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2015年6月11日 (木)

井上靖卒読(200)『おろしや国酔夢譚』

 井上靖卒読も、ようやく200回目となりました。
 まだ、あと50回は続きます。
 もうしばらく、お付き合いください。

 記念すべき今回は、『おろしや国酔夢譚』(徳間文庫、1991年12月)です。


150611_orosiya


 これは、かつて文春文庫で読みました。2006年8月に、伊井春樹先生と一緒に、モスクワとサンクトペテルブルグへ行ってからすぐに読んだものです。
 ただし、サーバーがクラッシュしたために、この記事は消失したままです。


「大黒屋光太夫のこと ( 5-読書雑記 ) / 06-11-14 20:12
  —井上靖と吉村昭の小説—」

 いつかこの記事がどこかから見つかったら、再現したいと思っています。

 さて、今日も、JR中央線の電車が立川駅の手前で30分以上も止まったままでした。いつものように、人身事故だそうです。
 無意味な時間が延々と流れていきます。なすがままに身を委ねながら、本書を読み終わりました。
 肉体的な苦痛は、お尻が痛いだけでした。腸は、煮えくり返っています。周りは、相変わらずの平和な日本です。
 これしきのことは何でもないと、本作の大黒屋光太夫たちのことを思いながら、身勝手な我が思いを不思議な気持ちで反芻しました。

 本書では、序章がこの小説の時代背景と世界情勢を易しく解説しています。


デンベイ、サニマ、ソウザとゴンザ、それから竹内徳兵衛の一行と、過去四回に亘って、日本漂民たちはロシアの土を踏み、ロシアの古い記録の片隅にその名を記される稀有な運命を持ったが、大黒屋光太夫の一行はそれら先輩漂民のあとを継いで、五回目にロシアにはいって来た漂流日本人たちであった。本章の冒頭に記したように、小説『おろしや国酔夢譚』の主人公たちなのである。(38頁)

 漂流民がロシアにおいて日本語学校の教師とされていく背景を知っておくと、彼らの処遇のされ方とその意味が呑み込めます。まさに、初期の日露交渉史の舞台裏が見えてくるのです。

 光太夫たちは、漂流という想定外の事態に置かれます。自分の先行きがまったく見えない状況で、人はどのような思いをし、どう立ち向かうかが語られていきます。井上靖の冷静な歴史語りの手法で、細部に渡る描写で随行している気分で読み進められます。

 光太夫は、最初の漂着地から日記を書いています。現地人の言葉も、積極的に習得していきました。言葉が生きる上では命綱なのです。
 光太夫は、オホーツクでもヤクーツクでも、イルクーツクでも、ひたすら日々の見聞を記録するのでした。

 シベリアは凍土の地です。作者も、歴史的な背景などを古記録を示しながら、丹念に実感的な描写に気を配っています。その厳しい自然の過酷さが、ことばを通してここに再現されています。

 光太夫は、何度も帰国嘆願書を出します。日本へ返ることは執念なのです。
 ラクスマンは、そのよき理解者でした。

 足を一本失った庄蔵は、ついにロシア正教に帰依しました。生きていくための決断です。

 イルクーツクからモスクワ経由で首都ペテルブルグまで、光太夫は気の遠くなるモスクワ街道の犬ぞりの旅にでます。歴史と文化と人々との出会いは、想像を絶するものです。それを、克明に作者は語ります。

 本作は、異文化交流の中で、生まれも育ちも違う人と人とが、情を交わし助け合う姿を丁寧に描いています。極寒のロシアという舞台も、その壮大さと人の気配りを炙り出しています。

 女帝エカチェリーナ二世に光太夫が拝謁した件は、感動的に描かれています。
 また、光太夫たちの帰国が叶い、イルクーツクでロシアに残る二人との別れの場面は、それまでの艱難辛苦がわかるだけに哀切極まりないものがあります。

 思えば、伊勢白子の浜を出たのは1782年末12月でした。以来、9年9ヶ月の月日が加算されていたのです。

 そんな中、クルクーツクからオホーツク経由で北海道の根室に着いてから、あろうことか小市がなくなりました。3人で一緒に日本に帰り着いた光太夫と磯吉にとって、言葉にできないできごとでした。

 日本に帰ったは帰ったで、手続きなどで無為な時間が費やされます。その後の光太夫たちの動静も、今から見れば気の毒な限りです。幕府の対応がお笑いぐさといか言いようのないものだったからです。
 当人たちも、日本というとんでもないところに来た、と呆れかえったりしています。文明の落差とでもいうのでしょうか。見えなかったものが、異文化に接した目から見ると、滑稽に思えることは、今でもよくあることです。お役人の世界は、昔も今も変わりません。


自分は自分を決して理解しないものにいま囲まれている。そんな気持だった。自分はこの国に生きるためには決して見てはならないものを見て来てしまったのである。アンガラ川を、ネワ川を、アムチトカ島の氷雪を・オホーックの吹雪を、キリル・ラックスマンを、その書斎を、教会を、教会の鐘を、見晴るかす原始林を、あの豪華な王宮を、宝石で飾られた美しく気高い女帝を、─なべて決して見てはならぬものを見て来てしまったのである。光太夫は絶え入りそうな孤独な思いを持って、四人の役人のあとに従い、どこへともなく歩いて行ったのであった。どこへ連れて行かれようが、もう決して自分が理解されぬであろうということだけが確かであった。(362頁)

 読み終わった今、人の一生は何でもありということであり、何が幸せかは一概には言えない、ということです。
 波乱万丈の人生、平安な日々、いずれもその人の受け取り方と価値観に委ねられます。無心に、ただひたすら前を見て生きる、ということに尽きるということなのでしょうか。【4】

 なお、大黒屋光太夫について、本ブログで次のような情報を記しています。
 参考までに記しておきます。

「千代田図書館の古書目録にあった古写本『源氏物語』」(2014年07月25日)
 
 
初出誌:文藝春秋
連載期間:1966年1月号〜1967年12月号、1968年5月号
連載回数:25回
 
文春文庫:おろしや国酔夢譚
徳間文庫:おろしや国酔夢譚
井上靖小説全集28:おろしや国酔夢譚・楊貴妃伝
井上靖全集16:長篇9
 
 
■映画化情報
映画の題名:おろしや国酔夢譚
制作:東宝
監督:佐藤純彌
封切年月:平成4年6月
主演俳優:緒方拳、西田敏行
 
 
■関連するホームページ

「大黒屋光太夫記念館」
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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