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2016年2月26日 (金)

読書雑記(155)サンジーヴ・スィンハ『日本とインドは最強コンビ』

 インドへの新たな視点を求めて、サンジーヴ・スィンハ著『日本とインドは最強コンビ』(2016.1、講談社+α新書)を、インドへ行く直前に読みました。


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 「まえがき」に書かれた次の言葉が、本書の視点と意図を明確に語っています。

「本書では、日本で暮らし働く、インド人の目から見た日本の素晴らしさと、インドと日本の関係、その親和性について、私の思いを記しました。読み終えたとき、みなさんがみなさんの日本を「再発見」してもらえたら嬉しく思います。」(5?6頁)

 第一章「日本で暮らすインド人の感想」は、典型的な日本礼讃です。非常に表面的で個人的な印象批評なので、薄っぺらく感じました。
 これは、本書が対象としている読者と私の意識の違いでもあります。
 そんな違和感を覚えながらも、メモしておくべき箇所を引用しておきます。

 日本の生活に慣れると、当たり前のように思っていることも、次のようにあらためて指摘されると、なるほどと日常を見直すことになります。

「ナビゲーションのアプリも便利です。行き先を入力すれば、どの電車に乗って、どの駅の何番出口を出て、そこからどんな道順で行けばいいのかを親切にナビゲートしてくれます。
 こうしたことは、インドでは不可能なサービスでしょう。インドにもスマートフォンはありますが、地図にあるとおりに道が作られていないことが多いのです。最新情報も入ってきにくい。だから、ナビどおりに歩くことができないわけです。日本でナビのアプリが役立つのは、計画どおりに街が作られているから。電車の運休情報なども、すぐに知ることができます。」(36頁)

 次のくだりは過大評価だと思います。しかし、そうした面は、今インドから帰ったばかりの目で日本を見ると、確かにあることは事実です。全国至る所でそうだとは言えないにしても。

「現時点でも、目の不自由な人が普通に電車の乗り降りをする光景はよく見かけますし、車椅子でも駅員さんの協力で電車を使うことができる。日本で生まれ育った人には当たり前のことかもしれませんが、インド人の私から見ると「なんて素晴らしいんだろう」と思います。
 社会のシステムにおいて、「体の不自由な人に、いかに不便を感じさせないか」というマインドが共有されているのです。」(39頁)

 第二章「インド進化の裏側」は、インドをネガティブに見すぎているように感じました。インドのよさを、インドの自慢をもっと聞きたくなります。著者は日本に馴染むうちに、日本的な思考に毒されたのかもしれません。

「「国際会議では、日本人に発言させることと、インド人を黙らせることが最も難しい」というジョークもあるほどで、それくらい、インド人は自己主張が激しいのです。」(48頁)

「格差社会ということもあり、「人を見た目で判断するな」ではなく、「人を判断するには見た目から」がインドなのです。」(77頁)

「道路が整備されていないのは仕方がないことで、仕方がなければあきらめてしまうのがインド人なのです。」(83頁)

 第三章「「瞑想の国」ニッポン」は、またまた日本を誉め殺しにしています。余計なお節介だと言いたくなるほどです。インドにたいする自虐的な物言いも気になりました。

「日本のみなさんは、自分が住んでいる社会がいかに恵まれたものであるか、時には思いを馳せてみてもいいのではないでしょうか。」(90頁)

「実際、インド人にはオリンピックで活躍した選手がほとんどいません。人気があるのはクリケットを筆頭に、バドミントン、ビリヤード、射撃など……しかし、あまり激しく体を使うものではありません。
 しかも、人気があるのは個人競技ばかりです。クリケットは団体競技ですが、チームワークや連携は必要ありません。議論好きな国民なので、一致団結するというのが苦手なのかもしれません。」(94頁)

 第四章も、日本礼讃です。スティーブ・ジョブズの例は、的確な譬えです。

「日本はジョブズのようなカリスマに引っ張られなくても、みんなの力でうまくやっていくことができる社会を作り上げたのです。いってみればカリスマがいらない国、ジョブズのようにはなれない大多数の人々にとって生きやすい国……それが日本なのです。」(126頁)

 第五章「インドと日本は最強のコンビ」は、もっと日本の実態に切り込んで語ってほしいと思いました。分析不足です。日本の仏教の理解には首を傾げます。

「仏教といえばインドが発祥の地ですから、インド人が日本のお寺に行きたがるというのは不思議な感じがするかもしれません。しかし、いまのインドの仏教は、多分に政治的な色合いを帯びてしまっているのです。というのも、仏教関係者は自分たちの票をどう使うかを考えていますし、政治家たちは、どの党が仏教関係者の票を獲得するかに腐心しています。つまり、仏教の存在が「利
権」になってしまったのです。
 そう考えると、日本の仏教には宗教としての純粋さが残されているように感じますし、何より自然と一体化しているところが素晴らしい。山のなかにあるお寺も多いですし、変に近代化することなく、昔のままのお寺が残されています。
 この、自然とともにある信仰こそがインドの仏教も見習うべきところで、実際に、インドの仏教関係者が日本のお寺を訪ねて勉強することもあるほどです。
 インド人にとって、仏教は宗教というより哲学として尊敬を集めているところがあります。ただ、そこで失われてしまった部分もある。それが日本に残っており、仏教の大切な部分を守ってくれたという思いが、インドの仏教関係者にはあるのです。」(151頁)

「たとえばインドでは、なんでも「とりあえず」で始めてしまいますし、完壁であるかどうかにはこだわりません。とりあえずなんとかなればいい、と考えるのです。
 材料が少しばかり違っていても構わないし、ちょっとしたミスは気にしない。結果、インドのビジネスには中長期的な持続性が欠けてしまうきらいがあります。インド経済の成長性が落ちてきているのも、そのせいではないかと考えます。
 インドには、「完壁を目指すためのシステム」がない。そしてそれこそが、日本の際立った優秀性なのです。」(159頁)

 私にとって、よくわからない箇所を引用しました。しかし、次の移民に関する指摘には同感します。

「移民をオープンにすると、日本にも貧しい国からたくさんの人たちがやって来ることになるでしょう。まして日本は弱者に優しい国です。アメリカには、成功を夢見る野心的な人、つまり強い人が集まりやすいのですが、日本ではそうならない。むしろ弱い立場の人たちが集まってきやすいといえるでしょう。
 それは彼らのためにはいいのですが、日本の社会や経済を盛り上げるパワーにはならないはずです。そこに、日本の移民政策の難しさがあります。
 マナーなどに関しての意識が高く、その感覚も均一的なのが、日本のいいところです。しかし、外国人がそれに合わせるとは限りません。」(180頁)

 何かと立ち位置の違う著者に反応し過ぎたかもしれません。
 しかし、本書を読んでの素直な感想と、その根拠となる箇所を引用しました。

 インドを新しい視点で見つめ直して行こうと思って読みました。しかし、私にはあまり参考にはなりませんでした。

 今、インドから帰ってきて、やはり本書の論調は今のインドを反映していないと思っています。感覚的なことなので、これ以上は述べません。【1】
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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