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2015年4月17日 (金)

豊島秀範先輩の奥様の告別式で取手市へ行く

 私にとって未踏の地の一つだった茨城県に行ってきました。
 取手駅前の枝垂れ桜が儚げで印象的でした。


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 関東地方というと、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の1都6県を言うそうです。ここに山梨県が入るとか、入らないとか。
 別の区分けでは、静岡県と長野県も入ることがあるようです。

 関西に長く住んでいる私にとって、埼玉県から秋田県の間の置関係があやふやです。
 それは、妻の出身地が秋田県であり、我々の新婚時代は埼玉県に数年を過ごしていたことと関係します。
 その途中が、地図上ではあいまいなのです。
 妻に聞くと、私の出身地である島根県が、今でも鳥取県と山口県の並びの中で迷うそうです。
 自分の頭の中の白地図は、人それぞれに異なっているようです。

 単身赴任で私が上京した時に神奈川県の宿舎に入ったので、ここは大丈夫です。
 群馬県には、温泉地や山スキーに行った記憶があります。しかし、その位置関係を地図上に示すことはできません。

 そんなこんなの中で、茨城県と栃木県は、私にとっては未踏の地となっていました。

 栃木県は、日光があるので、東京を離れる前に行ってみようと思っています。「日光を見ずして・・・」と言われるのですから。
 また、新しい科研のお手伝いをしていただく方の住まいがある所なので、この栃木県には併せて行く機会がありそうです。

 残る茨城県は、井上靖の小説に出てくる大洗海岸に行きたかったので、ここも来年までには行こうと思っていました。
 その茨城県の南に位置する取手市に、突然の訃報を受けて今日行くことになりました。

 私が学生時代からお世話になっている、國學院大學の豊島秀範先生の奥様が、今週13日にお亡くなりになりました。御夫妻共に、大学の先輩です。
 以前からご様子はうかがっていました。しかし、それがこんなに早いとは思いもしませんでした。

 いろいろと奥様のご様子をお尋ねしたこともあり、豊島先生はつらい思いをしながら話の相手をしてくださったこともあったか思われます。申し訳ないことでした。

 今から40年前になります。京成線沿線にお住まいだった御自宅に、妻と一緒に伺ったことがありました。玄関を入ってすぐに、たくさんの本が積み上げられていたことを記憶しています。国史大系や『群書類従』などだったように思います。その時に、はじめて奥様にお目にかかりました。

 数年前に、豊島先生の科研の研究会が國學院大學で開催された時に、奥様もお出でになりました。それが、お目にかかった2度目でした。以前お宅におじゃましたことと、科研のお手伝いをしていることについて、親しくお話をしました。気さくに声をかけていただき、今後ともよろしくお願いします、とおっしゃってくださいました。
 今、あの時のお姿を思い出しています。

 昨日のお通夜は、日比谷図書文化館で『源氏物語』の写本を読む会があったので、どうしても行けませんでした。今日の告別式には、妻と一緒に駆けつけました。
 葬祭場は、JR常磐線の取手駅からすぐの、水戸街道の利根川沿いにありました。

 細やかな気遣いをなさる豊島先生は、大変だったはずなのに、そうした気配はお見せにならずに振る舞っておられました。喪主としてのご挨拶では声がくぐもっていました。しかし、淡々と奥様の病状を語られるのを拝聴し、私も少しもらい泣きしてしまいました。

 帰りの電車では、雨が車窓を打ち出しました。
 帰ってからニュースを見ると、取手市は豪雨になった、とのことでした。
 この雨により、先生をはじめとしてみなさまのお気持ちは一新されたことでしょう。

 宿舎の入り口では、八重桜がきれいに咲いていました。


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 奥様の御冥福をお祈りいたします。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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