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2015年12月の31件の記事

2015年12月31日 (木)

京洛逍遥(385)大晦日の鷺たちと錦市場

 時は何処の誰にでも平等に刻まれて行きます。
 今年も大晦日を迎えてそのことを実感します。
 
 この一年もいろいろなことにチャレンジしました。
 一日があっという間もなく過ぎた日がありました。

 そうかと思うとなかなか終わらない日もありました。
 その帳尻が合い無事に大つごもりを迎えられました。
 
 今朝は朝日を浴びて妻と共に賀茂川散歩をしました。


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 今年は例年よりも水鳥たちが少ないように思われました。
 しかし今朝はいつもに増して多くの姿が見かけられます。


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 おせち作りのお手伝いに洛中から息子が来ました。
 一緒に三条の回転寿司「むさし」へ出かけました。

 勧めてくれるがままに鯛の皮で包んだ寿司を手に。
 その食感が口にあったこともあり気に入りました。
 
 錦天神を拝んでから錦市場でおせちの買い物です。

 今年は例年よりも海外の方々がずっと多かったように思います。
 錦市場を歩きたくても真っ直ぐに進むのが非常に大変なのです。
 頼まれた「扇昆布」「葛素麺開花宣言」と赤かぶを買いました。

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 例年通り紅白梅はお正月の三ヶ日内にみごとに咲くでしょうか。


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2015年12月30日 (水)

2015年の十大ニュース

一年を振り返る時期となりました。
今年も充実した一年でした。
無事に歳が越せることに感謝しています。

今年最大の出来事は、『源氏物語』の翻字において、「変体仮名翻字版」というやり方に大転換したことです。これまで30年間に構築したデータベースを、新年正月早々、すべてを捨ててやり直す決断をしたのです。
これは、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)に結実しました。

今年一番の慶事は、科研費研究で「古写本『源氏物語』の触読研究」が採択されたことです。
これにより、私の物の見方をはじめとして、生き方が大きく変わりました。
目の見えない方々との手探りの中での研究は、さらに展開する予感がしています。
 
いろいろなことがあった2015年。
平成27年もあとわずかとなりました。
私の東京での生活はあと1年3ヶ月です。
来年も変わらずよろしくお願いいたします。

1月 写本の翻字を変体仮名翻字版に変更する
2月 ケンブリッジ大学において3先生と面談
4月 科研で視覚障害者と古写本の触読が採択
6月 日本盲教育史研究会で初めての北海道へ
8月 祝・卒業となった京大病院でのガン治療
9月 下鴨茶寮で父の33回忌と母の13回忌
10月 『歴博蔵 鈴虫』変体仮名翻字版刊行
10月 井上靖の小説全357作品を卒読する
10月 放送大学東京文京Cで「鈴虫」を読む
12月 NPO法人GEMの定款変更申請受理
 
 
 

2015年12月29日 (火)

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の定款変更認証申請を終えて

 特定非営利活動法人〈源氏物語電子資料館〉の定款を変更することになり、京都市長宛の「定款変更認証申請書類」を提出しました。
 これは、特定非営利活動促進法第25条第3項に則った認証を受けるために申請したものです。

 今夏から市役所の担当者と相談しながら、書類を整理して来ました。それが昨日、無事に受け付けてもらえました。

 京都市役所の文化市民局地域自治推進室市民活動支援担当のKさんには、何から何まで懇切丁寧な説明と対応をしていただきました。この窓口の方のご理解とご協力なくして、私一人での手続きはとてもできませんでした。
 本当にありがとうございました。

 今回の変更点を、公告された内容の確認を兼ねて、ここに明記しておきます。
 ただし、1ヶ月以内に軽微な補正等を指示に従って行うことになるはずなので、これはあくまでも昨日時点での内容であることをお断わりしておきます。

 これが認証されましたら、京都地方法務局で変更登記の手続きを行います。

 今回変更するのは、第3条、第4条、第5条、第12条です。

 それぞれの変更の理由は、以下の通りです。
 変更するに至った最大の理由は、本年正月にこれまでの翻字方針を「変体仮名翻字版」に完全に移行したことにあります。

 この変更を機に、さらに本NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の発展を期したいと思っています。
 みなさまの変わらぬご理解とご協力を、どうかよろしくお願いいたします。
 


  【変更の理由】

 第3条
  構築しているデータベースの内容とその成果を公開する媒体が日々多様化している。それに即応した活動を重視した事業を実施するため。

 第4条
  社会教育の立場からの要望と、情報化社会との関わりを明確にするため。

 第5条
  活動の成果を印刷媒体のみならず、通信手段を最大限に活用した事業を展開するため。

 第12条
  活動を京都と東京等で幅広く展開するため。


 
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【変更後】
(目的)
第3条 本法人は、『源氏物語』の本文に関連するあらゆる資料及び情報を、調査・収集・整理・修正・追補することを活動の原点とする。そして、その知的資産としての情報の維持管理を次世代に継承する中で、さらなる発展に資することを目的とする。
 併せて、『源氏物語』が幅広く理解されることを願い、国際的かつ社会的な日本文化の理解を深める活動も展開する。

    ↑

【変更前】
(目的)
第3条『源氏物語』の本文に関するデータベース化は、『源氏物語別本集成』と『源氏物語別本集成 続』の刊行を通して、約22万レコードのデータベースとして構築が進行しています。今も更新の手が加えられ、日々成長しているデータベースです。
 本法人は、『源氏物語』の本文データベースに関連するあらゆる資料及び情報を、調査・収集・整理・修正・追補することを活動の原点とします。そして、その知的資産としての情報の維持管理を次世代に継承する中で、さらなるデータベースの発展に資することを目的とする法人です。
 併せて、『源氏物語』が海外でも幅広く理解されることを願い、『源氏物語』のダイジェスト版の多言語翻訳や海外の研究者との懇談会も実施します。このような、国際的な日本文化の理解を深める活動にも取り組みます。
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【変更後】
(特定非営利活動の種類)
第4条 この法人は、その目的を達成するため、次に掲げる種類の特定非営利活動を行う。
 (1)社会教育の推進を図る活動
 (2)学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動
 (3)国際協力の活動
 (4)情報化社会の発展を図る活動
 (5)前各号に掲げる活動を行う団体の運営、又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動

    ↑

【変更前】
(特定非営利活動の種類)
第4条 この法人は、その目的を達成するため、次に掲げる種類の特定非営利活動を行う。
 (1)学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動
 (2)国際協力の活動
 (3)前各号に掲げる活動を行う団体の運営、又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動
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【変更後】
(事業)
第5条 この法人は、その目的を達成するため、次の事業を行う。
 (1)特定非営利活動に係る事業
 ①『源氏物語』の新校訂本文により新たな研究及び読書環境を提供
 ②『源氏物語』に関する諸情報の集積・整備・公開
 ③『源氏物語』に関連する学術出版や研究支援と資料の翻字・校正及びデータ入力の代行
 ④『源氏物語』の普及のための文化交流や関連物品販売
 ⑤『源氏物語』を活用して国際的社会的に日本文化の理解を深める活動

    ↑

【変更前】
(事業)
第5条 この法人は、その目的を達成するため、次の事業を行う。
 (1)特定非営利活動に係る事業
 ①『源氏物語別本集成 続』等の学術出版の支援
 ②『源氏物語』に関する諸情報の整備と公開
 ③『源氏物語』に関する国際文化交流
 ④『源氏物語』に関連する研究支援と資料の翻字・校正及びデータ入力の代行
 ⑤『源氏物語』の普及のための講演会や懇談会及び勉強会や物品販売
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【変更後】
(種別及び定数)
第12条 この法人に次の役員を置く。
 (1) 理事 4人〜6人
 (2) 監事 1人

    ↑

【変更前】
(種別及び定数)
第12条 この法人に次の役員を置く。
 (1) 理事 3人〜5人
 (2) 監事 1人
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附則
 この定款は,定款変更認証の日から施行する。

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2015年12月28日 (月)

京洛逍遥(384)歳末の賀茂川とお客人のお点前

 歳末ともなると、賀茂川の鷺をはじめとして水鳥たちも気忙しそうです。
 新年を迎えるために、人知れず鳥たちなりに心の準備をしているのでしょう。


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 北山も、新しい空気に入れ替わりつつあります。
 写真左横に、京都五山の送り火の船形の帆が見えます。


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 鞍馬山の方面はうっすらと霞んでいます。


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 高野川と賀茂川の合流地点近くの出町橋から柳越しに、糺ノ森と下鴨神社を見やりました。若狭からの鯖街道口の石碑の向こうに、比叡山が望めます。


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 この出町橋の袂に、手押しポンプがあります。時々、子供たちが水を汲み上げて遊んでいます。
 ポンプ越しに、送り火で大文字の主舞台となる如意ヶ岳が、おにぎりの姿で見えています。


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 今日は、アメリカから若いお客さまがいらっしゃいました。
 まずは私が入子点で薄茶をさしあげ、続いて実際にお茶を点ててもらいました。


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 日本に深い理解があるだけに、茶碗の扱いが初めてとは思えません。
 また、長時間の正座でも痺れをきらすこともなく、楽しくいろいろなお話ができました。

 私は着物に袴を着けてのお相手をしたので、心地よい緊張感と疲れが楽しめました。

 今日のお茶菓子は、主菓子は季節のもので、干菓子はお正月らしいものにしました。


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2015年12月27日 (日)

アクセス数が777,777件を超えました

 本ブログのアクセス数が、先ほど777,777件を超えました。
 日付が変わっ直後だったことと、カウンターがリアルタイムで表示されるシステムではないので、その記念すべき数字を見ることはできませんでした。

 30万アクセスを超えたのは、2012年7月15日でした。
 あの時は、ちょうどブログをリニューアルして4年目でした。

「本ブログ30万アクセスに感謝」(2012年07月15日)

 その後の4年間で、40万件以上のアクセスがあったことになります。
 本ブログ「鷺水亭より」は、あまり一般受けしないと思われる、多分にマニアックな記事内容にもかかわらず、毎日300件ものアクセスがあることは、本当にありがたいことです。
 1回のアクセスで複数の記事をお読みいただいているようなので、実際にはもっと多くの記事が読まれていることになります。

 そういえば、アクセス数が「333,333件」の時にも立ち会っています。

「アクセス数が「333,333」になる」(2012年11月01日)

 毎日、この数字をチェックしているわけではありません。
 しかし、偶然とはいえ、こうしたチャンスに巡り合えるのはラッキーです。
 昨日のサンタさんが、「7」並びのプレゼントを置き土産に届けてくださったようです。

 本ブログに、特に方針というものはありません。
 ただ、折々に思うことや勝手気ままな行動の記録を、コツコツとアップしています。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 

2015年12月26日 (土)

歳末に大和平群でお茶のお稽古

 秋口から土曜・日曜にさまざまなイベントが入っていたため、ほぼ2ヶ月ぶりのお稽古です。今日も、入子点(いれこだて)をお願いしました。

 昨夜は、娘夫婦が夜中に来てくれて、これまでの復習をしました。
 丸卓の地板に水差しを置き、天板に右上から棗と柄杓と蓋置きをセットしたら始まりです。

 1ヶ月以上も間が空くと、すっかり忘れています。娘と婿殿からは、温かい同情を受けながら、四苦八苦の練習です。

 夜の夜中に、ああでもない、こうだった、そうそうと、何ともおかしな会話が続きました。

 今日、先生の前でやってみると、最初から「あれっ、あれっ」となります。
 あらかじめ丸卓に置いておく柄杓の向きからして、真っ直ぐではなくて斜めだったのですから。
 最後の壮付けの形がきれいだったので、それが印象深く目に焼き付いていたのです。

 茶巾を畳み直すことも、すっ飛んでいました。

 お客人は二人の場合を想定したお手前をお願いしているので、その流れも事細かに教えていただきました。

 いつもは頭が混乱するので、一回だけのお稽古にしています。しかし、今日は珍しく、もう一回おさらいをお願いしました。わがままを言いたい放題で申し訳ないことです。

 二回目には、どうしてその動作がここに入るのか、その意味と流れがわかりかけてきました。しかし、先生からは、頭ではなくて身体で覚えるように、とびしっと言われてしまいました。

 これは、お茶室からの出入りが少ないこともあって、年配の上級者がなさるお点前だそうです。しかし、我が家にお越しになるお客人は、一緒にお話をすることが中心となる方々なのです。そのために、あまり私が座を立たなくてもよくて、それでいてお茶室には道具類が見えている方が、お互いに和やかな時を共有できると思います。

 そんな思いから、今はこの入子点を素人なりに会得しようとしているところです。
 目標をもってお稽古をしていると、できた、できないはもとより、お客人との対話の楽しさも倍増するのです。

 帰り道、葵橋から月を見やると、晴れ渡った夜空にきれいな満月が煌々と照っていました。


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 今年最後の満月を眺めながら、無事に歳を越せるありがたさを身にしみて感じることができました。
 折々に支えてくださった方々に感謝しながら、我が家へと向かいました。
 
 
 

2015年12月25日 (金)

読書雑記(152)山本兼一『狂い咲き正宗』

 山本兼一の『狂い咲き正宗 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(2008年8月、講談社)を読みました。


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 短編小説の連作で、七振りの刀(正宗・村正・國広・康継・虎徹・助広・清麿)が取り上げられます。

 御腰物奉行をつとめる旗本である黒沢家の嫡男である勝光が、町人になって刀剣商ちょうじ屋光三郎と名乗り、小さな刀屋になりました。

 勘当されたはずの光三郎のもとに、父からさまざまな刀剣に関する難題が持ち込まれます。それをいかに解決するか、というところが本作の読みどころです。

 ただし、各話にユーモアと捻りが足りません。筆が冴えないのです。今一つ、話が盛り上がらないのです。登場人物の設定が甘いのと、話に変化がないからです。

 京都三条を舞台とした骨董屋の話、「とびきり屋見立て帖」シリーズは、人の情と幕末の世相が見事に炙り出されていて傑作でした。その機知が、この連作ではまったく感じられません。
 妻の描かれ方を見ただけでも、その差は歴然としています。

 「読書雑記(56)山本兼一『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』」(2012年12月18日)で記したこと等を参照して、本作が執筆された時期を確認してみました。

 「千両花嫁」(『オール讀物』2004年12月号)
 「金蒔絵の蝶」(『オール讀物』2005年4月号)
 「皿ねぶり」(『オール讀物』2005年10月号)

 本書の巻頭に収録された「狂い咲き正宗」(『小説現代』2005.8)は、『千両花嫁』に収載の「金蒔絵の蝶」と「皿ねぶり」が公表された間に位置しています。
 実際に、これらが執筆された時期は不明です。しかし、雑誌の印刷出版にあたっての校正などを考えると、「とびきり屋見立て帖」シリーズに比べて本「刀剣商ちょうじ屋光三郎」シリーズの完成度の低さが気になります。

 新しい分野を開拓する意味からも、骨董屋に続いて刀剣商へと、意欲的に取材を進めておられたことでしょう。
 『いっしん虎徹』(文藝春秋、2007年)、『黄金の太刀 刀剣商ちょうじ屋光三郎』(講談社、2011年)、『おれは清麿』(祥伝社、2012年)という刀剣に関する作品の流れを見ながら、本書がおもしろさに欠けるのは私の興味の度合いだけではないように思うのです。

 不出来な作品が並ぶ中で、本書の第6作「浪花みやげ助広」(『小説現代』2008年1月号)だけは軽妙で秀逸でした。【2】
 
 
初出誌:『小説現代』2005.8、2006.11、2007.1/7/11、2008.1/4
 
 
 
 

2015年12月24日 (木)

読書雑記(151)三島由紀夫『春の雪 豊饒の海 第一巻』

 久しぶりに三島由紀夫の作品を読みました。
 今年は、三島由紀夫の生誕90年、没後45年です。
 先月11月25日は、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で三島が割腹自決した45年目でした。さまざまなマスコミが、さまざまな視点で三島事件を取り上げていたようです。
 しかし残念ながら、私は非常に多忙を極める日々にあったこともあり、ほとんど見たり聞いたりする暇がありませんでした。

 三島由紀夫が割腹自殺したのは昭和45年(1970)11月25日でした。その翌朝刊を、自分が受け持っていた配達区域へ配り終えてから、19歳になったばかりという未熟さをも省みず、自分なりに思うがままの雑感をまとめました。さらに詳報が記された夕刊を配達した後、有楽町にあった朝日新聞東京本社に、拙い文章を投稿として持参しました。その数日後、私が投書した内容の一部が朝日新聞「声の欄」に紹介されました。三島自決のニュースを聴き、初めてマスコミに自分の名前が掲載されたこともあり、この三島事件は私にとっては記念すべき出来事でした。

 平成18年(2006)9月に、モスクワの本屋さんで三島の『豊饒の海』4冊が平積みになっているのを見かけました。
 これまでにも、そしてその後も海外では、本屋さんの日本文学関係のコーナーで、三島の翻訳本が日常的に置かれているのを見てきました。

 そんなこともあって、三島の『豊饒の海』をこの年末にまた読み出しました。
 まずは、第1巻の『春の雪』から。
 単行本の奥付けは、「昭和四十四年一月五日発行/昭和四十六年4月三十日三十四刷」となっています。


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 私は、昭和47年1月の成人式の数日前に、当時住み込みで働いていた新聞配達店が火事となり、身の回りのすべてを失いました。その中に、この『豊饒の海』4冊もあったのです。今私の手元にある本は、その後に購入したものであることが奥付けからもわかります。ただし、今回は気分一新ということもあり、新潮文庫(昭和52年7月発行/平成23年12月七十七刷)で読みました。


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 さて、『春の雪』では、登場人物の容姿、振る舞い、人々の反応が、言葉巧みに描き出されています。私にとっては、いささか退屈です。しかし、これが三島の作品の特質の一つなのです。そして、美しすぎるほどのものを、丹念に、克明に、諄いほどに語ります。三島の美学の迸りです。

 時は大正初年。褒め称えられる13歳の清顕に仕える17歳の飯沼の憎しみが、これからどう展開するのか、楽しみにしながら読み進みました。ただし、これはこの巻では期待した展開とはなりませんでした。

 18頁冒頭に「に」が一文字印刷漏れで空白となっています。新潮文庫には珍しいことです。単行本にはこの「に」があります。単行本の1行43文字から文庫本の39文字に変更されたことにより、たまたま頁替えした冒頭部分に空白が残ったままになっているようです。

 物語中で、清顕が密かに夢日記をつけていたことは、今後の『豊饒の海』としての展開の中で意味をもってくることでしょう。

 次の傍点が付けられた箇所は、本作品の後半でその意味がわかってきます。


「それは聡子が清顕を愛していたからである。」(49頁)

「自分は、聡子を少しも愛していないから。」(87頁)

 雪の日の朝、人力車中での清顕と聡子の逢い引きシーンは、スローモーションのように語られています。各所に映像美が意識されている中でも、特にこの場面は美しさと若者の内面が語られているところです。

 また、日本の古典文化を随所に鏤めて語っています。
 その一例を、『百人一首』を料紙に書写する場面を引いて、確認しておきます。ここには、清顕と聡子の今後の成り行きが暗示的に描かれているので、長文になることを厭わずに引用しておきます。


藤原忠通の法性寺流に流れを発する古い和様の書を、能書の伯爵は熱心に教えてくれたが、あるとき習字に飽きた二人を興がらせようとして、巻物に小倉百人一首を一首ずつ交互に書かせてくれたのが残っている。源重之の「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物をおもふころかな」という一首を清顕が書くと、そのかたわらに、大中臣能宣の「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつ物をこそ思へ」という一首を、聡子が書いている。一見して、いかにも清顕のは幼ない手だが、聡子の手はのびやかで巧緻で、とても子供の筆とは思われない。年長じてから清顕が、めったにこの巻物に指を触れないのは、そこに彼女の一歩先んじた成熟と自分の未成熟との、みじめなほどの隔たりを発見するからである。しかし、今こうして虚心に眺めてみれば、自分の手も幼ないなりに、その金釘流に男児らしい躍動があって、聡子のとめどなく流れるような優雅と、好個の対照をなしているのが感じられる。そればかりではない。こうして金砂子に小松を配した美しい料紙の上に、おそれげもなく、墨をゆたかに含ませた筆の穂先を落したときのことを想起すると、それにつれて、一切の情景が切実に浮んだ。聡子はそのころふさふさと長い黒いお河童頭にしていた。かがみ込んで巻物を書いているとき、熱心のあまり、肩から前へ雪崩れ落ちる夥しい黒髪にもかまわず、その小さな細い指をしっかりと筆にからませていたが、その髪の割れ目からのぞかれる、愛らしい一心不乱の横顔、下唇をむざんに噛みしめた小さく光る怜悧な前歯、幼女ながらにすでにくっきりと通った鼻筋などを、清顕は飽かず眺めていたものだ。それから憂わしい暗い墨の匂い、紙を走る筆がかすれるときの笹の葉裏を通う風のようなその音、硯の海と岡というふしぎな名称、波一つ立たないその汀から急速に深まる海底は見えず、黒く澱んで、墨の金箔が剥がれて散らばったのが、月影の散光のように見える永遠の夜の海……。(204~205頁)

 この物語には、思索する人間、議論する人間がしっかりと描かれています。
そして、ガラスのように壊れやすい繊細な若者の生き様も、丹念に描いています。その中でも、女性の不可思議さがよく伝わってきました。そのために、若者たちは翻弄されるのです。

 生まれ変わりとか輪廻というテーマが持ち出されてからは、この小説が長編となることが約束されます。

 そして、後半は息もつかせぬ展開となり、読み耽ります。三島の筆の力を堪能しました。

 読み終えてから思いめぐらすと、奈良の月修寺の尼門跡が立ち現れて来ます。その後ろに聡子が控えているのです。
 これが何なのか、まだ今はよくわかりません。『春の雪』は4部作の第1巻目なので、第2巻『奔馬』、第3巻『暁の寺』と読み進む中で、それが何なのかが見えてくることでしょう。

 この物語の行方を、少しずつ楽しんでいくことにします。【5】
 
 
 

2015年12月23日 (水)

再録(25)マッキントッシュG4導入〈2000.2.29〉

 今から約16年前の記事です。
 情報の一元化にともなう記事のアーカイブズ化の一環の意味で、ここに再録データとして残しておきます。
 初期不良などのさまざまな不具合と格闘する、私にとっては日常茶飯事となっているパソコンライフの記録です。

 ここで取り上げているG4の次の写真は、「http://www.512pixels.net/blog/2013/07/power-mac-g4」のサイトに掲載されているものをお借りしています。アップルが PR に使った写真のようです。これが、私が使っていたものに一番近いイメージなのです。


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 私は1999年4月に今の職場に移り、大和・平群の里から東京の品川へと、単身赴任者として8年間ほど通っていました。京都から東京へと通うようになったのは、2007年5月からです。

 現在のブログは、この京都へ転居してからスタートしたものです。
 つまり、ここで再録としてアーカイブズしているのは、それまでにパソコンのホームページ〈へぐり通信〉として大和から発信していた情報群になります。

 奈良の自宅と、新幹線の車内と、東京の職場と宿舎で、フルに仕事をしていた頃、平群の自宅で使っていたパソコン談義になります。
 

----------------- 以下、再録掲載 ---------------------

〔マッキントッシュG4導入〈2000.2.29〉〕

 突然ですが、週末にグラファイトカラーのマッキントッシュG4を購入しました。家族みんなに私のマシンを取り上げられ、娘のお古の6100を使っていたからです。

 購入時にメモリの増設をしたところ、購入店のソフマップ大阪8号店で一時間半以上も待たされました。動作確認時に、G4本体が不良品であったためだとのこと。

 以前、マッキントッシュ G3をOAシステムで購入したときも、メモリとハードディスクを付け替えてもらった際、店員さんがハードディスクのコネクタを逆に無理矢理差し込んでいたという経験があります。お店に任すのも、そばで見ていないと信用できません。

 今回は、自分でメモリを増設しようと思っていました。しかし、お店の人が手数料は無料になるからと言うのでお願いしたのです。もし自分が自宅でメモリの増設をやっていたら、このG4本体の初期不良にどう対処したのかを想像すると、思わずゾッとします。

 一難去ってまた一難。
 自宅にG4を設置してから、我が家のルーター(家庭内SOHO)がG4だけを通さないのです。インターネットも、他のパソコンともファイルのやりとりができないのです。その対策に四苦八苦しました。

 原因は、MacOS9のオープントランスポート(Open Transport)というプログラムが初期バージョンで、その不具合(バグ)のせいでした。雑誌記事で、そんなことがあるとは知っていましたが、まさか自分がその罠にはまるとは。

 理由がわかるまでの2日間は、イーサーネットのコネクタをつけたりはずしたりと、大変でした。
 家庭内LANにつなげて、インターネットに接続しようと努力していました。しかし、G4の背面にイーサーネットのコネクタを差し込んだ状態では、起動はしてもディスクトップ画面が表示されるとそこでストップします。はずして起動した場合は、後でイーサーネットに接続すると、数分でパソコンがフリーズします。

 ネットワークにつながっているカラープリンタも、一枚が印刷できたら幸運なのです。
 G4はモデム内蔵なので、その機能をはずしたり、いろいろなことをしました。おまけに、一緒に購入したSCSIカードもイマイチで、外付けの20GBのハードディスクも、つながったりダメだったり。不安定この上ないのです。
 こうなると一日がスッキリせず、仕事も捗りません。

 月曜日になるのを待って、早速アップルのマッキントッシュサポートセンターへ電話をしました。担当者につながってから不具合の説明をすると、すぐにOpen Transportが原因であるとの返答。バージョンを2.5.2から2.6に上げると解消すると言われました。

 そういえば、雑誌やアップルのホームページで、通信上の問題点を指摘していたことに、ようやく気づきました。別のパソコンを使ってインターネットでアップルのホームページへ行き、「Open Transport 2.6」を入手して、無事このトラブルに対処できました。あっけない幕切れです。

 それにしても、G4は驚異のパソコンです。ウインドウズのような電子計算機ではなくて、まさに情報文具です。

----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 

2015年12月22日 (火)

急いでテキストをWindows用に保存したために痛恨の文字化け

 年末ということもあり、多くの仕事に追われています。
 今日のお昼までが締め切りだった原稿がありました。
 朝7時には点検と確認を終えました。
 送る相手がWindowsユーザーなので、エンコードをMacintoshからWindowsに変換します。

 私は、ワープロといわれるソフトウェアは使いません。
 文章はすべて、エディタと言われる文字列を入力することに特化したソフトを使っています。Macintoshユーザーである私は、「Jedit」というエディタを愛用しています。

 相手がWindowsユーザーの方の場合には、求めに応じてワードなどにコピーして、ワード文書として送ることが多いのです。私がワードで文章を書くことはほとんどありません。あくまでも、もらったワード文書を読む時と、相手にワード文書で渡す必要がある時だけに使います。
 今回は、より確実にと思って、プレーンテキストで送ることにしたのが躓きの始まりだったのです。

 最近は、Macintosh では手も足もでない一太郎の文書を送ってこられる方は激減しました。しかし、まだ一太郎の文書を送ってこられる方がいらっしゃるので、世の中は全員が Windows ユーザーではないのに、と思うことがあります。異文化間コミュニケーションの溝の深さを痛感する時です。

 コンピュータのことをよく御存知の方には、Mac のファイルでも読んでもらえます。しかし、普通に Windows だけで仕事をしておられる方には、一々Mac から Win の形式にエンコードの変換をしないといけないようです。
 Windows では、Macのファイルは、普通では読んでもらえないからです。文字化けして読めない、という連絡をもらうので、今でもWindows は Mac を排斥しているOSなのでしょう。みんな平等に情報を交換するためにも、違いや多様性を認める寛容性がほしいものです。

 もし、最近はWindows もかつてのような独善的ではなくなっている、ということであれば、思い違いをお詫びします。とにかく、私は Windows の画面を見ることも毛嫌いしているので、Windows がどれだけ進歩しているのかよくわかりませんし、わかろうともしていません。今はWindows も改心している、ということであれば、私の思い過ごしはご寛恕のほどを。

 さて、テキストのエンコードを変換し、メールに添付して送り終えた時に「あれっ」と思いました。添付文書のファイルの容量が小さすぎるのです。

 その、送ったテキストを手元で確認して、まさにのけ反りました。
 文書の中身が「?」のオンパレードなのです。

151222_mojibake


 いろいろとエンコードを切り替えて試しても、元の日本語にはもどりません。時間ばかりが過ぎていきます。

 目の前が真っ暗になり、頭の中が真っ白になり、その行きつ戻りつの中で「落ち着け、間に合うから」と自分を鼓舞していました。

 やがてデータの復元は諦めて、昨日の夕方印字していたプリントを取り出し、スキャナで読み取ったPDFファイルから文字列を取り出して、あらためてテキストファイルを作り直しました。
 そして、それに再度手を入れて、ほぼ最終版と同じものに仕上げました。

 一晩かけて練り上げた文章を、また最初から手を加えていくのです。投げ出したくなる思いをぐっと押し留めて、一度仕上げたはずの文章を思い出しながら、言葉をもう一度紡ぐ作業を根気強く続けました。

 そんなこんなで、とにかく、何とか約束のお昼には間に合いました。

 そこで、今後のこともあるので、帰宅後、実際に痛恨の思いに晒されていた朝の出来事を再現しました。すると、実にあざやかに、以下のように追体験できたのです。

 35年ものパソコン体験の中では、いろいろと理不尽な思いをしてきました。しかし、これまでにこの文字をエンコードすることで失敗する、という経験はありませんでした。

 以下、私が思わず知らずにしでかしてしまった失敗事例を、ここに再現してみます。

 まず、わかりやすく、「151222_文字化けのテスト(改行)あいうえお(改行)」という文字列をテキストとして入力します。

151222_aiueo


 これを、普通に保存すると、私はMac OS の環境で作業をしているので、こんな状態になっています。この設定を、普段はわざわざ見ることはありません。今回のために、あえてこの確認をしたものです。

151222_mac


 次に、この文章をWindowsユーザーに渡すために、エンコードと改行処置を手動でします。
 そのためには、次のようなウィンドウを開いた時に、Windowsユーザー用の項目を選びます。

151222_list


151222_dos


 これで保存した後に再度読み込んでも、特に文字化けはしていません。

 ところが、このWindowsユーザー用に保存する時に、手動での設定ウィンドウで、Mac用の下にある[Windows,Dos]ではなくて、その上にある[Windows,Latin1]を選ぶと、まさに今朝私の身に起こった悪夢が再現されたのです。

151222_winlaten


 私が冒した驚愕の文字化けは、こうして起きたのです。

151222_mojibake


 この[Windows,Latin1]というエンコーディングを選択すると、保存する時に次の表示が出てきます。

151222_keikoku


 しかし、ここに表示されている注意を促す文言を確認しないまま、保存のボタンをつい押してしまったのです。

 これは、「Jedit」というエディタが、痒いところに手がまだ届いていない、ユーザーへの配慮が不親切だったこともあります。
 小窓の表示が[Windows,...]か[Windows,Lat...]という、微妙な違いしかないのですから。

 今までにこの[Windows,Laten1]というモードを選択したことがなかったので、これは魔が差したとしか言いようがありません。
 そして、上下数ミリの位置でのクリック・ミスで、貴重な時間と心労と疲労を全身に浴びることとなったのです。

 結果的には、約束の時間に間に合い、どうにか事無きを得たので安堵しています。
 しかし、急いでいる時にはつい手元が狂うことはあるものです。
 慌てず騒がず、何ごとがあっても平常心で対処する余裕を持つことを、この失敗からあらためて学びました。
 
 
 

2015年12月21日 (月)

再録(24)Windowsマシンで大騒ぎ〈1998.12.24〉

 Macintoshユーザーである私は、今も Windows マシンには顔を背けています。
 実際に、あの画面を見ると露骨に不愉快な反応をするので、私をよく知る人は心して対応してもらえているようです。
 それだけ Windows マシンを極端に忌避する私も、かつてはいろいろな事情で Windows マシンを家に置いていたことがあります。それは、子供たちがゲームをしたい一心で話しかけてくるので、一時的にマイクロソフトを許したことがあったからです。

 そんな頃があったので、その17年前の師走のことを、これも再録データとして残しておきます。

 この元データは、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報の内、1998年12月に公開した記事です。この一連の「再録」は、過去に発信した情報を本ブログに取り込み、アーカイブズの一環とするものです。
 
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 
〔再録(21)Windowsマシンで大騒ぎ〈1998.12.24〉〕
 
 
 一台のWindowsマシンが不調になったために、家族が膨大な時間を捨てるはめになりました。
 ことの起こりは、クリスマスプレゼントとして、子供にメモリとソフトを買ったことです。
 ソフトは良かったのですが、メモリがとんでもない物だったのです。

 大阪日本橋のソフマップ7号店で、64メガバイトのメモリを1万円弱で買いました。その際、店員の方には、取り付けるマシンが「日本ゲートウェイ2000」のWindowsマシンであることを告げました。
 このパソコンは、一般のショップで店頭販売されているものではないので、このことを言わないと何かとややこしくなるからです。店員の方はすぐに資料を見て、私が告げた機種が対応しているメモリであることを確認してから、メモリを渡してくださいました。

 ところが、これがトラブルの始まりでした。

 帰宅後、子どもたちと一緒にメモリを取り付けました。
 このパソコンは、二人の息子用に渡したものです。性能は低いながらも、ゲームやインターネットの利用には十分のペンティアム・マシンです。すでに32メガバイトのメモリが一枚入っており、その横に、新たに64メガバイトのメモリを差し込みました。息子の手首に静電気除去のための腕輪をはめさせての作業でした。96メガバイトのメモリを実装したパソコンになる(はず)です。

 しかし、何度起動しても、最初に表示されるメッセージでは、メモリ容量が増えていないのです。それより、メモリ容量が減少しているという英語が表示されます。おまけに、セーフモードでしか起動しないのです。そうこうする内に、起動画面がおかしくなり、ついには電源を入れても、何も表示されなくなりました。

 すぐに、購入したソフマップに電話をしました。いろいろと調べた挙げ句に、接客ミスで間違ったメモリを渡してしまった、との返答でした。店頭に持っていけば、返金するとのこと。おかしくなったパソコンをどうしたらいいのかと聞くと、クリニックセンターへ持って行けば、点検してもらえるように手配するとのことでした。

 しかし、この年末に、大きなタワー型のパソコンを運ぶためには、奈良から大阪まで車で運ぶことになります。何かと忙しくて、このホームページの更新も今月一日以来ひさしぶりという状態なので、とても出かけられません。

 かくなる上は、Windows95のシステムを入れ替えることで対処することにしました。Windows98にしないのは、私のソニーVAIOで懲りているからです。パソコンに添付されていたマニュアルや資料を見たのですが、ちんぷんかんぷんです。思い切って日本ゲートウェイに電話をしたところ、丁寧に手順を教えてもらえました。

 電話での指示をメモしたものをもとにして、中一の息子とシステムの再インストールを始めたのはいいのですが、Windows95のプロダクトIDを入力するところで行き詰まりました。何度入力しても、認証番号が間違っているというメッセージが表示されます。丁度夕方の5時前でした。それからというもの、家族6人が交代交代で、17桁の数字を打ちます。途中で日本ゲートウェイにまた電話をして、助けを求めましたが、何か数字が間違っているのでしょう、との返事しかもらえません。こんな電話は、よくあるそうです。またまた、えんえんと家族が、入れ替わり立ち替わり17桁の数字を入力します。

 2時間半も経過した頃でしょうか。日本ゲートウェイに、また電話をしました。いろいろとやりとりがあった末に、「フォーマット」という言葉が出てきて、ハードディスクの初期化をしたのか、ということでした。夕方の問い合わせでは聞かなかったことなので、それはしていないと答えると、WindowsからMS-DOSモードに降りて、プロンプトに「C:\format /q/n」と入力して初期化をすれば、プロダクトIDを受け付けるはずだ、とのことでした。
 十数年前の、DOSマシンの頃にタイムスリップすることになりました。

 言われたとおりにすると、無事に17桁の数字を受け入れてくれました。夜の8時40分を過ぎていました。約4時間もの長時間にわたって、不正使用防止のキーワードとも言うべき17桁の数字をめぐって、家族が格闘していたのです。

 ところが、まだまだ落とし穴は至る所に仕組まれていました。それは、ドライバというものの組み込みです。手元の冊子や資料通りにやっても、まったく先へ進まないのです。また電話でのサポートにすがるしかありません。夜の10時を過ぎていたでしょうか。息子がサポートの方とのやりとりにお手上げとなり、また父親にお呼びがかかりました。

 結局、冊子の印刷通りではなくて、CD-ROMを使わないといけないとのこと。以下の作業も、そのように読み替えて進めればいいとのことでした。ところが、これも罠だったのです。

 息子は夜を徹して初期化とインストールを繰り返し、結局夜が明けても完了しませんでした。私も、仕事をしながら、時々様子を見ましたが、明け方の4時半までは覚えていますが、それ以降は、息子にまかせてしまいました。

 二日目の朝の段階では、27頁ある「Windows95 インストールガイド」の内の16頁までは終えたようです。しかし、Windows95のアップデートとドライバの組み込みという難関が残っています。
 ところが、クリスマスのために買った「パワフル・プロ野球」というゲームをしたい一心でパソコンの修復を率先してやっていた息子二人も、とにかく遊びたいという誘惑に負けたようで、いつの間にかゲームソフトをインストールして遊んでいたのです。
 もっともシステムの設定が完了していないので、色は不自然で音もない野球ゲームを、楽しそうに二人でやっているのです。

 あまりにもかわいそうなイブイブなので、夕方から何度目かのフォーマットを手伝い、システムのインストールをやりなおしました。しかし、至る所で完了しなかったメッセージが出ます。さらに何回か日本ゲートウェイに電話をし、もうこちらも暗記するほどの操作をえんえんと繰り返しました。

 そして夜の8時をすぎた頃だったでしょうか、パソコンに添付してあるフロッピーを要求されました。昨日までは、CD-ROMでいいと言われていた操作のときでした。
 未開封のビニール袋を破り、取り出した一枚のフロッピーが、ようやく開かずの扉をあけてくれました。ただし、その後の手順は、メモしきれないほどのものであり、訳の分からないことをいろいろとさせられました。

 その後は、また息子にバトンタッチをし、またサポート係に電話をすることもあって、ついに夜中の10時15分に、「Windows95」の再インストールが完了しました。30時間の耐久レースを終えたときの息子の満足げな表情は、これはこれで貴重な収穫であったということにしておきましょう。

 私の「時間を返せ」という憤りより、息子の充足感に目を向けることにします。

 それにしても、ソフマップ7号店の上原さん。あなたが渡してくれたメモリが、こんな家庭内騒動になっていたのですよ。
 そして、日本ゲートウェイの電話サポート担当のたくさんの方々、粘り強い24時間体制の支援に感謝します。後半は、息子が電話で問い合わせたにも関わらず、丁寧に対応してくださり、ありがとうございました。息子が自分で何とかしようという気になったのも、サポートの姿勢に誠意を感じたからでしょう。訳の分からない苦情を言ったことにも、じっくりと聞いてくださり、この種のサポートは大変な仕事だなあと、家族一同、改めて感心しています。

 パソコンがまだまだ未成熟な上に、Windows という不出来なシステムを搭載せざるをえないコンピュータ業界は、このようなサポート体制と要員によって支えられていることを実感として味わえました。

 しなくてもいいこととはいえ、貴重な体験の一つだったように思います。
 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 

2015年12月20日 (日)

古写本で文字を書き止している箇所の表現方法

 一昨日の本ブログに、「ハーバード本「須磨」の翻字の一部を訂正します」(2015年12月18日)という記事を書きました。
 そこでは、なぞった文字となぞられた文字に関するデータベース化にあたり、「なぞった文字は直下の一、二文字に意識が滞留したために、思わず知らず写し忘れていたことに起因する」例を検討した結果として、5例の翻字を補正する報告をしました。

 その中の(D)で、「あけ尓あさ可ら須/前あ$、△&け」(「須磨」9ウL2)については、「あけ尓あさ可ら須/前あ$、佐〈書止〉&け」に訂正しました。

 そこで〈書止〉という付加情報を施したことに関して、つぎのような説明をしています。


 ここで付加情報として記述した〈書止〉という符号は、今回新たに設定するものです。今後の「変体仮名翻字版」では、この記述を取り込んだ翻字方針で臨みたいと思います。

 この〈書止〉という付加情報符号の新設について、さらに追補する用例が見つかりました。そこで、〈書止〉に関する補足説明をしておきます。

 まず、〈書止〉(書き止し)という用語について。

 『日本国語大辞典』によると、「かき‐さ・す 【書止】」という立項のもとに、次のように記されています。


〔他サ五(四)〕(「さす」はある動作を中止する意)
書いていて途中でやめる。途中まで書く。
*蜻蛉日記〔974頃〕下・天延二年「やもめずみしたる男の、ふみかきさして」
*百座法談〔1110〕二月二八日「為陵しふしふに法花経の文字六十四字をかきさしてねたる夜のゆめに」
*十六夜日記〔1279〜82頃〕「いそぎたる使ひとて、かきさすやうなりしを、又ほどへず返しし給へり」

 また、「【書止】言海」ともあります。

 これによって、「書き止し」ということばは古くから使われていたことがわかります。
 そこで、『源氏物語』の翻字本文データベースに〈書止〉という付加情報用の符号を新設することにしたのです。

 今回調査対象とした「須磨」「鈴虫」「蜻蛉」の3巻の写本に認められるなぞりに関する箇所で、さらに次の2例に〈書止〉という用語を追記して翻字データベースを補正したいと思います。

[補正1]「ひやく/△&ひ」(「鈴虫」36ウL7)


Photo


 「ひ」の下に書かれている文字は、次の「や」を書き止したものと思われます。「く」が行末の文字であることからも、書写者は次の行へ意識が向いていたために、不必要な目配りがこうした書き止しという現象となってしまったと思われます。
 ここでの翻字は、書き止していることを示す付加情報としての〈書止〉を用いて、「ひやく/や〈書止〉&ひ」に訂正したいと思います。

 この用例については、先月11月 6日の放送大学での講義で、受講生の方から質問として指摘を受け、以来その対処を思案していたものです。すでに『源氏物語別本集成 全15巻』(伊井春樹・伊藤鉄也・小林茂美編、桜楓社・おうふう、平成元年~平成14年)と『源氏物語別本集成 続 全15巻』(同編、おうふう、平成17年〜刊行中)において、〈中断〉という付加情報を苦し紛れに使ったことがあるように思います。
 それを、今回〈書止〉という用語で翻字方針を統一することにしたしだいです。

[補正2]「お〈改丁〉ほゆる/おほ&ほゆ」(「蜻蛉」27オL10〜ウL1)

 「おほゆる」という文字列を、丁の表から裏にかけて書写する場面です。

2〈丁末〉


 上の写真のように、27丁表10行目(最終行)の丁末で、「お」と書いてから丁をめくり、新しい紙面の行頭に「ほゆる」と書いているところです。


3(丁頭)


 ここで書写者は、紙をめくる時まで覚えていた「お」はすでに前の丁末に書いてしまっていたのに、そのことを忘れたようで、新しい頁に「おほ」と書き出したのです。
 しかし、「お」と書いたすぐ後に、それも「ほ」の左側の縦線を書き出したところで、すでに「お」は丁をめくる前に書いた文字であることに気づいたようです。そこで、「ほ」の一画目で書き止したまま、筆を行頭に持っていって2度目に書いた「お」の上に「ほ」となぞり、続けて「ゆる」と書いたのです。

 このような例をデータベース化するにあたり、〈書止〉という符号を用いて、ここでは次のような付加情報を伴う記述とすることにしました。
 「お〈改頁〉ほゆる/おほ〈ほ書止〉&ほゆ」

 〈書止〉という書写状態について、「須磨」1例、「鈴虫」1例、「蜻蛉」1例において、手元で構築している本文データベースに追記することにしました。

 新しい翻字方針の補訂となるため、ここに報告し、現在翻字作業を進めてくださっているみなさまへのお知らせとします。

 もし現在、こうした例があったことに気づかれた方は、より正確な翻字本文データベースを構築するためにも、ご連絡をくださいますよう、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2015年12月19日 (土)

豊島科研の源氏本文研究会は通算22回目となりました

 10日前に予告した通り、今日は渋谷の國學院大學で「『源氏物語』の本文に関する豊島科研の研究会」がありました。

 正面玄関には、門松が置いてありました。
 師走に入っていることを実感します。


151219_gate


 久しぶりに大学を訪れたこともあり、敷地に隣接する塙保己一史料館・温故学会に立ち寄りました。ただし、齊藤理事長にはあらかじめ連絡をしていなかったので、玄関の保己一検校の像と黄葉だけを写真に収めてきました。


151219_onko_2


 さて、『源氏物語』の本文に関する研究会が、それも10年にもわたって続いていることは、あらためてすごいことだと思っています。

 今日は、会場に足を運んでくださった若い方々の姿を見かけて、うれしくなりました。こんな地味な研究に興味を持ってもらえたことは、本当にありがたい限りです。

 また、昨年度まで国文学研究資料館のプロジェクト研究員として私の仕事を助けてもらっていた阿部さんが、研究会に参加してくれていました。新しい仕事が忙しい中をとにかく駆けつけてくれたことは、本当にうれしく思いました。『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年10月)で一緒に翻字の確認をしたことが、昨日のことのように思い出されます。また、いい仕事を一緒にしましょう。

 さらにうれしいことに、実践女子大学の上野先生の紹介で、大学3年生だというMさんが私に挨拶に来てくれました。写本の翻刻に興味があるそうです。
 得難い若者の出現に、今後の成長が大いに楽しみです。

 今日の研究会に参加された若いみなさん。ここで見聞きしたことを、ぜひともご自宅に帰られてからも反芻し、今後の勉強に役立ててほしいと願っています。
 そして、写本を読んでみたくなったら、まずはこのコメント欄を利用してでもいいので、連絡をください。

 とにかく、『源氏物語』の研究といっても、古写本を対象にしたこんな研究分野があるのです。ほとんど見向きもされない、地味な研究です。古典籍の資料を扱うので、手間がかかり、時間がかかり、しかもなかなか成果が見えません。しかし、着実に前に進んでいることが実感できます。日に日に、手応えが感じられる研究分野なのです。

 若者を見つけると、つい、こんなことを念力でも伝えたくなります。
 写本や影印本を見ていて息苦しさを感じたら、それは私の念力が届いた証拠です。無心に変体仮名と、にらめっこを続けてください。しだいに快感になっていくこと請け合いです。

 今日も濃密な時間を、参加された皆さま方と一緒に共有できました。
 得難い一日となりました。ありがとうございました。

 思いつくままに、今日の発表に関する私のメモを残しておきます。
 これは、あくまでも私の理解を通しての、自分のための備忘録です。
 各論は、本年度の豊島科研の報告書に掲載されるはずです。
 詳しくは、そちらでご確認ください。
 
(1)河内本の本文の特徴―「若紫」巻を中心に―(豊島秀範)
 次の3点に関して、私から質問をさせていただきました。これは、この研究会が内輪での労い合う場にならないようにと、少し批判的な立場からの質問にしました。
 「系統」という言葉の使い方/「本文は2分別される」という実態/「三系統論」で諸本を見ることについての限界
 
(2)「おぼす」と「おもほす」の偏向(神田久義)
 次の3点に関して、私から質問をしました。
 修正後の本文ので考えることの意味/麦生本と阿里莫本の表記の違い/「ジャパンナレッジ」を使う上での注意点
 
(3)類義語と本文異同(中村一夫)
 手堅い手法で、わかりやすく異文の本文解釈を元にした評価がなされました。納得です。いつものことながら、テーマの設定と資料の扱い方は鮮やかです。
 ただし、内輪褒めに終わらないためにも一言。発表から教えていただくことは多いものの、私自身が持つ問題意識を刺激するもの、言い換えれば啓発とでも言うべきパワーが感じられませんでした。場違いを承知での無い物ねだりですが。

(4)字母から見たハーバード本「須磨・蜻蛉」と歴博本「鈴虫」─写し忘れた文字をなぞる場合─(伊藤鉄也)
 私は、以下の内容で研究発表をしました。


 ■発表要旨■
 鎌倉時代中期に書写された写本として、これまでに次の三帖の翻字を終えた。
 ・『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(新典社、2013年)
 ・『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』(新典社、2014年)
 ・『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(新典社、2015年)
 歴博本「鈴虫」及びその巻末資料において、「変体仮名翻字版」として字母レベルでの翻字を公開したことにより、さまざまな書写実態に即応した検討が可能になった。
 本考察では、この翻字資料をもとにして、なぞられた文字を確認していく。なぞった文字は、直下の一、二文字に意識が滞留したために写し忘れたものである場合が多い。
 これは、『源氏物語』において異本や異文が発生し伝流する事情を説明するのに、一つのユニークな視点を提供するものとなるはずである。
 ■書写道具としての糸罫■
 「檜製糸罫」(宮内庁書陵部蔵)『源氏物語 千年のかがやき』(国文学研究資料館編、一○三頁、平成二十年一〇月、思文閣出版)は、親本を目の前に置いて複写本をそっくりそのままに作成する時に使用する道具である。書写本の行末および丁末におけるなぞり・ミセケチ・補入・傍記等の書写に関する問題は、この道具の存在がその物理的な要因となっていることは明らかである。
 また、このことが、書写しながら本文を改変するという説明がいかに非現実的なものであるかを、如実に物語るものとなっている。
 親本をもとにして写本を作成するということは、原則として可能な限り臨書によるものである、ということが基本となっている。その際、傍記や傍注が本行の本文に混入することによって、書写本における異文が発生すると考えられる。安易に書写しながら本文は改変されてきた、とは言うべきではない。
 ■「須磨」のなぞり(資料1〜14)■(全六四例)
  (中略)
 ■「鈴虫」のなぞり(15〜18)■(全一九例)
  (中略)
 ■「蜻蛉」のなぞり(19〜30)■(全一七四例)
  (中略)
《なぞられた文字が判読できるか》
  (中略)

 この私の発表に対して、次の3つの視点からの質問を4人の方から受けました。これについては、後日ウエブ公開する論稿にもお答えを掲載する予定です。
 「檜製糸罫の実態」/「変体仮名の字母のパターン」/「変体仮名翻字版は良い」
 特に「檜製糸罫の実態」については、日向一雅先生からもお尋ねを受けました。江戸時代以前のものが確認できていないことをお答えしました。この糸罫について、詳しいことをご存知の方は教えていただけると幸いです。

 また、翻字された文字の計測をする文学研究用のツールについての確認を受けたので、来週をメドに公開する予定です。楽しみにお待ちください。

 現在私は、自分の研究内容と成果を印刷物にして配布することに疑念を持っています。手間と時間を考えると、いつでも誰にでも自由に読んでもらえるウエブ投稿を率先して実践しています。今回の発表も、豊島先生の科研報告書に掲載してもらうかもしれません。しかし、その前に、まずはウエブに公開するつもりでいますので、今回の発表内容の詳細はもう少しお待ちください。
 
(5)三条西家源氏学における本文と註釈の形成史(上野英子)
 今回の発表の内容は、おおよそ次のものでした。問題点の広がりと流れをよく伝える発表でした。
 「本文と注釈と校訂」の変遷/「流布本の証本になったこと」/「新しい発展につながるのか、本文提供のあり方を期待」/「極楽寺入道本とは何か?」
 
(6)東海大学桃園文庫蔵零本「浮舟」巻本文の位置(上原作和)
 今回の発表は、豊富な資料での論証/「諸本の整理が難しい」としながらも諸本のマッピングを提案/「脱文と補入」/「蓬左文庫本を軸にしての再検討を」というものでした。私と問題意識が重なり合うこともあり、刺激的な内容でした。
 
 最近、外食中に腹痛になることがあります。今日もその不安があったので、懇親会でみなさまにご心配をおかけしないようにと思い、勝手ながら欠席させていただきました。
 みなさま、失礼しました。
 またの機会を楽しみにしています。
 よいお歳をお迎えください。
 
 
 

2015年12月18日 (金)

ハーバード本「須磨」の翻字の一部を訂正します

 明日おこなわれる國學院大學での研究発表の準備をしていて、翻字で補訂すべき箇所が見つかりましたので、ここにその補正例を報告します。

 いずれも、なぞった文字は直下の一、二文字に意識が滞留したために、思わず知らず写し忘れていたことに起因するものです。

 ここで補正を加えるのは、従来の翻字方法で刊行した、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」』(伊藤鉄也編、新典社、2013年)と『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』(伊藤鉄也・阿部江美子・淺川槙子 編著、新典社、2015年)の巻末に収載した「変体仮名翻字版」における翻字です。

 以下にあげる5例すべてが間違った翻字だというのではなくて、なぞりの部分に関してその箇所に書かれている文字の認定の問題から発生した補正です。

 「鈴虫」と「蜻蛉」については、後日追記する形で報告します。
 
 

(A)「遍多てしよ那と/し&し」(「須磨」8ウL3)


151219_hedatesi


 これは、「遍多てし」と書いたつもりが、「てし」の「し」に目が走ったためか「て」が字形をなしていないことに、書写者がすぐに気付いた箇所です。
 そこで、不十分な字形の「て」をあらためて墨を継ぎ足して「て」にし、その次に丁寧に「し」を書き続けています。
 したがって、前掲書の翻字は「遍多てしよ那と/てし〈判読〉&てし」と訂正したいと思います。
 
(B)「【侍】る尓/し&る」(「須磨」5オL2)


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 「侍るに」の「る」は、「し」をなぞったものとして前掲書では翻字しました。しかし、なぞりに関する調査をもとにした検討結果を踏まえて再確認すると、「侍尓」と書いた後、すぐに「尓」を「る」になぞったものだと考えられます。
 したがって、翻字を「【侍】る尓/尓&る」と訂正したいと思います。
 
(C)「那く/△&く・うち」(「須磨」9オL6)


151219_nakuuti


 「那う」と書いた後に「うちすし」と書こうとしたようです。「那」の次の「う」が、それに続く「く」を書き飛ばしたための「う」であり、しかも曖昧な字形となっています。書写者はすぐにここが「那く」であることに気づいたものと思われます。「う」に目がいったために「那う」と書いてしまったのです。
 したがって、ここの翻字は、「那く/う&く」と訂正したいと思います。
 
(D)「あけ尓あさ可ら須/前あ$、△&け」(「須磨」9ウL2)


151219_akeni


 これは、「あけに」と書くときに、続く「あさからす」の「あ」に目がいってしまい、「あ佐」と書こうとして「佐」の途中で筆を止めたものと思われます。すぐに間違いに気づき、「あさ」の「あ」をミセケチにした後に、書き止しの「佐」を「け」となぞって「尓」と続けているのです。
 翻字としては、「あけ尓あさ可ら須/前あ$、佐〈書止〉&け」と訂正したいと思います。
 ここで付加情報として記述した〈書止〉という符号は、今回新たに設定するものです。今後の「変体仮名翻字版」では、この記述を取り込んだ翻字方針で臨みたいと思います。
 なお、「佐」については、本書には次の字形が散見するので、一例だけをあげておきます。


151219_sama (1ウL8)



 

(E)「ことも/こ&こ」(「須磨」9ウL3)


151219_kotomo


 これは、「ことゝも」と書いてしまい、すぐに「と」の次が踊り字ではないことに気づいたようです。「ことゝ」を「こと」となぞって、直下の「も」に続けた例です。
 翻字を「ことも/ことゝ&こと」と訂正したいと思います。
 
 
 
 

2015年12月17日 (木)

藤田宜永通読(25)『探偵・竹花 再会の街』

 探偵・竹花シリーズの第3弾です。


151211_saikainomati


 このシリーズは、次のラインナップとなっています。
 (3)が本日の記事、(4)と(5)がこのブログで取り上げた記事です。

(1)探偵・竹花とボディ・ピアスの少女(1992年12月 双葉社)
  【改題】探偵・竹花 ボディ・ピアスの少女(1996年4月 光文社文庫)
(2)探偵・竹花 失踪調査(1994年4月 光文社 / 1998年7月 光文社文庫 / 2012年2月 ハルキ文庫)
(3)【本記事】探偵・竹花 再会の街(2012年2月 角川春樹事務所 / 2015年5月 ハルキ文庫)
(4)探偵・竹花 孤独の絆(2013年2月 文藝春秋 / 2015年8月 文春文庫)(2014年07月03日)
(5)探偵・竹花 潜入調査(2013年10月 光文社)(2015年10月06日)
(6)探偵・竹花 帰り来ぬ青春(2015年1月 双葉社)

 開巻早々、誘拐犯との乱闘シーンに引き込まれます。そして、おもむろに登場人物や状況が語られます。
 このテンポのよさが藤田作品の特色です。

 ただし、登場人物が多彩すぎる上に各人物の特色が見定め難いため、話になかなか集中できません。

 さらに、中盤からは話がだらだらと引き延ばされるだけです。
 前半のおもしろさが持続せず、駄弁による水増し小説と化してしまいました。

 後はお決まりの、事件とドタバタ劇に関する辻褄合わせの回想談となります。
 作者は、必死に話を盛り上げようとしています。しかし、時すでに遅し。
 読者である私は、さっさと読み終わって本をしまうことしか考えていません。

 藤田宜永の探偵小説も、これは最低ラインを下った残滓となっています。
 1992年の『探偵・竹花 ボディ・ピアスの少女』から1994年の『失踪調査』を経て、この第3弾は20年ぶりの再会編でした。その意味では記念すべき作品なのに残念です。
 この前後の話は、またの機会としましょう。【1】
 
 
※『探偵・竹花 再会の街』(2012年2月、角川春樹事務所)
 
 

2015年12月16日 (水)

吉行淳之介濫読(15)「娼婦の部屋」「寝台の舟」

■「娼婦の部屋」
 役立たずになった学生服を身に付けて、大臣夫人へのインタビューに出掛けるところから始まります。
 そして、抑圧された怒りを爆発させるかのように、娼家で秋子の躯に向かうのです。
 秋子は、娼家から商事会社へと、部屋を移ります。しかし、すぐに戻ってきます。
 その秋子の部屋が、私の安息の場所となるのでした。
 やがて、秋子はバーに身を移し、またそこから姿を消します。
 男が出入りする町や娼家や部屋を通して、そこに棲息する女たちがうつろう姿を描き出しています。
 秋子の背後にいる黒田という男の存在が気になりました。
 この作品は、「吉行淳之介濫読(11)「原色の街」」(2013年07月21日)の流れを受けた娼婦ものです。【3】
 
初出誌:『中央公論』昭和33年9月
 
 
■「寝台の舟」
 「ねだいのふね」と読むことを、文中のルビで知りました。
 男同士が大きなベッドで交わす言葉が楽しいのです。
 吉行淳之介は、よく童謡を作品に取り入れています。
 作中で引かれる童謡「寝台の舟」の意味することが、まだ私にはわかりません。
 主人公が女学校の先生だというのも、よくわかりません。
 好奇心がしだいに優しさを理解するようになります。
 いわゆる男娼との話で、感覚的な世界が語られています。
 何度か読んでいるはずなのに、いまだによくわからないままです。【2】
 
初出誌:『文学界』昭和33年12月
 
 


2015年12月15日 (火)

車中でスマホ列に挟まれて文庫本を読む

 通勤で私が電車に乗っている時間は、だいたい1時間半ほどです。
 その間は、カバンから取り出しやすい文庫本を読むことにしています。

 ほとんど座れる経路なので、私はシートで本を読みます。
 立ったままの時は、吊革を持ちながら読みます。

 最近は、本を取り出す前に周りを見渡すようにしています。
 スマートフォンや携帯電話を操作する方が多いので、そのスマホ列の間に挟まって本を手にするのが、場違いな雰囲気の時があるからです。
 自分だけが孤立したくないのと、スマホ集団と化した若者たちの中で、目立ちたくないという思いもあります。
 この、車中で本を読むことが目立つようになった、ということ自体が、社会の変化に違いありません。

 今日も、目の前の横長のシートには、スマホを弄る人々が居並んでおられました。中に一人だけ、ノートパソコンを操作しておられる方も。
 たまたま、シートの真ん中に座っていました。偶然なのでしょうか、私の両側はみごとにスマホ列となっていました。

 そんな中で、印刷物としての本を取り出すのは、なんとなく気遅れします。
 しかし、読みかけの本を帰りまでに読み終えたいので、勇気を出してカバンから取り出しました。
 自然に本を取り出して読み出せないのは、周りの方々と違う行動をするからなのでしょう。悪いことをするわけでもないのに、変な心理が働きます。

 電車の中で印刷された本を読むことが珍風景となったのは、東京では3年前あたりからではないでしょうか。

 みなさんが電子本を読んでおられるのではありません。
 ほとんどの方がゲームのようです。
 インターネットで調べ物や、メールの遣り取りをしている方も多そうです。

 公園や喫茶店を通りかかった時、本を読んでいる人を見かけることがよくあります。
 街中の読書スペースが、近年は移り変わったのでしょうか。

 車中でしばらく読んでいて、本のページをめくる時に顔をあげました。すると、いつからか私の前に立っておられた5人の方が、選りによって、みなさんスマホの操作をしておられました。
 思わず、どきっとしました。私に呪いでも掛けようとしておられるのでは、と思ったからです。

 こうした光景は、心臓によくありません。

 もくもくと操作をしておられる方々を眺めるのは遠慮して、自分も本を読むことに集中することにしました。
 隣がガチャガチャと音楽を聴く人でないかぎり、車中でスマホに熱中している方の隙間で本を読むのは、意外と集中できることを実感しました。
 
 
 

2015年12月14日 (月)

読書雑記(150)水上勉「有明物語」「三条木屋町通り」

 この短編小説2編は、『越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん』(新潮文庫、平成16年9月2刷)に収載されているもので読みました。


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■「有明物語」
 奥信濃の紬織りの家に生まれ育ったみんの話です。
 昭和10年代のことです。
 みんの母の物語には、感情移入してしまいます。
 また、みんのその後の美しくも哀れな話は、読み進む内に心が清らかになっていきます。
 水上文学の精髄が注ぎ込まれた作品です。【4】

『有明物語』(昭和40年9月、中央公論社)に収録

■「三条木屋町通り」
 三条木屋町を舞台にした、男と女の愛憎劇です。
 水上らしい、風景と情愛が渾然一体となった作風とは違います。
 さらっとした、明るさのある仕上がりです。
 それがかえって、三条界隈の雰囲気を伝えてくれます。
 使用人の雛子の父が現れてから、物語は急に生き生きとして、厚みが増します。
 意外な展開となっても、淡々とかたられていくのが、水上の特徴だといえるでしょう。【4】

『三条木屋町通り』(昭和39年7月、中央公論社)に収録

 

2015年12月13日 (日)

読書雑記(149)水上勉「越後つついし親不知」「桑の子」

 この短編小説2編は、『越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん』(新潮文庫、平成16年9月2刷)に収載されているもので読みました。


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■「越後つついし親不知」
 昭和12年、越後から伏見へ出稼ぎに行っていた杜氏の話です。
 瀬神留吉は、働き者で器量よしのおしんを嫁に迎えていました。
 杜氏仲間だった佐分権助は、母が危篤との報で一人雪の中を越後に帰ります。その途次、悪夢の出来事が起こります。
 この話はどうなっていくのだろうと、その後の展開を自分なりに考えてから、また読み出しました。
 その結果は、私の予想とはまったく違うものでした。作者には、もっと語ってほしいと思いました。特に、おしんの気持ちを。【3】

『西陣の蝶』(昭和38年5月、中央公論社)に収録

【映画】
製作:1964年
配給:東映
監督:今井正
[キャスト]
佐分権助:三國連太郎
瀬神留吉:小沢昭一
おしん:佐久間良子
九谷育三:田中春男
佐藤:佐藤慶
伊助:殿山泰司
山田:杉義一
おさと:清川虹子
おいし:北城真記子
留吉の母:北林谷栄
伊助の母:五月藤江
おしんの母:木村俊恵
坊ちゃん:石橋蓮司
飯屋の親爺:中村是好
客の遠藤:東野英治郎
古谷きよ:高橋とよ
大地主の旦那様:松村達雄
大地主の奥様:沢村貞子
沖中専造:松本染升
近迎えの花婿:明石潮
卵買いのおばさん:山本緑
中書島の女:谷本小夜子、相生千恵子 
 
 
■「桑の子」
 毎年2月に行われた、若狭国大飯郡の「釈迦釈迦」という奇妙な行事の話です。
 明治30年代のことです。
 そこで、「桑の子」という異形の子のことが記されています。
 日本の寒村における習俗を語り伝えるものとして、興味深い貴重な話と言えます。
 物事を肯定的に見る、日本の伝統文化の一面が垣間見えます。【3】
 
初出誌:『小説中央公論』昭和38年12月号
『有明物語』(昭和40年9月、中央公論社)に収録
 
  
[付記]
 「桑の子」の話は、上記「越後つついし親不知」が映画化され、その後に人形劇、現代劇、独り芝居となる際に、作者は乱暴者の権助を「桑っ子」として設定します。その意味でも、この2作は通底する物語の要素を持っています。
 
 
 

2015年12月12日 (土)

国際連携研究の第3回目は「時間を翻訳する」でした

 本日、国際連携研究の一環として実施してきた、第3回国際シンポジウム「日本文学のフォルム」が国文学研究資料館で開催されました。
 今回のテーマは「時間を翻訳する」です。


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 この国際連携研究の代表者となっている私は、最後に過去3年間全3回の総括と閉会の辞を述べることになっていました。しかし、盛会だったこともあり終了の時間が延びていて、予定していた内容を大幅に割愛してご挨拶に代えました。

 以下に、用意したままで本日はことばにしなかったことを、ここに記録として残しておきます。
 少し硬い内容となっているのは、そうした理由によるものです。

 この国際連携研究は、日本文学の国際的な共同研究を促進するために、国文学研究資料館が先導的に推進してきたものです。

 国文学研究資料館では、これまでに「国際日本文学研究集会」を毎年実施し、海外の研究者との国際交流を図ってきました。これは、先月開催された集会で第39回を数え、国際的な日本文学研究集会としては老舗という位置づけがなされているものです。

 そこで、従来の研究を踏まえてさらに発展させるべく、明確なテーマを設定して、学術交流協定を締結している海外諸機関や大学との間で、新たな共同研究を開始することになりました。
 日本文学の時代や分野という領域に限らず、学際的・国際的な視野からの研究の創出を目指そうとするものです。

 この研究集会は、平成25年より次の3つのテーマを設定し、各年度に海外から招いた研究者の研究発表およびシンポジウムを通して、海外における日本文学研究の実態を踏まえた共同研究を深める一助とすべくスタートしました。


【第1回】平成25年度〔平成26年1月11日開催〕
 《もう一つの室町―女・語り・占い》
 [担当:小林健二教授]
 日本国内外の研究者が共有しやすいテーマであり、言語に縛られない幅広い議論の展開がなされました。

「国際シンポジウム「日本文学のフォルム」が開催されたこと」(2014年01月11日)
 
【第2回】平成26年度〔平成26年12月6日開催〕
 《男たちの性愛―春本と春画》
 [担当:神作研一教授]
 最近とみに注目を集めているテーマだけに、多くの参加者が共同討議を通して異文化間の理解を深める交流の場となりました。

「盛会だった国際シンポ「男たちの性愛―春本と春画と―」」(2014年12月06日)
 
【第3回】平成27年度〔本日、平成27年12月12日開催〕
 《時間を翻訳する》
 [担当:谷川惠一教授・野網摩利子助教]
 近代文学からの視点で、翻訳と時間について考えました。日本古典文学を研究対象とすることの多い国文学研究資料館での開催ということで、新たな知的刺激と好奇心が掻き立てられました。

 本国際連携研究では、毎回数人の海外からの研究者を招き、日本の研究者とのディスカッションを展開する中で、日本文学が持つフォルムやスタイルを多角的に解明してきました。さまざまな視点からの研究報告と議論は、発表者と参加者がお互いを刺激し合う意味からも、今後の新たな国際研究交流に資するものとなったはずです。

 また、国文学研究資料館と学術交流協定を締結している各国の研究機関との具体的な研究交流の実践ともなりました。

 なお、各回とも展示室における小展示とリンクさせて、テーマにふさわしい館蔵の絵画資料等を、小規模ながらも用意して実施するように配慮しました。

 3年間で、3回の研究発表とシンポジウムと小展示を実施したことになります。
 その成果は、最終年度末である平成28年3月末に、一冊の報告書として編集し刊行することになっています。これによって、海外を含めて多くの研究者の方々と、日本文学研究に関する情報の共有を図ることとなります。
 参加できなかった方々には、この報告書で全3回の内容を追体験していただくことになります。

 本日のプログラムは以下の通りでした。
 各発表に対するコメントは、私の独断によるものであることをご了承願います。
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開会の挨拶(今西祐一郎館長)

趣旨説明と講師紹介(野網摩利子助教)
 
第1セッション
スティーブン・ドッド先生(ロンドン大学)
「梶井基次郎におけるモノの歴史」

*モダニズムと翻訳について、日頃は意識していないことを取り上げてくださったので、非常に刺激的でした。個人的には、梶井基次郎の作品における京都の存在に注意が向きました。
 
第2セッション
谷川惠一先生(国文学研究資料館)
「テクストの中の時計 ―『クリスマス・キャロル』の翻訳をめぐって」

*明治20年以降の翻訳を通して見た当時の時計の描かれ方は、非常に興味深いものでした。私は、アップルウォッチのありようと今後に想いを巡らしました。
 
第3セッション
林少陽先生(東京大学)
「近代中国の誤読した<江戸>と<明治>―漢字圏の二つの言文一致運動の関連」

*日本の文字の問題や言文一致運動について、中国からの視点で興味深くうかがいました。個人的には、井沢修二が国語を五十音で統治教育することを、中国に対して言及していることでした。

 最後に、コメンテーターとして参加していただいた、河野至恩先生(上智大学)・山本史郎先生(東京大学)・安田敏朗先生(一橋大学)を交えて、総合討議を行いました。また、会場からの質問をもとにして、活発な質疑応答がなされました。

 この3回の研究集会開催にあたっては、機関研究員である谷川ゆきさんの献身的な尽力があったことも記録しておきます。ありがとうございました。お疲れさまでした。
 
 
 

2015年12月11日 (金)

読書雑記(148)西野喬『壺切りの剣─続 防鴨河使異聞─』

 西野喬『壺切りの剣─続 防鴨河使異聞─』(郁朋社 、2015年3月)を読みました。


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 前作『防鴨河使異聞』(2015年07月29日のブログ掲載)を受けて物語は展開します。

 ただし、賀茂川が現在の位置に改修されたとする「つけかえ説」の立場に固執しておられるようで、最新の研究が踏まえられていません。
 前作について書いた上記ブログの後半で、このことは指摘しています。

 本作でも「つけかえ説」の記述がなされているので、その箇所を引用しておきます。


 造都に際して、長安の構図に固執するあまり、幾筋にも分かれて流れていた賀茂川を一ヶ所に集め都の東端に北から南にほぼ一直線に堤防で押し込めた。(中略)
 降雨で河水が増すと元の流路に戻ろうとする賀茂川、それを押え込むための堤防。(26~27頁)

 また、京洛の描写が、これは仕方のないこととはいえ、調べて書いたという匂いが充満しているのが気になりました。手探りで物語の展開を謀っているような口吻も同じです。

 佐渡に島送りとなる致忠と、東国から任果てて帰洛した保昌が朱雀大路で遭遇する場面は圧巻です。政治の実態と人間の情愛が交錯する、作家にとっては腕の見せ所です。
 しかし、これが残念ながら空回りしてしまいました。
 ここでこの邂逅を固唾をのんで見守る群衆が生き生きと描かれていることは特筆すべき力量が示されているといえます。しかし、個人の感情などが描けていないのです。惜しいことです。もっと人の心の襞を描くことができたら、次の展開がさらにおもしろくなったことでしょう。

 作者は群衆を描くのが得意のようです。御霊会で山車を先導する无骨法師とそれに付き従う民衆の躍動感も秀逸です。ただし、この特質が、作品全体に及んでいません。

 和泉式部の出家の段も、視点がおもしろいと思いました。
 その直後の『源氏物語』に関する記述の後半で「第一巻、紫の上」とあるのは、何か勘違いをなさっているようです。


ちなみに、五年前、すなわち長徳五年(九九八)、藤原宣孝と結婚した藤原為時の女は藤式部と呼ばれ、三年後、宣孝が急逝すると、傷心を胸に『源氏物語』の筆を起こし、五年後に宮中に召されて中宮彰子に仕え、その物語が評判になる。源氏物語「第一巻、紫の上」にちなんで紫式部と呼ばれるようになった。(152頁)

 「長保一年」(207頁)とあるのも、「長保元年」というのが普通かと思います。

 さらには、「侍尚」に「ないし」と振り仮名を付し、『麗景殿の侍尚』と言っています(262頁)。これは、「尚侍」の勘違いではないでしょうか。
 その後、『麗景殿の尚侍』と表記して、「ないし」と振り仮名が付してあります。校正でのチェック漏れなのでしょう。
 話が佳境に入った場面でのケアレスミスは、読者の集中力を途切れさせます。

 源頼定の経歴を述べる箇所で出典として明記される『公家補佐』という資料名も、どのようなものなのか不明です(275頁)。『公卿補任』の間違いではないでしょうか。

 『大鏡』からの引用文「乳をひねりたまえりければ、」(276頁)の「たまえり」は大丈夫でしょうか? 巻末の参考文献にあげてある『大鏡』(保坂弘司、講談社学術文庫、一九八一年)が手元にないので確認はできていません。しかし、その他の校訂本文のすべては「たまへり」です。

 次の、「朱雀大路を北に走った。」とあるのは、正しくは「南」だと思います。


吾は射場を抜け出すと朱雀大路を北に走った。羅城門跡を通り抜け、京外にでると摂津まで行き、そこに身を隠した。(328頁)

 洛中から朱雀大路を走って羅城門跡を通り抜け、京外に出て摂津まで行くのですから。
 北上すると、大内裏にぶつかります。

 三条橋や五条橋の改修の話が何度も出てきます。しかし、これらは記録によると、桃山時代の天正年間に架けられた橋のようです。
 その五条橋にしても、松原通りや六条通りの橋と移し替えがあったので、この平安時代の橋の位置は特定が難しそうです。それらの実情を無視した設定に、違和感を覚えました。
 四条橋のことはあまり出ません。これは、平安末期なので、道長の時代には簡素な板橋をつなげただけのものだったのではないかと思われます。

 平安時代の土木技術についても、過小評価がなされているように思いました。
 このあたりは、事前調査に遺漏はないでしょう。しかし、不安に思いながら読み進みました。

 賀茂祭に関する記述で、「着飾った人々の行列が大路小路を練り歩いたのち、上賀茂、下賀茂の両神社に詣でるこの大祭」とあるのには、地元民としては違和感を持ちます。
 今の行列は、下鴨から上賀茂に移動します。
 神社の名前は、今は一般に下鴨神社、上賀茂神社と表記しています。
 この物語が設定している平安時代がどうだったのかは、現在と違うのであればそのように説明を加えて語るべきでしょう。作者自身が混乱したままで語っていては、読者は途方に暮れます。

 最後に掲載されている「おもな参考文献」に「和田秀松」とあるのは「和田英松」の間違いです。

 なお、「追討宣司」(311頁)とあったので、これは「追討宣旨」の間違いではないかと思いました。しかし、この語はその後にも10回も出てくるので、あらためて調べ直したところ、「宣司」とも言うことを知りました。
 『僧官補任』(385頁)という言葉も、私が知らなかったために辞典で調べ直しました。これでいいようです。

 こんな調子で、物語が進むにしたがって、その行間に目をやりながらも出てくる語彙の使われ方や表現などに不安を覚えました。途中で事典などを取り出して調べたりしました。
 作品を読みながら注意が散漫になると、物語の内容に集中できなくなります。それやこれやで、困りながらもどうにか読み終えました。

 それはさておき、賀茂川原での闇夜の戦いは、読む者を惹きつけてはなさない迫力があります。作者の力量が伝わってきます。この点は、高く評価できるものの、全体的には表現のアンバランスな点が気になりました。

 本書の核心をなす「壺切りの剣」が、最後の最後になって物語を腰砕けにします。無力な張りぼてのような刀として扱われているのは、読者に失望感を与えるものです。もっとしっかりとした構想の下に語り納めてほしいものです。

 文章において、場面設定で濃淡がありすぎました。また、構想がぐらついていました。部分的におもしろい作品となっていたのは、こうした点に完成度を高めることができなかったからだと思います。

 その意味では、次の宣伝文句は、私にとっては、あまりおもしろくない箇所を列記したもののように思えます。


平安中期、『壺切りの剣』をめぐって大盗賊袴垂保輔、和歌読みの名手和泉式部、冷泉天皇、藤原道長等が関わり絡み合い、やがて前代未聞、意表を突いた結末をむかえる。第13回歴史浪漫文学賞創作部門受賞作品シリーズ第2弾!

 本作のおもしろさは、河原に住まう民衆が描けているところだけです。【2】
 
 
 

2015年12月10日 (木)

日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その25)

 日比谷公園の中にある日比谷図書文化館は、すでに黄葉の絨毯の中にあります。


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 今日の翻字者育成講座は、まず「難波津」の歌を記した木簡が出土したニュースから。
 京都新聞・毎日新聞の記事を使って、先月の講座の翌日27日(金)に京都市埋蔵文化財研究所から発表された内容を確認しました。京都市内で発見された木簡には、「難波津」の歌がほぼ全文書かれていたのです。全文の文字が見つかったのは初めてのことです。
 その一部を拡大して掲示します。


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 ここには、「能」だけが変体仮名で書かれており、後は明治33年に一字に統制された現今の平仮名の字形や字母です。

 これまで、平仮名は女手といって、女性が作り育てて使っていたと説明してきました。
 しかし、9世紀後半の木簡に平仮名で書かれた「難波津」の歌が、しかも今回はその全文が見つかったのです。今の平仮名に非常に近いものです。
 この左側には、この歌の注釈かとも思われる文字列が書かれています(ここでは省略)。

 3年前の11月には、右大臣藤原良相(813~867)の邸宅跡から、「ひとにくしとおもはれ(人憎しと思はれ)」と読めるもの等、平仮名40文字が書かれた皿が見つかりました。
 今回の木簡は、良相邸の皿よりも30年ほど新しいのではないか、とも言われています。
 となると、平仮名は女性の専売特許とは言えなくなりそうです。木簡に文字を書いていたのが、女性だったとは思えないからです。
 草仮名や平仮名がどのようにして完成形に至ったのか、今後の専門家の研究を待ちたいと思います。

 次に、変体仮名の国際標準化に関する資料が公開されたのを受けて、その簡単な説明をしました。
 変体仮名の国際文字コードの提案については、先々月10月19日から23日の間、島根県松江市において松江会議が開催されました。その報告が、IPA情報処理推進機構のページに、やっと掲載されました。

 以下のサイトから、議事録や会議報告などが読めますので、変体仮名の今後の動向に興味をお持ちの方はぜひご覧ください。

「平成27年度第2回 文字情報検討サブワーキンググループ」

 私も、十分に理解できていません。今日は、この報告書の一部を確認しただけです。今後の推移を見守ることにします。
 とにかく、日本の文字の使われ方において、今後は変体仮名が情報交換用の文字として社会生活に浸透することは明らかです。
 こうした動きを、文部科学省はどうするのでしょうか。いつまでも、我関知せず、で押し通すことはできないと思われます。
 その動向が、非常に気になるところです。

 『小説神髄』の初版本における、変体仮名の表記の確認もしました。


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 これまでに、明治4年の『学問のすゝめ』、昭和8年の『春琴抄』を見てきました。それに続いて、明治18年の『小説神髄』の冒頭部分を確認したのです。
 「に」が「尓」「丹」「仁」と、3種類もの字母で書き分けられています。この使い分けに何か法則性があるのか、専門家の説明を探しているところです。

 ハーバード本「蜻蛉」の翻字の確認については、21丁裏から22丁裏までを終えました。

 今日見たところで判断に窮した箇所は、次のような文字でした。


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 左端の「尓多る」(21ウL1)については、『ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「蜻蛉」』の翻字では「かたる」として、なぞられている「か」の下の文字は不明(△)とし、その右横に「に(傍記)」と書かれているとしました。
 しかし、その後の検討を経て、『国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」』に巻末資料として収載した「変体仮名翻字版(「蜻蛉」)」では、「尓多る」として、なぞられている「尓」の下の文字は「可」とし、その右横に「尓」が傍記されている、と変更しました。
 このなぞりは、その墨の色から推測するに、本行を書写しているときにすぐに施したものではないように思われます。当座は「かたる」と書かれており、時間の経過があってからなぞりと傍記がなされたのではないか、と私は見ています。

 次の2例の「あ者れ尓」については、「者」と「尓」が紛らわしい字形となっています。
 「尓」は、その下の例にある「所れも」の「所」とも紛らわしいものです。
 その下段の隣に掲げた「者ゝ」についても、しばし考え込む字形です。
 「古ゝ」(22オL7)も、すぐには読み取れない字形です。
 「こと尓可」(22オL10)は、一文字ずつを切り分けるのが大変な文字列となっています。
 その下段の「こゝ」も、どこまでが一文字なのか困る例です。

 写本が読めるようになっても、常に判読に苦しむ文字はついて回ります。
 文章の流れや意味から判断することが、当座の解決策です。それでもすっきりしないときは、他の写本がどのような語句を伝えているかが、解決の糸口を与えてくれます。

 いずれにしても、一文字でも多く翻字をしておくと、こうした紛らわしい文字に出会ったときにも、参考になるはずです。

 場数を踏んで、さまざまな文字に対応できる柔軟な目力と、古典を読む力を養っていきましょう、ということに尽きそうです。

 帰りに乗り換える大手町駅では、少し休憩してから帰ることがあります。
 今日は電飾で飾られたツリーがきれいだったので、写真に収めて来ました。


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 上の階からも見ることができたので、高所恐怖症の私ですが身体の震えを我慢しながらシャッターを切りました。


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 気分転換に新鮮な空気を吸おうと戸外に出ると、粋なライトアップを目にしました。


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 おしゃれな東京を満喫してから、帰路につきました。
 
 
 

2015年12月 9日 (水)

2015年度日本研究功労賞記念講演会で上野へ

 「第5回 人間文化研究機構日本研究功労賞 受賞記念講演」が上野公園の中にある日本学士院でありました。

 公園の黄葉は、今が一番いいようです。


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 振り返ると、スカイツリーの尖頭部が見えました。


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 この地に足を運んだのは、一昨年の林文月先生の授賞式以来です。

 その日のブログ「日本学士院での林文月先生の授賞式に参加して」(2013年12月10日)に記した通りです。

 今回の受賞者は、アレキサンダー・ヴォヴィン先生(Alexander Vovin、フランス国立社会科学高等研究院教授)です。

 人間文化研究機構日本研究功労賞という賞は、海外に在住し、日本に関する文学や言語、歴史や民俗・民族、文化や環境などの研究において、学術上特に優れた成果をあげた研究者に対して授与されるものです。。
 YKK株式会社の協力を得て、毎年行われています。

 今回のヴォヴィン先生は、日本語日本文化の研究を通して国際交流に功績があった、ということでの授賞です。

 ヴォヴィン先生は、『万葉集』の新しい英訳をイギリスの出版社から刊行中です。現在5巻まで完成しているとのことなので、完結が楽しみです。

 今日は、9世紀までの日本語とアイヌ語を中心にして、その関係性について多くのことを学びました。
 日頃聞きなれない、「上代東国日本語」「上代大和言葉」「上代中央日本語」「琉球祖語」「アイヌ語」などが話題となりました。語彙を比較しながらのお話は、その視点といい提示される用例といい、スケールが大きくて刺激的なものでした。

 興味と関心がまったく異なる分野の話は、いろいろな異文化が交錯して楽しく聞くことができます。また、情報の整理と結論への導き方のみならず、資料のまとめ方などでもヒントをいただきました。
 非常に難解な表現が頻出する論理展開には、ついていくのがやっとという局面もありました。しかし、大胆な仮説を含めて、いい勉強をさせていただきました。
 日頃の殻を抜け出して、こうした異分野の話を聞くことは、機会がある限り続けていきたいと思っています。
 
 
 

2015年12月 8日 (火)

『源氏物語』の本文に関する豊島科研の研究会(ご案内)

 年末の恒例となった、豊島秀範先生の科研による公開研究会に関するご案内です。

 豊島秀範先生が取り組んでおられる科研費研究の基盤研究(C)「源氏物語の新たな本文関係資料の整理とデータ化及び新提言に向けての共同研究」では、第2回となる共同研究会を、平成27年12月19日(土、13:00〜18:00)に開催されます。会場は、國學院大學120周年記念2号館1階2102教室です。
 科研Aの時から通算で22回目となります。

 本文研究の分野は、研究者が極端に少ないのです。
 そうした中で、こうして研究が続けられているのですから、その成果も着実に積み重ねられています。
 地道な基礎研究です。
 すぐには成果が見えてきません。
 資料作成には手間がかかります。
 しかし、こうして長く続けていくうちに、若者が興味を持ってもらえることを願って、倦まず弛まず研究会は続いているのです。

 この研究会では、『源氏物語』の研究の中でも、源氏物語の本文関係の資料を扱った研究の最新の成果が提示されます。
 今の若い研究者には、このような研究があることを知る、よい機会かと思います。
 参加は自由ですので、お気軽にお越しください。
 研究仲間が限られているので、多分に内輪の集まりという雰囲気があるかと思います。
 しかし、会場にいる者に声を掛けてください。
 いろいろなことが教えてもらえて、得るものが多い時間を共有できるはずです。

 今回は、次の研究発表が予定されています。


河内本の本文の特徴―「若紫」巻を中心に―(豊島秀範)

「おぼす」と「おもほす」の偏向(神田久義)

類義語と本文異同(中村一夫)

字母から見たハーバード本「須磨・蜻蛉」と歴博本「鈴虫」(伊藤鉄也)

三条西家源氏学における本文と註釈の形成史(上野英子)

東海大学桃園文庫蔵零本「浮舟」巻本文の位置(上原作和)


 
 
 

2015年12月 7日 (月)

2013年版のオランダ語訳『源氏物語』

 いろいろと行き違いや手続きの煩雑さから、なかなか入手できなかったオランダ語訳『源氏物語』(Het verhaal van Genji)が、先月ようやく手元に届きました。
 ただし、ハードカバー版ではなくて、ペーパーバック版の方です。
 次の写真は、2冊本の内の右が表表紙、左が裏表紙です。


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 これから、この本の解題を現地の方にお願いしますので、詳細は後日になります。

 オランダ語訳『源氏物語』について、現在鋭意更新しながら構築中の「データベース 『源氏物語』翻訳史」(科研Aの HP)を見ると、以下の情報が検索できます。


西暦/元号/言語/重訳の有無/翻訳者/題名/翻訳範囲/備考/出版社

(1)1918/大正7/オランダ語/〈重訳〉/Marinus Willem de Visser(末松謙澄訳)/『Die Genji Monogatari』//※翻訳開始/A. Langen

(2)1930/昭和5/オランダ語/〈重訳〉/Ellen FOREST(Arthur Waley訳)/『Het Verhaal van Prins Genji』/「桐壺〜葵」//Holkema & Warendorf

(3)1969/昭和44/オランダ語/〈重訳〉/Hans Cornelis ten Berge(Arthur Waley訳)/『Yugao』/「夕顔」/※底本:Arthur Waley『The tale of Genji』、5つの能楽作品の翻訳も掲載/

(4)2000/平成12/オランダ語/〈重訳〉/Hans Cornelis ten Berge(Edward G. Seidensticker訳)/『Avondgezichten』/「若紫・花宴・葵・賢木・花散里・須磨・明石」/底本:Edward G. Seidensticker『The Tale of Genji』/Meulenhoff

(5)2008/平成20/オランダ語//Jos Vos/『Eeuwige reizigers』/「賢木・若紫・乙女・御法」//Uitgeverij De Arbeiderspers

 これに、今回入手した Jos Vos氏のオランダ語訳『源氏物語』が加わることになります。

(6)2013/平成25/オランダ語//Jos Vos/『Het verhaal van Genji』/2冊本/電子本あり/

 電子本が同時に刊行されているので、これは海外での『源氏物語』の普及に追い風となることでしょう。また、日本にいる留学生にとっても、助かるはずです。

 とにかく、本という物体を確保するのが大変な上に、その物自体を日本に輸送するのに、書籍代以上に送料が高くつきます。

 私自身は電子本は読みません。というよりも、こうした外国語訳『源氏物語』は、読まないという主義以前の問題として、読めないという現実があります。
 しかし、今回の入手により、書籍が重さとして実感できたことと、異文化を理解する上で重要な意味を持つ、文化表現としての表紙を直に確認できることだけでも、ありがたいものなのです。送料は、実感を伴うための対価だと思うことにしています。

 以上、取り急ぎの報告とします。
 
 
 

2015年12月 6日 (日)

体験型学習会で点字付百人一首のお手伝い

 東京の護国寺にある筑波大学附属視覚特別支援学校で、「科学へジャンプ! イン東京 2015」というイベントがありました。

 このことは、先月下旬に「五感を使って江戸時代の百人一首カルタにチャレンジ」(2015年11月23日)でお知らせした通りです。

 昨日は、宇治で〈運読〉のワークショップのお手伝いをした後も、参加されたみなさまと情報交換を夜遅くまでやったために、今朝は早い新幹線で上京することになりましました。

 地下鉄烏丸線の駅へ急ぐ道々、北大路橋から賀茂川を見下ろすと、水が冷たくなったこともなんのそのと、鷺とユリカモメが遊び出したところでした。


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 川の東側では、土砂が堆積した中洲の整備が始まっています。
 写真中央奥には、京都五山の送り火でメインとなる、如意ヶ岳の大文字が寒そうに姿を見せています。


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 東京駅から1駅もどって有楽町駅に出て、そこから東京メトロ有楽町線で護国寺駅まで行きました。

 駅から筑波大学附属視覚特別支援学校への道は、目が見えないと大変だろうと、来るたびに思います。複雑な交差点の信号と横断歩道を渡りきっても、次は急な石段が待っているのですから。
 平らな道は大幅に遠回りになるので、みんなこの階段を使うのです。


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 校門に着くと、いつもほっとします。


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 今日の「「科学へジャンプ! イン東京 2015」は、36種類ものワークショップが各教室で進行していきます。ワークショップの担当者の他にも、補助者やボランティア学生などなど、多くの方々の支援でイベントが成り立っています。

 私は午後の部で、「点字の付いた百人一首を使って、楽しみながら、古典の世界に親しもう」というイベントのお手伝いとして、『百人一首』のお話をするのが任務です。

 埼玉県立特別支援学校塙保己一学園の先生を中心として、百星の会のみなさま、長野県立松本盲学校の先生、それに加えて筑波大学と明治学院大学の学生スタッフのみなさに助けられながら、無事に『百人一首』のカルタ取りを楽しむことができました。

 今日の内容は、「坊主めくり用カルタ」「近衛家旧蔵『百人一首』の立体コピー」「お内裏さまとお雛さまの人形」「マネキンの頭部」「塙保己一座像」「匂い袋」「源氏絵付き貝合わせセット」「点字付百人一首」などなど、多彩な小道具による演出で、中学1年生の参加者に『百人一首』の世界を多角的・立体的に味わってもらえたと思います。
 先日、東京駅で打ち合わせたことを踏まえて、無事に予定通り進行しました。

 私が選んだ10首とその現代語訳と簡単な説明は、百星の会の関場さん親子の不眠不休のおかげで、無事に点訳されてこの日に間に合い、生徒さんの手元に置いて進めることができました。

 撰歌、訳文、説明を中学生向けにわかりやすい文章にするにあたっては、生徒指導の経験が豊富な妻の力を借りました。この日のためのスペシャルバージョンです。

 ちょうど先週から私のメールが不調だったこともあり、この点訳資料の作成には、関場さんに本当にご苦労をおかけしてしまいました。ありがとうございました。

 そうした結晶としての点訳資料を、私の説明を聞きながら指を走らせて触読してくれている生徒さんの姿には、感動を超えるものがありました。
 今日の点訳を持ち帰って読むことで、さらに『百人一首』が好きになってもらえたら幸いです。

 台盤にセットして臨んだ「点字付百人一首」のカルタ取りも、回を重ねる毎にスピードがアップして、熱気が伝わるようになりました。読み手として奮闘された廣田先生も、子どもたちへの当意即妙の対応が小気味よくなされていったせいもあって、あっという間に時間が来てしまいました。

 生徒さんには、過日書道家の先生が書いてくださった『百人一首』をもとにして作成した立体コピー版カルタを、参加記念として1枚ずつ差し上げました。

 終わってから、参観しておられた方々が、持参した近衛家旧蔵『百人一首』の複製を時間をかけて興味深く触っておられました。
 確かに、こうした美術品クラスの道具は、なかなか直に手に取って見ることは叶わないものです。
 いい機会に触ってもらえて、有意義な時間をみなさまと共有できました。
 私にとっても、貴重な勉強をさせていただいたことは、みなさまにあらためてお礼もうしあげます。

 なお、本イベントの実行委員長をなさっている入試点訳事業部の高村良明先生は、私の科研「古写本『源氏物語』の触読研究」でもさまざまな視点からご教示をいただいています。
 本日ご挨拶すべきところを、運営責任者として奔走なさっていたので、そのまま失礼しました。
 またの機会にお声掛けいたしますので、今日のところはこのブログで簡単な報告にかえさせていただきます。
 
 
 

2015年12月 5日 (土)

宇治の街歩きと〈運読〉のワークショップ開催

 京都の宇治を舞台にして、「4しょく会 秋のイベント 〈運読〉で楽しむ『源氏物語』〜視覚障害者が古典文学を味わう三つの方法〜」が開催されました。
 主催は、視覚障害者文化を育てる会(4しょく会)で、宇治市源氏物語ミュージアムと、宇治観光ボランティアガイドクラブの協力を得ての大きな行事です。参加者は、北は福島県、西は福岡県に跨がって50人以上となり、当初の予定を大きく上回っての盛会でした。

 私は、宇治にゆかりの深い『源氏物語』をテーマにした内容で参加してもらえないか、という国立民族学博物館の広瀬浩二郎さんの依頼を受けて、講演とワークショップを担当しました。

 広瀬さんが配布なさったお誘いの文章から、その一部を引きます。


 目で『源氏物語』を読んできた見常者に対し、視覚障害者は「聴読」(耳で読む=録音図書)と「触読」(指で読む=点字図書)という方法で、源氏の世界にアプローチしてきました。
(中略)
 聴読と触読は視覚障害者にとって伝統的な読書法だと定義できますが、じつはその背後には見常者にも共通する「行間を読む」文化があることは重要です。今回の4しょく会イベントでは、視覚障害者発の第三の読書法として「運読」(体で読む=立体コピー)を提案します。
(中略)
 物語を書いた作者、それを筆写した老若男女の思いや息遣いを実感するためには、写本そのものを立体コピーし、指で文字をなぞる身体運動が必要です。墨で書かれた線を指先で辿る行為は、写本作りの追体験ともいえます。千年以上もの間、先人たちの手から手へと伝えられてきた『源氏物語』。その運筆(筆の使い方)の妙味を体感するのが運読なのです。
(中略)
 『源氏物語』の情景を想像しつつ、写本の立体コピーをみんなで解読してみましょう。運読をより効果的なものにするために、今回は実際に『源氏物語』の舞台となった宇治に足を運ぶ予定です。
(中略)
 聴読・触読に加え、運読というユニークな鑑賞法を獲得すれば、視覚障害者にとって古典文学は身近で豊かなものになるでしょう。

 〈運読〉というのは、広瀬さんの造語です。〈聴読〉〈触読〉〈運読〉という3つの読書方法を提示して、多くの方々の注意を惹き付けて、宇治の街歩きを織り込んでの開催です。

 まず、お昼にJR宇治駅の改札口で集合し、4班に分かれて宇治市内の街歩きを楽しみにました。
 駅前では、道路に埋め込まれていた標識の絵柄を確認しました。十二単を着たお姫さまを図案化したものです。


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 宇治橋の袂に座す紫式部像の前では、その姿を手で確認なさっている方がいらっしゃいました。


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 さらに歩いて、源氏物語ミュージアムを見学(聴学)しました。
 入口のいろは紅葉のみごとさは、言葉で説明するのが大変です。


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 ミュージアムの中では、お香体験がみなさん一番印象的だったようです。

 世界遺産の宇治上神社周辺の散策も、紅葉の中を楽しく回りました。


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 平安時代後期の本殿は国宝です。その扁額に「正一位離宮太神」と書かれていることに注意が向きました。「太神」についてボランティアガイドの方と神職の方に尋ねると、「太神」はなぜ「太」の字になっているのかはわからないとのことでした。


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 この扁額は、長く倉庫に眠っていてぼろぼろだったものを、補修をして今年の2月から元あったここに掲げているのだそうです。
 「天照大神」が太陽神であることから「天照太神」と書くこともあるので、それと関連する表記なのでしょうか。どなたか、ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

 宇治上神社から宇治神社にもお参りし、知恵の輪も潜りました。


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 宇治川では、鵜と鷺が仲良く日向ぼっこです。


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 平等院は、外から垣間見ただけです。


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 本日の講演とワークショップは、宇治市観光センターが会場です。


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 ここでの内容は、「源氏写本研究の魅力と可能性」と題するもので、用意した『源氏物語』の説明を記したプリント4頁分と、立体コピーと科研の宣伝用リーフレットを配布してお話をしました。
 今日配布した資料は、私の科研のホームページである「古写本『源氏物語』の触読研究」の中の「イベント情報/配布資料・源氏写本研究の魅力と可能性」に、その全文を公開しています。参照いただけると、宇治の地を話題にして〈運読〉の実際をみなさんとやった内容がわかるかと思います。

 今日は、「【心】うかりけるところ可な お尓なとやすむらん」という箇所を立体コピーして配布しました。
 また、その前後を、朗読したものも iPhone を使って流しました。

 みなさん、思いがけない長駆の散策でお疲れのところを、熱心に聞いてくださいました。

 その後半で、名古屋工業大学大学院生の森川恵一さんが開発した、タッチパネルによる古写本触読システムの実演をしました。


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 本邦初の公開実験ということもあり、みなさん興味深くハーバード大学本「蜻蛉」の一節を指でダブルタップして、音声による説明に耳を傾けておられました。

 例えば、「心うかりける」の「心」をダブルタップすると、「心という漢字です」という音声が流れます。次に、もう一度「心」をダブルタップすると、「読み飛ばしましょう!!」という声が聞こえるようになっています。
 私は、漢字は無視して、ひらがな(変体仮名)だけを読むシステムを構築しているところです。
 読むことが困難な漢字は、今はパスすることにしています。

 次に、「うかりける」の「う」をダブルタップすると、「うかりける の う です。うかりける は、憂し の連体形です。憂し は 物事が自分の思うようにならず情けない 嫌だ という意味です。」という説明が流れます。

 今日の初公開で、いろいろと問題点も見えてきました。
 今後のさらなる改良において、おおいに意義深い試行となりました。

 今日は好天にも恵まれ、楽しく宇治を散策できました。
 参加者のみなさま、お疲れさまでした。
 関係者のみなさまも、お疲れさまでした。
 また来年、楽しいイベントでお目にかかりましょう。

 なお、『百人一首』の〈運読〉については、福島県から参加の渡邊寛子さんにいろいろと触っていただき、有益なアドバイスをいただきました。これも、今後とも試行錯誤をする中で、変体仮名の学習システムの中に組み込んでいくつもりです。

 懇親会も多くの参加を得て、いい出会いがたくさんありました。
 今後の楽しい企画も、すでに始動しました。
 みなさん、ありがとうございました。
 
 
 

2015年12月 4日 (金)

私からの返信メールが多数送信されていませんでした

本日夕刻からのできごとです。
送信したはずなのに、相手方に届いていないと思われるメールが、数百通レベルで判明しました。

アップル純正アプリの「メール」が不調のようで、「送信済み」のフォルダではなくて「送信」というフォルダに、多くの返信メールが取り残されたままになっているのに気づいたのです。

明日と明後日のイベントに関して、関係者と連絡をしていて、私が返信・送信したものが届いていないことから、このトラブルが発生していることがわかったのです。
現在その内の判明している個別の事案に関しては、その対処に奔走しています。

もし私からの返信なり回答があるはずなのに、何も応答していないことがありましたら、私宛に確認していただけると助かります。

なお、受信メールは、すべて届いているようです。

多くの方にご迷惑をおかけしていることと思われます。
連絡をいただければ、早急に対応・対処いたします。
遠慮なく、お知らせください。
 
 

2015年12月 3日 (木)

年末開催の国際連携研究「日本文学のフォルム」

 国文学研究資料館が開催する国際連携研究「日本文学フォルム」で、第3回目の国際シンポジウムが来週末、12月12日(土)に開催されます。
 今年度のテーマは「時間を翻訳する」(担当:谷川惠一教授)です。
 開催日が近づきましたので、ここで紹介させていただきます。


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 これは、私が代表者となっているイベントであり、「国際日本文学研究集会」を踏まえてさらに発展させるべく、学術交流協定を締結している海外諸機関や大学との間で、新たな共同研究を開始する準備に着手することにしたものです。日本文学の時代や分野という領域に限らず、学際的・国際的な視野からの研究の創出を目指すものです。

 この国際シンポジウムは、これまでに以下の2回を開催しました。

・第1回 2014年1月「もう一つの室町—女・語り・占い」(担当:小林健二教授)

・第2回 2014年12月「男たちの性愛」(担当:神作研一教授)

 今回のプログラムは、次のようになっています。


国際連携研究「日本文学のフォルム」
第3回 国際シンポジウム
The 3rd International Symposium
International Collaborative Research “Forms of Japanese Literature”

「時間を翻訳する」
The Translation of Time

【日時Date & Time】
2015年12月12日(土)13:30-17:00
12th December, 2015 (Sat) 1:30-5:00 pm

【場所 Venue】
国文学研究資料館 2階 大 会議室
Main Conference Room, 2nd Floor
National Institute of Japanese Literature (NIJL)

*This symposium is open to public.
No registration is required.
Japanese will be the official language.

【プログラム Program】
13:00-13:35 開 会の辞 Opening Address 今西祐一郎館長 Yuichiro Imanishi(Director-General, NIJL)

13:50-14:30 Paper 1 & Comment
スティーブン ドッドStephen Dodd(Professor, ロンドン大学東洋アフリカ研究学院University of London, SOAS)
梶井基次郎文学におけるモノの歴史
The History of Things in the Literature of Kajii Motojirô
Commentator 河野至恩Shion Kono(Associate Professor, 上 智大学Sophia University)

14:35-15:15 Paper 2 & Comment
谷川惠一Keiichi Tanikawa(Professor, 国文学研究資料館NIJL)
テクストの中の時計――「クリスマス・ キャロル」の翻訳をめぐって
Clocks in Texts: Japanese Translations of A Christmas Carol
Commentator山本史郎Shiro Yamamoto(Professor, 東 京大学The University of Tokyo)

15:30-16:10 Paper 3 & Comment
林少陽Lin Shaoyang(Associate Professor, 東京大学The University of Tokyo)
近代中国の誤読した<江戸>と<明治>――漢字圏の二つの言 文一致運動の関連
Modern China’s Misreading of ‘Edo’ and ‘Meiji’ Japan: The Link between Two Vernacularized Writing Movements in East Asia
Commentator安田敏朗Toshiaki Yasuda(Associate Professor, 一 橋大学Hitotsubashi University)

16:35-16:55 総 合討議 Discussion
16:55-17:00 閉 会の辞 Closing Address 伊藤鉄也 Tetsuya Ito(Professor, 国文学研究資料館 NIJL)

司会MC 野網摩利子Mariko Noami(Assistant Professor, 国文学研究資料館NIJL)

【主催 Organizer】
国文学研究資料館 National Institute of Japanese Literature

 参加は自由です。
 多数の方のお越しをお待ちしています。
 
 
 

2015年12月 2日 (水)

視覚障害をテーマとする3本の記事の紹介

 本年10月24日(土)に京都で開催された、第4回日本盲教育史研究会については、本ブログ「日本盲教育史研究会第4回研究会に関する報告」(2015年10月24日)に記した通りです。

 その研究会全体の詳細な報告が公開されたので、以下に2つを紹介します。

 『月刊 視覚障害─その研究と情報─』(障害者団体定期刊行物協会、社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター)という雑誌は、この分野の情報を幅広くよく取り上げています。記者である星野敏康氏は、さまざまな情報を丹念な取材によって的確にまとめておられます。
 今号12月号(No.331、2015 December)では、過日の研究会が要領よく、わかりやすい記事として掲載されています。


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 小見出しの「学校令と源氏物語と海外留学」の項に記されている、私の発表に関する箇所だけを引用します。全体については、同誌をご覧ください。


 つづく国文学研究資料館教授の伊藤鉄也氏は、昨年10月の第3回研究会で紹介されて以来、盲史研会員とも協力しつつ「『源氏物語』を触って読む」研究を続けている。約700年前の鎌倉時代に書写された「須磨」の巻(ハーバード大学美術館蔵)を資料に、毛筆で書かれた変体仮名を立体コピーして触読しようという実証実験だ。日本学術振興会の科学研究費助成事業「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」として採択されている。
 当日配布されたのは写本の影印を1.5倍に拡大し、立体コピーしたもの。続け字や墨継ぎによる文字の濃淡などが再現され、視覚障害者にも「日本の伝統的な筆による書写の文化が体感できる」ようになっている。この実験に参加している福島盲学校国語科教諭の渡邊寛子氏と共立女子大学の尾崎栞氏も紹介され、ふたりは既に変体仮名の触読を始めているとのことだったし、さらに協力者も募集された。画数の多い漢字は難しいが、仮名を読むだけでもストーリーは追える。なにより変体仮名を読めない、知らないという点で、多くの晴眼者・視覚障害者が同じ条件で古典文化に触れられるのがこの研究の魅力だ。発表を待ちきれずに資料を触り出す人がいたのも当然だろう。今後は書写実践や音声支援システム等の導入を目指すだけでなく、変体仮名の触読に必須ともいうべき『変体仮名触読字典』、オンライン版『触読研究ジャーナル』の発行も予定されている。「700年前の写本に挑戦する」という意欲的なこの研究の進展や関連するイベント情報などは「古写本『源氏物語』の触読研究」(http://genjiito.sakura.ne.jp/touchread/)でも随時紹介されている。(3~4頁)

 
 また、日本盲教育史研究会から、「日本盲教育史研究会事務局通信№25 2015年11月30日」が会員に配信されました。そこで、日本盲教育史研究会副会長である大橋由昌氏の大会報告があります。
 その中に、私の発表に関する記述がありますので、当該箇所を引きます。


 伊藤氏の報告は、先駆的研究テーマであり、興味深く拝聴しました。豊かなかな文字文化であった平安文学作品を視覚障害者が理解するためには、同じ音を表すかな文字も数種類あるので、より深く鑑賞できる可能性が広がります。ただ現実的な教育現場での活用においては、日本点字考案以前における墨字の読み書き指導の限界性が現場の共通認識であるのですから、小中学部の漢字の構成を学ぶ導入部に使えるのではないかと直感したほかには、文字を触読してみようとする試みは、中途視覚障害者などで、今後趣味の世界などで楽しむ人も出るだろうと思いました。

 共に、私が発表した内容とその意図を的確に捉えた要約であり、すっきりとまとめてくださっています。
 ありがとうございました。
 
 3つ目は、『ノーマライゼーション 障害者の福祉 11月号』(公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会、平成27年11月)に掲載された関場理華氏(展示付き百人一首~百星の会 事務局長)の「かるたを通したコミュニケーション」と題する活動報告です。
 関場氏は、「点字付百人一首~百星の会」を精力的に牽引しておられる方です。


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 「京洛逍遥(375)嵯峨野で「点字付百人一首」を楽しんだ後は時雨殿へ」(2015年08月31日)と、「「点字付百人一首〜百星の会」の紹介と活動内容」(2015年09月01日)で紹介した魅力的な活動は、関場氏なくしては実現しないプロジェクトです。

 今回の記事から、一部を引用します。


 助成金で再度、ボランティアの方々に増産していただいたかるた台を100台と、点字付きの札を持って、大阪・埼玉・千葉・神奈川・京都・静岡・愛知・福岡等で、体験会や用具の電話説明、そんな不眠不休の普及活動(!?)の甲斐あって、全国に散らばる百人一首のファンと繋がることができました。
(中略)
 私たちの会では百人一首だけでなく、点字が苦手な弱視者も触れて分かりやすい「坊主めくり」や、「おやじギャグかるた」等々も点字札を作って、かるたを通したコミュニケーションの場の創設を目指しています。
 視覚に障がいをもつ皆さん! なんでもパソコンで終わらせてしまって、ついつい外出が億劫になってしまっていませんか? 私たちと一緒にかるた取りを楽しんで、人と人との生のコミュニケーションを復活させましょう! (58~60頁)

 この「点字付百人一首」に触発され、『源氏物語』の触読の成果を生かして、変体仮名で書かれたカルタ取りにも挑戦しているところです。

 『源氏物語』の触読につながるように、変体仮名の『百人一首』により、日本の古典文化の主流であった和歌の学習とゲームを取り入れた、新たな触読研究に取り組んでいます。

 多くの方のご理解とご支援をお願いするところです。
 
 
 

2015年12月 1日 (火)

書道家にお願いした触読用の『百人一首』

 今日、念願だった『百人一首』の立体コピーを完成させました。


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 取り札と、数首を並べたシートの2種類を試作しました。
 これを使って、目が見えない方々と一緒に『百人一首』のカルタ遊びをし、また、変体仮名の学習に役立てたいと思います。
 その先には、もちろんハーバード本『源氏物語』を触読する目標があります。

 ここに至るまでの経緯を、簡単に記しておきます。

 書家のMさんから初めて本ブログにコメントをいただいたのは、本年4月末でした。
 料紙制作20年、かな書45年、表具制作25年という経歴の方でした。
 新潮日本古典集成の活字校訂本文をもとにして、『源氏物語』の写本を作成しておられるとのことです。そこで、書写に関するアドバイスを、ということで連絡をくださったのです。

 私からは、かつて私が次のブログで批判したことと同じことをなさっているように思われます、という返事をさしあげました。

「何故かくも愚行を誇らしげに」(2010/9/26)

 この5年前の記事で私は、活字校訂本文を書写することを批判しています。それが今回は、「岩波・古典大系」が「新潮・古典集成」に変わっただけなので、直接お目にかかってお話ができないでしょうか、との申し出をしました。

 善は急げということを実践している私は、すぐに5月初旬に中央線の駅前の喫茶店でMさんとお目にかかり、長時間お話をうかがい、『源氏物語』を書写することについての私見を語り合いました。

 Mさんは「何に書くか、どのように書くか」ということに力点を置かれていました。
 それに対して私は、「何を書くか」という、物語本文に拘って話したように思います。
 この「何に、どのように」と「何を」は、まったく別の視点から生まれているものだと思われます。
 私は、「何を」の方が、古典を書写するにあたっては、まず解決すべきことだと思っていることを強調しました。

 鎌倉時代に書写された『源氏物語』を実見なさることをお薦めしていたところ、7月に国文学研究資料館所蔵の写本を閲覧に来ていただくことになりました。しかし、お互いにいろいろと雑事に追われる中で、それが9月末になり、それも延期となって、10月初旬に国文学研究資料館所蔵で鎌倉期に書写された「榊原本 源氏物語」を直接閲覧していただくことになりました。

 特別閲覧室でご一緒に、説明と共に質問に答えながら、楽しく鎌倉時代書写の『源氏物語』を見ることができました。

 その折、目の見えない方のために変体仮名を触読することにチャレンジしている話をしました。そして、『百人一首』を触読用に書いていただけないかとお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。

 その後、試しにお書きになった写真を拝見し、手応えを感じました。
 いろいろとやりとりをしているうちに、ついに初版とでもいうべき20首の作品を送ってくださったのです。

 私からお願いした恋の歌20首は、次のような形でお弟子さんとの協力により、触読するための『百人一首』として仕上げてくださったのです。

(1)恋の歌20首の内、前半10首を変体かなを使った散し書き
(2)恋の歌20首の内、後半10首を高野切の文字を集めた倣ち書き
(3)恋の歌20首を、変体仮名を使わないで2字連綿・3字連綿

 本記事の冒頭と次の写真は、(3)にあたるもので、変体仮名を使わない作例です。


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 今回いただいた3種類の『百人一首』を実際に目が見えない方々に触っていただき、その反応や感想をもとにして、さらに書写文字に検討を加えていきたいと思っています。
 例えば、決まり字までは大きな文字で書くとか。

 掲出写真の背景をなしている数首を並べたシートは、液晶パネルを活用した音声ガイドと連動するシステムでの利用を想定しています。

 この件については、もうすこし具体的な活用事例が報告できるようになってから、あらためて詳細な報告をしますので、しばらくお待ちください。
 まずは、速報として現状をお知らせしました。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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