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2016年4月21日 (木)

古都散策(50)【復元】初夏の散策(7)若草山

 10年前、大和平群に住んでいた頃に書いた、初夏の旅の記を再現しました。
 家族だけでなく、多くのお客人をここに案内し、大和の地を眺め、我が家があった信貴生駒の峰々と平群の地を目で追ったものです。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年5月8日公開分

副題「『枕草子』の鴬塚はここか?」

 奈良市街を一望のもとに見渡す所といえば、何はさておき若草山です。三笠山の続きにあり、東大寺裏の正倉院横から奥山ドライブウェーですぐに行けます。
 私は、海外からいらっしゃった方を奈良にお連れした時には、まずここに案内します。藤原京から平城京へ、そして長岡京を経て平安京へと、都が北上して行くさまが実感できる位置だからです。
 眼下に東大寺の大仏殿が見えます。
 ここから左上手の方には、我が家のある生駒山地から二上山の山並みも見えます。


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 この若草山の山頂には、鴬塚古墳があります。
 ここは、清少納言が『枕草子』に、「陵は、うくるすの陵。柏木の陵。雨の陵。」(三巻本、第15段)と言った所だと言われています。ただし、いろいろな説があり、確定したものではありません。

 『枕草子』の本文に「うくるす」とあるのは、他の写本では「うくひす」とあり、これによって『大和志』は若草山がそうだとしています。それとは異なる考え方もあり、大阪の百舌にある仁徳天皇陵を充てる『春曙抄』や、藤原氏歴代陵墓のある宇治木幡を充てる『環解』などがあります。

 若草山に上ると、説明板にはここがそうだと記しています。


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 山頂部の石碑の裏には、清少納言の言う鴬塚はここであると刻した文字が、かすかに判読できます。


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 さて、清少納言がいう「うくるす」の陵は、いったいどこでしょうか。
 清少納言は、旅衣でこの若草山を上ったかもしれません。
 麓から歩くと、1時間はかかります。春の若草山の山焼きの後の新緑の頃に、鹿たちと一緒に上ったと、私は想像しています。平安の都から見れば、この平城の都は、まさに古里なのですから、清少納言の興味を惹き付けたはずです。

 『伊勢物語』の初段には、「昔、男、うゐかうぶりして、平城の京、春日の里にしるよしして、狩に往にけり。」とあります。若草の小高い山から見下ろすと、清少納言が好みそうなアングルで古里が一望できるのです。京都の清水寺から見る平安の都よりも、もっと雄大な景色が臨めるのですから。

 若草山の裏には、世界遺産に指定されている春日の原始林が広がっています。「天の原ふりさけみれば春日なる……」と歌われたこの地は、奈良時代から平安時代へと移り変わる雰囲気を、今でも見せてくれます。

********************** 以上、復元掲載 ********************** 
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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