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2016年3月11日 (金)

読書雑記(159)高田郁『あきない正傳 金と銀 源流篇』

 高田郁の新しいシリーズが始まりました。

 「みをつくし料理帖」(全10巻)という、江戸を舞台にした料理話は、次の刊行が待ち遠しいほどにおもしろい物語でした。
 その一巻ずつの読書雑記は、「読書雑記(105)高田郁『天の梯 みをつくし料理帖』」(2014年08月24日)の末尾に、リンク先を一覧できるようにしてあります。ご笑覧を。

 その後、『蓮花の契り』(『出世花』の続編)(2015年06月24日)が書かれ、以来、高田郁の作品は新たな胎動の期間に入っていたのです。

 それから一年も待たずして、一転して大坂を舞台にした商売人の話『あきない正傳 金と銀 源流篇』(時代小説文庫、角川春樹事務所、2016年2月)がお披露目となったのです。
 またしばらく、このシリーズが楽しめます。


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 時は享保16年(1731)。
 今の兵庫県西宮に近い津門村から幕が上がります。
 主人公は幸(さち)。
 父は、凌雲堂という私塾で朱子学と漢詩を教える、学者の重辰(しげたつ)です。

 冒頭で文字を覚えようとする7歳の幸の姿から、勉学熱心な女の子であることがわかります。これは、多分に父と兄の影響でもあります。


「何遍言うたらええの。七歳にもなってからに」
 土間に正座させた娘に、水で濡れた板敷を示して、房は声を荒らげる。
「指に水つけて板敷で字の練習をするんは止めなさい、て言うてますやろ。見てみ、びしょびしょやないの。妹のお守もせん、言いつけておいた庭掃除もせんと」
「堪忍して下さい、母さん。どうしても覚えたい字があったんです」
 娘の返事を聞いて、房はその腕を引っ張り無理にも立たせて、お尻をばんばん、と叩いた。容赦のない叩き方だった。(11頁)

 その幸が、妹に文字を教える場面もあります。


 幸は自分が兄にしてもらったように、妹に読み書きの手ほどきをしようと決めていた。そこでまず、手本を地面に書いたのだ。土の上に書いた文字なら、幾度でも消せるし、書き直せる。墨も筆も紙も要らない。板敷を水で濡らして怒られることもない。
「『か』は、もとは、こんな漢字だったの」
先の尖った石を手に取ると、「加」と書いた。そして少し考えて、「之」を書き加え、
「これで『しかのみならず』と読むの」
と、小さな声で言い添えた。
 姉の解説が耳に入らない様子で、結は懸命に「か」「わ」を地面に書き写している。
 ふと、ひとの気配を感じて顔を上げれば、広縁に立って重辰がこちらをじっと見ていた。あ、父さん、と幸は思わず立ち上がった。
 地面の漢字を見つめる父の双眸に、哀しみと苛立ちとが宿るのを認めて、幸は狼狽える。小石を握り締めて立ち竦んでいる娘に目をやって、重辰は溜息交じりに言った。
「お前が男ならば」
 父の口調に籠る無念が、幸を打ちのめした。
 父さんは、娘は要らないのか。息子の方が良かったのか―そんな思いが黒々とした濁流となって、幸を呑み込んでいく。(61~62頁)

 この後半の父のことば「お前が男ならば」は、『紫式部日記』の一場面を思い起こさせます。

 大坂天満の呉服屋「五鈴屋」で奉公することになる幸は、その聡明さと知恵という才を多くの人に認められ、人間として、さらには商いの道に邁進する一人の女性として成長していきます。
 幸を取り巻く人々が、その姿形から考え方に至るまで、一人ずつ丁寧に描かれます。作者の登場人物に対する思いやりに溢れた情愛が、静かに読者に伝わってきます。

 主人公である幸が虐められる話がないので、安心して楽しく読み進められました。

 突然、紫式部が話題になったりします。本作では、当時の草子ものや歌舞伎などが話題となり、背景に上方の文芸が見え隠れします。


「読みたい本がないなら、智蔵さんが読みたい、と思わはるようなものを書かはったらええんだす。紫式部かて井原西鶴かて、そない思うて書くようにならはったんやないかて、私、思いますで」(216頁)

 この智蔵が、今後は何を生業にするのか、おもしろさが次巻に持ち越されていきます。

 物語はテンポよく展開します。本作も、一気呵成に読みました。

 幸がこれからどのような境遇で生きていくのか、最後の場面から見えて来ました。
 この続きが、ますます楽しみです。

 巻末に添えられたら「治兵衛のあきない講座」は、次の三講です。


一時限目 題名の意味
二時限目 舞台となる時代
三時限目 幸および五鈴屋のモデル

 まだ始まったばかりなので、この講説は作品の背景に留まっています。
 今後は、読者からの質問を取り上げながら、「みをつくし料理帖」がそうであったように、さらにおもしろいコラムとなっていくことでしょう。【5】

※本作は、時代小説文庫(ハルキ文庫)のための書き下ろしです。
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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