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2015年8月19日 (水)

バス停で体験した整然と乗車するマナー

 昨夜は、立川駅付近の高架下で火災事故があり、自宅に帰れない人々で大混乱しました。
 それにもかかわらず、今日の立川駅はいつもと何も変わらず、何事もなかったかのように、人混みで溢れるターミナル駅の姿を見せていました。
 関係者の勤勉さと回復に対する熱意のすごさには、だだただ驚くばかりです。

 その立川駅前のバス停でのことです。
 到着したバスが、並んでいた人の列の一番前に、横付けするように止まりました。
 始発のバス停なので、乗客のみなさんが降りられるのを待つことになります。

 今、京都では、この降車待ちの時間が話題になっています。
 降りる時に乗客は、バスの出口で一旦立ち止まります。
 バスカード、ICカード。回数券、現金等々、1人ずつが料金を払うためです。
 しかし、降りる人は全員がこの運転席の横に設置されている料金箱に対して、何らかのアクションを起こすのですから、バスの降り口が混雑するのは必定です。
 特に世界一の観光地である京都では、国内外からの旅行者が降り口で支払いのために立ち止まるので、この停滞問題は無視できないものとなってきました。

 バスのスムースな運行のためには、先ず乗客にバスから降りてもらう、という名案があります。
 そして、バス停で待機していた職員が降りてきた乗客から料金を受け取る、というシステムが、その解決策の一つとして検討されているようです。

 これなら、降りる人の困惑の中で、発車ができずに長時間待たされたり、乗客が降りるのをしばらく待ってから乗り込むという、回りくどい現状は回避できます。
 降りるお客さまがまず車外に出てもらえたら、乗る人は暑い中をジッと降車が終わるのを待たなくてすみます。

 もちろん、新しい取り組みにはいろいろと問題が発生します。
 それを、これから考えていこう、ということです。
 ここに記したのは、あくまでも降車時に料金を支払う場合です。
 前から乗って、まず料金を払う方式の場合は、こうした問題は起きません。ただし、乗るために待ち行列ができる、という問題は発生しています。
 これらは、乗り降りの多い観光名所のバス停を中心にして、試行錯誤の実験を進めたらいいと思います。

 私の小さい頃には、バスには首から小さなカバンをぶら下げて、車内で切符を売る車掌さんが乗っていました。今でも、海外では見かけます。
 バスガールという言葉もありました。
 2人乗務が、ワンマンカーの普及と共に、運転手さんだけになり、こうした降車口での混乱という問題が発生しているのです。
 その点、電車のワンマン化は、駅の改札口で料金のやりとりが完結しているので、こうしたバスのような問題は発生していません。

 それはともかく、今朝のことです。
 前のドアから乗客が全員降りてから、バスが少し前に移動し、真ん中にある乗車口が列の前列につけられるのかと思いきや、バスは動かずに真ん中のドアが開いたのです。
 ちょうど列の前から5人目の位置にいた私の目の前で、乗車口のドアが開いたのです。

 一瞬、反射的に足を踏み出して、バスのステップにかかりそうになりました。
 周りの方が先頭の方に、どうぞどうぞ、と言っておられ、みんなは列に並んでいた順にバスに乗り込みました。

 目の前でドアが開いたので、乗ろうと反応した自分を反省するとともに、みなさんのマナー遵守の姿勢に感服しました。
 整然と列を乱さずに乗り込まれる方々を見ながら、これが関西だとどうだっただろうか、と思い比べてしまいました。

 今日の場合は、乗客のほとんどが年配の方でした。
 高齢化社会となり、ますますルールを守る人と守らない人が目に付くようになりそうです。
 ルールを守らないのは、自己中心的ではなくて、加齢による思考力の低下や忘却という要因が多々想定できます。
 これからは、自分の意思とは別にルールを守れない人との、なかなか微妙な共存社会となっていくことでしょう。

 その基本には、思いやりであり譲り合う心があると思います。
 かといって、人のことばかりに気遣っていては、自分をなくしてしまいます。
 その平衡感覚を保つようにすることと、その感覚をなくした人に対する接し方について、自分の反省を踏まえて、少し考えてしまいました。
 
 
 


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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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