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2016年4月 5日 (火)

読書雑記(163)山本兼一『雷神の筒』

 山本兼一の『雷神の筒』(2009.3、集英社文庫)を読みました。


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 織田家鉄炮頭の橋本一巴は、織田信長の今川義元攻めで活躍します。
 開巻早々、華々しい戦のシーンにのめり込みます。

 ただし、半ばを過ぎても、なかなか山本兼一らしさが出てきません。冷静で淡々とした展開です。飛び道具と人間の関わりに、手をこまねいているようです。きれいごとで納得しようとする一巴がいます。


「合戦をするのも、まさにそのため。天が下の女たちが、安んじて恋をし、すこやかな子を産むためにこそ、鉄炮はある。わたしは、そのために戦う」(127頁)

 しかし、そうはいっても、戦の意味と武器の役割が、うまく説明のつかない状況になっていくのです。

 鉄炮から信長を見通す視点が新鮮です。ただし、歴史の中の信長は語れても、その人間像にまでは筆が至っていないと思われます。一巴への比重が中途半端にかかり過ぎたようです。

 物語は、一巴をして戦で人を殺すこと、鉄炮で敵方を撃ち殺すことへの、人間としての疑念に及びます。


 鉄炮を手にしたのは、尾張の民、天下の万民のためのはずであった。
 鉄炮があれば、無益な合戦が終わると、信じていた。
 尾張を守るためなら命はいらないと思っていた。
 しかし、それは結局、いかに手際よく、敵をたくさん殺すかということにほかならない。いったいどれほどの敵を、鉄炮の玉であの世に送ったか。
 一巴が指揮杖をふれば、筒先をならべた鉄炮がいっせいに火を噴く—。
 —鬼は、おれだ。
 殺さなければ、殺される—。
 天下万民のためであったはずの鉄炮が、いつのまにか、鬼の道具に変じてしまった。
 生きたければ、人は鬼になるしかないのか—。
 日々、そんな思いにさいなまれている。(224頁〜225頁)

 鉄炮は何のためにあるのか、という問いかけが、何度もなされます。民を守るためだというのが原点にあります。しかし、それがそうではなくなっていくのです。こうした自問自答の中で逡巡する一巴の姿は、よく伝わってきました。

 小谷城を背景にして姉川で戦闘を繰り広げる、浅井・朝倉軍と織田軍の戦いは、壮絶を極めるものでした。その戦を、人間の群れを活き活きと語ります。人の心の中を描く作者の筆は、俄然精気を盛り返したのです。

 その勇猛な場面の前には、一巴と妻あやが、優しく語られます。特にあやは、魅力的な女性として一巴のそばにいます。山本兼一らしい人間観察と描写で、温もりのある夫婦が立ち現れてきます。

 武田信玄を狙い撃ちする雷神の筒の背後に、村松芳休の妙なる横笛の音色が響きわたります。何とも優雅な趣向です。
 妻のあやを含めて、こうした物語の背景に描かれる人物が生きています。

 一巴は、次第に人を殺す武器である鉄炮にかけた夢に疑問を持ち出しました。大量殺人のための道具に。


 天下無双の鉄炮衆をつくるのが夢だった。最強の鉄炮衆がいれば、天下は平穏に静まり、安穏な暮らしが待ち受けていると思っていた。
 ちがっていた。
 —おれは、信長という男の渦に巻き込まれていただけだ。
 そう思わざるを得ないが、いまさらどうなるものでもなかった。戦いは、始めるより、やめるほうが難しい。(341頁)

 一巴は、人と鉄炮のあり方を探ることを息子に託します。『孫子』が手がかりです。ただし、この点はさらに追究されることはありません。残念です。


「炮術師は、人を殺すのが仕事だ。命を奪うのが仕事だ。だがな……」
 一巴は腰のまわりをさぐった。水をいれた竹筒はどこかに落としたらしい。
 せがれが、竹筒をさしだした。一巴は喉を湿した。
「殺すばかりが仕事ではない気がする。わしには、見つけられなかったが、道はあるだろう。おまえがじぶんで探せ」
 懐から、ぼろぼろになった漢籍を取り出した。孫子である。
「これをくり返して読め。(下略)」(428頁)

 妻のあやが、最後まで一巴の心の中を支えています。血なまぐさい話で綴られる物語の中で、雰囲気を和らげる役割を果たしています。強さと柔らかさが、絶妙の味付けで語られる中を、一巴は空の青さと雲の白さを見ながら息絶えます。

 史実にはほとんど姿が見えない一人の男を、フィクションとはいえ鮮やかに蘇らせることに挑戦した作品だと言えるでしょう。
 火薬というものを物語に配した点も、話題として斬新なものになっています。
 ただし、この物語の中で、信長の描かれ方に満ち足りないものを感じました。
 これは、物語内における、信長に対する一巴とあや夫婦の接点とバランスが崩れたためだと思われます。
 もっと、一巴一族の物語に徹してもよかったのではないでしょうか。【4】
 
単行本:2006年11月に集英社より刊行
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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