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2016年3月24日 (木)

読書雑記(162)中島岳志・島薗進『愛国と信仰の構造 ―全体主義はよみがえるのか』

 中島岳志氏と島薗進氏の討論を収録した『愛国と信仰の構造 ―全体主義はよみがえるのか』(2016.2.22、集英社新書)を読みました。
 今現在の日本が直面している社会的な問題を、わかりやすく語り合っているので、問題意識が乏しかった私にも理解できるところが多い本でした。


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 今を生きる中で、さまざまな問題が身の回りにあることに気付かされました。
 しかも、日頃はこうした問題を語り合ったり耳を傾けたり、じっくりと考える余裕がないままに過ごしています。

 2人が問いかけ合う形で、問題提起とその回答や示唆が語られていきます。
 島薗氏が具体的な事例をあげ、中島氏が鋭く分析した結果を述べる、という局面が多いように思いました。

 2人の論争を聴く立場で読み進んでいると、社会的な事象を鮮やかに切り分けて解釈を施していく過程に参加できます。知っていることが、新たな視点でつながっていく快感が得られます。

 それでも、結論は読者に委ねられています。2人のやりとりに身を委ねながら、自分の中では自分なりの解決策を模索します。考えてもみなかった問題提起に、自分の立場からの解答を出そうとします。しかし、判断材料が討論者よりも圧倒的に少ない私には、また議論に耳を傾けることとなります。

 本書を読みながら、そんな体験の繰り返しの中で、さまざまな点と線をつなげては消していました。

 そのような中で、中東の戦争や宗教対立、さらには難民や移民の問題からテロが多発する社会と現代という時空をどう見るか、ということにも思いが飛んでいきます。
 しかし、こうしたテーマは、今回は俎上にあげられていません。それは、2人がアジアに目が向いていることに起因するようです。
 そのようなやりとりがなされている箇所を抜き出しておきます。


中島 ここまでの議論から、日本もこうした「単一論的宗教復興」の動きが強まっていると言っていいでしょう。
 「単一論」は、国内においては全体主義に結びついていきますが、同時に、異なる宗教や文明との衝突をももたらします。
 こうした二重の危機を乗り越えるためには、今こそ「バラバラでいっしょ」の「多一論」を基礎とした思想的なアジア主義の可能性を追求する必要があります。
島薗 戦前においてアジア主義は、帝国主義へと転化してしまいました。それを繰り返さないために、中島さんは何が必要だとお考えですか。
中島 私は、柳宗悦の思想に、アジア的な「多一論」の可能性を見出したいのです。柳は「民芸」という概念を作り出したことで知られていますが、それは柳の一面にすぎません。彼は同時に、偉大な宗教哲学者でもありました。
(中略)
 だから、柳宗悦の中では世界を統一したいというような願望、ある極端な理想主義的な政治イデオロギーは出てこなくて、多元的なものは多元的なままで一元的であるという発想が非常に強い。
 近代日本の中で一番希望がある人は誰かと問われると、この柳宗悦ではないかと思うのです。彼はアジアとの連帯を考えながら、アジアの独立というものをしっかりと支持し、日本の全体主義にも与しなかった。ですから、日本のアジア主義のあり得たかもしれない道を柳宗悦が示しているように感じます。(224〜226頁)
 
 
島薗 私も中島さんの考え方に共感します。
 EUを支えるキリスト教、あるいはカトリック教会というような一元的で強固な共通の基盤がアジアにはない。しかし、一方で、東アジアは多様な思想が多様なまま共存するという経験をずっとしている。ここに独自の可能性があるはずです。
 明治維新から一五〇年。この間、日本は、東アジアの宗教や精神文化を遠ざけ、西洋的な近代化に邁進したつもりでいた。しかし、いまや近代的な枠組みを作ってきた国民国家や世俗主義という理念が、問いなおされるようになっています。
 だとすれば、現在の危機を奇貨として、私たちは東アジアという枠組みから宗教や精神文化の重要性を考え、それが立憲主義や民主主義とどう関わり合うのかを考えてみるべきでしょう。
 そのためには、日本の問題を東アジアの課題として受け取る。そういう視野が必要とされていると思います。(261〜262頁)

 ここでは、時間と紙数の関係もあって、語られなかったことが多いのです。それらは、機会をあらためて、こうした問題に対する2人の考え方をぶつける場面に立ち会いたいと思いました。

 現在、今を生きる者として、その背景を成す社会が抱える問題を、日本人と宗教という視点から意見を闘わせています。
 明治維新から今までの政治と宗教の流れを、特に意識して読ませる本です。
 今、自分がおかれている現代を見つめ直す、いい機会を得ることができました。【5】

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 本書の目次をあげておきます。


【目次】
1.戦前ナショナリズムはなぜ全体主義に向かったのか
2.親鸞主義の愛国と言論弾圧
3.なぜ日蓮主義者が世界統一を目指したのか
4.国家神道に呑み込まれた戦前の諸宗教
5.ユートピア主義がもたらす近代科学と社会の暴走
6.現代日本の政治空間と宗教ナショナリズム
7.愛国と信仰の暴走を回避するために
8.全体主義はよみがえるのか

 以下、私がチェックした箇所を抜き出すことで、読書の記録とします。


中島 社会学者の大澤真幸さんはおよそ二五年という長さで日本の社会のパラダイムが変わってきたという非常に優れた分析をなさっています。
 そして、この二五年ごとの時代区分三つを、戦前と戦後で並べてみると、何が見えてくるのか。実はそれぞれの時代区分ごとに(年表・二七頁)、どこか似たところが浮かんでくるのです。大澤真幸さんは、この三つの時代が、並行するように繰り返しているのではないか、と指摘しています。(24頁)
 
 
中島 彼(引用者注:司馬遼太郎)の小説『坂の上の雲』は、タイトルが核心を見事についている。ポイントは「坂」と「雲」です。
(中略)
 おおよそ日清・日露戦争の勝利によって不平等条約は改正されることになりました。日清戦争によって治外法権が撤廃され、日露戦争後の一九一一年になると関税自主権も回復され、日本は名実ともに欧米に肩を並べることになった。しかし、重要なのは、「坂」を登りきった明治の後半の人々が見たものは「雲」にすぎなかったということです。雲は遠くから眺めていれば、実体があるかのように見えますが、その中に入ると、つかむことができない。
 つまり日本は、坂道を登っている間は、あの雲をつかんでみたいという目標があったのに、坂の上に行ってしまったら雲の中に突入してしまい、何をすればいいのかと迷うようになってしまった。しかも雲の中に入ると、見通しがきかない。先が見えない。
 その象徴が一六歳で華厳の滝に身を投じた藤村操でした。雲の中に入ってしまった青年たちは、国家の物語と個人の物語を一致させることができなくなり、自己喪失するのです。
 煩悶青年の前の世代のエリート青年たちは、「末は博士か大臣か」ともてはやされ、その言葉を額面通りに受け取り、明治という近代国家建設に邁進できた。しかし、一八八〇年代以降に生まれた青年たちは、日本が欧米と肩を並べ始めた頃から、「立身出世をしたところで、何になるのか?」と考えてしまうようになった。それが、明治後半以降のエリー青年たちの特徴でした。(54~55頁)
 
 
中島 私には、石原莞爾の満州国と宮沢賢治が『グスコープドリの伝記』で描いた理想郷イーハトーブが重なって見えます。唐突に聞こえるかもしれませんが、石原莞爾とほぼ同じ時期に、国柱会に入会したのが宮沢賢治で、この作品は満州事変の頃に執筆されました。
島薗 どちらも時代の閉塞感を超える理想郷を想像していたという点ではそうかもしれませんね。
中島 あるいは、こうも言えるかもしれません。宮沢賢治の『グスコープドリの伝記』の物語の構造は、同時代の血盟団事件のような昭和維新テロと同じだと。(92頁)
 
 
島薗 ナショナリズムも宗教も、国家の暴走にブレーキをかける批判的役割を持ち得る存在です。しかし戦前の経験を振り返ると、その両者が結合して国粋主義や超国家主義を生み出す土壌となってしまった。この歴史を反復しないためにも、私たちは過去を見つめる必要があります。
 
 
島薗 中島さんの『「リベラル保守」宣言』というご本も興味深く拝読しました。もちろんおおよそ理解はしているつもりですが、あらためて、中島さんの言葉でお話しいただきたいのは、ここまで語ってきた右翼思想と中島さんが信奉する保守思想との違いです。
中島 右翼を定義する前に、左翼との比較を考えてみましょう。左翼は人間が理性を存分に使って正しく設計をすれば、未来はよい方向に変革できるはずだと考える。つまり、未来にユートピアをつくることができると考える。
 一方、右翼や保守はそうした「理性万能主義」には懐疑的です。人間の理性だけでは、未来に理想社会が実現できるとは考えない。長年の歴史の中で蓄積されてきた経験知や良識、伝統といった「人智を超えたもの」を重視するべきだ、と考えます。
 この点については右翼も保守も重なり合うのです。しかし、右翼は、歴史を遡り、過去の社会にユートピアを描いてしまう傾向があります。過去のよき社会を復古させることさえできれば、世の中はユートピアになると。
 けれども、保守は、未来にも過去にも、ユートピアを求めないのです。絶対に人間は誤るものである。だから、少しだけでもよりよい社会にするためには漸進的な改革を進めていくしかないのだという立場です。(137~138頁)
 
 
島薗 業績や結果を求めて目先の因果関係の世界に固執するという傾向が今、広まっています。科学技術はその代表ですが、それを進めていくと、どんなことでも手っ取り早く利益を生むものが肯定されてしまうということになる。(155頁)
 
 
中島 実は、インドも同様の発想が強くて、ヒンディー語に与格構文という不思議な構文があるのです。たとえば、「私はヒンディー語ができます」ならば「私にヒンディー語がやってきてとどまっている」、「私はあなたを愛している」ならば「私にあなたへの愛がやってきてとどまっている」という構文になる。つまり、私という主体が何か合理的に相手を分析し、それによってあなたへの愛を私の中から生じさせたのではなくて、どうしようもない不可抗力によって、どこかからそれはやってきて宿っているものだと考えるわけです。こういう「器としての人間」という観念は、アジア的というか、東洋的な思想において非常に重要な底流としてあると思います。(160頁)
 
 
島薗 一九四五年以降、「GHQが国家神道を解体した」ということになっていますが、ここで解体されたのは国家と神社組織との結びつきです。
 しかし、皇室祭祀はおおかた維持されました。なぜそうなったかと言うと、GHQによる「国家神道」の定義から皇室祭祀がすっぽり抜けていたからです。
中島 つまりGHQは、国家神道と神社組織とを同一視していたということですね。
島薗 そういうことです。GHQが国家神道を神社組織と同一視したのは、西洋流の教団中心的な宗教観による判断です。そして、「国家と教会の分離」というアメリカ流の理念から国家と神社組織の結びつきを解体しました。けれども、第四章で見たように、国家神道の主要な構成要素は神社組織ではなかった。むしろ重要なのは、皇室祭祀と不可分の天皇崇敬でした。(170頁)
 
 
中島 無差別殺人は「誰かを殺せない殺人」というふうに読みかえたほうがいい。「誰でもよかった」というのは、裏を返せば誰が敵なのかよく分からないわけです。昭和維新の時代は「君側の好」という明確な敵が見えていたけれど、今はそれすら見えない。
 おそらく、「誰だってよかった」というのは、誰だっていいという扱いを彼らが日常受けているからであり、非正規労働とか派遣労働の問題が背景にあると思います。
 こうした実存の危機がもたらす極端な暴力を食い止めるようなトポスを、私たちは、どのように作ればいいのか、かつ、そこに宗教の果たす役割があるのではないか。これは、先生と私の共通認識としてもあると思います。(176頁)
 
 

中島 インドは、日本とは違って政治が多元的な宗教を平等に扱ってきました。マハートマー・ガンディーの命日である一月三〇日には、デリーにあるガンディーのモニュメントの前で国家行事としての式典が行われます。その日は、ガンディーの遺体を荼毘に付した場所にみんなが集まって、さまざまな宗教団体の代表者が五分ずつ慰霊をしていきます。アルファベット順なので、最初がブッディストのBで、仏教徒、しかもその仏教徒は日本山妙法寺なものですから、日本人が最初にガンディーの命日はお祈りしているのです。
 そこにインドの首相や与野党のトップも集まります。国家が宗教を除外するのではなく、宗教の多元性を認めてフェアに扱う。どちらかというと本来はこういった感覚のほうが、日本人が長らく持っていたものに近いのではないかと思います。
島薗 その逆の事例が、ダイアナ妃が亡くなった時の礼拝ですね。イギリスはイギリス国教会のウェストミンスター寺院で葬儀をしたのですが、「ヒンドゥー教徒やイスラーム教徒にとっては居心地の悪い追悼の仕方になったのではないか」と欧米の学者から異論が出ていました。
 異なる宗教間の共生や中島さんのいう「多一論」に関して、私は「黙禱とは何か」ということをよく考えてみる必要があると思うのです。
 東日本大震災があってからもその機会が多かったですが、大学の教授会でもよく黙禱します。八月一五日の式典でも黙禱しますし、甲子園でも高校生が黙禱しますが、それらは宗教的な行為だと思います。しかしその礼拝対象は何かというと、よく分からない。(219~221頁)
 
 
島薗 中島さんの議論では、戦前の煩悶青年が国体論的なユートピア主義に向かう媒介として、親鸞主義や日蓮主義が大きな役割を果たしたという構図だったと思います。
 一方、私は、教育勅語や軍人勅諭などを通じて、民衆が自発的に国家神道の価値観を身につけていくプロセスを指摘しました。
中島 はい、この対談はそうした形で議論を重ねてきました。(233頁)
 
 
島薗 戦前とパラレルに進んでいる戦後において、全体主義がやはりよみがえるのか、と問われれば、答えはイエスです。もうすでに現在の日本は、いくつかの局面では全体主義の様相を帯びていると考えてもいいでしょう。
 もちろん、戦前とは大衆の熱の帯び方が違います。「下からの」というより「上から」静かに統制を強めるような、冷めた全体主義です。(253頁)
(中略)
中島 全体主義が戻ってくるとしたら、そのきっかけは、東アジアからアメリカが撤退したときなのではないかと考えています。つまり、アメリカという後ろ盾を失った時、その不安に、日本人が耐えられないのではないか、ということです。(254頁)

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