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2015年12月11日 (金)

読書雑記(148)西野喬『壺切りの剣─続 防鴨河使異聞─』

 西野喬『壺切りの剣─続 防鴨河使異聞─』(郁朋社 、2015年3月)を読みました。


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 前作『防鴨河使異聞』(2015年07月29日のブログ掲載)を受けて物語は展開します。

 ただし、賀茂川が現在の位置に改修されたとする「つけかえ説」の立場に固執しておられるようで、最新の研究が踏まえられていません。
 前作について書いた上記ブログの後半で、このことは指摘しています。

 本作でも「つけかえ説」の記述がなされているので、その箇所を引用しておきます。


 造都に際して、長安の構図に固執するあまり、幾筋にも分かれて流れていた賀茂川を一ヶ所に集め都の東端に北から南にほぼ一直線に堤防で押し込めた。(中略)
 降雨で河水が増すと元の流路に戻ろうとする賀茂川、それを押え込むための堤防。(26~27頁)

 また、京洛の描写が、これは仕方のないこととはいえ、調べて書いたという匂いが充満しているのが気になりました。手探りで物語の展開を謀っているような口吻も同じです。

 佐渡に島送りとなる致忠と、東国から任果てて帰洛した保昌が朱雀大路で遭遇する場面は圧巻です。政治の実態と人間の情愛が交錯する、作家にとっては腕の見せ所です。
 しかし、これが残念ながら空回りしてしまいました。
 ここでこの邂逅を固唾をのんで見守る群衆が生き生きと描かれていることは特筆すべき力量が示されているといえます。しかし、個人の感情などが描けていないのです。惜しいことです。もっと人の心の襞を描くことができたら、次の展開がさらにおもしろくなったことでしょう。

 作者は群衆を描くのが得意のようです。御霊会で山車を先導する无骨法師とそれに付き従う民衆の躍動感も秀逸です。ただし、この特質が、作品全体に及んでいません。

 和泉式部の出家の段も、視点がおもしろいと思いました。
 その直後の『源氏物語』に関する記述の後半で「第一巻、紫の上」とあるのは、何か勘違いをなさっているようです。


ちなみに、五年前、すなわち長徳五年(九九八)、藤原宣孝と結婚した藤原為時の女は藤式部と呼ばれ、三年後、宣孝が急逝すると、傷心を胸に『源氏物語』の筆を起こし、五年後に宮中に召されて中宮彰子に仕え、その物語が評判になる。源氏物語「第一巻、紫の上」にちなんで紫式部と呼ばれるようになった。(152頁)

 「長保一年」(207頁)とあるのも、「長保元年」というのが普通かと思います。

 さらには、「侍尚」に「ないし」と振り仮名を付し、『麗景殿の侍尚』と言っています(262頁)。これは、「尚侍」の勘違いではないでしょうか。
 その後、『麗景殿の尚侍』と表記して、「ないし」と振り仮名が付してあります。校正でのチェック漏れなのでしょう。
 話が佳境に入った場面でのケアレスミスは、読者の集中力を途切れさせます。

 源頼定の経歴を述べる箇所で出典として明記される『公家補佐』という資料名も、どのようなものなのか不明です(275頁)。『公卿補任』の間違いではないでしょうか。

 『大鏡』からの引用文「乳をひねりたまえりければ、」(276頁)の「たまえり」は大丈夫でしょうか? 巻末の参考文献にあげてある『大鏡』(保坂弘司、講談社学術文庫、一九八一年)が手元にないので確認はできていません。しかし、その他の校訂本文のすべては「たまへり」です。

 次の、「朱雀大路を北に走った。」とあるのは、正しくは「南」だと思います。


吾は射場を抜け出すと朱雀大路を北に走った。羅城門跡を通り抜け、京外にでると摂津まで行き、そこに身を隠した。(328頁)

 洛中から朱雀大路を走って羅城門跡を通り抜け、京外に出て摂津まで行くのですから。
 北上すると、大内裏にぶつかります。

 三条橋や五条橋の改修の話が何度も出てきます。しかし、これらは記録によると、桃山時代の天正年間に架けられた橋のようです。
 その五条橋にしても、松原通りや六条通りの橋と移し替えがあったので、この平安時代の橋の位置は特定が難しそうです。それらの実情を無視した設定に、違和感を覚えました。
 四条橋のことはあまり出ません。これは、平安末期なので、道長の時代には簡素な板橋をつなげただけのものだったのではないかと思われます。

 平安時代の土木技術についても、過小評価がなされているように思いました。
 このあたりは、事前調査に遺漏はないでしょう。しかし、不安に思いながら読み進みました。

 賀茂祭に関する記述で、「着飾った人々の行列が大路小路を練り歩いたのち、上賀茂、下賀茂の両神社に詣でるこの大祭」とあるのには、地元民としては違和感を持ちます。
 今の行列は、下鴨から上賀茂に移動します。
 神社の名前は、今は一般に下鴨神社、上賀茂神社と表記しています。
 この物語が設定している平安時代がどうだったのかは、現在と違うのであればそのように説明を加えて語るべきでしょう。作者自身が混乱したままで語っていては、読者は途方に暮れます。

 最後に掲載されている「おもな参考文献」に「和田秀松」とあるのは「和田英松」の間違いです。

 なお、「追討宣司」(311頁)とあったので、これは「追討宣旨」の間違いではないかと思いました。しかし、この語はその後にも10回も出てくるので、あらためて調べ直したところ、「宣司」とも言うことを知りました。
 『僧官補任』(385頁)という言葉も、私が知らなかったために辞典で調べ直しました。これでいいようです。

 こんな調子で、物語が進むにしたがって、その行間に目をやりながらも出てくる語彙の使われ方や表現などに不安を覚えました。途中で事典などを取り出して調べたりしました。
 作品を読みながら注意が散漫になると、物語の内容に集中できなくなります。それやこれやで、困りながらもどうにか読み終えました。

 それはさておき、賀茂川原での闇夜の戦いは、読む者を惹きつけてはなさない迫力があります。作者の力量が伝わってきます。この点は、高く評価できるものの、全体的には表現のアンバランスな点が気になりました。

 本書の核心をなす「壺切りの剣」が、最後の最後になって物語を腰砕けにします。無力な張りぼてのような刀として扱われているのは、読者に失望感を与えるものです。もっとしっかりとした構想の下に語り納めてほしいものです。

 文章において、場面設定で濃淡がありすぎました。また、構想がぐらついていました。部分的におもしろい作品となっていたのは、こうした点に完成度を高めることができなかったからだと思います。

 その意味では、次の宣伝文句は、私にとっては、あまりおもしろくない箇所を列記したもののように思えます。


平安中期、『壺切りの剣』をめぐって大盗賊袴垂保輔、和歌読みの名手和泉式部、冷泉天皇、藤原道長等が関わり絡み合い、やがて前代未聞、意表を突いた結末をむかえる。第13回歴史浪漫文学賞創作部門受賞作品シリーズ第2弾!

 本作のおもしろさは、河原に住まう民衆が描けているところだけです。【2】
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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