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2015年7月 6日 (月)

主語の省略と助詞の変化で反対の解釈が可能となる日本語

 女子サッカーのワールドカップ決勝戦は、早々の大量失点で挽回できないままに終わったことは残念です。
 しかし、昨日の宮間キャプテンのインタビューで、女子サッカーがブームから文化へと移行することを願っているという、次世代を担う若者を意識した発言がありました。決勝戦を控えてのことばとして異例であり、その志の高さに敬服しました。
 今日の決勝は、その意味では、優勝に負けず劣らず貴重な、今後につながる成果となったと思います。

 さて、先日の準決勝の試合では、日本がイギリスに劇的なオウンゴールで勝ちました。
 予想外の結末に、運を引き寄せることについて、その依ってきたるものを思い描いています。
 努力だけでは片づけられない、強い思いの引力が、その原因の1つのように思えます。
 その強い思いをいかに鍛練し、形成し、持続するかが、その背景にあるようです。

 その準決勝でイングランドに勝ったことを伝えるニュースをテレビで見ていた時のことです。
 サッカーファンへの決勝戦に向けてのインタビューにおいて、街角の方のこんな発言が耳に残りました。


「アメリカに勝ってほしい!」

 あれっ、と思い、しばし自分の中で想定問答を繰り返しました。
 これには、相反する2つの解釈が可能だと思ったからです。

(1)米国の勝利を願う
(2)日本の勝利を願う

 日本人へのインタビューなので、当然のことながら(2)の意味での発言として放送されたはずです。

 しかし、(1)の意味でアメリカの勝利を期待することと解釈しても、間違いではないと思います。
 主語を「私は」とすると、「私は、アメリカに勝ってほしい!」となり、「米国の勝利を願う」という(1)の意味合いが強くなるからです。もっとも、「私は【日本が】、アメリカに勝ってほしい!」となると、また意味は逆転します。

 これに対して、「日本は」を主語にすると、「日本は、アメリカに勝ってほしい!」ということで、「日本の勝利を願う」(2)となります。上記の例と同様に、「日本が、アメリカに勝ってほしい!」とも言えます。

 素人判断ながらも、助詞の「に」「は」「が」の機能が起因する問題のようにも思われます。ただし、今の私には荷の重い問題で、そのことをうまく説明することはできません。
 主語の問題で片づくのかどうか。助詞についてはどのような説明を専門家はするのだろうか、等々。

 日本語表現では、省略された主語や助詞の使われ方で、こんな違いが生まれるのです。
 文法的には、こうした混乱が生じないような、それなりの説明ができるかもしれません。
 しかし、今私がわかる範囲で思うことは、日本語は曖昧な表現になることもある言語なので、気をつけないといけない、という自明のことに留まります。

 こうした表現について、どなたか、わかりやすい説明をご教示いただけると幸いです。
 
 
 

コメント

はじめまして。中古文学の文法に興味がある関係で、よく拝読しております。
国文法を少しかじったことがあるのですが、問題の「アメリカに勝ってほしい」の多義は、一つの文に同じ格助詞ニが複数回出ること、それぞれの格助詞ニが意味が異なっていること、によるのではないでしょうか。
「勝つ」は「AガBニ勝つ」という格枠組みをとります。勝者はガ格項Aです。
これが、話者の願望を表すシテホシイと結びつくと「私ガAニBニ勝ってほしい」という格枠組みになります。Vシテホシイは、Vがとるガ格をニ格に変換します。「日本がアメリカを倒す」は「私が日本にアメリカを倒してほしい」になります。
また、Vシテホシイのガ格項は通常、一人称に限られ、頻繁に省略されます。「AニBニ勝ってほしい」がよく見られることになります。条件が揃えば「太郎は日本にアメリカに勝ってほしかったらしいよ」とも言えます。
問題の文では、まず、元のVがニ格項をとる動詞である上にVがとるガ格項がテホシイによってニ格項になり、ニ格項が2つ存在しています。最初のニ格項はVのガ格項で勝者であり願望の向かう先です。後ろのニ格項はVの元々のニ格項で敗者です。それぞれのニ格項の意味が全く異なります。「日本にアメリカに勝ってほしい」の時点で、語順が自由である日本語では、どちらの二格項がどちらの意味を担っているのかが識別できず曖昧になります。
このうち片方が省略され「Xに勝ってほしい」となったのが問題の文です。XがAなのかBなのか、最早分かりません。
一つの文に同じ格助詞が複数出てくることはよくあります。その場合、どちらの格助詞がどちらの意味であるかはよく曖昧になります。また、特にニ格項は多義の幅が広く、行為が向かう場所を表す場合(アメリカに行く)もあれば行為が出発する場所を表す場合(太郎に殴られる)もあり、他にも正反対のものを表すことがあります。
と、このような説明を考えたのですが、いかがでしょうか。

 僭越ながら・・・
(1)米国の勝利を願う
場合の「に」は、『大辞林』の分類によれば「動作・作用の起こるみなもとを表す」ものです。通常は受身・使役とともに使われます(「母に叱られた」→「叱るのは母」)が、「ほしい」が使われているので使用可能(「勝つのはアメリカ」)です。
(2)日本の勝利を願う
場合は、同様に「に」が「目標・対象などを指定する」意味で使われています。受身・使役でもなく「ほしい」や「もらう」もない場合はこちらの読みしかできません。
 なお、「は」「が」は、ここでは本質的な問題ではありません。
 おそらく以上で正しいかと存じます。

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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