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2016年3月20日 (日)

読書雑記(160)水上勉『櫻守』

 桜の開花が待ち遠しい頃となっています。
 今日20日の桜開花予想によると、東京の開花は明日21日、京都は23日頃だそうです。

 よく見かけるソメイヨシノは、明治以降に彼岸桜と大島桜を交配させて作られたものなので、いわばクローン桜ということになります。そのソメイヨシノの寿命は約100年だとか。そろそろ全国のほとんどの桜は、代替わりを迎える時期となっています。

 ソメイヨシノをながめていても平安時代の雰囲気は感じられないので、おのずと山桜を探すことが多くなりました。今年も、その山桜を求めて、京洛を逍遥しようと思っています。

 さて、水上勉の『櫻守』(新潮文庫、平成23年3月25刷)を読みました。


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 人間と自然との関わりを終始冷静に見つめる作者の姿に、感情移入して読み進めることとなりました。環境問題を、過激にならずに抑制した口調で語っています。

 開巻早々、山桜が見事に印象的に語られます。満開の桜の下では、祖父と母が笑っているのが印象的です。

 話は、昭和5年に弥吉が京都の植木屋「小野甚」に奉公に上がった時から始まり、昭和18年に、竹部庸太郎のもとへ勤め変えします。
 そして、武田尾温泉がある地で桜を守る仕事につくのです。
 以来、昭和39年10月に京大病院の外科病棟3階で亡くなるまで、桜に魅せられた一生を描いた物語です。

 桜を守り伝える人の、自然の中で生きる姿が克明に語られています。人間社会への批判的な目も、しっかりと描き込まれています。
 弥吉が師と仰ぐ竹部の言葉を引きます。


「だいたい、日本の役人さんは、年とった桜をみて、保存しようと考えはするが、勉強をちっともしとらんから、免状をくれるぐらいでまあお茶をにごしてはる。天然記念物にされた木はめいわくで、かりに自動車でやってきた観光さんが、そこで花をいくら眺めてくれても、木イは排気ガスで泣いてます。石戸の蒲桜は、周囲をみかげ石で囲まれ、せっかくのばそと思う根エも張れんぐあいにしばられてます。保存ということが、お役所では机の上でのことどっしゃろ、木イ自体と何の関係もおへん。関係のないどころか、かえって枯らしてしもてるのが実情ですわ」(86頁)
 
「学者はんは、つまり分類屋さんだす。自分の名を売りたい、そのためには新種を見つけたい……それが第一義です。こんなことは桜を育て守るのとちっとも関係がおへん。学者ばっかりやおへんで。わたしらも小学校の頃から、桜を切った人のことばかり習てきました」(87頁)
 
「だいいち、あれは、花ばっかりで気品に欠けますわ。ま、山桜が正絹やとすると、染井はスフいうとこですな。土手に植えて、早うに咲かせて花見酒いうだけのものでしたら、都合のええ木イどす。全国の九割を占めるあの染井をみて、これが日本の桜やと思われるとわたしは心外ですねや」(89頁)

 この小説を読みながら、ふっと自分の両親のことを思う場面が、いくつかありました。大自然の中で人間が生きてきた、その証しのようなものを感じさせてくれた作品です。

 「群盲桜狩りの絵」のことが記されています。この絵巻が何なのか、調べてみてもよくわかりませんでした。
 備忘録を兼ねて、抜き出しておきます。


「群盲桜狩りの絵。巻物で、モリカゲとかいう絵描きさんの描いたものの由である。はじめに盲人の群れ杖ついて行列をつくり歩く。中程にくるや枝垂れ桜の大樹あり、盲人ら花を掌にのせ、あるいは鼻につけ匂いをかぎ、頬にあて、耳にあてして観桜する。桜を聴くに夢中なり。中に酒を呑み、高歌放吟する盲人、やがて、千鳥足にて、桜の枝を手折りたるものもまじえ、帰路につく。蜂にさされ泣きわめく座頭あり。絵は、なかなか面白し。盲人桜狩りせしかと感深し。竹部先生が秘蔵の巻物なり」(189頁)

 物語は静かな語り口の中で、霧雨が晴れる中で明日への生きる力を感じさせながら終わります。
 人間が持つ「徳」というものが、読後に心の中に残りました。【5】

初出誌︰「毎日新聞」昭和43年8月〜12月「現代日本の作家」
単行本︰昭和44年5月、新潮社より刊行
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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