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2015年12月24日 (木)

読書雑記(151)三島由紀夫『春の雪 豊饒の海 第一巻』

 久しぶりに三島由紀夫の作品を読みました。
 今年は、三島由紀夫の生誕90年、没後45年です。
 先月11月25日は、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で三島が割腹自決した45年目でした。さまざまなマスコミが、さまざまな視点で三島事件を取り上げていたようです。
 しかし残念ながら、私は非常に多忙を極める日々にあったこともあり、ほとんど見たり聞いたりする暇がありませんでした。

 三島由紀夫が割腹自殺したのは昭和45年(1970)11月25日でした。その翌朝刊を、自分が受け持っていた配達区域へ配り終えてから、19歳になったばかりという未熟さをも省みず、自分なりに思うがままの雑感をまとめました。さらに詳報が記された夕刊を配達した後、有楽町にあった朝日新聞東京本社に、拙い文章を投稿として持参しました。その数日後、私が投書した内容の一部が朝日新聞「声の欄」に紹介されました。三島自決のニュースを聴き、初めてマスコミに自分の名前が掲載されたこともあり、この三島事件は私にとっては記念すべき出来事でした。

 平成18年(2006)9月に、モスクワの本屋さんで三島の『豊饒の海』4冊が平積みになっているのを見かけました。
 これまでにも、そしてその後も海外では、本屋さんの日本文学関係のコーナーで、三島の翻訳本が日常的に置かれているのを見てきました。

 そんなこともあって、三島の『豊饒の海』をこの年末にまた読み出しました。
 まずは、第1巻の『春の雪』から。
 単行本の奥付けは、「昭和四十四年一月五日発行/昭和四十六年4月三十日三十四刷」となっています。


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 私は、昭和47年1月の成人式の数日前に、当時住み込みで働いていた新聞配達店が火事となり、身の回りのすべてを失いました。その中に、この『豊饒の海』4冊もあったのです。今私の手元にある本は、その後に購入したものであることが奥付けからもわかります。ただし、今回は気分一新ということもあり、新潮文庫(昭和52年7月発行/平成23年12月七十七刷)で読みました。


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 さて、『春の雪』では、登場人物の容姿、振る舞い、人々の反応が、言葉巧みに描き出されています。私にとっては、いささか退屈です。しかし、これが三島の作品の特質の一つなのです。そして、美しすぎるほどのものを、丹念に、克明に、諄いほどに語ります。三島の美学の迸りです。

 時は大正初年。褒め称えられる13歳の清顕に仕える17歳の飯沼の憎しみが、これからどう展開するのか、楽しみにしながら読み進みました。ただし、これはこの巻では期待した展開とはなりませんでした。

 18頁冒頭に「に」が一文字印刷漏れで空白となっています。新潮文庫には珍しいことです。単行本にはこの「に」があります。単行本の1行43文字から文庫本の39文字に変更されたことにより、たまたま頁替えした冒頭部分に空白が残ったままになっているようです。

 物語中で、清顕が密かに夢日記をつけていたことは、今後の『豊饒の海』としての展開の中で意味をもってくることでしょう。

 次の傍点が付けられた箇所は、本作品の後半でその意味がわかってきます。


「それは聡子が清顕を愛していたからである。」(49頁)

「自分は、聡子を少しも愛していないから。」(87頁)

 雪の日の朝、人力車中での清顕と聡子の逢い引きシーンは、スローモーションのように語られています。各所に映像美が意識されている中でも、特にこの場面は美しさと若者の内面が語られているところです。

 また、日本の古典文化を随所に鏤めて語っています。
 その一例を、『百人一首』を料紙に書写する場面を引いて、確認しておきます。ここには、清顕と聡子の今後の成り行きが暗示的に描かれているので、長文になることを厭わずに引用しておきます。


藤原忠通の法性寺流に流れを発する古い和様の書を、能書の伯爵は熱心に教えてくれたが、あるとき習字に飽きた二人を興がらせようとして、巻物に小倉百人一首を一首ずつ交互に書かせてくれたのが残っている。源重之の「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物をおもふころかな」という一首を清顕が書くと、そのかたわらに、大中臣能宣の「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつ物をこそ思へ」という一首を、聡子が書いている。一見して、いかにも清顕のは幼ない手だが、聡子の手はのびやかで巧緻で、とても子供の筆とは思われない。年長じてから清顕が、めったにこの巻物に指を触れないのは、そこに彼女の一歩先んじた成熟と自分の未成熟との、みじめなほどの隔たりを発見するからである。しかし、今こうして虚心に眺めてみれば、自分の手も幼ないなりに、その金釘流に男児らしい躍動があって、聡子のとめどなく流れるような優雅と、好個の対照をなしているのが感じられる。そればかりではない。こうして金砂子に小松を配した美しい料紙の上に、おそれげもなく、墨をゆたかに含ませた筆の穂先を落したときのことを想起すると、それにつれて、一切の情景が切実に浮んだ。聡子はそのころふさふさと長い黒いお河童頭にしていた。かがみ込んで巻物を書いているとき、熱心のあまり、肩から前へ雪崩れ落ちる夥しい黒髪にもかまわず、その小さな細い指をしっかりと筆にからませていたが、その髪の割れ目からのぞかれる、愛らしい一心不乱の横顔、下唇をむざんに噛みしめた小さく光る怜悧な前歯、幼女ながらにすでにくっきりと通った鼻筋などを、清顕は飽かず眺めていたものだ。それから憂わしい暗い墨の匂い、紙を走る筆がかすれるときの笹の葉裏を通う風のようなその音、硯の海と岡というふしぎな名称、波一つ立たないその汀から急速に深まる海底は見えず、黒く澱んで、墨の金箔が剥がれて散らばったのが、月影の散光のように見える永遠の夜の海……。(204~205頁)

 この物語には、思索する人間、議論する人間がしっかりと描かれています。
そして、ガラスのように壊れやすい繊細な若者の生き様も、丹念に描いています。その中でも、女性の不可思議さがよく伝わってきました。そのために、若者たちは翻弄されるのです。

 生まれ変わりとか輪廻というテーマが持ち出されてからは、この小説が長編となることが約束されます。

 そして、後半は息もつかせぬ展開となり、読み耽ります。三島の筆の力を堪能しました。

 読み終えてから思いめぐらすと、奈良の月修寺の尼門跡が立ち現れて来ます。その後ろに聡子が控えているのです。
 これが何なのか、まだ今はよくわかりません。『春の雪』は4部作の第1巻目なので、第2巻『奔馬』、第3巻『暁の寺』と読み進む中で、それが何なのかが見えてくることでしょう。

 この物語の行方を、少しずつ楽しんでいくことにします。【5】
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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