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2016年3月 2日 (水)

読書雑記(156)マララ+クリスティーナ著『わたしはマララ』

 マララ・ユスフザイとクリスティーナ・ラムの共著である『わたしはマララ —教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』(金原瑞人+西田佳子訳、学研パブリッシング、2013年12月)を読みました。


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 インドを旅しながら読み始め、帰りの飛行機の中でも読み続け、日本に帰ってから読み終えました。こんな形での読書は初めてです。

 マララが生まれ育ったのはパキスタンです。1997年に、パシュトゥン人の村に生まれました。北部山岳地帯の、森と緑の中のスワート渓谷で育ったマララの目は、物事を素直に見つめます。貧しい生活の中で、苦労を重ねる父母を敬愛の目で見つめています。
 矛盾に満ちたパキスタンの社会の中で、現実と事実を冷静に見つめて語ります。
 どんな時にも、女の子に教育が必要であることを信念として持ち、教育の大切さを訴え続けています。
 本書の最後は、次の文章で閉じられます。


 言葉には力があります。わたしたちの言葉で世界を変えることができます。みんなが団結して教育を求めれば、世界は変えられます。でもそのためには、強くならなければなりません。知識という武器を持ちましょう。連帯と絆という盾を持ちましょう。
 親愛なる兄弟姉妹のみなさん、忘れてはなりません。何百万もの人が貧困、不正、無知に苦しんでいます。何百万もの子どもたちが学校に通えずにいます。わたしたちの兄弟姉妹が、明るく平和な未来を待ち望んでいます。
 そのために、世界の無学、貧困、テロに立ち向かいましょう。本とペンを持って闘いましょう。それこそが、わたしたちのもっとも強力な武器なのです。ひとりの子ども、ひとりの教師、一冊の本、そして一本のペンが、世界を変えるのです。
 教育こそ、唯一の解決策です。まず、教育を。(424頁)

 この主張は、どのような恐ろしい状況においてもブレずに、この物語の芯として通っています。

 パキスタンの人々はウルドゥ語を使っています。
 今回私はインドへ行き、ウルドゥー語の祭典に参加し、アラハバードではウルドゥー語の文学を研究する村上明香さんのお世話になりました。これまでは、ヒンディー語のことしか知りませんでした。それに加えて、ウルドゥー語への興味も湧いてきました。もっとも、ヒンディー語もウルドゥー語も私には皆目わかりません。しかし、この興味を抱いたということは、私にとっては大きな進歩です。

 ウルドゥー語訳『源氏物語』の完本が見つかったことも、ウルドゥー語に対する私の関心を掻き立てました。
 ヒンディー語とウルドゥ語は文字が違います。サヒタヤアカデミーが刊行したインド語訳『源氏物語』の中から、ヒンディー語訳(上段)とウルドゥー語訳(下段)の「桐壺」の巻頭部分を引きます。


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 文字は一見して違うことがわかります。インド諸言語の中でも、ウルドゥー語だけは右から左に向かって書くことも大きな違いです。

 しかし、話すと、口頭ではお互いの言語は通じるのです。
 実際に、村上さんがウルドゥー語で話していても、ヒンディー語を使う人にはヒンディー語として伝わるのです。発音と文字がこんなにも異なることを知り、不思議な言語だと思いました。

 ウルドゥー語でとヒンディー語は姉妹言語なのです。文語になると、ヒンディー語にはサンスクリット系の単語が入るそうです。アラビア語とペルシャ語が合体した言語だと説明されると、もう私にはパニックです。

 日記に関するくだりにも注意が向きました。これが、情報発信としてのブログとして展開していくからです。『アンネの日記』が引き合いに出されるのも、ごく自然の流れからです。


 日記を書いたことはそれまでに一度もなかった。どうやって書きはじめたらいいのかもわからない。パソコンはあるけど、停電がしょっちゅうあるし、インターネットにつなげる場所は限られている。でも、母の携帯電話にハイ・カカルから電話をかけてもらうことならできる。ただし安全のために、奥さんの電話からかけることになるだろう。ハイ・カカル自身の電話は、諜報機関によって盗聴されているから。
 電話を使って日記を書く手伝いをしてもらうことになった。ハイ・カカルが、その日の出来事についてわたしに質問する。わたしはそれに答えるとともに、ちょっとしたエピソードとか、将来の夢について語る。一回三〇分とか四五分の電話インタビューになるだろう。言葉はすべてウルドゥー語。ふたりともパシュトゥン人だからパシュトー語が母語だけど、ウルドウー語のブログなので、本人がウルドゥー語でしゃべったものをそのまま使ったほうがいいということになった。それからハイ・カカルが会話を文字に起こして、BBCウルドゥーのウェブサイトに週一回のペースで連載する。
 ハイ・カカルは、アンネ・フランクの話をしてくれた。戦争中のアムステルダムで、家族といっしょにナチスの迫害を逃れて生きていた、十三歳の女の子。アンネも、つらい日々の暮らしや自分の思いを日記に書いていたという。(207〜208頁)
 
 学校が閉鎖されてからも、わたしのブログは続いた。女子校閉鎖の日から四日後、さらに五つの学校が爆破された。(219頁)
 
 そういうことは、ブログにはいっさい書かなかった。このことがタリバンにばれたら、鞭打ちの刑が待っている。いや、もしかしたらシャバナのように処刑されるかもしれない。世の中にはいろんなものを怖がる人がいる。幽霊が怖いとか、クモが怖いとか、ヘビが怖いとか。あの頃のわたしたちは、人間が怖かった。(224頁)
 
 三月になると、わたしはブログをやめた。もう書くことはあまりなかだろうとハイ・カカルが判断したからだ。でも、恐ろしいことに、事態は前とほとんど変わっていなかった。変わったとしたら、タリバンが前にも増して凶暴になったということくらいだ。タリバンはいまや、国家公認のテロリストになってしまった。すっかりだまされた気分だった。和平協定なんて、形だけのもの。(227~228頁)

 本書でマララは、女性の社会的な地位の低さと、男性社会では認知されていない存在であることを、さまざまな角度から語りかけます。
 同じ人間でありながら、その差別のありようは非常に具体的です。ただし、例があまりにも私が属する日本の社会とはかけ離れた話であるためもあってか、遠くの話として聞こえてくるのは何なのでしょうか。違いすぎるがために、かえって別世界の、遠い過去の話のように聞こえます。しかし、読み進むにしたがって、しだいに実感として実状が伝わってきます。説得力のある文章でつづられています。

 欲を言わせてもらえるならば、語り手と読者の距離を縮める仕掛けがあれば、もっと肌に突き刺すように伝わったのではないか、と思いました。
 さらには、写真の多用も効果があったことでしょう。巻頭にまとめて置くだけではなくて。

 9・11のこと、アルカイダのこと、地震のこと、宗教のこと、家族のこと等々、自分を中心にして広汎な視点で身の回りを見ています。世界を、社会を、自分が見たままに、思うがままに綴っています。私が新聞やテレビから知っていることとは違う、マララの視点からの報道は新鮮でした。

 タリバンがマララや周りの人々に行った行為も、冷静に綴られています。
 憎しみが言葉の背後に覆い隠されているようで、その点だけは作為を感じました。読者から共感を得ようとしたがために、赤裸々さが薄められているように思いました。おそらく、著者たちはそのような意識はなかったと思われますが……。

 マララが撃たれ、幸運にも命だけは助かったくだりも、淡々と綴られています。
 マララは物理という科目が大好きでした。理系の素養が、こうした語りを支えているのかもしれません。さらには、共同の著者がいたからでもあるのでしょう。マララ本人だけでは、これだけ自分を客観的には語れないと思うからです。

 その銃弾を撃たれた時のことに関して、世間の反応が本人でしか語れない視点で書かれています。


 ヤセームが新聞を持ってきてくれたので、父ははじめて世界の反応を知った。わたしが撃たれたことで、世界じゅうが激怒しているようだった。襲撃を、国連事務総長のパン・ギムンは「憎むべき卑怯な行為」と評し、オバマ大統領は「非難されるべき最悪の行為であり、これほどの悲劇はない」といった。
 ところが、パキスタン国内の反応は、そういうものばかりではなかった。わたしのことを、”平和の象徴”と表現する新聞もあれば、例によって、陰謀説を唱える新聞もあった。わたしが本当に撃たれたのかどうか怪しい、とブログに書く人もいたほどだ。書いてあることはデマばかり。とくに、ウルドゥー語の新聞はひどかった。男性があごひげを伸ばすのはよくないと、わたしがいったことになっていたりする。(345頁)

 入院先のイギリス・バーミンガムでは、周囲の配慮が語られています。


 そのときそばにいたジャヴィド先生は、不安ととまどいに満ちたわたしの表情が忘れられないという。先生はわたしにウルドゥー語で話しかけてくれた。そしてわたしがわかったことはただひとつ。神様がわたしに新しい命をくれたということ。頭にスカーフを巻いたやさしそうな女の人が、わたしの手を取って「汝に平穏あれ」といった。イスラムの挨拶の言葉だ。それからウルドゥー語でお祈りをして、コーランを唱えてくれた。ナースの名前はリハンナ。イスラム教の聖職者だという。そのやさしい声をきいているうちに気持ちが落ち着いてきた。わたしはまた眠りに落ちた。(356~357頁)

 マララを撃った銃弾は、マララの左目の脇から飛び込み、左肩で止まったのです。父はマララが意識を取り戻したことに安堵しながらも、失明するかもしれないことに狼狽えます。このくだりは、マララではなくて共著者であるクリスティーナ・ラムが書いた箇所ではないかと個人的には思われるので、参考までに引いておきます。
 なお、クリスティーナ・ラムは巻末の謝辞の末尾で「マララの物語をいっしょに書かせてくれて、本当にありがとう。」(413頁)と言っています。


 マララは目がみえなくなってしまうのか? 愛する美しい娘が、一生光のない世界を生きることになるのか? 「お父さん、ここはどこ?」とききながら歩きまわるのか? むごい。そう思った父は、そのことだけは母にはいえなかった。いつもなら隠しごとはできない人なのに。そのかわり、父は神様に祈った。「神様、ひどすぎます。娘にわたしの目を片方やってください」でも、父はもう四十三歳で、目はあまりよくない。その夜、父は眠れなかった。次の朝、父は護衛の軍人に電話を借りて、ジュナイド先生にかけた。「マララの目がみえなくなったときいたんですが」沈んだ声できいた。
 「まさか、そんなことはありませんよ」ジュナイド先生は答えた。「読んだり書いたりできています。目がみえないわけがないでしょう? マララのようすは、フィオーナ先生からこまめに連絡をもらってきいています。マララがはじめに書いたメッセージは、お父さんのことだったそうですよ」

 目はみえていた。遠く離れたバーミンガムで、わたしは鏡をみたがっていた。「鏡」とピンクのノートに書いた。自分の顔や髪がどうなっているのか、みたかった。ナースが小さな白い鏡を持ってきてくれた。その鏡はいまも持っている。自分の顔をみたときはショックだった。(363頁)

 いろいろな意味で、マスコミを通してしか知らなかったマララ・ユスフザイという一人の女性を、私は誤解していました。マスコミなどが英雄視して取り上げすぎたことが、その原因だと思われます。
 よくありがちな、情に流され、情に訴えることによって構成される、テロと悲劇の生い立ちを語るものだと思っていました。しかし、それは違っていました。また、父親の存在があらためて大きいことにも気づきました。
 記憶に残る、いい物語を読みました。

 そして今、私はマララ(呼び捨てですみません)に、ウルドゥー語訳『源氏物語』を読んでもらいたいと思っています。この物語をどう思いますか? と尋ねたいのです。日本をどう思っていますか? と聞きたいのです。どなたか、この思いをマララに伝えていただけたら幸いです。【5】
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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