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2016年3月 4日 (金)

読書雑記(158)澤田ふじ子『霧の罠 真贋控帳(二)』

 『これからの松』(朝日新聞/1994年12月22日〜1995年2月10日連載、1995年12月、朝日新聞社刊)を受けて執筆された『霧の罠』を、光文社文庫(2007年2月)で読みました。


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 松平定信の時代の話です。
 天明の大火により、京中が塵芥に帰したさまが克明に描かれています。

 丹波篠山藩主の青山忠裕は、まだ21歳にも関わらず、京の大火で非難し行幸中の光格天皇の聖護院仮御所の警固となりました。帝は、一旦は禁裏から下鴨神社に移られ、その後に聖護院に行幸されたのです。

 古筆家九代の了意は、四代藩主のお道具の世話をしました。そして、お納戸役小頭の土井市郎兵衛が家中第一の道具目利として登場します。特に、茶湯道具と床の画幅などの調度品の購入に当たります。
 その土井市郎兵衛の息子の修蔵が創る俳句が、当時の社会と文化的な背景に上質な薫りを添えています。

 南宋の張即之の真筆とされる茶道具の『杜詩断簡』という一幅の紛失をめぐって、話が核心に向かいます。修蔵に疑いがかけられたのです。
 脱藩遁走して己に降りかかった免罪を晴らそうとする修蔵の姿が、物語の背後に揺曳します。
 その後は、息もつかせぬ展開となり、本から手が離せなくなりました。

 復讐や仇討ちが取り沙汰され、物語はいや増しに盛り上がります。

 しかし、その結末があまりにも冷静な語り納めとなっていて、急に話が萎んだ感じで拍子抜けしてしまいました。人間の情念が、理性に押し切られたようです。作品としては、惜しいことです。

 悪役の山村彦十郎も、その人間性をもっと抉ってほしかったところです。社会の悪と心中の闇が描き切れていません。

 作者の人間に対する思いやりと優しさが、残念ながら裏目に出てしまいました。

 本作の前に、『真贋控帳 これからの松』があります。それも、濡れ衣を晴らすことが語られるものでした。どちらも、扱うネタに興味深いものがあるものの、その料理の仕方や包丁さばきに不満が残りました。

 なお、本作に登場する宗鷗は、前作『これからの松』で古筆家七代目了延の門人の平蔵だった人物です。本作で宗鷗は、長老としてその位置を与えられています(42頁)。
 また、
「宗鷗は俗名を平蔵といい、先々代の七代了延に見いだされ、門人衆にくわえられたときいている。了意が古筆家九代として迎えられたとき、宗鷗の号をかれからあたえられたのであった。」(57頁)
とか、「杜詩断簡」の書を張即之の真筆だと鑑定しています(174頁)。

 〈真贋控帳〉シリーズの第3作目である『地獄の始末 ―真贋控帳』(2014年10月06日)では、この宗鷗は特段の役割は負わせていなかったように思います。再読することがあれば、そのことを確認したいと思います。【4】
 
 澤田ふじ子の作品としては、『宗旦狐 —茶湯にかかわる十二の短編』(2014年11月02日)も取り上げていますので、おついでの折にでもご笑覧を。
  
〔メモ〕
・書き下ろし、2000年11月、徳間書店
・文庫版、2003年7月、徳間文庫
・文庫版、2007年2月、光文社文庫
 
 
 


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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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