれた私達だらう。

 女性と男性を対峙させた記述もあります。


 「目の見えぬ女性」それは「目の見えぬ男性」と並べて考へうるものではない。
 この「目の見えぬ世界」にも、また、宿命的な女性の道が横はつてゐるのだ。
 一般社會の女性が、結婚といふことについて「選擇する」とか「選擇される」とか言ふ事に悩み苦しんでゐる時、目の見えぬ女性たちは、より根本的な「可」「否」といふ問題に苦しまねばならぬのだ。前者は、巳に「可」といふ前提が暗黙の中にもうけられてゐるが、後者にはそれが自覺によつてもうけられねばならぬのだ。そして、そのいづれにもせよ、いかに多くの忍從と犠牲とが必要であるかは明らかである。
 目の見えぬ女性が瞬間的、享樂的にならうとする自己を持しつゝ、如何に困難な勉強をつゞけつゝあるか、それは一般人の想像以上であらう。
 私はこの女性の危險な、一歩あやまれば自殺もしかねないやうな心的状態を救ふ道は、偉大なる精神力によつて文化的事業に身をさゝげられる喜びを與へるにあると思ふ。
 それは教育でも治療でも又その他のなんでもよいのだ。(207頁)

 (中略)
「目の見えぬ者」といへども人間である以上、女性は女性としての道を進みゆくことは望みたいことである。又、出來得る限り、さうせねばならぬと思ふ。
 要はいづれにもせよ、女子の自覺、覺醒と實行力、及び、偉大なる精神力である。それが女性の「幸」「不幸」を決する。
 結局、女性には、男性よりも更に大きな宿命的重荷があり、それを征服してゆくには、血のにぢむ努力が必要とされるのだ。(208頁)

 この日記に記された、東京盲学校で受けた教育と寄宿舎での生活から得たことが、著者のその後を後押ししていくことが容易に想像されます。

 本書の巻末には、日本盲教育史研究会会長である引田秋生氏の解説が付されています。
 本書をお読みになる前に、この解説に目を通してから読み進めると、本書の位置づけが明確になり、読みやすいかと思います。
 
 
 

2015年3月19日 (木)

京都から来たインコと第3世代のメダカたち

 我が家には、いつも小さなペットがいます。

 結婚してから、まずセキセイインコを飼い出しました。
 大阪の八尾にあった実家に帰る時には、小さな弁当箱に入れて新幹線で一緒に旅をしました。

 子育てをしていた奈良では、ウサギとセキセイインコと金魚が、子供たちの相手をしていました。
 金魚は、幼稚園の金魚すくいでもらってきたものでした。それが大きくなりすぎて、鯉のようになったのです。一番大きな水槽にして、出窓を全部使って世話をしました。しかし、それでも狭くて自由に泳げなくなったので、子供たちと一緒に龍田川へ放しに行きました。子供たちは、大きな声でさよならを言っていました。

 京都に移ってからは、セキセイインコとメダカがいました。
 縦に長い京町家なので、インコは自由に家の中を飛び回っていました。

 今、東京の宿舎には、セキセイインコとメダカがいます。
 このセキセイインコは、4年前に京都の家から新幹線で東京に連れてきたモグチャンです。


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 京都は木造の町家で寒暖の差が烈しいのに比べて、東京はマンション形式の四角いコンクリートの部屋です。インコにとっては、南向きで暖かい東京が気に入っているはずです。
 もっとも、東京にはエアコンがないので、扇風機の網に止まっています。夏は、京都の方が賀茂の川風が家の中を通り抜けるので、かえって過ごしやすいかもしれません。
 2年後に京都へみんなで帰るので、その時にインコの様子を観察したいと思っています。

 インドにいた時には、インコといっても大群が空を覆うようにして移動していたので、不気味な感じでした。しかし、1羽だけの小鳥は、かわいいものです。

 今いるメダカ3匹は、この東京では第3世代目です。


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 これまでのメダカ達のことは、以下の記事をご笑覧ください。

「新しく我が家の一員になったメダカたち」(2012年09月05日)

 いつも身近に、小さいながらも生き物たちがいる、というのはいいものです。
 
 
 

2015年3月18日 (水)

糖質ゼロのお酒が増えています

 これまでに、糖質ゼロのお酒やドリンクのことを何度か取り上げました。
 あくまでも、私の生活圏で入手したお酒に限っての情報です。
 私はネットショッピングを極端なまでに排斥しているので、以下の情報は自分で手に取って選んだものであることを、まずはお断りしておきます。

「糖質ゼロのお酒3種」(2012年05月08日)

「慰労と予祝のファミリーパーティ」(2012年06月17日)

「糖質ゼロのビール類のすすめ」(2012年06月18日)

「甥の葬儀のこと」(2013年12月08日)

 このゼロ指向は、年々加速しているようです。
 先日も、今年になって発売されたという日本酒「松竹梅」の糖質ゼロ版を飲んでみました。
 あまり特徴のない味だったように思います。


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 違いがよくわからないなりにも、今のところは「白鶴」が気に入っています。


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 長い間、この分野での先発隊であった「月桂冠」を飲んで来たので、ようやく各社の違いを比べられるようになったことは大歓迎です。


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 「大関」は、「月桂冠」しかなかった時に、ようやく出てきたものだったので、しばらくは飲んでいました。しかし、「白鶴」が出てからは、飲まなくなりました。


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 地方へ行くと、糖類無添加としていろいろとあるようです。
 「由利正宗」は、妻の実家である秋田で、地酒として家にあったものです。
 これはおいしくいただきました。ただし、東京や京都では手に入りません。


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 日本酒以外にも、梅酒やワインもあります。


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 もちろん、糖質のない蒸留酒のなかでは、焼酎が私の一番安心して、どこでも飲めるお酒です。あとは、今人気のウィスキーやブランデーも、蒸留酒なので糖質はありません。

 もっとも、私はそんなにお酒飲みではない上に、手術後は身体がお酒を受け付けないことがままあるので、気分転換という意味で、少量をできるだけ毎日飲むようにしています。
 主治医の岡部先生からも、私はストレスを溜め込むタイプなので、発散の意味からもお酒を奨めていただいています。

 こうした健康指向と言われるお酒がいろいろと手に入るようになることを、今後とも楽しみにしています。

2015年3月17日 (火)

立川市中央図書館で源氏写本を再度立体コピー

 昨秋、「立川市中央図書館で聞いた視覚障害者への対応」(2014年10月29日)と題する記事を書きました。

 その後、ハーバード大学本「須磨」の巻頭部分を中央図書館の機器で立体コピーしていただき、それを使って総合研究大学院大学の学術フォームで発表したことも、次の記事で報告した通りです。

「視覚障害者と共に古写本を読むためのポスター発表をする」(2014年12月20日)

 今日も、中央図書館の福島さんのご理解とご高配をいただき、早坂さんのお手を煩わせて、また立体コピーを作成していただきました。


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 このコピーマシンの内部は、こんな状態です。


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 このマシンの製造元をホームページで確認した所、大阪府八尾市にある松本油脂製薬株式会社の商品であることがわかりました。
 八尾といえば、私が10代を過ごした所です。会社は八尾高校の南西にあるようなので、機会があれば訪問してお話をうかがおうと思っています。

 また、このマシンは、1979年3月に熱発泡性マイクロ樹脂「マツモトマイクロスフェアー」を製造販売された翌年に、それを応用した盲人用立体コピーシステムとして販売されたもののようです。
 この技術が今はどのように発展し、展開しているのか、ますます興味が湧いてきました。

 今回の立体コピーは、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんのアドバイスを受けて、再度のチャレンジです。

「京都駅前で充実した時間を過ごす」(2015年02月27日)

 立体コピーはもう少し大きい方がいいとのことだったので、ハーバード大学本「須磨」の巻頭部分を、原寸よりも1.5倍に拡大したものを元にして作っていただいたのです。

 圧力は、7.5、10の2段階にしていただきました。


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 次の写真は、左が圧力10の立体コピー、中央が圧力7.5の立体コピー、右が印刷用原稿、を並べたところです。


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 判読が大変ながらも、文字が幾分盛り上がっていることがわかるでしょうか。
 私が触った限りでは、前回の原寸大よりも少し大きいこの方が、指への引っ掛かりが実感できるので、確かに読み取りやすそうです。
 また、圧力は、前回の7.5よりも、さらに強い圧力をかけた10がよさそうです。

 さて、この新しい立体コピーを使った実験がどのような結果をもたらすことになるのか、また楽しみが増えました。

 関連する参考情報をお持ちの方からの連絡も、お待ちしています。
 
 
 

2015年3月16日 (月)

読書雑記(119)ジェラルド・グローマー『瞽女うた』を読んで

 『瞽女うた』(ジェラルド・グローマー、岩波新書、2014.5)を読みました。


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 門付けをする瞽女の立場からの視点と聞き手側の視点が、バランスよく取り扱われているのが、本書の特質となっています。
 近世の文献もよく調べてあり、考察にも行き届いた配慮を感じる一書となっています。
 まず、その実態の確認から引きます。


 近世の瞽女人口は関東上信越、甲斐、駿河に集中した。出雲国、隠岐国、石見国など中国、四国、中部地方にも芸人として活躍していた「盲女」は各地におり、九州にも門付け芸を演じる瞽女が二十世紀まで見られた。にもかかわらず、戦後に「瞽女」といえば「越後」と受け取られるようになった。それはなぜであろう。
 越後の瞽女は、明治以降も県政府に弾圧されることはなく、村人も瞽女の活躍を長らく支援し続けた。新潟県では大正、昭和にも瞽女は珍しくなかった。しかし近代化にともない、越後瞽女の多くも按摩業に転業し、結婚し、しだいに現役を退いた。戦後は高田(現・上越市)と長岡の瞽女稼業に不可欠な仲間組織、すなわち年功序列を基本とする職能集団が維持できなくなり、瞽女文化の終焉は時間の問題となった。(6〜7頁)

 瞽女の本質は、その唄の節回しにあると言います。
 しかし、それも商売なので、疲労を避けるためにも楽に歌ったりしていたそうです。なかなか、手の抜きどころを弁えた門付けなどをしていた話は、人間味溢れる逸話で楽しく読み進められます。

 瞽女唄の復元についても、歴史的な文脈の中で、現代の聞き方で聞く必要性を強調します。


 地方在住の農民が明治まで培ってきた「特有の聴き方」は、それぞれの時代にふさわしい聴き方ではあったろう。それらの歴史的文脈を顧慮せずに無理矢理復元しようとすれば、かならずや時代錯誤に陥る。我々は復古ではなく現代の聴き方を探らなければならない。古き時代へのノスタルジーの虚妄に浸ることなく、過剰評価することなく、いまや一種の異文化として生き続ける瞽女唄を、絶えず変わる歴史的現象として聴くこと。そうしてはじめて瞽女唄の真の意味が我々の耳にも聞こえてくるであろう。(30頁と)

 加茂大明神のことに触れる個所があったので、記録として残しておきます。


「瞽女縁起」は光孝天皇を嵯峨天皇に置き換え、「雨夜の尊」を「天世の姫君」に変えるなど、当道の伝説を大幅に改訂している。当道の「古式目」にある「加茂大明神を当道衆中の鎮守とあふ[仰]ぎて、古中今ともにをこたり[怠]なく信じて」と「十宮崇敬信すべし、かり[仮]にもかろ[軽]しむべからず」という要請を、「瞽女縁起」では「如意輪観世音は妙音菩薩なり、信心之凝らすべきなり、妙音弁才天加茂明神を常々怠りなく祈るべき事なり、世渡りの道守護の本尊なれば疎に心得べからず」と書き直している。(62頁)

 瞽女の実体については、次のように語ります。


 第一章で見てきたように、瞽女が長旅をしながら食い扶持を稼いだ歴史は中世に遡るが、往古の瞽女の正確な人数、旅路、収入などを伝える史料は皆無に等しい。しかし江戸期に入ると女性視障者の活躍の輪郭は次第に鮮明となってくる。
 江戸初期の瞽女・座頭の重要な収入源のひとつは、幕府、諸藩、武家などから婚礼、初産、元服、家督相続、法事などの吉凶に際して支給された米銭であった。瞽女・座頭は不定期に配られる施行を集めるために東奔西走した。(94頁)
 
 時代が明治に変わると、関東とその周辺地域のほとんどの村の「予算」から瞥女・座頭の賄いに充てられた財源は影も形もなく消えてしまった。為政者はそれを進歩と合理化と考えたであろうが、瞽女と座頭にとってこのような「文明開化」は迷惑千万に他ならなかったのである。(115頁)

 既得権が奪われた大勢の視障者にとって明治維新は「文明開化」どころか、さらなる苦難の幕開けであった。(200頁)

 瞽女が演奏する詞章について、その言葉の異同について、次のような傾向を指摘しています。これは、芸道における言葉の変移を考える上で参考になる事例です。


 杉本キクエが二十年間あけて二回録音した「祭文松坂」の「葛の葉子別れ」を聴くと、ほぼ全ての語句が再現され、しかもほぼ同じ順番で出現している。一方、伊平タケの二種の演奏では、多くの語句が入れ換わっており、語句のストックからその場で選んでいるようである。
 結論を先取りすると、「祭文松坂」の演奏における詞章の構成は一様でなく、師匠の口伝に忠実な杉本キクエと自由を求める伊平タケをその両極端として、山本ゴイと小林ハルはおそらくその中間に位置しているようである。「祭文松坂」には旋律の正調が無いことはすでにのべたが、「歌詞の正調」も無かったといえる。(178頁)

 著者は、視障者と晴眼者に分けています。男性視障者、瞽女、座頭、当道などの語も出てきます。
 そして、近世の芸能史を背景にして、瞽女が権利を確保する様子を、資料をもとにして手堅くまとめています。障害者を社会との関係で見ていく点に、実態が浮き彫りになっています。

 著者の専門が音楽学ということもあり、後半の瞽女唄の演奏については詳細です。楽譜を見ても素人にはわからないので、容易に音が聞けたらいいのにと思っていたら、ネット上にしっかりと用意されていました。読者への気遣いを感じました。

 最後に著者は、次のような問題提起をしています。これは、携帯音楽プレーヤーで日常的に音楽を聴く若者たちへの問いかけでもあります。物語唄の消滅の意味と、音楽とは何かを考えさせてくれるものとなっています。


 瞽女は意識しなかったかもしれないが、彼女たちの唄は、我々に問いかけている。なぜ、音楽市場から、あのように長い物語を展開する唄は消えてしまったのかと。肉体的には江戸時代の人々と変わらぬ集中力を持っていても不思議ではない現代人にとってなぜヒット曲の大半は、三分程度で終わるのであろうか。なぜ、ポップスは機械的なビートに終始しているのであろうか。柔軟なリズム感は、いったいどこに行ってしまったのであろうか。細かい装飾音の多い旋律を、なぜ聴衆(消費者)は要求しなくなったのであろうか。それを要求しなくなったのだとすれば、瞽女唄を好まない聴衆の嗜好は一体どのように発生し、どのように操作され、どれほど制限されてきたのであろうか。聴衆が無言のままに甘受している、こうした音楽の諸限界は、誰のいかなる利益となっているのであろうか。かくして瞽女唄は、枚挙に暇がないほどに多様でかつ痛烈な批判の矛先を、現代社会の我々に向けているのである。(226~227頁)

 
 
 

2015年3月15日 (日)

京洛逍遥(347)お茶のお稽古の後に話題の下鴨神社へ

 昨夜は、自宅に来てくれた娘夫婦と一緒に、豆乳鍋をいただきました。
 賑やかに食事をするのは、何かと難のある我が身体にもいいことです。

 今朝は、多忙でお茶のお稽古ができない日々なので、娘が特訓をしてくれました。
 菓子器は、白山焼という焼き物で知られる藤川白鳳さんの作になる、宇治橋と柴舟が描かれたものを使いました。茶木さんのお店でいただいた、『源氏物語』に関する絵柄の器で、80年ほど前の作品のようです。


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 宇治橋と柴舟をテーマにしたものは、出光美術館所蔵の「宇治橋柴舟図屏風」(江戸時代、六曲一双)でよく知られるように、宇治十帖にイメージを通わすものです。
 気持ちだけでも『源氏物語』につながる演出になればと思っています。

 久し振りのお点前なので、横から娘に突っ込まれながらのお稽古です。


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 なかなか思うようにはできません。
 一通りお点前のおさらいをしてから、娘達が結婚式を挙げたことから親近感を一層深めた下鴨神社へお参りに行きました。

 御手洗川の辺に咲く光琳の梅は、今が満開です。


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 楼門を出て南に真っすぐ歩いて御蔭通りを渡ると、出町柳に向かう表参道の左右は、最近話題の区域です。


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 今月2日に、この境内の南側の一部を高級分譲マンションにする、という発表がありました。
 写真の左が老朽化のために取り壊しとなる研修道場で、右が今は駐車場となっている場所です。
 この世界遺産である「糺の森」の隣接地9600平米を、50年間の期限付きで貸し出すというのです。
 高さ10メートルの鉄筋コンクリート造り3階建てを8棟(計107戸)建設し、式年遷宮の費用を捻出するのだそうです。本年11月に着工し、2017年2月に完成する予定だとか。

 厳しい現実の中で、思いきった下鴨神社の決断には驚きました。
 しかし、いかにも京都らしくて違和感はありません。
 さて、どのようなマンションができ、この糺の森の景観がどう変化するのか、今から楽しみです。
 
 
 

2015年3月14日 (土)

京洛逍遥(346)京都のワックジャパンで『源氏物語』を読む

 朝の雨が昼前には上がり、賀茂川では鷺や鴨が土手に上がってのびのびしていました。


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 鷺が、何を見つけたのか、急に飛び立ちました。
 鴨たちは、目の前の餌を探すのに必死です。
 それぞれに、自分たちの視野で生きています。


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 明日の午前中は家でお茶の練習をするので、ワックジャパンへ行く途中にある寺町通りの一保堂で、お抹茶を少しいただきました。
 お店の壁には、時代を感じさせる茶壺が並んでいます。


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 今日のワックジャパンでの『源氏物語』の勉強会は、ことばの意味に始まり、日本文化と国際交流に及び、果ては京都について、フリートーキングの日となりました。
 そのため、ハーバード大学本「蜻蛉」も、『十帖源氏』の「明石」も、進みませんでした。

 雨上がりの京町家の庭は、落ち着いた雰囲気のたたずまいです。


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 この2階に、今日もみんなで集まっての学習会です。

 懇談会となったことの発端は、「こどもたち(子供達)」からでした。
 本来は「子(こ)」に複数を示す接尾語「ども」がつき、それにさらに複数を表す接尾語がついて「こ・ども・たち」となった、ということからでした。

 その話が発展し、「おみおつけ」を漢字で書くとどうなるか、となりました。
 辞書には、「おみ‐おつけ 【御味御汁・御味御付】」とあります。しかし、【御御御付】もあるようです。これが、女御詞から来た味噌汁のことであることを、若い方々には連想できないようです。
 「御」という接頭語がいくつ積み上がるのか等々、興味は果てしなく拡がります。

 そんな楽しい展開の中で、「茶ぁしばきにいこか」という言葉が出てきました。「喫茶店に行こうよ」という意味で、関西で使われる言葉です。
 私は使ったことがありません。テレビで流行った言葉かもしれません。
 さすがに、関西以外の方にはわからないことでしょう。大阪や神戸あたりはともかく、京都ではこの言葉を使うことはない、というか、なかったと思います。

 その他には、文学や文化に関することや、中国と韓国との文化交流のことなど、休憩時間もなしに4時間も、ああでもない、こうでもないと語り合いました。
 なかなかこのような話に熱中することもないので、今日は『源氏物語』の古写本を読むことを忘れ、この話題に終始しました。

 部屋の隅には、ニュージーランドからお出での方が体験学習で活けたというお華が、じっと話を聞いてくれていました。


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 次回は、4月4日(土)の午後1時から5時までです。
 こんな、自由気儘な源氏読みをしています。
 興味と関心をお持ちの方の参加をお待ちしています。

2015年3月13日 (金)

山下智子さんの京言葉で読む源氏物語へのお誘い

 不思議なご縁から、京言葉で『源氏物語』の朗読をなさっている山下智子さんの活動を知りました。

 関弘子さんが『源氏物語』をお読みになったCD百枚は、そのすべてをiPhoneに入れて持ち歩いています。
 耳で聞く『源氏物語』としては、他にも俳優さんが録音されたものを、いくつか持っています。

 そこへ、無名塾出身の山下智子さんが、中井和子先生の京言葉訳『源氏物語』を読んでおられるとのことで、たいへん興味を持ちました。

「公式サイト︰京ことば源氏物語」

 この3月29日(日)には、神戸の風月堂本店で朗読サロンとして「花宴」巻を、


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 来月になって、4月11日(土)と12日(日)には、東京のキッド・アイラック・アート・ホールで「全五十四帖連続語り会」として「若菜上 其の四」の公演があります。


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 公演の趣旨や心構えなどを、いただいたメールに記しておられましたので、参考までに一部を引きます。


私は源氏物語を百年前の京ことばで、また原文を京音調で語る活動を致しております。
東京世田谷区の劇場キッド・アイラック・アート・ホールにて全五四帖連続語り会を隔月で開催し、​これは今年で​六年目となります。
様々に現代語訳されている源氏物語ですが、物語の生まれた京都という風土が育んだ気配や風情を体感していただきたい、また日本語の美しさ、心と言葉の声の深い関わりを体感していただきたいとの思いで、書物として遺された平安人の苦楽、もののあはれを声に乗せることに心注いでおります。
テキストは中井和子先生の「現代京ことば源氏物語」(大修館書展刊)を使用し​、また原文も京音調で語っております。

 非常にわかりやすい説明です。

 ホームページにあがっている、YouTubeの動画像を拝見しました。
 京ことばで、しっとりと語りかけておられます。
 これを会場で聞くと、独特の雰囲気の中で物語に浸れそうです。

 私としては、次の言葉の方にも注意が向きました。


隔月公演は作家窪島誠一郎氏所有の劇場で、窪島氏の主催です。
この公演の収益を点字図書館に寄付なさっていて、目に障害のあるお客様が何人も耳をかたむけてくださっています。
皆様鋭い感覚です。

お客様が目をとじてお聞きくださり、ご自身の源氏物語絵巻をイメージの中で描いて下さる事が理想です。
パフォ−マンスではなくまったく声だけでどのくらい物語を、また人物のこころや気配を伝えることが出来るのかというところを課題としております。
源氏物語の偉大さに、目の前の山は高くなるばかりですが・・・。

 目の不自由な方も聞きにいらっしゃるようです。
 現在、私は目が見えない方々と一緒に、『源氏物語』を古写本で読む試みに挑戦中です。写本に変体仮名が記された物語を、指などを駆使して、何とか独力で読めないかと模索中なのです。

 音声によるサポートも考えていたので、この山下さんの朗読は大いに参考になり、いい刺激と発想をいただけそうです。
 
 
 

2015年3月12日 (木)

日比谷図書文化館でハーバード本「蜻蛉」を読む(12)

 日比谷図書文化館で開講中の「古文書塾てらこや」では、「特別講座」の1つとして「【翻字者育成講座】ハーバード大学美術館蔵『源氏物語 蜻蛉』を読む」があります。

 昨秋からこの講座を担当し、本年1月から始まった第2期となる全5回が本日無事に終わりました。みなさん熱心で、こちらの方がいい刺激をいただきました。

 今日の内容は、京ことばで『源氏物語』を読んでおられる山下智子さんの朗読会のチラシを配り、参加をお誘いすることから始めました。この朗読会のことは、明日にでも本ブログで詳しく紹介するつもりです。

 続いて、国文学研究資料館のパンフレットを使って宣伝をしました。日本文学に関する研究機関がこのように開かれていることをご紹介し、その存在意義などをお話ししました。国文学に関する情報発信基地となっていることを折々にお話してきたので、後は立川まで足を運んでいただくことに尽きます。

 先週調査で行っていた天理図書館でいただいた、特別本の閲覧規定も確認しました。
 閲覧前には手を洗うことや、筆記具は鉛筆だけで、鉛筆削りや消しゴムの持ち込み不可、資料の取り扱いの注意事項や、メジャーや付箋などにも注意を促す記述があります。
 仮名文字を読む講座なので、実際に原本を見る時の心構えも、最後なので触れることにしました。

 次に、日本語点字の成立事情と仮名遣いについて、中野真樹さんの近著『日本語点字のかなづかいの歴史的研究』(三元社、2015.1)を引いて説明しました。
 このことについては、まだ私も勉強中です。みなさんに伝えたかったのは、現在使っている平仮名がどのような経緯で制定されたのか、ということです。『漢字御廃止之義』を著した前島密が、明治33年4月に国字改良の趣旨から文部省が選んだ8人の国語調査委員会の委員長を務めていたことは、平仮名の制定の背景にある1つの事実として記憶しておきたいと思います。
 明治33年に「小学校令施行規則」が改正され、小学校の教科書に「字音仮名遣い(字音棒引き)」が採用されました。今わたしたちが日常的に使っている平仮名の淵源です。
 この字音仮名遣いと点字の仮名遣いが、時期的に連動しているので、その背景を知ろうと調査を進めているところです。これは、まだまだ問題提起に留まるものであり、さらに勉強してから報告いたします。

 この講座では、わかっていることばかりではなく、わからないことや理解に苦しんでいることなども、ありまののにお話しています。

 また、現在使われている点字にも、字母表というものがあることを知り、その6点点字の表もお配りしました。


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(中野真樹『日本語点字のかなづかいの歴史的研究』13頁より)



 この講座では、平仮名の字母を意識して読むように心がけてきました。それが、点字にも、字母という概念があったことを知り、日本語で意味を伝える文字としての共通性にふれました。

 さらには、点字には独自の仮名遣いがあり、そのなかでも助詞の「は」「へ」「を」については「を」以外は「わ」「え」が用いられていることも、興味深く聞いていただけたようです。
 点字では、「わたしわ まちえ ほんを かいに いきました。」となるのです。

 長音表記のこともお話しました。
 例えば、私の名前をローマ字で書くと「ITO」「ITÔ」「ITOH」「ITOU」などと表記できます。平仮名で書いても、「いとう」「いとー」「いとお」等も正しいかどうかは別の問題として、可能なのです。表記が1つに決まらないのは、日本語で書き表す上でこれでいいのでしょうか。
 私自身で説明できないことを、勉強不足をそのままに提示しました。

 「蜻蛉」の諸本15本を校合した本文校異のブリンも配布しました。
 今日読み進んで確認する中に、つぎのような箇所があります。


めさましかりて[ハ=大平尾麦阿池御正L陽高国]・・・・520740
 めさましかりてともかくもせさせつらんなとうたかふこのうちにさやうのことしりて/前3さ〈改頁〉[保]
 めさましかりてとにかくさせてむと思ひいたらぬくまなくおさましうあやしきまゝにたゝあきれまとふこのうちに[個]

 ここで、諸本が「めさましかりて」とするところを、保坂本と個人蔵本が31字と44字という、長い異文を伝えているのです。このことについても、まだ調査が進んでいないので、この事実を伝え、諸本の翻字を進めると、こうした例がもっと見つかるはずだという話につなげました。

 『源氏物語』は、その読みが深く先行しています。しかし、それは大島本の活字校訂本文が精緻に読まれているだけであって、大島本以外にこうした異文が伝わっていることはまったく手付かずであることの問題点を指摘したのです。
 みんなで1冊でも多くの写本を翻字して、若手研究者に『源氏物語』のことを考えるための資料として渡しませんか、と。古典文学がどうのというのではなくて、写本に何が書かれているのかすらわからないままに、大島本だけが読まれている現在の『源氏物語』の研究への、誰でも参加できるところからの研究協力ともなるのです。

 そんなこんなの話をしているうちに、あっという間に終わってしまいました。

 終了後に、いつものように何人かの方から質問をうけました。

 その中で、ハーバード大学本「蜻蛉」の8丁表1行目にある「事とん」と私が翻字した箇所について、これは「事とも」がいいのではないか、というご指摘を受けました。
 ここで「ん」と翻字したのは、その文字の形が「ん」なので、見たままの形での「ん」としていることを、凡例を踏まえてお答えしました。しかし、崩し字辞典には「も」の中に「ん」があるので、それであれば「事とも」とした方がいいのではないか、という疑問でした。
 あまり時間がなかったこともあり、「んめ(梅)」とか「んま(馬)」等の例を引いて、「ん」の字母をどう判断するかという難しさをご説明したかったのですが、その場ではうまくお伝えできませんでした。申し訳ありません。
 次に機会がありましたら、こうしたことをお話したいと思っています。
 短時間での対応で申し訳なかったので、ここにお詫びかたがた記しておきます。
 
 
 

2015年3月11日 (水)

電子ジャーナル『海外平安文学研究 第2号』を公開

 本日、『海外平安文学研究ジャーナル 2.0』(オンライン版)を「伊藤科研(A)のホームページ「海外源氏情報」」から公開しました。
 PDFでの公開です。ダウンロードしてご自由にお読みください。

 まず、トップページ左横にある〈NEW 『海外平安文学研究ジャーナル』〉か、中央下にある〈翻訳史&論文データベース〉の中の左下にある〈海外平安文学研究ジャーナル(20150311)〉をクリックして、〈海外平安文学研究ジャーナル〉のページに進んでください。


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 そして、〈ダウンロード〉の中の〈2.海外平安文学研究ジャーナル vol. 2.0(2015/03/11)〉をクリックすると、電子ジャーナルの表紙と目次の下に、〈●アンケートに回答する(パスワードはアンケート回答後に表示されます)〉というボタンがあります。


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 この〈アンケートに回答する〉をクリックすると、ご自身の第1言語と現在の居住地をお尋ねする画面となります。


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 これは、パスワード取得前に簡単なアンケートをお願いしているものです。
 日本国内の方の場合は、「第1言語」は「日本語」、「現在の居住地」は「日本」、「メッセージ」は随意で結構です。


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 この後に送信ボタンを押していただくと、画面にパスワードが表示されます。


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 ダウンロード後にお読みになる時には、PDFファイルを開封するために、このパスワードが必要となります。
 何度でもパスワードは取得していただけます。もちろん、上記の「第1言語」と「現在の居住地」以外の個人情報を求めることはありません。
 最初のダウンロードで、このパスワードをメモしていただくと、後々簡便にファイルを閲覧していただけます。

 少し面倒な手続きを踏んでいます。公的資金によって編集・作成した刊行物の公開のため、報告書に記載する利用調査報告の一部とするものです。海外向けの情報発信でもあることを意識して、こうした設定となりました。
 科研の成果報告であるという趣旨をご理解いただき、言語別・国別の情報提供にご協力をお願いいたします。

 今回の第2号では、平安文学を中心にした以下の内容を掲載しています。

〔1〕研究論文
〔2〕小研究(note)
〔3〕研究余滴(column)
〔4〕翻訳実践

 また、[目次]は以下の通りです。


・あいさつ 伊藤 鉄也
・原稿執筆要項
◎特集「国際研究交流集会」(2014 カナダ)
 序文
 国際研究交流集会プログラム
 英訳された『枕草子』が作り出した大衆文化 Gergana Ivanova
 小説として読まれた英訳源氏物語 緑川 眞知子
 1955 年のサイデンステッカー訳蜻蛉日記について 川内 有子
 カナダ国際研究交流集会レポート 海野 圭介
 新出資料『蜻蛉日記新釈』(上・下) 伊藤 鉄也、淺川 槙子
◎研究の最前線
 『源氏物語』韓国語訳と李美淑注解『ゲンジモノガタリ1』 李 美淑
 スペイン語に訳された『源氏物語』の書誌について 淺川 槙子
・執筆者一覧
・編集後記
・研究組織

 なお、引き続き、『海外平安文学研究ジャーナル3.0』の原稿を募集しています。


・詳細は、本科研のHPに掲載された、「『海外平安文学研究ジャーナル』応募執筆要綱」をご覧ください。
・原稿の締め切り 2015年7月31日(金)
・刊行予定    2015年9月30日(水)
・ご注意 原稿執筆者は公開から1年以内に1度だけ、原稿を《改訂版》に差し替えることができます。

 この電子ジャーナル刊行について、お知り合いの方にも連絡していただけると幸いです。
 お気付きの点などは、「サイトの諸注意(リンク・利用など)と情報提供のお願い」の最下段の〈情報提供のお願い〉からお寄せください。
 今後とも、ご教示などを、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2015年3月10日 (火)

読書雑記(118)今野真二『日本語の考古学』岩波新書

 今野真二氏の『日本語の考古学』(岩波新書、2014.4刊)を読みました。
 その読書メモを残しておきます。


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 最近は、仮名文字の成立に関する歴史に興味をもっているので、楽しく読みました。
 著者が平安文学の文献にも興味を持っておられるので、その用例が大いに参考になりました。
 また、過去の時点に視点を置いた語り口から、現在がくっきりと炙り出されていたように思います。
 書写されたモノに語らせる手法で解説がなされているので、わかりやすく読み進めることができました。

 以下、切り抜き帳として、注目した箇所を列記します。

・「稿者はかつて『源氏物語』を一帖ずつ「翻字」し続けていたことがある。「翻字」とは、過去の日本語に関していえば、幾分か行草書的に書かれた漢字やいわゆる「変体仮名」を、現代わたしたちが使っている漢字や仮名に置き換えることである。なぜそのようなことをやったのかといえば、ひたすら「過去の文献が読めるようになるため」であるが、これは稿者が大学で国語学を学んでいた頃は、必須のスキルであった。考古学者が遺跡からきれいに出土品を掘り出すためのスキルのようなものであろう。当時写真版で刊行されていた『源氏物語』はすべて翻字したので、結局、『源氏物語』五十四帖を二回ほど(あるいはそれよりも多く)は写した計算になるが、それでもスキルを磨くのに充分とはまったくいえない。そのため、『源氏物語』の翻字が終わった後も十年間ほどはそうしたことを続けていた。するとある時、ある人に、電子化されたものがあるのに、なんで手で写しているのか、電子化されたものをあげるよ、と言われたことがある。しかし、手で翻字することによってわかることは多いし、そうしなければわからないこともありそうだ。スキルを身につけるために時間を費やさなければならないが、その時間は何らかのプロセスでもある。少なくとも稿者はそうした手法を認めたいし、そうした手法に魅力を感じる。」(ii~iii 頁)
【ここで言われる写真版の『源氏物語』とは、おそらく筆者が大学に就職されるまでに刊行された、書陵部本(1968)、高松宮本(1974)、尾州家河内本(1977)、穂久迩文庫本(1979)、陽明叢書(1982)の、5種類の内の2セットあたりでしょうか。】

・(『(宗祇)初学用捨抄』という室町期に書写された初学者用の連歌作法書について)「この写し手は書写の際に、原本の漢字を仮名にしたり、原本の仮名を漢字にしたりという変更を加えていたということになろう。そうすると、この写し手にとっては、(ということはおそらくこの時期の書き手にとっては)仮名で書くか漢字で書くかということは、かならず「本文」どおりにしなければいけないことがらではなかったことになり、これもきわめて興味深い。」(181頁)
【親本に書かれた文字を、どれだけ正確に書写したかということです。この例は、室町期の作法書なので、平安や鎌倉の物語とは、その書写態度が異なるものです。こうしたことは、物語にもいえることなのか。さらなる検証を進めてほしいと思いました。】

・「現代に生きるわたしたちは、「現代」と無関係に存在することができない。わたしたちは今生きている状況において育まれた価値観にしたがって、抽象的な面もふくめて、物事を見たり判断したりする。それは当然のことであり、悪いことではないが、前提としてそのことをきちんと自覚しないと、つねに現代をよしとした基準によって(過去の事物まで含めた)あらゆることがらを判断してしまうことになる。現代を基準として過去を認識しようとすると、見損なうことも少なくない。
 「きちんと」というのは、細部まで目を配って、ということでもある。本書で見てきたように、その時代の意識や認識の仕方というのは、うっかり見落としてしまうような細部にあらわれることもままある。「書き方のそんな細かな違いはどっちでもいい」というのは、その「違い」が失われてしまった現代の感覚かもしれない。」(253頁)
【写本や資料が書写された時代を尊重して、きちんと読み解く必要性を語っているところです。「現代」をモノサシにして、「現代」の感覚でものごとを判断することへの警鐘ともなっています。】
 
 
 

2015年3月 9日 (月)

〈第4回 池田亀鑑賞〉の募集は平成27年3月末日が〆切りです

 〈第4回 池田亀鑑賞〉の募集は平成27年3月末日が〆切りです。


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 応募の〆切りまで、あと3週間となりました。

 これまでの受賞作は、以下の通りです。
 弛まぬ努力が結実した、すばらしい成果に対して贈られました。


 平成24年度 第1回受賞作 杉田 昌彦氏『宣長の源氏学』(新典社)
 平成25年度 第2回受賞作 岡嶌 偉久子氏『林逸抄』(おうふう)
 平成26年度 第3回受賞作 須藤 圭氏『狭衣物語』(新典社)

 募集内容や選定に関する詳細は、「池田亀鑑賞のホームページ」をごらんください。

 応募対象は、平成26年4月1日〜平成27年3月末日の間に刊行された奥付のものと発表分です。
 自薦・他薦を問いません。

 この「池田亀鑑賞」の趣旨は、ホームページに以下のように明記されています。


「池田亀鑑賞」は、文学の研究基盤を形成する上で、顕著な功績のあった研究に対して贈るものです。
その地道な努力を顕彰し、さらなる成果の進展を期待する意味を込めています。
「池田亀鑑賞」は、伝統ある日本文学の継承・発展と文化の向上に資することを目的として、池田亀鑑生誕の地である日南町と池田亀鑑文学碑を守る会が創設しました。

 また、選定にあたっては、「前年に発表された『源氏物語』を中心とする平安文学に関する研究論文や資料整理及び資料紹介に対し、学界に寄与したと評価されるもの1作品を選定します。」とあります。

 つまり、「研究論文や資料整理及び資料紹介」が対象であることが、この池田亀鑑賞の特色です。

 応募先は以下の通りです。


〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-44-11
新典社内 池田亀鑑賞事務局
TEL:03-3233-8051  FAX:03-3233-8053
e-Mail︰info@shintensha.co.jp

 選考は、以下の6人の委員があたります。


伊井春樹(会長)
伊藤鉄也(委員長)
池田研二
妹尾好信
小川陽子
原 豊二

 今年もすばらしい作品の応募があることでしょう。

 選考委員の一人として、池田亀鑑賞のホームページに私は次のコメントを寄せています。


文学研究の基礎を支える資料を整理し、成形し、提供する営為には、多大な時間と労力と根気が必要である。そして、こうした作業や仕事にこそ、弛まぬ努力と継続への理解と応援が必要である。池田亀鑑賞は、日頃の地道な調査研究活動に光を当て、さらなる励みと新たな目標設定を支援するところに意義があると思っている。達成したものばかりではなく、進行しつつあるものも含めて、研究環境の整備に貢献した仕事を顕彰したいと思っている。
 コツコツと研究を続けて歩んで来られた成果が、今回も応募作として並ぶことを、大いに期待し、楽しみにしています。

 池田亀鑑賞についてのお問い合わせは、上記「新典社内・池田亀鑑賞事務局」にお願いいたします。
 
 
 

2015年3月 8日 (日)

第3回「近代日本の日記文化と自己表象」研究会に参加

 午前中に『源氏物語』の翻字に関する打ち合わせをしてから、午後は、立川で開催される研究会に出席するために、仲御徒町駅から立川駅に急行しました。

 昨日来の寒さは厳しいながらも、予報されていた雨はほとんど降りませんでした。

 今回で3回目となる「近代日本の日記文化と自己表象」という研究会は、国文学研究資料館の機関研究員である田中祐介氏が主催する、非常に魅力的な研究会なのです。
 前回は、私が担当する国際連携研究集会とバッティングしたために、出席できませんでした。

 この研究会は、若い研究者の方々の活発な意見交換がなされるので、門外漢の私は聞いているだけで身体中の細胞が活性化されます。
 このテーマに関しては、谷崎潤一郎や池田亀鑑に関連して、昭和初期の時代に興味を持ったことから、以来ずっと気になっていたものです。
 また、目が見えないにもかかわらず40年以上も木活字で日記を残した葛原勾当のことを知ってからは、さらに問題意識が深まって来ています。

 みなさんからの刺激を受けながら、さらに勉強を進めていきたいと思っての参加です。
 今日も、幅広い分野から20名の参加者を得、興味深い話題が展開しました。

 今回の発表から、1つの疑問が私の中に生まれました。
 それは、日記を認めた方の権利はどこまで保障されているのか、ということです。

 今日の発表で紹介された事例に、終戦の日に書いたことが、後に本人はそんなことを書いた覚えがない、とおっしゃっていたという報告があったことに端を発しています。それは、書かれた内容が信頼できるか、という視点での紹介でした。
 確かに、この一見平和な世の中になってからは、そのような過去の発言は今となっては慎むべきことだと言えます。しかし、終戦の日の発言としては、十分に理解できます。人間は急には変われないのですから。

 すると、今の社会や自己の置かれた状況から見ると、本人にとって内心では過去の自分の気持ちを見知らぬ人の前に晒されたくなくても、公表という現実に抗することは個人ではできない社会になっている、ということが浮き彫りにされたのです。個人の人権というのは、過去の日記が公にされることで人前に晒され、不本意な批判にされされます。著作者の人権が、こうした個人の日記にはどのように配慮されて公開されるのでしょうか。

 この点について、休憩時間に発表者にお尋ねしました。しかし、これまでにそのような指摘をうけたことがないし、日記を書かれたご本人もこの日記を読む会に参加されていた、ということで了解済みとされていました。しかし、著作権や人権についての検討は十分にはなされていない、ということだったのです。
 理と情が混在した説明でした。

 文献資料を扱う者の一人として、このあたりの地固めなしに個人の日記を公開することは、非常に危うい調査研究に陥りはしないか、と心もとなく思いました。
 日記の著者や所有者との信頼関係を大切にしておられることは理解できました。しかし、法的な人権や著作権の権利関係となると、話はまた別のことになります。

 おそらく遺漏はなかろうかと思います。しかし、今日の時点では、この問題への意識が乏しいように思われたので、あえてここに記して、このテーマで議論する時のみんなの話題にでもなれば、と思って記す次第です。
 個人と社会の接点については、慎重の上にも敏感でなければ人権は守られませんから。

 真実を知るためなら、本人や家族や親族や地域社会の人々への配慮が軽くなる、ということはないはずです。特に日記は、公開を意識していたかという問題以前に、個人の信条や感情が吐露されるものです。その表現が直接的であることが多いだけに、しかも文章を書くことの専門家ではない方の日記が多いだけに、資料的な価値が高いからといって、後世の人間がそのすべてを正義感のもとにありのままに、白日の下に晒していいとは思われません。人には尊厳があるのですから。

 このテーマには、さまざまな問題が内在しています。
 興味本位に走らず、日記に記されたひとつずつを丁寧に読み解き、その筆者のありようにも思いを致しながら、書かれた状況と心境を踏まえた読み方を心がける必要性を痛感しました。
 その内容を公開するにあたっては、さらなる配慮が求められます。

 第3回のプログラムを、記録として残しておきます。


【開催日時】
 2015年3月7日(土) 13:30-17:30

【開催場所】
 国文学研究資料館2階、第1会議室

【研究会次第】
 1. 新参加者紹介(13:30-13:45)
 2. 報告事項(13:45-14:10)
   新刊紹介
   古書店「風船舎」のご紹介
   『月刊ニューズレター 現代の大学問題を視野に入れた教育史研究を求めて』への寄稿
   『リポート笠間』第58号での当研究会の紹介記事
   国際学会Asian Studies Conference Japan(2015年6月開催)の発表申請通過
    (パネリスト:柿本真代・大岡響子・田中祐介・中野綾子・M. William Steele)
   「女性の日記から学ぶ会」が保有する日記帳の目録化進捗
   2016年度開催のシンポジウムと展示会に向けて
   次回以降の会場変更について

  3. 研究報告(14:20-17:30)
   「個人の財産を社会の遺産に-「女性の日記から学ぶ会」の活動を通して」
    (島利栄子、女性の日記から学ぶ会代表)
   「農民日記をつづるということ―近代農村における日記行為の表象をめぐって」
    (河内聡子、宮城学院女子大学非常勤講師)


 
 

2015年3月 7日 (土)

鎌倉期の古写本『源氏物語』の正確な翻字をめざして

 お昼前に、仲御徒町でMさんと待ち合わせをし、喫茶店で『源氏物語』の翻字について打ち合わせをしました。
 Mさんは、日比谷図書文化館で翻字の講座を受講なさった方で、今は歴博蔵中山本「行幸」を読んでくださっています。
 一通り最初の翻字を終えられたので、データベースとして仕上げるための記号の使い方の確認や、今年から方針を一新した「変体仮名混合版」にグレードアップするためのコツをご説明しました。

 初心者ですとおっしゃいます。しかし、すでに翻字はしっかりとできているので、次のステップであるデータ入力もお願いしました。河内本のテキストデータをお渡しし、それを中山本の翻字データに作り替えていくものです。

 みなさん、最初は白紙から翻字をするものだと思っておられます。しかし、実際には、よく似たデータに手を入れて改変しながら完成させるのです。一種のマジックのような操作で、新しい翻字データができあがります。必要最低限の修正で、河内本が中山本に変身するのです。

 ただし今年からは、これまでのような原本に戻れない簡略版の翻字をするのではありません。明治33年に一字一音に統制された平仮名で誤魔化した翻字ではなくて、現行の平仮名にない文字は、その変体仮名の字母で表記するものです。そのために、手間はこれまでの数倍かかります。しかし、自信を持って次の世代に引き渡せるデータが出来上がります。

 わからないことや不明な点は、とにかく〈ママ〉としておくこと。そして、後ろを振り返らずに、ひたすら前へ前へと読み進め、入力を続けていってください、とアドバイスをしました。
 翻字データを作成する時は、前だけを見て、迷ったら〈ママ〉として、また前へ、というのが一番です。次の担当者が補ってくれるので、そこは信頼関係です。自分で勝手に解決しないことです。

 翻字のお手伝いをしていただき、そのデータが次の世代に引き継がれていくことは、素晴らしいことだと思います。小さなことでも、駅伝のように襷を手渡してつないでいくことで、膨大な『源氏物語』の本文のデータベースが次第に精度を高めて構築されていくのです。
 ここで私にできることは、写本を読んでくださった方のお名前や、データを入力してくださった方のお名前をデータに付載し、明記することです。非営利活動の一環なので薄謝しかお渡しできません。それだけに、お名前だけは次の世代に語り継ぐ責務がある、と思っています。

 どうひっくりかえっても、鎌倉時代に書写された『源氏物語』の翻字データベースは、私が生きている間には完成しません。しかし、一文字ずつ、一巻ずつでも翻字を進めていけば、その折々に活用できるデータベースとして提供でき、お役にたつことでしょう。とにかく、膨大な写本が手付かずのままに放置されているのが現状です。今あるのは、江戸時代に手が加えられた大島本に関する情報だけです。その大島本ですら、写本を正確に翻字した「変体仮名混合版」はまだないのです。これから、時間をかけて作成する予定です。

 その意味では、名前が知られている作品の割には、『源氏物語』の本文研究は大幅に遅れています。80年も停滞しているのですから。

 気の長い話です。私が生きている内に、鎌倉時代に書写された『源氏物語』だけでも、何セットかデータベース化したいものです。鎌倉時代の古写本だけで30年はかかる、と踏んでいるので、その道筋だけでもつけて、次の世代にバトンタッチしたいと思っています。

 その趣旨を理解してくださり、楽しみながら古写本『源氏物語』を読んでいただける方が数人でもいらっしゃることは、本当にありがたいことです。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉という組織を立ち上げ、そこでデータの作成からデータベース化、そして次世代への継承を果たすという趣旨の活動は、少しずつではあっても着実に進展しています。

 この活動を通して、一人でも多くの方の理解と協力が得られ、一文字でも『源氏物語』の写本に写し取られている本文がデータベース化されるよう、気長にNPO活動を続けていきたいと思っています。
 
 
 

2015年3月 6日 (金)

食べ物が食道で詰まることの打開策を求めて

 上京の隙間を縫うようにして、京大病院で診察を受けました。
 最近、食べたものが食道に詰まって、食事を一時中断して治まるのを休んで待つことがあります。どうしようもないことだと言われています。しかし、今後の検査のこともあるので、寸暇を惜しんで病院に行くことにしました。

 主治医だった岡部先生が、今春より滋賀県大津市民病院に異動なさいました。過日、そのことを知り、あらためて凄い腕をお持ちの先生だったことを再認識しました。
 胃・食道外科のエクスパートであり、腹腔鏡手術の分野では開拓者だったのです。
 今話題となっている、どこかの大学病院における手術の失敗ニュースとは次元の違う先生でした。

 次の記事は、岡部先生が開発された腹腔鏡下手術の現場報告となっています。
 私も、このようにして胃ガンによる消化管の全摘出手術をしていただいたようです。

「"CHEMICAL REACTION between Suturing and Stapling .」

 これまでに、岡部先生からはいろいろと励ましていただきました。おっしゃった言葉としてではなくて、その穏やかなお人柄と対応の仕方からです。
 糖尿病で京大病院に1ヶ月間入院していたときには、わざわざ糖尿病・内分泌・栄養内科の病室まで来てくださいました。医は仁術を、まさに体現しておられたように思います。

 身体のことを相談しても、自然体で話を聞き、わかりやすく答えてくださいます。患者としては、頼りがいのある先生でした。何かあったら、いつでも相談に行ける安心感がありました。

 新しく私の主治医となられた平井先生は若い方でした。初めてお目にかかり、私の現在の状況を説明すると、じっと話を聞いてくださいました。

 物理的に、私には消化管がないのですから、食事のトラブルはつきものです。横になると、腸液が食道に流れ込み、苦しむことになります。その対策と、食事が詰まることの対処方法を尋ねると、今は具体的にこうしたらいいということはない、ということを率直に説明してくださいました。
 ただし、この状態が続くと、食道ガンのリスクを背負うことになるので、何か対策を打つ必要があります。今夏、その確認のための内視鏡検査等を予約しました。

 食道が下に食べたものを押し下げようとする運動と、腸がそれを受けてさらに押し下げようとする連係プレーがうまくいかないと、その接合部分に不具合が起こることはありうる、ということを、わかりやすく説明していただきました。
 どのような物を食べた時になりやすいか、とか、どのような状況でそうなるのか等々、私の話をよく聞いてくださり、一緒に考えてくださる方でした。

 朝、脂っこいものを食べた時には、よく痛くなります。生牡蠣はいいのに、バターで焼いたものは食道に詰まります。そんな自己流の調査報告をすると、食道の内側に張り付くものはよくないのかな、などと感想をおっしゃいました。そうであれば、水などを飲みながら食べるといいのではないか、という提案もありました。
 お酒でも構わない、ということは、岡部先生もおっしゃっていました。私は体調がよくないとストレスに敏感に反応するので、お酒を飲むことはいいことだ、と。しかし、私はあまり飲めなくなっているのです。そこで、目の前にお酒を置いて食事をすることが多くなりました。
 牛乳もいいようです。とにかく、流れることを意識して食事を摂ることにします。

 どうしようもないことながらも、私がいろいろなことを試みていることを評価してくださり、一緒に手だてを考えてみましょう、と言ってくださったのです。そんな体を張った実験をしている人は見かけないので、とも。

 消化管のない身体との付き合いは、これからも生涯続きます。折々に相談をし、何かいい対処方法を、平井先生と一緒に見つけたいと思っています。

 こうした我が身を賭しての人体実験の日々は、まだまだ続きます。
 
 
 

2015年3月 5日 (木)

池田本に関する亀鑑のメモ書き紙片3種

 天理図書館で池田本を3日間、ぶっ通しで調査しました。
 第33巻「藤裏葉」から第54巻「夢浮橋」までは本文を精査し、第1巻「桐壺」から第32巻「梅枝」までは通覧しました。「梅枝」までは、すでに2003年以前に確認していたからです。

 今回の調査で、池田亀鑑のメモ書きの紙片が3枚あったことが確認できました。先日は1枚を紹介したので、つごう4枚ということになります。

 池田亀鑑が持っていた桃園文庫の本には、いろいろなメモが挟まれています。
 池田本にはもっとあると思っていました。意外に少なかったように思います。ただし、これまでに散逸していなければ、の話ですが。
 今回のメモも、3枚の内2枚は、該当する本文が書かれた本来のページとは違う場所に挟まれていました。

 3枚共に、ほぼ同じ寸法の裏紙に、赤ペンで書いてあります。先日の1枚のように、反故にした原稿用紙の裏を使ったものではありませんでした。

 確認できた3枚を列記します。
 以下では横書きになっています。しかし、メモは縦書きです。

■池田亀鑑のメモ書き紙片(朱インク)


(1)「浮舟」墨付き35丁ウラ1行目
   縦135ミリ×横25ミリ
「ウノ一 おとし給へか↓かめり 有乎?/無乎? 24頁/14行」

【池田亀鑑は、前の方の「か」を丸で囲って、そこから下に矢印を「有・無」まで引いています。行末の「か」を、池田は本文として読むべきか読まざるべきか、しばし悩んだ痕跡を示すのがこのメモです。
 しかし、この行末の文字は小さいので、にわかに判別は困難です。池田が「か」と読んだ文字は、「る」とも読める小さな文字なのですから。「か」として読む読まない以外に、「る」と読む選択肢もあったのです。
 異文を見ると、陽明文庫本・肖柏本・大島河内本が「給へるめり」という語句を伝えています。つまり、池田の思案はまだ他に読む可能性があった、ということです。
 『源氏物語別本集成』の「浮舟」の底本は陽明文庫本なので、こうした諸本の異同が一目瞭然です。もちろん、ほとんどの諸本は「か」なので池田本が「か」にすることに無理はありません。しかし、池田が編纂した『源氏物語大成』の当該箇所では、陽明文庫本の本文は「給へるめり」ではなくて「給へかめり」という、間違った翻字を掲載しています。
 『源氏物語大成』を利用する時は、〈いわゆる青表紙本〉とされる本文以外は〈簡略を旨〉とする方針で翻字されているものであり、こうした誤読も多いことに注意しながら利用すべきです。
 結論として、私はこの行末に小さく書かれた文字は「る」と読むべきであり、それは異文を注記したものだと思っています。右側に寄せて書いてあった異文注記が、たまたま行末であったこともあって、最終文字の真下に小さく書かれたものだと推測しています。
 池田本が八木書店から数年後に、高精細カラー写真で刊行されます。その時に、この箇所をじっくりとご覧ください。】


(2)「浮舟」墨付き41丁オモテ11行目
   縦140ミリ×横25〜30ミリ
「オノ11 きこえし/しらせたること/か →(し)カ/(しら)カ 29頁/9行」

【「し」と読むべきか「しら」とよむべきか、池田は迷ったようです。「し」でも「しら」でも、仮名文字はどのようにでも読めるので、ここは自然な本文となるように、あえて異文を発生させないように「ししせ」ではなくて「しらせ」と読んでいいところです。そして、写本の表記通りに読むと「ししらせ」となるので、ここは「し」が衍字だとすればいいと思います。
 しかし、池田はこのようなメモを残しながら、『源氏物語大成』の池田本の翻字では「ししせたる」と「ら」を読んでいません。これは、明融本だけが支持するものです。意味は通らないので、校訂本文などではごく普通に「知らせ」としている所です。
 諸本を見ると、ここに本文異同はありません。単純な誤読を誘う字形で書写されている箇所だといえるでしょう。池田がなぜここにこだわったのか、今の私にはわかりません。
 こうした例は無数にあるので、ここに限ったことではありません。こんな些細な本文に関するメモが挟み込まれていたということは、当初はこの池田本にさらにもっと池田の思索の跡を示すメモ書きが添えられていた、と考えていいでしょう。それだけ、池田はこの池田本(伝二条為明筆本)を丁寧に読んでいたということです。
 池田亀鑑は、この池田本について「大島本ニ次グベキ地位ヲ有スル」本としていました。また、『源氏物語大成』でも、「桐壺」「初音」「浮舟」「夢浮橋」の4巻で池田本を底本に採択しています。】


(3)「浮舟」墨付き64丁オモテ3行目
   縦115ミリ×横20ミリ
「オの3、なと/思いたらぬ 補入カ/並列カ 47頁/5行」

【「思」の横に小さく書かれた「なと」について、池田が副詞か副助詞かの判断に迷ったメモです。補入記号がない箇所でもあり、迷ったようです。
 明融本は、その前が「たまへなと」となっており、諸本に本文異同がないところから、ここは「思」の前に「なと」が抜けていたために補記として添えたものでしょう。補入記号のない補入は無数にあります。池田は「なと」を「思」と並列関係と見て、「などいたらぬ」という副詞を用いた文脈も考えたのでしょうか。】
 
 
 

2015年3月 4日 (水)

古都散策(37)雨の中で見た二月堂の修二会

 夕方から、あいにくの雨となりました。
 雨が次第に強まる中、東大寺二月堂のお水取りに行きました。
 3月1日から14日まで執り行われます。

 奈良県民だった20年間に、子どもたちを連れて何度も来ました。
 二月堂は節分の豆まきとこのお松明、春日大社には若宮の御祭り等々、子連れで順繰りに回ったものです。

 東大寺には、秘密の駐車スペースがありました。それを知っていたので、気楽に車を停めて散策がてらの見物をしていたのです。

 今夜は雨足が強かったので、お松明を見に来られた方は、肩をすぼめて傘の雫を避けながら、午後7時をじっと待っておられました。


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 やがて二月堂周辺の照明が落とされます。


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 鐘の音が鳴り止むと、下から明々と火に包まれた大松明がノッシノッシと登ってきました。しばらく高欄で休んでから、火の粉を散らしながら横に移動しだします。


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 大松明を振って火の粉を参拝客に振りかけるサービスをしていると、次の大松明が登ってきました。


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 両側で火の演舞が始まると、その真下にいた私も、思わず声を上げました。
 荘厳さと勇壮さが、あたりの闇の中に溶け込んで行きます。
 10本お松明が明滅して左から右へと移動します。
 不思議と静かに進行していきます。
 不思議な火祭りです。


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 井上靖の小説に、『青衣の人』があります。何度か読んだのに、すぐにその内容を忘れて、また読むことを繰り返している作品です。

「井上靖卒読(22)『青衣の人』」(2008/1/7)

 この二月堂に来ると、私は『青衣の人』の話はどんなだったのかな、といつも思います。不思議な作品です。

 奈良の一夜を、絶えたことのない伝統行事に身を置くのもいいものです。
 悠久の時の流れに思いを馳せて、しばし日頃ご無沙汰している方々のことを思い出していました。

 夜8時に、宿への帰路につきました。
 今日ばかりは東大寺の南大門も、目立たないようにひっそりとしていました。


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2015年3月 3日 (火)

天理図書館で池田本のナゾリと格闘

 池田本の調査は、今日が2日目です。
 天理に泊まれる宿がなくなってしまったので、奈良駅の横に宿を取りました。
 JRの電車の車体が、奈良らしさを演出しています。


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 初日は予想外にナゾリの箇所が多かったために、その対処に時間と手間を取りました。
 しかし、2日目ともなると目も慣れてきたので、要領よくスピードを上げることができました。

 今日も、立命館大学の須藤圭君が一緒なので、問題が発生すると相談でき、快調に進みました。
 頼もしい仲間の参加で、データの信頼度も各段に向上していきます。

 今回持参したデータは多くの協力者による成果で、すでにその作成に3回の目と手が入ったものです。しかし、翻字に完璧はありません。しかも、原本を実見すると、いろいろな補正の手を入れることになります。
 それでも、これだけ精度の高いデータがあらかじめあり、それを原本と突き合わせることができることは、恵まれた翻字確認と点検だといえます。
 関わってくださっているみなさまに感謝しています。

 以下、本日のチェックを通してわかった、翻字確認のメモを残しておきます。

(1)ナゾリは昨日の通り翻字校正シートに記入しました。
 「橋姫」巻に「あは(改行)れ」(3丁ウ1行目末尾)とあるところで、なぞられた「は(八)」の下に「は(波)」が微かながらも読み取れました。
 これは、変体仮名混合版では重要なデータとなるので、「は(波)&は(八)」とメモを記しました。
 この写本が書写にあたって、親本の字母にも気を配って書写していた証でしょう。
 なぞった箇所を一つ一つ丁寧に見た感触として、池田本は親本の用字に忠実な書写を心がけていることがわかります。

(2)「橋姫」巻で、まず「かる(改行)かるしき」(16オ9行目)と書いて、前の「かる」を水を使って擦って薄く抹消し、次行の「かる」の次に「/\」を書き足して「かる/\しき」とする例がありました。「かるかる」と書いてしまった後に「かる/\」としているのは、親本を忠実に書写するためのようです。

(3)「総角」巻(96オ4行目行頭)の「き」の左上に、ミセケチ記号のような「゛」があります。これがミセケチではない旨の池田亀鑑のメモが、原稿用紙の裏に記されて挟み込まれていました。
「オ4゛き→コレハ ウ8登ノ「゛」ガウツリシナリ」
 この紙片が、移動や紛失すると意味がわからなくなるので、今メモとして残しておきます。

(4)注意すべき文字
 「覧」は「らん」と読むことはほとんどありません。(池田本、橋姫40ウ10行目)
 また、「おほす」も「覚す」ではないのです。

(5)凡例は、各写本ごとに作成しておくべきだと思いました。そこから、各写本の特徴がわかるからです。

(6)付加情報として「/」の後に記入する事項を追加します。
 ・傍記や傍注に貼られた目印としての小紙片を〈不審紙〉とすることは、昨日記した通りです。
 ・判読が困難なほどに薄い〈合点〉は〈薄朱合点〉とする。
 例えば、「若菜下」に「よるかたありて」(60ウ8行目)という箇所に、見えるか見えないような薄い朱書きの線が微かに認められます。これは、『新編日本古典文学全集』の頭注では「大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありてふものを」(古今・恋四 業平)という引き歌を指摘する場面です。したがって、この薄い朱の線は、引き歌があることを注意喚起する〈合点〉です。
 こうした線が、八木書店らか刊行される叢書のカラー印刷で、うまく発色しているかどうか、今から楽しみです。

 今日も、充実した1日となりました。
 ただし、目を酷使したので、もう何も見る気力がありません。
 古写本を読むのは、体力と気力が勝負です。
 
 
 

2015年3月 2日 (月)

天理図書館で池田本がなぞっている箇所を精査する

 天理大学付属天理図書館で、池田本の原本調査を始めました。
 今日から3日間の予定です。


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 天理図書館で一通り池田本の原本に当たって本文を確認したのは、今から12年前のことです。しかし、さらに詳しく調査をする必要があり、今回再度の閲覧をお願いした次第です。

 時と共に文字が見えるようになったこともあって、新しく気付くことが思いのほか多いのに驚いています。

 例えば、なぞってある箇所に対する反応がそうです。

 以前は気に留まらなかった箇所でも、今回あらためてじっくりと紙面を見つめていると、下の文字が削られていて、その上に文字が書かれている箇所が散見するのです。これまで注意力が散漫だったというよりも、本文を見つめる目が、いろいろな状況を想定して見えるようになって来た、ということでしょう。

 そんなことを、以下にいくつか記録として残しておきます。

(1)なぞられている下の文字は、原本が実見できる時に推読しておかないといけません。写真や影印版では、やはり下に書かれた文字は読めないことが多いからです。
 また、後に変体仮名混合版を作成するためにも、原本で下の文字が読めたら、可能な限り字母も併記しておくべきです。これは、翻字本文のデータベースを変体仮名混合版へと、方針を変更したことに起因するものです。より正確な字母レベルでの翻字を作成するために、特に必要になったことです。

(2)傍記がある箇所に、小紙片が貼られている場合が目に付くようになりました(「藤裏葉」巻)。この紙片は、その傍記や傍注が不要なものだ、ということを示すものです。いわゆる、抹消する箇所であることを意味する貼紙の断片なのです。これは、一般には「不審紙」といわれているものです。
 この種の付加情報の記録を、これまでは想定していませんでした。今後は、この情報も翻字データに付加することにします。

(3)行末に貼られた付箋は、該当する文節に対して傍記扱いとして組み込んで対処することにしました。ただし、その属する文節が判然としない場合は、無理に解釈をせずに、付箋が貼られている直近の文節に、位置情報として記すことにします。これは、写本が写真版として公開される場合に適用できることです。データベースのための翻字と、それを画像として確認できる環境がある時には、こうした柔軟な姿勢で翻字データが作成できます。

(4)「紅梅」巻の中に、「ひか/\しき〈改頁〉しき」とあり、前の方の「しき」が指に水を付けて擦ったような状態になっている箇所がありました(35オ最終行)。これは、「前しき〈水ニヨル抹消〉」としました。こうした例は、何箇所か散見します。池田本が抹消する時の特徴の一つのようです。

 今日は、あまりにもなぞった箇所が多くて、そこに時間を取られ過ぎました。決められた時間内での調査なので、これでは効率がよくありません。
 このなぞりは、後日八木書店から刊行されるカラー版でも識別できるので、明日からここはチェックをするだけに留め、他の確認を優先したいと思います。
 
 
 

2015年3月 1日 (日)

「京都視覚障害者文化祭典」で弱視の方のお点前をいただく

 あいにくの大降りの雨の中、バス停「千本北大路」を下るとすぐの京都ライトハウスで、「京都視覚障害者文化祭典」が開催されました。
 京都府視覚障害者協会の文化部が主催し、今回が25回目です。


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 障害を持つ児童や生徒のための近代的な視聴覚障害教育の機関として、1878年に「京都盲唖院」が日本で最初に設立されました。これが、現在は京都府立盲学校となっています。
 京都はいろいろな分野で、日本初とか発祥の地なのです。

 その学校のそばの千本通り沿いに、京都ライトハウスがあります。
 ここを以前に訪問した時のことは、「京洛逍遥(322)京都ライトハウスにて」(2014年06月12日)に詳しく書きました。

 今回のプログラムは、次のようになっており、私は午後の部に参加しました。

日時:3月1日(日)
会場:ライトハウス 4階 あけぼのホール

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 この演目の中で、「フィオリの会 群読、朗読」に興味を持ちました。
 東京弁の群読「最初の質問」ではシーンとしていた会場が、朗読劇「夫婦喧嘩の仕方」になると、来場の皆さんの笑いが絶えません。田辺聖子の作品なので、内容が軽妙であることに加えて、大阪弁への親しみが皆さんの共感を呼んだのでしょう。

 私の横におられた4人の男性で全盲の年輩者も、俯きながらも口元や目元は緩みっぱなしでした。含み笑いが、やがては声を出しての笑いに変わります。照れ屋なのでしょう。しかし、次第に顔が上がってきました。居心地のいい時間の中に身をおいておられることが、隣にいた私にも伝わってきました。
 司会の方も、「身につまされる話で」と、余韻をさらに盛り上げておられました。
 みなさん、思い当たることもあったせいでしょうか、大爆笑でした。

 また、バリトン独唱で「上を向いて歩こう」になると、自然と場内から手拍子が起こり、一緒に歌う方がたくさんいらっしゃいました。
 オカリナの演奏で「ドレミの歌」の時もそうでした。

 今日は、視覚障害者の方々やそれを支援なさっている方々が、日頃の文化活動としての成果をみなさんに披露なさる日です。
 出演者と来場者のみなさんが心温まる交流をなさる、いい文化祭典でした。
 私も、これまでに味わったことのない空気と時間の中で、ジンと来る所がありました。

 京都府視覚障害者協会の女性部の方が、「お茶席」(お茶券400円、季節の和菓子付き)を和室で設けておられました。早速、私もお茶をいただくことにしました。

 お手前は、弱視の方でした。先生が後ろに控えておられ、折々に言葉で指示を出しておられます。
 客は私だけだったので、いろいろと話をすることができました。


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 お手前は表千家で、2ヶ月に1回のペースでお稽古があるそうです。現在は、4人の方が習っておられ、全盲の方も多いようです。
 今日のお手前をなさった方は、3年ほどやっているとのことでした。少し陰にあるお茶道具を扱う時は、距離感がない上に見えにくいので大変です、とおっしゃっていました。
 確かに、棚に置かれていた棗や水差しの蓋を取るときは、身体ごと前に出して手をいっぱいに伸ばしておられました。

 一番大変だったのは、茶碗に抹茶を入れた後、茶杓を棗の上に置く時でした。なかなか棗の上の真ん中で茶杓が安定しないので、これが最難関のようでした。
 あやふやな所は後ろの先生に確認しながら、一生懸命に点ててくださったお茶を美味しくいただきました。結構なお点前でした。

 別の部屋では、編み物や手芸品の展示もありました。
 私が生まれてから大人になっても、母は毛糸でセーターやチョッキを編んでくれていました。
 亡くなった時に、あまりにも多くて、姉や妻と一緒にほとんどを処分しました。しかし、それでも今もいくつか残っており、冬には着ることがあります。

 手編みのセーターに没頭していた母を覚えているので、今回展示されていた編み物を見て、その編み目の細やかさや凝りように目を見張りました。
 楽しみながら仕上げられた作品のオンパレードでした。
 いいものを見せていただきました。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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