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2016年4月27日 (水)

古都散策(51)【復元】初夏の散策(10)法起寺

 10年前、大和平群に住んでいた頃に書いた、初夏の旅の記を再現しました。

 「法起寺」をどう読むのか、また参拝者にそれをどう伝えるのかは、観光地として今はどうなさっているのでしょうか。
 当時抱いた素朴な疑問を投げかけたまま、詳しく追跡をしていません。
 こうした例は、全国各地にあるはずです。
 インターネットで記事などを検索すると、それこそ詳しい説明があることでしょう。
 行政も、何か手を打っているのでしょう。
 そう思うことにして、今もそのままでいます。

(※本記事は、平成19年(2007年)3月に消失したブログの復元です。)

********************** 以下、復元掲載 **********************

2006年6月18日公開分

副題「寺の名前を何と読むか」

 初めて法起寺を拝観しました。
 これまでに、この寺の横は何度も通りました。しかし、お寺が小さいことと、外から国宝の三重塔がよく見えることから、わざわざ中に入ることがなかったのです。
 聖徳太子の創建にかかり、1993年12月に法隆寺とともにユネスコの世界文化遺産に日本で最初に登録されたお寺です。法隆寺があまりにも有名すぎて、通りかかっても視界に入るだけで、斑鳩の里のはずれにあるこの寺に脚を向けることがなかったのです。
 今回、初めて境内に入り、そのすばらしさと素朴なよさを満喫しました。

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 山門を潜る時に、素朴な疑問が湧きました。この寺の名前は、何とよむのだろうかと。
 私は法起寺を「ほっきじ」と呼んでいました。しかし、山門前には「ほうきじ」という読み仮名が見え、拝観受付でもらったリーフレットにも「ほうきじ(HOKI-JI)」と書いてあります。

 受付の男性に聞いたところ、昔は「ほっきじ」とも言っていたらしいが、今は「ほうきじ」と言っているようだ、とのことでした。自信なさそうに、よくわかりませんが、とも。
 受付には2人おられました。2人ともシルバーセンターからの派遣のような方で、お寺の関係者には見えませんでした。決められた時間に拝観手続を代行するだけ、といった対応でした。

 まさに『伊勢物語』の築地の崩れの中かと思わせる傾きかけた庫裡を見ながら、収蔵庫に安置されている重要文化財の十一面観音を拝みました。観音像は大好きです。しかし、この仏様にはあまり親しみを感じませんでした。顔が日本的ではなかったからだと思います。

 そしてその右後ろに、三重塔がまさに絵の中に建っているかのように見えます。ただ、きれいの一言です。

160417_hokkiji_2


 江戸時代の初めには、この塔だけが建っていたという荒廃ぶりが、今の境内からも少しは想像できます。
 近くの石の台の上で、男性が一人寝そべっておられました。のんびりとした時間が流れています。
 ただし、塔の後ろの生け垣が整備されていないために、外界の工場などの建物が見えるのには失望しました。もう少し手入れをして、俗界は見えないようにしたほうがいいと思います。
 境内も、もっと手を入れればいいのに、と思いました。駐車場も一応用意されており、敷地と場所はあるのですから、門を開けるなど、なんとか工夫すべきでしょう。歩いて15分ほどもある法輪寺の駐車場を使ってくれ、というのは酷いと思います。

 お寺の出口に近いところで、風雪に耐えた板の説明標識がありました。木の部分は傷んでいました。しかし、墨は盛り上がって残っており、その説明の中の英文の2ヶ所に「HOKKI-JI」と「Hokkiji」という文字が読めました。


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 かつては、「ほっきじ」と言っていたのです。しかし、この文字の最初の「K」が共に潰されていました。心無いいたずらなのでしょう。
 とにかく、寺の名前の来歴は、パンフレットでもはっきりと書くべきだと思いました。『正倉院文書』や『日本霊異記』などに名前の見える古い寺なのですから。

 ぶらぶらと法輪寺の方に向かって歩き出したところ、道端の標識は「ほっきじ(Hokkiji)」でした。ややこしいことです。地元の方々は、何と言っているのでしょうか。そして、すぐそばのバス停の読みがなは、またバスでの案内は、などなど。
 いつか確認してみましょう。

 なお、法隆寺が昭和25年に聖徳宗を開宗してから、この法起寺も聖徳宗となったのだそうです。
 日本の1万円札などに聖徳太子や夢殿が印刷されていた頃と違い、今ではこの斑鳩の知名度もかつてほどではないように思います。観光客がたくさん来るのがいいというのではなくて、正しく伝える努力を、法隆寺の周辺の社寺もすべきだと思います。法隆寺の絶大な力に負けないでほしいと思いました。

********************** 以上、復元掲載 ********************** 
 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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