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2015年5月の31件の記事

2015年5月31日 (日)

盲教育史研究会で多くの方々と歓談

 盛会のうちに閉会となった盲教育史研究会の後、参加者の半数となる30人以上の方々と一緒に、懇親会場があるすすきの地域へ向かいました。

 繁華街であるすすきのの交差点角には、ニッカウヰスキーのおじさんがいました。これは、「キング・オブ・ブレンダーズ」といわれるW・P・ローリーだそうです。「ブラック・ニッカ」のラベルに描かれています。ここにこのおじさんが姿を見せたのは1969年。今は3代目です。


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 懇親会場は、地元でも人気の「コロボックル(古艪帆来)」というお店でした。


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 始まる前に、『月刊 視覚障害 ─その研究と情報─』を発行しておられる星野敏康さんが、日本点字図書館の田中徹二理事長に紹介してくださいました。
 私が『源氏物語』の古写本を触読するテーマに取り組んでいることから、期せずして田中先生も早速挑戦してみよう、という展開になりました。

 「須磨」巻の立体コピーと木彫りの連綿文字をテーブルに置き、読むポイントとなる文字に人差し指を置いてさし上げると、指を小刻みに何度も何度も動かしたりなぞって、しばし思案しておられました。


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 表情が真剣で、難しい、判らないとおっしゃりながらも、2文字は確かに手応えがあったようです。少しご説明すると、なるほどと頷いておられました。

 突然の触読実験となり、引田会長や諸先生方も興味深くご覧になっていました。

 これは、私にとっても大きな自信になりました。目が見えなくても変体がなが読める、という好感触を田中先生の反応からいただけたからです。

 開会後すぐに挨拶に立たれた引田会長は、その最後に再度、異分野から挑戦をしている方の話題がこの後で語られるでしょう、とここでも好意的な言葉を添えてくださいました。

 参会者各自の自己紹介では、再三にわたってご紹介をいただいた後だったので、先ほど田中理事長に読んでいただいた『源氏物語』の立体コピーと木片を取り出して、現在の取り組み状況をお話ししました。
 そして、木彫りの連綿文字は、京都府立盲学校で岸 博実先生に見せていただいた、「七十二例法」と言う草書や行書で書かれた木片群にヒントをいただいたものである、ということと、音声の活用も考えていることを申し添えました。

 みなさんが、この古写本の触読というテーマに興味と関心を示してくださったことは、本当に心強く思います。近い将来、きっとよい成果が報告できることでしょう。

 テーブルを挟んだ前の席には、この会を取りまとめておられる岸先生がいらっしゃいました。周到な目配りと、細かな気遣いをなさる先生です。私はいつも、少しでも先生を見習おうと思っています。

 右隣の席には、北海道特別支援学校退職校長会会長の大泉恒彦先生がいらっしゃいました。
 大泉先生と『源氏物語』のお話をしているうちに、息子さんがNHK朝のテレビドラマ『まれ』に出演中の大泉洋さんであることがわかりました。大泉洋さんは私も知っています。妻は大のファンです。
 大泉先生は、広島大学の稲賀敬二先生と印象が重なる、温厚な先生でした。とても80歳以上とは思えないエネルギーが伝わってきました。

 そうこうするうちに、左隣にいらっしゃった香取先生は、国文学研究資料館が品川の戸越にあった頃にアルバイトとして行っていた、とのことでした。さらには、私と同僚の青木先生とは同級生だったとも。何とも奇遇としか言いようがありません。
 古文書を触読しているとおっしゃるので、早速持参のかな文字に挑戦していただきました。かなは勝手が違うようで、なかなか苦戦しておられました。

 少しずつではありますが、こうした集まりに顔を出すことで、今から700年前に書かれたかな文字を読む趣旨と意義をご理解いただき、お願いの輪を広げて行くことができるようになりました。

 今回は、学校の先生が多かったので、今後は学校とは関わりの薄い生活をなさっている方々にも、広くお声掛けをしていくつもりです。老若男女、幅広い方々が対象です。この触読に挑戦していただける方の紹介を、お待ちしています。

 今日は、非常に楽しく有意義な集まりに参加して、多くの方々とお知り合いになった1日でした。
 初めて来た北の大地で、充実した人との出会いを持てたことは、今後につながる大きな出来事となりました。
 折々にお声掛けいただいたみなさま、本当にありがとうございました。

 明日は、本研究会における2日目のイベントである、オプショナルツアーの報告をします。
 
 
 

2015年5月30日 (土)

日本盲教育史研究会 第3回ミニ研修会(in札幌)

 札幌といえば、ライラックです。今は、紫や白い花が一番きれいな季節です。
 ちょうど「第57回さっぽろライラックまつり」が今月20日から明日まで開かれています。
 ただし、今日も明日も、非常にタイトなスケジュールの中を泳ぎ回っているので、残念ながら大通公園には行けません。移動の車窓から見ています。

 北海道には、初めて来ました。札幌は、予想外に大きな街です。
 会場へは、札幌駅前のビックカメラ前からバスで行きました。
 バスセンターが大きくて、踏み切りの遮断機のようなバーが印象的でした。


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 午前中は、今回の研究会の会場となっている、今春開校したばかりの北海道札幌視覚支援学校の真新しい校舎と施設の見学会でした。
 校舎の周りは、まだ工事中です。


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 中はすばらしい施設です。
 この廊下は、何と直線で114メートルもあります。雑巾掛けをしようものなら、向こうに行き着けるかどうか、心もとなくなってきます。


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 職員室の一角に、点字の活字棒が五十音順に並んで箱に入っていました。何に使うものか、聞き忘れてしまいました。このことは、また後日。


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 廊下の所々に、点字シールが、しかも目立たないように貼られていました。


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 街中では、これ見よがしに点字シールがあります。しかし、そのほとんどが低い位置に垂直に貼られています。あれでは、読む人は手首を直角に曲げないと触読できないので、手首がつりそうになります。車椅子の方が触読すると思って貼ってあるのであれば、それは見当違いです。
 この写真のように、手首を反り返るようには曲げず、指が自然な形で点字が読めるように貼るべきです。指をかけたり乗せたりすると、手首に負担がかからずに点字が読めるようです。

 体育館の上にあるギャラリー空間は、ランニングもできるようになっていました。
 取っ手を持って走ることもできます。


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 寄宿生のための食道では、椅子がテーブルの下で浮くように設置されていました。
 ちょうどランチタイムの前だったので、テーブルには昼食の準備がされているところです。
 私が大好きな四つ葉牛乳が置かれていました。さすが北海道です。

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 この研究会は、発足して4年目です。
 順調に会員を増やしていて、今回の参加者は、道外から26名、全体で57名もの方々が集まっておられました。もうミニではない、大きな研究会となっています。

 会場は、北海道札幌視覚支援学校附属理療研修センター2階 第1研修室です。


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 盲教育史研究会の会長である引田秋生先生のご挨拶で始まりました。その挨拶の中で、異分野からの参加として、『源氏物語』を目の不自由な方々と一緒に読む挑戦をしている者として、私のプロジェクトを紹介していただきました。そして、準備していたチラシを参加者に一斉に配布してくださいました。効果的な宣伝告知と、お心遣いに感謝いたします。

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 また、レジメは、墨字と点字の2種類です。膨大な量の資料なので、点字の資料を作成なさるのは大変だったことでしょう。


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 まず最初の講演は、佐藤忠道先生(札幌大学非常勤講師)の「北海道における盲・聾唖教育の形成過程〜戦前期の盲教育を中心として〜」です。
 わかりやすく、貴重な資料に加えて新資料も駆使してのお話でした。
 昭和24年にできた札幌聾学校は、今日のこの場所にできたのだそうです。

 今回も、講演と発表には、2人の手話通訳者が付いておられました。
 こうした配慮が、各所に見られます。事務局長の岸先生をはじめとして、関係者のみなさまのご苦労に感謝しています。

 続いて、「北海道の視覚障害教育の先達者に学ぶ」をテーマとした3人の研究発表となりました。

①シャーロッテ・P・ドレーパーと函館盲学校 (酒井 宏三 氏)
「ドレーパー夫人は、明治22年(1889)に横浜訓盲会を創立し、明治23年(1890)に採用されたばかりの石川倉次の「日本点字翻案」を取り入れて点字教育をした人です。日本最初の点字印刷機は、明治26年(1893)に印刷用として輸入したローラー式洗濯物絞り機のようなものだったそうです。」

②南雲総次郎と旭川盲学校 (伊藤 勇 氏)
「南雲は、3つの盲唖学校を開校しました。明治36年に鹿児島慈恵盲唖院、大正11年に私立北海道旭川盲唖学校、昭和22年に私立稚内盲唖学院です。また、点字計算機の研究開発に功績をあげました。観音開きで2億までの加減乗除計算ができるそうです。」

③岩元悦郎と帯広盲学校 (樋原 理恵 氏)
「岩元悦郎は、そろばん等を使わずに筆算をするための岩本式点字盤、点字数学器、点字計数板の考案者です。点字は打つと文字が裏に出るので苦心したようです。昭和11年の帝国盲教育会で、岩本は「点字数学器に就いて」と題して発表しています。左書き右読み、除法計算、分数等々、数学嫌いの私には呆然とする内容でした。それでも、面白くうかがいました。」

 研究会が終わってからは、北海道で一番知られている、すすきのへ移動しました。
 懇親会が、すすきのであるのです。

 このことは、また明日。
 
 
 

2015年5月29日 (金)

読書雑記(132)藤野高明著『未来につなぐいのち』と出会って

 明日から、札幌で開催される「日本盲教育史研究会 第3回ミニ研修会(in札幌)」に参加します。
 明後日のオプショナルツアーでは、今年が生誕100年となる日本点字図書館の創立者である本間一夫先生の生家を訪ねることになっています。

 出発の準備をしていたときのことです。たまたま書棚にあった本を手にして目次を見ていたら、「文化の泉 守った人 本間一夫先生との出会い」とあるのです。何と、こんな偶然があるのです。
 これはこれはと、大急ぎでこの節から読みました。本間先生が2003年8月にお亡くなりになったのを受けて、『視覚障害』(188号、2003年11月)に発表された文章でした。

 著者である藤野高明氏の略歴を紹介します。
 唇で点字を読み、不自由な両腕で点字が打てるようになってからは、夢と希望を実現するために広汎な活動を展開されます。


昭和21年 不発弾爆発により両眼失明、両手首切断
昭和46年 日本大学卒業 教員資格取得
昭和48年~平成14年 大阪市立盲学校教諭
昭和59年~平成15年 大阪府立大学非常勤講師
平成9年〜平成13年 全日本視覚障害者協議会 会長

 本間先生のことは、今回の札幌行きまでは、まったく知りませんでした。
 偶然とはいえ、この本『未来につなぐいのち』(藤野高明、クリエイツかもがわ、2007.06)に出て来る本間先生の生家に、明後日行くのです。これも縁なのでしょう。


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 本書の目次は以下の通りです。


第1章 私の原点—不発弾に奪われた手と光
第2章 『あの夏の朝から』その後
第3章 平和への願い
第4章 生きる力、学ぶ喜び
第5章 バリアフリーを求めて
第6章 全日本視覚障害者協議会とともに
第7章 生き方を学ぶ

 本間先生の紹介は明後日の記事にまとめることとして、本書で私がチェックした箇所を引きます。

 まず、舌で点字を読むことが記されており、文字を読むことの意義を考えてしまいました。


スクーリングで上京するたび、真夏の日本点字図書館を訪ねました。「これはまだ新しいから藤野さんが唇で読まれても大丈夫ですよ」と言って、できたばかりの日本史の参考書十数冊を合宿中のホテル宛に送っていただいたこともありました。(150頁)

 また、点字を触読する速さについて、参考になる情報もあります。


 点字の触読にはかなりの個人差があり、私のまわりの速い人では、森泰雄さんや緒方淳子さんなどは、一時間に九〇ページは普通に読めるようです。私は唇で読みますから、そういう「スプリンター」のような人を羨ましく思いますが、それでも時速二〇〜三〇ページで読んでも、点字本を熟読含味する喜びはまた格別のものがあります。(156頁)

 なお、私が高田馬場にある日本点字図書館に行ったのは、去年の夏でした。知りたいことがありすぎて、とにかくお話を伺うために足を向けました。今回の旅の後に、また行くことになるはずです。

「江戸漫歩(82)高田馬場の「日本点字図書館」へ」(2014年06月20日)

 さて、本書にはさまざまなことが語られています。自身の障害に留まらず、教育・社会・政治・仲間のことなどなど、実に多岐にわたる話題が展開します。
 その中から、私がチェックした箇所をあげます。


・「父や母も何度か盲学校への入学をお願いに行きました。しかし、両手がないことを言うと、点字が読めない、按摩、鍼灸ができないとの理由で、全く問題にもしてもらえませんでした。
 小学二年といえば七歳です。それから二十歳まで約一三年間、わたしは不就学の状態に捨ておかれました。日にちにすれば四千数百日です。その日々の明け暮れは、本人と家族にとって、いかに長く展望のみえない毎日であったか、今思い出しても残念でなりません。当時は「就学免除」という、こちらが決して望まない形で不就学が行政の都合で正当化されたのです。」(14頁)
 
・「わたしが点字の触読に挑戦するきっかけになったのは、入院先の病院の看護婦さんに読んでもらった北條民雄の『いのちの初夜』でした。北條民雄自身、ハンセン病を病み、幾つかの作品を成した人ですが、重症のハンセン病患者の中には、視力と同時に手指をなくし、そのために唇や舌先を使って点字を読む人がいることを知るに及びました。わたしは、そのような壮絶な事実をなかなか信じることができませんでした。しかし、やがてひょっとすると、このわたしも、それなら唇で点字が読めるようになるかも知れないと考えるようになりました。」(16頁)
 
・「わたしは、非常勤講師としての採用を受けることにしました。わたしは、どんな形でもいいから早く教壇に立ちたいと思いました。本採用というホームベースに達するためには、たとえ振り逃げでもデツドボールでも何でもいいから、一塁ベースに出たいと思いました。そして出た以上は最善を尽くして働きたいと考えました。授業を受ける生徒たちにとっては、教師が本採用であろうと、非常勤講師であろうと、そんなことはなんの関係もないと思ったからです。」(22頁)
 
・「省みると、一面不幸な五〇年でした。重い障害、しかも二つの障害を併せ持って生きることなど、言うまでもなく、無い方がいいに決まっています。全盲でさらに両手がないという障害は、僕の「個性」でしょうか。僕は絶対にそうは思いません。それは苦悩であり、ハンディキャップ以外の何物でもありません。「次に生まれてくる時は、障害者になりたい」と望む人がいるでしょうか。僕たちが本当に言いたいのは、どんな障害があっても誇りと生きがいを持って学び働き、普通の人間関係が自然に成立する、そんな社会を作りたいということです。」(28頁)
 
・「私は一九歳の時、数冊の本によって長島愛生園の人たちと出会いました。そして彼らのように唇で点字を触読することを決心し、文字の世界を獲得しました。「文字の獲得は自由の獲得であった」と本当にそう感じたことを、まるで昨日のことのような鮮やかさでおぼえています。」(44頁)
 
・「この私に片方の目をあげてもいいと私の母と同じことを言ってくれたあなたは、看護婦さんだったのでしょうか。本当にありがとう! いつの日かそんな夢のようなことが実現したら、私は岡山の夕映えの空と、そして野原に咲いた小さなスミレの花を一番に見たいと思います。」(46頁)
 
・「戦争は私たち障害者にとって二つのかかわり方をします。
 一、戦争は何よりも大量の障害者をつくります。
 二、戦争は障害者を阻害し、切り捨てて顧みません。」(48頁)
 
・「障害を受け入れて生きるのは、それほどたやすくはない。私はうつうつと、よく思った。たとえ片方の目でも手でもいいから、残っていたらどんなにいいだろうと。また、このような不幸をもたらしたものに対するふつふつたる怒りを抱きながら生きてきた。その意味でずっと日本の戦後史をひきずりつつ歩いてきたと思う。」(54頁)
 
・「(平和の四条件として)
 第四は、人間が作り出した優れた文化遺産を共有し、新たな文化創造に参加できることだ。」(56頁)
 
・「「落ちる」という体験はぼくたちの仲間の多くが味わっている。全盲者が一人歩きしていて一番こわいのがホームからの転落である。ぼくも三度、このいまわしい洗礼をうけた。(中略)
 ぼくたちがホームから落ちるとき、その瞬時に心をよぎるものはなんとも説明しがたい、みじめさである。仲間にも自分にもくりかえさせたくない、危険で忌まわしい体験である。」(102~104頁)

 本書は、『点字民報』などに掲載された文章を集めて編集したものです。
 「あとがき」にも、次のように書かれています。


本書は『あの夏の朝から』を出し、早や三〇年近くたった今、その間に、各種出版物に発表してきた原稿のうちから、いくつかを選び、編集したものです。その際、読みやすくするため、加筆修正を行いました。(203頁)

 そのためもあって、同じ話が何度も出てきます。
 このことに関しては、さらにもう一手間でいいので、プロの編集の手が入っていたら、さらにいい本になったことでしょう。同じ話柄の繰り返しは、感動と印象が薄れます。

 これは、出版社側に編集という仕事の重要性に関する認識があれば、当然避けられたことです。
 今、出版の手法が容易になりました。編集から校正を経て印刷して刊行するプロセスが、一大変革を成し遂げました。コンピュータの導入によるものです。そのために、出版社は何をするのかが不明瞭になりました。編集についても、執筆者に安易に依存する傾向があり、刊行された書籍にプロとしての編集者の姿が見えなくなりました。

 どの分野でも、プロフェッショナルは必要です。
 すばらしい内容の本と出会えただけに、この点が気になりながら、本書を閉じることとなりました。
 
 
 

2015年5月28日 (木)

読書雑記(131)水野敬也『夢をかなえるゾウ3』

 『夢をかなえるゾウ3 ブラックガネーシャの教え』(水野敬也、2014.12、飛鳥新社)を読みました。


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 本作は、〈夢をかなえる〉シリーズの第3弾です。
 これまでのものは、次の2本の記事に雑感として記しています。ご笑覧を。

「読書雑記(122)水野敬也『夢をかなえるゾウ』」(2015年04月03日)

「読書雑記(126)水野敬也『夢をかなえるゾウ2』」(2015年05月13日)

 自分でツッコミを入れるガネーシャが、おもしろおかしく活写されています。
 本話に入る前の「本書の使い方」も、読者に挑む姿に勢いがあって、大いに期待できるスタートです。

 本作の主人公は女性です。しかし、作者は女性を描くのが苦手なのか、あまり女性らしさが伝わってきません。しゃべる言葉遣いは女性らしいのです。しかし、どうも中性的です。掛け合いは、相変わらず巧いと思います。しかし、人物の描写は乏しくて、面白いネタだけで物語が成り立っています。
 小説ではなくて、教訓書なのでしかたがないところでしょうか。

 ガネーシャと黒ガネーシャのキャラクターが被ります。偽者という設定はわかります。しかし、話が混線するだけでした。これは、途中から飽きてしまったので、設定で損をしています。

 中盤から、夢をかなえる話が具体的になります。品物を売るという想定は、売れるか売れないかということになるので、わかりやすいのです。だから、おもしろいのです。

 海外の人を喜ばせるお寿司の話は、もっと語ってほしいところです。
 人を喜ばせることの大切さは、松下幸之助のモットーでした。このことをもっと語ったら、さらに話が盛り上がったことでしょう。

 後半の夢をかなえる手法は、よくできています。作者は説明は下手でも、説教に関しては巧いと思います。特に、「苦しみを楽しみに変える方法」は、わかりやすくて説得力があります。


「苦しみを乗り越えたとき手に入れられるもんを、できるだけたくさん紙に書き出す。そんで、それを手に入れてる自分を想像するんや。そうすれば、今の苦しみは、将来の楽しみを手に入れるための必要な条件になる。また逆を言えば、もし目の前の苦しみから逃げてもうたら、将来欲しいもんが手に入らんようになってまうから、今の自分はもっと苦しまなあかんようになるわけや」(360頁)

 前半は、話を引き延ばし気味でした。第1作のようなキレがないのが惜しまれます。
 語られている教えはもっともなことなので、2弾と3弾というシリーズ化にあたり、ギアチェンジに失敗したといえます。

 本書の最後にまとめとして掲載されている、「ガネーシャの教え」を引きます。
 全体的に、読者に語りかけるパワーとサービス精神が、次第に低下してしまったようです。【2】


自分の持ち物で本当に必要なものだけを残し、必要のないものは捨てる

苦手な分野のプラス面を見つけて克服する

目標を誰かに宣言する

うまくいっている人のやり方を調べる

一度自分のやり方を捨て、うまくいっている人のやり方を徹底的に真似る

空いた時間をすべて使う

合わない人をホメる

気まずいお願いごとを口に出す

今までずっと避けてきたことをやってみる

自分の仕事でお客さんとして感動できるところを見つける

一度儲けを忘れてお客さんが喜ぶことだけを考える

自分の考えを疑ってみる

自分にとって勇気が必要なことを一つ実行する

優れた人から直接教えてもらう

一緒に働いている人に感謝の言葉を伝える

自分で自由にできる仕事を作る

余裕のないときに、ユーモアを言う

目の前の苦しみを乗り越えたら手に入れられるものを、できるだけ多く紙に書き出す

欲しいものが手に入っていく「ストーリー」を考えて、空想をふくらませていく

手に入れたいものを「目に見える形」にして、いつでも見れる(ママ)場所に置いておく

自分流にアレンジする

2015年5月27日 (水)

読書雑記(130)澤井希代治著『夢をつなぐ 全盲の金メダリスト 河合純一物語』

 澤井希代治著『夢をつなぐ 全盲の金メダリスト 河合純一物語』(ひくまの出版、1997,11)を読みました。


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 水泳選手だった河合純一さんは、中学3年生のときに失明します。
 それでも諦めることなく、バルセロナのパラリンピック全盲の部で、男子百メートル自由形で銀メダルを、さらにその後、アトランタのパラリンピックで、念願の金メダルを取りました。

 純一さんは、静岡県の中学から筑波大学附属盲学校高等部に入り、読めなかった点字も修得します。そして、バルセロナで開催されたパラリンピックの6種目に出場して、銀メダル2個、銅メダル3個を取りました。
 早稲田大学に入ってからのアトランタのパラリンピックでは、2個の金メダルと、銀と銅を1個ずつ取りました。

 本書は、静岡県教育委員会から教員採用試験合格の通知が届いたところで終わります。
 つまり、生まれてから社会人になるまでの一代記の形式です。
 この、苦労話をちりばめた努力顕彰型の執筆手法と、著者の筆力の乏しさに、私は大いに疑問を持ちました。

 純一さんを陰で支えた弟が描けていません。先生や水泳仲間のことも表面的で言葉足らずです。
 それよりも何よりも、純一さんの心の中に筆者が入り込んでいません。著者の想像力の欠如が顕著です。

 筆者は、純一さんの従兄弟だそうです。親族の立場から、温かい眼差しで負けん気の強い純一さんを語ります。しかし、その視線があまりにも純一さんに寄り添いすぎました。
 小さい頃から知っているのなら、もっと純一さんが心の中で悩み抜いた葛藤や、自分を応援してくれる人々への思いを代弁しなくてはいけません。そこまで、筆が伸び切らなかったことが、読んでいて返す返すも残念でした。

 ないものねだりかもしれません。しかし、せっかくの若者の貴重な人生が、この程度で語り終えたとされてしまっていることは、純一さん本人も不満足でしょう。これでは、親族やファンクラブの広報か宣伝を兼ねた、自伝を装ってのヨイショ本です。お涙頂戴で盛り上げることにも失敗しています。

 やはり、刊行されたこの内容はあくまでも前章であり、純一さんの夢であった教員として社会に船出してからが本章となるはずです。
 これまでの艱難辛苦が生徒との関わりと自分の生活の中でどうなるのか。
 教員としての生活に、目が見えないことでどのような影響があるのか。
 余人をもって変えられない生活体験が、どのように教育に生かされていくのか。
 さらには、その後のパラリンピックでの活躍の背景にある努力は。
 等々。

 本書のような内容に留まっていては、刊行を急ぎすぎたと言わざるをえません。
 このようなまとめ方で本を出版したことは、純一さんのこれからにもよくないと思います。【1】

※追記
 本書刊行後も、純一さんは、シドニーパラリンピック、アテネパラリンピック、北京パラリンピックに出場してメダルを獲得しています。ただし、ロンドンパラリンピックでのメダルはありませんでした。
 著書に、『夢追いかけて』(河合純一、ひくまの出版、2000.07))、『生徒たちの金メダル』(河合純一、ひくまの出版、2001.08))があります。やはり、本書で十分に語られていないことを、自分の手でなんとかしたかった、ということでしょうか。
 2003年には、本人が出演する映画『夢追いかけて』(三浦友和、田中好子等出演)が公開されました。ただし、これは酷評がなされているので、ここではとりあげません。
 さらには、国政に打って出るのです。そうしたことを読後に知ると、今後のさらなる活躍を願うだけに、本書の存在がかえって無意味なものに思えてきます。
 
 
 

2015年5月26日 (火)

立川市中央図書館で点字プリンタを使う

 今日は、出勤途中に立川市中央図書館へ立ち寄り、調査資料係でハンディキャップサービスを担当なさっている福島さんに、今私が抱えている問題の相談をしました。それは、点字プリンタに関連することです。

 今週末に、札幌で「日本盲教育史研究会 第3回ミニ研修会 in 北海道」が開催されます。それに参加するにあたって、事務局長の岸先生を通して「挑戦的萌芽研究」の宣伝チラシを現地で配布することの問い合わせをしていました。幸いにも運営委員のみなさまから歓迎との返信をいただき、ご理解いただけたことを喜んでいます。

 その回答の中に、点字版を作成するなら、という文言がありました。点字版に思いが及ばず、迂闊だったことを反省し、早速検討を始めました。今回は間に合わなくても、新たな取り組みが提示されたので、出来る時に出来ることを、という心構えで、この機会に試行錯誤を試みることにしました。

 そこで思いついたのが、立川市中央図書館にあった点字プリンタです。以前、説明を受けた時には、私の勉強不足もあり、その役割をよく理解できていませんでした。それが、このチラシの点字版という具体的な問題と直面し、自覚的にその道具の活用に思い至ったのです。

 一通り、点字プリンタの役割と、印刷するための文書を編集する「EXTRA」というウインドウズ版の自動点訳ソフトの実際を見せていただきました。現実の問題を抱えながら説明を聞くと、実によく話の内容がわかります。

 とにかく、ひらがなだけで文章を作り、それをパソコンで点字に変換して印刷するのです。
 ということは、チラシの文言をすべてひらがな書きにする必要があります。また、その表記は分かち書きによるもので、それなりのスタイルに整形しておくことも大事なことでした。

 頭の中を新しい知識でいっぱいにして、職場に向かいました。

 先日紹介した、立川駅前の原っぱで草を食むヤギさんたちは、今日の暑さにもめげずに除草作業という任務を遂行中です。


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 午後は、科研運用補助員として来ている関口さんの奮闘を得て、配布予定だったチラシの文言のすべてを、ひらがなの分かち書き表記文に作り替えることができました。

 それを持って、立川市中央図書館へ向かいました。
 職員の出退勤管理が厳密な職場なので、関口さんの勤務様態が国文研内ではなくて立川市中央図書館に変更となることと、その勤務に関しては私が全責任をとる旨を記した理由書を作成し、それを事務にはあらかじめ提出してありました。モノレールで1駅の所へ行って仕事をするのにも、こうした事務的な文書が発生するのです。

 立川市中央図書館では、ハンディキャップサービス担当の早坂さんと、以前この部署にいらっしゃった小林さんも助っ人としてお出でくださり、いろいろと手助けをしてくださいました。本当にありがたいことです。

 自動点訳ソフトの「EXTRA」で作業中の画面は、こんな感じでした。


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 実際にはもう1段上にエリアがありますが、それは省略しています。
 ひらがな文が点字に置き換えられていくのは、実に気持ちのいいものです。と言っても、まだ私は自由に点字が読めるわけではありませんが……

 これを点字プリンタで印刷すると、こんな感じで打ち出されます。


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 初めて自分が関わった点字文書なので、大きな感動がありました。
 ただし、予想に反して、点字プリンタから排出されたものは、3頁にわたっていました。1頁で打ち出される分量だと思っていたので、これをよい教訓にして認識を改めます。簡潔で要を得た文にすることが要諦だと知りました。

 実は、この図書館に来る直前に、国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんにメールを出していました。それは、立川市中央図書館が使っている自動点訳ソフト「エクストラ」で読み込める、フリーの点訳ソフトでおすすめのものを尋ねるものでした。

 広瀬さんは、全盲にもかかわらずメールの返信が非常に速いので、目の見える私はいつも自戒しています。
 今日も、中央図書館で作業をしているときに、返信が届きました。

 広瀬さんからの返信には、別件の回答と共に、自動点訳ソフトについての詳細なアドバイスと、点訳資料を作成する上での貴重な意見が記されていました。こうしたことを教えてもらえるのは、本当に嬉しいことです。広瀬さんの人柄と共に、感謝感謝の思いで目を凝らして読みました。

 私が一人占めにしてはもったいない情報が書かれていたので、そのアドバイスをまとめて記しておきます。

 その前に一言。これも反省事項です。

 6月14日(日)の午後、地下鉄九段下駅すぐそばの千代田区立千代田図書館で、今回新規採択された「挑戦的萌芽研究」の第1回研究会を開催します。その案内状を協力者のみなさまに送りました。その中で、集合場所として「1階ロビー」としたことに関して、広瀬さんのメールには以下のようにありました。


 僕たち視覚障害者は初めて行く場所が苦手です。
 最寄駅から会場まで、晴眼の方に同行していただけると、いちばん安心です。
 九段下の駅までは独力で行けるので、改札口などで待ち合わせをしてもらえると、ありがたいです。
 ご検討ください。

 いやはや、お恥ずかしい限りです。配慮が足りませんでした。
 早速、駅の改札口で、という対処をします。

 目や耳が不自由な方々と一緒に『源氏物語』の古写本を読もう、というプロジェクトを立ち上げることによって、私はこれまで持っていなかった目をもう1つ得ることができました。それは、目の見えない人や耳が聞こえない人の感覚で、日常生活のそこここに目や耳が向くようになったことです。これまでは、そうした視点を持っていなかったので、自分が見知っていたことの狭さを、あまりにも狭小であったことを実感する日々です。

 私は、2個の見える目を持っています。これまでも、この目でいろいろなものを見てきました。見てきたと思っています。しかし、今は別の視点でものを見る目を持った自分が、自分の中にもう1人いるのです。視点が2つになった意義の大きさを痛感する日々です。長生きはするものです。いろいろなことに挑戦すべきです。思いもよらない生き方があるものですから。

閑話休題

 広瀬さんから自動点訳ソフトについて教えていただいたことを、取り急ぎ列記します。


(1)自動点訳ソフトを使うと、点字の知識がなくても点訳資料が作れる。
(2)自動点訳ソフトの変換効率は、英語の場合はほぼ100パーセント完璧な点字文ができる。日本語は読み間違いや点字の分かち書きのミスが出るため、完成度は80〜90パーセント。
(3)最終的には点字を知っている人が校正しなければ、正しい点字文にはならない。

 そして、さらに重要な指摘をいただきました。それは。


(4)「8割、9割の完成度でも、なんとか意味が通じるなら、自動点訳ソフトは有効である」という考えが一つ。
(5)「自動点訳ソフトの普及により、いいかげんな点字が流布するのは好ましくない」という考えもある。
(6)役所などから送られてきた点字が「いいかげんな点訳=自動点訳されたそのままのデータ」だと、あまりいい気はしない。
(7)外国でちょっとおかしな日本語表記に出合うのと同じ感じ。
(8)この科研プロジェクトの関連資料を(僕や高村先生のために)点訳してくださるのだとしたら、とりあえずは自動点訳したままの「ちょっと怪しい」点字文でもいいと思います。僕と高村先生なら、事情もわかるし、不十分な点訳でも、ないよりは、あった方がいいです。
(9)ワークショップなどで、不特定多数の視覚障害者に点字資料を配布する場合は、やはりきちんと校正した点字文にすべきです。いいかげんな点字資料を配布していたら、本プロジェクトの信頼にも悪影響を与えるでしょう。
(10)点字の校正をするためには、それなりの知識と経験が必要です。
(11)「EXTRA」があれば、他のソフトがなくても墨字データの自動点訳ができる。

 ここにあげた1つ1つが、私にとっては貴重なアドバイスです。ありがとうございます。
 そして、拙速は控えて、札幌には点字資料は持って行かないことにしました。

 さらにもう1点補足します。

 図書館の福島さんがチラシの文字を見て、ゴチックの方が弱視者などは助かるはずです、というアドバイスをくださいました。そうでした。広瀬さんからも聞いていました。本にも書いてありました。うっかりしていました。

 ことほどさように、私の注意力はまだまだ目の見えない方々には届かないレベルです。しかし、少しずつものが見え出したので、前に進んではいるようです。

 とにかく、新しい刺激を全身に浴びながらの日々に身を置いていることを実感しています。
 いろろいな方々にご迷惑をおかけしているかと思います。しかし、こうして秒針分歩の中にいることをご理解いただき、遠慮なく変わらぬご教示のほどを、どうかよろしくお願いいたします。
 
 
 

2015年5月25日 (月)

読書雑記(129)『聾史レポート 第二集』

 近畿聾史研究グループ編『聾史レポート 第二集』(2012.10.31)を読みました。


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 本書は、『聾歴史月報』の59号までに掲載されたレポートから、精選された5本に加筆修正を施したものを発表順に編集したものです。

 まず、「目次」をあげます。


はじめに
近世儒者の障害者観…熊田寿貴(42号)
新聞記事にみる大阪摸範盲唖学校…新谷嘉浩(37、38、39号)
奈良県立ろう学校創立以前の私立奈良盲唖学校について…山中照章(51号)
浜松聾唖学校の助詞手話…梶本勝史(36号)
近畿聾史研究グループの活動経過…(新谷嘉浩)
執筆者紹介
あとがき

 既発表の論稿を再編集した構成となっている報告集なので、以下にわかる範囲での個人的なメモを適宜記し残しておきます。

■「近世儒者の障害者観」(熊田寿貴)
 本稿は、次の視点でまとめられたものです。


 海保青陵の思想と盲児や聾児を教育した寺子屋があったことの違いが、当然疑問になる。そこで、江戸時代における儒者が聾者に対してどう考えていたのかについて、生瀬氏の解釈や評価に言及し、この疑問に対して説明を試みる。これが本稿の課題である。(7頁)

 ここに引かれる「生瀬氏の解釈」とは、『近世日本の障害者と民衆』(生瀬克己、三一書房、1989年)に収録されている「儒者の障害者像」を指します。
 生瀬氏の言及を検討した結果、筆者は次の結論に至っています。


 それ(私注・生瀬氏の著書)によれば、江戸時代初期の儒者は、聾唖者を含む障害者への思いやりをもって救済せよと主張していたが、幕末になると、海保青陵の見殺し理論によって障害者が差別を受けるようになったと結論している。しかし、これは近世における儒学史を参考に考察すると、一部分訂正が必要である。すなわち、幕末の儒学では、道徳的に救済することと、経済的な発展のために障害者を排除することなどの考えが混在していた。このような中で、庶民は道徳的に聾児を寺子屋で教育したのである。(25 - 26頁)

 
■「新聞記事にみる大阪摸範盲唖学校」(新谷嘉浩)
 本稿は、明治12年に大阪で初めて開校された公立盲唖学校に関する新聞記事を、丹念に整理してまとめたものです。
 その中から、京都盲唖院の開校前後の記事と、「教唖五十音図」に関するもの、そして盲唖生徒の実数がわかる記事を引きます。

No.4 一八七九(明治一二)四、一七(大朝)(私注・「大朝」は「大阪朝日新聞」の略称)
《雑報》
○西京にて盲唖学校を開かれし遠山氏は今度當地へ来られ中の嶋中学校にて官立摸範学校を開かれる由を願ひ出られしに既に許可になり近々より開校のよし
◎この遠山氏とは遠山憲美〈とおやまのりよし〉(一八四九〜一九一二)のこと。遠山憲美は一八四九(嘉永二)年三月一日に宇和島伊達藩士の遠山帥総の次男として宇和島で生まれた。明治初年に横浜へ留学し、一八七一(明治四)年にアメリカに渡り、サンフランシスコの仏商館で働いている二人の聾唖者の姿に感銘し、日本での盲唖学校設立の必要性を痛感する。一八七七(明治一〇)年に京都に止宿し、愼村正直京都府知事に「盲唖訓黌設立ヲ促ス建議意見書」を提出した。
 遠山の建議提出を知った古河太四郎は、一八七八(明治一一)年一月九日、横村知事に盲唖教場の拡大計画による「盲唖生募集御願」を提出。二者競合のうちに盲唖院設立の運動は急速に盛り上がる。五月二四日、京都盲唖院が開校し、古河太四郎は教員、遠山は用掛として採用された。しかし、古河と遠山の両氏の関係が悪化し、古河と遠山の問題から遠山対京都府に発展し、遂に遠山が退職することとなった。(37 - 38頁)

 次の記事に出てくる「教唖五十音図」は、本『聾史レポート 第二集』の表紙に使われています。
 前掲表紙画像を参照してください。
 この「教唖五十音図」によると、あ行に「ヱ・ゑ」があり、や行に「エ・江」があり、現行の五十音図と異なっています。この明治期の五十音図には、興味深いひらがなとカタカナから配置されています。後日、整理します。


No.34 一八七九(明治一二)一〇、二六(大朝)(私注・「大朝」は「大阪朝日新聞」の略称)
《雑報》
○末吉橋通三丁目和田喜三郎が編輯にて出板せし盲唖五十韻は盲唖院にあるより他に原稿而はなき者なれば同人を呼出し取調られしに道路の夜店にて買入し旨を答へ曖昧なれば戸長等を呼出し取調べられると
◎この和田喜三郎が編輯した「盲唖五十韻」は"教唖五十音図"の事であり、『聾唖教育』第六三号(一九四一年五月二〇日、日本聾唖教育会)に論文と図が紹介されている。それによると"教唖五十音図"は「明治一二年一〇月七日出版御届とある。そして同年同月同日刻成りしものとして、図音出版人は大阪府平民和田喜三郎(大阪府下南区末吉橋通四丁目十六番地)とあり、賣捌所は順慶町心斎橋西、保田與三郎である。そしてこれは指文字による五十音図であり、しかも明治一二年という日付に極めて深い意義がある」と述べている。
◎和田喜三郎は、大阪府下南区末吉橋通四丁目十六番地(現大阪市中央区南船場二丁目辺り)に住み、大阪の版元であり、文楽の筋書きなどの木版本を刊行した。峯入木目込人形を出品。また、他の論文から和田喜三郎が指文字を考案し図を作成したとは考えにくい。では、誰が何の目的でどのようにして指文字を考案し図を作らせたのかを考えると、大阪摸範盲唖学校の教員として正式に採用された(記事 No.28・42)遠山憲美ではないかと考えられる。遠山憲美が古河太四郎に対抗するため独自で考案し、和田喜三郎に"教唖五十音図"の印刷を依頼し、京都盲唖院開校式(一八七八年五月二四日)の時に古河太四郎が考案した指文字を配布した(注47)様に、一一月五日に開催する大阪摸範盲唖学校の開業式の際、唖生に配布する予定だったのではないかと推測する。(68 - 70頁)

 引用文中後半の「※47」とある箇所には、次の注記があります。


(47)京都盲唖院の古河太四郎が考案した「唖五十音字形手勢(形象五十音文字)」は幼児や聴者用に、高学年(三級以上)や唖者互談用には京都盲唖院の開業式で配布した「瘖唖手勢五十音」や私立大阪盲唖院で用いたと見られる「五十音手勢捷法(五十音符号手勢)」がある(岡本稲丸『近代盲聾教育の成立と発展 古河太四郎の生涯から』NHK出版、一九九七年、一七六ページ)。(111頁)

 次の記事には、明治11年から12年の時点で、大阪府盲唖学校で唖生徒25名、盲生徒15名とあります。また、遠山憲美の動静もわかります。


No.44 一八七九(明治一二)一一、一二(大朝)(私注・「大朝」は「大阪朝日新聞」の略称)
○當府盲唖学校は去八日より開業になり就学生徒四拾名の内盲生徒拾五名内八名は予て記せし通り緒方軍医の施療の診断に依りて治療し得べき者なれば此頃同氏の施療を受け追々実効を奏するに至れりと実に該生徒の幸甚なり
○又同校長遠山氏は盲唖の教育法に老熟なる人にて前に西京の盲唖院を開かれしも同氏の尽力なりしが来年三月に至れば鹿児島県へ盲唖院開設に赴むかれる筈なりと
◎大阪摸範盲唾学校々長遠山憲美が、以前に京都盲唖院の開設に尽力したように、来年三月に鹿児島で盲唖院を開設するため、当地へ赴くという記事。鹿児島では盲唖学校開設にむけて着手しているが、未だに開業に至っていないと文部省に報告している。
「廃人学校設立ニ着手シ十一年中在テハ未夕開業二至ラス」
実際に聾唖学校が設立されたのは、一九〇〇(明治三三)年七月五日である。(79 - 80頁)

 
■「奈良県立ろう学校創立以前の私立奈良盲唖学校について」(山中照章)
 本稿は、奈良県で聾学校の設立が立ち後れたのは、財政力の欠乏により余裕がなかった、とした上で、次の問題意識と視点から論ずるものです。

 本稿では、奈良県設置以後、明治半ばから大正まではなぜ設立しなかったのか、良県行政はどのようにろう学校を設立したかについて述べる。
盲唖学校創立以前
 奈良県では、明治三十六(一九〇三)年、東京盲唖学校長の小西信八を招いて、講演を行った。日時・場所など、詳細は載っていない。しかし、奈良県はまだ聾学校を設立する意思がなかっただろうが、なぜ小西を招いたのか、理解できない。(118 - 119頁)

 次は、ロート製薬の創立者山田や天理教に関する記事です。
 紆余曲折の末、昭和六年にようやく奈良県立盲唖学校が設立されたのです。


 大正八(一九一九)年秋頃から奈良盲唖学校の設立を準備しようと立ち上がったのは、小林卯三郎と山田安民であった。(中略)
 山田安民はロート製薬社の創立者であり、盲唖教育について熱心であった。山田は明治元年宇陀郡池上村(現宇陀市榛原)に生まれ、関西法律学校(現関西大学)に入学したが途中で東京に行き、英語を学んだ。しかし、病気にかかり中退し、明治三十二(一八九九)年製薬会社「山田安民薬房」を創立して、胃薬の販売に成功した。明治四十一年目薬の製造に成功した。それがきっかけで盲唖教育について関心を向けることになった。彼は、奈良県には盲唖学校がないことに気がついた。
(中略)
 知事は「予算が付けられるようになったら、県に移管してもらうので、当分は県立代行として、天理教にお願いしたい」と天理教の二代真柱中山正善に経営を依頼した。
 二代真柱は旧制高校生だった。一言で「よろしい」と引き受けた。
(中略)
 そして、昭和五(一九三〇)年頃、県が重い腰を上げて県立移管へ準備を進めた。昭和六年三月二十日に奈良県令十六号が制定され(『奈良県報』八百六十一号)、奈良県立盲唖学校が設立された。
 この年四月に、奈良県立図書館の中二階に最初のろう児六名が入学し、授業が始まった。十月、吉田角太郎校長先生を迎えて、口話教育が始まった。そして、昭和七年四月奈良市油阪町(現奈良市大宮町)に新校舎が完成し、聾学校と盲学校ともに移転した。新しい校舎で本格的な教育が始まった。
 昭和四十四(一九六九)年、現在の聾学校、盲学校の校舎に移転し、現在に至っている。(120 - 127頁)

■「私立浜松聾唖学校の日本語指導 ─「助詞の手話」についての聴き取り調査─」(梶本勝史)
 「助詞の手話」とは、手指の動作で助詞や助動詞等を指導するものです。本稿は、太田二郎氏をモデルとして、写真で説明するものです。
 
 目や耳が不自由な方々をとりまく問題点は、その歴史的な変遷と現状確認も含めて、私はまだ勉強中です。その中で、本書からは、これまでまったく知らなかったことを数多く教えてもらうことができました。牛の歩みのような速さではあっても、少しずつ理解を深めていくつもりです。
 
 
 

2015年5月24日 (日)

読書雑記(128)水上勉『はなれ瞽女おりん』

 水上勉の『はなれ瞽女おりん』(新潮文庫所収、平成14年9月)を読みました。


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 暗くて哀しい瞽女さんの物語として、自分勝手な先入観を持っていたせいか、読む機会を逸していました。一気に読み終わった今、人間の透き通るような美しさが描き出されていたことで、作者の表現の妙に感心しています。そして、今はその存在が見えなくなっている瞽女という人々の姿を、あらためて考えるようになりました。

 本作では、貧しさの中で必死に生きていく女と男が、純粋な心の持ち主としてとして語られます。
 複雑な社会と過酷な風土を背景として、おりんも平太郎も共に、はみ出した道を歩んでいくのです。
 北陸から若狭を舞台とする、哀切極まりない語り口に、終始圧倒されて読みました。

 作者は、若狭に生まれ育った自分の体験を元にして、自分なりの瞽女の実態をまず語ります。
 これは、瞽女のありようを理解するのに、簡潔でわかりやすい解説となっています。

 話は越後瞽女へと移ります。その中には、「はぐれ瞽女」「はなれ瞽女」「落し瞽女」といって、掟を破り男と交わったりして仲間外れになった瞽女がいました。本話の主人公であるおりんがそれです。明治30年代の話です。

 瞽女を語る作者の温かな眼差しが、行間から伝わって来ます。
 この物語に横溢する美しさは、その構成と語り口に依るものだと思います。

 中でも、おりんが17歳で月のものを見てからは、大人になった瞽女の様子が克明に語られます。
 本作における読みどころの一つです。

 さらには、おりんにとっては思いがけないことながら、旅先で男の夜襲に遭遇し、はなれ瞽女になって落ちるくだりも見逃せません。

 その中に、「瞽女式目」が出てきます。


「謹んで惟うらく、人王五十二代嵯峨天皇第四の宮、女宮にて相模の姫宮瞽女一派の元祖とならせ給う。かたじけなくも、下賀茂大明神、末世の盲人をふびんとおぼしめされ、かたじけなくもおことのはらにやどらせ玉い、胎内より御目めしいて御誕生ましし、父大王、母后、神社仏閣の御祈祷これあるといえども、大願成就の種なれば、更に甲斐あらず。」(137頁)

 過般、「読書雑記(119)ジェラルド・グローマー『瞽女うた』を読んで」(2015年03月16日)でも、加茂大明神のことをメモとして記しました。ここでは、下賀茂大明神となっています。
 このことは、まだ何も調べていません。もうしばらく課題として持っておきます。

 下駄職人の平太郎と出会った後は、2人の道行き語りとなります。
 後半で警察が顔を出すようになってから、俄然サスペンサタッチになります。話がおもしろくなるのです。それでいて、おりんはまったく変わりません。また、目が見えないことが却って話を自然にしています。

 おりんの『口伝』を随所に使い、聞き語りの手法を生かして物語っています。柔らかな語り口の中に、人間を見据えた鋭い観察眼が感じられました。
 また、北陸地方への愛着も滲み出ています。

 はなれ瞽女おりんは、純粋な心を持った女性として、美しく描き出されています。【5】

 本作は、昭和50年9月に新潮社より刊行されました。
 
 
 

2015年5月23日 (土)

視覚障害に関する本ブログの関連記事一覧

 最近、いろいろと問い合わせを受けて、過去のブログの紹介をすることが増えました。
 その1つ1つを抜き出すのも時間がかかることになってきたので、あらためて一覧にしました。
 ここには、本日までに公開した60本の記事が、降順(逆順)に並んでいます。
 
 
視覚障害者・点字・点訳・盲教育・触常者に関する記事一覧(2015年05月23日 現在)
 
「視覚障害に関する本ブログの記事一覧」(2015年05月23日)

「有明での教育ITソリューションEXPO(EDIX)雑感」(2015年05月22日)

「大阪府八尾市にある会社へ立体コピーの調査に行く」(2015年05月14日)

「立川市中央図書館へ科研採択の挨拶と報告に行く」(2015年05月12日)

「新規科研のホームページができました」(2015年04月22日)

「読書雑記(121)中野真樹著『日本語点字のかなづかいの歴史的研究』」(2015年04月02日)

「速報・科研費「挑戦的萌芽研究」で内定通知をいただく」(2015年04月01日)

「読書雑記(120)新井たか子著『愛情の庭 若き盲女の日記(復刻版)』」(2015年03月20日)

「立川市中央図書館で源氏写本を再度立体コピー」(2015年03月17日)

「読書雑記(118)ジェラルド・グローマー『瞽女うた』を読んで」(2015年03月16日)

「「京都視覚障害者文化祭典」で弱視の方のお点前をいただく」(2015年03月01日)

「京都駅前で充実した時間を過ごす」(2015年02月27日)

「視覚障害者と写本文化を共有するための47本の記事一覧」(2015年02月10日)

「谷崎全集読過(21)『盲目物語』」(2015年02月03日)

「祝「日本盲教育史研究会」の公式ウェブサイト公開」(2015年02月01日)

「読書雑記(117)嶺重慎・広瀬浩二郎編『知のバリアフリー』」(2015年01月31日)

「お茶のお稽古の後に視覚障害者のことを想う」(2014年12月23日)

「学術交流フォーラムの音楽ワークショップで受けた刺激」(2014年12月21日)

「視覚障害者と共に古写本を読むためのポスター発表をする」(2014年12月20日)

「読書雑記(115)大胡田誠著『全盲の僕が弁護士になった理由』」(2014年12月02日)

「テレビドラマ『全盲の僕が弁護士になった理由』を観て」(2014年12月01日)

「バリアフリーやユニバーサルデザインから学ぶこと」(2014年11月28日)

「読書雑記(114)三宮麻由子『目を閉じて心開いて』と『源氏物語』」(2014年11月25日)

「『月刊 視覚障害 11月号』に紹介された広瀬さんと私」(2014年11月05日)

「読書雑記(112)『愛盲―小杉あさと静岡県の盲教育』」(2014年11月04日)

「第12回オンキヨー世界点字作文コンクールの表彰者」(2014年11月03日)

「自動車運転免許証を自主返納せずに更新する」(2014年11月01日)

「立川市中央図書館で聞いた視覚障害者への対応」(2014年10月29日)

「〈筆順・縦書き〉問題とパソコン業界の日本語放棄の潮流」(2014年10月24日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その3/3)」(2014年10月13日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その2/3)」(2014年10月12日)

「日本盲教育史研究会に参加して(その1/3)」(2014年10月11日)

「筑波大学附属視覚特別支援学校訪問記」(2014年10月10日)

「日比谷図書文化館で『源氏物語』を読み始める」(2014年10月02日)

「知的財産権について考える」(2014年09月24日)

「私にも障害を持つ方のお役にたてることがあったのです」(2014年09月20日)

「江戸漫歩(87)霞ヶ関ビルで開催された総研大の教授会」(2014年09月19日)

「読書雑記(109)広瀬浩二郎のことば切り抜き帳(1)」(2014年09月18日)

「読書雑記(108)佐藤隆久著『日米の架け橋』への不信感」(2014年09月17日)

「視覚障害者と写本文化を共有する接点を求めて」(2014年09月15日)

「日南町散策と写本を木に彫る相談」(2014年09月14日)

「日南町でハーバード大学本「須磨」を読む」(2014年09月13日)

「読書雑記(107)中津文彦『つるべ心中の怪 塙保己一推理帖』」(2014年09月03日)

「読書雑記(106)中津文彦『塙保己一推理帖 枕絵の陥し穴』」(2014年08月29日)

「視覚障害者が古写本『源氏物語』を書写できるか?」(2014年08月22日)

「京都府立盲学校の資料室(その2)」(2014年08月05日)

「京都府立盲学校の資料室(その1)」(2014年08月04日)

「京洛逍遥(332)京都芸術センターの中の前田珈琲」(2014年07月24日)

「読書雑記(104)中津文彦『塙保己一推理帖 観音参りの女』」(2014年07月16日)

「江戸漫歩(82)高田馬場の「日本点字図書館」へ」(2014年06月20日)

「京洛逍遥(322)京都ライトハウスにて」(2014年06月12日)

「目の不自由な方と写本を読むために(2)」(2014年06月05日)

「目の不自由な方と写本を読むために(1)」(2014年06月04日)

「早朝の地震の後、渋谷の温故学会へ」(2014年05月05日)

「西国三十三所(20)壺阪寺」(2010/10/20)

「【復元】縦書き & 横書き」(2010/4/21)

「【復元】点字本『源氏物語』(全3冊)」(2009/9/10)

「点字本『源氏物語』(その後)」(2009/9/9)

「インド人留学生の眼(2)「日本の常識の不思議」」(2008/12/3)

「心身(22)身体への不安」(2008/9/1)
 
 
 

2015年5月22日 (金)

有明での教育ITソリューションEXPO(EDIX)雑感

 江東区有明にある東京国際展示場「東京ビッグサイト」で開催中の「第6回 教育ITソリューション EXPO(EDIX)」に行ってきました。
 これは、教育分野においては日本最大の展示会で、広大な会場に620社が出展していました。


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 教育現場におられるみなさんが、日頃の山積する課題を解決する手掛かりを得るために、新しい発想による知的刺激に満ちた製品やツールを、直接見聞きする出会いの場となっています。「日本最大の学校向けIT専門展」といわれるゆえんです。

 全国各地から学校と教育関係者がいらっしゃっていることが、会場を回るだけでわかります。
 eラーニングや教育教材の開発に関する出展が目立ったのは、私の問題意識がそこにあったからでしょうか。

 事前にウェブサイトで、「特別支援教育教材・コンテンツ」というジャンルの出展カテゴリーで検索したところ、24件の業者がリストアップされました。
 今回は、全620社のブースはくまなく見ました。特に、あらかじめリストアップした24社の展示場所は、可能な限り展示物と説明パネルやパンフレットを確認するようにしました。

 しかし、実際に目の不自由な方と一緒に『源氏物語』の古写本を読むためのヒントがもらえる出展は、たった3社にしかすぎませんでした。これにはがっかりしました。
 各企業共に、まだこうした支援教育の分野には手をつけておられないようです。
 今後に期待しましょう。

 今日の時点では、今後とも協力が得られる会社との幸運な出会いは、残念ながらありませんでした。しかし、次の3社とは可能性があると思って、名刺交換をしました。記録ということで、以下に紹介がてら書き留めておきます。
 
(1)シナノケンシ株式会社の「PLEXTALK Producer」
 これは、「音声を聞きながら、同時に絵や写真を見ることができる。」というところに、私の注意が向きました。
 『源氏物語』の写本の立体文字を触りながら、音声による説明が聞ける仕掛けを創る際に、もう一工夫すれば活用できそうです。
 「マルチメディアDAISYが作りやすいソフトウェア」だとか、「ルビや発音設定による読み情報補正機能を搭載」という宣伝文句も、気に入りました。
 予定している『変体仮名触読字典』や『点字版古文学習参考書』でも、有効に活用できるものになりそうです。
 福祉・生活支援機器ビジネスユニット プロジェクトリーダーの西澤さんには、私の名刺と一緒に、科研「挑戦的萌芽研究」の内容をまとめたチラシを手渡しました。


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 私のプロジェクトに魅力を感じられたら連絡をください、と一言申し添えることを忘れませんでした。
 科研のテーマである「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」という長い文字列は、よく意味がわからなかったのか視線が動いたのは一瞬でした。
 しかし、この会社の製品との接点はありそうなので、『源氏物語』という語句に興味を示され、連絡があることを待つことにします。
 
(2)東芝ソリューション株式会社の「音訳支援クラウドサービス DaisyRings™」
 これは、今日のプレゼンテーションを見て興味を持ったものです。
 音声合成を活用してオーディオブックの作成を支援するものなので、『源氏物語』の古写本に書写された物語本文を、翻字データを参照しながら読み上げたり、変体仮名の説明に活用できます。
 また、膨大な手間と時間のかかる音訳作業において、これはその軽減化に一役かいそうです。
 今年の7月からサービスを提供するとのことでした。
 官公ソリューション事業部 事業推進部 参事の木田さんの名刺をいただきました。
 こことも、接点がありそうなので、今後の連絡を楽しみに待つことにします。
 
(3)光村図書出版の「国語デジタル教科書」
 eラーニングと一緒に、デジタル図書やデジタル教科書の展示はたくさんありました。
 その中でも、今日のところは、光村図書出版の「国語デジタル教科書」に目が留まりました。
 また、「書写デジタル教科書」や「わくわく古典教室」と「わくわく漢字伝」も、目の見えない方々と一緒に古写本を読むときに、有効活用できそうな手法が盛り込まれているように思われます。
 

 今回、展示会場を駆け回り、教育分野でのITがおもしろい展開を見せていることを実感しました。

 私は数十年前に、大阪府立高校2校のコンピュータ導入にかかわりました。機種選定に留まらず、部屋のレイアウトや床下配線等々…… 他に人がいなかったことと、提案者として責任を取らされた、という事情もありました。
 やっと2バイトのひらがなと漢字が使えるようになった時代のことです。

 また、短期大学での情報教育文具としてのコンピュータの導入にも深く関わりました。そのときは、ネットワークを活用した教育支援システムを、マッキントッシュ50台で組みました。
 国語や文学・語学教育にコンピュータがどのように活用できるのか、先が見えない中でひたすら夢を描きながら挑むことができた、コンピュータ元年といわれていた過去の話です。
 懐かしく思い出すと共に、今日の熱気を肌身に感じて、今後とも教育分野の変化が楽しみになりました。

 そうした中での、目が見えない方々と一緒に古写本を読む試みは、このIT分野の参加協力なしには実現しないことはわかっています。
 よきパートナーとの出会いがありますように。
 今後とも、人と情報と物を求めて、可能な限り出歩いていきたいと思います。
 
 
 

2015年5月21日 (木)

ハーバード大学本「蜻蛉」巻の紛らわしい「者(は)」

 日比谷図書文化館で、ハーバード大学美術館蔵『源氏物語「蜻蛉」』を読んでいます。
 今回は、変体仮名の「者」がさまざまに書かれている例を確認します。
 1文字を見つめていただけでは、その識別が難しいケースが多いのです。

 次の一覧は、第10丁裏から12丁表にかけて見られる、「者」の種々相を並べたものです。


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 右から2つ目の「者し」の「者」が、一般的に知られているひらがなの「は」に相当します。
 それ以外の「者」は、いろいろな崩しとなっています。

 左端などは、すぐには「者」と読めない崩し様です。
 これなどは「気配(けはい)」の意味を文脈から読み取って、そこで「者」だと決め打ちしているところがあります。

 また、左から3つ目の「者」も、「乳母は」という語句から、迷わず「者」と翻字します。
 文脈の理解が、ややこしい文字の翻字を助けているのです。
 しかし、これらを1文字だけ取り出されると、しばし悩むことになります。

 現在は、「蕎麦(そば)」の変体仮名の表記として、「楚者」という文字を蕎麦屋さんの暖簾などで見かけます。
 また、賀茂川に架かる北大路橋には、次の銘板が嵌め込まれています。


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 ここには、「きたおほぢ者し」と書いてあります。

 「者」が、日常生活から遠ざかったひらがなとなっているだけに、この「者」は今後とも悩ましい存在として立ちはだかる文字だといえます。

 とにかく、こうした例を確認していく中で、変体仮名に慣れ親しんでいくしかありません。
 
 
 

2015年5月20日 (水)

読書雑記(127)琳派400年で鳥越碧『雁金屋草紙』を読む

 鳥越碧氏の『雁金屋草紙』(講談社文庫、1993.9)は、1994年4月に読み、力作だったとのメモを記していました。

 今年は、琳派400年。本阿弥光悦が京都洛北鷹峯に「光悦村」をひらいてから400年です。
 さらには、尾形光琳没後300年でもあります。
 再来週の6月2日には、光琳300年を記念して、ゆかりの妙顕寺で「大光琳祭」が開催されます。

 こうした催しの詳細は、小冊子『琳派四百年記念祭イベントガイド・初夏号』(琳派400年記念祭委員会、2015.4)をご覧ください。


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 本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳・乾山、酒井抱一等々。
 京都ではさまざまな催しが行われています。
 そのような中で、鳥越氏のデビュー作『雁金屋草紙』が印象深い作品だったことを思い出し、急遽再読しました。


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 本作は、第1回時代小説大賞(1990年)の受賞作です。満票で受賞が決まったということなので、作者は最初から幸運な作家として始動したのです。
 本作を読み終わってすぐに、第3作である『後朝 和泉式部日記抄』(講談社、1933.10)を読んでいます。これは、また後日取り上げる予定です。

 さて、『雁金屋草紙』です。
 「うなじに雨を感じて、奈津は顔をあげた。」
と始まり、しっかりとした文体で綴られる物語です。
 情感豊かな語り口に、次第に引き込まれていきました。

 この第一章第一節が、最後までこの物語の通低音として響いていました。
 感動とともに本作を読み終わってから、また、この巻頭部分を読んでしまいました。完成度の高い仕上がりです。

 最初は巻末の家系図を見ながら読み進みます。しかし、次第に人間関係がわかると、後は一気に読めました。表現力のある、筆の力を感じる文章で語られていきます。

 寛文11年端午の節句の夜、青い月光を浴びながら市之丞(後の光琳)と奈津が、築山の心字池で夜空を見上げて言葉を交わす場面が、ことのほか印象深く残っています(74〜76頁)。


「奈津、起きとるのか」と、庭の方から低く呼ぷ声がした。
 急いで小袖を重ねて戸を開けると、まだ白装束のままの市之丞が、青い月光を浴びて立っていた。
「なんや、眠れへんのや」
「はあ、うちも」
「そこら、歩いてみいへんか」
 そう云って、市之丞は築山の方へ背を向けた。
 奈津は縁下の庭草履を履き、小走りに追った。
 老松の上にゆったりと夜の雲が流れ、心字池には月の光をうけて、小波がきらきらと光っていた。
(中略)
 奈津は夜空を見上げた。
 小さな星がいくつも煌めいていた。
「奈津、儂、約束するわ。いつかきっと光悦に負けん仕事したやるわ」(74〜76頁)

 感動的な話の背後に、秋の夜の月の光が配されているのです。

 全編、奈津の思いと生きざまが、市之丞(光琳)を背景に置いて克明に語られます。温かい眼差しで、寄り添うように言葉で紡がれる奈津という女性の内面が、大事なものを届けるように読者に伝わります。

 人真似ではなくて、自分というものを探し求める奈津です。

 光琳のことばに、「狩野派の血筋でもない一介の町絵師」(159頁)とあり、そこにかつて私がこの文庫本に引いた赤線が、何箇所かにありました。


「町絵師云うんはな、幕府の御抱えの狩野派の人らとは違うんや、じっと待ってて仕事のくるもんやないんやで」(183頁)
 
「町絵師云うんは、お抱え絵師と違うて不安なもんやなあ」(203頁)
 
「『躑躅図』も狩野探幽への尊敬が露わに出て、兄様も江戸で何かを捉えはったようや、と見るお方もおいでやそうどすけどな。先日は、狩野尚信の『瀑布図』に竜を加筆し、今は時間をみつけては『波濤図』をお好きなままに描いてはるようどすけど」(218頁)
 
「光悦に宗達に、探幽、山楽にかて勝ってやるぞ、」(247頁)

 前回本作を読んだとき、ここに赤線を引いたのは、その年の春に「パリで『探幽筆 三拾六哥仙』を見つけた」直後だったことが関係しています。
 狩野派の絵のことが頭にあり、その視点で本作を読んでいたのです。今回は、琳派の視点から読んでいるので、それこそ本筋を読もうとしている自分を意識して読み進めました。
 琳派400年だからこそ、こうして読んでいるのでした。

 また、お茶を教えるシーンなどは、自分が茶道を実際にするまでは、何にも考えずに読み飛ばしていたところです。それが、そのくだりを何度も読んでは、お作法を確認している自分がいるのに驚きました。
 本の読み方が変わってきたようです。


 茶筅を茶碗から出して、水指の前に置き、お衣音は両手を膝に揃えて、思案している。
「お茶碗をお引きやして」
「ああ」と、はにかんで笑う。
「……回半……」と、思わず声に漏らして茶碗を拭き、棗に手を伸ばしかけて、急いで茶巾を釜の蓋へ置き、茶杓を取る。その両手の右往左往するのも、そこに、少女なりの一生懸命な様が見てとれてほほえましい。
 ようやくお茶を点て、お茶を出した後に両手を膝に八の字に開いて、背筋を伸ばし正面を視つめている様子は、幼い清潔感が表われ出て、奈津は「ああ、市さまのお小さい頃にそっくりや」と眼を細めた。
 お衣音の中に、一樹院をお佐和を光琳を回灯籠のように見て、それが現実に、一人の少女として存在することが不思議な気がした。
 仕舞にかかったお衣音は、茶杓を清めた後で、建水を下げるのに気がついた様子で、
「忘れていましたわ」と笑いながら、舌先をちょっと見せる。
「お舌などお出しになって、あきまへんえ」と、奈津が注意すると、
「へえ」と、素直に頷いた。
 奈津はこうしてお衣音にお茶を教える機会の与えられたことを、つくづく感謝していた。(206〜207頁)

 光琳といえば、『燕子花図屏風』が有名です。その話を、確認しておきます。


「奈津、行こうか、弁当持って来たんやろ」振向いた笑顔は屈托がなかった。
「奈津、儂なあ、この小川のせせらぎのように燕子花を描いてみるわ」
 先を歩きながら光琳が云う。
「せせらぎのように?」
「西本願寺はんへお納めする屏風絵にな、伊勢物語の八つ橋のな、燕子花を描きたい思て写生してたんやが、今ひとつ位置づけに迷うてたんや」
「…………」
「それがな、こう波のようにな、右から左へ右から左へずうっと調べを奏でるように流してみるんや、どうや」
「へえ」
「こう、こう流れていくんや」
 右手を高く低く、高く低く丘陵を描くように泳がせる。
「紫の風の調べどすな」
「そうや、そうやで、紫の風や、なんやうずうずしてくるなあ」
「爽かな調べどすやろなあ」
「うむ、早よ弁当食うて、描きたいわ」(189頁)

 続いて、下鴨神社と関連してよく知られる『紅白梅図屏風』が完成した場面も引いておきます。


「どうや」光琳が奈津を振り向く。
「あかんか?」と、光琳が笑う。
 悪感が奈津を襲った。奈津は狼狽えた。光琳が手の届かぬ、遠い彼方へ行ってしまったと。
 それは、奈津が今までに一度も見たことのない斬新な構図で描かれた、紅白梅図であった。金箔の上に、向って右に紅梅、左に白梅が力強く根を張る。その間を中央に、早春の雪解け水を集めて、銀地に群青の水流がえも云われぬ迫力でうねり流れる。そのうねりに負けじと、左から右から、白梅の老樹が紅梅の若さが存在を競う。白梅の幹の確かさ、紅梅の枝の鋭さ、水流の豊かなうねり、水紋の激しさ、一つ一つが己れを主張しながら、いつしか、紅梅、白梅、水流は自然に一体となって見る者を稔らせる。
 たらし込みの技法で描かれたあくまでも写実的な紅白梅図に、図案化された水流が、互いに効果をあげて迫り、その中に、紅梅、白梅の花弁が優しさを誇る。かつてどの絵師が、このような勝負を挑んだであろう。
「どうや?」と光琳がまた聞く。
 両眼が愉しそうに動く。
「光琳様……どす」
「うん?」
「……これは……光琳様どす」
 そう呟いて、奈津は頷いた。(273〜274頁)

 読み終えて思い返し、各章各節の結びがきれいに語り納められていることに思い至りました。
 丁寧に語っている傑作の1つです。【5】
 
 
 

2015年5月19日 (火)

京洛逍遥(356)一条通りの「とねりこ落語会」

 京都御所に面した和菓子のとらやさんの南筋、一条通りを西進した新町通り西入ル北側で、ささやかな落語会がありました。

 この一条通りは、平安時代には葵祭の行列が賀茂川に向かって進んだところです。『源氏物語』の「葵」巻では、斎院御禊に参加する光源氏を一目見ようとする人々の中に、六条御息所と葵の上がいました。桟敷や物見車が立ち並び、有名な車争いの場面となったのがこの一条通りとされています。道幅は30メートルほどあったそうです。しかし、今は車一台が通れる程度の狭い道です。
 次の写真は東向きに見たもので、正面の木々が今の京都御所です。


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 ちょうどこの日は、寺町通り六角下ルの誓願寺で、楽笑会の新緑落語会が同じ時間帯にありました。どちらに行くかを思案した末に、行ったことのない小さな落語会の方にしました。

 そこは、「第9回 とねりこ落語会」(とねりこの家)と言って、地元の方々がお笑いを楽しんでおられる場所でした。


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 小さな会場にもかかわらず、40人ほどでぎっしりと埋まりました。九割方が高齢者です。みなさん、お仲間のようです。


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 落語二席の内の最初は、笑福亭飛梅さんでした。
 名前にちなんだ枕で、菅原道真の歌を「あるじなきとて」とおっしゃっていました。ここは、「あるじなしとて」のほうが一般的でしょう。
 なお、この歌の最後は「春な忘れそ」「春を忘るな」「春ぞ忘るな」という異伝もあるようです。
 この日の飛梅さんが、この最後の句をどう言われたのか、今は思い出せません。
 細かなことで、どうでもいいことですが……

 第4回池田亀鑑賞の受賞作品が滝川幸司氏の『菅原道真論』で、来月27日に日南町で開催される授賞式でお目にかかります。この有名な「東風吹かば」の歌について、いろいろと教えてもらうことにします。

 飛梅さんは、若いのによく稽古をしておられるようです。滑らかで、聞きやすい噺でした。
 この日のお題は、告知されていませんでした。飛梅さんの話は、その内容から「道具屋」です。桂枝雀の落語で何度も聴いた噺です。

 続いて、笑福亭晃瓶さんです。
 客席の方々を巻き込んだ、地元に関係する長い枕の後、この日のお題は「桃太郎」でした。
 子供の理屈っぽい物言いが、ことば巧みに語られました。会場は爆笑続きです。楽しく聞きました。
 晃瓶さんは、この落語会の初回から参加しておられるとのことで、これで9回目になるそうです。継続することによって、この地域や人々の信頼を勝ち得ておられます。

 師弟関係はよくわかりません。お二人とも、鶴瓶さんの流れのお弟子さん筋のようです。
 現在、噺家といわれる人は、大阪に250人、東京では500人ほどおられるそうです。テレビなどで見かけるのは、ほんの一部なのです。

 落語の後は、晃瓶さんからの差し入れの和菓子が配られました。私は、きなこ餅を選びました。お茶と一緒に、入口で手渡されたクッキーの詰め合わせも口にして、おいしくいただきました。

 この寄席は、地域に密着したコミュニケーションの場となっています。
 通り掛かりでは入り難いし、馴染めない居心地の悪さがあるかもしれません。
 関西特有の馴れ馴れしさに、違和感を抱かれる方もいらっしゃることでしょう。
 しかし、そこがおもしろいし、主客一体となった自由気儘な掛け合いは必見です。

 関西のおばちゃんのノリの良さは絶品です。それはよく知られているとしても、今日わかったことは、おじさんたちも気心知れた雰囲気の中では、おもしろおかしく反応しておられたのは意外でした。
 即興即応の妙が、まさに目の前で展開するのですから、こんなおもしろい場に身を置く楽しみを逃す手はありません。

 盆踊りの例でいえば、私は音頭取りの歌に合わせる踊り子ではなくて、その盆踊りをまわりから観て楽しむ気持ちで参加しました。
 地域参加型のイベントの場合は、こうした車間距離の保ち方が必要です。
 当分は、こうした場所にも、気ままに脚を向けたいと思います。

 主催なさっているみなさんと落語家さんの、ますますの活躍が楽しみです。
 機会があれば、また行きたいと思っています。
 
 
 

2015年5月18日 (月)

京町家ワックジャパンで『十帖源氏 明石』を読む

 世界各国の方々に幅広く『源氏物語』を知っていただくためには、江戸時代に刊行された『源氏物語』のダイジェスト版である『十帖源氏』がいいだろう、ということでこの勉強会がスタートしました。しかも、翻訳しやすい現代語訳を目指しているため、毎回、ああでもない、こうでもないと悪戦苦闘しながら取り組んでいます。

 京都では「須磨」から読み始め、まだ次の巻である「明石」が終わっていません。

 まず、翻字を「変体仮名混合版」に書き替えることから着手しています。
 その際、これまで濁音については、可能な限り翻字するときに付けていました。しかし、「変体仮名混合版」になったことも考慮して、『十帖源氏』の本文に濁音がない場合は付けないことにしました。
 一例として、国文学研究資料館蔵本(初雁文庫、112コマ2行目、行末部分)の場合を例に引いて、説明します。


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 これまでの翻字では、これを「とはず語に」としていました。
 しかし、「変体仮名混合版」では「と八春語尓」となります。
 ここで、「春」に濁点を付けるのはおかしいので、あえて元本にない濁点は翻字にもつけないことにしたのです。

 今日は、以下のようなことも問題となりました。

(1)『十帖源氏』で「明石の上」としている所は、翻字ではそのまま「明石の上」としておいて、現代語訳で「明石の御方」に統一することとなりました。

(2)「紫の上もり聞給八ん」の訳は、「紫の上が他人から聞くのも」としました。「漏れ聞く」という日本語を他言語でどう訳せるかを検討した結果です。

(3)「み可と御めのなや三をもく」の訳は、「朱雀帝は再びひどく目を患い」としました。「悩み」と「病」が「重く」なったことについて検討した結果です。

 昨日もお知らせしたように、次回は、6月21日(日)の午後1時から5時までです。
 この日で、20回目の『源氏物語』を読む会となります。
 京都で日曜日に行うのは初めてです。日時にお気をつけください。

 また、その次の第21回は7月11日(土)の午後1時から5時までです。
 この日は土曜日です。原則毎月第2土曜日に集まっています。
 興味のある方々の参加をお待ちしています。
 
 
 

2015年5月17日 (日)

京町家ワックジャパンで『源氏物語』を読む(第19回)

 明け方の雨も上がり、お昼から晴れてきました。
 昨日の葵祭の後、夜になって雨になったのです。
 昼間の行列に影響がなかったので幸いでした。

 自転車で御所南にあるワックジャパンへ向かいました。
 賀茂川の鷺たちも、初夏を迎えて水温む川瀬で休らっています。


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 一羽の鷺が、みごとに着地するところを見ました。


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 ワックジャパンの部屋の隅には、芍薬(?)が飾ってあり、気持ちよく咲いていました。


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 いつものように、まずはハーバード大学本「蜻蛉」を読みます。
 実は、このワックジャパンの『源氏物語』を読む会でハーバード大学本「蜻蛉」を読むのは、2月以来のこととなります。
 本年正月より、従来の翻字方法を一大変更したことを受けて、「変体仮名混合版」で確認を進めてきました。それが、久し振りの翻字再開となったこともあり、がんばって1丁(2頁)分を読みました。

 最初に問題にしたのは、ひらがな「お」の字母は本当に「於」なのか、ということです。
 今日読んだところに出てきた、2箇所の「おもふ」(右2丁表・左2丁裏)をあげます。


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 文字の崩しを見ていると、どうも「於」から「お」には素直に変化していないように思えるのです。書道を専門となさる方がどのようにおっしゃっているのか、まだ調べていないので今はよくわかりません。

 しかし、『くずし字解読辞典 普及版』(児玉幸多編、平成9年新装6版、東京堂出版)の当該箇所の例示を見ると、右列と左列ではうまく文字の変化が追えないのです。今後ともさらに調査と確認をしていきます。


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 その他、「者(は)」「世」「支(き)」などが、紛らわしい字体でした。
 3丁表7行目まで、丁寧に読み終え、一旦休憩です。

 今日の娘からの差し入れは、奈良で400年以上も続く老舗「菊屋」の和菓子でした。
 季節を目と舌でも味わいながら、700年前に書写された『源氏物語』を読んで行きました。


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 『十帖源氏』については、明日の記事とします。

 次回は、6月21日(日)の午後1時から5時までです。
 この日で、20回目のハーバード大学本『源氏物語』「蜻蛉」を読む会となります。
 京都で日曜日に行うのは初めてです。日時にお気をつけください。

 また、その次のも決めました。7月11日(土)の午後1時から5時までです。
 この日は土曜日です。原則毎月第2土曜日にしています。
 興味のある方々の参加をお待ちしています。
 
 
 

2015年5月16日 (土)

京洛逍遥(355)葵祭-2015_加茂街道から北大路橋

 京都市は、日中は30度を超えていました。
 汗ばむ陽気の中を、今年も葵祭が催行されました。

 このお祭りは、下鴨神社(左京区)と上賀茂神社(北区)の例祭で、約1400年前の欽明天皇の頃に五穀豊穣を願って始まったとさています。
 今は左京区に住んでいます。しかし、ここに来るまでは、北区にいました。両神社共に、氏神様なので、この葵祭は親近感を持って毎年見ています。


 今日の巡行図を、京都新聞から引きます。

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 法乗院で琵琶の演奏会に参加してから、行列の通過まで少し時間があったので、横断歩道のそばにある八百屋さんで奈良産のいちごを一パック買って、一旦自宅に帰り一休みしました。
 この八百屋さんは、産地直送の果物や野菜が安く置いてあります。春先には、私が一番好きないちごの「アスカルビー」が並んでいて、驚喜します。今日は、もう「アスカルビー」はなくて、「ゆめのか」でした。おいしくいただきました。

 頃合いを見計らって、白川疏水通りと接する北大路通りに出たところ、ちょうど行列の先頭隊が通っているところでした。
 北大路通りから東に向かって比叡山を望む方角から、まず写真を撮りました。
 琵琶を聴いた法乗院は、写真の左端にあります。
 八百屋さんは、右手の信号下にあります。


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 少し小走りで、行列の先頭に追いつきました。
 私が葵祭をみる定位置は、トントンと呼んでいる府立植物園の横の飛び石のそばを南北に走る加茂街道沿いです。


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 すぐに先導車輌であるパトカーに追いつきました。
 後ろから平安騎馬隊が続いています。
 平安装束に二葉葵を飾った行列は、約500人の方々によって奉仕されています。行列は長さ約1キロです。


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 毎年、牛車の写真は外せません。
 今年は、牛童や車方が信号機にぶつかりそうになったために、予定外の大わらわとなりました。


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 事無きを得て、やっとスタートです。

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 今回目を引いたのは、僧侶のみなさんの見物でした。
 かつて下鴨神社は神仏習合だったので、葵祭と仏教との縁はもともとあったのです。
 しかし、やはりこの光景には、お坊さんたちはどのような視点でこのお祭りをご覧になっていたのか、個人的に興味を持ってシャッターを切りました。


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 行列に逆行するようにして、北大路橋に戻ることにしました。
 今年は、例年よりも見物のみなさんが少ないようです。数年前までは、この脇道を歩くのは大変でした。海外からの観光客は増えているとのことだったので、日本の方々が減ったのでしょうか。


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 この写真の後ろから、この行列で一番注目を浴びる斎王代の腰輿(およよ)がやってきました。


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 今年のヒロイン役の第60代斎王代は白井優佐さんです。航空会社スカイマークの客室乗務員で、現在は国内線に乗務中。高校までは京都市で過ごしたとか。
 昨年の斎王代は、京菓子の老舗「老松」のお嬢さんでした。
 和菓子からキャビンアテンダントへと、斎王代もさまざまな分野から選定されているようです。

 北大路橋では、最後の牛車が交差点を曲がる所でした。
 後ろには、大文字の送り火で知られる如意ヶ岳が左端に見えています。


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 うまく交差点を曲がることができました。
 正面向こうが烏丸北大路で、その先が金閣寺へと続きます。
 写真右端角のストライプの日除けがある所が、私が好きなハンバーグが美味しい「はせがわ」です。


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 祭りの後の北大路通りを写しました。
 西向きに、北大路橋周辺での片づけの様子です。


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 東向きに、比叡山を望んだ行列の後の光景です。


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 今年も好天に恵まれ、いい葵祭となりました。
 来年も、また元気にこのお祭りを観たいと思います。
 
 
 

2015年5月15日 (金)

京洛逍遥(354)葵祭の直前に法乗院で琵琶の演奏会

 葵祭の行列が我が家の近くを通るのは、だいたい14時40分頃です。
 ちょうど、13時から1時間ほど、近所にある「法乗院で琵琶の演奏会」があるというので、足を運んでみました。

 お寺は北大路通りに面したビルの中なので、すぐ前を行列が通ることになります。また、2階から真下を通る行列を見ることもできますよ、とのことでした。


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 琵琶の演奏は、「文覚発心」「関ヶ原」「間垣平九郎」の三曲でした。
 一番前で聴いたので、熱演の息遣いが直に伝わってきます。
 迫力がありました。
 ただし、琵琶の音色と語りを聴きながら、葵祭の日にどうしてこの演目を、との疑念が浮かびました。
 いや、そのような雑念は俗世に身を置くからです。
 演者の都合によるものなのでしょう。
 参加者は10名ほどでした。

 あらかじめ写真の許可をとっていたので、会場の様子をお伝えします。


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 真ん中の男性が堀本さんといって、まだ修業中とのことでした。しかし、いい声を出しておられました。この世界のことはよくわかりません。しかし、並々ならぬパワーを感じたので、これからますます活躍なさることでしょう。

 次の写真は、関ヶ原を熱演中の様子です。


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 住職の岡田旭洋さんの演奏が、「法乗院のホームページから視聴」できます。これもお薦めです。

 雰囲気のいい集まりでした。
 また機会があれば、聴きに行きたいと思います。
 
 
 

2015年5月14日 (木)

大阪府八尾市にある会社へ立体コピーの調査に行く

 JR八尾駅に久々に降り立ちました。というよりも、私が知っている50年前とは、当然のことながら様変わりしています。


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 八尾市は、私が中学生時代を過ごした所です。南高安中学校での部活動では、卓球をしていたので、八尾市の各校であった卓球大会に何度も参加しました。一番よかった成績は、市のベスト4でした。この駅の周辺の学校にも、試合で来た思い出があります。
 高校は、今日行った会社の前にある八尾高校ではなくて、大阪市内の高校へ行きました。
 それでも縁とは不思議なもので、この会社の近くのワインやお酒関係の会社に、数年前に2度ほど所用で来たことがあります。そんなこともあり、ここは遠くに来たという意識はありません。

 それはさておき、今日は松本油脂製薬(株)に、目の見えない方々のために活用できる立体コピー機のことで聞き取り調査に行ったのです。


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 あらかじめ連絡をしておいたので、この本社の第三研究部副主任の徳村さんに、いろいろとご教示をいただくことができました。
 盲人用の立体コピーシステムについて、私の知識をさらに確かなものとする、いい機会となりました。徳村さんには、長時間のご教示に感謝します。ありがとうございました。

 文字が浮き出る仕組みについては、展示室にあった次のパネル(「立体コピーシステム」と「熱膨張マイクロカプセル」)をご覧ください。


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 実際に活用されている立体コピー作成のシステムを見せていただきました。

 まず、紙の表面に数億個の熱発砲マイクロカプセルを塗布したA4用紙を用意します。松本油脂が開発したこの「カプセルペーパー」には、光や熱のエネルギーを吸収して瞬間的に数百倍に膨張する、小麦粉のようなマイクロカプセルが塗布されているのです。
 それを、立体コピー複写機に通すと、少しだけ文字が膨れ上がったプリントが出てきます。
 これは、複写機の熱に対して、紙に塗布されていた熱発砲マイクロカプセルが少し反応したための現象です。


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 これを、さらに立体コピー現像機に通します。
 この写真では、横にあった説明パネルを合成しています。


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 先ほどの紙を、この立体コピー現像機に通すと、このような状態で出てきます。


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 この立体コピー現像機が、先日紹介した、立川市中央図書館にあった機械(2015年03月17日)の最新機種だとのことでした。
 今日拝見した機械には、次の銘板が認められました。


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 次に、この立体コピーに装飾を施すところも見せてくださいました。これは、黒い文字を金色にする、デコレーションです。インクリボンを使ったカラープリンターを思い出せばいいと思います。かつて私は、アルプスの熱転写カラープリンターを使っていたので、この仕組みはよく理解できました。


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 なお、この立体コピーでは、青色や緑色はコピーできないことがあるようです。

 以下、徳村さんから伺ったお話のメモを忘れないうちに記し留めておきます。


・立川市中央図書館で使ったカプセルペーパーは20年前のものでした。しかし、原理は20年前と基本的には同じなので、そのまま使えるそうです。もっとも、新しいカプセルペーパーは、ベースとなる紙が改良を経てよくなっているそうです。

・現在は、パソコンから立体文字が打ち出せるようにもなっている。

・立体コピーは、名刺や足形などに活用されている。

・私が持参した木に浮き出させた文字のように、高低差をつけることは難しい。
 ただし、色付きのコピーを活用すると、高低差を出せるかもしれない、とのことでした。
 このことは、まだ実験していないので、やってみないとわからないようです。

・両面印刷の立体コピーはまだない。
 片面ずつ印刷した立体コピーを、水溶性の糊で張り合わせれば、後で両面のものを作成することは可能。

・この立体コピーには、自由に書き込みができる。
 筆記用具に影響されない。

・この立体コピーが何枚まで重ねられるかは、まだ加圧テストをしていないのでわからない。

 私のような素人の質問にも、丁寧に答えてくださいました。
 徳村さん、本当にありがとうございました。

 帰りに、展示室でTシャツに絵を立体的に印刷したり、グラスに立体文字を印刷してあるものを拝見しました。


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 この立体コピーについては、点字触読実験などがなされています。渡辺哲也・大内進「触読しやすい立体コピー点字のパターンに関する研究」(国立特殊教育総合研究所紀要、第30号、2003年)などの資料を何種類かいただきました。また後日紹介します。
 この著者の1人である大内進先生には、今回の「挑戦的萌芽研究」の連携研究者になっていただいています。

 このカプセルペーパーを利用したものは、今後ともさらに有効活用が想定されます。
 この松本油脂製薬(株)と松本興産(株)の、今後のさらなる発展を楽しみにしたいと思います。
 
 
 

2015年5月13日 (水)

読書雑記(126)水野敬也『夢をかなえるゾウ2』

 『夢をかなえるゾウ2 ガネーシャと貧乏神』(水野敬也、2012.12、飛鳥新社)を読みました。


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 前作「読書雑記(122)水野敬也『夢をかなえるゾウ』」(2015年04月03日)がよかったので、楽しみにして読みました。
 しかし、この第2作はハズレでした。
 続けての傑作とは、なかなか出ないものです。

 受けない芸人の話から始まります。主人公は、「夢はかならずかなう」と信じています。ライブハウスで出会ったガネーシャに、「人間は生長する生き物なんやで」と言われ、我に返ります。

 中でも、本でも解決できない悩みがある件はおもしろい指摘でした。一理あるのです。


『本』でも解決でけへん悩みちゅうのは何なん? 自分の悩みは地球初の、新種の悩みなん? 自分は悩みのガラパゴス諸島なん? (60頁)

 その他、チェックした箇所を抜き出しておきます。


・「実は『他人に対する言葉や行動は、自分に対する言葉や行動』でもあるんですよ」(185頁)

・「何かを手に入れるということは、何かを手放すということです。そして何かを手放す覚悟のない人が……成功することはありません。」(224頁)

 前作が傑出していたせいか、本作は間が持たず、キレが良くありません。おまけに、理詰めで展開していきます。そして、説明が増えたので、おもしろさよりも興味に訴える物語となっています。

 ことばが先行し、ことばに頼る文章となっています。感性が前作よりも相当劣化しています。

 話題を引き延ばししすぎるため、話のキレが悪くなっています。テンポがよくないのです。説明口調になっているので、軽快な展開となるはずが寸断されているのです。

 最後の「西野勤太郎のメモ帳」を引きます。
 これを含めて、全体的に読者へのサービス精神が低下しています。【2】


■ガネーシャの教え
・図書館に行く
・人の意見を聞いて、直す
・締切りをつくる
・つらい状況を笑い話にして人に話す
・優先順位の一位を決める
・やりたいことをやる

■金無幸子の教え
・楽しみをあとに取っておく訓練をする
・プレゼントをする
・他の人が気づいていない長所をホメる
・店員を喜ばせる
・自分が困っているときに、困っている人を助ける
・欲しいものを口に出す
・日常生活の中に楽しみを見つける

■釈迦の教え
・つらいとき、自分と同じ境遇にいる人を想像する


2015年5月12日 (火)

立川市中央図書館へ科研採択の挨拶と報告に行く

 本年度採択の科研「挑戦的萌芽研究」のことで、立川市中央図書館へ行ってきました。
 これまで立川市中央図書館には、立体コピーなどでご理解とご協力をいただいています。採択された科研の報告と、これからの変わらぬご支援をお願いすることもあって、ご挨拶に行ってきたのです。

 年度当初の活動内容が、具体的にはまだ固まらない状態です。しかし、科研のお手伝いをしてもらう2人と一緒に、今後ともお世話になる立川市中央図書館の担当者の方と、報告と相談を兼ねていろいろとお話をしました。

 今回の科研の内容や、構成メンバー等々、今後の見通しを含めて説明をしました。
 取り組む内容等の具体的なことは、次のホームページを参照願います。

「源氏写本の触読研究」

 有益なご意見やアドバイスをいただきました。ハンディーキャップをお持ちの方との窓口にいらっしゃる方々なので、参考になる話が伺えて大助かりです。

 立体コピーの活用については、印刷用紙が古いものですから、というお言葉とご好意に甘えてきました。しかし、いつまでもこの状態ではいけません。その点で今回は、新しい提案としてコピー用紙を科研費で購入して持ち込む、ということが話題となったので、この線でお互いに了解し合いました。
 これまで図書館で使用されていた用紙が古くなっていることも、その背景にあります。
 こちらも、科研の予算に複写用紙を計上しているので、適正な支出としてお互いに無理のない対処となるものなのです。


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 これに関連して、そのコピー用紙を作成している会社に、最新情報の収集と今後の確認と展開も含めて、一度訪問してみるつもりです。新しい突破口が開けるかもわからないので、当面はとにかく動いて情報収集に専念します。

 この立体コピーについては、以下の記事で詳細に報告しています。

「立川市中央図書館で源氏写本を再度立体コピー」(2015年03月17日)

 この科研については、今月末は札幌で開催される盲教育史研究会に参加し、来月は東京で科研の研究会を開催する予定を進めているところです。

 この、「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」という科研は、少しずつ動き出しました。
 まだまだ、手探り状態での始動です。
 ご教示のほどを、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2015年5月11日 (月)

井上靖卒読(196)『射程』

 終戦直後の社会的に渾沌とした世相が、本作の背景にあります。二十歳の若者が大阪周辺を舞台とする、事業と女性をめぐる精力的な生き様を活写した物語です。

 諏訪高男が、大阪の吹田で瓦工場を立ち上げるところから、この物語は始まります。若き事業家の始動が、スローテンポで語り出されます。この展開は、井上靖が7年前に受賞した芥川賞(第22回、1949年)の『闘牛』と、社会状況や若者の生き様を描く着想において、非常に近いものを感じました。いわば、博打のような仕掛けで階段を上り詰め、成功していく話です。

 作業場の様子などが丹念に描かれ、現実的な描写に徹しています。こうした事業の話は、井上が好きだったネタの一つです。井上作品に、社長などがよく出てくることに通じます。男の夢を賭けた情熱を描きたかったようです。

 上から三石多津子に懐中電灯で照らされることで、スポットライトを浴びるようにして佇む男のシーンが印象的です。月光の下で、洋装の吉見鏡子が立っている場面の点綴も記憶に残ります。丸山みどりと、夜空の星を見上げる場面も。
 こうした光の使い方が、井上はうまいのです。

 次の語り口に出会い、意外な思いをしました。


多津子と対かい合っているいまの場合、それよりも美しいものに奉仕する下僕の自己卑下の陶酔感が自分の心を隅々まで極く自然に充たしているのを感じた。(『井上靖全集』第11巻、300頁上段)

 井上は、こうした女性崇拝の描写を他の作品でもしていたのか、今すぐには思い至らないからです。谷崎潤一郎のような女性へのまなざしを、これまで井上靖の作品からは感じていなかったように思います。あっても、こうしたことばでの表出に出会わなかったように思われるのです。これは、また後に確認してみたいと思います。

 物語は、男の野心と女の思惑が交錯しながら、戦後の阪神間を幅広く飛び回る二十歳の青年実業家が育っていく様が、壮大なエンターティンメントのドラマとして描かれていきます。

 瓦からセメントへと、事業はますます大きくなっていきます。そして、人間関係の中で、高男は八面六臂の活躍をします。悪事を働くものが配されるものの、基本的には善人たちで構成される社会が描かれた物語です。その間には、お金というものがどっしりと居座っています。お金の力が人を動かしている様子も、生き生きと描かれています。男も女も、お金によって行動が束縛され、人生が影響を受けているのです。

 とんとん拍子に事業を成功させていく高男は、順風満帆です。しかし、やがて朝鮮戦争が勃発し、世相が複雑に入り組んでいきます。そのような中を、高男は持ち前の発想力と前向きな精神力で、精力的に泳ぎ出します。当時の社会や世相も、丹念に描かれていきます。

 高男は、綿糸や船舶や毛糸で儲けます。ついには、闇市の時代を乗り切り、心斎橋筋の丼池で繊維問屋を持つに至ります。その後、高男の成功物語がどうなるのか、読者は後半から一気に読まされます。

 結局、高男は、鏡子、みどり、多津子の三人の女性の誰を一番好きだったのでしょうか。最後に射程距離に入った女性が、その人だったのです。そして、意外な結末を暗示して、長い物語が閉じられます。
 いつものように、作者は終わり方にはっきりと白黒をつけていません。もう少し先を語ってほしかった、という思いになるのは、いつものことです。これがまたいいのです。読者として自由にこの後を想像して楽しめるのですから。【4】
 
 
初出誌︰新潮
連載期間︰1956年1月号〜12月号
 
新潮文庫︰射程
井上靖小説全集9︰黒い蝶・射程
井上靖全集11︰長篇4
 
 
〔参照書誌データ〕
「井上靖作品館」
 
 
 

2015年5月10日 (日)

古都散策(39)【復元】南都不退寺でタケノコをもらう

 新緑の清々しい季節です。

 パソコンのハードディスクを整理していたら、かつて契約していた業者のサーバーが平成19年3月にクラッシュし、その際に消失した大量のブログの一部が見つかりました。写真は別に溜め置いていたものがあったので、あらためて記事とともに復元してみました。

 今回は平成17年5月3日の記事と写真なので、ちょうど10年前の奈良での話ということになります。
 
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2005年5月5日
ブログ「たたみこも平群の里から」よりの公開分
 
 奈良市にある一条高校のすぐそばに、不退寺というお寺があります。
 在原業平の建立になるという古寺です。
 気にはしつつも、これまで訪れたことがありませんでした。


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 境内には、『伊勢物語』の八十八段にちなむ歌碑が建っています。


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 本堂には、業平朝臣自作とされる聖観音像や、業平の父である阿保親王座像がありました。
 また、ちょうど訪れた日は、在原業平画像の御開扉日でもあり、修復された業平画像を見ることができました。
 江戸時代のものだとのことでしたが、さてどうでしょうか。
 ガラスケースには、室町時代書写という『伊勢物語』の写本もありました。

 本堂では、男の人が一人一人に説明をしてくださいます。丁寧なことです。
 質問にも答えてくださいました。なかなか詳しい方のようでした。

 帰りに、南門のところで、段ボールにタケノコが入れてありました。


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「ご自由にお持ち帰りください」と書かれていたので、受付のおばあさんに聞くと、お寺の周りの竹林からはえてくるので、欲しい人に持って帰ってもらっている、とのことです。
 それでは、ということで、四、五本いただくことにしました。
 晩ご飯はタケノコ料理でした。おいしいタケノコでした。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2015年5月 9日 (土)

江戸漫歩(103)立川駅北で見かけたヤギたち

 立川駅から北に向かって多摩モノレール沿いに少し歩くと、広大な空き地が目に飛び込んで来ます。その広さは約3万7千平米。

 ここに、こんな表示を見かけました。
 この原っぱに、ヤギが5頭とヒツジが1頭いるようです。


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 ちょうど、国営昭和記念公園の東、イケアの南側で、立飛ホールディングスみどり地区と言われる所です。この沿線は国有地でした。今年落札した所だそうです。

 ゴールデンウィーク前に、ヤギさんたちはここに来たとのこと。
 あたりを見回すと、金網越しにヤギが3頭いて、無心に草を食んでいます。
 通りがかりのベビーカーを押した親子が、ヤギさんに話しかけたりしていました。


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 那須りんどう湖那須高原牧場パークから来た動物たちです。
 詳しいことは何も書いてないのでわかりません。
 除草作業のために、放し飼いにされていると思われます。

 この立川北地域は、今秋には大型商業施設である「ららぽーと立川立飛(仮称)」がオープンするそうです。
 今後は駅前の発展で人が集まるだけでなく、その周辺もおもしろい地域になりそうです。
 
 
 

2015年5月 8日 (金)

ハーバード本「蜻蛉」の「江」と「比」は識別可能か

 昨夜は、日比谷図書文化館でハーバード本「蜻蛉」を読む勉強会がありました。
 日比谷公園の噴水が、しだいに暑くなる都心に涼気を送っています。


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 今回問題としたひらがなの字体について、以下に報告します。
 10丁表面に、次のようなひらがなが認められます。


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 どれが「江」で、どれが「比」か、その識別に迷います。

 これらの文字が書かれている前後を切り取って示すと、次のような語句の中の一文字であることがわかります。
 これを見ると、そのすべての「江」と「比」が識別できるようになります。


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 左から出現順に変体仮名混合版で翻字すると、次のようになります。


・きこ
・可多ら
・しの

・ゆく
・い

 つまり、最初に示したひらがな一文字は、左から順に次の読みとなるものでした。


江 ひ ひ 江 ひ 江 ひ

 この赤丸で示したひらがなを翻字する場合、何に気をつければいいのでしょうか。
 この例に限って言えば、ひらがなの起筆の部分に着目すると、解決するようです。

 筆先を紙面に突いてから、少し左に小さく円弧を描くように下右に向かう線が認められたら、それは「比(ひ)」としていいようです。
 もっとも、この後でそうとばかりも言えない例が出てくるので、あくまでもここでは、ということでの1つの判断です。

 結局、いくら見つめていても明確な説明ができない例に、時々出会うのが実情です。
 勢い、文字の流れのままに、文意を汲み取りながら翻字をしていくことになります。

 鎌倉時代の写本を翻字することは、そんなに難しくはありません。9割方は翻字できます。
 あとは、悩ましい文字が出てきた時に、その文字を1つのひらがなとしてではなくて、その前後の文字を組み合わせて一語として読むといいのです。

 折々に、こうした例を提示していきたいと思います。
 ご教示のほどを、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2015年5月 7日 (木)

第4回 池田亀鑑賞受賞作品の発表

 過日お知らせした通り、池田亀鑑賞のホームページから、第4回受賞作品が発表されました。

 受賞作は、滝川幸司著『菅原道真論』(塙書房)です。


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 これまでの受賞作を見ると、本居宣長の源氏学、『源氏物語』の注釈書、『狭衣物語』の研究となっています。

「受賞作と関連書籍紹介」

 今回が菅原道真の研究なので、『源氏物語』の研究書はまだ受賞していないことになります。

 池田亀鑑賞は、こつこつと調査研究した、地道な成果を顕彰するための賞です。
 池田亀鑑賞のホームページでも、その「選定」の項目で次のように明記しています。


平安文学に関する学術図書、研究論文、資料整理及び資料紹介に対し、学界に寄与したと評価されるもの

 これまでの受賞作品が、広く平安文学から選定されたものであることは、妥当かと思われます。
 もっとも、受賞した『源氏物語』が注釈書であり、研究書ではないことを意外に思われることでしょう。
 これは、現今の研究環境を反映していると思われます。

 理科系の発想によって、短期間に成果が求められるのが、今の社会的な風潮です。
 そのような中で、古典文学についても1年単位で成果を示せと言われても、ただただ困惑するのみです。

 そのせいもあって、勢い短期間に成果らしきものが手軽に生み出せる、活字の市販本による読後感想文のような文章が量産されているのです。
 『源氏物語』の研究は、地道な調査研究から遠ざかっている顕著な例かもしれません。

 そこに一石を投じようとするのが、この池田亀鑑賞です。
 これまでの選考結果を見ると、たゆまぬ努力で、研究の基礎を築いた成果をすくい上げています。
 過日の記事でも、以下の4点を池田亀鑑賞の選考基準としていることを報告しました。


(1)地道な努力の成果
(2)研究の基礎を構築
(3)研究の発展に寄与
(4)成果が顕著な功績

 しっかりと腰を据えた地道な研究に、これからも温かいまなざしを向け、さらなる展開を後押しする賞となるように、今後とも運営と選考を続けて行きたいと思います。

 来年3月には、また素晴らしい研究成果と出会えることを、今から心待ちにしています。
 
 
 

2015年5月 6日 (水)

読書雑記(125)山本兼一『命もいらず名もいらず 下 明治篇』

 山本兼一の『命もいらず名もいらず』の後半です。


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 次の文章で始まります。


 日本の国が、混乱を深めている。
 攘夷と開国のはざまで、さまざまな軋みが生じている。
 それこそは、明治という新しい時代が生まれるための陣痛であったが、渦中にいる者は、ただ痛みを感じるばかりだ。
 時代が変転し、人々が右往左往するなか、山岡鉄太郎はまるで変わらない。日々、ひたすら剣に励み、坐禅をくみ、書をしたため、仲間と議論し、大酒を呑む。
 そして、あいかわらず貧乏である。いや、ますます貧乏になった。(10頁)

 江戸時代が明治時代となり、徳川から朝廷へと実権が移ります。それに適合できる人と、できない人の思いや動きが、丹念に描き出されています。徳川慶喜の心の中と姿も、あるがままに活写されていくのです。

 勝海舟の言葉遣いが、ことさら江戸言葉になっています。「ねえやな。」「ねえぜ。」「ねえよ。」等々。西郷隆盛も、清水次郎長も、お国なまりを強調しており、それらしい人物が浮かび上がります。作者は、この時代の多彩な人々を描き分ける上で、言葉遣いに相当気を配って描写しているようです。
 次郎長は漢字が読めないのでひらがなだけだった、という興味深い逸話も、時代背景としておもしろいと思いました。

 人間、持ち前の度胸や度量がいかに難局を救うかが、よく伝わってくる話の展開となっています。
 時代の大きなうねりが、鉄舟とその周辺を通して克明に語られていくのです。

 静岡の荒地に江戸から入植した者たちがお茶を栽培する話は、その経緯からして興味深いものがありました。明治2年の牧之原での話です。かつて私が東名高速道路を走って通りかかった時、このことにはまったく気付きませんでした。こうしたことを知れば認識が深まり、その理解が拡がっていきます。

 西郷さんが大きく描かれていました。ただし、その人間像にまでは及んでいません。作者は、桁外れに大きな人間を描くのは苦手かもしれない、と思いました。持て余し気味のように感じたからです。

 また、銀座4丁目角にある木村屋のあんぱんの話は、その前をよく通るだけに意外な接点を知りました。今度行ったら、看板をよく見てきましょう。

 巻末部で印象に残ったことは次の2箇所です。

(1)鉄舟にとって、人間がよって立つべき法は、「嘘と泥棒はせぬこと」という2つだけだった。(544頁)
(2)鉄舟は、胃に穴が開いたために腹膜炎で亡くなった。(571頁)

 (1)には私も同感です。確かに、これだけで人の交わりは円滑にいきます。
 (2)は、私が45年前に体験したことです。もし今の医療技術があれば、鉄舟もまだ活躍できたのです。

 本書は、山岡鉄舟というゆったりとした人物を据えて、明治という一大変革の時代を読み物として語ってくれます。過去を切り捨てがちな風潮に、人間を通して再評価を迫った作品として結実しています。山本兼一が描く人物は、しだいに角が取れていくところに特色があるように思いました。【4】
 
 
 

2015年5月 5日 (火)

京洛逍遥(353)上賀茂・下鴨の神事と賀茂川の鷺たち

 今日は、上賀茂神社で賀茂競馬が、下鴨神社では歩射神事が行われました。

 賀茂競馬は、まだ「3年前の勇壮な姿」(2012年5月 5日)が記憶に新しいので、パスしました。

 歩射神事は8年前に見てからご無沙汰なので、下鴨神社に出かけました。
 しかし、始まる時間を間違えたため、駆けつけた時にはすでに終わった後でした。


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 過去の記事で思い出すことにします。

「京洛逍遥(67)下鴨神社の歩射神事」(2009/5/5)

 境内にある光琳の梅を、輪橋の内側から見ました。
 このアングルで写真を撮るのは初めてです。


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 この花が満開の頃は、「京洛逍遥(219)下鴨神社の光琳の梅」(2012年03月19日)をご覧ください。

 今日は祭儀のためか、八咫烏と遷宮の馬車は、馬場の北にありました。


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 5月3日に下鴨神社では、葵祭の前儀として流鏑馬神事が馬場でありました。
 この時も見られなかったので、馬が走った後の馬場を記録しておきます。


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 この流鏑馬神事については、3年前の「京洛逍遥(227)下鴨神社の流鏑馬神事」(2012年05月03日)をご笑覧を。

 この次のこの馬場に来るのは、8月11日から16日に開催される「下鴨納涼古本まつり」の時になるはずです。

 光琳の梅と言えば、同じく光琳の「燕子花図屏風」が思い起こされます。
 昨年の今ごろ、賀茂川で見たカキツバタのことを書きました。
 
「京洛逍遥(319)「いずれがあやめかきつばた」」(2014年05月18日)

 そのことを思い出したので、今年の川べりの様子を見に行きました。
 同じように、黄色い花を咲かせていました。


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 植物園の横の半木の道は、桜の後は新緑のトンネルです。


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 その道端に、こんな記念碑がありました。
 「奈からぎ能道」とあるのに目が留まったのです。
 「奈」は今のひらがなの「な」の字母に近い漢字体です。そして、「の」に当たるひらがなに「能」という変体仮名が用いられています。


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 その背面には、「半木能道」と「能」だけが変体仮名として使われています。


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 また、そのすぐ手前の北大路橋の銘板は、「きたおほぢ者し」と名前が刻まれていました。
 変体仮名の使用例として、興味を持ったので記録しておきます。


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 この連休中に見かけた、賀茂川の鳥たちも、ここでまとめて紹介します。
 みんな元気です。


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 鷺が飛ぶ姿も、なかなかいいものです。


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 鷺の遊び仲間である、鴨と鳩も一緒に見てやってください。


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 この2羽の鳩は、ずっとこうしてくっついていました。
 どんな仲なのでしょうか。
 
 
 

2015年5月 4日 (月)

楽しかったお茶漬けの1日

 終日、お茶の稽古漬けでした。

 自宅でお茶を点てながら、早朝よりお客さまと楽しい話で盛り上がりました。
 料理やお茶や国語や外国の方々の話だったので、妻と娘も一緒によく喋りました。
 私が点てるお茶が話のきっかけ作りとなり、様々な話題が展開したおもしろい一時でした。
 こんな時間が持てるのも、お茶の効用です。

 午後は、娘と一緒に大和平群へ、お茶のお稽古に出かけました。

 朝から予習をしていたとはいえ、やはりお稽古は緊張します。そして、毎度のことながら、思うようにはできません。

 いつものように、丸卓を使います。
 今日のお客様とのやりとりを先生に説明しながら、細かなお作法のことを教えていただきました。

 丸卓は、あまり茶道に馴染みのない知人やお客人を迎えた時に、お茶を差し上げながらも、相手に余計な気遣いをしていただかないでお話ができる設えだと思います。道具を持って出入りすることが少ないので、ゆったりと一緒にお話ができます。
 柄杓や蓋置や棗を丸卓の上に飾るので、見た目も変化があっていいのです。
 今の私の技量では、一番会得したいと思っているおもてなしの方法です。

 そんな事情があり、実際に自宅のお茶室でおこなう所作を踏まえたお稽古をしていただいています。
 非常に具体的な質問ができるし、また実態に即した柔軟な指導が受けられます。
 私にとって、このお稽古は得難い貴重な時間です。
 私が何でも遠慮なく聞くので、先生も大変だと思います。
 わがままを聞いていただけることは、ありがたいことだと感謝しています。

 今日は、また新しいことを教えていただきました。
 今後は、身体の不自由な方を自宅にお呼びすることが想定されます。その時にどうしたらいいのかをお聞きしたのです。

 すぐに、近くにあった小振りの折りたたみ椅子に座らされ、お茶を畳の縁外に置いてくださいました。
 高さが30センチほどの安定感のある椅子だったので、前屈みになって手を伸ばすと、ちょうどいい具合にお茶碗を手に取れるのです。
 これなら、介助の方が横からお茶わんを差し出してもいいのです。なるほど、納得です。

 来月の大きなお茶会のための、たくさんのお茶碗も拝見しました。
 物を見て、触って、お話を伺って、と、贅沢な時間があっという間に過ぎていきます。

 少しでも多く記憶に留めておこうと、こうして書き記しています。
 しかし、意に反して、何日かするとほとんど忘れます。

 続けることと繰り返すことで、何とか身体に覚えさせるしかないようです。
 
 
 

2015年5月 3日 (日)

京洛逍遥(352)新緑の鞍馬温泉でお山の霊気を浴びる

 鞍馬寺の仁王門から少し東にある、まさに京の奥座敷くらま温泉の露天風呂「峰麓湯」に、ゆったりと浸かって来ました。久し振りです。


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 この前はいつだったのか、過去の本ブログの記事を検索したところ、4年前に以下のように記していました。

「京洛逍遥(186)鞍馬温泉でリラックス」(2011/4/3)

 この記事からたどると、さらに鞍馬については5件も書いていることがわかります。

 それ以外では、次の記事にあるように、鞍馬寺から与謝野晶子の『新新訳源氏物語』の自筆原稿をお借りし、東京の国文学研究資料館まで運んだ時のことが、今となっては想い出深いできごととなっています。

「瀑布に打たれ続ける日々」(2008/9/28)

 それはさておき、今日は出町柳駅で「鞍馬・貴船散策チケット」(¥1,800)を買い、叡山電車で30分。
 途中、市原駅から二ノ瀬駅の間では、アオモミジが車窓を撫でるというよりも叩くように迫って来ます。


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 鞍馬駅前から無料送迎バスで5分ほどで温泉です。
 たくさんの方が駅を降りられたのに、早朝からバスに乗って温泉に行くのは私1人だけでした。


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 泉質は天然硫黄温泉で、無色透明無臭、少し温めでさらっとしたお風呂でした。

 鞍馬の霊気を全身に浴びて、30分以上は入っていたでしょうか。
 最初は1人、次第に宿泊客が大勢入ってこられ、また1人になりました。

 帰りの送迎バスも私だけ。

 鞍馬寺への入山は無料になるチケットを持っていました。
 しかし、今日は温泉だけにします。

 駅前で、与謝野晶子の自筆原稿の調査でお供をした、K先生のことを思い出しました。あの時、仁王門直下のお店で、ここに来るといつも買って送っていると仰っていた「木の芽煮」を、つい思わず買っていました。気遣いなさらないように、後でそっと送ります。

 貴船口駅の次の二ノ瀬駅でのことだったと思います。
 下から上がってくる電車とすれ違いました。


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 そのとき「下り電車と待ち合わせます」というアナウンスが車内に流れました。
 今自分が鞍馬山を降りているのに、上がって来る電車が「下り電車」だというのです。
 上り下りが逆転していたので、しばし思考停止です。

 のんびりした一人旅となりました。
 
 
 

2015年5月 2日 (土)

第4回池田亀鑑賞の受賞作決定

 今日は、逸翁美術館に隣接する池田文庫で、第4回池田亀鑑賞の選考委員会が開催されました。

 今日の関西は、夏を思わせる暑さです。
 阪急池田駅から歩いて逸翁美術館に着くまでに、日差しの強さもあってすっかり汗をかきました。


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 逸翁美術館館長である伊井春樹先生のご高配により、毎回恵まれた環境で選考会議を開催できています。


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 今日も委員が集まって、慎重に時間をかけて検討を重ねました。
 その結果、無事に受賞作が「委員全員一致」で決まりました。

 池田亀鑑賞は、次の4点を選考基準として評価を出し合い、委員全員で協議をしながら決定しています。

 (1)地道な努力の成果
 (2)研究の基礎を構築
 (3)研究の発展に寄与
 (4)成果が顕著な功績

 連休明けには、池田亀鑑賞のホームページを通して受賞作が発表されます。
 楽しみに、お待ちください。

 6月27日(土)に鳥取県の日南町で開催される授賞式の内容と、第5回池田亀鑑賞の応募方法などの確認をした後、散会となりました。

 今回も、賞の趣旨にふさわしい応募作が選ばれました。
 来年も、地道な努力の成果を示す作品を拝見できることを、今から楽しみにしています。
 
 
 

2015年5月 1日 (金)

京洛逍遥(351)みやこめっせの古書大即売会

 世はゴールデン・ウィークと言って、さまざまな新緑のイベントが報じられています。
 しかし、私は多くの書類を持って京都市役所等々、お堅い内容でお役所を飛び回る日々となっています。
 ただし、そこは京洛の地なので、自転車で移動するその道々で立ち寄るところには事欠きません。

 今日から、平安神宮のある岡崎公園内の「みやこめっせ(京都市勧業館)」で、第33回となる「春の古書大即売会」がスタートしました。


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 古書市の初日はいい本と出会う確率が高いので、移動時間の合間に足を運びました。
 いつも楽しみにしているのは、京都関連の本です。
 今回も、1万冊もの京都本が、会場奥の一角を占めています。
 こんな本が、格安で見つかりました。


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 右端の『京都名勝誌』(京都市役所刊、昭和3年)は、写真がふんだんに掲載されています。今と比べると、楽しいものです。

 会場は570坪あり、そこに50万冊以上の古書が並んでいます。
 9列ある通路の内、3列を見ただけで帰ってきました。
 会期の5月5日までに機会があれば、ぜひもう1回は行きたいと思っています。

 この主催者である京都古書研究会は、8月中旬に下鴨神社で恒例の「下鴨納涼古本まつり」が開催されます。
 これも、お盆の時期の楽しみとなっています。


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 私は、ネットでは物を買いません。ネットショッピングは、お店と物流を破壊するものだと思っているからです。本の場合も、お店での出会いを楽しみにしています。
 古書市は、その意味では極上の出会いの場だと思います。

 会場を後にしてすぐに、このみやこめっせをぐるりと取り巻く疏水路で、遊覧船が初夏の風を切りながら進んで行くのと出会いました。
 これから、京洛にはさらに人出が増えることでしょう。


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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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