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2016年1月 3日 (日)

大阪上本町でテニス仲間と母校訪問後に飲む

 高校時代のテニス仲間から呼び出しがかかりました。
 仲間の一人が大阪日赤病院に入院したので、お見舞いがてら行って、それから飲もうや、と。

 明日私は上京するので、お正月三ヶ日の最後は気分転換を兼ねて、高校時代を過ごした大阪へ出かけました。
 この仲間とは、機会を見つけては会っています。と言っても、二、三年に一度ですが。

 大阪赤十字病院には、大阪で高校の教員をしていた30代に、手術で1ヵ月ほど入院したことがあります。『データベース・平安朝日記文学資料集 第一巻 和泉式部日記』(同朋舎、1988年)は、この入院中に仕上げた仕事です。娘もここでお世話になりました。満州からシベリヤへと労苦を背負って生き抜き、山一証券で燃え尽きた父は、ここで息を引き取りました。

 その我が家にとっては馴染みの病院が、何と目を疑うほどに様変わりしていました。
 当時あった正門が、こんな風景になっていたのです。


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 近鉄上本町駅からまっすぐに来たはずが、あまりの変貌ぶりに目標を見失い、新しい病院を、ぐるりと一周してしまいました。鶴橋駅からのほうが近かったのです。


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 ICUに年末の11日間も入っていたという仲間は、予想外に元気でした。
 10階の病室から、一緒に通った高校が眼下に見えます。
 看護士さんにお願いして、談話室に歩いて移動する許可がもらえました。
 久しぶりに自分の足で病室からでられたことで、気分が相当楽になったようです。
 自転車に乗っていて、予兆もなく突然気を失ったとのこと。
 よくぞ生きて会えたことです。幸運に感謝するしかありません。

 この上本町の周辺が懐かしいので、かつての母校に立ち寄ることとなりました。
 敷地は同じ所にあります。しかし、校舎は新しくなっていました。
 半円の会館のイメージは残っていました。


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 我が母校は、谷崎潤一郎の『細雪』の冒頭に出てくる学校です。私が谷崎の作品のすべてを読み直しているのは、この『細雪』が原点となっているからです。
 校門の前の道は、50年前と同じです。ただし、道幅は2倍に拡幅されています。奥の狭い道は、当時のままです。


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 中に入ると、卒業生ならということで、おじさんが少し説明をしてくださいました。我々は新制の22期です。今年は、110周年を迎えるそうです。校庭の横に建っている「沿革碑」の歴史を見て、昭和45年に卒業した私が育った時の流れを再確認することになりました。


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 朝から晩までテニスに明け暮れた日々を思い出す校庭は、当時とはその場所も広さも違います。
 運動会は、この街中の校庭ではできないということになり、3年生の時には長居公園の中にある長居陸上競技場で行いました。


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 高校の隣にあった病院も、高校と敷地を交換しただけで、ほぼ同じ場所に建っています。
 私がテニス浸けだった日々、テニスコートの真上にあった病室から、入院中の若い女の子がじっと練習を見ていてくれたことを、今でも鮮明に思い出せます。


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 偶然とはいえいえ、娘はこの病院で生まれました。
 高校といい、病院といい、私にとってここは、思い出の空間なのです。


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 50年ほど前に通った道を当時のテニス仲間と歩きながら、上本町にある行きつけの飲み屋さんに入りました。
 話題は、御多分に洩れず病気の自慢話で盛り上がります。
 私は、父親の川柳句集の題名と同じ「ひとつぶのむぎ」をいただきました。
 おいしいお酒でした。

 今夜の梅は、白梅がきれいに咲いていました。
 お正月三ヶ日に間に合い、紅梅と白梅がこれから競うことになります。
 ただし、私は明朝、息子の手術があるので上京します。
 この梅の競演が見られないのが残念です。


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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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