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2015年12月21日 (月)

再録(24)Windowsマシンで大騒ぎ〈1998.12.24〉

 Macintoshユーザーである私は、今も Windows マシンには顔を背けています。
 実際に、あの画面を見ると露骨に不愉快な反応をするので、私をよく知る人は心して対応してもらえているようです。
 それだけ Windows マシンを極端に忌避する私も、かつてはいろいろな事情で Windows マシンを家に置いていたことがあります。それは、子供たちがゲームをしたい一心で話しかけてくるので、一時的にマイクロソフトを許したことがあったからです。

 そんな頃があったので、その17年前の師走のことを、これも再録データとして残しておきます。

 この元データは、〈大和まほろば発 へぐり通信〉の【ハイテク問はず語り】というコーナーから発信していた情報の内、1998年12月に公開した記事です。この一連の「再録」は、過去に発信した情報を本ブログに取り込み、アーカイブズの一環とするものです。
 
 
----------------- 以下、再録掲載 ---------------------
 
〔再録(21)Windowsマシンで大騒ぎ〈1998.12.24〉〕
 
 
 一台のWindowsマシンが不調になったために、家族が膨大な時間を捨てるはめになりました。
 ことの起こりは、クリスマスプレゼントとして、子供にメモリとソフトを買ったことです。
 ソフトは良かったのですが、メモリがとんでもない物だったのです。

 大阪日本橋のソフマップ7号店で、64メガバイトのメモリを1万円弱で買いました。その際、店員の方には、取り付けるマシンが「日本ゲートウェイ2000」のWindowsマシンであることを告げました。
 このパソコンは、一般のショップで店頭販売されているものではないので、このことを言わないと何かとややこしくなるからです。店員の方はすぐに資料を見て、私が告げた機種が対応しているメモリであることを確認してから、メモリを渡してくださいました。

 ところが、これがトラブルの始まりでした。

 帰宅後、子どもたちと一緒にメモリを取り付けました。
 このパソコンは、二人の息子用に渡したものです。性能は低いながらも、ゲームやインターネットの利用には十分のペンティアム・マシンです。すでに32メガバイトのメモリが一枚入っており、その横に、新たに64メガバイトのメモリを差し込みました。息子の手首に静電気除去のための腕輪をはめさせての作業でした。96メガバイトのメモリを実装したパソコンになる(はず)です。

 しかし、何度起動しても、最初に表示されるメッセージでは、メモリ容量が増えていないのです。それより、メモリ容量が減少しているという英語が表示されます。おまけに、セーフモードでしか起動しないのです。そうこうする内に、起動画面がおかしくなり、ついには電源を入れても、何も表示されなくなりました。

 すぐに、購入したソフマップに電話をしました。いろいろと調べた挙げ句に、接客ミスで間違ったメモリを渡してしまった、との返答でした。店頭に持っていけば、返金するとのこと。おかしくなったパソコンをどうしたらいいのかと聞くと、クリニックセンターへ持って行けば、点検してもらえるように手配するとのことでした。

 しかし、この年末に、大きなタワー型のパソコンを運ぶためには、奈良から大阪まで車で運ぶことになります。何かと忙しくて、このホームページの更新も今月一日以来ひさしぶりという状態なので、とても出かけられません。

 かくなる上は、Windows95のシステムを入れ替えることで対処することにしました。Windows98にしないのは、私のソニーVAIOで懲りているからです。パソコンに添付されていたマニュアルや資料を見たのですが、ちんぷんかんぷんです。思い切って日本ゲートウェイに電話をしたところ、丁寧に手順を教えてもらえました。

 電話での指示をメモしたものをもとにして、中一の息子とシステムの再インストールを始めたのはいいのですが、Windows95のプロダクトIDを入力するところで行き詰まりました。何度入力しても、認証番号が間違っているというメッセージが表示されます。丁度夕方の5時前でした。それからというもの、家族6人が交代交代で、17桁の数字を打ちます。途中で日本ゲートウェイにまた電話をして、助けを求めましたが、何か数字が間違っているのでしょう、との返事しかもらえません。こんな電話は、よくあるそうです。またまた、えんえんと家族が、入れ替わり立ち替わり17桁の数字を入力します。

 2時間半も経過した頃でしょうか。日本ゲートウェイに、また電話をしました。いろいろとやりとりがあった末に、「フォーマット」という言葉が出てきて、ハードディスクの初期化をしたのか、ということでした。夕方の問い合わせでは聞かなかったことなので、それはしていないと答えると、WindowsからMS-DOSモードに降りて、プロンプトに「C:\format /q/n」と入力して初期化をすれば、プロダクトIDを受け付けるはずだ、とのことでした。
 十数年前の、DOSマシンの頃にタイムスリップすることになりました。

 言われたとおりにすると、無事に17桁の数字を受け入れてくれました。夜の8時40分を過ぎていました。約4時間もの長時間にわたって、不正使用防止のキーワードとも言うべき17桁の数字をめぐって、家族が格闘していたのです。

 ところが、まだまだ落とし穴は至る所に仕組まれていました。それは、ドライバというものの組み込みです。手元の冊子や資料通りにやっても、まったく先へ進まないのです。また電話でのサポートにすがるしかありません。夜の10時を過ぎていたでしょうか。息子がサポートの方とのやりとりにお手上げとなり、また父親にお呼びがかかりました。

 結局、冊子の印刷通りではなくて、CD-ROMを使わないといけないとのこと。以下の作業も、そのように読み替えて進めればいいとのことでした。ところが、これも罠だったのです。

 息子は夜を徹して初期化とインストールを繰り返し、結局夜が明けても完了しませんでした。私も、仕事をしながら、時々様子を見ましたが、明け方の4時半までは覚えていますが、それ以降は、息子にまかせてしまいました。

 二日目の朝の段階では、27頁ある「Windows95 インストールガイド」の内の16頁までは終えたようです。しかし、Windows95のアップデートとドライバの組み込みという難関が残っています。
 ところが、クリスマスのために買った「パワフル・プロ野球」というゲームをしたい一心でパソコンの修復を率先してやっていた息子二人も、とにかく遊びたいという誘惑に負けたようで、いつの間にかゲームソフトをインストールして遊んでいたのです。
 もっともシステムの設定が完了していないので、色は不自然で音もない野球ゲームを、楽しそうに二人でやっているのです。

 あまりにもかわいそうなイブイブなので、夕方から何度目かのフォーマットを手伝い、システムのインストールをやりなおしました。しかし、至る所で完了しなかったメッセージが出ます。さらに何回か日本ゲートウェイに電話をし、もうこちらも暗記するほどの操作をえんえんと繰り返しました。

 そして夜の8時をすぎた頃だったでしょうか、パソコンに添付してあるフロッピーを要求されました。昨日までは、CD-ROMでいいと言われていた操作のときでした。
 未開封のビニール袋を破り、取り出した一枚のフロッピーが、ようやく開かずの扉をあけてくれました。ただし、その後の手順は、メモしきれないほどのものであり、訳の分からないことをいろいろとさせられました。

 その後は、また息子にバトンタッチをし、またサポート係に電話をすることもあって、ついに夜中の10時15分に、「Windows95」の再インストールが完了しました。30時間の耐久レースを終えたときの息子の満足げな表情は、これはこれで貴重な収穫であったということにしておきましょう。

 私の「時間を返せ」という憤りより、息子の充足感に目を向けることにします。

 それにしても、ソフマップ7号店の上原さん。あなたが渡してくれたメモリが、こんな家庭内騒動になっていたのですよ。
 そして、日本ゲートウェイの電話サポート担当のたくさんの方々、粘り強い24時間体制の支援に感謝します。後半は、息子が電話で問い合わせたにも関わらず、丁寧に対応してくださり、ありがとうございました。息子が自分で何とかしようという気になったのも、サポートの姿勢に誠意を感じたからでしょう。訳の分からない苦情を言ったことにも、じっくりと聞いてくださり、この種のサポートは大変な仕事だなあと、家族一同、改めて感心しています。

 パソコンがまだまだ未成熟な上に、Windows という不出来なシステムを搭載せざるをえないコンピュータ業界は、このようなサポート体制と要員によって支えられていることを実感として味わえました。

 しなくてもいいこととはいえ、貴重な体験の一つだったように思います。
 
----------------- 以上、再録掲載 ---------------------
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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