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2016年5月19日 (木)

古都散策(54)【復元】古都散策(12)かぐや姫の町/竹取その1

 明後日、埼玉県本庄市で『群書類従』の話をします。その時、『竹取物語』のことを例に出す関係で、過去に書いた記事でクラッシュしたままのものを、この時点で3回に分けて復元しておきます。
 あくまでも、今から10年前の旅の記です。
 写真の場所が今はどうなっているのか、気になるところです。
 いつか再訪したいと思っています。
 
(※本記事は、平成19年3月に消失したブログの復元です。)
 
********************** 以下、復元掲載 **********************
 
2006年7月10日公開分
 
副題「『竹取物語』の舞台としての広陵町」
 
 「かぐや姫」のお話は、みんなが知っている物語です。
 『源氏物語』の第15巻「蓬生」に、「かぐや姫の物語」が絵になっていたことが語られています。また第17巻「絵合」では、「物語の出で来はじめの親なる竹取の翁」として物語絵が紹介されます。さらに第53巻「手習」では、「かぐや姫を見つけたりけむ竹取の翁」と書かれています。すでに平安時代に、『竹取物語』は最古の物語として認識されていたのです。それが「かぐや姫の物語」だったのか「竹取の翁の物語」と命名されていたのかは不明ですが。

 有名な『竹取物語』の書き出しを記しておきます。

今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの事につかひけり。名をば、讃岐の造となむいひける。(親しくご指導いただいている室伏信助先生の訳注『新版竹取物語』角川ソフィア文庫より)

 ここに記した「讃岐の造」ということばは、「さかきの造」とか「さるきの造」などで覚えた方もいらっしゃるかと思います。いわゆる異文が伝わっていて、難しく言えばいろんな問題があります。しかし、ここは「さぬき」がいいと思われます。この後で「御室戸斎部の秋田」ということばがあるからです。そのことから考えると、大和国広瀬郡さぬき郷で竹を採ることを生業としていた氏族「讃岐氏」が注目されます。

 話がかた苦しくなりそうなので、なにはともあれ、そんなことから、ようやく広陵町の出番です。

 竹取の翁が住んでいたのは、何と奈良県北葛城郡広陵町だというのです。私が住む町の近くなのです。そこで、早速現地へ行ってみました。
 場所は以前から知っていました。三輪神社や長谷寺そして飛鳥へ行く途中に、異様にド派手なランドマークが道端から見え、ずっと気になっていたからです。気恥ずかしくて、わざわざ立ち寄ることを避けていたというのが正直なところです。しかし、古都を見つめ直すという使命感を盾に、思い切ってそばに立ってみました。


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 近寄るとと、こんなふうに見えます。何とそれは、回転寿司屋の広告塔と見紛うばかりです。


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 隣接する「サン・ワーク広陵」という町役場の出張所のような施設の職員の方に、このモニュメントの由来を尋ねました。前町長が町おこしの一環として、里中満智子さんに依頼してデザインをして建てたものだそうです。しかし、先般の役場の火事で、詳細な資料もないのでは、とのことでした。そして、かぐや姫に関する2種類の冊子と地域の案内図をもらいました。里中さんの絵が目を引きます。


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 里中さんの作品には『長屋王残照記』があります。しかし、これは我が町〈へぐり〉の陵墓を紹介する時のためにに残しておきましょう。

 この度肝を抜くかぐや姫の敷地を出たところで、道路標識が目に留まりました。


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 次回は、『竹取物語』の舞台である讃岐神社について書きましょう。
 
********************** 以上、復元掲載 **********************

 
 
 

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NPO法人〈源氏物語電子資料館〉広報室より

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