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2016年4月の30件の記事

2016年4月30日 (土)

京洛逍遥(401)ゴールデンウィークは鷺や鴨に加えて鯉たちも

 連休中の賀茂川沿いの賑わいは、四条から出町までです。
 それよりも上流の下鴨から上賀茂の一帯は、いつもの散歩やジョギングを楽しむ人たちの遊歩道となっています。
 ゴールデンウィークを感じさせない、のどかな雰囲気は変わりません。


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 そのポカポカ陽気の賀茂川では、鷺や鴨に加えて鯉ものんびりしています。


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 京洛を逍遥するのに絶好の初夏の訪れです。
 
 
 

2016年4月29日 (金)

古都散策(53)大和平群でお茶のお稽古

 今日はゴールデンウィークの初日。
 早朝の東京駅は、とにかくすごい人出です。
 いつもに増して、京葉線からの乗り換えで駅の構内を歩くのが大変でした。

 新幹線も大混雑です。デッキにいた方の多くが、通路にも入り込んで立っておられます。
 いつどのようにでもなる自由席を利用する私は、長蛇の列であっても座れる確率の高いスポットを知っています。
 並ぶ列の見極めが得意なので、今朝もうまくその絶妙のレーンに並んで座れました。
 そのコツは、またいつか書きましょう。

 京都駅からは、いつものように市バスで北上するのではなく、南下して大和西大寺駅から生駒駅経由で大和平群へ行きます。
 時間の都合で、橿原神宮前行きの近鉄特急に乗り込みました。

 生駒駅から王寺駅に向かう生駒線の萩の台駅で、生駒山に聳え立つテレビ塔がきれいに見えました。
 信貴生駒連峰の山並みが、みごとな新緑のグラデーションを見せています。
 この生駒山の向こうが大阪です。


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 元山上口駅に降り立つと、いつもと変わらぬ新緑が出迎えてくれます。


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 単線の遮断機を渡ってすぐの竜田川も、新緑の中を静かに岩間を縫うようにして流れています。


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 お茶の先生のお宅は、この竜田川から10分ほど山を登ったところにあります。

 今日も、丸卓を使った入子点のお稽古をお願いしました。
 ピンポイントのお稽古をお願いしています。
 杉の木地の曲げ物の建水に、茶巾、茶筅、茶杓を仕組んだ茶碗を入れて持ち出すことから始まります。

 なかなかお稽古に行けないので、忘れないようにと、自分でたまに家で練習をしています。
 それがしだいに自分勝手な思い込みでやっていることもあり、全体の流れはわかっていても、細かな所作などで雑なところや、勘違いをしているところが多くなっています。
 そうした点を、いろいろと指摘していただきました。

 身体で覚えるためにも、お稽古を見ていただく回数が、私にとって一番の問題です。
 何かと課題を抱えながらも、とにかく今は機会を捕まえて、この平群の地に足を運ぶことを心がけるようにしています。
 
 
 

2016年4月28日 (木)

古都散策(52)【復元】初夏の散策(11)山背大兄王の墓所

 10年前、大和平群に住んでいた頃に書いた、初夏の旅の記を再現しました。
 この法隆寺の裏手に、しばらく行っていません。
 今はどのようになっているのでしょうか。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年7月8日公開分

副題「法輪寺の開放的な雰囲気は取り戻せないのか」

 もう夏。初夏ではなくなりました。
 法起寺から法輪寺を散策した、前回の続きです。

 法起寺から法輪寺へは、ガードレール沿いに一直線です。狭い道を歩き出してしばらくすると、ちょっとした空き地があります。休憩所かなと思いきや、これが「山背大兄王の墓所」を眺めやる場所だったのです。

 法輪寺の一角が見え出す所なので、前ばかり見て歩いていると、つい通り過ぎてしまいます。草が生い茂っていたためでもあります。実は、私も行き過ぎてから、何か変な空き地だなと思って引き返して気付きました。

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 写真でもわかるように、奥にあるガイド図のプレートは草に覆われていて、通りがかりの者には何だかわかりません。また、道沿いにある説明文を記した案内は、歩いている位置からは、それが道の左側にある陵墓の説明を記したものだとは気付きません。
 説明文は、目の前の陵墓を眺めながら読むようになっています。

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 ここには、以下のような文章が記されています。

(伝)山背大兄王の墓所
   (富郷陵墓参考地)

 地元で岡の原と呼ばれているこの丘陵は、聖徳太子の皇子・山背大兄王の墓所と伝えられ、現在、宮内庁の富郷陵墓参考地となっています。
 山背大兄王は、法輪寺・法起寺を建てられたとされ、太子の後継者として皇位継承をめぐって田村皇子(のちの舒明天皇)と争われたといいます。
 皇極2年(643)11月に斑鳩宮が蘇我入鹿の軍勢に攻められ、太子一族は滅びました。大化の改新の2年前の出来事でした。

 陵墓の手前では、畑仕事をする2人がのんびりと草取りをしておられました。花もたくさん育てておられます。少し場違いな配色でしたが、きれいにしようという気持ちが感じられました。
 この場所は、もっと行政が手を差し伸べる必要があるように思われました。

 山背大兄王に想いを馳せながら、実際には歴史的にどんな位置にいた人だったのか、必死に思い出そうとしては思い出せないままに歩き始めると、すぐに法輪寺の塔が見え出します。

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 この法輪寺には、かつて何度も子供を連れて来ては、中の三重塔の周りで遊ばせたものでした。
 しかし、この日は、入口に拝観料を徴収するところが出来ていました。以前は、本堂を拝観する時にだけ受付をするようになっていたのですが……。

 門前払いをされたような、少し縁遠いお寺に変わってしまったように感じました。浄瑠璃寺は、今でも自由に境内を巡ることができるのですが……。

 山門で入山料や拝観料を払ってお参りし、拝見するのが当たり前のご時世でであることは、重々承知しています。私の知っている法輪寺のこれまでがそうではなかったので、何となく冷たくなったような、世俗的な人間臭さを感じさせるお寺になったように思われたのです。
 理屈ではなくて、変化が違和感を生んだのです。

 これまでの解放感からは閉め出された後の、説明に窮する無念さを引き摺りながら、スッキリしないままに帰路につきました。

【付記】
 「山背大兄王」について、『岩波日本史辞典』を見たところ、以下のように記されていました。
 末尾に「墓は平群郡北岡墓」とあるのは、ここのことを言っているのでしょう。
 かつての平群は、広大な地域だったようですから。

山背大兄王【やましろのおおえのおう】
?‐643(皇極2.11) 聖徳太子(厩戸皇子)の子。母は蘇我馬子の女刀自古郎女(とじこのいらつめ)。山代大兄王・山尻王・上宮王などともつくる。異母妹の舂米(つきしね)女王(上宮大娘姫王)を妻とした。岡本宮(後の法起寺)で成長し,父の死後は斑鳩宮に移った。628(推古36)推古天皇の死後,田村皇子と次期大王位を争ったが敗れ,田村皇子が即位(舒明天皇)。643(皇極2)蘇我入鹿は舒明の子古人大兄を立てようと謀り,山背大兄王らを斑鳩に襲い,自殺させた。墓は平群郡北岡墓。

********************** 以上、復元掲載 ********************** 
 
 
 

2016年4月27日 (水)

古都散策(51)【復元】初夏の散策(10)法起寺

 10年前、大和平群に住んでいた頃に書いた、初夏の旅の記を再現しました。

 「法起寺」をどう読むのか、また参拝者にそれをどう伝えるのかは、観光地として今はどうなさっているのでしょうか。
 当時抱いた素朴な疑問を投げかけたまま、詳しく追跡をしていません。
 こうした例は、全国各地にあるはずです。
 インターネットで記事などを検索すると、それこそ詳しい説明があることでしょう。
 行政も、何か手を打っているのでしょう。
 そう思うことにして、今もそのままでいます。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年6月18日公開分

副題「寺の名前を何と読むか」

 初めて法起寺を拝観しました。
 これまでに、この寺の横は何度も通りました。しかし、お寺が小さいことと、外から国宝の三重塔がよく見えることから、わざわざ中に入ることがなかったのです。
 聖徳太子の創建にかかり、1993年12月に法隆寺とともにユネスコの世界文化遺産に日本で最初に登録されたお寺です。法隆寺があまりにも有名すぎて、通りかかっても視界に入るだけで、斑鳩の里のはずれにあるこの寺に脚を向けることがなかったのです。
 今回、初めて境内に入り、そのすばらしさと素朴なよさを満喫しました。

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 山門を潜る時に、素朴な疑問が湧きました。この寺の名前は、何とよむのだろうかと。
 私は法起寺を「ほっきじ」と呼んでいました。しかし、山門前には「ほうきじ」という読み仮名が見え、拝観受付でもらったリーフレットにも「ほうきじ(HOKI-JI)」と書いてあります。

 受付の男性に聞いたところ、昔は「ほっきじ」とも言っていたらしいが、今は「ほうきじ」と言っているようだ、とのことでした。自信なさそうに、よくわかりませんが、とも。
 受付には2人おられました。2人ともシルバーセンターからの派遣のような方で、お寺の関係者には見えませんでした。決められた時間に拝観手続を代行するだけ、といった対応でした。

 まさに『伊勢物語』の築地の崩れの中かと思わせる傾きかけた庫裡を見ながら、収蔵庫に安置されている重要文化財の十一面観音を拝みました。観音像は大好きです。しかし、この仏様にはあまり親しみを感じませんでした。顔が日本的ではなかったからだと思います。

 そしてその右後ろに、三重塔がまさに絵の中に建っているかのように見えます。ただ、きれいの一言です。

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 江戸時代の初めには、この塔だけが建っていたという荒廃ぶりが、今の境内からも少しは想像できます。
 近くの石の台の上で、男性が一人寝そべっておられました。のんびりとした時間が流れています。
 ただし、塔の後ろの生け垣が整備されていないために、外界の工場などの建物が見えるのには失望しました。もう少し手入れをして、俗界は見えないようにしたほうがいいと思います。
 境内も、もっと手を入れればいいのに、と思いました。駐車場も一応用意されており、敷地と場所はあるのですから、門を開けるなど、なんとか工夫すべきでしょう。歩いて15分ほどもある法輪寺の駐車場を使ってくれ、というのは酷いと思います。

 お寺の出口に近いところで、風雪に耐えた板の説明標識がありました。木の部分は傷んでいました。しかし、墨は盛り上がって残っており、その説明の中の英文の2ヶ所に「HOKKI-JI」と「Hokkiji」という文字が読めました。


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 かつては、「ほっきじ」と言っていたのです。しかし、この文字の最初の「K」が共に潰されていました。心無いいたずらなのでしょう。
 とにかく、寺の名前の来歴は、パンフレットでもはっきりと書くべきだと思いました。『正倉院文書』や『日本霊異記』などに名前の見える古い寺なのですから。

 ぶらぶらと法輪寺の方に向かって歩き出したところ、道端の標識は「ほっきじ(Hokkiji)」でした。ややこしいことです。地元の方々は、何と言っているのでしょうか。そして、すぐそばのバス停の読みがなは、またバスでの案内は、などなど。
 いつか確認してみましょう。

 なお、法隆寺が昭和25年に聖徳宗を開宗してから、この法起寺も聖徳宗となったのだそうです。
 日本の1万円札などに聖徳太子や夢殿が印刷されていた頃と違い、今ではこの斑鳩の知名度もかつてほどではないように思います。観光客がたくさん来るのがいいというのではなくて、正しく伝える努力を、法隆寺の周辺の社寺もすべきだと思います。法隆寺の絶大な力に負けないでほしいと思いました。

********************** 以上、復元掲載 ********************** 
 
 
 

2016年4月26日 (火)

読めなくなっていたホームページを再建

 1995年9月からインターネット上に公開していたホームページ旧〈源氏物語電子資料館〉が、しばらく見られない状況にありました。

 1999年に私が国文学研究資料館に着任した際、それまで奈良インターネット「まほろば」から公開していたホームページを、〈へぐり通信〉と〈源氏物語電子資料館〉の2つに分けました。
 日々の雑録を記したのが〈へぐり通信〉で、「まほろば」のサイトから発信を続けていました。
 『源氏物語』に関連する学問的な情報を中心とした〈源氏物語電子資料館〉は、「国文学研究資料館」のサイトから公開していました。

 度重なる国文学研究資料館におけるシステム入れ替えに伴い、〈源氏物語電子資料館〉はいつしか外部から閲覧できなくなっていました。
 2005年以降は、私が情報の更新を怠っていたことも原因です。

 過去に私が取り組んだ科研の報告などをご覧くださる方々がいらっしゃったので、いつか再建をと思いつつも、延び延びになっていました。

 今回、科研などのホームページを公開している、「さくらネット」のサイトの片隅に、バックアップしていた国文研版・旧〈源氏物語電子資料館〉のデータを移設しました。


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 これは、1995年から2005年までに発信していた、『源氏物語』に関する情報で成り立っています。
 あくまでもアーカイブズとして、しばらく閲覧できる状態にしておきます。

 これで、まずは国文学研究資料館から発信していた〈源氏物語電子資料館〉は再建できました。
 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉と紛らわしい名前でもあり、大急ぎでこの中のデータをブログなどに移し、移し終わったら消去する作業をしていきます。

 また、〈へぐり通信〉も、現在は壊れたままで閲覧ができない状態にあります。これについても、近日中に再建する予定です。

 日々の忙しさにかまけて、旧〈源氏物語電子資料館〉や〈へぐり通信〉を放置していました。しかし、掲載されている情報は古いものであっても、当時の研究状況がわかり、私個人の存在証明ともなるものなので、再建することにしました。
 ブログなどへの移行作業が終わったら、このホームページは閉鎖することになります。今から1年くらいはかかると思っています。
 
 
 

2016年4月25日 (月)

法務局に書類を出して上京しゴジラを見る

 京都地方法務局で、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の定款変更の登記手続きをしました。
 後は、5月10日に無事に登記が完了することを待つこととなります。
 こうした手続きは、わからないことだらけで、とにかく時間と手間がかかります。

 定款の変更箇所について、CD―Rにテキストで収録したものを提出することになっていたのです。もはや時代遅れのメディアであるCD―Rを取り出してきて、収録しようとしました。しかし、このような古いメディアの出番があろうとは思ってもみなかったので、CD―Rの作成に手間取ってしまいました。
 私のパソコンではすぐにできないことがわかり、何種類ものパターンで印刷物を作成してから、法務局へ行きました。しかし、行ってみると、CD―Rはなくてもよいとのことです。プリントアウトした紙で十分でした。
 このCD―Rの作成にかけた膨大な時間を返してほしい、と訴えたい気持ちを押し留めて、とにかく提出した書類を無事に受け取っていただきました。
 問題がなければ、2週間後に、登記が完了するのです。

 受理してもらうとすぐに、新幹線で上京しました。

 久しぶりに富士山を見ました。
 いつ見ても、いい姿をしています。


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 上京後、一仕事してから新宿へ出ました。
 月曜日だというのに、若者たちの熱気に圧倒されます。
 歌舞伎町を通り掛かった時、ゴジラを見かけました。
 このゴジラは、街行く人々に元気を与えているように思えます。


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2016年4月24日 (日)

京洛逍遥(400)初夏の下鴨神社と上賀茂神社

 初夏に向かい、賀茂川の水も温んできました。
 川沿いの散策路は、桜の若葉が清々しさを感じさせてくれます。


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 鷺たちの顔も穏やかです。


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 朝の散歩で、今年度も仕事が無事で順調に、そして平安に進んでいきますようにと、賀茂の両神様にお祈りして来ました。

 まずは、氏神様である下鴨神社へ。
 最近、洛中のみならず洛外でも、着物姿の観光客をよく見かけます。


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 この時期は、結婚式のシーズンでもあります。


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 光琳の梅も、今は新緑一色です。


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 家で一休みしてから、上賀茂神社へも脚を運びました。

 葵祭を控えて、恒例の賀茂競馬の準備が進んでいます。
 今日は競馬の練習日なのだそうです。


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 競馬の会場となる馬場の準備もできています。

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 細殿では、結婚式が執り行なわれていました。


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 ならの小川では、手作り市が開催されています。


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 午後は、科研を含めての研究活動に関する大事な打ち合わせがあったために、京都駅前まで出かけました。


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 駅前は、観光客でごった返しています。
 京都の観光客の数は、当分は安泰のようです。
 日本全体で見ても、海外からの観光客は増え続けています。
 今後は、この観光資源をいかに生かしていくかが、日本の将来設計の重要なポイントになることでしょう。
 その意味からも、文化庁が京都に移転してくることは、関西にとっては活気を取り戻す好機だと言えるでしょう。
 みんなで叡知を出し合う時が到来したのです。
 
 
 

2016年4月23日 (土)

読書雑記(164)船戸与一『砂のクロニクル』

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 冒頭に暦に関する解説があります。
 中東で繰り広げられる闘いと直接は関わらないとしても、世界の人々が生きる様を見る上で、暦を通して興味深い人間の歴史とその背景を教えられました。

 序の奏では、イラン・イラク戦争に関する1981年1月から1988年8月までの年譜が、6頁にもわたって列記されています。
 終の奏には、1989年6月から1991年7月までのイラン・イラクに関する年譜が、4頁にわたって掲示されています。
 まさに、史実と虚実が混在した物語展開となっているのです。

 ハジと呼ばれる日本人の武器商人である駒井克人は、アラブ語とペルシャ語ができます。ペルセポリスに魅せられて、アケメネス朝ペルシャの研究をテヘラン大学で学んだ、39歳の男です。

 このハジと、隻脚の東洋人であるハジが、物語の中で屹立しています。このハジと呼ばれる人物の読み分けに、最後まで焦点が合いませんでした。もう一度読む機会があれば、この点に注意したいと思っています。

 イランの革命防衛隊小隊主任であるサミル・セイフは23歳。イスラム革命への忠誠心から、上官を殺します。しかし、その罪は許され、クルド民族運動鎮圧の先兵としてクルド人の聖地であるマハバートへ異動となるのでした。
 革命の中での人間が生き生きと描かれています。

 ロシアでの駒井克人は、ペレストロイカの中でグルジア・マフィアとの折衝を重ねます。銃器2万丁をモスクワからカスピ海経由でイランに運ぶ交渉です。
 作中、こんな発言がありました。


「近々、わたしたちはイラン国内で大幅な軍事行動を起こす。知ってのとおり、わたしたち二千万のクルド人はイラン、イラク、トルコ、シリア、ソ連と五つの国家に分断されてる。イラン・イラク戦争が終わったんで、中東の国内緊張を創りだすために、またあちこちでクルド人が殺されるのは眼に見えてるんだ。急がなきゃならない。わたしたちがイランで軍事行動を起こせば、かならずイラクのクルド人組織が動く」(上124頁)

 駒井は、中東の少数民族クルドが軍事行動で必要とする武器調達のために動くのです。ホメイニ体制のイランに、この武器が無事に運び込めるのかどうかが、物語を背景で支えています。

 クルド人にとって聖なる地マハバードが舞台の中心となっています。
 さまざまな民族紛争の背後で、クルド語とペルシャ語が入り混じる会話が展開する物語に、中東の複雑な背景が読み取れました。

 クルド人ゲリラのハッサン・ヘルムートは、クルド独立のために戦う男です。
 この男も、物語展開を左右する人物なので、注意して読み進めました。

 とにかく、文庫本にして1000頁以上の長大な作品です。
 しかも、そのスケールの大きなことと相俟って、多くの登場人物が果たす役割と、中東における歴史的な背景の理解が求められます。
 読み終えると、自分が一回り大きくなったような感じがします。

 作中で、月光が時折夜空に浮かび上がります。船戸の作品の特徴でもあります。
 船戸の描写の中での月光の設定は、非常に興味があります。
 井上靖の静けさの中の月とは違います。動の中の静としての月なのです。雰囲気作りの小道具として、この月が巧みに活用されているのです。

 本作は、雄大な構想の下、人種を問わず人間の行動規範と情念と情愛が、実に巧みに描かれています。特に、「第五の奏 聖地に雨が降る」は出色の出来です。

 イスラム革命体制を擁護する革命防衛隊員である弟のサミル・セイフに対して、姉は「生き抜いてどうしてもやらなきゃならないことがある」と言います。この言葉の意味するところは、この物語の最後に明かされます。さらなる展開は、巧みに持ち越されていくのです。

 イラクからも、イランとも敵対しているクルドの立場が、子供のスパイを通して読者に投げつけられる場面もあります。これにはショックを受けました。今、自分が生ぬるい平和らしき中にいることを、あらためて実感させられます。生きる世界の違いを、さまざまなエピソードから思い知らされました。

 上巻は、圧倒的な迫力と深刻な問題を抱えたままで下巻へと引き継がれます。

 後半は、イランのテヘランを舞台にして、武器商人である駒井克人の隠密行動から語られます。

 ゾロアスター教のことが話題になった時、私は松本清張の『火の路』を読んで以来の、異国の異教についての興味を思い出すこととなりました。

 後半でも、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアなどなど、私がほとんど情報を持っていない国々がでてきます。
 そして、アゼリ人やアルメニア人などなど、さまざまな民族・人種の人々が登場します。

 次のような文言に出くわして、政治がらみで使える文字にも違いがあることを知らされます。


アルメニア人たちは独特な民族文字の使用を許可されているが、アゼリア人はアラビア文字を使うことを禁止されてロシア文字の使用を強制されてるのだ。(64頁)

 ペルシャ語がわかっていても、わからないふりをする場面もあります。民族と言語が入り混じる世界が、巧みに描き出されていくのです。
 そして、舞台が中東各地へと拡散していきます。

 月光の下でのヘルムートとハリーダの営みは、美しい中にも毒ガスで焼かれた醜い肌がリアルに描かれます。作者は、月光が好きなのです。
 やがて、2人の男の壮絶な死闘の場面へ。静と動が心憎いばかりに描き分けられています。

 この第11の奏「明日には聖地の奪還を」は、本作の中でも第五の奏と共に、一二の完成度の高さを見せています。

 革命防衛隊内部の腐敗を一掃するために、セイフたちは立ち上がります。イスラム革命精神を取り戻すために決起したのです。
 そこへ、革命委員会からのスパイが革命防衛隊を潰しにかかります。内部分裂の中を、クルド人が襲撃を仕掛けます。三つ巴の、壮絶な場面が展開するのです。

 すべては、蒼い月影の中で。
 月光の下で展開しています。

 長大で壮大な物語は、やがて静かに幕を閉じます。
 語り手の懐の深さと、人間としての器の大きさが記憶に刻まれました。【5】
 
 
※本作は、平成3年11月に毎日新聞社より刊行されました。
 今回は、新潮文庫(上下2冊本、平成6年12月刊)で読みました。
 
 
 

2016年4月22日 (金)

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の定款変更で登記の準備中

 昨年12月に申請したNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の定款変更に関して、先週の4月14日に京都市長より正式に認証書をいただきました。


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 それに伴い、「指令書の到達した日から2週間以内」に、京都地方法務局へ変更の登記申請を行うことになっています。つまり、この4月27日までに指定の書類に基づいて登記の申請をする必要があるのです。

 その書類を提出するにあたり、このところ慣れない書類作りに当たっていました。
 次の法務省のサイトに、その申請にあたっての説明があります。

http://www.moj.go.jp/content/001175371.pdf

 しかし、こうしたことに疎い私には、わからないことだらけです。

 いつもお世話になっている、京都市文化市民局地域自治推進室市民活動支援担当の小松原さんに電話でお訪ねしました。
 そして、直接の担当部局である京都地方法務局へも問い合わせをしました。その結果、東京に居ながらこの申請をするのであれば、東京にあるNPOのサポートセンターで書類を見てもらい、不備などがないかを確認してから郵送で申請したらいい、とのアドバイスをいただきました。

 NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の運営に関わっている仲間にいろいろと情報を提供してもらいながら、どうにか書類を調えました。
 そして、設立の時にもアドバイスをいただいた、飯田橋のセントラルプラザにある東京ボランティア・市民活動センターへ、提出予定の書類を持って行きました。

 今回も、相談担当専門員の増田さんのお世話になりました。
 じっくりと事情説明を聞いてくださいました。そして、的確なアドバイスをいただけたのです。ありがたいことです。

 この東京ボランティア・市民活動センターは、飯田橋駅に直結しているビルの10階にあります。交通の便が非常によい所です。しかも、火曜日から土曜日までは朝9時から夜9時まで、日曜日は朝9時から夕方5時まで開いています。休館日は、月曜・祝日・年末年始です。

 今日は午後9時までだったので、本当に大助かりです。
 NPO法人は専業者ばかりではないので、こうした配慮はうれしいことです。お役所仕事ではないことと、親身になって相談ができるので安心できます。

 それにしても、NPO法人設立からこれまでを振り返ると、法務局にはいろいろと難儀な対応をされたことしか思い出せません。
 今回の定款変更にともなう登記申請において、これからどのようなトラブルに巻き込まれるのか、今から楽しみにしています。

 今後、NPO法人を運営なさる方のためにも、設立準備から設立直後までの経緯を、以下に時系列で列記しておきます。
 いろいろとクリアーすべき問題が山積していることがわかります。
 それでも、京都市の担当者などから、懇切丁寧な説明やアドバイスがいただけたので、ずぶの素人でもこうして無事に設立し、定款の変更などがおこなえるのです。

 一人でも多くの方の手助けや支援になることであれば、とにかく前に向かって動き出すことに尽きます。
 当法人には、まだまだ難関が待ち受けていることでしょう。しかし、多くの支援者と一緒に考え、行動していれば、越えられない壁はないと思っています。

 みなさま、今後ともお力添えのほどを、どうかよろしくお願いいたします。
 
------------- 設立準備段階から設立直後まで ---------------

「NPO法人の認証書の交付を受けました」(2013年02月02日)

「NPOの法人印を精魂込めて彫っていただく」(2013年02月04日)

「法人登記のため小雨の中を走り回る」(2013年02月05日)

「NPO法人の口座開設でまた名前が問題に」(2013年02月09日)

「不愉快だった銀行の対応」(2013年02月15日)

「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の銀行口座開設の報告」(2013年02月18日)

「法務局のミスで市役所への登記完了届出書が不受理になりました」(2013年02月19日)

「三井住友銀行に口座を開設できました」(2013年02月24日)

「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の新会員募集のご案内」(2013年03月02日)

「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページ更新」(2013年03月18日)

「NPO〈GEM〉に『十帖源氏』の資料を公開」(2013年03月19日)
 
 
 

2016年4月21日 (木)

古都散策(50)【復元】初夏の散策(7)若草山

 10年前、大和平群に住んでいた頃に書いた、初夏の旅の記を再現しました。
 家族だけでなく、多くのお客人をここに案内し、大和の地を眺め、我が家があった信貴生駒の峰々と平群の地を目で追ったものです。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年5月8日公開分

副題「『枕草子』の鴬塚はここか?」

 奈良市街を一望のもとに見渡す所といえば、何はさておき若草山です。三笠山の続きにあり、東大寺裏の正倉院横から奥山ドライブウェーですぐに行けます。
 私は、海外からいらっしゃった方を奈良にお連れした時には、まずここに案内します。藤原京から平城京へ、そして長岡京を経て平安京へと、都が北上して行くさまが実感できる位置だからです。
 眼下に東大寺の大仏殿が見えます。
 ここから左上手の方には、我が家のある生駒山地から二上山の山並みも見えます。


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 この若草山の山頂には、鴬塚古墳があります。
 ここは、清少納言が『枕草子』に、「陵は、うくるすの陵。柏木の陵。雨の陵。」(三巻本、第15段)と言った所だと言われています。ただし、いろいろな説があり、確定したものではありません。

 『枕草子』の本文に「うくるす」とあるのは、他の写本では「うくひす」とあり、これによって『大和志』は若草山がそうだとしています。それとは異なる考え方もあり、大阪の百舌にある仁徳天皇陵を充てる『春曙抄』や、藤原氏歴代陵墓のある宇治木幡を充てる『環解』などがあります。

 若草山に上ると、説明板にはここがそうだと記しています。


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 山頂部の石碑の裏には、清少納言の言う鴬塚はここであると刻した文字が、かすかに判読できます。


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 さて、清少納言がいう「うくるす」の陵は、いったいどこでしょうか。
 清少納言は、旅衣でこの若草山を上ったかもしれません。
 麓から歩くと、1時間はかかります。春の若草山の山焼きの後の新緑の頃に、鹿たちと一緒に上ったと、私は想像しています。平安の都から見れば、この平城の都は、まさに古里なのですから、清少納言の興味を惹き付けたはずです。

 『伊勢物語』の初段には、「昔、男、うゐかうぶりして、平城の京、春日の里にしるよしして、狩に往にけり。」とあります。若草の小高い山から見下ろすと、清少納言が好みそうなアングルで古里が一望できるのです。京都の清水寺から見る平安の都よりも、もっと雄大な景色が臨めるのですから。

 若草山の裏には、世界遺産に指定されている春日の原始林が広がっています。「天の原ふりさけみれば春日なる……」と歌われたこの地は、奈良時代から平安時代へと移り変わる雰囲気を、今でも見せてくれます。

********************** 以上、復元掲載 ********************** 
 
 
 

2016年4月20日 (水)

国文学関連のウェブサイト「JGJ」が誕生しました

 日本語と日本文学の調査研究に関する、新しいウェブサイトが生まれました。
 「日本語学日本文学研究情報・成果公開サイト」(Japanese.gr.jp、略称 JGJ)(2016年4月17日 公開)がそれです。
 サブタイトルは「日本語日本文学研究の未来のために」となっています。

 その言挙げをお祝いいたします。

 このサイトは、近藤泰弘氏(青山学院大学文学部教授)と近藤みゆき氏(実践女子大学文学部教授)の共同運営によるものです。

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 その目的と発信される情報の内容は、「サイト概要」によると以下の通りとなっています。


1. 日本語学および日本文学研究において、文理融合型・領域横断型の研究を行い、その研究方法を公開する。

2. 研究用データ・ツール等を公開し、広く人文科学、特に日本語学・日本文学研究において同様の研究を行っている研究者との情報共有を計る。

当面は、以下に述べる科研費の補助を受けて、その研究成果を中心に公開する予定にしています。
また、過去に出版した関係論文や資料なども可能なものからオープンアクセスとして公開していきます。

サイトコンテンツは以下の通りです。
なお、本サイトは基本的にXMLの書法によりHTML5準拠で書かれています。

1. 成果・報告(特に紹介したい論考の紹介と閲覧)

2. テキストアーカイブ(研究用に作成した古典語・現代語のデータリストとダウンロード)

3. ソフト・ツール紹介(本サイト関連で作成したソフトウェア・ツールの紹介とダウンロード)

4. 業績紹介(研究業績リスト)

5. 関連リンク(この分野に役立つサイトへのリンク)

 私は1995年9月から、ささやかながらもインターネット上に国文学関連の情報を公開して、今にいたっています。
 これはあくまでも個人的な営為の延長に留まるものであり、しかも『源氏物語』に限定しての周辺情報の公開です。
 そこから、本ブログ「鷺水亭より」が派生しました。

 その後、いろいろな方がサイトを立ち上げられ、今も利用させていただくものがいくつも存在しています。
 そのような中で、今回のサイトは、これまでの研究実績とウエブコンテンツを熟知したお2人が、共同で運営されるということです。
 これは、今後の幅広い展開が期待できます。

 一人でも多くの日本語や日本文学に興味を持つ方々に告知する必要を感じ、ここに紹介するしだいです。
 充実した情報の提供と共有をめざして、当サイトがますます発展することを楽しみにしたいと思います。
 
 
 

2016年4月19日 (火)

古都散策(49)【復元】初夏の散策(6)赤目四十八滝

 10年前、大和平群に住んでいた頃に書いた、初夏の旅の記を再現しました。

 この赤目四十八滝へは、小学生の頃、家族と一緒にお弁当を持って行った記憶があります。
 滝が流れ落ちる岩場を背景にして写した写真があったように思います。
 ただし、私は20歳の時に火事に遭ったため、それまでの写真のすべてを無くしています。
 この滝のことも、記憶の中にしかありません。
 それでも、両親か姉のアルバムにあるかもしれないので、機会があれば探してみましょう。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年5月7日公開分

副題「フラリのんびりブラブラと森林浴を楽しむ」

 小さい頃に赤目四十八滝へ行った記憶があります。40年以上も前のことです。突然ですが、滝の前に身を置こうと思い立ちました。

 奈良と三重とのちょうど県境で三重県側にある赤目四十八滝は、日本の滝百選などで有名です。その割には、なかなか行く機会がありませんでした。新緑の中を、気ままに森林浴をしてきました。

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 赤目は『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉)でも知られています。平成10年度上半期直木賞受賞作です。
 映画化もされ、荒戸源次郎監督・寺島しのぶ主演でした。平成15年の毎日映画コンクールで日本映画大賞とブルーリボン賞作品賞も授賞しています。
 赤目の近くの名張市は、江戸川乱歩の生誕地でもあります。

 それはさておき。

 渓流を、水音のささやきを聞きながら、上流へと進みます。青森県の奥入瀬渓谷を散策した時よりも、広さと明るさを感じました。岩がゴロゴロしているところは、奥入瀬とまったく違います。
 全行程を踏破すると、片道2時間の滝トレッキングだそうです。気分転換に来ただけだったので、渓流の3分の1にあたる七色岩で引き返しました。
 朝が早かったので、人出は少なかったようです。引き返す頃には、少しずつすれ違う人も多くなりました。
 今回見た中では、布曳滝が1番でした。30メートルの高さから水が落ちてきます。滝口の水の色も、深い碧でした。

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 こんなに透き通る水の流れを見るのは、ほんとうに久しぶりです。

 ちょうど子供の日だったこともあり、滝の周りではさまざまなイベントがありました。その1つが、伊賀流忍者の衣装を着せてもらい、本物の忍者と記念撮影、というのがありました。

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 「くの一」もチラホラ。
 女の子は、カラフルな衣装を着けていました。

 マイナスイオンが体にいいと言います。理屈はともかく、爽やかな散策でした。
 お昼ご飯の前に、伊賀の隠れ宿とあった旅館に入り、露天風呂に入りました。太陽を浴びながら、緑の風を感じて入る温泉は、気分をほぐしてくれます。赤目温泉の隠れ湯「半蔵の湯」だそうです。

 フラリと行って、ブラブラ散策し、のんびりつかるというのも、これまた一興の一日でした。

********************** 以上、復元掲載 ********************** 
 
 
 

2016年4月18日 (月)

古都散策(48)【復元】初夏の散策(4)生駒の足湯

 10年前、大和平群に住んでいた頃に書いた、初夏の旅の記を再現しました。
 今もここに足湯があるのでしょうか。
 車に乗らなくなったので、行く機会がないままです。
 今度、平群へお茶のお稽古に行った帰りにでも、フラリと立ち寄ってみようかと思っています。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年5月5日公開分

副題「生駒の山並みを眺めながら温泉気分」

 我が家の近くに最近、健康施設としての「足湯」がオーブンしました。
 その名も「歓喜の湯 足湯」。
 何の変哲もない施設です。
 しかし、これが気分をほぐしてくれます。


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 ここは、誰でもが自由に利用できます。
 以前は、地下から掘り起こした温泉を、ガソリンスタンドのようなホース付きのボックスから、百円で灯油缶1杯が持ち帰れました。何度か私も貰ったものです。
 その横に、こんな粋な施設が出来たのです。なかなかいいアイデアです。

 最近フラリと、10分ほど脚を浸けるために行きます。体がホカホカして、何とも心地よくなります。温泉好きの私には、こんなに簡単にその効能が得られるので、大歓迎です。何よりも、無料というのがいいですね。

 写真の左上には、生駒山のテレビ塔が見えます。
 信貴生駒連山を眺めながら、足湯を楽しめるのです。

 城の崎温泉の駅の側に、近年できた外湯の入口近くに足湯があります。
 全国には、こうした足湯がたくさんあることでしょう。
 また、楽しみが増えました。

********************** 以上、復元掲載 ********************** 
 
 
 

2016年4月17日 (日)

『源氏物語』を書写する際の現代風の料紙加工の一例

 昨日に引き続き、銀座4丁目の鳩居堂で開催されている宮川保子さんの書道展に、今日も脚を運びました。今日が最終日だったことと、いくつかお尋ねしたいことがあったからです。

 私のブログをお読みくださっている方から、宮川さんの料紙加工についていくつか質問がありました。そこで、厚かましくも説明と写真撮影をお願いしたところ、快諾をいただけました。展観者の対応でお忙しい中を、少し手の空いた時に撮影をさせていただけたのです。

 ここでは、版木を用いた型押しの例をあげます。

 まず、「手習」の場合。
 本文を書写する前の仮綴じされた用紙には、すでに絵柄が摺られています。


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 ここに『源氏物語』の本文が書写されると、次のようになります。
 新写本の右横に、ここで用いられた版木を並べました。


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 全体の様子もあげます。
 版木の左端の絵が、見開き右側に摺られているのです。


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 次に、「浮舟」の場合です。
 同じ版木の右半分を用いて絵柄が摺られています。


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 これも、全体をあげます。
 見開き左側に摺られています。


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 『源氏物語』を書写するにあたり、料紙の調達と加工に始まり、実に多岐にわたる制作手順があることがわかりました。宮川さんは、それをすべてお1人でなさっているのです。

 平安時代から鎌倉時代に古写本がどのようにして書写されてきたのか、どのような過程を経て制作されたのか等々、こうした例を拝見すると、おのずと想いは千年前に誘われます。

 今回は、書を拝見するとともに、その背景に興味を持ちました。
 まずは見る。そして聞く。さらには触ることもできました。

 宮川さんは、『源氏物語』の全帖の書写を目指しておられます。
 ただし、新潮古典集成という、活字の校訂本文を底本にして書写しておられることが、お目にかかって以来ずっと気になっていることです。
 昨日も今日も、押しつけがましくならないように、また呟いてしまいました。ハーバード大学美術館蔵『源氏物語』の「須磨」と「蜻蛉」、そして国立歴史民俗博物館蔵『源氏物語』「鈴虫」の模本を作成しませんか、と水を向けました。三兄弟の模本を、若者に見てもらい触ってもらいましょう、と囁きました。
 どのように受け取っていただけるのか、まだよくわかりません。
 それはともかく、ますますの活躍を楽しみにしています。

 帰りがけに、連絡をとろうと思っていた大東文化大学の髙城弘一(竹苞)先生が、ちょうど会場にお越しになりました。
 久しぶりにお目にかかり、少しソファーに座ってお話ができました。
 いろいろとお願いごとやご相談ができ、今日もいい出会いと収穫の多い一日となりました。
 みなさまに感謝いたします。
 
 
 

2016年4月16日 (土)

古写本をめぐって慌ただしい中でも充実した一日

 午前中に開催された、平成28年度NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の総会は、予定していた議案がすべて了承され、無事に終了しました。
 和やかな中で、今後の活動や運営に関する多彩な申し合わせ事項も、うまくとりまとめることができました。

 今回の会場は、2014年03月23日に「NPO設立1周年記念公開講演会」のイベントをした、東京都中央区にある築地社会教育会館でした。


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 話し合った内容については、後日NPO法人〈源氏物語電子資料館〉のホームページでお知らせします。

 参加してくださった会員のみなさま、そして委任状をお寄せくださったみなさま、ご協力をありがとうございました。そして、これからも、活動の支援に関してよろしくお願いします。

 閉会後、みなさんと一緒に、ブラブラと銀座4丁目の鳩居堂3階にある画廊へ移動しました。


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 会員でもある宮川保子さんが、『源氏物語』の宇治十帖の作品展をなさっているからです。

「宮川保子さんの宇治十帖と継色紙の個展」(2016年03月16日)

 ご自身で料紙の装飾を摺る際に使われる版木や、継ぎ紙の手法について、実作をもとにして説明してくださいました。多くの展観者の方々がいらっしゃる中で、ありがたいことです。

 その後、私が行っているコナミスポーツクラブ銀座の上にあるレストランで食事をしました。
 京都からお出でいただいた石田さんも、ありがとうございました。

 みなさんとお別れしてから、私は淺川さんと一緒に、永井和子先生とお話ししたいことがあったので、先生のご自宅にうかがいました。駅前でと思っていたところ、先生の温かいお誘いのままに、お言葉に甘えてご自宅に寄せていただくことになったのです。
 過日、永井先生が送ってくださった、ご自宅に舞い降りた鷺がいた庭を、これがあの、と感激して拝見しました。

「京洛逍遥(392)京洛の三日月と東都の白鷺」(2016年03月12日)

 残念ながら、初夏に向かう今日は、あの白鷺はいませんでした。
 私の話を聞いてくださり、そして、たくさんのありがたいお話をうかがうことができました。いつも、ありがとうございます。

 その先生のお話の中に出てきた、古典和歌集である「伊勢集」の摹本を作成なさった藤原彰子さんの作品を拝見することができました。


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 ちょうど、銀座で宮川さんの作品を見てきたばかりだったので、同じことを指向し、挑戦なさっている方の存在に驚きました。最初は、宮川さんと藤原さんは同一人物ではないか、と思うほどに、その作品に対する姿勢が同じなのです。

 さらに私は、装飾料紙を駆使して『源氏物語』の書写に挑まれた右近正枝さんのことも思い出しました。


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 宮川さんは、新潮日本古典集成の活字校訂本をもとにした創作かな書道であり、右近さんは岩波旧大系本の活字校訂本文を自在な仮名書きにして書いておられます。

 私は、このお2人が書写なさっている底本の選定に対して、大いに不満の意を伝えています。2人ともに、活字で印刷された校訂本文を用い、現代向けに組み立てられた本文を自分が思う通りの変体仮名に変えながら書写なさっているのです。
 私は、活字校訂本文を使っての書写は止めてほしい、と伝えています。臨書をする中で、仮名の使い分けで芸術性を追究するのであれば、それは『源氏物語』の本文史の中に定位できると思います。しかし、活字校訂本文を変体仮名で書写して後世に残す意義は、弊害こそあれ、何もないと思っています。
 紛らわしい新写本を後世に残すべきではない、というのが私見です。

「何故かくも愚行を誇らしげに」(2010/9/26)

 このことは、今後も言い続けていきたいと思っています。

 右近さんは、数日前に宮川さんの書道展にお出でになったそうです。

 宮川さん、右近さん、そして藤原さんと、それぞれ一歳ずつ違う、同世代の方です。しかも、期せずして3人の女性が、大阪・奈良・三重という関西にご縁のある方なのです。
 人との出会いとつながりに、これまでも恵まれてきました。今回も、この3人の方との接点を求めて、少し動いてみようかと思っています。
 
 
 

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2016年4月15日 (金)

古都散策(47)【復元】初夏の散策(5)岩船寺

 10年前、大和平群に住んでいた頃に書いた、初夏の旅の記を再現しました。
 昨日の「古都散策(46)【復元】初夏の散策(3)浄瑠璃寺」に続く内容です。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年5月6日公開分

副題「日本的な美は褪色と極彩色にある」

 岩船寺に入ってすぐ目に飛び込むのは、色鮮やかな三重塔です。
 最近の再建かと思いました。しかし、これは室町時代のものを平成15年に大修理したものでした。

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 素人の私がデジタルカメラで撮影しても、このように絵はがきのような写真になります。カメラを持って、下から上からと、周りをグルッと回れるので、さまざまな角度から撮影できるのです。

 塔内には壁画が描かれています。特別拝観が可能だったので、すぐ傍で見ました。

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 みごとに、十六羅漢や帝釈天などが修復再現されていました。

 三重塔の柱や壁の木材は相当古いもののようで、その風雪に耐えてきたことが見て取れました。しかし、この三重塔の復元は、その木に色鮮やかな朱をこれでもかと重ねて塗ることによって、創建当時の雰囲気を伝えようとしています。船の塗装を連想しました。剥げたところをペンキで塗り重ねた船体をです。
 内陣の柱などを見ると、壁画も相当傷んでいたことが窺われます。それが、今しがた描かれたばかりかと見紛うばかりの、明るい彩色で再現されています。仏教の明るさを見た思いがしました。

 文化遺産を次世代に伝えるために、補修や修復をします。それは、伝わってきたものの状態をそのまま維持するために、最小の手を入れる場合もあります。しかし、多くは、色褪せたものを色鮮やかだった原初の姿に戻すこととなります。

 そこで、近現代の日本人は違和感を覚えます。近代教育の成果として、日本の伝統的な美は、擦れた、色褪せた、わび・さびを感じさせるものである、という刷り込みがなされたと、私は思っています。私も、キンキラキンのお寺や仏像などは、日本的な文化を感じさせないものだと思ってきました。しかし、長い時間を経過して現在に伝わってきたものは、最初からそのようにくすんでいたのではないのです。最初は、新品のころは、目も覚めるような色遣いのものだったはずです。その色の衝撃が、権力者や民衆に対して、神社仏閣の意義や効能を発揮してきたと思います。
 極端かもしれませんが、今に残る色褪せたものは、仮死状態になった文化とも言えます。

 インドへ行ってまず驚くのは、寺院がキンキラで眩いばかりの色で訴えてくることです。電飾は当たり前。やたらと、ピカピカ、チカチカと視覚に訴えてきます。古いものは壊して、すぐに新しくします。色褪せさせることには、ほとんど価値を見いださないのです。
 インドでは、基本的には今を問題にしているようです。

 日本とは対照的なインドの宗教施設のありようなどを見て、振り返って身近な古都奈良を散策すると、本当に古色蒼然とでもいうべき、色褪せたものに価値を見いだしていることに、今更のように驚かされます。

 浄瑠璃寺の極彩色が残る吉祥天女像や、岩船寺の三重塔の朱色を見て、かつては鮮やかな色遣いでいけないと思っていた気持ちが、最近はそれを受け入れて、作られた当時の姿のままを想像する楽しみを会得したように思います。

 国宝の源氏物語絵巻が、科学的な手法を駆使して、その再現が実現しました(『よみがえる源氏物語絵巻—全巻復元に挑む』2006年2月、NHK名古屋「よみがえる源氏物語絵巻」取材班、日本放送出版協会)。復元された源氏物語絵巻は、色鮮やかなものです。鎌倉時代の人々が望んだ色が、そうした明度や彩度の高いものだったのです。鉱物や植物を使った色合いなので、それをぼかすのもまたみごとな色の変化となっていました。
 徳川美術館の以下のウエブサイトで、その一部が見られます。
http://www.hcn.zaq.ne.jp/internet-gallery/frame6-mokuji.htm

 ぼんやりと霞んだものの善さもあります。
 はっきりと見える善さもあります。
 明るさが与えてくれる元気を、少しずつ体得できるようになりたいと思っています。

********************** 以上、復元掲載 ********************** 
 
 
 

2016年4月14日 (木)

古都散策(46)【復元】初夏の散策(3)浄瑠璃寺

 10年前、大和平群に住んでいた頃の記事を再現しました。
 ちょうど、今の季節の話題です。
 「あ志び乃店」のホームページは今も健在です。
 再掲した画像は当時のもの、リンク先は今のものです。

 ドラエモンは今でも出迎えてくれているのでしょうか。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年5月5日公開分

副題「門前の茶店で気持ちも和む当尾の里」

 浄瑠璃寺は、我が家から1時間強の所にあります。ただし、そこは京都の南端。当尾(とーのお)の里と言われる、石仏群で知られる村です。

 秋桜子は「馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺」と詠んでいます。
 堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」(『大和路・信濃路』所収)も記憶に残っています。掘は折口信夫の影響を受けて、日本の古代に興味を持ち、大和奈良にも脚を運んでいるのです。私が中学から高校までを過ごした、河内・高安の里にも。これは、『伊勢物語』の関係で訪れたのでしょう。堀は、軽井沢との関係だけではないのです。

 浄瑠璃寺へ行く際は、ぜひその門前にある「あ志び乃店」のホームページを見ておくべきです。

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 とにかく、当尾の里を愛してやまない気持ちが溢れる、心温まる情報が満載のホームページです。アクセスするだけで、もう現地へ行った気分にしてくれます。

 私が着いたのがちょうどお昼だったので、門前にある3軒の茶店のうち、この「あ志び乃店」に入りました。風流な門を潜り、植物が生い茂る庭を通ってお店に入ります。
 店内は、文章を書いた紙がたくさん貼られています。長文が、小さい文字でびっしりと書かれているので、目が不自由になってきた私は、途中で読むのを断念しました。味のある文字で書かれています。よほど字を書くのが好きな方なのでしょう。壁から天井まで、いろいろありました。
 お店の方も、心の籠ったもてなしをしてくださいます。昔造りの店です。雰囲気は明るいのです。私は、山菜定食を食べました。そして、タケノコの煮物も追加しました。

 ハイキングの集団が、庭で弁当を食べさせてもらえないか、と言って入ってこられました。こんな依頼にも、ごく普通に自由に使っていいですよ、と快諾。年配の方々が20人以上もおられたかと思います。みなさん、和気あいあいと持参の弁当を店の前の庭に広げて、庭の草花を見ながら、おしゃべりに興じながらのお食事が始まりました。
 何とも、大らかで長閑な茶店です。

 さて、浄瑠璃寺です。ここは、九体の阿弥陀仏のある寺として、我が国唯一のものです。通称は九体寺とも。新緑の中、阿弥陀さまのフルコースを味わってきました。
 また、特別名勝の浄土式庭園は、此岸に当たる国宝の三重塔と、彼岸である阿弥陀堂に挟まれています。本堂の阿弥陀堂には、吉祥天女もいます。
 ちょうど秘仏公開の日だったので拝むことができました。ここでは、平安朝の寺院の雰囲気が感じられました。

 このお寺には、山門の所に拝観受付がありません。国宝などの庭園や堂塔は自由に見られるのです。どこで拝観料を払うのだろうと、受付をさがしました。回遊式の庭園を1周し、本堂の中の阿弥陀仏を拝もうとした時に、ひっそりと佇む受付が見つかりました。そして、阿弥陀堂の入口では、何とドラえもんが出迎えてくれます。

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 のんびりとした雰囲気の中で、何とも心を和ませてくれます。
 本堂の出口では、お守りなどを売っていたお兄さんが丁寧に会釈をしてくれます。少しだけお土産物などが置いてあるところでは、お坊さんが達筆で説明文を書いておられました。文章を考え考えしながら書いておられたのには感心しました。
 浄瑠璃寺は、時間が止まったかのようなお寺です。

 本来ならば、岩船寺へは歩いて30分の石仏の道を行くべきなのですが、車で来ているので残念ながら無精をしました。
 この岩船寺のことは次回に。

********************** 以上、復元掲載 **********************
 
 
 

2016年4月13日 (水)

海外における『源氏物語』に関する情報群の活用法

 海外の『源氏物語』に関する情報について、よく問い合わせをいただきます。
 そこで、参考までに、現在私が運用しているホームページから、基本的な情報のありかを2つだけ取り上げて記しておきます。


(1)「各国における源氏物語や平安文学の翻訳・研究史や動向」

 現在、科研(A)で取り組んでいる「海外源氏情報」のホームページにおいて、海外における『源氏物語』や平安文学に関する翻訳や研究論文情報を年表形式で確認していただけるようにしています。
 ここから、最新情報のおおよそを見渡すことができるはずです。


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「『源氏物語』翻訳史」(現在 261件)

「平安文学翻訳史」(現在 554件)」

「翻訳 - 源氏物語・平安文学論文検索」(現在 475件)」

「海外 - 源氏物語・平安文学論文検索」(現在403件)

 論文情報の一覧では、まだ少数ながらも、可能なものはPDFや画面等で読めるようにしています。

 これらの情報群については、検索もできます。
 その際、表示件数を増やしていただくと一覧しやすくなります。

 さらに、『海外平安文学研究ジャーナル』(ISSN番号 2188ー8035)をオンラインで読め、かつ自由にダウンロードしていただけるようにもしています。

『海外平安文学研究ジャーナル』(既刊4冊)

 2016年3月までで、4冊のオンラインジャーナルを刊行しています。
 モニタ画面で、あるいは印刷して、ご自由にお読みください。

(2)「『源氏物語』や平安文学関連のグロッサリー」

 今日から公開したものに、グロッサリーのための検索コーナーがあります。
 トップページのメニューバー右端にある「翻訳・海外資料」から「対訳データベース(グロッサリー)」を辿ると、『十帖源氏』の「桐壺」巻の英訳を活用したデータが、閲覧や検索が可能となっています。


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 これは、『十帖源氏』の外国語訳を有効に活用する意味も持たせたものとして提供することにしたものです。当座は、『十帖源氏』の各国語訳を日本語の現代語訳と対象させただけのものです。しかし、これは今後ともデータを増やし、多様な機能をもたせることで、さらに利用価値の高いものに育てていく予定でいます。
 日本古典文学に関する用語がどのような語彙として外国語に訳されているのかが、おおよそではあってもわかるので参考になるかと思います。

 グロッサリーというと、一語一語を対象させた、一覧表形式の方がいいことは自明のことです。しかし、それを作成するのは膨大な時間と労力が求められるのです。そこで、当座の用に役立ち、簡便なもので、かつ汎用性の高いものを提示することにしました。データを増やすことで、さらなる利便性が高まる仕掛けが構築できるはずです。
 利用されるみなさまのご意見を伺いながら、さまざまな形のグロッサリーを提案していくつもりです。

 この「海外源氏情報」(科研HP)というサイトには、さまざまな情報が取り出せる引き出しが用意されています。
 順次情報を追補することにより、より身近なデータベースに育っていくことでしょう。このサイトに関する要望やご教示を、お待ちしています。
 
 
 

2016年4月12日 (火)

変体仮名の学習法と視覚障害者が触読することに関する報告

 「平成26年度総合文化研究所助成『変体仮名教材作成の研究―文学作品を中心に―』に関する報告」(共立女子大学・共立女子短期大学 総合文化研究所紀要 第22号 2016年、代表者 岡田ひろみ)を読みました。

 この報告書は、初学者が変体仮名を習得する過程を、実践を通して追ったものです。これからの変体仮名の学習指導において、よき手引書となっています。
 併せて、視覚障害者向けの変体仮名学習教材の作成についても、実践報告があります。
 古写本の触読研究に取り組んでいる私にとって、非常にタイムリーなものでした。

 ここでは、変体仮名や絵を読み取る方法として「触読」によっています。その取り組みの苦労は承知の上で、あえて私見を加えるならば、ここに音声を活用することを導入すると、さらに学習効率が向上することでしょう。
 また、指筆による古写本の臨書や模写を取り入れると、変体仮名の習得がさらに確実で迅速になると思われます。
 次には、こうした取り組みもなされることを期待したいと思います。

 本書の冒頭、[研究の目的]で、研究代表者である岡田ひろみ氏は、次のように言っておられます。


 本研究の目的は主に二点、①学生だけでなく、変体仮名を学びたいと考える人々が自主的に学ぶための教材を作成すること、②変体仮名を指導する立場にいる人間が視覚障碍のある人々にも平等に教えることができるような教材を、また、視覚障碍のある人々が変体仮名を学びやすい教材を作成することである。これらの研究成果は、視覚障碍のある人だけでなく、変体仮名を読んでみたいと考えるすべての人々に対しても寄与するものだと考え研究をすすめてきた。(156頁)

 つまり、目が見える見えないを問わず、とにかく誰でもが平等に変体仮名が読めることを願って作成された、変体仮名の教材作成のための成果報告書なのです。

 目次は、次のようになっています。
 この執筆者は、岡田ひろみ 内田保廣 半沢幹一 山本聡美 咲本英恵 五十嵐有紀の各氏です。


平成26年度総合文化研究所助成「変体仮名教材作成の研究-文学作品を中心にー」に関する報告

物語を変体仮名で読むために
 目次
 1 概説—漢字と仮名
 2 概説—いろは歌と変体仮名
 3 概説—仮名文字と仮名文学
 4 概説—平安時代の物語史
 5 概説—平安時代の本
 6 変体仮名を読む—『竹取物語』上巻第一段詞書①
 7 変体仮名を読む—『竹取物語』上巻第一段詞書②
 8 物語の絵画化—テキストとイメージ
 9 変体仮名を読む—『伊勢物語』初段
 10 変体仮名を読む—『伊勢物語』三段
 11 変体仮名を読む—『伊勢物語』五段
 12 変体仮名を読む—『伊勢物語』六段
 13 練習問題
 14 付録
 15 補助教材の使い方

視覚障碍者向け変体仮名学習テキストの作成について

共立女子大学図書館所蔵『竹取物語絵巻』を用いた変体仮名教材作成

共立女子大学図書館所蔵『竹取物語絵巻』トレース図制作に関する報告

 以下、報告書の内容を簡単に紹介します。

 「概説」は、一般の学習者にも有益な、平易でわかりやすい説明がなされています。勉強会において使える、格好の手引書です。

 「変体仮名を読む」は、『竹取物語』と『伊勢物語』を例にした、変体仮名の入門編となっています。【翻字】【語注】【解説】や【現代語訳】が優しく語りかけてきます。

 「付録―校訂本文と比較してみよう」は、変体仮名で書写、印刷された資料と、一般的に読まれている古文との違いから、古典への興味を誘うものです。
 もっともこれは、さらに紙数を費やして説明する価値のある項目だと思いました。

 後半の視覚障害者のための変体仮名学習資料の作成とその実践報告は、私が現在抱えている問題点において、大いに参考になる内容に満ちています。実践を通して生み出された教材とその活用の実体が、障害者に対する文字指導において多くのヒントを与えてくれます。

 「視覚障碍者向け変体仮名学習テキストの作成について」には、次のように記されています。


これはAさんが教えてくれたことだが、変体仮名を学んで嬉しかったのは、見えている人と同じ文字を読めるということだったそうだ。Aさんが日頃読んでいる点字は、盲学校を卒業してしまえば他に読める人を見つけることは難しく、また常に点字を読むAさんは、他の人と同じ文字を読むことはできない。その点、変体仮名を読む時だけは、みんなと同じ文字の世界にいることができる。それが嬉しくて、Aさんは変体仮名を読み続けたいのだという。立体印刷機さえあれば、変体仮名とは、現代においてそれ自体で実は〈平等な〉教材なのかもしれない。変体仮名学習の意味を、思わぬところから気づかされた思いがする。(88 頁)

 目の見えない方と一緒に古写本を読む、という試みは、まだほとんどなされていません。その意味からも、この報告書には貴重な取り組みの事例が提示されているのです。

 冒頭に私見を記したように、今後は「音」を導入し、「筆」でなぞりがきをする、という試みを導入するとどうなるか、というチャレンジに期待したいと思います。

 なお、私が取り組んでいる「挑戦的萌芽研究」の科研「視覚障害者と共に古写本の仮名文字を読み日本古典文化を共有するための挑戦的調査研究」で、科研運用補助員として研究協力をしてもらっている関口祐未さんから、本報告書を読んでのコメントをいただいています。
 以下に引用し、本書の意義の確認にしたいと思います。


 触読に関する報告では、『首書源氏物語 夕顔巻』本文と『竹取物語絵巻』詞書を触常者が変体仮名で学ぶことができるように、変体仮名を立体化するときの工夫と試行錯誤の過程が詳しく述べられていて大変参考になります。
 教材の立体化には残された課題や改善の余地があるということですが、触常者Aさんが変体仮名を読み続けたいと意欲を持ったことや、触常者のために行った工夫の多くが、他の学生の学習にも有益であった点など、触読の研究をする人が目指す到達点が示されています。
 『竹取物語絵巻』の絵を筆とペンでフィルムシートに敷き写す作業では、完成したトレース図は、データ化しモノクロ画像に変換するため、墨の濃淡で表現した線の強弱が消えてしまうとあります。それでも肥痩に差をつけて描いた線の表現が少しでも残り、立体化した教材から絵画表現の豊かさを読み取ってもらえればとの思いで筆を走らせたと書かれています。
 伝わらないかもしれないけれど、でき得るかぎりのことをするという意識は、触読の教材を作る上で大切なことだと教えていただきました。
 変体仮名も、立体コピーすると、墨の濃淡がつぶれ黒一色になってしまいます。文字の形を伝えることの他に、筆文字が持つ線の美しさや個性を伝えていく工夫も、あきらめず考え続けたいと思います。

 
 
 

2016年4月11日 (月)

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の定款変更が認証されました

 昨年末に、NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の定款を変更することについて、認証の申請をしたことをお知らせしました。

「NPO法人〈源氏物語電子資料館〉の定款変更認証申請を終えて」(2015年12月29日)

 所定の縦覧期間を経た上で、本日あらためて認証された旨の連絡が、京都市役所内にある京都市文化市民局地域自治推進室の市民活動支援担当の方からありました。
 3月下旬に、提出した申請書における軽微な誤記の指摘を受け、すぐその表記の訂正を行い、再提出しました。それを受けて、最終的な判断がなされたようです。

 変更の詳細は、上記ブログで確認できます。

 関係者のみなさまには、本年度よりあらためて新しい定款で活動を展開していくことをお知らせいたします。
 詳しくは、今週末に開催される総会で報告することになります。

 今後とも、変わらぬご支援をいただけますよう、よろしくお願いいたします。
 
 
 

2016年4月10日 (日)

古都散策(45)【復元】初夏の散策(8)法隆寺西円堂の錐

 一昨日の「古都散策【復元】初夏の散策(1)当麻寺」に続き、大和めぐりの話題を復元しました。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)


********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年5月24日公開分

副題「我が家の子供たちの遊び場でした」

 久しぶりに法隆寺を散歩しました。自宅から車で15分の所なので、ご町内といった感じです。
 かつては、山門の真ん前に、今にも倒れそうな建物のお土産物屋さんがありました。聖徳太子のころからやっているのでは、と思わせるような店でした。

 中に食事をするところがあり、その座敷で、私は同僚たちと試験問題の打ち合わせなどをしました。そんなことをしても、何も言われなかったのです。

 その店も、県から強制退去を命ぜられ、その不当性を訴えるニュースが流れていました。
 今は写真のように立ち退き後の場所が整備され、ごらんのようにきれいになっています。

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 ここにあった店の裏は、自由に車を止めるスペースにもなっていました。十数年前のことながら、今となっては懐しい一角です。

 法隆寺の山門を入って正面にいらっしゃる仁王さんの前が、かつては子供たちの遊び場でした。
 私は仁王さんを背にして石段に座り、子供たちはその前の東西の参道を走り回っていました。修学旅行の学生さんが多い日には、子どもにお菓子をくれる女子学生がいました。のどが渇くと、西端にある無料休憩所でお茶をいただきました。のどかな子守でした。お茶は、今でもいただけます。

 その休憩所から北に少し歩いて石段を登ると、西円堂があります。
 この建物は国宝で、内陣には薬師如来や十一面観音、赤不動などがいらっしゃいます。私は、ここの十一面観音が好きです。
 拝観料も不要で、いつでも見られます。五重の塔や金堂に行く人は多いのに、ここまで脚を延ばす人はあまりいません。もったいないことです。

 西円堂の横の小さな建物では、お守りに混じって「きり」と書かれたものが売られていました。コックリコックリと船を漕いでいたおじいさんが、私が「きり」と書かれた包みを手にすると、その気配を感じてか、やをら眼を覚まされました。
 お互いの視線があったので、この「きり」と書かれた包みは何かを聞きました。すると、いましがたまで心地よく居眠りをしていたおじいさんは、突然饒舌になり、詳しく説明をしてくださいました。

 このお堂の薬師如来は「峰の薬師」と言われているが、それがいつしか「耳の薬師」となまり、耳の遠い人が拝むようになったそうです。そして、耳がよく聞こえるようにというので、穴を開ける錐に音が通じるところから、このお堂に錐を奉納するようになったということです。
 確かに、内陣の左側の壁には、たくさんの錐が差してあります。

 説明を終えたおじいさんは、また夢の世界に入っていかれました。
 こうしておじいさんは、一日に一人か二人を相手に由来などを語っておられるのでしょう。気持ちよさそうにお休みでした。

********************** 以上、復元掲載 **********************


 
 
 

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2016年4月 9日 (土)

江戸漫歩(125)隅田川・佃島・月島・越中島を望む

 隅田川を行き交う船とユリカモメを朝日が照らしていました。


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 スカイツリーと永代橋が遠景に並んでいます。


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 賀茂川ほどではないにしても、早朝のジョギングで島々の一日が明けます。


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 中央大橋も目覚め出しました。


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 豊洲方面は、早々と賑わいが起きています。


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 東京海洋大学に係留されている明治丸の橙色のマストが、越中島駅方面に見えます。


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 月島には、こんな日本的な家がマンション群に挟まれて建っています。


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 佃島にある住吉神社の裏には、鮮やかな橋と船、そして堀には吹き溜まりに桜の花弁が漂っています。ここには、江戸の名残が今もあるのです。


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 相生橋の下を流れる隅田川に、花筏が長く尾を引いています。
 昨日の雨で、江戸の桜も散り急いでいるようです。


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2016年4月 8日 (金)

古都散策(44)【復元】初夏の散策(1)当麻寺

 大和平群で3人の子育てをしていた、昭和57年(1982)12月から平成19年(2007)5月までの25年間、子どもたちを連れて近畿一円を走り回っていました。
 利用していたプロバイダのウェブサーバーが、平成19年3月にクラッシュしたために、ブログとして書いていた多くの文章が読めなくなりました。そんな日々の記録の中から、可能な限り復元したものを再掲載しておきます。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年5月2日公開分

副題「中将姫ゆかりの地で新旧文化を見る」

 平群の里の我が書斎から、晴れた日には大津皇子が眠る二上山が望めます。倭建命が「たたみごも平群の山の……」と詠んだ我が町から眺める二上山は、信貴生駒連山の山々と葛城金剛山系の合流点に、ラクダのコブのように盛り上がっています。少し靄った春先には、大和絵の一幅のように見霽かすことができます。

 この連休には、我が家から車で1時間ほどで行ける所を散策することにしました。ここ数年は、海外へ行くことが多かったので、地元を再認識するためでもあります。

 まずは、この二上山に行きました。かつては「ふたかみやま」と言われていました。それが、今は「にじょうさん」として親しまれています。私が大学院の学生になった45歳の時に、大学の研究室主催の最初のハイキングが二上山でした。駅前で恩師と「よもぎ餅」を食べたことを、よく覚えています。

 當麻蹶速(たいまのけはや)塚のすぐ横の相撲館で周辺のイラストマップをもらい、それを片手に当麻寺へ脚を向けました。
 當麻蹶速は、『日本書紀』の垂仁天皇の代に、私の生まれ故郷である島根県出雲の野見宿禰と力比べをして亡くなりました。そして、自分の領地である當麻に、墓が築かれました。蹶速は、相撲の始祖として知られています。

 韓国では、相撲は韓国が発祥の地であって、日本はそれをマネしたものだというキャンペーンを、インターネット上で大々的に宣伝をしています。そう感情的にならず、もっと冷静に歴史と史料に基づく客観的な判断をしたいものです。剣道も柔道もお寿司も、みんな韓国が起源だと言い張るのもいいです。しかし、お茶でも飲みながら仲良く伝統と文化について語り合う中で、お隣同士の仲間意識を育てていきたいものです。

 さて、まずは仁王門を潜って、中将姫を手引きした「導き観音」のある中之坊へ行きました。
 素晴らしい庭園と、ボタンやシャクナゲの花々を堪能しました。
 霊宝館では「中将姫展」をやっていました。壁に架かっていた2幅の江戸時代の中将姫の絵図には、それがあまりにも俗っぽかったのでガッカリしました。
 片隅では、今年の2月に東京の岩波ホールで上映された、釈迢空(折口信夫)の小説『死者の書』を人形アニメとしたもののポスターなどが展示されていました。迢空が着想を得た山越阿弥陀図も、今回は見ることができました。学生時代には、折口信夫全集を熟読することを課せられた日々だったので、30年前の読書体験を想起しました。

 出口では、陀羅尼助を売っていました。これは、子どもがお腹を壊した時に、よく飲ませたものです。たしか、娘が英国へ勉強をしに行くにあたって、この陀羅尼助も持って行ったはずです。真っ黒な、何ということもない炭の塊です。しかし、これが不思議と効き目があるように思われます。

 本堂では、見上げるばかりの曼荼羅に圧倒されました。
 カナダのブリティッシュコロンビア大学の院生であるモニカさんが、昨春までの2年間、博士論文を仕上げるために日本に来ていました。私のところにも何度か顔を出し、いろいろな話を聞かせてくれました。
 中将姫の説話が彼女のテーマだったので、和歌山県にある中将姫ゆかりの地へ、車で案内したことがあります。当麻をはじめとする有名なところはみんな行ったということだったので、一人では行きにくいところにしたのです。確か得生寺で、中将姫の曼荼羅をじっくりと見せてもらったように思います。謡曲で有名な「雲雀山」へも行きました。中将姫は、継母に虐められてさまよった末に、当麻で尼になったのです。

 当麻寺本堂裏にある浄土庭園の中のボタン園は整備されたばかりのようで、今後の充実が期待されます。

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 庭園では、俳句吟行の年配方や高価そうなカメラを構える老若男女が、ボタンやシャクナゲ等を対象にして、心を研ぎ澄ましておられました。
 亡母と同い年くらいのおばあさんが、ものすごく立派なレンズを嵌め込んだカメラを手にしてボタンと向き合っておられる姿には、人間の素晴らしさを感じました。
 その最高度の精密機器と、それに立ち向かう意気込みと、そしておばあさんの姿が醸し出す雰囲気に、はた目から見てあまりにもギャップが感じられるからです。おばあさんは無心にレンズを回してシャッターを切り、軽々とカメラを片手に別の撮影場所を狙うその目つきの真剣なこと……。いい趣味を持っておられることが、我が事のようにうれしく思われました。

 ちょうどお昼になったので、境内にある宗胤院で、奈良ではお馴染の茶粥を食しました。2700円の一品しかありません。和食の粋を堪能しました。手技を凝らした配膳です。原則は予約が必要でしょうが、飛び込みでも食べられました。とにかく、ここはお勧めです。お腹には、ちょうど八分目の満腹感を与えてくれます。

 帰りに当麻寺駅に寄り、駅前で、かつて恩師と入ったお店で「よもぎ餅」をおみやげに買って帰りました。

 今回、何度目かの当麻を訪れてみて、お寺の雰囲気が少し猥雑になったように思いました。
 境内では、各所で拝観料を取られます。シルバー派遣センターの方々の境内での働きぶりは、歴史の厚みを興ざめにさせるものでした。
 また、参拝客の呼び込みは、ぜひともやめてほしいものです。入るやいなや「いらっしゃいませ」はないでしょう。庶民の寺らしく、観光客を意識しない対応が大切だと痛感しました。
 時流に乗らずに、歴史の当麻らしく、密やかな魅力を演出してほしいものです。

 京都とは違う、いにしえの奈良のよさを考えさせられました。
 連休の初日を、新旧さまざまな文化について考えることとなりました。

 自宅に帰ると、玄関脇のボタンが大きな花を咲かせていました。

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********************** 以上、復元掲載 **********************

 
 

2016年4月 7日 (木)

井上靖卒読(205)小説全357作品で評価【1】としたもの

 半年前の昨秋、井上靖の小説・戯曲・童話の全357作品を読み終えたことを受けて、「小説全357作品を気ままに評価」(2015年10月19日)という記事を書きました。

 9年にわたって井上靖の作品を読み続ける中で、読み終わるたびに、5段階の評価を勝手に付けて楽しんでいたのです。
 その自分の気ままな評価を眺めながら、それなりにおもいろい結果になったことを、いま楽しく思い返しています。

 私が5段階で評価点を付けたそれぞれの作品数は、次の通りでした。

  評価5= 38作品
  評価4= 74作品
  評価3=123作品
  評価2=100作品
  評価1= 22作品

 この内、「評価5」は前回整理したので、ここでは「評価1」としたものを抜き出してみました。

 この一覧を見ていると、それぞれの話を思い出せない、ということが共通しています。それだけ、印象に残らなかった作品だった、ということなのでしょう。

 井上靖は膨大な作品を書き残した作家だったので、その執筆事情もあることでしょう。また、私が9年間という長期間に読んだ評価であり、読書環境という読み手である私の事情もあるはずです。

 再読すると、この評価がまた変わることもありうるでしょう。
 可能であればもう一度全357作品を読んでみて、自分の評価のユレやブレを楽しんでみたいと思ったりもしています。

---------- 長編2作品 ------------------

井上靖卒読(16),『春の海図』,1
井上靖卒読(49),『こんどは俺の番だ』,1

---------- 短編20作品 ------------------

井上靖卒読(14),「犬坊狂乱」,1
井上靖卒読(38),「四つの面」,1
井上靖卒読(126),「馬とばし」,1
井上靖卒読(127),「裸の梢」,1
井上靖卒読(127),「夏の焔」,1
井上靖卒読(128),「あかね雲」,1
井上靖卒読(134),「仔犬と香水瓶」,1
井上靖卒読(135),「落葉松」,1
井上靖卒読(137),「美也と六人の恋人」,1
井上靖卒読(149),「青い照明」,1
井上靖卒読(155),「春のうねり」,1
井上靖卒読(159),「レモンと蜂蜜」,1
井上靖卒読(160),「夏草」,1
井上靖卒読(164),「訪問者」,1
井上靖卒読(165),「故里美し」,1
井上靖卒読(166),「フライイング」,1
井上靖卒読(170),「トランプ占い」,1
井上靖卒読(176),「崑崙の玉」,1
井上靖卒読(179),「奇妙な夜」,1
井上靖卒読(186),「壺」,1
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2016年4月 6日 (水)

江戸漫歩(124)東京の桜は今が満開です

 関東地方には明日は雨との予報が出ているので、桜は今日が一番の見頃です。
 今いる宿舎(左側5階建て)の前から、前方の隅田川に面した越中島公園に咲く桜を見やりました。
 佃島や月島に林立する高層マンションに囲まれて、肩身が狭そうに咲いています。


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 宿舎の広場への入口には、桜吹雪が散り敷かれています。


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 大島桜(?)の緑の葉が、爽やかな初夏の訪れを感じさせます。


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 黒船橋が架かる大横川の川面には、桜花が流れ出しています。


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 和舟での桜遊覧の受け付けテントには、朝早くから多くの人が並んでいます。
 左奥には、中央大橋のX字型のシンボル柱が見えます。


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 一転して、多摩地域の立川の桜です。
 国営昭和記念公園では、葉桜になる直前の少し青みがかった色合いが、コンクリートジャングルと化した立川市街に遠慮するかのように地味に咲いています。


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 昭和天皇記念館の前も、桜で華やかになりました。


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 災害医療センターの北側の桜並木は、毎年みごとなピンクに彩られます。


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 職場までの散策路は、ぜいたくな花見気分にひたれます。


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 東京を離れる来年は、こうした景色の中を歩けないので、週末の葉桜も今のうちにもっと楽しもうと思っています。
 
 
 

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2016年4月 5日 (火)

読書雑記(163)山本兼一『雷神の筒』

 山本兼一の『雷神の筒』(2009.3、集英社文庫)を読みました。


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 織田家鉄炮頭の橋本一巴は、織田信長の今川義元攻めで活躍します。
 開巻早々、華々しい戦のシーンにのめり込みます。

 ただし、半ばを過ぎても、なかなか山本兼一らしさが出てきません。冷静で淡々とした展開です。飛び道具と人間の関わりに、手をこまねいているようです。きれいごとで納得しようとする一巴がいます。


「合戦をするのも、まさにそのため。天が下の女たちが、安んじて恋をし、すこやかな子を産むためにこそ、鉄炮はある。わたしは、そのために戦う」(127頁)

 しかし、そうはいっても、戦の意味と武器の役割が、うまく説明のつかない状況になっていくのです。

 鉄炮から信長を見通す視点が新鮮です。ただし、歴史の中の信長は語れても、その人間像にまでは筆が至っていないと思われます。一巴への比重が中途半端にかかり過ぎたようです。

 物語は、一巴をして戦で人を殺すこと、鉄炮で敵方を撃ち殺すことへの、人間としての疑念に及びます。


 鉄炮を手にしたのは、尾張の民、天下の万民のためのはずであった。
 鉄炮があれば、無益な合戦が終わると、信じていた。
 尾張を守るためなら命はいらないと思っていた。
 しかし、それは結局、いかに手際よく、敵をたくさん殺すかということにほかならない。いったいどれほどの敵を、鉄炮の玉であの世に送ったか。
 一巴が指揮杖をふれば、筒先をならべた鉄炮がいっせいに火を噴く—。
 —鬼は、おれだ。
 殺さなければ、殺される—。
 天下万民のためであったはずの鉄炮が、いつのまにか、鬼の道具に変じてしまった。
 生きたければ、人は鬼になるしかないのか—。
 日々、そんな思いにさいなまれている。(224頁〜225頁)

 鉄炮は何のためにあるのか、という問いかけが、何度もなされます。民を守るためだというのが原点にあります。しかし、それがそうではなくなっていくのです。こうした自問自答の中で逡巡する一巴の姿は、よく伝わってきました。

 小谷城を背景にして姉川で戦闘を繰り広げる、浅井・朝倉軍と織田軍の戦いは、壮絶を極めるものでした。その戦を、人間の群れを活き活きと語ります。人の心の中を描く作者の筆は、俄然精気を盛り返したのです。

 その勇猛な場面の前には、一巴と妻あやが、優しく語られます。特にあやは、魅力的な女性として一巴のそばにいます。山本兼一らしい人間観察と描写で、温もりのある夫婦が立ち現れてきます。

 武田信玄を狙い撃ちする雷神の筒の背後に、村松芳休の妙なる横笛の音色が響きわたります。何とも優雅な趣向です。
 妻のあやを含めて、こうした物語の背景に描かれる人物が生きています。

 一巴は、次第に人を殺す武器である鉄炮にかけた夢に疑問を持ち出しました。大量殺人のための道具に。


 天下無双の鉄炮衆をつくるのが夢だった。最強の鉄炮衆がいれば、天下は平穏に静まり、安穏な暮らしが待ち受けていると思っていた。
 ちがっていた。
 —おれは、信長という男の渦に巻き込まれていただけだ。
 そう思わざるを得ないが、いまさらどうなるものでもなかった。戦いは、始めるより、やめるほうが難しい。(341頁)

 一巴は、人と鉄炮のあり方を探ることを息子に託します。『孫子』が手がかりです。ただし、この点はさらに追究されることはありません。残念です。


「炮術師は、人を殺すのが仕事だ。命を奪うのが仕事だ。だがな……」
 一巴は腰のまわりをさぐった。水をいれた竹筒はどこかに落としたらしい。
 せがれが、竹筒をさしだした。一巴は喉を湿した。
「殺すばかりが仕事ではない気がする。わしには、見つけられなかったが、道はあるだろう。おまえがじぶんで探せ」
 懐から、ぼろぼろになった漢籍を取り出した。孫子である。
「これをくり返して読め。(下略)」(428頁)

 妻のあやが、最後まで一巴の心の中を支えています。血なまぐさい話で綴られる物語の中で、雰囲気を和らげる役割を果たしています。強さと柔らかさが、絶妙の味付けで語られる中を、一巴は空の青さと雲の白さを見ながら息絶えます。

 史実にはほとんど姿が見えない一人の男を、フィクションとはいえ鮮やかに蘇らせることに挑戦した作品だと言えるでしょう。
 火薬というものを物語に配した点も、話題として斬新なものになっています。
 ただし、この物語の中で、信長の描かれ方に満ち足りないものを感じました。
 これは、物語内における、信長に対する一巴とあや夫婦の接点とバランスが崩れたためだと思われます。
 もっと、一巴一族の物語に徹してもよかったのではないでしょうか。【4】
 
単行本:2006年11月に集英社より刊行
 
 
 

2016年4月 4日 (月)

京洛逍遥(399)京都劇場で海老蔵の『源氏物語』第二章

 京都駅のコンコースで、海老蔵のパンフレットを見かけたのでいただきました。
 「市川海老蔵特別公演『源氏物語』第二章 〜朧月夜より須磨・明石〜」とあります。
 明後日、4月6日(水)から16日(土)まで、京都駅ビル東端にある京都劇場での開催です。


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 歌舞伎×オペラ×能楽のコラボレーションの続編で、前回の第一章については、「海老蔵が〈人間浄瑠璃〉と言う『源氏物語』のこと」(2014年04月06日)に記した通りです。
 また、「京洛逍遥(324)宇治市源氏物語ミュージアムの「市川海老蔵特別企画」」(2014年06月25日)でも、海老蔵の源氏物語劇について少しだけ書きました。

 残念ながら、今回も私は行けません。
 いつか行けるだろうと、その機会をねらっています。

 ウェブサイトで公開されている情報は、以下の通りです。

「市川海老蔵特別公演 源氏物語」
 
「海老蔵が語る、『源氏物語 第二章』」
 
 
 

2016年4月 3日 (日)

京洛逍遥(398)京都府立植物園で桜のライトアップ

 今年の京都府立植物園の桜は、「京洛逍遥(396)植物園のチューリップ桜杏桃梅」(2016年3月30日)で紹介しました。

 この桜林が、3月25日(金曜)〜4月10日(日曜)の約2週間、ライトアップされていたので行ってきました。


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 光に照らし出された夜の桜林は圧巻でした。


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 闇夜の中の桃も幻想的です。


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2016年4月 2日 (土)

京洛逍遥(397)下鴨神社で迎えた日の出

 新年度早々の日の出を下鴨神社で迎えました。
 楼門に着いたのが6時少し前だったこともあり、門は閉まっていました。
 すでに一人、門越しに黙々と拝礼をしておられます。


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 しばらくすると開門。


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 早速、気になっていた光琳の梅の後ろの桜を確認しました。
 満開です。


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 やがて、輪橋の上にお日さまが上がります。


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 西の鳥居から出ると、色鮮やかだった八咫烏も、塀に苔生す自然の褪色を帯びるようになっていました。


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 時の流れを意識する新年度のスタートです。
 
 
 

2016年4月 1日 (金)

吉行淳之介濫読(16)「鳥獣虫魚」「青い花」

■「鳥獣虫魚」

 冒頭文が吉行淳之介の心の中のありようを端的に示しています。


 その頃、街の風物は、私にとってすべて石膏色であった。長くポールをつき出して、ゆっくり走っている市街電車は、石膏色の昆虫だった。地面にへばりついて動きまわっている自動車の類も、石膏色の堅い殻に甲われた虫だった。
 そういう機械類ばかりでなく、路上ですれちがう人間たち、街角で出会いがしらに向かい合う人間たちも、みな私の眼の中でさまざまの変形と褪色をおこし、みるみる石膏色の見馴れないモノになってしまった。
(『われらの文学 14 吉行淳之介』360頁、講談社、昭和41年5月)

 色彩のあるものが褪色しているのです。カラーがモノクロにしか見えないのです。
 そんな中で、匂いは人の個別な違いを識別させてくれるのでした。事務員の女性がそうです。獣の匂いを持った身体の関係を通して、それを感じているのです。
 モノトーンの風景の中で、色を持った彼女は私の部屋に来るのでした。石膏色の人間が、生々しく色彩を見せるのです。
 また、女たちがいる地帯でも、風景や人間が色付くことを感じます。
 会社に返本されてくる書籍の山も、色彩が失われているものでした。本というものを、おもしろい視点で描写しています。
 ある時、街角で人間の色彩を持つ女と出逢います。その木場よう子が、会社の女性を石膏色の存在に変えるようになりました。よう子は、絵具箱を持った、似顔絵を描く女です。私の部屋で、畏れていた色彩が失われなかったのです。
 同僚が殺された後で、非日常の中で色彩が感じられるのでした。色彩をキーにして、ものの見え方が描かれています。
 よう子の身体は、心臓の裏側の骨がないために、肺が鳴るのでした。
 色彩と音が、2人の新しい旅立ちとなります。2人のこれからがどうなるのか、そのことを思い描くと楽しくなります。【4】
 
初出誌:『群像』昭和34年3月号
 
 
■「青い花」

 原稿を書くことに精力を割く麻田和夫を取り巻く、色・音・匂いが伝わってきます。
 また、液体や粘液が身体を包み込むように纏わりついて来ます。
 睡眠薬を大量に飲んだ妻が登場し、和夫の平穏ではない家庭生活がわかります。横たわる妻との非日常の一夜の後、事態は急展開します。
 もがき苦しむ妻の対応に、和夫の妻への淡白な思いが伝わってきました。
 妻の口に差し込んでいる指について、次のようにあります。

「片手の五本の音は彼女の歯のあいだに挟まれている。(『われらの文学〈第14〉吉行淳之介』386頁)」

 この「五本の音」は「五本の指」ではないかと思いながら読み進みました(後で「音」ではなくて「指」が正しいことを確認しました)。
 その口に枕カヴァの布を押し込んで、和夫は家から抜け出したのです。
 タクシーで繁華街に行き、そしてある山の麓の旅館に籠もります。2日間、転々とさまよいます。
 さらに、15年前の過去の事件を思い出して、その湖畔を訪れます。かつての家や思い出は荒廃していました。しかし、現実は過去につながっていたのです。思い出語りが、展開します。
 生きるということの中から、過去と現在が混然として語られます。
 自宅に戻った和夫は、またもや幻覚のような数日を過ごします。
 男と女の関係について解決を見ないという点でも、不思議な読後感を持った作品です。【3】
 
初出誌:『新潮』昭和34年7月号
今回は『われらの文学〈第14〉吉行淳之介』(1966年、講談社)で読みました。
 
 
 

NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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